2008年10月

本二冊

2008年10月30日(木曜日)

樹下美術館のカフェの本に以下の二冊を追加しました。

○「古九谷浪漫 華麗なる吉田屋展」 発行朝日新聞 2005年
美しい写真だけで170ページを越え、さらにくわしい資料が載せられています。本書は2005年12月から2006年7月まで全国5都市を巡回した展覧会の図録です。江戸前期、石川県西部の九谷村で生まれた晴々とした古九谷焼きは数十年で絶えました。それから100年以上もたって失われた焼きものを見事によみがえらせたのが吉田屋窯です。残念ながら吉田屋も多額の経費によってわずか7年の営窯だったそうです。しかし江戸後期から今日へと続く九谷焼きの再興に多大な貢献を果たしました。豊かな器は図録を見ているだけで胸がときめきます。

昭和になって富本憲吉や北大路魯山人が色絵磁器を学びに九谷を訪れました。富本憲吉が九谷の北出塔次郎(きたでとうじろう)の元へ初めて通ったのは昭和11年でした。当館展示作家の齋藤三郎はちょうどそのころ富本門下生でした。九谷へも同道した可能性があり、齋藤作品に九谷の影響を残すものは少なくありません。

巻末には現代九谷の徳田八十三吉、須田菁華、北出塔次郎はじめ、遊学した富本憲吉、北大路魯山人の作品も掲載されています。石川県九谷焼美術館は当地から西へ150キロほどです。画集を見ていると再訪したくなりました。

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図録表紙 吉田屋 鉦鉢(どらばち・左)と平鉢(ひらばち・右)

○「LACKOVIĆ」 (ラツコビッチ)
イワン・ラツコビッチ・クロアタ氏はクロアチアのナイーフアート(またナイーブアート:素朴画)の画家です。作者は、クロアチアの清澄な風土をガラス絵や線描を通して沢山描きました。本画集でも故郷の森と丘の生活が明快な線で描かれています。しかしここでは、雪や花が巡るのどかな村は過酷な歴史の上にあることも克明に描き込まれました。
クロアチアは先の2002FIFAワールドカップで新潟県十日町のピッチを使って合宿をしました。本書によって遠かった国がより細やかさをもって近づくように感じられます。

日本にわずかしかない本を東京から携えてくださったのは、私の町大潟ご出身のアーティスト渡部典さんです。彼女の友人で新潟県津南の人・山崎富美子さんは、クロアチアに5年間もの滞在をされ、同国のナイーフアートを研究されました。富美子氏は滞在中にラツコビッチ氏と出会い、親交を深められました。帰国後クロアチア大使館の後援を得て東京はじめ各地でラツコビッチ絵画の紹介をされています。

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LACKOVIĆ 作品

 

トキが日本海を渡った?

2008年10月29日(水曜日)

 放鳥後のトキについて驚くようなニュースが昨晩ありました。一羽のトキが海を渡り本土の新潟県胎内市で見つけられたらしい、ということでした。個体の識別に染められている色彩マークも見られ、佐渡でこれまで未確認だったうちの一羽の可能性があるそうです。
胎内まで直線距離で90キロと聞きましたが、にわかに信じられませんでした。地図でみると胎内市は放鳥された佐渡のほぼ真東、地図に向かって右真横にありました。相当な距離です。季節風である一定した西風を使って渡ったのでしょうか。本土を目指して真南(地図で真下)に向かうように飛べばうまく西風に乗って成功した可能性があります。このような飛翔はかなりの揚力が得られ、抵抗も少ないからです。

 

本当なら若鳥らしいナイストライ、素晴らしいことです。しかし一羽では寂しいでしょうし、成長や結婚?なども色々心配です。まず果たして事実はどうなのでしょう。

可愛い園児

2008年10月24日(金曜日)

