2011年9月

飛行機雲とハマゴウ

2011年9月29日(木曜日)

午後休診の夕刻、樹下美術館の庭で続けて飛行機雲を見た。写真に撮って大きくするとそれらしい機体が見えた。初めのは戦闘機で次が旅客機かな。

 

空港が近い都会なら好きなだけ飛行機を見ることが出来る。しかしこちらではやはり珍しい。

 

空にカメラを向けて喜んでいる自分に子供っぽさを禁じ得ない。

飛行機雲1 
飛行機雲2 
飛行機雲1トリミング 
飛行機雲2トリミング 

飛行機雲ハマゴウ
夕暮れのハマゴウ 

帰り道いつもの四ツ屋浜に寄ると印象的な夕焼けが見えた。頭上にゲジゲジのようになった飛行機雲。わずかな時間で随分変わる。

 

間もなく10月という海岸にぽつぽつと「ハマゴウ」が咲いていた。夕暮れの名残花、よく見るとういういしくて可憐だった。

上越市最近の話題から その2厚生産業会館

2011年9月28日(水曜日)

日頃ぼんやりしていても時には気になる上越市の話題があります。最近では仮称・厚生産業会館でしょうか。予算規模は知りませんが“相当な額”にちがいありません。
厳しい社会情勢の中、貴重な地域事業費をある種犠牲として建設される施設が、削られるものを越える福音を有するのでしょうか。僭越ながらいくばくかの疑問、および何時かはと、拙い提案を記させて頂きました。

疑問:予定施設の建設場所について、高田駅を含めた中心市街地あるいは公園などが候補として挙げられているようです。そもそも建物は目的ごとに相応しい場所があるはずですが、公園と駅近くの市街地では随分と環境に違いがあります。これは、今もって施設の目的や内容が曖昧であることを伺わせます。濃度の薄いものを果たして公約と呼べるのでしょうか。「何処かに何かをつくらせて」という流れに見えて悲しくなります。
また仮称にしても厚生産業会館は如何にも時代遅れ、夢なき名前ですね。しかし案外実体を現わしているのかも知れません。

 

建物といえばその昔
サンルームとカフェが付いた植物園:年令に関係なく、戸外は何ものにも代え難く、生きることと両輪のような関係があります。それが上越地域では冬期の何ヶ月も雪に閉ざされ外が遠のきます。
降雪の日、整備された道路から暖かな植物園へ入る。全市民に開かれた園内はランニングもよし車椅子も安心、緑と花に憩いましょう。
夏の冷房は貯雪を利用し冬期の暖房費をカバーする。おそらく維持管理は建設よりも大変でしょう。しかしそれだけの価値がありませんか。この夢を7,8年前の同業誌に載せたことがありました。

プロジェクトなら
トータルな企業誘致:避難を続けられる福島県の方々はまだ多いと聞いています。また離県も真剣な課題だと想像されます。そんな皆さんに「上越へいらっしゃい」と大声で呼び掛けるのはどうでしょう。
用意するのは懇切な職業訓練と住宅、企業に対しては税やインフラ、土地提供など思い切った優遇措置です。もちろん地元にも呼びかけます。
順次火力発電所の完成に合わせ「クリーン都市・上越構想」などを。本気なら試みは国・企業の注目を集め、補助のボーナスや全日本レベルの話題も夢ではないかもしれません。
雑草の管理もして足許もクリーンに。

 

多くの為政者は自らの足跡を記すが如く税を用いて建物を作りました。明晰な現市長はそんな古い方ではありませんので賢明な税配分が期待されます。

 

 上越の水田
手入れの行き届いた上越地域の水田

ある下越の海岸旧中条町の海岸 イメージとして用いました

 

 以上夢見る納税者の不明不遜をお許し下さい。
 上越市最近の話題から その1新幹線に続けて記しました。

 

 司修氏講演会

お客様 燕市 新潟市 関根日出男先生 鵜の浜温泉 

2011年9月24日(土曜日)

どのくらい雨と寒さに苛まれたことだろう、今日は爽やかに晴れ上がった。樹下美術館は新潟市や燕市、そして地元の方たちからお訪ね頂いた。

新潟市のご夫婦は2,3月の新潟市の拙生作品展で知って、燕のお二人はお友達から聞いてと、それぞれお見え下さった。 

 

