2012年7月

コムクドリその10 あっけなかった巣立ち。

2012年7月31日(火曜日)

昨日は7月12日のコムクドリの様子を記した。当日は給餌開始から16日目に当たっていた。叫ぶようなつがいのオスの鳴き声や給餌が減ったメスの様子に、巣立ちを迎える緊張が感じられていた。

 

ヒナと親鳥が啼き交わし、次々と巣から飛翔する。ヒナは猛烈に啼いて餌をねだり、親子は周囲の木々を移動する。巣立ちにそのような光景を想像していた。

 

しかし7月13日、この日仕事が忙しかったせいもあり、観察は断片的だった。予想に反して目にした巣立ちはあっけなく、ある意味静かに行われたようであった。

 

 ①10:38
10:38 ウロ(巣)から出てきたヒナ(メスであろう)。ぼさぼさの毛、黄色みを帯びたくちばし、目の周囲の白さが目立つ。

 

②11:42
11:42 ビョッ、ビョッ、ビョッ、ビョッ!餌をねるような鳴き声が聞こえる。
近くのエノキにメスのヒナがいた。

 

③12:13
12:13 たまたま写っていたウロ付近のヒナ。上記の個体との区別は判然としない。
位置関係もあるがやはりヒナは大きく見える。
無邪気な子、後方の満足そうな親鳥(オス)の様子が微笑ましい。

 

④12:19
12:19 間もなくメスの若鳥(右)が寄ってくる。

 

④15:20
13:20 巣にヒナが残っているらしく、時折親鳥が餌を運ぶ。

 

⑤17:00
17:00 夕刻となり、若鳥と考えられる鳥たちが沢山訪れた。
残るヒナの巣立ちを待っているのか、ある種“祭”のような光景だった。

 

スズメやカワラヒワ、ムクドリあるいはツバメさらにカラスなど、目にするたヒナは巣立ち後何日も親鳥を追い回して給餌を受ける。しかしこのたびコムクドリではそうした光景を見ることが出来なかった。

 

一方全体を通して、何かと寄り集まる若鳥たちの姿が常に不思議で印象的だった。

 

翌日7月14日、朝早く巣立ちは完了したのであろう、あたりからその姿が一斉に消えていた。コムクドリの養育は場所を移動しながら集団に同化して行われるのだろうか。

 

合歓の花
雨が少なく、巣を提供した合歓の老木は見事な満開となった。

 

次回は卒業アルバム風に写真を並べてみたい。

コムクドリその9 巣立ちの頃の緊張感。

2012年7月30日(月曜日)

美術館のノートであるのに、しばしば鳥やトンボが出てきて「生き物観察日記」の趣となってしまう。

 

少し前後しますが、くだんのコムクドリについて、7月22日のノートでヒナは無事に巣立ったようです、と記したままになっていた。

 

実は去る7月13日、巣立ったひなと考えられる個体が撮影された。この度はその前日7月12日の様子を記して見たい。

 

この日は木曜日で午後から仕事が休みだった。オスの様子に緊張が感じられ惹き付けられた。数日前からヒナの啼き声が一段と大きく鋭くなり、巣立ちが予感されていた。

 

1
10:26 抱卵、ふ化など、ことある度にウロ周辺に集まるつがい以外の鳥たち。

 

3
13:56 雨降りの中、ウロへと給餌にいそしむオス。

 

4
14:17 餌を運ぶのはオスばかり。メスは?

 

5
14:19 鋭く響く啼き声を上げるオス。メスを呼んでいる印象。

 

6
14:50 ようやく現れたメス。桑の実らしいものを運んだ。

 

およそオスメス交互(実際はオスがやや多く運ぶように思われたが)に餌を運んでいたつがい。ところがこの日の午後はメスの姿がめっきり少なく感じられた。

 

雨降りと疲労でダウンしたのか、もしやヒナの一部が巣立ちしてそちらの給餌に注力しているのか。「ギー!ギー!」、大声で啼くオスの様子に緊迫感があった。

 

拙い観察によると6月27日の給餌開始から16日目である。巣立ちは迫り、それは親子ともに緊張のイベントであろう。

 

次回は、巣立ったばかりのヒナが観察できた7月13日の様子を記してみたい。

今年は可愛いお靴で。 夕刻におしゃれなハグロトンボ。

2012年7月28日(土曜日)

