2013年2月

乱雑のようでも便利 お菓子のようなロウバイ。

2013年2月26日(火曜日)

今まで出来ていたことが出来ない、やる気が起きない。お年寄りからしばしば聞かされる不満です。読書、書字、趣味、家事、外出などいろいろあります。聞いた私はお返事しなければなりません。

「調子の波というのではないでしょうか」

「時間は沢山ありますからあせらずゆっくりやりましょう」

「一生懸命やったのですからここで少し休んでは」

などと嘆きを否定しないように何とかお返事しています。

本日の訪問で、移動に障害があるおばあさんが乱雑になった自室のことを嘆かれました。
かつて多趣味だった方で確かにいろいろなもので混み合っています。
実際私と看護師はストーブをずらして座るスペースを作りました。

「こんなになっちゃって」,と元気がありません。
見渡すと一見乱雑そうでしたが、物の位置関係などどことなく理にかなったようにも思われました。

「いえいえ、ほかのお年寄りもみな同じです、散らかっているようでも便利ではないですか」
「ああ本当なんです、便利なんです!」

お顔が明るくなりました。

 ロウバイ花びらが厚く、艶やかで半透明な花はまさしく蝋で作ったようだ。

 

お宅の玄関で見事に咲いたロウバイの大きな鉢を見ました。鼻をつけると何ともすっきり甘い香りです。
「外に出しておくと鳥が食べてしまいますから」と、若いおばあちゃん。
なるほど、お菓子のような花は鳥が好むかも。

その昔お茶の稽古に通っていた頃、寒中突然のようにこの花が茶室に登場しました。
遠いと思っていた春がいきなり飛び込んで来たような印象を受けたのを思い出します。

春は近いか 雀も軒端にやってきた。

2013年2月26日(火曜日)

大荒れの週末から本日は晴れ間が見えた。日差しの中のカモメ、冬木立の先の青空、春の気配だろうか。

 

 雲間の青空 (2)

 

雲間の青空 (1)

例年のように軒下で数羽の雀が夜を過ごすようになった。繁殖を控えて、雀(鳥たち)は春に敏感にちがいない。

上越市は高田 友ずしさん。

2013年2月24日(日曜日)

三日雪に吹かれた週末の日曜夕刻、高田へ行った。

以前、上越市のぶろぐ「みやっちのひとりごと」さんで寿司屋さんの記事を見ていた。

上越市高田は東本町3丁目の「友ずし」。昔ながらの町内のお寿司屋さんの雰囲気をそのままに、見るからに美味しそうな気配が伝わっていた。

人の良さそうな親方のお顔も引力だった。

IMG_3010

IMG_3006

とても美味しくお値段もリーズナブル。町の一角ににこうした昔ながらの店が残るのは本当に貴重なことだ。

 

かいわい IMG_3051

IMG_3022

しばしば猛烈な地吹雪の夜、帰りは飲まなかった妻が案外平気な顔して運転しました。

 

どか雪の昨日JAFに助けられた。

2013年2月22日(金曜日)

昨日からの寒波で上越市大潟区は今年一番の雪に見舞われた。

その昨日、筆者は田んぼの中の一本道でのすれ違いの際、土手へ脱輪し走行不能となった。

大きな車をよけようと路肩に積んである除雪された雪に近づくとそこはすでに土手。積まれた雪は柔らかく斜面は急で、前後の左タイやがずるずると滑り落ちた。四駆ながら前進もバックもアクセルを踏むほど落ちていき、脱出出来ない。

お世話になっているスタンドは人手が無いということ、JAFに電話した。場所の説明に手間取ったが35分後に到着すると知らされた。

 

脱輪時間ぴったりに来てくれたJAF、向こうに私の車。

近くに同級生宅があり、訪ねてJAFの到着まで待たせてもらった。お茶を頂いた後、時間なので出るとちょうど車が来るところだった。

若いスタッフが一人、状態の観察や作業、私への指示も寸分無駄なく行われた。搭載のウインチでゆっくり引き上げてもらい、損傷のチェックなどのアドバイスも丁寧だった。

悪天候の中、迅速な対応にも拘わらず会員だったので無料だった。JAFは不安な急場を丸ごとレスキューしてくれ、本当に助かった。
当初車中に居る時、すれ違う車が止まったり、スピードを落として心配そうに見て行った。二次の事故につながらず胸をなで下ろした。