土曜の仕事は午前だけ。それが連休の中日とあって忙しかった。夕刻の鵜の浜海岸は若い人達が多くて驚いた。

釣り 
写真を撮る 
人魚の像 
浜辺の人魚像
渚 
車 
砂の造形 
砂の城 両端に橋もあった

 

お茶とお菓子

塩野のお菓子とあって、我が家のとっておき魯山人の茶碗を出した。

 

午後、東京から姉夫婦が来て昼食を一緒した。久しぶりに義兄、関根日出男氏にお会いして楽しかった。氏は耳鼻科医でチェコ文化研究家。チェコ文学の翻訳と紹介、音楽ではドヴォルジャークおよびヤナーチェクなどの研究を通して日チェコ友好に貢献されている。

 

夫婦は日帰りだった。見送って海へ行き、夕食を終えると頂戴した赤坂「塩野」のお菓子で抹茶を飲んだ。

 

オタク化する生活、樹下美術館であれ鵜の浜であれお客様はますます有り難い。

 

司修氏講演会 

祝日に座学3時間とトンネル建設現場の研修

2011年9月23日(金曜日)

50人以上の事業所には職員の保健をサポートする産業医が付いている。日本医師会の認定産業医は5年ごとに更新が必要で、今回私の期限は平成24年1月29日と記されていた。

まだ先だと思っていたら、今年10月中に所定の単位を取得して更新申請をしなければならないと知った。現在、必要な研修は三分の一ほど(7単位)残っている。

本日、十日町医師会が主催された研修会が午前10時から午後3時40分まであった。昼食を挟んで5単位をもらえるので貴重な祝日を充てた。職場の作業環境と労働安全行政について2コマの講義の後に実地研修があった。

 トンネル入り口
通過する車輌をよけながら説明や質疑

掘削機械砂地に対する掘削機械 奇妙で大きな昆虫のようだ

十日町市側で見た八箇(はっか)トンネル建設現場は圧巻だった。想像を越える巨大さ、大規模な換気と排水、砂地地盤に対する特殊な工法、水やガス噴出への備え、モンスターのような掘削機械、、。初めて立ってみたトンネル工事の非日常にいささか興奮し、技術と安全対策を頼もしいと思った。更新に必要な研修はあと一回となった。

参加者トンネルは人気だった

この数日の寒さは少々こたえる。昨日はストーブを出しましたとお二人の患者さんから聞いた。

上越市最近の話題から その1新幹線

2011年9月22日(木曜日)

このところ上越市で注目された話題が二つありました。予定新幹線駅の名称と厚生産業会館の建設に関することでした。

 

【新幹線への感想】
新幹線駅名を考える会が最終的に提言したのは「妙高高田」でした。分かり易く爽やか、語感に格調・安定感があって好感が持てました。募集順位の上位二つには越後が付いていましたが、溌剌さに欠けていたかもしれません。あえて三番目を推した委員会の見識に敬意を覚えました。このまま決まるような気がしますが、はたしてどうでしょうか。

 

答申された駅名には直江津や頸城に関して表現されませんでした。しかしまず爽やかな表札が掛かれば後は家の中身が問題になることでしょう。上越のはずれ樹下美術館は、新潟・長岡の両市に近いメリットも生かしながら精一杯維持発展の努力を続けたいと思いました。

 

ここで2点ほど。
それにしても上越一帯の国道とその歩道、さらに中央分離帯などの雑草繁茂は凄まじく、植え込みは何処へやら眼を覆わんばかりです。立派な駅名が付いても「雑草のまち上越」では、とてももてなしになりません。

 

人を迎えるのであれば足許。少なくとも国道の雑草をしっかり管理し、まず足許に磨きをかける必要があろうと思いました。

 

色々懸念される新幹線メリットですが、メリットの一つに医療充足への期待は如何でしょうか。富山・石川の両県は足しても人口、面積などで新潟県より小規模の地勢です。しかしこちらは医学部が一つ、あちらには三つもあるのです。

 

