2011年12月

皆様の「お声」 そして希望

2011年12月31日(土曜日)

樹下美術館ホームページの上段に「お声」のコンテンツがあります。樹下美術館の館内に5冊のノートを置かせていただいていますが、皆様からいただいたノートの感想を半期ごと年2回掲載させて頂いています。

 

このたび平成23年7月1日~12月28日分を載せました。昨年よりも2倍も多くご記入頂きました。市外、特に新潟市の方が増えて目を見張りました。

 

「感激した」「癒された」「元気になった」「また来たい」「また来ました」、「知人・身内を連れてきたい」、と好意的な感想が多く、非常に励みになります。今後も見えない所も磨いて常に“Ever Green”を心がけたいと思います。

 

今年は東北の津波、原発事故、母の逝去など様々な出来事がありました。享年96才の母にはもっと聞きたい話もありましたが、老後をいっしょに過ごせて幸せだったと振り返っています。

 

震災では近しい親族3家族が仙台と南三陸町に住んでいました。身が震える思いでしたが幸い生き逃れることができました。家族は戦時下の如き困難に助け合って対応し頑張っています。

 

樹下美術館窓口の募金箱には9633円の浄財が寄付されていました。真に有り難うございました。これを二万円にして、年開けに日本赤十字に寄付させていただきます。

 

原発は常軌を逸する規模で時空を越える被害と課題をもたらしました。日本は愛すべき小さな緑の地震国です。遅きに失しましたが、震災で自爆するような悪夢を内包する原発からは完全撤退すべきではないでしょうか。

 

経済が全面失速し、かつ失敗が許されなくなった世界。兵器を捨てて互恵の国へ。まご子を思いながら世界は時間をかけてこの一点に向うように思います。一部ではもう始まっているのかもしれません。寒波は一旦下がったようです、静かな大晦日となりました。

 

こがね丸の舳先昨日直江津港で見たこがね丸の舳先

奉公 その2:東京や名古屋で 

2011年12月30日(金曜日)

普段お年寄りには「生まれはどちらですか」などとよく聞くことにしている。するとお話の中で奉公のことに出会う。

 

当地域では現在80才を過ぎているおばあさん達お年寄りの戦前のこと。尋常小学校(6年制)や高等小学校(2年制)終えると都会への奉公はかなり一般的だった。奉公はとくに尋常小学校を終えて出たようであり、当地上越市の頸北地域では主に冬期間ごとに行った模様だ。そのほかの時期は家で田んぼや漁を手伝い、獲れた魚やサツマイモの行商も手伝った。

小さな子どもたちも何かと家のために頑張ったのだ。

 

もちろん高等女学校へ進む人もいたが、裕福な家庭などで一部だったと聞いている。

 

ところで製糸工場に関して悲惨な話を聞く。しかし奉公を話す老人達は、わずかながらもお小遣い、嫁入り修行、きれいになれるなどと言われ、あまり悪印象を話す人はいなかった。

 

以下わずかですが、皆さんからお聞きした奉公のことを記してみました。 

このあたりでは名古屋へ奉公に行った人が多い。名古屋には当地出身で信用できる人が居たのでその人の世話になったと聞いている。
奉公はもっぱら子守だった。子どもをおぶってよく近くの神社で過ごした。神社には子守をする仲間が集まり、お互いのお屋敷や故郷の話をした。お小遣いが出るともんじゃ焼きを食べに行った。もんじゃやきはとても美味しかった。

最初長野県の製糸工場へ行ったが、途中で東京の女中奉公に変わった。顔や言葉が良かったので選ばれたと思った。子守はしなかったが、掃除洗濯から次第に来客の仕度、奥さんのお伴で外出するようになった(子守などの下女中(しもじょちゅう)と奥さんに付く上女中には厳格な区別があったらしい)。

直江津のお菓子屋で女中をしたあと、東京の大森(特に昔の大森はお屋敷街)へ奉公に行った。引退した社長さんの大きなお屋敷だった。女中さんが5,6人もいて驚いたが、どうして沢山いるのか分からなかった。
よくお客さんが来たので言葉遣いがやかましかった。奥様、旦那様、お嬢様、左様でございます、などと盛んに仕込まれた。

名古屋に行った。仕事のほとんどは子守であとは家事のお手伝いだった。他の家の子守の人と友達になった。「この子の在所は山ではないらしいね」と言われたことを覚えている。何のことか分からなかったが、訛りがひどくなかったのかもしれない。

 

さて、10代半ばで親元を離れ遠い都会の他人の家へ行く。人も地域も全く異なる環境で使われながら生活された娘さんたち。その度胸や忍耐に深く感心させられる。無事に生きてこられ、今日お会いできるのはある種物語だ。

 

今日の四ツ屋浜

 今日の四ツ屋浜

12月28日、今年も有り難うございました そしてDream

2011年12月28日(水曜日)

