2013年5月

小雨の庭 穏やかな夕やけ。

2013年5月30日(木曜日)

風邪気味が続いていたので休診の午後にぐっすり昼寝をした。気持ちよく目覚め、樹下美術館へ行った。

小雨の美術館は静かでお二人の若いお客様、雨の庭もいいですね、と仰った。

バラと芍薬バラと白い西洋シャクヤク。

下る道小雨の坂道。

露草、シランなどツユクサとシラン。

 花を撮る方ひざをついて花を撮られた。

夕暮四ツ屋浜は穏やかな夕暮れ。

明日は晴れる予報が出ていた。

第49回主体展 倉石隆作品が東京都美術館へ行く。

2013年5月28日(火曜日)

昨日午後、東京から美術団体「主体美術協会」のお二人が訪ねて来られた。今秋、東京都美術館で開催され、京都、名古屋を巡回する同会の展覧会(主体展)に関する企画役員として公式の訪問だった。

当地の会員筑波進氏と新潟市の建築・美術家のお二人も加わられ、やや緊張した。

作品を観る倉石氏の予定作品を真剣にご覧になる皆様。

主体展は来年50周年を迎える。これに向けて昨年から特別企画「礎の作家たち」が始まっている。草創期の物故会員を特別展示するというもので、昨年は大野五郎、末松正樹、寺田政明、森芳雄、吉井忠のBig Nameが選ばれた。

倉石隆は昭和39年同会発足時の創始会員であり、今年の「礎の作家たち」5名に選定された。このたびは作品の現物確認のご苦労だった。
専門家の眼差しは厳しかったが倉石氏に相応しい作品、ということで「琢也」が正式に決定された。

 

戦後混乱期を乗り越えた協会発足当時、美術界の再編には劇的様相が見られる。美術で生涯を、日本を背負おうという作家たちの困苦や情熱は今日までも脈々たるものがあろう。本日選ばれた作品を前にあらためて胸打たれる思いがした。

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189昨年の展覧会図録表紙(上)、特別企画のページ(下)。

 

倉石氏が没されて15年が経とうとしている。樹下美術館は小規模な施設であるが、氏の作品を展示させていただく幸せと責任をあらためて感じた。

秋の展覧会レセプションには天上の氏とともに喜んで参加したい。

ご来訪された皆様に施設と庭を褒めて頂き大変嬉しかった。

 

                  -(2013)第49回主体展-

          期間2013年9月1日(日)~9月16日(月)

          会場東京都美術館・1階、
その後京都(京都市美術館)、名古屋(愛知県美術館)を巡回

古流松應会の深雪支部花展 そして牡丹。

2013年5月27日(月曜日)

華道古流松應会 当地の深雪支部花展のお知らせ。

花展チケット

               期間5月31日(金曜日)~6月3日(月曜

               ●場所ミュゼ雪小町(あすとぴあ高田5F)

本日、妻が上越市は清里区(旧清里村)まで牡丹を頂きに行った。坊ケ池の近く、奥まった棚田農家のお宅だったという。ひごろ樹下美術館がお世話になっている造園業・丸山隆光園さんから紹介して頂いた。

このところ実家へ行って牡丹籠という専用の器を持ち帰ったり、忙しなくしていると思ったら上記の花展のためということだった。

室温の加減など花の状態を期間に合わせるだけでも、花展は大変であろう。今夜は外か家か、家ならどの部屋に置けばいいかなどと気にしていた。

牡丹頂いた黄牡丹。典雅な花姿、葉の気力、さすがであろう。

牡丹は富貴の花と言われてとても格が高い。先日はゴボウの匂いを誤って嗅いで、牡丹に失礼をしてしまった。

 

齋藤三郎(陶齋)も牡丹を多く描いた。鉄絵の掻き落としなどには幽玄な雰囲気が漂う。

牡丹壺陶齋作・掻き落とし牡丹文壺。

掻き落とし牡丹文水指陶齋作・掻き落とし牡丹文水指(みずさし:茶道具で水を入れる器)。

明日は今秋東京都美術館で開催される第49回主体展と倉石隆のことを書かせて頂きます。

夏になる。

2013年5月27日(月曜日)

