2010年3月

ひかるゝおもひうしろがみ、、、。堀口すみれ子さんの講演会。

2010年3月28日(日曜日)

ひかるゝおもひうしろがみ、、、高田よさらば さきくあれ」
この言葉を残して上越市高田を後にした
詩人、フランス文学者・堀口大學。
ご長女すみれ子さんが父大學を語る

 

すみれ子さん 
堀口すみれ子さん

 

 皆様のおかげをもちまして樹下美術館は今年6月に三周年となります。
 記念行事の一環として文化勲章の詩人、フランス文学者堀口大學のご長女すみれ子さんをお招きして講演会を開催致します。

 

 大學ご一家は戦時下の昭和20年7月旧妙高村に疎開され、昭和21年から昭和25年まで上越市に住まわれました。氏と上越のふれあいのなかに樹下美術館ゆかりの陶芸家・齋藤三郎との交流があります。
 かってのご縁からこの度のご講演の運びとなりました。高田との縁にはじまり、堀口大學の詩人の心や家族愛など、お身内ならではの話をお聞きできますことを幸運に思います。

 

堀口すみれ子さんのプロフィール 
 エッセイスト・詩人。1967年慶応大学文学部卒業。著書に「虹の館・堀口大学の思い出」、詩集「風のあしおと」『水辺の庭」、編著に「堀口大学詩集 幸福のパン種」(いずれもかまくら春秋社)などがある。

 

【堀口すみれ子さんの講演会】

●日時:6月19日(土曜日) 午後2時から
●会場:樹下美術館 陶芸ホール(60席ほどの会場です)
●お申し込み:前もって樹下美術館の窓口か、またはお電話025-530-4155でお願い致します。4月1日から受け付けを致します。
当日、会場整理費と致しましてお一人様500円をお願い申し上げます。

 

 すでに記念行事としましてカフェはアンティーク食器でのサービスと斎藤三郎氏の湯飲みでお番茶のサービスを行っています。お陰様で好評です、どうかお楽しみください。

 また現在5月16日(日曜日)の立花千春さんのコンサートを受け付け中です。聴く者を魅了してやまない渾身の演奏にご期待下さい。

伺ったお宅で

2010年3月24日(水曜日)

モクレンの蕾
 

 ここのお宅では比較的若いご主人が奥様を長く診ておられる。部屋はいつも整って世話はこまやかだ。今日は発熱で伺って、処置のあと薬を置いた。

  外へ出ると部屋の前の庭でモクレンがびっしりと蕾を付けていた。冷たい雨のなか花を待ちきれない様子だった。

 

子犬

 

 

 月一度伺っているお宅でおじいちゃんの蒲団からいきなり子犬が飛び出した。家に来たばかりというが、何て可愛いのだろう。
 お二人暮らしのおじいちゃんは寝たきりのおばあちゃんの世話をされている。診察の前に「おばあちゃんのお名前は私の家内と同じです」と声を掛けた。目を開けられた後、わずかの表情でありがとう、という小声が聞こえた。真冬のころよりも反応されるようになった。

楽しい立花千春フルートコンサートのお知らせ

2010年3月23日(火曜日)

♪♪楽しい立花千春フルートコンサートのお知らせ♪♪

ー 樹下美術館三周年記念 ー

 

 昨年の圧倒的な演奏に続いて今年もフルートの歌姫立花千春さんをお迎えすることになりました。今年のピアノ伴奏は山田武彦氏です。氏はパリ国立高等音楽院のピアノ伴奏科を主席で卒業されたピアノ伴奏の名手です。

 

 立花さんのダイナミックなフルートが豊かなピアノと響き合う素晴らしい演奏会になろうと思います。どうぞご期待下さい。

 

 ● 日時:5月16日(日曜日)・18時30分開演 

 ● 会場:上越市大潟区四ツ屋浜「おおがたコミュニティープラザホー
   ル」

 ● 入場料:一般3000円、小中高校生1500円

 ● お申し込み:樹下美術館の窓口で または電話025-530-4155で

  お尋ね下さい。 

                   

     【プログラムの一部です】

 ・クライスラー: 愛の喜び      

 ・フォーレ:シシリエンヌ

 ・フォーレ:ファンタジー  

 ・カミュ:シャンソンとバディヌリ

 ・ショパン:英雄ポロネーズ(ピアノソロ)・ドップラー:ヴァラキアの歌

 


コンサートのお知らせ

 

ホール
 
会場の大潟コミュニティープラザホール:小ぶりながら円形ホール

 

弥生は冬のお尻拭き

2010年3月20日(土曜日)

   ”さくらさくら 弥生の空は 見渡すかぎり 霞か雲か 匂いぞいづる いざやいざや 見に行かん”

 歌の通りなら弥生三月は花咲く夢のような季節が期待できる。しかし残念ながら雪国ではそうは行かない。 

 

