2009年12月

堀口すみれ子さんが樹下美術館を書いてくださった。

2009年12月31日(木曜日)

いよいよ今日で2009年も終わり。無事にと言えばいいのでしょうか、大切な仕事は続いています。 

 昨日は長く診ていた方の看取りがありました。今日は午前中に二人の重いお年寄りの往診です。患者さんと私の安心のため、年末年始もよくこんな風にしています。お天気は昨日の晴天から荒れたみぞれに変わりました。

 

  さて先日、かまくら春秋社という出版社から本が届きました。数ある当社の出版物から、詩とことばの季刊誌「星座」のno52号でした。湘南の香りがする本は2010年初霜号とありました。星座52・2010

 

中の随筆に齋藤三郎さん親子と樹下美術館のことが3ページにわたって書かれていました。筆者は堀口すみれ子さんです。学芸都市、鎌倉の出版社ですからことさら光栄でした。

 

 実は堀口さんには夏の頃にお手紙を差し上げていました。来年の6月、樹下美術館の3周年記念にぜひお話を、と考えていたからです。 

 

 そんな折りの11月8日、突然堀口さんが樹下美術館を訪ねて来られました。初めてお会いするすみれ子さんは優しくて素敵な人でした。

 先の大戦前後、上越には疎開を機に多くの文化人がやってきました。中でも小さなお子さん連れで住まわれた堀口大學ご一家の事は心惹かれます。

虹の食卓から/樹下美術館  後年、大學のご長女すみれ子さんは、お父様とご家族のことを「虹の館」に著されました。文中に高田で撮った大学と一緒の写真がありました。

明るい日差しの高田に大學親子、不勉強の自分には信じられない光景でした。そしてとても幸せそうでした。この時、ぜひすみれ子さんにお話をお聞きしたいと思いました。

 講演は来年6月の予定となりました。その日のことが待ち遠しく思われます。

 

左は齋藤三郎さん親子と11月の樹下美術館訪問が書かれた星座52号

今年のお礼と「お声」

2009年12月28日(月曜日)

 今日一日、再び荒れ模様の中、樹下美術館は今年の最終日を迎えました。足許の悪い日でしたが、何組もお客様に訪ねて頂いて有り難うございました。

 

 振り返えりますと沢山の楽しいエピソードを残して樹下美術館の2009年が過ぎました。皆様にはお一人はもちろん、ご家族づれ、お友達、グループなど幅広くご来館頂いて幸せでした。

 

 ところで来年の6月に樹下美術館は満三周年を迎えます。皆様のおかげと感謝に堪えません。その折りには、ささやかな講演会と音楽会を企画しています。スタッフ共々、来年も精一杯頑張りたいと思います。

 

 10~12月に館内の芳名帳にお書きいただきました皆様のコメントをホームページの「お声」に掲載させていただきました。貴重なお声を謹んで拝読し掲載させて頂きました。

 

休館中もブログを続けて行きたいと思います。

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ご迷惑をお掛けしますが2月28日まで冬期休館を頂き、開館は3月1日から致します。

 

シーグラス

今年の海で集めたシーグラスです。

留学の時に健康診断書を書いた人

2009年12月26日(土曜日)

 今から20年以上も前、夏だったろうか、用事で直江津郵便局へ行った。ガランとした局内の窓口にアルバイトの女子高校生が座っていた。私の近くの生徒さんだった。

 

 受験シーズンになると、彼女はアメリカの美術学校へ留学するための健康診断書を、と来られた。アメリカ留学は感染症のチェックが厳しい。辞書を片手に少々汗して書類を書いた。

 

  年月を経てその人はイェール大学の若いオリエント史研究者と結婚された。それで今年初夏のころ、ご夫婦で郷里上越市大潟区の親御さんを訪ね、樹下美術館にも寄って下さった。その時はお会いすることが出来なかったが、今回身内のご不幸で急遽再び帰郷された。