 長い晴天がようやく雨に変わりました。午後1時から近くの保育園で健診をしてきました。100人も続けて診ますと聴診器でひどく耳が痛んできます。しかし子どもたちのまぶしさは心地よいものでした。
10年前に比べてゼロ才児がとても沢山になりました。この小さな児たちの健診の終わり頃、年上の児たちが入室してきます。すると入って来た小さなお兄さんお姉さんは、保育士さんに抱かれているゼロ才児を次々に撫でたり頬ずりをしたり、抱こうとしました。自分もまだ赤ちゃん風なのに下の児を可愛がることが嬉しくて仕方がないという顔でした。

 

子どもたちの情景をみていて、皆ずっとこんな優しい人間でいてほしいと、祈るような気持ちにさせられました。

 

秋雨の保育園

チェンバロとバロックヴァイオリンの演奏会

2008年10月21日(火曜日)

 新潟県上越地方は最後の雨がいつだったか忘れるほど好天が続いています。
晴々としたお天気に恵まれて昨夕と今日の午後、樹下美術館でチェンバロとバロックヴァイオリンの演奏会を致しました。チェンバロが加久間朋子さん、バロックヴァイオリンは本多洋子さんです。申し分のないキャリアのお二人は気迫あふれる演奏をなさいました。あえてポピュラーな曲を避けたというプログラムでしたので、一生懸命耳澄ませて聴き入りました。関ヶ原の時代あたりからというバロック音楽ですが、涙が出そうになったり不意でモダンな和音にハッとしたり堪能しました。

 

二日間、野辺の小館がバロックの音色に満たされて幸福でした。お客様。演奏者のお二人様。お手伝い頂いた皆様。 本当に有り難うございました。

 

 

富士山麓から

2008年10月19日(日曜日)

  庭では野菊の仲間が盛りとなりました。路傍の花、野紺菊(ノコンギク)は毎年大変な勢いで増えます。その中から10年ほどかけて、濃い色のものを選んで育てていましたら前回掲載のように美しい紫色が残るようになりました。

ところで野紺菊にまじって最近咲きはじめたのが竜脳菊(リュウノウギク)です。関東以西で一般に見られる野菊だそうです。昨年秋、叔母が富士山麓の庭に育ったものを数株送ってくれました。日本海側の砂地にうまく育つか、少々心配でしたが、みごとに着きました。真っ白でやや小振りな花が、ゆっくり前下がりの姿勢で咲いています。さらに秋が深まると赤みを帯びてくるのも見ものと聞きました。

 

富士山のすそ野から来た白菊ですから白さが格別な風に思われます。そして地元の野紺菊と調子を取るように咲いているのは楽しい眺めです。秋遅くになりましたら両方とも株分けをして増やしてみます。来秋の賑わいに期待して。

 

※これまで竜王菊と記載していましたが、竜菊に訂正いたします。何かヘンだなと感じていましたところ、家内に指摘されました(10月25日)。

 

頑張るトキたち

2008年10月18日(土曜日)

 さる9月25日の放鳥から3週間が経ちました。昨日のテレビは、田を突っついてドジョウを食べるトキの映像をしっかり放映しました。とても見事な映像でした。この時期のドジョウは田にもぐっているそうです。トキはくちばしを泥の中深く入れて器用に餌を捕っていました。10分間に12匹も食べたということ。あの長く曲がったくちばしが餌とりに好適なんですね。それに人工的な餌場であるビオトープに飛来したことも頼もしい話題でした。この勢いだと餌場をもっと増やさなくては、と地元の方が仰っていました。

環境省の放鳥トキ情報は毎日更新されています。送信機を付けたno1,4,6,9,11はしっかりと確認されてます。また付けていない13,15も極めて元気のようです。しかし付けていない残りの3羽のうち二羽の安否が確認されていません。やや気がかりです。

 

一方でこれまでばらばらだったトキが、2羽いっしょに居るところを目撃されたと報道されました。群れはトキの命。うれしい知らせでした。

 