連日の猛暑となった。しっかり水を遣らないとぐったりする花が出てきた。見ていただく庭を心がけているので、枯れた花などにも気配りしなければ。

夕刻の水遣りはみっちり一時間半、6時すぎに終わった。ホースを片づけていると庭隅にひらひらする影がある。細い胴と黒い大きな羽のイトトンボが数羽、近づくと低い所をひらひら、ひらひら舞うように飛んだ。おしゃれなトンボだった。

オス
ハグロトンボという名だった。オスの胴は青いメタリック調。

メス
メスは黒い胴でシックな感じ。

本日、上越市の方々のほか、新潟市と長野市からもお訪ね頂いた。長野の若いお二人は作夏、乳母車に赤ちゃんを乗せて来られた。

その時の赤ちゃんは本日可愛い靴を履いて歩き、立ち止まって私を見た。来年の夏もまたきますと、仰ってお帰りになった。可愛い赤ちゃん(お嬢ちゃん)、大切なお客様。

夕暮れの海で車ごはん。

2012年7月27日(金曜日)

明日は丑の日だから海でうなぎを食べよう、と昨日の妻。

 

どうかなと思った今夕の海と空は穏やかに暮れていった。今日は鵜の浜温泉のすぐ先、上下浜だった。

 

浜
先客の皆さん。

 

うなぎ

 ついにうなぎが出てきた。妻は缶ビール一本、私はオールフリー一本。

 

 車とマリンホテル
背後にマリンホテルハマナス、海辺に私たちの車。

 

2010年9月に始まった夕暮れの車ごはん。先日の田んぼを入れて今日は5回目となった。当初はコンビニ弁当だったが、このところ妻が自分で色々と用意し始めた。

 

外国なんか行かなくてもいい、と沖の佐渡汽船を眺めながらの食事。食器が多くなったので、メラミン板などを加工した二つ折りの専用プレートを作ってもらうことにした。

さまざまなな契機で。

2012年7月26日(木曜日)

80半ばを過ぎたAさんは、浜や松林の清掃ボランティア、大がかりな日曜大工など何でもなさった方だ。ところがこの一両年頭が重い、胸が苦しい、やる気が出ない、と嘆きが先立つようになった。

 

いくつか病院を受診されたが、脳動脈硬化と老人性うつと言われるだけ、と険しい顔で不満を口にされる。家では何かと奥さんに辛く当たるようにもなった。

 

デイサービスへ行って生活リズムを変えてみることを何度か提案した。しかし、まだそんな所へ行く年ではない、の一点張り、活発だったAさんなら仕方ないのか。

 

試みに精神安定剤を変え、さらにここを受診してみましょう、とある病院を紹介した。

 

数日後の夜間、今度は奥さんが片方の眼を中心に三叉神経痛に似た痛みの症状を訴えられた。往診先で神経内科を受診することに決めると、傍らのAさんを見ておや、と思った。

 

いつもの険しい顔が和んでいる。聞けば、本日受診した病院は女医さんで、とても親切だったと仰る。優しい女医さんが効いたのか、変えた薬が効いてきたのか、以前のAさんらしい温和な表情が蘇っていた。

 

さて、奥さんは4,5日の入院の後、無事帰宅された。奥さんの入院中、何処へ行った、何の病気かと、Aさんは大変心配されたらしい。

 

奥さんの退院後、ご夫婦は以下の様な話をされたという。

「今度私はデイサービスに行ってみようと思うの。お父さんもどう、一緒にに行ってみようさ」

「おまんが行くならオレも行ってみるか」

 

思ってもみなかった相手の入院、それに女医さん?薬?老後であっても、いや老後ならばこそ、人や関係はさまざまな契機で変ることがある。

 

このたびは良い方向が期待される。やはり諦めることなかれなのだ。

 

夕陽と電車ほくほく線、夕焼け電車。

暑くなってきた。

2012年7月25日(水曜日)

今日、当地の最高気温は32℃だった。これまで比較的爽やかだっただけに相当暑苦しかった。

湿度が気になるところだが、上越市Yahoo!天気の湿度は15時に75%で平均的。明日21時は90%という、どうせならひと雨降ってもらいたい。


名残となったアジサイが玄関を涼しくしていた。

2畑午後の畑。涼しげだが懸命な水遣り作業に見えた。

明後日から一週間の予報はズラリ晴れマーク。そんな折り、干していた田では稲の穂(花)が出るのに合わせていよいよ水を入れるようだ。水の管理は大変重要で、お米の出来が左右されるほどだと聞いた(患者さんからの耳学問です)。