今朝、このあたりから来た方が、近くに沢山車が落ちていましたとおっしゃった。その一号が私だったのかもしれない、本当に恥ずかしい。今冬の沿岸は小雪だったが、一昨日から今朝にかけての雪はひどかった。

童謡「さかみち」

2013年2月21日(木曜日)

昨日は上越市柿崎区・上下浜の坂道を書かせて頂きました。その中で川田正子さんの童謡「さかみち」に触れました。

幼年時代、レコードでこの歌をよく聞きましたので、坂道に来るとはずむような歌声がよぎることがあります。

月の沙漠、みかんの花咲く丘、汽車ぽっぽ、鐘が鳴る丘、靴が鳴る、あの町この町、からすの赤ちゃん、あの子はだあれ、、、。父が高田から買ってきて、姉が聞き、自分が聞き、姉妹に聞かせましたので、歌は柔らかだった幼少の脳にしみこみました。

童謡歌手・川田正子さん(1934ー2006年)は私たちの大スターでした。当時のレコードはもちろんSP盤、歌手はよく通る声を張りあげて歌いましたので、針雑音にも負けず歌声が響きました。

後にミカンの花咲く丘などの童謡は、あまりに単純、情緒的と批判されたといいます。しかし辛い戦後は、単純かつ渾身の情緒こそ人を豊かにし、元気づけ、互いをつなげたのではないでしょうか。

坂道 上下浜と川田正子さんの歌。

2013年2月20日(水曜日)

ふきのとうが出た春の気配はどこへやら、厳しい寒気が来て真冬に戻っています。

 

さて、ブログの配信元の都合で当ノートの様式がちょっとだけ変わりました。おわかりでしょうか、カレンダーが変わり、紙面サイズ(横幅)が少し広くなりました。まだ操作に不慣れですがどうか宜しくお願い致します。
新たなURLです。 https://www.juca.jp/blog/ 今後はこれでご覧いいただけますようブックマークなどお願いいたします。

さて写真は先日の晴れ間に行った上下浜の坂道です。直江津方面をみていますが、見晴らしがよく背後には当ノートにしばしば登場しますマリンホテル・ハマナスがあります。

秋のえちごくびき野100㎞マラソンはこの坂道を下りますので昨年のノートに掲載しました。また昨年のテレビ二時間ドラマ「終着駅─トワイライトエクスプレスの恋」では中山美穂と佐藤浩市がこの道を歩き、主人公が乗ったタクシーが下って行きました。以前にも書きましたが、この浜では長野県の方たちの車をよく見ます。

上下浜の坂道 上下浜の坂道。

坂道は幼年時代に聞いた川田正子さんのレコードの童謡「さかみち」を思い出させます。

ラジオから流れる歌謡曲で耳にした「牧場」「灯(ともしび」「列車」「丘」「心」「思い出」「山小屋」「街」などにも強くあこがれました。こんな言葉が子どもの心を打つほど歌い手も上手だったのでしょうね。

冬のスターハクガン/Snow Gooseに出会う。

2013年2月17日(日曜日)

このノートを書くようになっていくつか行動の変化があった。そのうちの一つに鳥を見ること(撮影する)ことがある。

 

大きなレンズではないので限界があるが、初めて知る世界は胸躍る。この週末飛翔と食餌どきのハクガンを初めて見た。ようやくマガンとヒシクイの区別がわかってきたばかり、ハクガンとの遭遇は幸運だった。

 

ハクガンの飛翔
飛翔するハクガン。上越市大潟区の朝日池付近から東へ向かっていた。
23羽が写っている。
飛翔は、聞いていた以上に優美で、一瞬夢心地になった。

 

食事中のハクガン1
ハクガンの食餌(向側)。

柿崎方面に向かうと田に数百羽であろうマガン、ヒシクイの群れがいた。そこへ21羽のハクガンがヒシクイなどに混じって降りたった。雪の下の草や根にどんな栄養があるのか、みなまるまるとしている。それがまた飛ぶとは。