FREUD'S EOMEN 
FREUD'S WOMEN   Author:LISA APPIGNANSESI AND JOHN FORRESTER
 Cover design:Kaoru Tamura

 先日、お線香を上げに実家へ伺って、彼女にお会いした。沢山の教養を積まれ、しかもお元気な様子は頼もしかった。そのおり、ご自分が装丁された本を二冊頂いた。フロイトや愛着理論に関わる精神・心理の専門書だった。彼女の周辺にいくつも学問があることを眩しく思った。 

 

 高校時代の郵便局アルバイトからもう随分と経っている。平坦ではなかったはずの道で、若き志を維持されたKaoruさんに心から拍手をした。

ATTCHMENT THEORY AND PSCHOANALYSIS 
ATTACHMENT THEORY AND PSYCHOANALYSIS   Author: PETER FONAGY
  Cover design:Kaoru Tamura
 

クリスマスイブ

2009年12月24日(木曜日)

  今夜は、知人ご夫婦の所で食べ物を持ち寄って気軽な会食。昼間、妻のローストチキンがうまく焼けますように祈った。 

イルミネーションから 
光の織物
カメラを横に振って樹下美術館のイルミネーションを撮り、それを縦にしてます。

 さわやかなご夫婦の家で、羊飼いや星の歌を歌った。歌いながら、これからはまた昔のようにもう少し祈ってみようと思った。

マッシュルームスツールがパリ装飾芸術美術館のパーマネントコレクションに

2009年12月20日(日曜日)

  樹下美術館の絵画ホールに2客の愛らしい椅子が置かれています。マッシュルームスツールです。

 このたび当椅子を共にデザインした山中阿美子さんからマッシュルームがパリ装飾芸術美術館のパーマネントコレクション(永久収蔵)に選定されたと知らせがありました。とてもうれしいニュースです。

パリのマッシュルーム 
 昨年のパリにおける日仏修好150周年記念行事「日本の感性展」で展示された

マッシュルーム (山中さん夫妻のホームページから)

マッシュルーム

父の絵と共に、樹下美術館のマッシュルーム

  阿美子さんは当館常設展示の画家倉石隆氏のご長女です。椅子は彼女の大学時代に、ご主人の山中康廣さんら三人の学生グループで応募したコンクールの入選作品です。第1回天童木工のコンクールでした。

 

 受賞は1961年ですが、製品化デビューは2003年。形状のユニークさによって、今日のテクノロジーを待って42年間も眠っていたという物語があります。

 

 マッシュルームは若い人達を中心に変わりない人気を維持しています。時代が変わっても、学生だったデザイナー達の若い感性が伝わるのでしょうか。
 
山中さんご夫妻、偉業おめでとうございました。アルネ・ヤコブセンの椅子たちの仲間入りですね、素晴らしいです。.

 雪の樹下美術館

年内でこんなに降られるのは初めての樹下美術館

倉石隆の「杉の林」

2009年12月19日(土曜日)

 

杉林 
   倉石隆「杉の林」 65,2×90,9㎝ 1965~75年 

 

 現在、樹下美術館で展示されている倉石隆作品に「杉の林」があります。今日は少し風変わりなこの絵のことに触れさせていただきました。

 

 軽く手を広げたような大きさのキャンバスに描かれたのは7本の杉です。風景画にしては山もなければ家もない心象風な作品だと思います。油彩ながら、松林図を描いた長谷川等伯の墨絵を思い起こさせます。

 さて杉は倉石にとってやや特別なもののようでした。氏の故郷新潟県高田(現上越市)には、寺町をはじめ宅地や神社など至る所に大きな杉があります。しかし高田時代の倉石は、杉は重々しく陰気だと言って嫌がっていた、と奥様からお聞きしました。

 

 当作品の制作年代は1965~75年、故郷高田を離れて15~25年が経っています。描かれた杉に重圧は無く、枯れ枝が飄々と絡みあう頼りなげな樹として描かれました。全体におだやかな白が薄くかけられ、どこか画面を愛おしむような感触が伝わります。