急に暖かくなった。皆さんは軽装に変わり生き生きとされている。

絶え間なく花が変わり、鳥も一段と活発になった。

先日などは、開けた窓から二羽のツバメが啼きながら部屋に入って来て驚いた。

一つ咲き

散る花を集めて迎へる夏の庭

五月雨を集めて早し最上川     芭蕉

なんでも私たち次第。

2013年5月25日(土曜日)

樹下美術館が建って、裏の田で7回目の田植えが終わった。

新鮮な水田に浮かぶように建つ樹下美術館は何度見ても夢見るように穏やかだ。

私が郷里に帰ることを決めたのは、医家の長男であったことも大きいが、地元の松林と水田の引力は決定的だった。

いまJR線沿いの広大な松林は荒れた。一方水田は踏ん張っている。農業は老人の仕事などと一般に言われるが私が知っている限りそうではない。若年ではないにしてもまだ壮年の人たちの踏ん張りでなんとか成立している。

先日オランダの稲作をTVでみたが、もはや農業ではなく、巨大工業プラントのごときものだった。見渡す限りの農地はすべて透明に近い屋根で覆われ、土は無くダクトが巡らされ、必要な環境管理はすべてコンピュータだった。

今夕、樹下美術館の裏に植えられたばかりの稲は風に揺らぎ、とても愛着が沸く。果たしていつの日かこの稲は大気や日光から切り離され緑のロボットの如きものと化すのだろうか。

 

稲

田んぼ

その可否は消費者の私たちが握っている。自分たちがどれだけ消費者ロボットになるか、世の中何でもそれ次第だ。樹下美術館は建っている限りロボットにはならない。

 

新幹線 上越地域の明るい明日とは何だろう。

2013年5月22日(水曜日)

東京にお住まいで、昨年倉石隆の版画6点を寄贈してくださったご夫婦が本日来館された。昨日から瀬波→村上→新潟市→犀潟→樹下美術館へと到着された。明日はもう長野県入りという日程だった。

某テレビ局に長くお勤めのいわゆるテレビマン、後年は美術界のお仕事だった。赤坂生まれの東京ッ子。夕食を直江津の「おと」でご一緒して楽しい時間を過ごした。新潟県のことで興味深かった話を二、三記してみたい。

●新潟県人といえば河井継之助です。そもそも上野はなぜ西郷さんの銅像なのでしょう。継之助が当然だと思っています。前島密は立派な人ですね、恥ずかしい事ですが高田の人だったとは知りませんでした。上杉謙信のことはあまり興味がありません。

●新潟のお米は本当にすばらしいですね。お米が美味しいものだということを初めて知りました。見渡す限りの田んぼも本当に見事です。

●根曲がりタケと言うのですか。初めて食べましたが、こんなに美味しいものがあるのですね。

●新たな新幹線の名が長野新幹線か北陸新幹線か、もめていますね。新潟県の言い分はどうなのですか。

高田の桜と蓮は見応えがあった、と東京などの人から聞く。特に蓮は素晴らしいとも。そもそも旅行者は無駄を避ける。一過性の話題づくりやパフォーマンスでは観光はきつい。

遠くから来る人の貴重な時間を頂戴するにはやはりそれなりのクオリティが必要だ。˝時間の無駄、二度と行くところではない˝などという悪評だけは絶対に避けなければならない。そのようなことがどこかにあれば、上越全体の評判として一挙に定着する可能性がある。

大切な通年集客は一朝一夕に成立するとは考えられない。日本にはさまざまな人が居る。広い視野のもとで、大変な努力の継続が必要だ。当然ながら最初が肝心であろう、果たして間に合うだろうか。

追加:予定新幹線といえば、まず上越市のことを考えるが、妙高一帯の高原は有望だと思う。少なくとも北陸三県、さらに関西圏には妙高高原のようなのびのびとした美しい場所が見当たらない。もともと関東、首都圏にも人気だった。

