2011年5月29日

早く逝きたい 自然な長生きを

2011年5月29日(日曜日)

「先生、早く逝かせて」。初めて訪ねるころの超高齢者が口にされることは希ではない。この場面にはいつも悩まされ、「また言っている」、とそばのご家族が叱るように仰る。

 

前なら、“二十歳で戦死した兵隊さんたちのことを思えばもったいないですよ” “事故や病気で若く亡くなった方もいるじゃないですか” “仏様がもう少しそっちに居てと仰ってますよ”などと言っていた。

 

その後理屈はダメだと思い、がらっと変えた。まずは「そうですよね、長生きも退屈なんですよね」など同情から始めて見る。それから伺う度に、

「子どもの頃はどんな風に遊びましたか」、「子どもも田んぼを手伝ったのですか」、「昔の浜はイワシやカレイが沢山とれたそうですね」、「奉公に行ったことがありますか」、「新婚旅行はどこでしたか」、「東京へ行ったことがありますか」、「寒くないですか」、など答えやすい質問を試みる。

 

すると死にたいと仰った人が色々話しだす。新婚旅行は無かったと大抵否定されるが、否定は元気な証拠だ。東京が無ければ善光寺は?と聞いてみる。おばあさんなら、実家のこともいい。さて帰ろうかというころ「また来ますよ」と言うとしばしば「ありがと、また来てくんない」が返る。
お年寄りのスイッチは比較的簡単に切り変わる。ご家族が少しでも真似るようになると、落ち着く傾向がみられて前進する。

 

ところで、この2月末頃から不整脈を悪化させ、連日苦しまれた方がいた。昼夜の往診を続けたあと、一両日かもしれません、とご家族に告げた。まもなく100才になられる方だった。お嫁さんは、薬や飲食のことを心配され、せがれさんは涙をいっぱいためて、お世話になりました、と仰った。

 

それが、その日を境にゆっくりと回復に向かわれた。往診の日など「先生の前で粗相するといけない。トイレに行く」と這っていって用を足されるという。無口で黙々と自立され、散歩も欠かさない方だった。長生きと気丈をあらためて振り返った。

 

上越市は介護保険料や重度の要介護者率は全国でもトップクラスという報告がある。財政への重圧は事実だろうし、大震災以後なおさらかもしれない。
しかし、私たちは目の前で苦しむ人や、死にたいと言う人をみると何とか助けたいと思う。苦しむ人を見るご家族の心配も自然に感じる。

 

今日、心身への気遣いや医療・保健・介護によって、元気に90、100へ長生きが可能になった。ただ超高齢における安易な管類挿入は避けたいし、戸外を促し、事情によって良心的な施設が選べるようになればもっと安心にちがいない。

乙女百合 

 

上越市は合併で日本一人口の多い過疎地になったと聞いていた。介護費用がかさむのもやむを得ない。いっそうの疾病予防と、国費の支援は当然ではないだろうか。

 

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