2011年6月9日

多様な営みがあった大潟区潟町

2011年6月9日(木曜日)

上越市大潟区の家の前に旧国道が通っている。通りはかっての奥州街道であり、自分の小中時代(昭和30年ころ)までは商いと職人さんの家々が軒を連ねて賑やかだった。

通り
今日の通り

振り返ればその一軒一軒が浮かぶ。通りの200メートルほどを思い出してみた。
魚屋さん、鍛冶屋さん、鉄工場、石屋さん、時計屋さん、お醤油屋さん、塗師さん、お茶屋さん、床屋さん、新聞屋さん、提灯屋さん、棒屋さん、豆腐屋さん、粉屋さん、下駄屋さん、割烹、お菓子屋さん、自転車屋さん、左官さん、大工さん、蚕の集積、畳屋さん、酒屋さん、桶屋さん、蒲団屋さんなどなどだ。

遊ぶだけの子どもの毎日にあって、通りの仕事場を見ることも遊びの一つだった。ちなみに鍛冶屋さんは鍬や鎌などをつくり、棒屋さんはその柄をこしらえた。

鍛冶屋さんのフイゴでおこされる紫の火、提灯屋さんのあざやかな竹ヒゴ作りと修理なども印象に残っている。下駄屋さんは近くの工場(こうば)で成型し、店でカラフルな鼻緒などとともに商われた。

トラック運送の普及前は、牛車が材木などを運んでいた。空の車が来ると後ろから飛び乗って遊んだ。牛車のわだちを作る店も鍛冶屋さんとは別にあった。

カンカン、トントン、トンテンカン、シャッシャッ、ゴロゴロ、カチカチボーン、様々な音も聞こえた。

 

その昔潟町は、宿場黒井と柿崎の間があまりに離れていたため、新たに中間に設けられた宿場だった。1660年、明暦時代の開駅だったそうで、昨年350年の節目の行事があった。

仕事場を見るのは面白かったが、あまり近づくと大抵うるさがられた。しかし多様な営みがあった町で育ったのは貴重なことだった、と思っている。

往時から50年以上は経ったが、いくつかの店や仕事は続けられている。本当に立派なことだ。

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