本日12月28日、樹下美術館は今年の営業(?)を終了しました。早いものでいつしか4年を終えたことになります。

 

樹下美術館らしく静かに過ぎましたが、お陰様で今年は昨年より2割多くのお客様にお見えいただきました。皆様には心より感謝申し上げます。


Dream:The Pied Pipers & Ernie Feli
曲のほぼ半分が全音符、とてもゆったりした曲。

学生時代から好きだった曲Dream。ザ・パイド・パイパーズのDreamは、女性のメロディーを男性が三部の中低音で支えます。そのため倍音の層が厚く、豊かなハーモニーが響きます。こうしてYou Tubeではじめて見た彼らの映像は1940年中頃~50年代のものでしょうか。

Dreamのメロディーは単純ですが、コード進行はかなり高度です。それを非常に丁寧かつCozyに歌い、冬にぴったりですね。クラリネットのバンドももっぱらコーラスを引き立てて、さすがです。

さて来年は開館6年目、収蔵図録はまだ完成しませんでしたが、もう少しです。第二の長い受験勉強中という感じです。

展示作品はもちろん、大橋秀三さんの建物、お茶と庭、食器と椅子、いくつかのイベント。来る年もどうかそれぞれに樹下美術館をお楽しみください。

本年はまことに有り難うございました。

上越市大潟区 マルト歌代商店のいちじくの缶詰

2011年12月27日(火曜日)

患者さんから何かと頂き物をする。こちらが上げなければいけないのでは、と申し分けなく思っている。

 先日はコロコロとした美味しそうなサトイモをいっぱいいただいて皆で分けた。

 

いちじくの缶詰
 

予約したのが来ました、とこのたび上越市大潟区、マルト商店のいちじくの缶詰をいただいた。

 

砂丘の大潟の産物にと故歌代万吉翁の苦労が実った1907年来の缶詰。今年はいちじくが比較的良かったと聞いて嬉しかった。

 

本日は紅茶といちじくに少々のウイスキーを加えてみた。香りが立ち甘味も増して冷たいいちじくがいっそう美味しくなった。

 

  皆様にいただいてばかり、来年も精一杯がんばろうと思った。

  マルト歌代商店:上越市大潟区潟町159番地  電話025(534)2155

 

大雪は温かな海のせい?

2011年12月26日(月曜日)

連日大雪の予報が伝えられるが、上越市大潟区ではほとんど積雪が無い。その一方で山沿いは雪下ろしや除雪で死傷者がでるほど大雪となった。 

 

浜線の道大潟区・鵜の浜温泉の付近

 

冬のはじまりはしばしば沿岸に多く雪が降る。しかし今年は最初から山に降った。恐らく秋以来の温暖気象によって海が暖まり強風とあいまって沿岸は積雪を免れているのだろう。一方温かな海は大量の水蒸気を上空の寒気に送り込み、内陸に大雪をもたらした可能性がある。

 

大雪の妙高市には親族もいる。一旦寒波が去ることを心から願っている。

年末に奉公を思ってみる その1:言葉と行儀 尚明さんの来訪

2011年12月25日(日曜日)

父を継いで上越市大潟区で開業していつしか36年が経っている。一つ急患を振り返れば、当初は入院よりまず往診だった。自家用車も救急車も一般的ではなかったせいでもあろう。そのことは当地だけでなく、時代の事情はいずれも同じではなかったかと考えている。

お陰で沢山の急場を経験させていただき、ためになった。今回は疾病でなく家の様子などを綴ってみたい。

 

例えば夜10時すぎにこんな電話が掛かる。

「ああ先生かね、オラチのオッカが寝るセッたら心臓がコワイセッてるんだわ、来てくんないかね」。

 

それまで過ごした東京だったら多分こうだ。

「夜分申し分けありません、先生ですか。○○の▽▽ですが、妻が寝ようとしたら心臓がつらいと言っています。恐れ入りますが来ていただけませんか」

 

奇妙なことに電話は何処の誰だれも言わずに始まることが少なくなかった。急患とはいえこれは一体何だろう。

ところが家に伺ってみると様子が違うのである。

家族の誰かが家の前に出ていて、「夜分お疲れさんです」と言って鞄を持って歩こうとする。

診察が終わると「有り難うございました」と言って、先を歩き、雨ならばカサ差そうとされた。特に在(田んぼのある地域、山に近い地域)に行くほど丁寧を感じた。

 

電話と現場のあまりの違いが不思議だった。電話のぶっきらぼうは急用だからか、あるいは電話に不慣れなのか、それとも料金がかさむので短いのか、などと考えたがよく分からなかった。

ところで、今ではさすがに少なくなったが一部ご主人の無関心も考えさせられた。夜間に往診をしても居間でタバコを吹かしてテレビを見ているだけ。親のことなのに顔も出さなければ挨拶もせず、みな奥さん任せという家も珍しくなかった。