 この月、雪消えの里はいやが上にも汚れと傷みが目立つ。散乱するビニール片や発泡スチロール、黒々と固まった朽ち葉とうなだれた枯れ草、折れた枝が散乱し畑に傷んだ野菜、汚れた残雪の見え隠もあり、裏手のものが片付かない。みな雪が残した事象だ。

 

 比べるまでもなく一見して冬の雪景色の方がはるかに清潔で情緒にまさる。ところが美しかった雪は手品のようにぱっとは消えてくれない。処々に汚れと傷みを残しながら沈むように消える。

 

 それで三月は後片付けと修繕の月になる。弥生は冬のお尻拭き、、、。いつの頃からかそう思うようになった。

 

 樹下美術館の外回りはもうすっかり片付いている。今日午後は暖かさに誘われて初めて庭いじりをした。雪と荒天でひと月おくれの感じがする。キンモクセイの苗木を三株植えて椿の若木を移植し、都忘れを6株株分けした。水を遣ったあと暗くなるまで草取り。つまんだり握ったり、初めの頃の庭いじりは深爪が痛む。遅くなって予報通りに荒れ模様となった。せっかく連休だというのに。

 

クリスマスローズ 
今日のクリスマスローズ。庭で無事に越冬した60株はこれからの楽しみ。 

父のレコード部屋

2010年3月17日(水曜日)

  昨日前回のノートの最後の部分を少し加筆した。普段あまり深く考えたこともない範疇に入って行くのはやはり困難をともなう。あっさり触るほうがノートにはいいと反省した。

 

 さて先日のエフゲニー・ザラフィアンツ氏のソナタに葬送行進曲の楽章があった。私の小学校低学年(昭和24年前後)のころ、父は二階でよくこの曲を聴いていた。当時二階には新しくクルミの木で作ってもらった巨大な電蓄があった。ベートーベンの運命もしばしば掛けられた。

 

 曲はいずれも子どもにとって陰鬱だった。レコードが掛かるのは大抵昼間で、しかも日曜日だったと思う。遊びたい日の昼間に流れる葬送行進曲と運命の大音響。何か恐ろしいことでも起こりそうで、遊ぶ友達を捜して家を離れた。

 

 ところで葬送行進曲にはこよなく優しいパートがある。一昨日のザラフィアンツ氏の優しさは際だっていた。休憩時間に「父はこんなパートも気に入っていたのかもしれません」と同行して頂いたNさんに話した。きょとんとするNさんに父の音楽の事を少し付け加えた。

 

 それにしても当時、私たちは階下や外に居ながら、なぜ忌まわしげに大音響などと父のレコードを思い出すのだろう。このノートを書きながら疑問が沸いた。不思議なことにすぐに答が続いた。それは何十年、ずっと忘れたていたことだった。 

 

 「お前も聴きなさい」。父は私にそのように言ったと思う。ああ又か、という気持ちがよみがえるので、一度ではなかったのだろう。電蓄の部屋で、レコードに針を置くまでの耐え難い時間。続いて葬送行進曲や運命の大音響に圧倒されながら、父と並んで椅子に座る。その間、ひたすら部屋を出る口実を探し続ける。我慢のすえちょうどよい楽章を見計らって、もういい?と父に聞いて部屋を出た。

 

  一度その部屋で運命とは何かを父から聞かされたような気がする。その話の中で、誰かの自殺のことが触れられた。私は初めて聞く自殺の意味に怖くなり、いたたまれず大音響の部屋を出た。そして不安と罪悪感のようなものがごちゃ混ぜになった頭で表の小さな道を歩いた。いま私が座っているすぐ前の道だ。

 

 後に姉のためにピアノが来た。すると父はピアノを弾きながら今度はシューベルトの冬の旅を歌った。この曲も絶望と死への憧れを歌うもので、子どもには重過ぎる。それを父は飽くことなく時には酔うように歌っていた。

 

 時は過ぎて電蓄がステレオに変わり、私は高校生になった。そのころには耳障りのいいピアノやバイオリンのコンチェルトに月光ソナタなどが聴かれ、シャンソンとロシア民謡が少し混じった。下宿から帰った週末に私も父のレコードを時々聴いた。一連の過程であの忌まわしい電蓄レコードの日はだんだんと遠くへ行ってしまった。

 

 振り返ればなぜ昔の父は重い曲ばかりを聴いていたのだろう。そして5人姉弟の中でなぜ私が父とそれらを聴かなければならなかったのだろうか。それともこんなことには特別な意味などなかったのか。

 

  いずれにしても子どもの私にクラシックを聴かせたい父の目論見?はかなり外れた。大学へ通い始めた夏休み、帰郷した私は二階の窓を開け放った。そして持参したマイルス・デビスのレコードを大音響で掛けた。庭のブドウ棚で仕事をしている父に聴かせるためだ。仕事を終えた父は「ジャズもいいな」とお世辞混じりの顔で言った。