大雪だった冬、そのうえ夏が水不足だったら辛いところだ。何とか無事乗り切れますように。

夕刻の雲に感謝。

2012年7月24日(火曜日)

昨夕も見応えのある雲となった。手軽に素晴らしい形象を見せてくれる雲にはやはり感謝したくなる。

 

 

雲120723
昨夕、東北の空にかかった雲。巨大な白い鳥の羽を思わせる形もあった。

 

ジェット機が無かった時代、こんな空は見られなかったと思われる。

東海地方などではもっと沢山飛行機が飛んでいるにちがいない。 

夕刻はどんなだろう。 

 夏~秋は一段と雲がいい、当ノートも連日の雲。

 

昨日三条市からお見えのカップル様、遠路を有り難うございました。

皆様の「お声」 夏の庭 合歓(ネム)の雲。

2012年7月22日(日曜日)

1今日の樹下美術館の庭
華やかな庭から涼しくおおらかな夏の庭へ、今日の樹下美術館の窓外。

 

予報よりも恵まれ、午後から晴れ間も見えた日曜日でした。

 

樹下美術館のホームページにある「お声」のコンテンツを更新させていただきました。今年3月開館から6月末日まで、館内のノートにお書き頂いた来館者様のお声です。

 

一昨年の同期は61名の方が、昨年は86名、そして今年は104名の方が記載してくださいました。

 

今年も、「また来ました」[また来たい」「どなたかを誘った]、というコメントが沢山見られ有り難いと思っております。

 

樹下美術館は二人の作家の小さな常設展示館です。それゆえ年ごとにダブる作品が多くなりますが、趣向(見方)を工夫して展示しております。

 

人物画の倉石隆、植物の絵付け陶器の陶齋、ともにリピートに耐える作家に恵まれた事を今更ながら感謝している次第です。人物も植物も、描かれた「命のみなもと」「命のありよう」が、私たちの感受性と繋がり合うのかしれません。

 

2今日の合歓花
仕事場の合歓(ネム)が雲のようになって満開です。例のコムクドリたちは、一種不思議とともにこの樹の洞(うろ)から無事に巣立ったようです。

 

鳥のことは、いずれ写真と共に当ノートに書かせて頂ければと思っております。

雲は気象の代理人。

2012年7月21日(土曜日)

今年の上越地域は風穏やかで、ほどよく晴れほどよく降る。田畑をやっている人はもちろん、大抵の人はちょうど良いお天気という感想を仰る。

 

今冬は大雪で異常だったが、春以後は大変順調。現在庭の乾きもほどほどで、水遣りもそれほど神経質にならずに済んでいて助かる。

 

暑さの本番はこれから。冬の埋め合わせに、ずっと順調に推移してほしい。

1
17:21。本日夕刻、美術館に向かう途中、新堀川から東方面の雄大積雲。

 

2
18:28一時間少々後の帰り道、高く発達していた雲がすっかり変わっていた。

 

雲の変化はなんとも早い。少しよそ見をしているともう動いたり変わったりする。子ども時代の時計の長針のような感じがしないでもない。一両日は曇りがちな予報となっている。

 

富山からお寄り下さったカップル様、ブログにもお載せて頂き有り難うございました。

成長されたお嫁さん 桔梗、そしてカノコユリ。

2012年7月19日(木曜日)

昨日に続いて介護をされている方の話です。2010年5月にお年寄りの介護が始まって辛そうなお嫁さんのことを書かせて頂いた。

 

先日久しぶりにお宅を訪ねた。やや小柄、日焼けしたお顔にくりくりした目鼻のお嫁さんはすっかり変わっていて少しびっくりした。違う人のように落ち着かれ、このたびの用件の話もしっかり要領を得ていた。

 

あれから婆ちゃんはデイサービスも行ってくれましたし、ケアマネさんにも色々相談してやってきました、と仰った。

 

爺ちゃんの方は転んで骨折して手術をしたのに、あの通りです。庭に箒をもったお爺さんが見えた。大変だったろうなあ、と思って、「頑張りましたね、立派ですよ」と言うと笑みをたたえた大きな眼が少し赤らんだ。

 

それにしてもケアマネさんは頼りがいがある。この度は一定期間、訪問看護に来てもらうことにして依頼書を書いた。

 

 キキョウ
樹下美術館隣接の庭、今夕刻のキキョウ。

 