冬場のスキーはじめ野尻湖とのタイアップなど復活のチャンスは大きい。荒れ地の整備、愛らしい在来線の高原列車、宿泊施設の質向上は不可欠であろう。実力あるプランナーを得ることも鍵にちがいない。

保育園で健診した みなそれぞれの個性で生きて行く。

2013年5月21日(火曜日)

本日保育園の健診があった。一歳未満から年長さんまで100人ちょっと、身体を診ながら子どもたちの さまざまな顔や仕草を見て来た。

子どもは一人一人本当に違った顔立ちと表情をしている。しかし違いは価値でもある。
色々あろうがこの先長く、それこそ墓に入るまで親からもらった顔と性格を密かな拠り所(宝物)としてそれぞれ生きて行くにちがいない。頑張れ園児!頑張れ個性!心の中で叫ばせてもらった。

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015グルーミングは動物の可愛い仕草の一つだ。

コムクドリはオスのほうが振る舞いに愛嬌あるように見える。しかしいざ子育、えさ運びとなると猛烈に働く。

 動物たちも性格や個性の違いがあるようだ。子鳥を飼っている人なら鳥にも個性があるというかもしれない。そのようなことでは特に養鶏場のかごの鳥たちは気の毒だ。

牡丹はかすかにゴボウの香りがするか コムクドリはのんびり。

2013年5月20日(月曜日)

本日の在宅まわりで伺ったお宅に黄牡丹が活けられていた。長かった認知症の混乱が鎮まってきた97才のおばあさんのお宅、花が置かれているのを見て少しほっとした。

帰りがけ見事な牡丹に鼻を付けて匂いをかがせてもらった。不思議なことにかすかにゴボウに似た香りがすると思った。みんなそうかなと思って奥さんにお尋ねした。

「奥さん、牡丹って少しゴボウに似た匂いがしませんか?」

「あら、今ゴボウ煮てるんですよ、先生って鼻が良いんですね]

いやいや、こういうのを鼻が良いと言うのでしょうか?

改めて牡丹の匂いを嗅いでみないといけないな、と思いました。

 

家の周囲で早くもスズメの雛がかえって啼いている。まだ虫が少ないので親たちは朽ち木で虫を探したり、草むらの死骸などを運んでいるようだ。

一方不思議の鳥、コムクドリはまだ抱卵の気配がない。
マツの梢で上がメス、オスは頬や胸に模様があり羽にメタリックなブルーが見られる。

 

草むらで時には他のオスやメスがやってきて、小さな諍いが見られる。
巣は決まったようだ。虫が出始めるまで子作りを待っているのだろうか。

スズメなどと同じくコムクドリは一日一個ずつ合計5,6個の卵を産むという。最後の卵を産み終わると初めて抱卵するらしい。もしかしたらこのペアのメスは産卵の最中か。

抱卵は雌雄交替で暖める。昨年の観察では一羽が巣に入ると一羽が飛び出した。時には巣から出て待つこともあったが、替りが来ないとまた戻った。

赤白黄色 色々な方のおかげで。

2013年5月19日(日曜日)

仕事場のカーポートの屋根にナニワイバラが咲き始めた。

10年経って、一本の苗木がこんな旺盛になるなんて。そもそも苗木は恐らく大きな親木から、その親もまたその前の親から切られた小さな苗だったのだろう。

初めて陶齋の展示作品に花を入れて丸二ケ月が経った。花は順調に入れ替わっている。いま赤と黄色の牡丹などが入っているが、花はご近所の老人からも頂き感謝に堪えない。

本日、樹下美術館はカフェで相席をお願いしたほど賑わったという。

 

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個人施設なので公の告知などなしの展示やイベント。7年目になったが見知らぬお客様で賑わったり、ご近所からお花を頂くなど、身にしみるような有り難みを感じる。

 

春から夏へ、今年も季節が変わる。

16日はジャンゴ・ラインハルトの命日だった。

2013年5月18日(土曜日)

さる5月16日は、1910年生まれ1953年に没したジャズギターの先人ジャンゴ・ラインハルトの命日だった。当日掲載したい曲があったが別の記事を書き、日はあっという間に過ぎてしまった。