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私が好きなno11。よく頑張っています。
 (環境省 関東地方環境事務所・佐渡自然保護官事務所のページより)


私のトキノート。毎日トキ情報を見て付けています。

2008年10月13日(月曜日)

 連休の最後日、若い身内と近くの上下浜の海へ行きました。よく晴れて風もほどほど、いい海でした。波は面白く、走ったり物を投げていた子どもさえ、最後は飽かず海をながめていました。
帰りの道中で魅力的なオブジェを眼にしました。一つはガウディ風?一つは前衛風?若いカップルが作ったのでしょうか、仲良く並んだ作品はかなりでしたね。作者の方ありがとう、またぜひ作ってください。

 

そしてつきあってくれたスーちゃん。九戸浜の「どんどの湧き水」に立ち寄った時、「トトロの森みたい」と言ったのはとても良かったです。

 

 

 

陶齋の湯飲み

2008年10月12日(日曜日)

 連休ということで、少しゆっくり陶齋の湯飲みについて書いてみました。
まずなにより陶齋の作陶は多様です。なかでも絵付け作品の多様さは抜群でしょう。灰かぶりには手を出さずむしろ嫌っていた、とは若くからの陶齋を知る写真家・濱谷浩氏の言葉でした。造形と独特の風雅な筆に優れた陶齋のこと、近藤悠三さらに富本憲吉から手を交えんばかりに学んだならば、それは自然なことだったにちがいありません。
その陶齋の多様さが身近に現れるのが湯飲みです。鉄絵、染め付け、辰砂(しんしゃ)、金彩、絵唐津風、銀彩、色絵、等々。これらを駆使して、掌に入る器一つ一つに精魂を込めています。しかも何万個も作ったのではないかと、窯を継いだごご子息二代陶齋(尚明氏)のお話でした。番茶好きだったという湯飲みはそれだけで十分な陶齋ワールドです。樹下美術館では現在楽しい陶齋の湯飲みを展示しています。

 今度はどんな湯飲みに出会えるか、陶齋を愛した人たちは皆そう思っていたことでしょう。そして私は今でもそう思っています。

 

辰砂呉須絵・ざくろ紋

鉄絵・椿紋
   
柿釉銀彩・こぶし紋 染め付け・ざくろ紋/あざみ紋
   
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赤絵金彩・葉紋
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絵唐津風・柳紋
   
色絵窓字・どくだみ更紗紋

色絵面取り・妙高山紋/椿紋

可愛いお客様、そして「お声」

2008年10月9日(木曜日)

  今日、日中はかなり蒸し暑くなりました。医業の本業では、このところ風邪の方が増えています。激しくはありませんが夏風邪に似た症状です。
さて木曜日の午後は休診にさせて頂いてますので、美術館に寄りました。ちょうど妙高市から若いおばあちゃまと一緒の可愛いお客様が見えていました。樹下美術館には、時々親御さん連れ、おじいちゃまおばあちゃま連れで可愛いお客様が見えます。皆様のホールやカフェのひとコマは、とても心なごみます。またいらして下さいね。
ホームページお声欄に8月、9月分の皆様のお声を掲載させていただきました。

 

先週末の展覧会

2008年10月7日(火曜日)

 

先週末、大学時代の三人の同級生で夫婦して東京に集まりました。毎年続けている年一回の会合です。今回は忙しくも楽しい美術館巡りが出来ました。遅ればせながらのレポートです。

 