食餌のハクガン2
ハクガンに灰色のまだら模様の個体が混じっていたが幼鳥であろう。
地味な雪国の自然に、彩りと活気を与えてくれる鳥たちは神聖な感じさえする。

大潟水と森公園によると去る1月25日には昨年の41羽を超えて89羽が訪れたという。15年以上も前のこと、ハクガンが一羽来ていると言って愛鳥家の知人が興奮していた。日・米・ロによる忍耐づよい保護活動があったとのこと。

 

絶滅危惧種の上位にいる鳥であるが、上越市大潟区の朝日池は八郎潟などとともに数少ない日本の飛来地。毎年、文字通り全国各地から愛鳥家が集まる。ハクガン/Snow Gooseはあたかも冬のスターのようだ。

夕刻、柿崎の海を歩けば  バレンタインお干菓子。

2013年2月14日(木曜日)

晴れ間が多かった日、休診の午後は柿崎の海へ行った。

 

シーグラス
シーグラスを拾って。

 

飛行機雲
夕刻、雲の切れ間に飛行機雲。

 

昨年3月下旬に新潟空港から福岡まで何十年振りにジェット機に乗った。その時の母の故郷を訪ねる一人旅は思い出深い。見上げた飛行機雲で旅が思い出された。

 

「お前も来たのかい」
私が死んだら天国の母はそう言いそうだと思った。シーグラスを拾おうとしゃがんだらメガネに涙が一つぶ落ちた。

 

天国の母は祖先達の食事の仕度に忙しそうにしている。

「これをお食べ」

ちゃぶ台にご飯と味噌汁、生卵と野沢菜が置かれていた。

 

死んだ親のことを考えるのは自分だけの自由時間。

 

バレンタインお干菓子
妻が茶の先生から頂いたお年玉である巳年のお茶碗。
それにまた頂き物のバレンタインのお干菓子を食べた。

 

薄茶に軽々した風味が新鮮だった。

恥ずかしいきっかけ スフレの誕生日ケーキ。

2013年2月13日(水曜日)

前回のノートに体重の事を書き、後からかなり恥じています。しかしこの度のことは本当に恥ずかしいきっかけがあり、我慢をせずに補充いたします。

 

以前ノートに書きましたが昨年10月日6日、えちごくびき野100㎞マラソンがありました。
夕暮れの大潟関門を訪れた際、そこに同じ年の患者さんが運営ボランティアとして参加していました。長く体重だけで血糖コントロールを試みている方です。
近づいて話しかけるとすぐこう仰いました。

「先生も結構出てますね」

 

彼は私のお腹を触ったのです。
ああなんと言うことでしょう、あわてて引っ込めましたが間に合いませんでした。

 

その日の夕刻からこっそり食事を減らしはじめ、11月末、階段昇降とともに妻に宣言して全体として取り組み始めたという次第でした。

 

職業柄、分かり易い見本にならなければ、、、。100キロマラソンの夕刻の一言は恥ずかしくも貴重でした。

 

誕生日ケーキ
「忙しく、遅れてゴメンネ」。本日若い身内から頂いた手作りの誕生日ケーキ。
「おじちゃんの顔だよ」というクッキーが嬉しい。

美味しいふわふわのスフレ、明日はスタッフにも上げよう。

 

さあ、階段、階段。

減量 ソフィーさんの“あわゆきシュトーレン”。

2013年2月10日(日曜日)

年令は若くはならないが、体重を若い頃に戻すことは出来る。

思い立って昨年11月末から食事カロリーを少なくとも10%は減らし、間食を半分以下にした。現実には食べ残しをしながら減らしていった。

また10段ある階段を一回につき2~5回昇降し、現在一日400~500段の昇り降りをしている。胃が小さくなり、階段昇降は増えた。

およそ70日経って58,5㎏の体重が53、5㎏まで減少し、30代の体重に近づいた。小がらな筆者は当時163㎝で体重は52㎏前後だった。この二ヶ月半でBMIが22,6→20,5になり喜んでいる。

 

このことで変わったこと、変わるであろうこととして、

①歩くスピードが早くなった。

②組織の老化ベクトルにいくぶんのブレーキが掛かるはず。

③おなかがへこみ、昔の衣服が着られるようになった。

 

