2010年10月

西国の人 3 貴重な先生

2010年10月29日(金曜日)

 去る10月10日のノート「西国の人 2 新潟の大学院生さん」で、二年前の秋新潟から訪ねてこられた青年の話を書かせていただいた。彼の果敢な印象は心に残った。

 

 それから一ヶ月少々、ある会があった。そのおよそ10年前、大潟町(当時)の有志で結成された一座「しおさい」で芝居「人魚塚」を公演した。今回はその仲間が集まる同窓会だった。全て手作りの素人芝居「人魚塚」は恥ずかしいことに小生が台本を書いて演出した。あらゆる事で様々な方のお世話になった。

 

 困難な照明は地域の高等学校で学校演劇をリードされた元教師・M先生のご指導を仰いだ。三度の公演のうち最終となった希望館は専門機器が整備されていて、いっそう綿密なご指導を頂いた。美しいだけではダメ、ある種灰色といってもいい色までしっかり出しましょう。先生の言葉だった。役者、裏方みな一丸となり大入だった。

 

 同窓会にはM先生も出席される。先生は当地ではとても貴重な広島県のご出身だ。そのことは芝居の時にお聞きしていた。それにしても祖父が広島県人のポルトガルのKさん、広島から来られた先日の大学院生、海外移住と広島県民のこと、、、。私の頭は広島のことから離れられなくなっていた。
 その広島市で育たれ広島大学ご出身のM先生とお会い出来る。少々異風に感じられる西国の、そして広島県民の気質とは、是非ご本人からお聞きしたかった。
 

 10年振りにお会いした先生はお元気だった。懇親会当日、先生のお隣へしっかり座らせて頂いた。そしてなんと言うことだろう、自分はハワイで生まれたと先生は仰った。

 

午後の海 
今日午後の海、素晴らしい夕焼けの予感。
外出していた妻が夕刻、私の携帯に夕焼けがきれいだと電話をしたらしい。
ちょうど仕事中だった。

 

 当ノートは前回の「西国の人 2」の続きです。4へ続けてみます。

 

秋深まる樹下美術館の庭

2010年10月27日(水曜日)

  「まだまだ」と思っていた秋の花がもう盛りとなっている。昨年に比べて菊類がスケールアップして見応えがある。。

ノコンギクの二種 
二種のノコンギク
リュウノウギクとノコンギク
リュウノウギクとノコンギク
リンドウ 
リンドウが枯葉を集めている
芝生を見る 
野菊と芝生
 ホトトギス
ホトトギス
ホトトギス2 
ホトトギス 

 今年の閉館まであと二月、樹下美術館は晩秋の花たちとともも皆様をお待ち致しています。

 

 ところで先日英国王立園芸協会主催チェルシフラワーショーの様子が放映された。ガーデンコンテストに日本から石原和幸さんとスタッフが参加された。里山のイメージで繊細かつ心弾む庭を創られみごと入賞された。

 

 番組で「庭の風景は見る人を優しくする」という言葉がありました。とても良い言葉だと思いました。

 

クラヴィコード、バッハがそこに

2010年10月26日(火曜日)

 ほんの昨晩、バロック音楽の人、チェンバリスト・加久間朋子さんが東京から樹下美術館を訪ねて下さった。大切なイングリッシュ・スピネットとクラヴィコードを携えて。

クラビコード 
 とても個人的な(私的な)雰囲気の楽器クラヴィコード

 

イングリッシュ・スピネットでチェンバロ、イングリッシュ・スピネットの加久間さん

 両楽器を半々ずつ計9曲を演奏された。クラヴィコードはささやか且つ高尚な楽器だった。急遽お集まり頂いた10数人で楽器を囲み耳をそば立てて聞いた。バッハでは長男W・Fバッハを隣に座らせ、精魂込める父が現前するが如きリアリティに鳥肌が立った。

 

 イングリッシュ・スピネットでは豊かな情感に包まれ、中世の物語世界へいざなわれた。

 

 古楽研究会の代表を務め、音楽三昧の主要メンバーの加久間さん。今夜はますます充実した演奏、そして楽しいお話も聞けて貴重な一夜だった。

The Moon Was Yellow 

2010年10月23日(土曜日)