上越-富山37分、上越-金沢42分。新幹線によって北陸から上越へ、通勤など医師往来の可能性が生まれそうです。医師数が切実に不足する上越地域は、人的交流を北陸へと広げ、ぜひ新幹線メリットとして生かして欲しいと願われます。
一方、上越-東京1時間35分、上越-長野16分というメリットも医師の往来のほか、医療の広域化としても注目されるのではないでしょうか。いずれにしても上越地域の医療水準の向上への付与を期待したいと思います。

 

時間をみて厚生産業会館について若干を記せればと思っています。

 司修氏講演会

赤ちゃんに帰るお年寄り 手のひらを見せて笑顔

2011年9月19日(月曜日)

今日は敬老の日だった。普段から親と関わっている家族には、敬老の日って何だろうね、と考えてしまう日かもしれない。

 

やや奇異だが老人には年を取るにつれ、相手または世話をする人が限られてくる傾向が見られる。他の人ではダメ、あるいは手出しが出来なくなる一面が出てくる。こちらではなく、老人の側にそのような志向が現れるようだ。

 

このことは、加齢が赤ちゃんへの回帰だとするとある程度うなずける。かってお乳を含ませた母親が唯一の人であったことと、世話し見慣れた人が次第に唯一の人(あきらめも含まれているかもしれないが)となるのと重なる。

 

また世話を促すように、かって頑固だったお年寄りにもどこか可愛い反応が現れる。飾り気なさ、可愛い勘違い、見たことがなかった笑顔、聞いたことのなかった「ごめんね」、「かんべんね」、「ありがとう」。構わないでは居られない赤ちゃんとどこか似た変化だ。しかも主に世話する人に向けられ、その人たちだけが見得る反応の可能性がある。

 

拙い経験ながら、これらは曲がりなりにも(みな曲がりなり?)世話や介護が維持されている超高齢者とその家族に見られる様子だった。拙生の母の最後の一、二年そして数ヶ月は、ある意味別人、振り返れば赤ちゃんのそれが現れたように思われた。

 

自尊と安心。お年寄りが望むものは二つだけかもしれない。いくばくかの話をしてもらい、手のひらを見せ、笑顔を作る。赤ちゃんと同じ、お年寄りも最後は視聴覚だけを頼って生きるのだろう。

 

認知症には赤ちゃんに帰るもう一つの道を見る思いがしないでもない。

 

 長峰池
ある日の上越市吉川区の長峰池
アール・ヌーボーな夕刻

高田世界館でベース&ギターのデュオを聴いた

2011年9月18日(日曜日)

二日続けて高田へ行った。午後4時から高田世界館で鈴木良雄(ベース)&増尾好秋(ギター)お二人のジャズを聴いた。

 

ステージ
ベースは美しい家具のようだ 向こうに真っ赤なギター

演奏は昔で言えばクールジャズないしウエストコースト派、あるいは1970年代からのフュージョンであろう大変リカルなサウンドだった(汗)。

 

アンコールが始まった アンコールは会場の手拍子にスキャットのサービスも

それぞれ渡辺貞夫、あるいは渡米してリー・コニッツ、ソニー・ロリンズなどビッグネームとともに演奏活動されたお二人。おしゃれで一流のステージを聴けて良かった。

会場で買ったCD「AROUND THE WORLD」を帰りの車中で聞いた。生を聞いたばかりなのでとても親しめた。

何と当CD録音中の東京のスタジオを3・11の震災が襲ったという。動揺したが、かえって心深くして演奏できた、とエピソードが語られた。

主催された街なか映画再生委会代表でジャズの人、増村俊一さん真に有り難うございました。

司修氏講演会

高田はいい街だ A級がいっぱい

2011年9月17日(土曜日)

油絵の材料を買いに高田へ行った。車を留めて夕刻小雨の高田公演を少し歩いた。とても良かった。

プロムナード2 
いい雰囲気だなあ

プロムナード 
東京に勝っているかも
橋 
高田姫の行列などみてみたい

彫刻 
こんな彫刻があって高田の人は幸せだなあ

 

 本町通りもしっかりしてきれいだし、高田はA級の街だと思う。

いもけんぴの油絵 難しい

2011年9月15日(木曜日)

水彩ボタニカルも難しいが油絵もやっかいだ。たまたま思った以上の表現が出来る部分もあるが、何が何だかさっぱり、とてもダメという所が何カ所もある。

 