 

そんな中で言葉も行儀も良い奥さんやお婆さんとたびたび出会った。不思議だな、と思っていたが、後で彼女たちには奉公に出た人が少なからずいる事を知った。

 

「はい」、「いいえ」、「わかりました」、中には、「左様でございます」etc。これらを聞いて、奉公に行きましたか、と尋ねると「行きました」と仰る人が多かった。

 

行儀でも目を見張ることがあった。玄関に伺うと小走りで出て座り、手の先をきれいに合わせてお辞儀をされる。帰り際も、ススと先を歩き、「履き物も揃えませんで」と言いながらひざまづいて靴を揃えてくれるのである。

知らなかった世界、奉公。時間をみて皆様からいくつかお聞きした。知らなかったのは自分だけかもしれませんが、機会をみてまた書かせていただきたいと思います。

本日午後から陶芸家、二代陶齋・齋藤尚明さんが母の弔問にこられた。50年以上も経つが尚明さんたち陶齋のお子や甥姪の皆さんは陶齋とともに何度か我が家に来られた。
本日は家で食べた母の餃子のことを仰り、庭の起伏や海への道なども覚えておられた。わずかに残ったシュトーレンをごいっしょした。

 

最後の一切れ 長い間楽しみました、とても美味しかったです、ごちそうさまでした。

現在22:30をまわった。風強くごーごーと海鳴りが聞こえる。明日の予報も悪いが風雪は弱めにしていただきたい。当院は紹介状をよく書く。本日はこれから二通だ。

サイレント&ホリー 

2011年12月24日(土曜日)

今朝雪が降ったが日中は静かに晴れた。習慣レベルとはいえイブらしい澄んだ感じの日だった。午後、朝日池周辺を回って美術館へ行った。

 

朝日池の入り江で過ごすコハクチョウは雪と白さを競うが如くだった。ツグミやスズメなども撮った日の夕食はローストチキン。妻は上手く焼いたが、沢山鳥を見たので正直憐れみを禁じ得なかった。

 

1コハクチョウ 2樹下美術館の灯り

 

今年の樹下美術館はイルミネーションを止めて庭の三基の灯りを閉館まで一時間点けている。灯りは暮れる頸城山脈とともに静かだった。樹下美術館も鳥や山脈の如く自然でありたいと思っている。

 

3マガンの着陸田んぼのへりに車を留めたらヒシクイ(多分)が降りた。
水かきのオレンジ色が可愛い。

 
4キカラスウリとカマキリの巣キカラスウリとカマキリの巣。高さは60㎝くらい。雪は平年並みか?
米山水源カントリークラブの近くで。

 

5クリスマスローズ樹下美術館のクリスマスローズ。
ほとんどは早春に咲くが一輪だけ雪中で咲いている。

 

キムブーさん、パパ、ママ、今年もあり難うございました。

齋藤尚明さんの陶板額と銘々皿

2011年12月23日(金曜日)

過日上越市、髙田の遊心堂さんで齋藤尚明さんの作品展があった。今日、そのとき求めた銘々皿セットと額入りの陶板が届いた。

 

尚明さんの作品とお菓子

茗荷の花の陶板額は非常に爽やかで、紺と金縁の額装も申し分無かった。季節になったら家の玄関に出したい。一方白磁の銘々皿は来春から美術館のカフェで御抹茶のお客様に使うつもり。皿の白磁は真っ白でなく、淡く青磁の色を出している所がお菓子や食べ物に馴染むんだ、と思った。

尚明さん、良い作品を有り難うございました。

初めての人間ドッグ 大潟区・朝日池の壮観な鳥類の飛来 

2011年12月22日(木曜日)

いつものように午後から休診日の木曜日。本日初めて人間ドッグを受けた。場所は上越医師会の上越地域総合健康管理センター
2007年3月まで4年間医師会長をした足許のような場所だけに、そこで体を晒すのは恥ずかしくもあり、逃げ出したい気持ちを禁じ得なかった。

 

樹下美術館を始める直前の4年前に、念のため知り合い医師から色々診てもらった。しかし何かと言われる医者の無養生は私にも的外れではなかろう。

 

いよいよ70才が近づき、人生も健康も終盤に入った。妻がさっさと手続きをしてくれて、来年1月の胃カメラを残し、同所で出来るほぼ全ての項目をチェックしてもらった。

 

いずれの検査も丁寧だった。腹部超音波の画像は極めて鮮明であり、機種は今年導入された最新のものだった。こまやかな操作による頸動脈エコーでは、案の定老化の兆候が見られていた。

 

高校時代に患った肺結核、かって吸っていたタバコなどで心配していた肺のX線とCTは一応無事だった。後日全てのデータが届くが一抹の不安もある。

 

鳥たちの飛来
 

検査を終えて樹下美術館へ寄ってお茶を飲み、朝日池へ行った。午前中に患者さんから、白鳥が沢山来ましたと聞いていたので見たかった。

 