ジャンゴはベルギーのジプシー出身で、フランスを中心に広く欧米でも活動した。18才の時、旅芸人のキャラバン(幌馬車、あるいはトレーラー)の火事によって左手指2本の機能を失う。ギターに致命的と考えられる不自由を克服し、ジャズギターにおけるソロ演奏の世界を拓き、後のミュージシャンに多大な影響を与えた。

彼の曲は本場アメリカのスイング・ジャズとひと味違い、フランス独特のエスプリが効いた魅力が感じられる。没後ジャンゴを追悼したいくつかの曲が作られたり、現在もトリビュート演奏会が開催されるなど、彼の音楽は生きて伝えられている。

 


ジャンゴの名作の一つ「Minor Swing」。
ヴァイオリンのステファン・グラッペリと「フランス・ホット・クラブ五重奏団」を結成し、長く同士的に活動を行った。

43才で没したジャンゴに較べ、ステファンは89才と倍以上も生き、後年クラシックの大御所、ユーディ・メニューインやヨーヨー・マらと共演を果たしている。

 


ジャンゴの流れをくむマヌーシュ(ジプシ-)スイングの名ギタリストの一人・ストーケロ・ローゼンバーグの演奏。

前半はソロによる即興演奏。後半はフローリン・ニクレスクのヴァイオリンとオーケストラが加わりジャンゴ作曲˝Tears˝が協奏される。編曲も良く、もの悲しくもおしゃれな演奏だと思う。

ローゼンバーグ、ニクレスクの両氏はそれぞれ近年来日している。

なぜ当家に前島密の扁額があるのか 小山作之助兄弟とマツ夫人。 

2013年5月16日(木曜日)

私の家に端正な扁額が残っています。前島密の揮毫で、上越市は潟町の古い医院の待合室に掛かっていました。重々しい玄関をくぐって上がった待合室は8畳間、その真ん中に八角の小さな染め付け火鉢がありました。
戊辰戦争後、高田藩において謹慎し、後に新政府の太政官となり、次いで東京大学教授となった会津藩士・南摩綱紀(羽峰)の屏風が火鉢を囲み、いっそう格調を漂わせていました。

正明堂明治42年初秋に前島密(号・鴻爪子こうそうし)から祖父・杉田直次郎に贈られた「正眀堂」。
「正眀堂は」医院の号でありましょう。
直次郎のことを杉田国手清鑒(こくしゅせいかん)と書いています。
国手は医師への尊敬語で鑒は鑑(かがみ)の事です。清鑒は澄んだ鏡という意味でしょうか。

当初、漢字「眀」は明るいという意味かと考えていましたが、調べてみますと「みょう」と読み、「見る」という意味のようでした。
ですから正眀(しょうみょうorせいみょう)は「明るく曇りない様」ではなく、「正しく見る」、という意味になろうかと思います。医療の場にぴったりな文字であり、密翁の髙い教養に感嘆しました。

 ※鴻爪という言葉にも立派な境地がこめられています。
※明治44年、密はすべての公職を退き神奈川県は横須賀で隠居生活に入りました。

大正10年作之助の長男藩氏結婚式で作之助の母トヨ(弘化2年1845年1月)生まれの小山作之助の母・トヨ。撮影は大正10年5月。
トヨは筆者の高祖父(祖父の祖父)の医師・杉田玄作(文政元年1818年生まれ)の次女です。
祖父直次郎のお母さんですから曾祖母になります。

玄作は1839年の蛮社の獄事件で逃亡する高野長英をかくまった嫌疑で取り調べを受けました。このことは恩師の笠原大川の書き付け(新潟県立文書館)や吉村昭の毎日新聞連載小説「長英逃亡」に見られています。

1:小山作之助と杉田直次郎(明治20年代後半)さて、文久3年1863年生12月まれの小山作之助と、
13才年下の明治9年1876年10月生まれの弟・直次郎です。
明治20年代後半、直次郎が千葉医学専門学校に入学した頃と考えられます。撮影は東京下谷の写真館です。