The Moon Was Yellow というスタンダード曲がある。いつか黄色い月が出たらこの曲を載せてみたいとずっと思っていた。

 

今日の夕暮れ、柿崎の海を歩いた。すっかり暮れてふと見ると、山の端からその月が恥ずかしそうに覗いていた。幸運にも満月が当たるとは。今夜の月をどれだけ沢山の人が見ることだろう、良い月だった。

米山の肩に   振り向いたら黄色の月

登った月
僅かの雲を抜けて登った満月
セイタカアワダチソウなんかに負けるな

 ETHEL ENNISの「The Moon Was Yellow」

  とても素直に歌われます。安定感があって聞きやすい歌手ですね。
“Here we are! Is our romance to continue?”
胸打つ歌詞。

異常なセイタカアワダチソウの繁茂

2010年10月22日(金曜日)

 セイタカアワダチソウ
せめてこのくらいであれば、、、。

  今年のセイタカアワダチソウの勢いは異常に写る。先日の高田の行き帰り、至る所で見た一面真っ黄色な花の占拠は驚くばかりだった。

黄色は最も前に出る強い色。異常な酷暑をものともせず旺盛に咲き誇る様には趣でなくおののきを感じる。イネ科のススキや芦などの場所が好んでターゲットにされるという。特に今年は極端に減って青息吐息のススキなどの姿は哀れで心痛む。

 

秋の月、ススキこそ眺めに相応しかろう。デカデカとした真っ黄色の花ではぞっとする。ほかに初夏、芦や茅に巣をかけて喜び歌う大好きなヨシキリたちはどうすればいいのだろう。

 

いずれ旺盛な繁殖がピークを迎える可能性も一部想定されるようだ。しかしそれをも越えるようであれば植生の多様性、文学性の保全などでいい、本気のマターとして大規模な手入れが必要ではないだろうか。そうでもしないと、環境は江戸時代のほうがはるかに良かった、などと涙ながらに暮らさなければならない。

楽しい旧高田師団長官舎

2010年10月21日(木曜日)

 午後の定休日、新潟から裏千家茶道の先生が来館された。これで三回目、深く感謝を禁じ得ない。陶齋のドクダミ更紗文様の水指をとても気に入って下さった。

外観 
  食事のあと旧高田師団長官舎へご案内した。当館は旧所より移設復元されている。以前一度訪ねたことがあったが、今回はゆっくり回って楽しめた。
 明治43年(1910)年の建設で、一階は洋室、二階は和室の折衷。一階は男女別々に応接間が設けられるなど贅を尽くしてある。二階は7室が公開されていて、後のしつらえと思われる炉が二カ所で切られ、水屋風の一間もある。中央南向きの比較的小さなサンルームは気持ちがよかった。

天井模様と灯り 
アールヌーボー調とアールデコ調
月星 
二階西端の透かし障子
ドア 
軽やかなドア
押し入れの補強紙 
なぜか押し入れに昭和の張り紙
   

 内部は格調とともに軽やかさや新鮮さが随所に見られる。主に設計プランを出したとされる官舎のあるじ軍人・長岡外史の先進性や訪欧歴を聞けばそれらが反映されていたことが伺われる。 

 

 当館は先回書かせていただいた世界館のほぼ一年前に建てられている。前者は私費で後者は官費。世界館のモダンな建設者は師団長官舎を大いに意識したのではと想ってみた。

 

 旧小熊写真館、旧直江津駅、旧イカヤ旅館、高田館、旧高田市庁舎などの洋館も当時次々と建てられている。高田師団の存在が大きかったようだが、往時の高田・直江津の勢いは如何ばかりだったのだろう。

 

 師団長官舎以外は、少なくとも学生時代まで目の当たりにした。高田公園の中心部にあった大きな洋館も懐かしい。中学時代、そこで開かれた性病撲滅の写真展示を友人達と見て、皆で青くなって出てきたことを思い出す。

高田世界館のアール・デコ

2010年10月18日(月曜日)

 去る10月16日のジャンゴ生誕100年記念コンサートは素晴らしかった。その会場となった高田世界館で60年も前に、父といっしょに美空ひばりの「とんぼ返り道中」を見たような気がする。越後獅子の歌、“今日も今日とて親方さんに、芸がまずいとしかられて,,,”江戸時代の子どもは何て可哀想なんだろう、と思った。