経験上、定年前後からおよそ10年間の比較的若い人が、突然重篤な脳血管障害や心筋梗塞に襲われることがある。。私の先は分からない。しかし遅れぎみながら念のための備えをすることにした。

昔から小太り(例BMI:25-30!)のほうが寿命が長いという発表が時々あります。しかしこれには乗りすぎのリスク、人種の特異性、糖尿病の無視、足腰負担の無視、心肺機能低下の無視、メタボへの反動などを感じます。あるいは長生きしても多く疾病を抱えることが危惧され、筆者はあてにしないことにしています。

近時お腹が空くことを実感でき、ああ昔はこうだったなと懐かしい。午後おなかが空く頃、髙田はソフィーさんの“あわゆきシュトーレン”を食べた。

 

外見
クリスマスに食べるドイツ菓子(パン)シュトーレンが“あわゆきシュトーレン”になった。
味は濃厚、イラストも愛らしい。

切って食べる
賞味期限が3ヶ月とあり、ラップにくるまれて少しずつ熟成する。
およそ週に一度スライスしながら美味しくなるのを試そう。

白い砂糖のコーティングは淡雪そのもの。これは“春待ちシュトーレン”でもあろう。

雪中のツバキ。

2013年2月9日(土曜日)

風が止み静かだなと思っていたら雪が降った。

 

本日のツバキ
庭の椿が雪を乗せた葉に隠れて春を待っている。

春になってすぐ咲くわけでもないのに蕾は赤味を帯る。
ツバキは気長で本当に辛抱強い。

 

厚い葉に守られて花は風雪に耐えるが、大量に積もった雪で枝がぽっきり折れることがある。大切な若い木はやはり雪囲いが欠かせない。

 

ツバキの成長はとてもゆっくりだ。見事に仕立てられた植木屋さんの大きな椿にはほとほと感心する。

 

また古い屋敷の庭に、お爺さんのまたお爺さんが植えたような見事な大木をみることがある。それが切られたりすると真に残念を禁じ得ない。

吹雪模様の日の上越市頸城区城野腰(じょうのこし) 入園児健診。

2013年2月8日(金曜日)

一両日雪混じりの強い風に見舞われている。(昨日は北陸地方に春一番が吹いたというが。)

 

例年2月は変化が多い。零下の低温が続くかと思えば素晴らしい好天が訪れ、雪はまだ油断できない。だが2月はあっという間に過ぎるにちがいない。

 

本日午後、担当の保育園で今春入園予定児の健診があった。事故が報じられたため、親御さんたちが食物アレルギーに敏感になっていることが問診票からよく伝わる。

 

外来では20~60代の大人のインフルエンザが目立っている。70才以上の高齢者の皆さんは今のところ比較的平穏。

 

城之腰の通り
保育園を終え特養ホームを回診して帰り道、城野腰の通りを直江津方向から撮りました。樹下美術館はこの先300メートルほどです。

 

デッキとベンチ
美術館裏のデッキの様子(本日)。まだ寒そうですね、開館の3月15日にはシートが取れますように。

倉石隆のサイン。

2013年2月6日(水曜日)

当館常設展示の画家・倉石隆(くらいしたかし)のサインの多くは、有るか無しか非常に控えめです。
多くは以下に掲載しました一番上の写真のように“T・Kouraisi ”です。

時代、作品によって幾つかのパターンがみられますので、挙げてみました。

 

 

朱色のチューブB
1950年に上京後、最も多く見られたサインT・Kouraisi 、油彩「朱色のチューブ」から。苗字のイニシャルKがMのように見えます。苗字の“く”をKouと書くのはフランス的ですね。

 

婦人像
1945-50年の髙田時代に描かれた油彩「(婦人像)」のサイン。比較的大きめにR Kurai と書かれています。氏の本名は倉石隆壽(たかなが)ですが名を隆(りゅう)と称してイニシャルにRを用いたようです。
Kurai (くらい)と書いたのは、戦後苦しい時代の心を写しているのでしょうか。

 

ベラスケス
1985年の「ベラスケス回想」に使われたイニシャルのT.Kサイン。このようなものは少なく、当館収蔵作品では3点だけです。黒地にお得意の朱色で直線的に署名しています。