メソッドを持たない素人ゆえダメとなったらどんどん迷路に入っていく。何となく分かるのは、もうダメならその日は止めるのがよいということだ。

いもけんぴ 
イモケンピの続き

ビニール袋に入っているのでよけい大変

 司修氏講演会

「指示が入る、入らない」を止めよう。

2011年9月13日(火曜日)

10年ちょっと前、介護保険が始まる頃、保健、介護、リハ、看護、と多様な職種の方たちと交わるようになった。いろいろ話が聞けてためになったが、認知症に関連した奇妙な言葉にも出会った。

 

「この方は指示が入りません」、「指示は入るのですが、すぐ忘れます」などという言い方だった。こんな言葉は病院にいた時も、20数年の開業でも聞いたことがなかった。

 

この地域だけの言葉だろうか、一部でかなり一般的に使われていたように思われた。  

 

言葉は如何にも上から目線である。そもそも今どき「指示」はまずい。さらに「入る入らない」はなおさら問題だろう。あたかも動物かロボットを相手にしているようではないか、あるいは古い時代の看守など も浮かぶ。

 

「言ったことを理解出来る出来ない」、「助言を行える行えない」などの事だと思われた。治療者や介護者の言葉としては乱暴かつ冷酷であり何とも悲しかった。

 

かなり前、このことを地域の関係者の会議で述べた事があった。しばらく耳目にしなかったが一昨年の介護職の書類に使われていた。その頃ちょうど厚労省から人が来て上越市の担当者を交えた集まりがあったので改善を要望した。

 

そして今日の在宅訪問。同席したケアマネージャーが「指示が入らなくなっています」、と言った。ちゃんとした仕事をされる人だったので残念だった。相談ごとを済ませてから、言葉について皆さんで話し合ってみて下さいと告げた。

 

介護の現場は一定の洗練を続けている。しかし、いつか自分がお世話になる時に、この人は指示が入らない、などとは言われたくない、、、。

 

夜9時半を回った。先ほど痰が詰まって苦しそう、という方を往診した。最後までお願いします、と言われハイと答えた。何とかやってきたので何とかやっていけるだろう、というハイだった。満月を終えた月がむら雲とやりとりしていた。

 

 司修氏講演会

September Song

2011年9月11日(日曜日)

9月もはや半ばにかかる。早さに不平を言いたいところだが、ますます早くなるので一日を大切に従うしかない。
さてその昔は9月、夏を過ぎると待ちきれないといった感じでラジオからSeptember Songが流れた。

そして学生時代は、ピアノ・ウイズ・ストリングス(Piano With Strings)が懐かしい。ジャズピアニストたちは時にオーケストラを付けて軽い演奏を録音した。あのオスカー・ピーターソンやビル・エバンスの録音もあることは、後になって知った。今はインターネットで引くと沢山出ているが、昔の私には貴重だった。

そして当時の深夜、耳元の進駐軍放送(FEN)からしばしばピアノ・ウイズ・ストリングスが聞こえた。日本の放送局ではめったに聞くことが出来ず、こんなレコードがあればいいのに、と思いながら若き自分は寝入った。

 

September Song:ジョージ・シャーリングのPiano With Strings

フランク・シナトラ抜きにSeptember Songはありえない。

その昔の昔、1960年頃の浪人の夏の終わり、合宿と称して姉と一緒に池の平温泉の池廼屋さんに数日泊まった。結核が治癒に向かい、勉強が楽しくなり始めたころで、まじめに机に向かった。退屈すると散歩に行ったりホールで卓球をした。

そのホールに手回し蓄音機があった。「南国土佐を後にして」をよくかけ、「September Song」を初めて聞いた。古くて重々しいレコードだったが、季節感はピッタリだった。
池廼屋さんには、スキーで宙返りジャンプをするおじいちゃんが元気な頃から毎年お世話になっていた。

アオイ科の花 

2011年9月10日(土曜日)

今年7月、トロロアオイが描かれた齋藤三郎さんの皿が樹下美術館の作品仲間になった。トロロアオイは同じアオイ科トロロアオイ属というオクラよりもずっと大きな花で、和紙のつなぎとして栽培されるらしい。
皿の紋様を、どこかで見たことがあると思ったのはオクラを見ていたからだと思った。