 

 さて半世紀以上経て、よく写真で見るようになった高田世界館。外観から当館はアールデコ様式ではないかと感じていた。1900年代初頭からおよそ30年余、世界のデザインを席捲したアール・デコ。現出には産業の飛躍、能率の追求、キュービズム、あるいはジャポニズムなどまで様々な因縁が合成されたと考えられている。直前のアール・ヌーボーからの急旋回は目を見張るばかりだ。

 

 アール・デコになって、絡んでいたものがほどかれ、線はより真っ直ぐに、円は単純に、カーブは滑らかに、色彩はシンプルに、乗り物は流線型に、建物はシンメトリックになった。器、ファッション、建築物、絵画・ポスター、乗り物、生活用品ほかそれ一色の感さえある。

 以下は一昨日、初めてこの目で見てきた高田世界館の様子です。私なりのアール・デコ探索も楽しかった。

 

1外観 
曲線と直線のコンビネーションによるシンメトリー
2天井 
天井の円と多角形のデザイン
3二階席 
二階席の美しいカーブに交わる黒い柱
4柱 
シンプルな曲面
5手すり 
円と流れる曲線の手すり
 
6窓枠? 
円に交わる直線の窓枠?油絵のように渋い 

 当館は1911年に建築されたとある。アール・デコのはしりの時期に相当しよう。手がけた建築家・野口孝博氏はアールデコをかなり意識したのでは、と思った。何よりも外観が素晴らしい。

 

 ところで現状の痛みは否めない。NPO街なか映画館再生委員会によって懸命な保存努力が続けられている。最近では、一口1万円のマイチェア200席の寄付はすでに満了ということ。ささやかながら是非とも寄付したいと思った。いつの日か、パステルカラーの壁が仕上がれば、木材との調和で美しいアール・デコが蘇るにちがいない。

 つましいホワイエで淡い色のアイスクリームも美味しかろう。

 

 さて、なぜか私はアール・デコが好きだ。それは自分の父母の青春時代、つまり親の生命力が最大であった時代に相当しているから、と考えている。もしかしたら私の子どもたちも、私の青春時代、つまり昭和30~40年を懐かしむようになるかもしれない。鬼の目にも涙、DNAにも思い出?

 

 ジャンゴ・ラインハルトの若き日々はアール・デコまっただ中に当たる。ほぼ同世代にヘルベルト・フォン・カラヤンや太宰治らがいて、数年後に樹下美術館の齋藤三郎が、さらに数年して倉石隆が続いている。

ジャンゴ・ラインハルト生誕100年記念 スイングタイム in 高田世界館

2010年10月16日(土曜日)

 1910年1月のベルギー、旅芸人の幌馬車で生まれたジャズギターリスト、ジャンゴ・ラインハルト。その生誕100年記念コンサートが上越市高田世界館であった。来越された二つのバンドによる演奏会は陽気さ、哀切、そしてエスプリと洗練の2時間半だった。

1新潟スウィングミュゼットのリーダー田中氏とベースの田中和人氏

 

 新潟スウィングミュゼット合奏団はアコーディオンの田中トシユキ氏が率いる5人編成(ほかにギター2、ドラムス、ベース)。アコーディオンをフューチャーするミュゼット音楽はまだ見ぬパリの街角へと心いざなわれる。田中氏の自在で詩情溢れるアコーディオンと古川穣氏のギターテクニックに胸が震えた。昨年から我が樹下美術館のカフェでもミュゼットが時々聞こえるようにしてあるので、生で聞けてとても嬉しかった。

2 イエロー・ジャンゴ・リバイバル

 

 続けて東京からのイエロー・ジャンゴ・リバイバル。ギター2、ベース1、バイオリン1,そしてリーダー長谷川光氏のギターだ。ジャンゴがバイオリニスト、ステファン・グラッペリとともに活動したバンド 「フランス・ホット・クラブ五重奏団」と同じ編成。長谷川氏の確固たる音楽センスが行きわたり、笹部祐子さんのバイオリンは秀逸だった。

 ジャズバイオリンは聞かせる意識が高じる余り過度に装飾音が入り易い。ステファン・グラッペリにしてもその傾向を強めたように思われる。しかし笹部さんのバイオリンは音澄み、優雅にコントロールされて実に心地良かった。小生の亡き父がかって愛したシャルル・トレネの「ラ・メール」には涙が出そうになった。

