2012年9月23日

9月23日(日曜日)の南三陸町、志津川。

2012年9月23日(日曜日)

本日9月23日(日曜日)は映像で繰り返し見た南三陸町志津川を回った。

  

銀行の跡銀行跡。

 

空疎の象徴ある種観光資源と化した惨劇の痕。

 
仮設商店街
仮設商店が集った場所。他所からの人が多く集まるように見えた。

 

仮設住宅コスモス咲く高台の仮設住宅。

 

棒掛け山間の田んぼ。棒がけによる稲干し風景に心がなごんだ。
ここのおそばは美味しかった。

 

終戦後の復興には「リンゴの唄」の歌声や混雑する列車など、子ども時代の思い出でさえ活気の背景がよぎる。

 

本日見て回った南三陸町の志津川はひっそりとして、全体に遠慮が漂うのを感じた。 

 

国を作り直すほどの事業が期待されるが、休日のせいか静かだった。元どうりにすれば済む事ではないので難しいにちがいない。もったいないほど美しい地勢、何代先も見据えて進めて欲しいと思った。

 

帰りは古川でレンタカーを返した。帰りの上越新幹線で駅弁を開くとほっとした。わずか一泊二日だったが長い旅をした感じがした。 

 

駅弁

9月22日(秋分の日)は、仙台の妹の墓 そして弟宅へ。

2012年9月23日(日曜日)

何度かノートに書いた弟が南三陸町の山中で酪農を営んでいる。もう20年も経つのに訪ねたことがない。

 

このたび秋分の日の連休を利用して訪ねた。まず仙台で8年前に亡くなった妹の墓参りをして、妹の連れ合いからくりこま高原駅へ送ってもらった。そこでレンタカーを借りて南三陸町へ向かった。

 

ムラサキシジミ墓地に佇んでいたムラサキシジミ(×)→ヤマトシジミ(25日訂正)。

手前から二番目の墓に妹が眠る。可愛い墓には大好きだった栗駒山と山荷葉(さんかよう)の模様が彫られている。
参るのは三度目だが、当家代々の墓よりもここへくるのが好きだ。

初めて訪ねた弟の家。父が愛用した黒い棚と弟が作った椅子。

夕食満を持して出された弟お手製の美味しい料理とあっちゃん(奥さん)手づくりのパン。

泊まった寝室にも自作椅子。
造作は得手ではないが、木が作らせると本に書いている。

写真家だった一つ違いの弟が営んだ独自の酪農は過酷だったことだろう。このへんで少し心身を休めるのもいい、と思った。

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