樹下美術館隣接の庭でキキョウが盛り。この花の自生を見ることは難しいが、昔は妙高高原でよく見た、と先輩にお聞きしたことがある。

 

小生は昭和50年代なか頃に、上越市吉川区で見た。山にさしかかる森の水辺でポツンと咲いていた。当時とて貴重であり、はっとした覚えがある。

 

さてこれから8月に入ると、白とピンク二種のカノコユリが咲き始める。とても楽しみだ。

 

本日午後、柏崎からお見えのお三人さん、有り難うございました。

幸福な親子 今日の夕焼け。

2012年7月18日(水曜日)

超高齢者(およそ85才以上の方)にとって、夏は冬よりも危険ではないだろうか。ご本人がさほど辛さを感じないうちに高熱を発したり、意識障害に陥ることも希ではない。熱中あるいは脱水症であり、時として尿路などの感染症を併発する。

 

90半ばのおばあさんはまる一日意識が無かった。しかし数日の点滴のあと、少しの粥、それに味噌汁とお茶で回復に向かっている。ひごろ息子さんは母親の車椅子を押して散歩に出るなど熱心な介護をされる。

 

不十分な食事を補おうと栄養リキッドをお出しした。それはとろりとして甘い。プリンがダメだったので心配したが、「甘いのう」と仰って飲まれたという。一安心だ。

 

「これはおまんの乳だから甘いんだわね」とせがれさん。

「あー、どおりで旨まかった」と患者さんは喜んだらしい。

おばあさんには一定の認知症がある。しかしこんな素晴らしい会話を交わされる親子もざらには居まい。我が子のようなもんですから、と彼はよく言う。私も晩年の母を好きになったが、せがれさんの足許にも及ばない。

 

さて今日の四ツ屋浜の夕焼けも変化に富んで素晴らしかった。夕焼け度8は十分にあったのでは。

 

 
19:15
19:15 実際は写真よりはるかに素晴らしい。

 

3・19:18

19:18 

 

夕刻にかけて高いむら雲やすじ雲が広がる日は、綺麗な空になることが多い。華やかなものは日没後から始まる。
TVならきっと音楽が入ることだろう。しかし実際は当然音も無く展開する。およそ15分、壮大なのに静かであることで余計神秘的だ。

 

これから本番。鵜の浜温泉やキャンプ場のお客さんにも、ぜひ忘れられない夕焼けに出遭ってほしい。

一時間の夕暮れピクニック 電車を見ながら夏の田んぼで食事。

2012年7月16日(月曜日)

爽やかに晴れ上がり、気温も30度を越えて梅雨開けを思わせる一日。何処へも出かけなかった連休最後の夕食は、雲が良かったので妻が用意した食事を持って車に乗った。

上越市大潟区は海辺の町で砂丘の丘陵地。周囲もフラットなので、雲や夕焼けがよく見える場所が色々ある。

 

今日は夕映えのほくほく線を見ながらの食事のつもりで、田んぼへ向かった。海だと思っていた妻は怪訝な表情。

 

1バスケットバスケットは冷やし中華にピータンと枝豆(大潟ナショナルカントリ-産)。
妻はビール、私はサントリーのオールフリー(ノンアルコール)。

2中谷内池
中谷内の池から米山と尾神岳を見る。

4上り電車
蜘蛛ケ池の田んぼで上り電車を見て。3岩野の水田
岩野の水田から妙高方面。
5潟川
潟川を渡る。

6はくたか頸城区寄りの田んぼで特急はくたかを見て帰って来た。

当所のほくほく線は、田んぼの中をほぼ4キロに亘って高架橋と一部盛り土が続く。遮壁もないのでその間、電車の往き来がまるまる眺められる。灯りだけ小さく見えた電車がみるみる近づいては去る。ドキドキするが、はくたかのシャーッと言う音とスピードは元気がでる。

およそ一時間の近郊ドライブ。夏の田んぼで手軽な旅情を楽しんだ。

充実の卯の花音楽祭。

2012年7月15日(日曜日)

本日午後、卯の花音楽祭が上越市大潟区のコミュニティープラザで催された。ー小山作之助先生を讃えてーのサブタイトルで毎年開催される会は第10回となった。
ちなみに上越市大潟区出身の作之助は日本教育音楽協会の初代会長になった人。

 

大潟オカリナアンサンブル、大潟ギターアンサンブル、コーラスおおがた、合唱団てくてく、コーラスゆりかご、卯の花合唱団、の皆様が出演された。力強さに加えてハーモニーのやわらかさ、ひそやかさの微妙まで丁寧に表現され、聴き応えがあった。