池に白鳥は留守だったが、雨風が強まる中、おびただしい雁、鴨類が飛来して壮観だった。現在、当地上越市大潟区に雪は無いが、明後日からの週末は大荒れの予報が出ている。夜になって大音響で雷が鳴った。どうか大雪だけは勘弁してもらいたい。

 

心配だった小学校の胃腸炎は明日からの冬休みを待っていたように、本日欠席ゼロとなった。終息とすると始まりから18日を要したことになる。入院が無かったことがせめてもの幸いだった。比較的珍しいC群ロタウイルス集団感染は、さまざまな知見を残して去って行くようだ。

お年寄りから頂いた手作りの花札 

2011年12月20日(火曜日)

毎月訪問するお年寄りから花札を3枚頂いてきた。

花札
「足腰も頭も回らなくなって何も出来なくなりました」とおっしゃる。 

 

 恥ずかしいけど花札を見ますか、と言って用意した袋を開いてくださった。古びた花札が入っていた。驚いたことに、若い時に自分で作りましたと言われた。

 

台紙は厚いケント紙にタバコのピースの箱紙を貼り合わせる。黒インクのペンで輪郭を描き、墨と色絵の具で塗ったという。裏表に蝋を使って仕上げてあった。

 

上手な絵、丸く取ったかど、ふちの折り込み、作りはまことに丁寧で堅牢だ。売っている物に見劣りしないばかりか、オリジナルの価値も感じられる。

 
一組48枚、何組も作って人様にも上げました、と。もうじきお正月、これで遊んだ子ども達や家族の楽しげな様子が目に浮かぶ。

 

何て素晴らしい、本当にお上手だ、見たことがありません、と感嘆した。ああ恥ずかしい、でもそんなに褒められて嬉しい、と沈んでいたお顔に笑みが現れた。

 

ずっと短歌も詠み続けたということだった。昔をあなどるなかれ、昔の人をあなどるなかれである。

司修先生 第38回大佛次郎賞受賞!

2011年12月19日(月曜日)

12月18日の当地朝日新聞朝刊の文芸欄は一面6段抜きで第38回大佛次郎賞決定のニュースを伝えました。受賞者は司修氏!6人の選考委員は絶賛でした。

 

大佛次郎賞を伝える新聞ぐるりと選評、写真の先生は少年のように晴れやかなお顔。

受賞対象は「本の魔法」(司修著 著者自装 2011年6月15日 白水社発行)。めったに出来ない著者自装が司先生には沢山あるのです。また私の手元の「本の魔法」は8月10日の第2刷ですので、人気ぶりが嬉しいです。

わずか一ヶ月前11月17日午後、樹下美術館で「雪国の画家 倉石隆」をご講演いただいたばかりでした。深く感動し印象も鮮やかなうちに大佛次郎賞とは、これ以上ない慶祝ニュースです。私たちまでおめでとう、と言われました。来年1月27日帝国ホテルで賞の贈呈式ということでした。

「本の魔法」はかって装幀したおびただしい本の中から15冊を選び、装幀完成までの事々が書かれています。それぞれ15の章については藍、朱、闇、銀、灰などと色のタイトルが付され、画家ならではの感覚と手法です。

 

恥ずかしいことにのろのろしている私は50pほどしか読んでいません。しかし装幀に拘わる間の作家とのやりとりは例えは悪いかもしれませんが、互いが医者と患者であるようにも見えます。道程では本を読み込み立場を何度か入れ替えながら深く到達点を探り合うのです。
氏の装幀は“ひりひりするような”(選考委員の一人船橋洋一氏選評)作業、とも述べられました。

完成した本はすぐに旅立ち、作家とはお別れです。先生はどれだけ多くこのようなことを繰り返されたことでしょう。痛むほど心込めたのですから年月が経つと、本と装幀者は懐かしげに再会することがあるのかもしれません。

 本とお葉書
受賞の本(左)と最近頂いたお葉書。
今回は2回目のご来訪でした。来年もどうかまたいらして下さい。

あんなに神経をすり減らしておられるのに、お会いする先生はとても優しくお元気です。鍛え抜かれた方なのだと思います。

先生、これでいくつ目の人生が始まるのでしょう。どうかどうかお体を大切にずっと長くご活躍ください。

4日間休校した小学校の胃腸炎。休みの間、課題が沢山出ていて元気が出始めたお子たちは忙しかったらしい。本日まだ新規発症が数名あったということ、まずしっかりお休みして欲しい。

素晴らしいアールデコ様式 かつての昭和大学病院

2011年12月17日(土曜日)

以下は私の母校・昭和大学の旧病院正面玄関からの写真です。昨年度版の同窓会名簿の表紙を飾っていました。このたびたまたまの用事で名簿を手にとって少々びっくりしました。

