2009年6月

齋藤さんと我が家 8 美術館へ

2009年6月30日(火曜日)

 前回は父に続いて齋藤三郎さんの作品を自分も集めてみよう、というところまで進んだ。今回は齋藤さんと我が家を終了すべく、少々長くなりました。どうかお許し下さい。

 

 さて平成5年頃から齋藤作品を探しに骨董屋(古美術商)さんを覗くようになった。 
ある日曜日、上越市内の店で印象的な皿に出会った。鮮やかな赤地に溌剌とした椿、四方に文字があって、齋藤さんには珍しくやや薄作り。花の様子から初期の作と思われた。

 

 お得意の椿・赤・文字がこれほど見事にそろった器を見たことがなかった。もしやこの皿を代表作の一つとして美術館が作れるのでは、打たれるような思いがよぎった。あるじは思っても見ない安価な価格を口にした。喜びのあまり具合が悪くなりそうだった。

 

 今度は何に出会えるのだろう。良い作品には次への期待が伴う。淑たる美と変化、使っても飾っても威張らない器。これらは齋藤作品の最大の魅力だ。少しずつ作品と出会いながら父の夢中が分かるような気がした。

 

色絵椿紋皿 直径23㎝  高さ5㎝ 昭和20年代

上越市内で出会って美術館を意識するようになった。

 

色絵木瓜(ぼけ)紋灰皿 昭和20年代

 糸魚川でのこと、店で色々見せてもらったが欲しい物が無かった。当時喫煙していた私は最後にタバコを取り出して、灰皿を所望した。店主が奥から持ち出したのがこの灰皿だった。磁器の白も花も優しく、一目見て気に入った。欲しいと告げると主人に難色が現れた。「店先に、この家のものは全て売り物です、と書いてありましたが」と言った。「わ、分かりました」、無理を飲んで頂いた事がよく分かった。

 

麦わら手 手桶花入れ 高さ26㎝  胴経18㎝  昭和20年代

  新潟で出会った大きな器。ああこんな作品もあったんだと、自分の狭さを知らされた。もう一回り大きなものがあり、炭火が入る手あぶりとして用いられたようだ。

 

 堀口すみれ子さんの本に、父であり詩人の堀口大学の思い出を綴った「虹の館」(かまくら春秋社・昭和62年3月27日発行)がある。書中、茶室「寸雪庵」で大学ご家族が初釜のお茶を頂く写真が載っている。皆さんの脇に齋藤作と思われる手桶風の手あぶりが置かれていた。

 

手もとの虹の館 

 「寸雪庵」は大学と親交があった写真家・濱谷浩氏宅の茶室と思われる。濱谷氏の奥様・朝さんがかって高田で営まれていたお茶室の名が寸雪庵だった。寸雪庵と齋藤さんの手あぶり。越後高田の名残りが、大磯で大切にされていた事を何ともゆかしく思った。

 

 さて蒐集は楽しい作業だった。加うるにあるご縁で倉石隆氏の作品とも関係するようになっていた。身に余る幸せと言わねばならない。

 

  すでに父が亡くなって25年、赤い椿皿と出会って10年。63才の年を考えればもう始めなければならなかった。平成17年、一級建築士設計家・大橋秀三氏に依頼して樹下美術館を建てることにした。

 

 設計が始まった年に遠くで妹が癌で亡くなった。生前、「これも飾って」と涙ながらに齋藤さんの器を包んでくれた日が忘れられない。

 

平成19年6月10日、つましい樹下美術館が建った。

シーグラスが素晴らしい器に

2009年6月25日(木曜日)

 

 Img_8659_2   

 

 今年5月17日のブログは「小さな竹の橋で」だった。当日の集まりは新潟県村上市。同じ新潟県でも上越市から村上までゆうに150キロはある。

 

 実は当日、早めに家を出たので時間が余った。それで村上の手前を左折して海へ行った。遠くでシーグラスを探すのも悪くない。初めての海はひと気なく、暮れる渚にはびっしりと砂利が上がっていた。砂利こそシーグラスの眠る場所。しかし意外にグラスは少なかった。30分ほど歩いて大小10ヶほど見つかった。

 