3佐藤さんが加わったセッション

 

 司会進行された佐藤俊次さんが促されてバイオリンを携え、一緒にセッションされた。曲目は「黒い瞳」。サウンドはいっそう膨らみ、佐藤さんは本当に素晴らしかった。あらためて上越人の多彩さに驚いた。

 4
フィナーレのジャムセッション

 

 フィナーレは二組のバンドによるジャムセッション。さすがジャズ、初顔合わせのバンドが舞台上で簡単にソロの順番を決めるとすぐに「Minor Swing 」が始まった。これこそジャンゴ・ラインハルト生誕100年の最後に相応しい演奏ではなかっただろうか。上越でこんなお洒落な音楽を聞けるとは、主催の方々に心から御礼申し上げます。

 

 話変わって、高田世界館の随所のしつらえにアールデコを感じた。本日の音楽もアールデコと時代が重なる部分があって、いっそう旅情をかき立てられた。撮った建物の写真を近々掲載してみたいと思います。

 

 ー写真クリックで不具合を生じていました。謹んでお詫び申し上げますー 10月20日23:22

ようやく猛暑の影響が収まりつつあり、そして園児の健診

2010年10月14日(木曜日)

 10月も半ばになってようやく猛暑の健康被害に終止符が打たれようとしている。今夏の状況を振り返ってみた。

●脱水症単独および高熱や化器症状などの合併21人。

●暑さによる血液濃縮の影響が想定された心筋梗塞1人、虚血性腸炎1人、脳梗塞1人。

●胃潰瘍に暑さストレスが関係したと考えられる吐血1人。

●高熱を伴う尿路感染症3人

暑さとの関連は不明だが、普段あまり見ない亜急性甲状腺炎2人。

 年齢は20代から90代までさまざま。しかし高齢者に重症が多かった。多くは点滴が必要であり、血管合併症のあった方など5人が入院。高齢のお一人が亡くなられた。

 

 丸二ヶ月、重い尿路感染症の消長を繰り返した在宅患者さんお二人は、今週になってようやくお元気になってきた。一時期高熱とともに炎症指標であるCRPが15~20以上へ上昇、お一人の白血球は2万を越えていた。
 ご家族は一貫して家で直したいと仰られ、日曜祝日も補液と抗生剤の点滴に通った。こんなにひどい夏は初めてだったが、新たなノウハウも少々得た。

 

 さて昨日午後は保育園の健診。生後4ヶ月の幼い赤ちゃんがいることに驚いた。園児は2,3才から自分の顔が出来てくる。ああ、このような顔でそれぞれの人生に臨むのだ、皆がんばれと心でエールを送った。

 

 途中、身体の不自由なお子さんがしくしく泣き出した。すると子どもたちが次々と集まってきて、頬や頭を撫でた。平和なやりとりに心和んだ。そうかと思うと並んでいた女の子がいきなり男の子を突き飛ばした。びっくりしたがすぐ平静にもどっていた。愛らしいミニチュア社会、保育園。皆さんの肺も心臓も元気だった。

母と農道へ

2010年10月11日(月曜日)

農道で 
 二日続きの良いお天気だった。休日のこの日、午後4時ころから久し振りに母を連れ出した。およそ40分、夕暮れの農道はこよなくのどかだった。

 

 私が知っているAさんは毎週日曜日になると、90才を越えた母親の車いすを押して2時間も町内を歩く。雨の日は、どうしてますかと聞いたことがある。

「イトーヨーカ堂を2時間くらい歩きます。たまにみやげも買いましてね」とにこやかなAさん。

 外は素晴らしい。親子にこれ以上の幸せはなかろう、お母さまにはいつも福相が現れている。なかなか出来ることではなく、Aさんは地域のパイオニアだ。

 

西国の人 2 新潟の大学院生さん

2010年10月10日(日曜日)

 二年前の秋、新潟市から当館を訪ねてこられた青年と話す機会があった。カフェでご挨拶すると、「よろしかったらどうぞ」と隣の椅子を引いて勧めてくれた。突然の積極的な振る舞いに少々驚いた。
 わが新潟県人が初対面でこんな風ににするのをあまり見たことがない。どこの人かな思って隣に腰掛けた。やや小柄できりきりとした黒目の人は果敢な印象だった。