直次郎は、母の実家の当主で医師の杉田貞蔵(嘉永3年11月生まれ)に子が無く、明治20年に貞蔵の養子となっていました。また貞蔵は甥である作之助の上京後の困窮時代を経済的に支えました。(貞蔵の写真はどうしても見つかりません)

還暦祝賀会の日の作之助夫婦小山作之助の還暦祝賀会・大正13年5月における松(マツ)夫人(明治9年1月生まれ)。
作之助は前夫人を明治31年1898年に亡くし、9年後に前島密家から養女格のマツさんを迎えました。

昭和15年頃の祖父丸囲み少し逸れますが、祖父・直次郎の晩年です。妻トワの実家で昭和15年頃の現上越市新保古新田。
丸囲みが直次郎、その隣にトワの兄・野口孝治(大正時代に立憲国民党の衆議院議員)、その右トワ、孝治の後ろに新婚時代の父母がいます。
トワに抱かれているのは姉で、私はこの写真の2年後に生まれました。

二冊の本左・前島密の伝記「鴻爪痕(こうそうこん)」、小山マツさんの二編の寄稿がある。(大正9年4月27日初版、昭和30年12月15日改訂再版発行)
右・マツさんが刊行した作之助遺稿「国歌 君が代の由来」(昭和16年6月27日発行)

途中余計な写真が入りまして申し分けありませんでした。結局、前島密の扁額「正眀堂」は翁の養女格であるマツの義弟へ贈られたもので、直次郎の開院祝いだったのではと考えています。

 

●前島 密:天保6年1月7日(1835年2月4日)ー大正8年(1919年)4月27日84才没は上越市が生んだ偉人。 ※誕生日の違いは明治5年(1872年)に採用されグレゴリオ暦(西暦)による訂正です。

いずれ小山マツの人となりと美しい文字などを掲載したいと思います。

花 代掻き 草取り 夕月。

2013年5月12日(日曜日)

夕刻から二時間、妻と庭仕事をした。ネットで取り寄せた大好きなマツモトセンノウを三株植えてあとはすべて草取り。気温が上がり雨も降ったので一気に花の勢いが増したが、雑草も伸びる。

除草が必要な草は季節によって変わるが少なくとも7~8種類はあろう。この時期、触ったりあるいは近づいただけでパチパチと弾けて猛烈に種を飛ばすタネツケバナが凄まじい。雨によってすでに今年二回目の発芽をしたのではないかと思われるものまで生えている。

一方で突然増えるスミレ類や裏の芦、そして芝のはびこりも要注意だ。庭が荒れることは施設が荒れている事でもある。草取りは樹下美術館の大切な仕事で、一種修行のような気がしないでもない。

カフェ入り口の花カフェ降り口は自家製の花。エビネあちこちで咲きそろったエビネ。 ヒメウツギ卯の花/ヒメウツギ。スズランようやく花開いたスズラン。

代掻き日ぐれて静かになったすぐ裏の田んぼ。
しばらく前までエンジン音がしてトラクターが代掻きをしていた。

月真新しい三日月。

夏の花マツモトセンノウは10カ所ほど植わったことになる。ガンピなどとともにとても楽しみだ。

毎年母の日にと妻に届くアジサイが今年も庭に移植された。

心揺さぶられたコンサート。

2013年5月12日(日曜日)

昨夜小雨のコンサートが終わった。予定を越える盛況で、3カ所の駐車場はいずれも一杯だった。、予約された新潟市そして東京都からのお客様もお見えになった。

「夏は来ぬ」から始まった会場。演奏者のコンディション、選曲、アンサンブル、音響、お客様、みな素晴らしかった。サン=サーンスやヘンデルの古典はもちろん、竹花さんオリジナルも熱い反応があり、迫力のピアソラとチック・コリアは圧倒的だった。スタンダード曲サマータイムと追加されたマイ・フーリッシュハートの中低音に心揺さぶられ、アンコールの愛の賛歌やマイ・ウエイなどではついに涙がこみ上げた。