 

 後年、私は父と同じ道を歩むことになった。父は墓参りもしなければ仏壇へも近づかない人だった。また、かって渡った満州のこともずっと口を閉ざしたままだった。医家が五代も続けば先祖、縁者たちとの間に受け容れがたい確執があったのではないか。父は12人の兄弟姉妹の長男で、恥ずかしながら私も5人の長男だ。

 

  結局自分は父のことを多少は知っているが、よく知らないと言うべきだろう。しかし亡くなって久しい父をいま思い出していると、近くを歩く服ズレが聞こえるような気がして、不意に涙が出そうになる。この年になって父親の体温を思い出すとは。

 

  これらはザラフィアンツ氏のピアノのせいかもしれない。彼のピアノには魂を揺さぶられた。

                      (思い出しながら少し加筆をしました) 

異国東京

2010年3月14日(日曜日)

  今日は日帰りで東京へ。ああ、これだから東京に住む人が多いのかも、と思うほど良いお天気。何十年ぶりの中央線で千駄ヶ谷へ行き、初めての津田ホールでエフゲニー・ザラフィアンツ氏のピアノリサイタルを聴いた。プログラムはオールショパンでいずれも重厚。アンコールにポピュラーなショパンが演奏され、生誕200周年の早春に相応しい心洗われるコンサートだった。

 

 都内のいくつかの菓子店に長い行列があった。いつもながら東京の人の行列には感心させられる。そしてこの度の上京でなぜかポニーテールの若い女性を多く見た。これが傾向なら嬉しい。何もかも新しくなる昨今、少しでも戻りを感じるものがあると心なごむ。

 

 後へは戻らないで、と思ったのは禁煙だった。JR駅、新幹線はもとよりほくほく線までも禁煙。道中は清々しかった。ついにこんな時代になったんだと、心底感心した。社会ごと進む禁煙はITやWebとは別の晴々とした社会革新の印象を覚える。

 それにしても年に数度の東京は次第に異国のようになっていく。帰りの車中、相変わらず冴えない自分が窓に映っていた。変わってみたいがなかなか変われない。多分自分(自我)は命とと共に授かった(贈られた)ものだから、磨くのはいいがあまりいじくるのもよくないかもしれない。

                                         

プログラム 
大変シックなプログラム  

Bei mir bist du schön  素敵なあなた

2010年3月13日(土曜日)

学生時代、生活のお伴としてラジオはいつもそばにあった。今は分からないが音楽は多様で、ラテン、ポピュラー、ジャズ、シャンソン、ハワイアン、ウエスタン、映画音楽、もちろん歌謡曲にクラシックとあふれんばかりだった。

分野ごとに人気の曲があり、ジャズ・ポピュラーのヴォーカルでは「Bei mir bist du schön(素敵なあなた)」はその一つだった。当時どこの局だったか素敵なあなたという番組があった。遅い時間の番組でよく聴いた。その冒頭とエンディングにルイ・プリマとキーリー・スミスのこの曲が流れた。

 

素敵なあなたはアンドリュース・シスターズが本家的。ほかにスティーブ・ローレンスとイーディー・ゴーメのデュエットもあったと記憶している。

明日はホワイトデー、恋人たちの特別の日ということ。陽気な節まわしに転調、職人的で楽しい曲を引いてみた。

 

自分のウェブページというまだよく理解出来ないものに40数年前の大好きだった曲を載せる。そして何人かの人がこれを見たり聞いたりするかもしれない。まるでSFを体験しているようだ。

いじめっ子で人なつこいヒヨドリ

2010年3月11日(木曜日)

 何度かドカ雪に見舞われた冬。大雪の最中に庭にパンくずなどをまくとスズメが沢山集まった。

 間もなく一羽のヒヨドリが加わったが、あっという間に彼(彼女かも)はスズメたちを追っ払って場所を占領した。その後ミカンなどをやるうちに鳴いて餌を催促するようになった。大変地味だがヒヨドリはよく見ると渋くていい味といえなくもない。

 

 餌を与えて何日か後、カーテンを開けただけで遠くから近くの枝へ来るようになった。試しに窓際の手すりに餌を置いたら用心深く寄ってきて素早く取った。しばらく好天が続いた時は何処かへ行ったが、最近の悪天候でまた戻って来た。

 

 ヒヨドリは庭木に巣を作ったり家のまわりでキーと鳴くなど、身近な鳥だ。一方でスズメにひどく乱暴なのに、案外簡単に人慣れするのには驚いた。きびしい冬でお腹が空いていたのだろうか。
 

 

 間もなく鳥も結婚の季節。これから餌が増えるだろうから人手を中止しようと思う。止めたらキーキーと鳴くだろうな。

 