 

昭和大学病院の旧玄関から
後方に新棟、手前は建て替えによって無くなった旧昭和大学病院。
(品川区旗の台)

あらためて建物を見れば素晴らしいアールデコ様式だったのです。最後に見たのはいつだったか忘れましたが、当時の自分には建築様式のことなど全く頭にありませんでした。

強調された幾何学的な直線、屋上の円のしつらえ、見事なシンメトリー。100点満点のアールデコでした。今あれば走って見に行きたい気持ちがします。

創立10周年を記念して、昭和13年(1939年)5月に竣工した病棟です。内部の壁面にイタリア製の大理石をふんだんに使い、エアシューターも完備されて「東洋一の病院」と言われた堂々たる建物でした。

昭和40年代、私は写真右手の二階にあった内科で8年の医局生活を送りました。後年アールデコの虜になったのも、この建物が心に染みこんでいたのかもしれません。当病院で学べたことを幸せに思っています。

トイレが追加されます 

2011年12月16日(金曜日)

ご心配をおかけしています大潟小学校が休校に入って二日目。全校消毒も完了し、生徒への聞き取りで感染は急減しているということだった。休校が解かれる明後日からは終息と言える状態になることを願わずにはいられない。

 

懸案のトイレについて、本日学校関係者が見えて増設の対応案が説明された。それによると今からの新設では時間がかかり過ぎるので、現在閉鎖されている体育館のトイレを直ちに活用したいと伝えられた。

 

場所は校舎に直結していて5つの便器がすぐにも使用可能ということだった。若干数に不安はあるが、学校側は自ら考えたこととして責任を持ち、清潔を心がけ混乱の緩和に役立ててもらいたい。

 

このたびのことで、手洗いはもちろん嘔吐への適切な処理の習熟や、トイレの衛生をいっそう徹底すべきだろう。養護教員だけでなく、教師全員がひとしく当事者意識を深めることも重要だと考えられる。

 

消化器を狙うウイルスの流行はむしろこれから。苦しい経験を生かし冬から春を無事に乗り切ってほしいと切に願っている。

C群ロタウイルス集団感染

2011年12月16日(金曜日)

一昨日小生が学校医として関係する小学校におけるロタウイルスが想定される集団感染を書かせていただいた。

昨日木曜は午後を休診としているので、仕事のあと学校と教育委員会を訪れ現状の確認と対応を相談した。

 

学校では教職員、教育委員会職員、県職員によって大規模な消毒作業が行われていた。マスクにビニールのカッパは原発事故の作業を思いおこさせた。

学校関係者と面談の後、教育委員会へ向かった。医師会の事務長と途中で会い、立会人として同行してもらった。午前中に課題の骨子を同所にFAXしてあったのでスムースな対応だった。教育長はじめ5人の担当者が出席され真剣さが伝わった。

様々な情報交換と話し合いを行い、トイレの早急な増設に同意していただいた。ご理解に感謝を禁じ得ない。

 

【現時点における一定のまとめ】

●原因ウイルス:教育委員会で、その後の分析でロタウイルスはC群だったと県から報告された旨知らされた。大きな疑問の一つ、なぜ保育園でなく小学校だったか謎が解けた。
通常流行するA群は乳幼児の間で発症するが、C群は小学生を中心に年令が上がる。教職員など大人が罹患することもあるということで、現に今回は児童の親、中学生の兄なども一部罹患していた。

●発症時期と感染経路:そもそも当ウイルスの集団発症は希で、起こるとしても冬の終わりから春にかけといわれている。それに比すれば当校は極めて早く、12月だった。
経路については判然としないが、いくつかの報告のように,食品ではなく人→人の可能性を否定できない。いかに早期に対応し切るかが鍵となるが、大規模校ほど長引く可能性があろう。 

●出席停止などの対応このたび最も困難を感じたのは罹患児に対する出席停止の期間と学級や学年閉鎖の問題だった。重症度は各人さまざまだったが、下痢の十分な回復には一週間前後~10日以上は掛かっていたのではないだろうか。予想以上に長い印象を受けた。

罹患後の登校について一般に言われる主治医の判断や、完全に快復してからという原則にも曖昧さを禁じ得なかった。軽くはなったもののウイルス排泄を残したまま登校し、全体に遷延した可能性がある。今後の重要な課題だろう。

●再びトイレ:インフルエンザではおよそクラス単位、学年単位でまず発症する。しかしこのたびはクラスや学年で始まることはあっても、すぐにそれらを越えて次々と広がった。このことも不思議に感じていた。報告されている集団感染においても似たような事情が見られている。
これらは児童がある程度共通して使用するトイレが感染拡大へ大きく関与した可能性を示唆しているのではないか。特に今回は3階建ての校舎建て替え工事にって、通常よりも混雑するトイレ事情も無視できない。