 

 彼は都内の大学を卒業してから新潟大学の大学院へ来たと仰った。しかし元々は地方出身との事。出身地が気になって尋ねてみた。
「何処から来たと思われますか」と彼、西の方ですか、と私。
「ええそうです」
「もしかしたら広島ですか」
「そうです、よく分かりましたね」
東京の大学を経由してなぜ新潟へ、ともう一度尋ねた。すると彼は木立の向こうのどんよりとした空を指さして明快な口調で言った。
「こういう空は考え事をするのにいいではありませんか」
思いつけもない返事だった。自分が忘れていた青春の感性と力のようなものが思い出された。明快さといい、異国の、私なりの西国の人のイメージと重なっていた。

 

 ところで私の大学時代は6年間を同じクラスで進む。一学年1クラス、1クラスおよそ100人がほぼ一緒で、九州から東北まで出身地が散らばっていた。入学して間もなく地方ごとに性格や気風に独特さがあることを知るようになった。このことは6年間の軟式テニスの部活、その後8年に近い医局生活でも感じた。

 

 知り得た東海から西の人達は元気で果敢な人が多かった。特に部活の6年間、そちらの同輩、先輩は「オイ杉田!」などと言って気後れしがちな私の肩や背中を叩いた(叩いてくれた)。
 「所変われば品変わる、そして人も」。こんなことを携えて昭和50年初夏、東京から新潟県の現在地に帰ってきた。

 

 ところで広島県人について言えば、海外移住に注目した疾病と環境因子についての著名な研究がある。1950年代から始まってい同研究を読み聞きして以来、広島県民が広く海外へ出ていることを知った。海外移住には複雑な要因があろう。しかし若い頃に垣間見た西国人独特の元気、果敢さは払拭しがたく移住とダブル。

 

 出る人、広島県人。たまたまだったが、二年前にお会いした冒頭の青年のイメージもそこへ繋がった。
 

 彼と会って40日ほど経ったある日、以前大変お世話になった方と再会した。広島県ご出身ということは知っていた。
 (拙文は西国の人 1 から続いています。3へ続けてみます)

今日の雁子浜 今日の上越市大潟区の雁子浜。予報が完全に外れて空も雲も見事だった。

ヘルメット

2010年10月9日(土曜日)

 昨日、産業保健で関係している上越市大潟区の帝石トッピングプラント・頸城精油所へ行った。健康管理の講話と工場巡視の日だった。巡視ではヘルメットをかぶった。

 

 ヘルメットと言えば、上越市はつい最近地震に見舞われ、自宅でヘルメットに触ったばかりだった。それは三年前の7月、中越沖地震の時にそれぞれの家族用として買った。

 

 その地震当日、混雑するホームセンターで残り少ないヘルメットにありつけた時は正直ほっとした。ちょうど不肖小生は上越医師会の会長職をけがしていた。立場に従って上越市の被災地区を回り、夜間には柏崎市の西部地区も行った。現場のことはいまでもありありと蘇る。軍手に長靴、それにヘルメットがあればどこへでも行けそうな気がしていた。

http://www.juca.jp/blog/2007/07/post-31de.html
http://www.juca.jp/blog/2007/07/post-fdda.html
 

帝石トッピングプラントで 
 さて昨日の平時の工場巡視。安全のシンボル・ヘルメットをかぶって工場の保健婦さんと一緒の写真を撮ってもらった。

 そのあとで回った往診先のラジオが東北地方の新たな地震を伝えていた。私たちの国では平時に時として地震が起きるのではなく、続けて起きる地震のあいだに平時があるのではないか、と一瞬思った。 

 

秋の庭へ

2010年10月8日(金曜日)

 かってない厳しい夏を越え、庭もなんとか秋を迎えた。まとまって咲く白のリュウノウギクと紫のノコンギクがもうすぐだ。両方とも酷暑をものともせず非常に旺盛に増えて、菊恐るべしの感がある。

 