6.色絵黄蜀葵文皿
色絵黄蜀葵文(とろろあおいもん)皿は来年展示の予定です。

今日は上越市柿崎区の国道沿いで生き生きとしたオクラ畑を見た。盛夏を過ぎてなお青々とし、キズひとつ無い花と実、よほど暑さに強いにちがいない。

なるほどウィキペディアによると原産地はアフリカで、奴隷と共にアメリカや中南米に渡り、日本には明治になって沖縄などへと伝わったという。

野菜や草花は悲喜こもごも様々な歴史とともに世界中からやってきたんだ、と感心させられる。

オクラ
元気なオクラ畑
白一重のムクゲ
白一重のムクゲ
赤紫のムクゲ
赤いムクゲ、八重というのだろうか
いわゆるムクゲ
白地に紅い底、よく見るムクゲ

樹下美術館で6本ほどのムクゲが盛りで、こちらはフヨウ属だ。強いので刈り込んで垣根にされているのも見る。しかし当館ではそれぞれが離れているので切らずに育つに任せている。

白地で紅い底のよく見るムクゲは私の背丈の二倍以上になった。一面に咲くのをみると、冬のサザンカの風情に似ているような気がしないでもない。

秋の講演会 司修(つかさおさむ)さんをお迎えして

2011年9月9日(金曜日)

画家にして装幀家、さらに作家である異能の人、司修(つかさおさむ)さん。樹下美術館では司さんの講演会を来る11月17日(木曜日)午後2時から開催いたします。

演題は「雪国の画家・倉石隆」です。

氏は1964年主体美術協会の創立に際して樹下美術館の常設展示作家、倉石隆らと歩みを共にされ、倉石氏とは密接に交流されました。

 

講演会お申し込みは樹下美術館の窓口で、または
お電話025-530-4155でお願い致します。

 

以下のチラシは小さめですのでクリックで拡大してご覧下さい。

111117司さん公演パンフ

1950年、司修さんは新制中学を卒業すると映画館の看板描きの助手として働きつつ独学で絵画を始められました。以来多彩な活動の中で、書物の装幀と挿絵で井上光晴、瀬戸内晴美、有吉佐和子、水上勉、加賀乙彦、大江健三郎、遠藤周作、江藤淳、室生犀星、野坂昭如、ほか枚挙にいとまがないほど数多くの作家とお仕事をされました。

また旺盛な文学活動において「紅水仙」「赤羽モンマルトル」「影について」「蕪村へのタイムトンネル」ほか多数の著作があります。

 

これらによりボローニャ国際図書展グラフィック賞推薦、ライプツィヒ国際図書賞金賞、講談社出版文化賞・ブックデザイン賞、小学館絵画賞、小学館児童文化賞、川端文学賞 、毎日芸術賞などに輝かれました。

 

1999年法政大学国際文化学部教授となられ、現在同名誉教授をなさっておられます。

 

晩秋の午後、絵画と文学の人、司修さんのご講演をお楽しみ下さい。

カフェ以外でもお茶を

2011年9月8日(木曜日)

樹下美術館ではカフェ以外の何カ所かで座ることができます。万一混雑の時、また時には気分を変えてお座りになってみてください。よろしければお茶もどうぞ。

カモグリに座って 場内の一部、可愛いカモグリ(イタリア)の椅子に座って。
食器はロイヤルドルトンのカップ&ソーサー(イギリス1920年代)

 

デッキで 
ふらなければ裏庭のデッキで、田んぼを見ながら。
食器はシェリーのアールデコトリオ(イギリス、1910~30年ころ)

 

写真のお菓子はヒロクレインのチョコレートケーキでした。今日は夕方にかけてとてもさわやかな雲が見えました。

いもけんぴの絵

2011年9月6日(火曜日)

本格的に学んだわけではないが、ふとしたきっかけで絵を描きたくなることがある。植物水彩画(ボタニカルアート)は10数年前のテレビがきっかけだった。

 

樹下美術館を開くに当たって倉石隆氏の絵画に接すると油彩を描いてみたくなった。それで2007年の秋か冬に絵の具とキャンバスを買い、たまたま目の前にあったイモケンピの袋を描いた。油彩は何十年も前、うまく行かなかったが数点描いてみた。

 