●まだ油断できない:発生して10日が経過した。本日から4日の休校、その間に全校消毒である。いくつかの報告で終息には二週間から一ヶ月近くかかっている。まだまだ油断はできない。

●報告:500人を越える規模の学校における大規模な流行。無事終息したら保健所は学校と協働の後、中央の感染症情報センター(IDSC)へまとめて経緯を報告してもらいたい。

  

児童たちの無事と完全な終息を祈り微力を尽くしたい。  

ロタウイルス大規模流行の洗礼

2011年12月14日(水曜日)

自分が学校医をしている小学校が感染性胃腸炎(ロタウイルスの可能性)の大規模で執拗な流行に見舞われた。主要な症状は下痢である(初期には嘔吐、発熱もしばしば見られる)。

 

初期を過ぎれば回数は減るものの下痢は執拗に続く。12月5日から始まった流行はまだ終息せず、明日から二日間、土日を入れて4日間の休校の対応となった。この間保健所の指導の下で全面的に校内の消毒が実施される。

 

入院者が出ていないのが不幸中の幸いだが、決して油断はできない。

経過からいくつかの問題を感じた。

①年令ロタウイルス感染は一般に乳幼児をターゲットに流行する。しかるにこのたびは小学校が直撃された。直近の二つの保育園では目だった流行がみられていない。なぜなのだろう。

 

②規模と限定性上越市内では単発的な感染性胃腸炎が断続してみられている。それがなぜ当校だけ集団感染を起こしたのだろう。500人規模の学校で既に90人近い発症だという。発症数は後日訂正された数にしてあります(12月16日)。

 

③トイレの少なさ当校は秋以後、来年7月を目指して3階建て一棟の校舎を建て替え工事中であった。昨日そのことが気になって尋ねてみた。工事によって男女別に合計6カ所のトイレの使用が出来なくなっていると知った。残ったトイレを使うので通常のほぼ1,5倍の混雑が推定された。

 

以上感染年令と強い限定性などから、特異な要因が想定される。普段から学校の保健衛生への取り組みは熱心だった。特殊な原因があったとすると工事によって減少したトイレ、その結果生じた混雑使用を無視できるだろうか。

 

発症した場合の下痢(あるいは嘔吐も)は激烈だ。児童たちが混雑するトイレで我慢を強いられひどい失敗をしたり、落ち着いてあと始末が出来なかったりしなかっただろうか。あるいは混雑による濃厚な汚染によって清掃が間に合わなかったなどはなかっただろうか。
もしこのようなことが常態化していたとすれば、他に明確な原因が無い限りトイレの実情は極めて憂慮されよう。

 

そして濃厚なウイルスの汚染持続は年令を超える流行となった可能性がある。ウイルスは常にターゲットを求めている。それが突然爆発的に流行するには特別な隙間を考えざるを得ない。

 

果たして対応は消毒だけでよいのだろうか。

 今後ノロウイルスもまだあり、しばしば消化器症状を伴うインフルエンザの流行が本格化する。
当校には生徒数に見合った数のトイレを早急に整備する必要があろう。簡易ではないしっかりとしたものを是非ともお願いしたい。 

 

 このたびは養護教員から色々相談を受けたが如何ともし難く反省している。保育園への伝播や重症者が出ないことを切に願うとともに、トイレの件を教育委員会にお願いすることにした。

 

クリスマスイルミネーション大潟区犀潟駅のクリスマスイルミネーション、商工会がペットボトルで造った。

子どもたちが早く元気になり安心してクリスマスを迎えられますように。 

雪の梶の一本道  

2011年12月12日(月曜日)

さほど気温は下がらず雪もない。しかしこれからおよそ2月いっぱいまで雪国の悪天候は続く。

 

本日往診の時、大潟区・坂の下から吉川区・梶十文字へ続く一本道が妙にハッキリ見えて写真を撮った。

 

梶の一本道

 

梶までおよそ4キロ、以上のような往診をした当時の父より私ははるかに年をとっている。

 

それでも仕事ができるのは、道が舗装され、除雪され、信号が付き、暖房まで出来る車があるからにほかならない。

 

しかし当時の父が私より不幸だったかというと、決してそうとは言えまい。

ふいのおとずれ、初冬の花鳥風月  月蝕までも

2011年12月10日(土曜日)

昨晩は雪もさほど降らず日中に陽もさした。風が無かったので外を歩くときの耳や頬の冷たさは気持ちがよかった。

 

バラはさらに開いた。昨日まで花びら三弁を開いていたのが5弁になって誇らしくさえ見える。

今日の薔薇
昼過ぎの晴れ間に華やぐバラ。

この花を見に行くと辺りに居るシジュウカラが必ずジュジュと鳴き出す。如何にも邪魔をするなと言っているようだ。

 

今日の鳥毎日ここで鳴いているシジュウカラ。

 

そして夕刻4時半すぎに何とも鮮やかな月が上った。月齢14という月の丸みは余裕を感じる。

 