ー同夜、千葉の同級生Sとのやりとりでー
私「で、奥さんは何か趣味を」
S「大潮の日にな、海岸を歩いて色々と云々」
私「それビーチコーミング?」
S「おー、それそれ!」
私「シーグラスで蝋燭立てなど作るとか」
S「それそれ!」

 

 何という引き合いだろう。私は先ほど集めたグラスをポケットから取り出すと、よかったら奥さんに、と全てSに渡した。

 

 そして昨日6月24日。奥さんが集められたシーグラスをあしらったキャンドルホルダーがSから届いた。貴重な赤を二つも入れた繊細な器だった。

 

 私のイニシャルもS。学生時代、席もテニスも音楽も一緒だったS。しかし村上のやりとりほどピッタリ話が決まったことがあっただろうか。年を取ることは悪くない、頂いた蝋燭の灯りを見ながら思った。
奥様、本当に有り難うございました。

紅(べに)へ

2009年6月21日(日曜日)

 閉館して夕刻にミーティングをした。厄介が苦手な私はミーティングが苦手。しかし、環境の理解と手入れは人への対応も深める、などがまとまった。

 

 庭では13日に掲載したガクアジサイ(山アジサイまた紅額?)が真っ赤になっていた。

   
13日:夢見ていた

一週間経って:恋している?

 

 

 ミーティングを終えて雲がよかったので海へ行った。大潟区土底浜に夕日を見る良いポイントがある。この時間は直江津港へと佐渡汽船がゆっくり近づく。

 

 夏になると、昔子どもたちと見た壮大な夕焼けをもう一度見たいと思うことがある。空と雲の全てが万華鏡のように染まり、背後に鮮明な虹が二つ掛かった。台風一過の大夕焼け、柏崎市の恋人岬(ちょっと名前が恥ずかしい)で見た。

   

一枚の写真から50年

2009年6月20日(土曜日)

 私には2つ上の姉がいる。古い話だが姉は小学校を卒業すると旧高田市の中学校へ通った。高田は汽車でゆうに50分かかった。

 

 学校へ通い始めて間もなく姉は、とてもきれいな同級生がいる、と言った。ある日一緒の写真を撮ってもらったといって見せてくれた。体操着の女子数人がグラウンドでポーズをとっている写真だった。

 

 昔の写真は名刺ほどもなく小さい。しかし真っ白な体操着のNさんは特別愛くるしく生き生きと写っていた。あと二年、自分も高田の中学校へ行けば三年生のこの人を見ることが出来る。田舎坊主の5年生が抱いた淡いあこがれだった。

 

 しかし、彼女は間もなく転校してしまった。願いは叶わなかったが、本日午後なおえつ茶屋でこの人に会えた。花柳紀寿郎(紀子)さんは現に愛くるしい面立ちの人だった。

 

 姉が見せてくれた写真から50年以上が経っている。コーヒーを終えて私から名乗った。姉を良く覚えていると仰り喜んでくださった。眼前の人にはとても魅力的な手応えがあったのに、私の方はすーと透明になってしまった感じがしていた。

美術館に文学

2009年6月17日(水曜日)

 今日昼、新潟からNHK文化センター「大きな旅、小さな旅の文学講座」の皆様が来館された。館長として少しお話させていただいた。とても熱心に聞かれ恥ずかしくもあり感激もした。あらためて美術と文学が、兄弟やそれ以上に近い実感がした。

 

 当館でいえば、陶齋の陶芸に散文的な詩情が、倉石の絵画には小説的な背景が漂うように。また昔から文士・文人はしばしば画をよくし、画家が文学賞をとることもあったりで。

 

 一行の講師(引率者)は文芸評論家で敬和学園大学教授の若月忠信さんだった。手元に氏の著書「文学の原風景」がある。同書で、倉石隆の絵画の同志、司修(つかさおさむ)氏の小説「紅水仙」の章を感慨をもって読んだことがあった。思いも掛けず今日は若月氏ご本人とお話できて光栄だった。

 

 バスを見送る時、美術館の庭にさーっと文学の風が立ったようで新鮮だった。

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楽しいゼミのようなカフェ。

 

カフェが一杯でデッキでお茶されたお二人。文学少女が香っていました。降らなくてよかったですね。

 