10回記念として中央から大西恵代さんと吉田恭子さんお二人の声楽家をお招きして「ソプラノの調べ」があった。ともにイタリアへ留学され、現在Duo Fiori(デュオ フィオーリ)として活躍されている。

 

大西恵代さん
大西恵代さん
吉田恭子さん
吉田恭子さん

 大矢絢子さん
ピアノの大矢絢子さん

 

Duo Fioriのお二人は日本人が作った叙情歌の研究にも力を注がれているということ。調査の途上、作之助に関連して当会実行委員会と縁が生まれ、この度の来演となった経緯も興味深かった。

前半、大迫力のイタリアオペラで聴衆の心をわしづかみにして、後半は日本の歌だった。聞き慣れた歌が一層心に響く。恥ずかしいことに作之助の「鏡ヶ浦の驟雨」を初めて聞いた。良い曲だった。

 

日本の歌で特筆すべきは著名な明治唱歌の作曲家・奥好義(おく よしいさ)作曲の「海のあなた」と「ゆかりの色」が歌われたことであろう。
奥の作品の中にメロディーの斬新さから作之助の影響が窺われるものが少なくない、と紹介された。お二人は澄んだ叙情をもって二曲を歌われ、プログラムにあった以下の詩にも惹き付けられた。

 

「海のあなた」

いさり火遠く見え初めて

沖より寄する暮れの色

なかば夢路と過ぎ去りし

旅の月日もいま幾日

ああ恋し海のあなた

親子打ちつれ岩陰を

おくれて帰るあま小舟

明日の日和のほかにまた

もの思いなき世の仲間

ああ恋し雲のあなた

ー作詞者不肖 三番省略ー

「ゆかりの色」

雲井にかかる紫の

においゆかしき藤の花

深くねざしも言の葉の

ふみの林に見えにけり

 

心にかかる雲晴れて

法のみそらに澄みのぼる

石山寺の月影は

君の思いをます鏡

ー作詩:菊間義清ー

 

いま時代はメタリックに記号化され、乾きがちだ。明治の詩情と教養をあらためて眩しく感じた。

アンコールはアンドリュー・ロイド=ウェバーのレクイエムから「ピエ・イエス」だった。驚きかつ感動した。

苗木帰路、まちづくり大潟から配られた卯の花の苗木。樹下美術館でも増やしたい。

主催の卯の花音楽祭実行委員会と、共催の上越市およびまちづくり大潟さんに感謝致します。

素晴らしかった音楽会 斉藤雅俊とドイツの仲間たちVol .2。

2012年7月14日(土曜日)

昨日夕刻、上越市リージョンプラザで素晴らしい音楽会を聴いた。 ドイツで活躍する日本人音楽家四人と二人のドイツ人による室内楽アンサンブル「斉藤雅俊とドイツの仲間たちVol .2」だった。

 

編成はヴァイオリン2、ビオラ、チェロ、コントラバスの弦楽五重奏、三曲にゲストのオーボエが加わった。

 

1

 

 数々の国際ヴァイオリンコンクールで輝かしい受賞歴の特別ゲスト、日下沙矢子さん。同じく特別ゲストはベルリン国立歌劇場の主席オーボエ奏者、ファービアン・シェーファーさんだった。

 

プログラム
 

プログラムは抜群で、モーツアルトとハイドンのディヴェルティメントで始まり、すぐに日下さんのヴァイオリンが歌った。一部の終演はJ.S.バッハ/オーボエ協奏曲 ニ短調。体力の要る曲を若き奏者は映え々えとした情感をもって演奏された。

 

圧巻は二部の一曲目、J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ  シャコンヌ。しなやかかつダイナミックな演奏は時に火の如く熱く、またいつしか鏡の如くに静かに丁寧かつ自在だった。
プログラムはそれぞれ日下さんのメリハリの利いたりードでスケールの大きな演奏が実現された。

 

特筆はコントラバスの斉藤雅俊さん。触るだけの柔らかさから格闘の強さまで豊かに低音を支え、アンサンブル全体を深く響かせられた。地元上越市出身で私の高校の後輩だそうで、もう30年もドイツで演奏活動をされている方だった。コントラバスが歌うことも印象的だった。

 

ヴァイオリンの斉藤史緒さん、ヴィオラの岩崎理子さん、チェロのインケン・エヴァーツェンさん。息のあった素晴らしい演奏を有り難うございました。

 