バナナをとるヒヨドリ

目の前でバナナ取った今朝のヒヨドリ。

 

 

スズメを追う1 スズメを追う2
スズメを追うヒヨドリ:大雪の頃 しつこく威嚇:大雪のころ

淡雪をつかむ少女

2010年3月9日(火曜日)

淡雪を少女がサッと掴みたり    sousi

 

 朝から冷えて予報どおりに午後は雪となった。用事の車中から、下校途中の女の子が降る雪をサッと掴むのを見た。そういえば昔の登下校で自分たちもやったことがある。掴んだ雪の大きさを見せあってもすぐに溶けてしまう。きりがなくて次々と取りながら歩いたりした。

 

 今日の雪はふわりふわりと降った。私も取ってみたくなり、車から降りた時に掴んだ。握った手を開くと雪はすーっと消えて、昔と同じだった。

三月の雪

 

先駆ける花の心意気

2010年3月7日(日曜日)

  4月1日から替わる展示の支度に高田の大島画廊へ出掛けた。課題だった倉石隆の挿絵原画およそ35点のフレームが決まってほっとした。冷たい雨の一日、美術館の近くでひっそりと花が咲いていた。

寒桜か

 よくみると桜らしい。カンザクラと言うのだろうか。素性はともかく季節を先駆ける心意気がいじらしかった。

 

急がずにせめて彼岸を待つものを いま咲く花の心如何なる  sousi                                           

アンティークも楽しんで

2010年3月3日(水曜日)

カフェではアンティーク食器を楽しんで頂けて喜んでいます。

  

お客様

カップ&ソーサー

 

春まだ浅き窓辺にて 古き器を手にとれば  

見知らぬ事も懐かしく 見知らぬ人までゆかしけれ      sousi

                                 

 

             

  器につきまして2月27日のコメントを以下に再掲させていただきました。

「アンティークカップは今から10余年前、樹下美術館を決心した頃から集めました。そこで使いたかったからです。今はもう収集の余裕はありませんが、皆様にお使い頂ければ有り難く思います。」 

 「陶齋の湯飲みもこのような形で使って頂けること、集めた亡き父の願いかもしれません。」

こらあじゅの司修(つかさ おさむ)、そして倉石隆

2010年3月2日(火曜日)

 昨日1日の開館は氷雨まじりの静かな一日だった。来館者は関係者ばかりとなり、お陰で人を頼んでの外構清掃やパソコンの修繕、間違ってた案内の直しなどそれはそれ有益に過ぎた。

 

 ところで手元に1967年11月3日発行の「こらあじゅ」という画集がある。黒いカバーに黒文字のタイトル、しかも著者名は小さくてよく分からない。カバーを脱いだ表紙は図案のほかに何も記されていない。さらに本の見開きにタイトルと著者名があるがこれもあまりに小さくて見逃しそうだ。この遠慮がちでエスプリの効いた画集の著者・司修(つかさおさむ)氏は画家から川端康成文学賞、毎日芸術賞へと展開された異才の芸術家だ。

 

 あらためて表紙カバーを見てみると黒の下地にタイトルと女性のカットが黒で印刷されている。黒ずくめであるが黒橡(くろつるばみ)色の地に漆黒の刷りは暗然たるコントラストの妙を表出させている。転じて表紙は真っ赤なビロードのハードカバー(堅さから板表紙かもしれない)。その真ん中には焼きごてで押したような図案があって、本を開ける前から色々と楽しい。

 

 さて中身は版画集である。開くと右側のページだけ作品が刷られている。それぞれ手刷りの版画がいい匂いの紙に32枚。限定170部、著者(発行者)と印刷者だけによる私家本になるのだろう。なんともおしゃれで堅牢、意識が高い。

 

 作者のあとがきを見ると、、、作品の半数は中央公論社刊「日本の文学」中の挿絵であること。また描くに至ったのは石原慎太郎氏の多分のご好意によったものだ、、、という一節があった。

 

 昭和42年の発行だから司氏32才の作品集になる。物語あふれる作品の大成は若くしての偉業にちがいない。本の見開きに倉石隆 様という献本サインがあって、巻末の番号は0002/170だった。

 

 司氏は1935年生まれ、当館常設展示の倉石氏は1916年だからふた世代の違いがある。しかし二人はともに主体美術協会の創始会員として、さらに同士や友として困苦の時代を励んだと聞く。

 

表紙カバー 表紙

表紙カバー。拡大して眼をよくご覧下さい。

表紙

作品 
作品8番 微笑  

 

献本サイン 
司氏から倉石氏への献本サイン

 

 館長とは名ばかり、もとより不勉強な筆者。次は倉石氏の個展図録に見られた司氏と倉石氏の親交へとなんとか進んでみたい。

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