 もしかしたらこの杉は倉石自身かと思いました。内外に複雑な枝を絡ませたり回転させながら重心をとり、頼りなげであっても真っ直ぐ立とうとする(あるいは立っていなければならない)存在です。一方作業として、素早い類円とこすりつけたような濃い葉の集まりが妙味として作者を惹き付けているようでもあります。

 

 「ボクは下手だなあ」、は倉石の口癖だったそうです。長く忌み嫌った故郷の重いモチーフを敢えて選び、向き合ってみる。その時、何らかの開放があって淡々たる、あるいは楽しむような心境が去来したのかもしれません。作品は倉石らしいモノクロームで、一気に筆が進んでいるように感じられます。

 

 倉石の作品には時として謎めいたものがあります。杉林もその一つでしょう。本日昼、雪中の樹下美術館で立ち止まった時、あらためて作家における年月の作用を思ってみた次第です。

 「杉林」は、陶芸ホールの一番奥で、陶齋の華やかな色絵磁器と絶妙な相互作用を醸成しています。

  暖冬という大方の予想を裏切って当地は豪雪模様です。降りしきる中、三人のお客様が見えました。突撃の勇気とご厚情に胸熱くなりました。

寒波が来て

2009年12月17日(木曜日)

 冬型の気圧配置となってしばらく寒波が続きそうです。樹下美術館の一帯は今朝から雪模様となりました。荒天の中を何組かの方に来館して頂いて本当に有り難うございました。

 
雪見のカフェ。

  庭のヤブコウジの実が葉陰で上手に雪をよけていました。寒さに負けず赤々と仲の良い様子でした。

 

母のむかし話:綿

2009年12月10日(木曜日)

 少々前のことで恐縮です。もう半月ほど経ちますが北陸園芸に寄りました。その時たまたま店に綿の枝がありました。これはと思って、白く美しい綿を買って帰りました。綿の話を何度も母から聞いていたからです。

 

買ってきた綿。
 

 その後、先週の日曜に「うみなり」のコンサートで大潟区のコミュニティプラザに行きました。今度はそこで初めて「綿くり機」を目にしました。これも最近の昔話にたびたび登場していました。母の説明だけではどんな道具なのか分かりませんでしたので、目の当たりにして一瞬胸が熱くなりました。
  大変恥ずかしいのですが、今回は綿や着物にまつわる母喜代と祖母ヤイの昔話を記させて頂きました。

 

あるご年配の女性が小さなお子さんに説明していましたので「綿くり機」だと知りました。

 

 

 先回のむかし話では、佐賀県の古枝(現鹿島市内)という小さな村でのこと、家屋の倒壊事故でヤイが夫を失った所まで綴った。夫の死後三人の子を抱えて、ヤイは魚の行商を始めた。ほかにも一家を守るため身を粉にして働いた。 

 

 わずか一反ながら家に田んぼがあった。行商のかたわらで田植えから稲刈りまでヤイは一人で行い、暮には一人でモチをついた。田のほかに畑もあった。

 

  春になると、ヤイは家族の着物の分だけ畑に綿の種を撒いた。秋に綿玉(コットンボール)がはじけて白い繊維が吹き出す。それらを摘んで綿くり機に掛けた。綿くりのハンドルを回すと種がポロリと落ちるのが喜代には面白かった。綿は糸車で紡ぎ、出来上がった糸はカセにして紺屋へ運んだ。

 

 紺屋のお母さんはとても面白い人だった。母に付いて行くと冗談を言ってはからかわれたが、喜代はその人が好きだった。カセは樫の棒に架けられ手早く瓶に漬けて染色された。
 後日、糸ができあがるといよいよ機織りだった。ヤイは遅くまで機をあやつり、親子が着る全ての反物を織った。ヤイの仕事は鮮やかで、喜代は母が扱う様々な道具の音が好きだった。綿くり、糸くり、機織り、、、母の足許に寝そべってはよく宿題をした。

 