シューマンのロマンス イ短調を、オーボエと弦楽五重奏に編曲された三浦陽子さん、楽しませて頂きました。

 

アンコールはG線上のアリア。そして厳かな前奏からファービアンさんのオーボエが「髙田の四季」を奏でて終わった。

 

満員の会場から起こった耳が痛くなるような拍手は久しぶりだった。 主催されたまさゆう会の皆様、有り難うございました。ぜひまた聴きたいです。

東の山にかかる夕雲。

2012年7月12日(木曜日)

日中は時折激しく降ったが、夕刻から雲が切れて濃い青空も見えた。

 

 

今夕、上越市頸城区、船津付近から尾神岳の上空を見る。

夕空の見応えと言えば西の茜は言うまでもないが、東の夕映えの空もしばしば美しい。

今のところ上越地方は豪雨を免れているが、昨年のこともありまだ油断出来ない。

 

美術館を自由に楽しんで 5時間の滞在も。

2012年7月11日(水曜日)

樹下美術館のお客様の過され方はとても様々です。

 

本日、長岡からのお客様は午前10時にいらっしゃいました。庭、展示物、お茶、図書、トーストを楽しまれ、再び庭を歩かれデッキにお座りになる。それからもう一度展示をご覧になりカフェに戻られて、ゆっくりされたそうです。
午後3時のお帰りの際には、シーグラスのアクセサリ、チェロのCDと絵はがきのお買い物もして頂きました。

庭だけご覧の方、展示物だけの方、仕事帰りに一杯のお茶の方、本持参の方。お一人、ご家族、お友達、、、。そして5時間近く滞在された方まで、美術館がさまざまにご利用頂けていることを心から幸せに思っております。

美術館とはなんぞや、という議論があるようです。しかし樹下美術館には何の定義もありません、おもむくままにお過ごしいただければ十分嬉しく存じます。

 

庭
皆様にはいつも感謝いたしております。

名茄子 拙茄子。

2012年7月10日(火曜日)

京都の知人から今年も水茄子の漬け物を頂いた。大阪は泉州の名産、皮やわらかく水分たっぷり。農家の人は作業中、これで喉を潤すと聞いた。名茄子であろう。

 

※泉州:旧和泉国(いずみのくに)にあたり、大阪府の南部、堺市から和歌山県に至る一帯とのこと。

 

 名ナス
昼食に大変さっぱりの漬け物。見た目も涼しい。
皮が柔らかいので手で縦にちぎって食べるのが流儀らしい。

 

拙ナス夕食は、ハンバーグに添えられた拙妻の茄子と獅子唐。

 

妻の畑で野菜が採れ始めた。茄子と獅子唐、ピーマン、パプリカ、トマト、サヤインゲン、バジルなどを作っている。
母が残した畑の一部を掘り返して使っているが、土と場所が良いとかでうまくいっているようだ。

 

夕焼け その見事さを現せば。 

2012年7月9日(月曜日)

 夕食を終える頃、何となく気になって窓を開けると西の空と雲が赤く染まっている。夕焼けは刻々変わる。車を近くの大潟区の四ツ屋浜へ向けた。

 

1
19:20

 

2
19:22

 

3
19:27

 

薄墨を刷毛で掃いたようなすじ雲が、遠ざかる茜を見送って終わった。すっきりした夕焼けだった。

 

以前、大夕焼けを見た妻が、「末期の眺めでもいい」と言ったことがある。やや言葉は悪いが、その時の夕焼けの見事さを仮に“末期度”と名付けて現すならば、まだ8,6レベルであっただろう。

 

昭和59年だったかの夏はお盆のころ、台風一過の米山大橋のたもとで壮大な夕焼けを見た。黄色みを帯びて米山を覆った背後のムクムクたる雲の前に、鮮やかな虹が二本立った。続いてこの世のものとは思われない大夕焼けが天空一面を支配した。
様々な雲、様々な色、様々な形、そして変化。あまりのことに神を感じたほどだった。末期度10の大夕焼け、いまだこれを越えるものを見たことが無い。

 

末期度10を見ても生きていられるのが、夕焼けの良いところだ。

 

ちなみに本日の夕焼けは6,8あたりであろうか。夕焼けを楽しむのは安全で、お金も時間も掛からない。

コムクドリその8 50日の時間 巣の合歓(ネム)が開花した。

2012年7月8日(日曜日)