手元の「紅水仙」。主人公は、亡き母の謎を追って新潟県旧松代町へたどり着く。「文学の原風景」では若月氏が司氏の足跡をたどって松代を訪ねる。

「紅水仙」 著者:司修 発行所:(株)講談社 昭和62年4月20日第一刷発行

 

司修:第27回小学館児童出版文化賞(昭和53年/1978年)『はなのゆびわ』

    第20回川端康成文学賞(平成5年/1993年)「犬(影について、その一)」

    第48回毎日芸術賞(平成19年/2007年)「ブロンズの地中海」

なんて可愛いマーちゃん

2009年6月16日(火曜日)

 午前にめまいの方の往診をした。一人暮らしのおばあさんだった。少しよくなったようだと仰ったが、一通りの処置をしてお薬を置いた。

 

 診察のあいだ、傍らのぬいぐるみが気になっていた。仕舞いをしてよくみると何とも可愛いい。メモリが仕込まれていて最近は「雨!雨!」と言い、毎朝「おはよう!」と言うそうだ。

 

 名前は「マーちゃん」、数年前に亡くなられたご主人の名を付けたという。顔もジャケットも靴下も、、、そして名前も、可愛いマーちゃんでした。

 

 

フェーズ6

2009年6月13日(土曜日)

 先日フェーズ5を書いたばかり。ついにWHOは新型インフルエンザの警戒水準を6にした。こんなにやんわりとした形は想像出来なかった。しかし国内外の感染は穏やかさを装いながら着実に拡大している。一方で夏場も続く流行は衣の下に鎧を見る思いがする。

 

 これまで国の対応はなにかと劇場的でやや滑稽だった。これから本番、安直な点から面へ、形式から科学へ、新たな英知の結集を願いたい。

 

チャンWHO事務局長はこのたび以下の指摘をされた。
○今後感染の首座となろう南半球の途上国への支援。
○予想される2波への備え。
○ことは始まったばかり。    まったくその通りだと思う。

 

 終息まで数年の見通しが示された。長引くほどウイルスは複雑な変異を重ねるだろう。南半球の推移を見ながら連立方程式に挑むような作業がはじまる。

 

美術館の作品と庭は相変わらず静かで元気だ。

 

夢みはじめたガクアジサイ 間もなく開花、120本のテッポウ百合
   
   

美術館でトーストもライフスタイルに

2009年6月10日(水曜日)

 ちょうど二年前の6月10日、樹下美術館はスタートしました。親しみやすい倉石隆、齋藤三郎の二人の作家に恵まれて、穏やかな2年の歩みでした。

 歩みは多くの皆様に支えられました。お一人、お友達、カップル、ご家族とさまざまに訪れていただきました。リピートされる方が多いことも有り難く、大変勇気づけられました。

 

 開館以来、折々に新たな作品が現れて、図録制作が延び延びになっていました。今年中にぜひ完成させたいと思います。どうかご期待ください。

 

 お陰様で遠方の方も少しずつお見えになるようになりました。小ぶりな所ですが、手入れ怠りなく皆様をお迎えしたいと思います。

 

美術館でトーストもライフスタイルに。

今日から新潟県は梅雨入りということ、いかにもという空模様になりました。

皆様のお声

2009年6月8日(月曜日)

 館内のカフェを中心に何冊かのノートを置かせて頂いてます。皆様につれづれをお書き頂いていますが、俳句やイラスト、シリトリもあって和やかです。年に何回かに分けてまとめてホームページ「お声」に掲載させて頂いています。

 

 本日、今年3~5月分を掲載しました。お書き下さった皆様、まことに有り難うございました、励みになります。ささやかな美術館ですが、作品に庭にカフェに、思い思いに過ごして頂けて嬉しく思います。

 

お書きいただいているノート

 

   

楽しいイラストもあって心和みます。

右は野の花、左はしりとり。りんご、ごま、まくら、らくだ、ダックスフント、トナカイ、犬、ぬりかべ、、ベンチ、ちくわ、わに、にわとり、リング?、グリコ?
最後で詰まってしまいました。

泉のような

2009年6月7日(日曜日)