 喜代はヤイがこしらえたものの中で、白地に赤と緑の薄い縞がある着物が一番気に入っていた、という。

 

  ところで、小学時代の喜代に母は三つの言いつけをした。子守と勉強と洗濯だ。子守では毎日のように幼い弟を背負って古枝小学校へ通った。幼児をおんぶして登校する子は他にもいて、学校には子どもを預かる部屋があった。
 母の言いつけもあって喜代は勉強をした。勉強は好きだったので毎年鍋島賞をもらった。旧鍋島藩の華族が出している賞で、鏡台をもらった記憶がある。 

 
 そんな喜代が一度だけ激しくヤイから叱られたことがあった。ある日、自らの勤めだった洗濯を放って、仲良しのおゆりさんと川遊びに行った。帰るとヤイは烈火の如く怒り、「お前の背にこんな大きな石をくくりつけて、その川に沈めてやる」と身振りをして迫った。ヤイは常に優しかったが、この時ばかりは人が変わったようで恐ろしかった。

 

 大きくなり始めた喜代が裸で遊んだことも、母の怒りを買ったのだろうか。

 

 さて高等小学校を終えた喜代は、九州大学で看護学を学ぶことにした。試験は厳しく佐賀県からは3人だけ合格した。遠く広島からも入学者があった。
 喜代が笑って話したことだが、入学式には自ら縫った袴を着けて張り切って出た。しかし当日、同級生達のあまりの身なりの良さにびっくりしたらしい。彼女たちは上等な純毛の袴を履いていたのに自分は安っぽいメリンス。皆のは足首が隠れるような丈なのに、自分のは寸足らずで足首の上まで丸見えだった。

 

 さらに他の生徒達は時計をしていたが、自分はそれも付けていなかった。

 

 母は急いで送金するようにヤイに電報を打った。一家の生活はとてもつましかったが、家にはちゃんと蓄えがあることを喜代は知っていた。小さい時から家の通帳を扱っていたからだ。
 届いたお金を持って博多のデパート「イワタヤ」へ急行した。そこで生地を買うと一晩で袴を縫いあげた。時計は皆に負けない物が買えたらしい。看護の仕事では時計が大切で、ずっと長く使った。
 

 

 ところで当時、未曾有の不景気が始まっていた。佐賀の小さな村にも、信州で糸引きをする女工さんを集める周旋屋の姿があった。彼女たちの悲劇は伝わっていて、喜代には娘を漁る男達が忌まわしく写っていた。

 

  口癖で喜代は言う、自分の家は貧しかったかもしれない。しかし綿から作るヤイの着物をいつも着れて「自分は幸せだと思っていた」と。

 

 
 

※大変長くなってしまいました。実は以前、私は母の昔話が嫌いでした。どこか突飛で、作り話かもしれないと思ったりもしました。しかし車中などで仕方なしに聞いているうちに、面白いと思うようになりました。94才の親を相手に、最近では「それから?ほかに?」と言って聞いています。
 いつも身内の事で恐縮です。機会がありましたら、大都会博多に出た喜代の学生時代などを書かせて頂ければと思います。

※文中のイワタヤ(岩田屋)は今もありました。

二つの催しが終わって

2009年12月6日(日曜日)

11月26日から始まった拙い小生の作品展が11月30日で終了しました。思ったより沢山お見えになったと主催者からお聞きしました。新潟市だけでなく、遠くに行かれた懐かしい人達や上越の友人も訪ねて下さって嬉しかったです。

 押し詰まった多忙な時節にご来場頂いた皆様、心から御礼申し上げます。また作品を快く提供して下さった皆様、まことに有り難うございました。

 

 
ホオズキ

 
笹にからむエビズル

昨夜は大潟区のコミュニティプラザ・ホールでコーラスグループ「うみなり」のコンサートを聴いた。「生きる」の洗練されたハーモニーを歌いきって、さすがだった。「明日に架ける橋」はホールを振るわせて、最終アンコールも同曲となった。また「雪と炎」のピアノはドビュッシー風で良い伴奏だと思った。杉みき子さんの詩に深く胸打たれた。