今日の月夕刻に出た月。

 

なるほどなるほどシジュウカラと薔薇、気持ちの良い冷気、そして月。見事な花鳥風月ではないのか。鳥もバラも静かな冷気もこの日のわずかの晴れ間を知っていて密かに月を待っていたのか。

 

ならば薔薇の一心もわからないでもない。さらに明日は満月、深夜に月が出れば祭りの本番、しかも皆既月蝕だと妻が言った。「まさか!」であるが晴れれば楽しいことになる。

 

 
Moonglowはスタンダードの名曲、映画ピクニックではモディファイされている。

 

追加です:日付変わり12月11日午前0時35分、庭に出ると小雨の中、幸運にも流れる雲間に三日月から半月になろうとする戻りの月蝕が見られました。

 

月蝕1
見慣れた三日月から見えだして

月蝕2
月は天頂に近づきましたので頸が痛くて、撮るのはとても苦労でした。
うまく撮れば赤いクレーターが写ったかもしれない。次回は来年6月だという。

 

ことさら特別な日を感じ、とても興奮しました。バラやシジュウカラはどうしているのでしょう。

冬のバラ

2011年12月9日(金曜日)

 聞いたとおり当地に初雪が降った。量は僅かで、昨日のバラは平気だった。

 今朝のバラ
初雪を知らぬと言ひて薔薇の咲く

 

今夜はもう少し降ると予報されている。寒い分花持ちは良いと考えられる。いつまで頑張るのだろう。

明日の雪知るや知らずや薔薇の花

2011年12月8日(木曜日)

底冷えがして一日時雨れた。明日は雪と何人かの人に聞いた。次第にいつ降ってもいい感じになってきた。

 

こんな時期に真っ赤なバラが咲いている。もう少し早ければもう少し多くの人に見てもらえるのに。

 

それともこのように赤々と咲いて厳しい冬を過ごせと言っているのだろうか。

   赤いバラ

明日の雪知るや知らずや薔薇の花 

                                                                              

齋藤三郎の雪輪紋蓋置 静かな染附(そめつけ)

2011年12月7日(水曜日)

冬を迎えて樹下美術館に齋藤三郎の小ぶりで珍しい作品がやってきた。茶道具の一つ蓋置(ふたおき)」。蓋置きはお点前で窯の蓋や柄杓(ひしゃく)を置くのに用いられる。主に竹で造られるが、時には金属や焼き物も使われる。

円形の六華である雪輪紋は家紋にあり、小紋として着物にもあしらわれる。集まっても散ってもよしの上品な紋様だ。

 

蓋置の箱雪輪紋蓋置と書かれた箱

雪輪紋蓋置
雪輪紋蓋置。 縦横5.8×5,5㎝
藍色を発色する顔料・呉須(ごす)で描かれた染附(そめつけ)の色が静か。

箱の裏書き「對庵席開記念 高陽 陶齋造」の裏書き。對庵という茶室の席開き記念として関係者に贈られたであろう作品。昭和20代~30年代の様態だが、どこの茶室記念だったのだろう、調べてみたい。高陽は三郎の窯の名、風船窯とも言う。

 

サイン筒の内側に書かれた陶齋のサイン

このように突然作品が入って来て、図録に加わる。あせる気持ちを鎮めつつ、図録刊行は来年5周年の記念出版とすることにした。どれだけ伸びれば気が済むのか、自戒めいた毎日が続く。

妙高市山本製餡所の栗羊羹 暮れの灯り

2011年12月5日(月曜日)

いつも楽しみにしているブログ「軽薄短笑」さん。ある日の記事に、かって使用したワープロ東芝RUPOのフロッピーを標準テキストに出来なくて困った、と書かれていた。

 

私の家の片隅に比較的後期のRUPOがひっそりと眠っていたので、お貸ししますと、ブログ主のK氏にメールした。

 

話が進んで樹下美術館でワープロをお渡しすることになった。普段ブログがきっかけでその筆者とお会いすることはまず無い。お会いしたK氏は心身ともにきりりとして、いかにも磨かれた人の印象を受けた。

 

RUPOでPC向けにテキスト変換するには、1ファイルごとに新旧フロッピーの入れ替え作業が必要となる。メカ音痴の自分が操作に到達するのは大変だった。しかし封印された自作文やデータがよみがえるのはある種感動もあった。

氏は私の何倍もRUPOの記録があるらしかった。メカに強い方と想像していたが仕事量は膨大だったことでしょう。

 

本日全てを終了したと仰って機械が帰って来た。妙高市の山本製餡所の「栗羊羹」を頂戴した。ずっしりとした手応えの羊羹はとても美味しかった。お忙しいのにわざわざお寄り頂き、羊羹も頂戴し恐縮した。これからも「軽薄短笑」さんの益々のご活躍をお祈りしたい。