4年前のもの いもけんぴの絵、4年前のもの(指の跡などもありとても完成とはいえませんが)。
 F-SM(22,7×15,8㎝)サイズの小さな作品です。

不思議なことに何か描こうとすると必ず口笛を吹きたくなる。描くのが好きなのだ、と思う。せわしない時間なので、この時はA5サイズの小さなキャンバスに黒のマーカーで輪郭を書いて色を塗った。教則本を斜め読みしてばたばたと始めるので、描いたり消したり当然上手く行かない。

いい加減に描きながら偶然気に入った部分が生じるとそれに合うようにほかも進めてみるやり方しか出来ない。第一回のけんぴは途中のまま、いづれまたと言って止めてしまった。

 

それを一昨日日曜日から新たなキャンバスで描きなおしを始めた。芸術の秋は不肖私などにも当てはまるのか。 

現在二日目の絵 
どうなるかさっぱり分からないまま現在描いているもの。
右肩の上がり過ぎが気になる。

 

今回のをなんとか形にして10月長岡開催と聞いている「アート&アーティストの底力展」のチャリティに再び参加してみたい。 

 

去る8月の柏崎における第一回同展では、実行委員をされた堀川紀夫先生にお願いして「椿の蕾」の小品を急遽参加させていただいた。4000円の値をつけたら売れたということで嬉しかった。

新潟市からMAXときで

2011年9月3日(土曜日)

4年目の夏を終えた樹下美術館。固定作家の常設展示のこと、お客様が少しずつ減るのかなと考えていました。

 

ところがこの三ヶ月は昨年比で6月30%、7月105%、8月59%と増加しました。皆様のリピートと口コミ、地域プレスやフリーペーパーのお陰と心から感謝致してます。

今日は新潟市から新幹線MAXとき号に乗車、ほくほく線乗り換え、犀潟駅下車で樹下美術館を訪ねて下さった方がいらっしゃいました。「美しいものを見たくて」とノートにお書きになり、また来ます、と結ばれていました。有り難いことと思いました。

 

桔梗

 名残の桔梗は皆様をちゃんとお迎えしただろうか

厳しい夏を越えて庭は桔梗の名残とムクゲ、それに芝生の緑だけというのんびり振りです。来年は一度失敗しているタカサゴユリを育てて幾分の賑わいにしたいと考えています。近づく台風で熱風の一日、夕方に久しぶりの水まきをしました。

新潟市への往き帰り 船とトンネル

2011年9月1日(木曜日)

厳しい暑さを越えたころから在宅の方たちがが続けて発熱された。大方回復に向かわれ、入院の検討が必要だったお一人も今朝解熱された。

例年、夏と冬は寒暖のピークを過ぎたころに用心が必要な期間があることを知らされる。

今日木曜日午後は一応の定期休診で新潟市へ産業保健の講習を受けに行った。職業性呼吸疾患(じん肺)についての講義だった。作業環境改善と健診の注力でこの分野の改善は著しいが、長年の観察が必要で油断できない。

えちご 向こうに見える「えちご」は第九管区海上保安本部最大の巡視船、二基の砲門(機関銃らしい)が見える。その昔、能登半島沖を数人のクルーとヨットで航行中に近づいて来たのは多分この船。はるか沖合で出会うと少々怖い。
越路丸
新潟県所属の多目的漁業調査指導船、「越路丸」が入港してきた。
なかなか格好良く、研究室付きの漁船といった感じ。

しらかば 遠くに巨大な新日本海フェリー「しらかば」。深夜に新潟を出港して翌日夕方に小樽へつくという。ぜひ乗船してみたい。

赤い漁船
寺泊で見た漁船。赤と白のペイントはテレビで見るヨーロッパの舟のように美しかった。

新潟市まで高速道路を含めた運転が90分、講義90分で緊張の3時間。受講後は車を留めたホテルで珈琲を飲み、みなとぴあでしばし船を見た。それから海沿いの道をすたすたと走って帰ってきた。

 椎谷岬トンネル
椎谷岬トンネル

柏崎の手前で椎谷トンネルを通った。照明がグリーンで目に優しくとてもきれいだった。椎谷岬の国道は2007年の中越沖地震の崖崩れで通行不能となり2010年1月トンネルとして開通したという。あの岬の坂道は語りぐさになった。

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