5月19日に初めて目にした仕事場の庭のコムクドリ。その日のつがいは巣作りにいそしむ風だった。

 

オスはおずおずとしていて、メスは初々しかった。夫婦は6月11日(たぶん)に子育てに失敗したあと、巣を変えてヒナを返し、以後現在まで懸命に給餌を続けている。

 

ところで、この鳥の寿命はどれくらいなのだろう。スズメを1,5年ほどとして、やや大型のコムクドリを3年と仮定してみた。

 

人間の寿命が83年なら、計算上この鳥の一生(時間)は人間の27,67倍の速さで過ぎていることになる。
最初に見た日から今日でちょうど50日目になる。コムクドリの50日は人の1835日、およそ3,8年に換算された。

 

本日の写真と5月19日のものと並べてみると、50日は伊達ではなかった。逞しく鍛えられ、容姿に相応の加齢(苦労と成長)の跡が見られた。

1
おずおずと5月19日のオス

 

3
初々しい5月19日のメス

2
本日7月8日

 

4
本日7月8日

雨風はげしい悪天候も休まず続けられた給餌。拙い観察によると、つがいして一日120~150回もの餌運びを行っていた模様だ。たしかに年もとろう。

  

5いつしか葉が展開し、本日、テッペンで花が咲いていた。
鳥の時間、花の時間、そして私たち。それぞれいそしみ楽しむ時が過ぎて行く。

 

このところ洞(うろ)で餌をねだるヒナたちの声が一層賑やかに聞こえている。今日でふ化後12日目(たぶん)となり、巣立ちが近づいてるようだ。

 

うまく独り立ちさせたら親たちにはぜひ一休みしてもらい、この地の夏~秋の自然を存分に楽しんもらいたい。

素晴らしかった柳沢鹿の子さんとお弟子さんの「バレエ・ダンス チャリティコンサート」

2012年7月7日(土曜日)

7月7日、梅雨後半の雨降る土曜日夕刻から上越文化会館へ行った。第11回柳沢鹿の子バレエパフォーミングアーツによる「バレエ・ダンス チャリティコンサート」を見た。バレエを見るのは何十年ぶりだった。

 

とても素晴らしい時間だった。どんなに練習されたことだろう、舞台で展開された生徒さん達の踊りはまことに美しく、力強く、悲しく、優しかった。

バレーコンサート

黙して行う精神・感情と身体表現は深く心を打つ。中でも3/11をテーマにした鹿の子さんの創作三部は全国コンクールで三位受賞の感動的な躍りだった。
※昨年のコンクールにおける「さよならの日から私達は歩き始めた」(三部作のラスト)の動画は以下にあります。

 

カナダに留学されている滝澤さん、京都のスクールへのぼられた渡辺さん、本当に素晴らしかったです。全国コンクールでの入賞歴はうなずけました。
そして成長まっただ中の中校生クラス、一生懸命な小学生さん、みな目を奪われました。衣装、音楽、照明、シューズ音、すべて夢のように印象的でした。

柳沢さんは東京から上越市大潟区へ嫁がれた方です。ご経験を活かされて10数年前から教授を始められました。今日まで続けられた情熱とたゆまぬご指導に心からの敬意を禁じ得ません。

 

今後柳沢先生はじめ生徒さんの益々のご活躍を心からお祈り致します。お客様も沢山入られて、本当にお目出度うございました。

七月の雨よ静かに降らまほし 我が白百合の花のためなり。

2012年7月6日(金曜日)

午後から雨が降り出し、次第にしっかり降ってきた。農家の方には降り足りないかもしれないが、庭はほどよい感じがする。

 

仕事場の二階から見たユリと向こう側に半夏生(はんげしょう)。

数年前のこと、テッポウユリが咲くころから激しい雨が続いた。あまりに降られて色が落ち、花びらの一部がガラスのように透けて見えてきたことがあった。

どうか、そんなに降らないでもらいたい。

始まったテッポウユリ、ガクアジサイはエピローグ。

2012年7月5日(木曜日)

九州の甚大な水害の一方で、当地の一部農家では水不足を心配されていました。

今年の庭は順調に推移していると思われます。樹下美術館でテッポウユリが咲きはじめました。清らかで涼しいこの花を次第に好きになり、3年前から沢山植えるようになりました。

 