チェロの竹花加奈子さん、ギターの蓮見昭夫さん、まことに有り難うございました。

top雨の駐車場

1熱演

2館内

3お見送りはじめての方に沢山ご来場いただき、音楽を共にした一期一会の夕べ。
有り難うございました、どうかお気を付けてお帰りください。

展示物移動、照明設定、椅子搬入、駐車場案内、撤収などの作業を完遂されたスタッフの皆様に深く感謝しています。

コンサートのウエルカムボード。

2013年5月10日(金曜日)

いつも紙に文字だけだった入り口の案内。今回絵をと考えて急遽パステルを買ってきてもらいました。

A3サイズのキャンソン紙に生まれて初めてパステルで描きました。パステルは粘りがあって伸びると想像していましたが、カチカチのパサパサ。描きにくいなあと思いました。

あまりこだわると苦労が予想されましたので、つたなくも一回で終了としました。

ウエルカムボード24色セットでしたが白が無いので少し驚きでした。
こんどは教則本くらい読まなくては。

明日のコンサート、
幼稚なボードを入り口のイーゼルに置き、心からお待ち申し上げます。

Summertime サマータイム。

2013年5月10日(金曜日)

明日に迫ったコンサート。先日はヘンデルのラルゴ、オンブラ・マイ・フのことを載せました。本日はせっかくガーシュインのオペラ「ポーギーとベス」からサマータイムが演奏されますのでyou tubeから引いてきました。


スタジオ制作版の「ポーギーとトベス」のDVDからサマータイム。
第1幕1場の冒頭で歌われる子守歌で、実際にはハロリン・ブラックウェルが歌っています。
1920年代、底辺の黒人たちの過酷な日常の中で幾多の事件と愛、悲しみと希望が描かれます。

上掲で歌っている母クララは後に亡くなり、その後赤ちゃんは次々人手を渡って育てられます。そのたびに「サマータイム」が歌われ、主人号たちの波乱と愛の傍らで、赤ちゃんは一縷の希望の表象のごとくです。

曲はオペラから出発してジャズ・ポピュラーのスタンダード曲となりました。多くのプレーヤーに愛され2700ものカバーがあるそうです。

Summertime冒頭部分の訳詞(拙意訳)

夏の暮らしは楽でいいの
魚は飛び跳ね、綿は伸びてる
パパはリッチで、ママは美人
だからチビちゃんしずかにして
泣かないでね

ある日の朝、あなたは歌いはじめ
翼を広げ 大空へ向かって羽ばたくでしょう
でもその日の朝まで
何も怖がることはないの
ダディとマミーがそばに一緒だから

明日の演奏が楽しみです。

樹下美術館の山菜 蕗の下ごしらえ 続く寒冷。

2013年5月8日(水曜日)

毎年樹下美術館の庭で山菜が採れます、と言っても蕗ですが。早春にフキノトウ、今ちょうど蕗の採り頃のようです。妻が採ってきて切りそろえ、湯がいて皮を挽きました。

採りたて日当たり良い所の方が太っていたと。

  湯がき湯がくと色が冴えてくる。

 皮をむいて終わり皮を挽いてきれいになった。
山菜の支度は意外と手間が掛かるのですね。

ところで、お会いする皆さんが口々に寒さによる田畑の遅れを嘆かれます。畑の苗が植えた時のまま大きくならない。稲の苗も小さいなどです。

本日は晴天でしたが、やはり寒い一日でした。夏もそこまで来ているはず、この寒冷は少々心配です。

ヘンデルの歌劇からラルゴ 「Ombra mai fù」 オンブラ・マイ・フ

2013年5月8日(水曜日)

樹下美術館に於ける5月11日の˝チェロとギターの夕べ˝コンサートが近づきました。

当日のプログラムとして ヘンデルの「ラルゴ」サンサース「白鳥」ガーシュイン「サマー・タイム」、竹花加奈子さんオリジナル「プラザカテドラル」、ピアソラ「リベルタンゴ」、ほか魅力的な曲が知らされています。