○巨匠 ピカソ 魂のポートレート展/サントリー美術館

 4日土曜日、展覧会初日の訪問でした。夕刻、混雑が緩和されつつあるタイミングで運の良い入館ができました。ポートレートに絞ったピカソ展は希ということです。そのためでしょうか、展示の流れに従って観るうちに、偉大なピカソの魂が自然と心の奥深く染み込むのを覚えました。変化するテーマ・方法・色彩、そして高度な線。主題を絞り、かつすべての時代を網羅した試みはわかりやすさの点でも極めて貴重だと思いました。
ところでリーフレットにもなっている「自画像」の顔は能面のようです。そして面を付けている無言の人物こそがピカソ自身にも見えました。苦難の青の時代、重い謎を残した印象的
な絵でした。
最後に、昨秋の博物館大会でお目に掛かった支配人から美術館のお茶室や多目的ホールなど素晴らしい
施設全体をご案内いただきました。ご多忙の中、本当に有り難うございました。メセナに対するサントリー(株)のたゆまぬ取り組みに、さらに敬意が深まりました。 

 

 

 

 

○フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち/  東京都美術館

5日日曜、午前9時に訪ねました。17世紀に特異な光を放ったフェルメールはじめオランダ・デルフトの画家たち。身近な風景と人々を描いた作品には共通の静けさと丁寧さが認められました。比較的小さな画面の主人公たちは、衣擦れの音とともに私たちの前に現れたり、再び絵の中に戻ったりを繰り返す魔法が掛けられているようでした。わずかな厚みに閉じ込められ、運動も許されない絵画が時空を越えて生き続けるとは。絵画芸術の深奥を見る思いでした。

○森川如春庵の世界/三井記念美術館

前日、ホテルのテレビで告知を見て訪問を決めました。5日午後、皆と別れた後、新幹線時刻までの幸運な1時間半でした。
本阿弥光悦作「時雨」「乙御前」、さらに桃山期の志野「卯の花牆(うのはながき)」、そして同期の瀬戸黒「大原女」。書物か夢でしか見られないと思っていた茶碗をそろってこの目で見ることが出来ました。
展覧された何気ない小さな織部の香合や漆黒の薄茶器などが素晴らしく見えるのも、お茶の世界ならではの不思議かもしれません。茶人・如春庵(にょしゅんあん)を高く評価した先達の茶人・益田鈍翁(どんのう)は三井物産の創立者で新潟県佐渡の生まれでしたね。

○このほかに旧岩崎邸庭園鳩山会館を見ました。湯島天神近くの旧岩崎邸は、驚いたことに明治まで越後高田藩、榊原家の江戸屋敷だったそうです。当時の広さは現在の2倍もあったようで、場所も一等地です。普段くわしくは知らなかった我らの殿様が、急に誇らしく思われました。書物「逝きし世の面影」に、江戸は大名たちの広大な屋敷によって市中全体が公園のようでもあったと書かれています。戦国の世を終えた武将、武士たちは、争いに代えて武芸や学問とともに庭造りにも励む(励まされた?)ようになったということです。両邸では風と共に去りぬなどハリウッド映画のシーンが、デジャヴのように舞っていました。

○忘れ物
4日深夜に訪れた初めてのシガーバー。こんな日の最後は葉巻、というKの案内でした。彼の選んだハバナの葉巻にボーイさんが丁寧に火を点けてくれます。普段はだれも喫煙しませんが、皆で一本の葉巻を一通り味わいました。

はや10月

2008年10月2日(木曜日)

 刈り入れ前の暑さが効いて頸城野の田は良い米が獲れたようです。頂いた新米の美味しかったこと。10月2日、美術館から見る庭はキキョウも終わり、野紺菊(ノコンギク)がところどころで色を深めていました。また、厳しい夏を越えた糸薄(イトススキ)と矢筈薄(ヤハズススキ)はしっかりと座を守っています。地味な庭ですが今月末くらいから10株ほどのササリンドウが咲くと思われます。恥かしくも拙句を付けました。

 


矢筈薄:暮れる空に飛び立ちそうでした

暮れる陽を矢筈薄が打ち射たり    sousi

 


野紺菊:路傍の花ながら色がみやびです

野紺菊所を問わぬ花の色     sousi

 


近くへ出ると妙高連峰が暮れていきました

秋暮れて三郎も見た妙高山(悲しい三郎景虎のことを思いました)   sousi

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