 美術館の午前は新潟市方面の方たちで少々賑わったようだ。午後に寄って乾いた庭に水を遣った。特にクリスマスローズやアジサイは乾燥と高温に弱い株があって気を使う。

 

 終わって芝に撒水の時、千葉からお仕事で来越されている女性にお会いした。撒水をしながら色々お話をした。花がお好きで為になった。こちらに来てまだ日が浅いということ、車のほかに自転車も駆使して活発に地域を探索されている。寺町も上越一帯の山々もいいということで嬉しかった。

 

 地元の作家や工房などを熱心に訊かれた。ちゃんと地図を持っておられて感心した。人には食べ物だけでは足りない空腹があります。心ときめく泉のような文化のことを思いました。

 

最も活気づく6月の庭。さまざまに変っていく。

齋藤さんと我が家 7 ならば私も

2009年6月6日(土曜日)

  昭和50年代後半、齋藤さんと父は次々とこの世を去った。二人が亡くなって、父の齋藤作品に対する夢中をよく思い出した。それは父の幸福であり、家族の幸福としても実感されたものだった。

 

 作品と作者双方への思い入れは作家・愛好者にとって最も望ましい関係だろう。父が齋藤さんと出会ったことは貴重なことだったと思う。

 

 絵でも陶芸でも、父のように夢中になれる作品や作家と巡り会ってみたい。自分なりの思いだった。暇をみて作品展や展示室を訪ね歩いた。しかし若き日に感触した齋藤作品以上の引力には中々出会えなかった。

 

 「ならば亡き齋藤さんの作品を集めてみよう」、ある日の単純な結論だった。平成になってしばらくして、上越市をはじめ新潟、長岡方面まで骨董屋さんを見に行くようになった。

父の形見分け。アミダくじ(父がこっそり用意していた)で当たった壺。

 

※今回、齋藤さんと我が家を終了するつもりでしたがまとまりませんでした。次回こそ「開館まで」を綴って終了したいと思います、申し分けありません。

展示中の倉石隆作品

2009年6月2日(火曜日)

【8月31日まで展示の倉石隆の作品です】

作品の一部をご紹介致します。   

                 

   

婦人像:倉石の挿絵本の一つに従姉妹ベット(河出書房新社・バルザック原作・佐藤朔/高山鉄男・訳)があります。当作品は挿絵の主人公を角度を変えて油彩にしたものと思われます。小品ですが情念を秘めた女性を赤で燃え上がるように描いています。油彩 50×36㎝  推定1970年代

 

   

馬上の人: 倉石は黒、黄色、各系のモノトーンでよく描きました。当作品では馬に乗った人物が荒涼とした坂を登っていきます。手前に決意の旗。馬にテンポがあり馬上の人(作者であろう)は勇躍前進を開始したようです。沸き立つ黄色がまぶしい。黄色は前進、上昇の色。油彩 65×80㎝ 1979年

 

画室:何度か訪ねた倉石氏のアトリエ。モデルを前にキャンバスはまだ白いままです。その形、大きさから、モデルも居るこの絵(画室)を描くところのようです。絵には逆算された時間と空間が描かれ、めまいでもしそうな次元感覚をおぼえます。

 

 さらに「画室」は画家の日常を、私たちと共有するよう意図されていたかもしれません。「さあ、どうぞ!」というような気持ちです。
全体に素朴で画家らしい作品だと思います。白いキャンバスは映画「田舎の日曜日」の最後のシーンでも見られました。

 

 「主人が描いているときはいつもゴシゴシ、ゴシゴシと画布をこする音が聞こえていました」、とは奥様の言葉です。「画室」もよくこすられ、重ねられた色が染みこみ、深い質感を伝えています。

 

 額縁は上越市大島画廊です。竿の長さがぎりぎり足りて上手く絵に合いました。油彩 100×100㎝ 1980年代

 

 

:氏の同様の「髪」はかって朝日新聞日曜版を飾りました。大きな眼に吸い込まれそうになります。髪と眼に女性の全体を表象させて描いています。ここでも華やかな色彩は省略されています。油彩 65×51㎝ 1982年

 

このほか
・黄昏のピエロ・人生・見つめる・北の山(妙高山)の油彩を架けています。カフェには油彩「魚」があります。

 

過去の掲載分はこちらで見られます
 

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