なかでも本日は樹下美術館にぴったり!ヘンデルのラルゴ:歌劇「セルセ(クセルクセス)」第1幕1場冒頭のアリアOmbra mai fùオンブラ・マイ・フを取りあげてみました。アリアは「木陰にて」とも呼ばれるようです。

春の庭樹下美術館の愛する木陰、オンブラ・マイ・フ。

以下アリア「Ombra mai fù」。オンブラとはイタリア語で影あるいは陰ということでした。

Ombra mai fù

di vegetabile,

cara ed amabile,

soave più

「こんなにも いとしく愛らしく 気もちのいい 木陰は いままであっただろうか」
(ウエブ参考の意訳)

どなたも一度は耳にしたであろうアリアは、ウィスキーのCMにも用いられました。ペルシャの王セルセ(クセルセール)は素晴らしいプラタナスの木陰に感嘆し、樹に宝飾品を与え、護衛さえつけたという物語場面のアリア、とあります。

 


キャスリーン・バトルの「Ombra mai fù・オンブラ・マイ・フ」

 

プラタナス上越市は大潟区の「新潟県立大潟水と森公園」のプラタナス(一昨年5月)。
宝飾を与えるかは別にして、非常に見事な大木ぶりに驚かされます。
当県立公園一帯は古代をそのままに、随所にパワー・スポット的な雰囲気が漂います。

最も良い季節の始まりです。どうか当日の竹花加奈子さんと蓮見昭夫さんの演奏にご期待ください。

上越市は牧区からウド コムクドリが巣作り。

2013年5月6日(月曜日)

いつしか連休も終了となる。これでと思っていた図録が終わらなかった。挨拶から書き直しているのだから仕方ないのか。

このたび牧区の縁者ご夫婦から新鮮なウドを頂いた。「親父もお袋も年をとったのに畑を作ったり山へ行ったり頑張っている」。連休に帰郷した息子さんの言葉に畏敬が込められていた。

私について言えば、かつて亡き両親特に父にはある時期からはっきりした老いを見るようになった。なにがしか昨日の延長であればいい、と漠然と思っているが、今日自分もそう見られているのだろう。

牧区からのウド上越市牧区は府殿の山の幸、ウド。
沢山いただきましたが、分けています。

 

巣材を運ぶ本日初めて巣材をウロへ運ぶコムクドリのオスを見た。(あわてて撮っています。)

つがいは昨年と同じかもしれない。特にオスは首周りの模様がとてもよく似ている。昨年夏、懸命な子育をてした後、鳥ながら老けたな、と思った。しかしすっかりリセットして今年の子育てに挑戦しているように見える。

野鳥には野鳥の厳しい生涯があるはずだが、日頃、ぼんやりしているせいか彼らに老いを見ることがない。自然界には感心させられる。

端午の節句 赤倉でカレー。

2013年5月5日(日曜日)

本日5月5日はこどもの日、昔は端午の節句。

昼、客人を赤倉観光ホテルlへお連れした。昨日だれかが「赤倉ですか、高速も下道も混みますよ」と言った通り渋滞滞したが部分的だった。

  ゴンドラ赤倉ではゴンドラが動いていて。

スキー春スキーを楽しむ人たちが見えた。

何より気持ちの良い空の下、圧倒的な新緑の道中、客人との話は楽しく、ホテルで頂いたカレーは美味しかった。

赤倉で皆さんを見送った後、˝柱の傷はおととしの 五月五日の背比べ、、、♪˝

頭の中で歌いながら帰った。

樹下美術館は賑わい、時間を過ぎて来館された方たちもお迎えしたと聞いた。

良寛を訪ねて 国上山 出雲崎。

2013年5月5日(日曜日)

昨日みどりの日は長男一行とともに良寛ゆかりの国上山(くがみやま、くがみさん)は国上寺(こくじょうじ)を訪ねた。春陽は透明で花も残り、良寛を訪ねるには絶好の日和だった。

かって14,5年前に訪れた時に較べて国上寺の本堂はじめ各塔頭は、より鮮やかに写る。また良寛は長身であることは知っていたが、加えて屈強な人ではなかったか、と新たな想像が生まれた。