 余りの勢いに付近のリンドウやホトトギス、来春のクリスマスローズなどが隠れてしまっている。それで今夕は電気を点して菊をかなり抜いた。

花 咲き出して5年は経ったベニヤマシャクヤク(今年5月末の写真)。
以下は種子。

種子三つの鞘(さや)が開き、その後反転してこぼれんばかりになった昨日の種。
清楚な花から想像出来ないほど強烈な姿になる。
暗色が種子、赤は未受精の物質で種子の保護と引き立て役のようだ。
鮮やかに見せて鳥を魅惑しているのだろう。 

 

 庭は来年への支度が始まる。苗や球根の注文、植え付け、植え替え、施肥など秋も楽しい。今年は上に掲げた三株のベニヤマシャクヤクから一株選んで種まきと株分けに挑戦してみたい(相当難しいことだが)。

西国の人 1 ポルトガルのKさん

2010年10月6日(水曜日)

 先日、京都のある医院から一通の封書が届いた。差出された先生に面識はなかった。手紙は小生が書いた紹介状を持参した患者さんが来院されたと、知らせていた。簡潔のうちに丁寧さがにじむ書面だった。

 
 三ヶ月前、私は一通の紹介状を書いた。当地を離れて京都へ移るというKさんの為だった。60代のKさんはお元気で少し血圧が高いだけだった。
「主治医殿」、宛先がこれだけの紹介状。不案内な遠くへの転地では、具体的な紹介先の代わりに主治医殿とだけ書くことがある。Kさんは京都へ行ったらご自分で医院を探すと仰った。
 あれからしばらく経っている。どうされただろう、と心配していたところへ今回の知らせだった。

 背が高く眼鏡に笑顔が似合うKさんを初めて診たのは2年近く前だった。顔立ちは私たちと同じ日本人、なのに言葉が片言だった。それでお国を尋ねた。
「ポルトガルだよ」、思いつけも無い国名が返った。語尾の「よ」が跳ね上がって欧米人のイントネーションだ。
「おじいさん達がポルトガルへ移民したのですか」
「そうだよ」
「もしかしたら貴方のおじいさんは広島県の人ですか」
「そうだよ」
人なつこい目をさらに細めてKさんは答えた。
 広島県のことは当てずっぽうだったが、もしやと思って聞いてみた。以前にこれと似たことがあったからだ。

 Kさんと合う少し前、新潟市から上越へ、樹下美術館を訪ねてこられた青年とお会いしたことがあった。その人のご出身は広島県だった。
ー続けてみますー

地震、そして命の電話チャリティー茶会。

2010年10月3日(日曜日)

 今日の当地は午前の早くから数回にわたり震度4から5弱の地震に見舞われました。三年前の中越沖地震も同じ日曜日の午前。ドシン、ガタガタという音と揺れに三年前の恐怖を思い出しました。
 幸い展示や施設に被害はありませんでしたが、これ以上にならないことを祈るばかりです。

 

 午後から高田で行われている「命の電話チャリティー茶会」に行きました。当茶会の会費は2500円、関係者のご努力によって18回目とありました。広間を裏千家西口宗米先生が、小間は江戸千家小川紫雪先生でした。床の掛け物に秋の風光を感じ、お道具は陰影に富み、お花は時節の移りを物語っていました。

 

 西口先生から貴重なお話をお聴きし、知人の奥様の心静まるお手前。本当に有り難うございました。

 風炉窯 
   いつものようにお茶室の提供は(株)有沢製作所さん、御菓子は大杉屋惣兵衛さんの協賛でした。また今年の待合も植木ひろ子先生のオブジェです。大きな球形にあしらわれたツル類にゴンズイとサザンカの実が沢山配されていました。今にも動き出しそうな変化と愛らしい色彩が相俟った麗しの作品でした。

 

 テーマである命の尊さにあふれたチャリティー。関係者の皆様に心より感謝申し上げます。

樹下美術館の家具

2010年10月1日(金曜日)

 小さな樹下美術館ですが、館内にはいくつかの家具があります。デンマーク、イタリア、アジア、そして日本。時代も清代、ミッドセンチュリー(20世紀半ば)、現代まで、生まれも世代も越えて静かに混じり合っています。展示作品やお茶、庭などと共にお楽しみ頂ければと思います。

 