 

栗羊羹
羊羹は清水卯一の白釉茶碗にとても合った。

 

灯りの軌跡一昨日の夜、友人と会食した帰り道、代行の車窓から撮った灯りの軌跡。
自分にはこんな造形を描こうと思っても描けない。写真なら簡単なのに。

甥夫婦が作ったシュトーレン

2011年12月4日(日曜日)

新婚の甥夫婦からシュトーレンのプレゼントがあった。心暖まるラッピング、二人ともパン職人なので見るからに美味しそうだ。シュトーレンは上越でも売っているようだが、私たちは初めてだった。

 

シュトーレンのプレゼント
ドリー・バーデンの器で味わってみる。 

 

ドライフルーツやナッツが入った重めの菓子パンで表を砂糖で白くしてある。ドイツ発祥のこの食べ物はクリスマスまでの4回の日曜日ごとに切って食べるのが伝統らしい。しかし現在では時節にこだわりなく食べられているという。

 

切って食べてみる歯触り風味甘さみな素晴らしく、“美味しい!”と言って妻と顔を見合わせた。

 

これからどんな風に変わるのか、クリスマスまで毎週少しずつ食べてみることにしよう。

 ドイツ語シュトーレンは英語のストールであろう。白いおくるみ(シュトーレン)に包まれた赤子のイエスを現しているようだ。それをスライスするのはやや気が引けるが、有り難く賞味した。

こたつのホゾ 何かしらの役割

2011年12月3日(土曜日)

夕刻から雨風が強まったが、気温はさほど下がらない。それでも家々ではコタツが出たりストーブが出ている。

 

「忙しいですか」、日頃あえてお年寄りに尋ねてみる。すると一瞬エッと驚かれ、すかさず「アハハ、草取りくらいですわ」などと返る。この時、どこか嬉しそうなお顔になっているので張り合いだ。あるいは嫁が仕事をさせてくれない、と返ることも少なくない。それはそれで愚痴めいた話をしてもらう。

どうしてますか、に対してこれから以下の答えが多くなる。

「コタツのホゾですわ」

「コタツと相撲とっています」

「コタツにしがみついていますわ」

「コタツ番です」

 なるほどなるほどうまいな、と感心する。自分の立場や時間を笑ってみせるのは立派な文化だ。 

 

母が居た頃、出来ないと分かっていても外出には「留守番たのむよ」と言って出た。

すると寂しい顔もせず「はい行っておいで」、とかえって機嫌のいい返事になった。

人はいくつになっても、たとえうまく出来なくとも役割を喜ぶにちがいない。

 

母と飲んだ紅茶
今は懐かし、昨年5月に樹下美術館で母と飲んだ紅茶。

画家篠崎正喜さんから

2011年12月2日(金曜日)

画家篠崎正喜さんからメールが来ていた。今夏亡くなった拙生の母のこと、昨年亡くされたご自分のお母様のことが書かれていた。

 

氏は都会の親子暮らしの中で、多くの病を越えられた97才のお母さまを在宅で看取られている。

 

最後に以下の文面があった。 

当初の嵐のような喪失感は薄れ、
今は深々と冷える、厳冬のような寂しさです。
人は自分のためには生きられない。
人は誰かのために生きている。
つくづく、そう感じています。

今までは母のために頑張って来ましたが、
これからは広く社会のために生きよう、と思っています。
今、人生を集大成する作品シリーズに取りかかっています。

 

M_夜明けのダンス
添付にあった篠崎正喜作:夜明けのダンス、クリックして見てください。
あるクライアントの依頼で描かれた若き日のお母さまのイメージ絵。
いつもながら美しい色彩。タッチが少し変わったようにも思われるが
それがまた楽しい。

 篠崎正喜さんのホームページから 美しいピクチャーブックと興味深いブログが見られます。    

 

そして本日氏からピエール・マルコリーニのチョコレートが届いた。

 

ボックス

お洒落な黒いボックス。

チョコレート
なんとも魅惑的。

医師会報の表紙 個人に支えられる個人美術館

2011年12月1日(木曜日)

毎月発行される新潟県医師会報。その11月号の表紙を樹下美術館が飾っています。写真を投稿して下さった方はある病院小児科の先輩医師で、長い間とてもお世話になっている方です。好意的なコメントもお書きいただき感謝に堪えません、有り難うございました。

 

医師会報樹下美術館が表紙の新潟県医師会報11月号
学術、医政、随筆、情報などでおよそ60ページ、毎月発行される。

個人美術館を支えてくださるのは個人の皆様、ますますその有り難みを実感しています。
 

夕刻の樹下美術館夕刻、閉館間近い静かな時間。

 

今日は庭のあちこちにある枯れ草を刈りました。節電ということで例年のクリスマスイルミネーションは中止にしました。代わりに午後4時から閉館5時の一時間だけ庭の灯りを点けることにしました。

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