国上山を後にして分水良寛資料館を見て出雲崎へ出た。出雲崎では良寛記念館を見て町並みを散歩した。通りは30年前から何度か歩いているが、風雪に磨かれた時の流れを感じることが出来る良い所であろう。

国上寺枝垂れの八重桜ごしの国上寺本堂は、いっそう重厚だった。

 

両館像広大な順路にあった良寛像。
この日、何体の良寛像を見ただろう。五合庵良寛ゆかりの五合庵床屋さん出雲崎のパーマ屋さん。
白ペンキがおしゃれ。出雲崎出雲崎の裏山からの眺め。椿白出雲崎の椿。
国上山国上山遠景。
鯉のぼりが雰囲気を作っていた。旅館出雲崎の旅館に旅情。出雲崎の店出雲崎の大正ロマン風また、
アールデコ風な建物。椿赤国上山の椿。都寿司上越市は大潟区の都寿司。

良寛に触れると心身清められるようであり、また肩の荷が下りるようにも感じる。
最後に寄った都寿司も美味しかった。

憲法記念日は樹下美術館の花 そして夕刻。

2013年5月4日(土曜日)

昨日は憲法記念日の祝日だった。70年近くも日本が平和で、今日も自分が生きられているのは現憲法のおかげでもあろうと日頃感じている。

平和と個人の尊さを希求した現憲法は日本ばかりか、世界の宝物ではないだろうか。

その日に樹下美術館と裏手の田んぼのツバメ、そして渋柿浜漁港の半日の写真を掲載しました。

ノスミレスミレチゴユリチゴユリキバナホウチャウソウとスミレキバナホウチャクソウとスミレの一種丁字桜チョウジザクラデッキと田樹下美術館、夕暮れのデッキ。
わらを持ったツバメワラを運ぶツバメ。
マイズルソウマイズルソウスズランまだ開かぬスズランイチリンソウイチリンソウ(八重咲き)ベニシジミベニシジミ夕雲と樹下美術館夕暮れの樹下美術館。田のツバメ田を飛ぶツバメ。

堤防の人々夕暮れの上越市大潟区は渋柿浜の堤防。

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夕日に染まる小屋。

まことに寒い日。

2013年5月3日(金曜日)

まことに寒い日が続くなか、明日から連休の後半。少し気になる人がいるのであまり遠くへは行けない。

寒冷ながら庭の雑草は伸びつづける。昨夕およそ一時間半、暗くなるまで草取りをした。終える頃、西の空低くわずかに見えた茜、晴れるといいのだが。

落花仕事場の古い椿は落花の盛り、小さな崖を赤く染めていく。傍らで満開のヤマブキが見送っている。毎年ゴールデンウィークになると鮮やかなコントラストに眼を奪われる。

樹下美術館の花鳥とお茶。

2013年5月1日(水曜日)

寒い日が続き、風邪の方が絶えず、子どもさんたちに冬場に多い感染性胃腸炎が見られます。

お陰様で4月の美術館は昨年より多くの来館者さんがあったと聞きました。展示も好評で、斉藤さんの器に花を入れていること、倉石氏の「お嬢さん」を褒めて頂いています。

本日昼、出向いて斉藤さんの器と花を写してきました。花や枝は仕事場と樹下美術館の庭のものです。

白磁 白磁壺にクリスマスローズとアジサイの枝。手桶手桶花入れにアジサイの枝と白ツバキ。 露草文辰砂(しんしゃ)の花瓶にガマズミの枝と白ツバキ。辰砂辰砂の花瓶にヤマブキとアマドコロ。

大潟区の仕事場ではウグイスが連日鮮やかな鳴き声を聞かせてくれます。美術館のカフェのお抹茶はウグイスのお菓子でした。

ウグイス本日美しく鳴いていたウグイス。

抹茶とお菓子ウグイスのお菓子は写真の姿にそっくりでした。
お菓子は上越市黒井の坂詰さん、お茶碗は解良正敏さんの三彩面取り茶碗、
白磁の銘々皿(お菓子皿)は斉藤尚明さんです。

2013年5月
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