 イベントは主催者、会場、演奏者が各区を横断して催された。こうして人が交わるのは、合併のせめてもの意義ではないかと思った。初冬の心温まるコンサートだった。

齋藤三郎作、寸雪庵好み香合

2009年12月4日(金曜日)

茶道の茶会では、茶室は炭火にお香を添えて香りを立たせて清められます。その際のお香を入れる器が香合です。お茶道具の中では最も小さな器でしょう

大きさ縦4㎝横5㎝奥行き2,7㎝

このたび上越市内の道具屋さんを経て、華やかかつ上品な香合が樹下美術館にきました。齋藤三郎(陶齋)さんらしい味わいの良い赤地に金で雪の結晶が綴られています。上越高田にゆかり深い寸雪庵主のお好み道具。由緒もできばえも素晴らしく、是非にと求めました。

香合の箱IMG_1184

 

器を入れる木目の効いた小さな杉箱には、陶齋の字で「寸雪庵好雪花文金彩屏風香合」と書かれていました。以前にも触れましたが寸雪庵は亡き濱谷朝さん(写真家・故濱谷浩氏夫人)のお茶室の名です。詩人、フランス文学者の堀口大學が名付け親ではなかったでしょうか。

 少々驚いたことに箱のヒモは普通には布紐ですが、当箱は革紐があしらわれていました。なんともおしゃれな仕事ぶり、箱にも惹き付けられます。

 

 その昔、たとえ疎開も一つの縁とはいえ、上越に濱谷浩夫妻や小田嶽夫氏、さらに堀口大學ご一家が歩いていた時代があったのですね。赤い椿の雪の夢、などと呼んでみたい気持ちがします。そしてみんなに愛された陶齋もまた、思う存分力を発揮していたことでしょう。

 

※濱谷朝さんは「女人日日(おんなのひび)」という書物を残されました。日ごとの営みやご自分の事で、新潟の話が沢山書かれています。写真や本を見ますと、朝さんは博多人形のように(またそれ以上に)美しく、奥ゆかしい生活感覚の持ち主だったことがわかります。 

※「女人日日」は来週からカフェに置かせて頂きます。

※当香合は来春の開館で展示致します。

新潟県立大潟水と森公園にリス

2009年12月1日(火曜日)

 朝から特別に良いお天気に恵まれた。それで昼休みに近くの新潟県立大潟水と森公園へ行った。そこで嬉しい発見と撮影ができた。リスとの出会いだ。

 

 あるゾーンに入ってすぐのこと、リスが地上からするすると木登りをする所を目にした。カメラを向けると高い所で隣の杉に移ったところだった。

 

 枝かげになったがモニターに写っていた。目新しいことではないかも知れないと思いつつ、管理棟でパークレンジャーにお会いした。春にもお会いした彼はとても熱心なレンジャーだ。モニターを見て、驚いた様子でコピーをさせて欲しいと仰った。以前から入場者による目撃や松ぼっくりの食べ跡などからリスの生息が考えられていたという。しかし自分では見たことはなく、写真も初めてということだった。コピーはすぐに終わった。

 

 

 ニホンリスであれば九州中国ではほぼ絶滅したといわれている。本州でも貴重な存在になりつつあるようだ。そもそも自然では一定の閉鎖した森林環境でしか生息しないらしい。建造物や芝生中心の「いわゆる公園」での野外生育はいずれも失敗に終わったという。

 今日見たリスは今後、当公園の環境指標の一つになるだろう。リスがずっと無事で、公園が魚類・植物・鳥類だけでなく、小動物の生息でも豊かな場所であることを祈った。

 

 ところで公園の一部である朝日池は、貴重なハクガンを始め多くの鳥たちの飛来地だ。今日も遠くは名古屋、京都、長野などからの車が並んでいた。彼らが構えるカメラが巨大で並大抵のものではないことに驚いた。

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