詩人
1964年の「詩人」のサインです。制作年とともにTakasi. Kouraisi と珍しくフルネームで書かれています。モノトーンの比較的大きな絵の右上隅にある、見落としそうなほど小さなサインです。

 

大柄な倉石氏の小さなサインは、作品を邪魔しないようにという配慮と美意識によるものと思われます。

 

また絵の地色や下地・質感(マチエール)との関係、フォルム、筆速度、などにセンスの良さが感じられます。サインには“もう一つの作品”を見る楽しみがあるようです。

今春発行(必ずやと思っています)予定の氏の図録には楽しいサインのページを設けるつもりです。

「お声」の掲載 今年度の樹下美術館。

2013年2月3日(日曜日)

樹下美術館には何冊かノートを置かせていただき、ご自由に皆様の感想を頂戴しています。

それをホームページ「お声」欄にお載せしてますが、このたび昨年度の後半分をまとめました。どうかご覧下さい。

 

1月31日の樹下美術館
去る1月31日の樹下美術館です。
現在雪は20㎝前後、昨年より少なく経過しています。

齋藤三郎、倉石隆両氏作品、建物、庭、お茶、音楽、と広く感想が綴られていました。

落ち着いた/インスピレーションが沸いた/癒された/涙が出た/くつろいだ/ほっとする/心豊かに満たされた/庭が目にしみた/参考にしたい/雨音が音楽的/ 素敵な時間だった/心洗われた/非日常を味わった、、、等々本当に有り難うございました。 

そして多くの方々に「また来たい」とお書きいただきました。 

樹下美術館は申し訳ないほど小さな美術館です、きっとご不自由もあったにちがいありません。
3月15日、今年の開館はまもなくやって来ます。しっかり準備をして皆様をお迎えしたいと思います。

【今年は7年目です】

今年の倉石隆は「倉石隆の少女」を中心に、陶齋は一部の器に「花を入れて」展示致します。

イベントでは6月に音楽会、10月陶齋の器を使った食事会、などを計画いたしてます。

ーどうかお楽しみに、皆でお待ち申し上げますー

 

フキノトウ
本日2月3日、美術館南側の土手にフキノトウが出ていました。

まだ小さいのですが沢山採れました。

「もうだめ」「ありがとう」の日まで。

2013年2月1日(金曜日)

さて本日は71才の誕生日。

ケーキ

半分だけ食べたケーキ。

 

思えば昨年70才になった途端、“いよいよ後が無くなった”と震えるように実感した。
70才ショックは電撃の如く突然だった。昔のそれは還暦が相当したのかもしれない。

 

しかし神仏の思し召しだろう、人は慣れるようにできている。ショックは一年かけて薄らいできた。

 

ところでこれまで何百人という方を老後まで診たり看取ったりした。

こんなに悪いのに笑顔を見せた、不平を言った、辛いのによく頑張られる、という畏敬の日が最後に続く。
それが衰弱のある日、苦しい息の中から「もうだめ」あるいは「ありがとう」、とかすかにつぶやかれることは希ではない。たとえ口にされなくとも、終わりがそこに来ていることを実感される瞬間があるにちがいない(少しでも意識がある限り)。

私たちはその時まで、苦しくとも生に安んじ「今日、あるいは明日がある」、あるいは「少し目をつむって休もう」と心の隅に灯を点すのだろう。

気がついて年や病を実感するのはショックだ。しかし私より年配の方たちは聞けば愚痴を仰るが、黙っていれば一見淡々とされているように見える。

 

いつか暗く遠い意識に包まれる日が来るまで、それを忘れさせようと働くのは授かっている命の気遣いであろう。
しかしこれに逆らって自ら作る病(生活習慣病など)のなんと多いことだろう。健康に留意することは貴重な宝物を磨く立派な行為だと思うのだが。

 


Roland Hanna ・ローランド・ハナのアルバムから「From This Day On」(今日から)。
このレコードは音が小さい。ユーチューブも小さな音でしたので少しボリュームを上げてみてください。

その昔、カセットに取っていつも車で聞いていました。

2013年2月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
2425262728  

▲ このページのTOPへ