 振り返りますと建物については、設計家・大橋秀三氏とともに相当苦労を分け合いましたが、家具の選定は技術的な問題から解放されて楽しい思い出です。

 大橋氏は建物との相性から北欧調を望まれていましたので、芯となるカフェの椅子はセブンチェア、灯りはペンダントライトにしました。当初セブンチェアは少し大まかかな、と感じましたが、セッティングされますとおおらかな表情を現し自然の中の樹下美術館にぴったりでした。

  この椅子と以下のマッシュルームスツール、およびスノーボールペンダントとネルソンベンチはいずれもミットセンチュリーの代表作と言えましょう。その時代は倉石隆、齋藤三郎(陶齋)氏とも、自らの道を踏み固める時期に相当します。そのためでしょうか作品と家具は馴染み合って、懐かしくもみずみずしい香りを館内に漂わせていいます。

 

 ところで、絵画ホールのマッシュルームスツールには奇跡のような経緯がありました。ホールが小ぶりでしたので低い椅子を二つ置くことを考えて検討しました。壁面の湾曲に合わせて方向性のないスツールと決め、デザイナースツールが豊富な天童木工に絞りました。バタフライは方向性がありましたので、ムライとマッシュルームの二者択一となりました。油絵との相性と印象的な表情からマッシュルームに決めようという頃、この椅子のデザイナーを知りました。

 

 マッシュルームは40年近くも前に、三人の学生によってデザインされていて、その一人は倉石画伯のご長女・山中女阿美子さんだったのです。こんなことがあるのでしょうか、非常に驚きました。以来 ずっとお父様の作品に囲まれて特に幸せに見えます。当椅子の評価は高く、昨年パリ国立装飾芸術美術館に収蔵されました。

 

1カモグリ 
椅子 カモグリ
2ネルソンベンチ 
ネルソンベンチ
3李朝のコンソールテーブル 
清代のコンソールテーブル
4ペンダント 
ペンダントライト
5マッシュルーム 
マッシュルームスツール 
6セブンチェアーとアデルのテーブル 
セブンチェアと丸テーブルのロンド 

以下に多少の説明です。

●椅子「カモグリ」:ピエロ・リッソーニ(イタリア)のデザイン、Porro社製。当館の二つのホールを結ぶ短い廊下にある愛らしい椅子です。さわやかな籐の背もたれと滑らかな座面のしつらえが見どころでしょうか。カモグリはイタリアの避暑地の名のようです。

●ネルソンベンチ:ジョージ・ネルソンのデザイン、オリジナルはハーマンミラー社製(アメリカ)。1940年代のデザインでライセンスフリーとなっている現在、多くリプロダクトされています。和風の趣を考えて陶芸ホールに置きました。

●清代のコンソールテーブル:上越市本町にあった店「ドラゴンフライ」で、陶芸ホール正面の大きな箪笥テーブルとともに求めました。当初李朝かと思いましたが、清代のようです。アジアの家具を揃えたあの素晴らしい店が一時的にでも上越にあったとは、夢のようです。

ペンダントライト「スノーボール」:ポール・ヘニングセンのデザイン、ルイスポールセン社製(デンマーク)。8層のペンダント。柔らかな光と楽しい変化、光源が容易に見えない灯です。

マッシュルームスツール:山中グループのデザイン、天童木工社製(日本)。

セブンチェア:アルネ・ヤコブセンのデザイン、フリッツ・ハンセン社製(デンマーク)。1955年の発売以来同社の看板商品。先発のアントチェアとともにロングセラーを続け、世界に向け双方で600万脚の出荷を誇っているそうです。

●丸テーブル「ロンド」:ルイジ・ビリアーニのデザイン(イタリア)。生まれは異なりますが、セブンチェアとよく合います。W1300φXH740の一本脚テーブルは6,7人で囲むことが出来、狭いカフェは大いに助かっています。

●コンソールテーブル:クラフト葉音(はのん)製(長野県小淵沢)。前面の美しいカーブが風の跡のようです。

コンソールテーブル   このテーブルは現在、陶芸ホール正面のガラスケースの中で作品のディスプーに使用されています。葉音さんの雰囲気を取り戻すべく表に出して写真を撮りました。

 

 およそ以上ですが、今にして思えば随分無理をしているなあ、と感じます。しかしみな丈夫で何気なく、しかもちゃんと個性があります。家具らしい家具だったのでは、と無理を痛みにしないよう振り返っています。

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