1ユリ
あちこちで咲き始めました。

2ガクアジサイ
処々のガクアジサイ。後半の華やかな変身。

3ガクアジサイ
「紅(くれない)」という名のアジサイ。ルビーのように真っ赤になってくる。

4デッキ
水田の風にも当たってみて下さい。ここでお茶も飲めます。

 

ガクアジサイも様々に植えていますが盛りを過ぎようとしています。彼、彼女らは色を濃く滲ませて花期の終わりを飾る気配です。

コムクドリその7 一夜開けて 無事に給餌は続けられていた。

2012年7月2日(月曜日)

前回は、雨の昨日のコムクドリを掲載させていただきました。一夜明けて晴れた本日月曜日、無事に給餌は続けられていました。前回の不成功を乗り越えてヒナに巣立ってもらい、外での給餌などを是非見てみたいと思います。

 

5月下旬に始めて見た頃に比べて、つがいは逞しくなったように見えます。

 

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しばしば恐ろしげなムクドリが闖入し洞に近づく。

 

この鳥を観察し始めて以来、奇妙な事を目にしていました。コムクドリはつがいのほかにオスメス一羽ずついるように見えていたのが、実は5,6羽も出入りしていることが分かりました。

 

他の鳥たちはつがいを真似るような行動をしたり、争うように巣を覗いたり、時には洞に入ります。当初彼らとつがいの区別が紛らわしく、関係もよく理解出来ませんでした。
ようやく最近、「紛れ無きつがい」を区別できるようになりました。いずれこの先、つがい以外のコムクドリの少々不思議な行動を書かせて頂ければと思います。

コムクドリその6 悪天候の昨日、日曜日、再開された渾身の給餌。

2012年7月2日(月曜日)

昨日、雨の日曜日、午後からは風も強まり悪天候となった。

 

●5月下旬に潟町の仕事場の庭で、合歓(ネム)の古木の洞(うろ)を使ってコムクドリが営巣し、抱卵、給餌へと進んでいた。

 

●ところが6月11日から突然給餌は中止され育成は失敗したようだった。つがいは間もなく交尾をした

 

●厳しい夏を前に、一刻も早い子育ての再開が期待された。幸いつがいは同じ樹の別の洞(うろ)Bを使ってヒナを返し、6月27日から現在まで懸命に給餌を行っている。

 

昨日は風雨強まり気温も下がる悪天候となった。ずぶ濡れのヒナは消耗しているにちがいない。懸命に給餌を続ける親鳥にはある悲壮な印象さえあった。

 

小生のズーム・望遠レンズは200㎜(Canon EFレンズ EF70-200mm F4L IS USM)なので、焦点を予め合わせて撮っています。ピントはいまいちですが、精一杯です。
以下の時間は画像に記されたものを添えました。写真は良くとれたと思うものを掲載しました。

 

1IMG_0411
13:17 オス

 

2IMG_0421
13:22 メス

 

3IMG_0429
13:25 オス

 

4IMG_0436
13:36 オス

 

5IMG_0658

15:11 オス

 

6IMG_0674
15:18 メス

 

7IMG_0698
15:36 オス

 

8IMG_0711
15:47 メス

 

 

9IMG_0722
17:29 メス

 

10IMG_0734
17:38 メス

 

11IMG_0765
17:49 洞から出て雨空を見上げるオス。

 

12IMG_0789
18:00 同じく佇むメス。

 

さすが夕刻のつがいには疲れのようなものが窺われた。洞は上に向かって斜めに口が開いている。中に雨水が溜まることはないのか、悪天候の一夜を案じながらカメラを下げた。 

樹下美術館6月最後の日、胸がすくようなコンサート。

2012年7月1日(日曜日)

昨日昼、大きな楽器ケースを携えた竹花さんと蓮見さんを直江津駅へお迎えに出た。音楽が服を着ているような魅力的なお二人だ。

 

到着されて間もなく始まったリハーサルは、緊張と期待のもう一つの音楽会。

 

そして本番。バッハ、モンティ、ピアソラ、チック・コリア、サンタナ、さらに豊かなオリジナル、アンコールはカザルスの愛奏曲「鳥の歌」にポール・アンカ!

プログラムは6月最後の日の空気を多彩に振るわせ、心を揺さぶった。

 

1空と雲
雲が気ままに遊んでいた日。

 

2熱演
熱演。

 

3楽しいトーク
間の良い楽しいトーク。

 

竹花加奈子さんのチェロと蓮見昭夫さんのギター。それぞれスペインとドイツでの活動が長かったお二人の音楽には、胸が空くような大きさがあった。

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