2013年7月

手間を掛ければ環境に価値が生まれるのでは。

2013年7月30日(火曜日)

上越市大潟区はかって松林が広がり雑木も混じる清々とした環境に恵まれていました。

小学4年生の図画の時間に将来の夢を描く授業がありました。忘れもしません小生は松林に建つ病院を描きました。子ども心に地元の松林が大好きでした。

それがバイパスが通り、ゴルフ場が出来、高速道路が横断し、工場団地が造成され、ずたずたに寸断され、残りは荒れてしまいました。
時代の要請とはいえ何かを得るには必ず大切なものを失わなければならないものでしょうか。皮肉なことにゴルフ場が保全している林は、今となっては貴重に見えます。

ところで最近、ある在宅介護のお宅へ伺った際、お庭とその先の光景を拝見して目を見張らされました。あたり一帯は踏み込むのも気後れする荒れ気味の林です。その一角に人知れず木漏れ日射す小道が整えられていたのでした。

雑木林地面(林床)も樹木の根元も見えず密林化した林。

 

小道松、コナラ、ヤマナラシなどを選び下草を刈って〝環境〟らしい姿になっている。
日が射すため季節の花も咲くという。小道の先に小さな流れがあるらしい。

長年手間をかけて個人が整備されたようですが、このようなことは誰にでも出来るわけではありません。

行政施策は何かと見栄えのする建造物や賑わいを追求します。しかし地味なことですが、環境の復元によって地域に新たな価値が生まれることをこの小道が教えているようでした。

良い住環境は、日々の幸福感や子どもの成長に深くて密かな意義があろうと考えられます。行政は上ばかり見てないで、足下への視点も欠かさないでと、いつも思っています。

同門ゴルフ会。

2013年7月29日(月曜日)

先週末は軽井沢へ出かけた。大学病院時代の教授のもとで研鑽した当時の同門によるゴルフ会が、軽井沢で40数年も続いている。

美術館の開業以来休んでいたが、7年ぶりに参加した。前夜の懇親で思わぬ医師たちの死に悲しみ、何十年ぶりになる方との再会を喜んだ。

美味しいワインの差し入れを続けられる先輩・同輩、奇抜な冗談で盛り上げる先生、記憶力抜群の人、絶えない逸話、濃やかな幹事、、、場所を移しても話は尽きなかった。

翌日のゴルフでは医局時代、私の下に付いた医師が元気に当日参加した。変わりなくスマートで、私と一緒で良かったとは、お世辞にしても嬉しかった。

美術館のことや、妻が持参したパンフや小生の絵はがきを皆さんに喜んで頂き、行ってみたいと言ってもらった。年を経て揺りかごのような会になってきた。来年も是非参加したい。

帰り道で帰り道の浅間山。

遅ればせながらの発見 ヘアブラシの裏側。

2013年7月27日(土曜日)

髪を伸ばして50余年、長くヘアブラシのお世話になっています。ブラシは毛の製品も使いますが、主に写真のようなプラスチックのものを使っています。

このタイプは何時頃から登場したのか定かではありませんが、柄とブラシ一が体のプラスチック製品は昭和30年代半ばに既にあったと思われます。姉などはブラシにからんだ毛を処理しやすいよう上からガーゼを刺すようにかぶせて使っていました。毛がたまってくるとガーゼごと抜き取るのです。

この方法はどなたも工夫されたことがおありではと思います。私は普段何もせず、汚れてくると入浴の時に石鹸湯に漬けて手洗いし、指や爪楊枝や古い果物フォークなどで汚れと毛髪を取っていました。

 

1

ところで洗った後、ブラシが生えている赤い部分の中に溜まっているであろう水分がずっと気になっていました。それで強く振るなど水切りを試みていましたが、すっきりしません。

 

 

2それがつい先日、赤い部分が柄からスライドして外れることに突然気がつきました。

4外れた部分を裏返すと底が二つに割れます。

 

005割れた部分をさらに開くとブラシの根元が現れました。今後はここも洗えます。

知らぬは私だけだったかもしれません。

しかしこれほど見事に、気になっていた問題が解決(100%以上?)される工夫がなされていたことにひどく感心しました。ブラシには製造元など一切記されていません。この構造はプラスチックブラシに共通で、長い常識だったのだろうと思いました。

誰もが当たり前に知っているようなことを今さら気づく、、、。なにごとも〝おくて〟の自分に相応しい発見でした。

常連さんと濱谷朝さんの本 くちなしを摘む。

2013年7月25日(木曜日)

木曜日午後はいつもの休診。紹介状二通、介護保険意見書4通、身障申請書一通を書いた。それでもまだかなり残っている。

気分を変えに美術館へ行くと、カフェに男性の常連さんがお見えだった。濱谷朝(あさ:1910~1985年)さんの「女人日日(おんなのひび)」を読んでおられ、彼女の話をご一緒した。

氏も熱心な朝さんファンだ。お茶人、妻、女性、人、、、、当時すでに彼女ほどこまやかな方は希ではなかったか。上越に凄い人が住んでいたものだ、とお話ししながらあらためてその貴重を思った。

 

クチナシ美術館が閉じた後少々の庭仕事。
変色しつつあるクチナシの花を摘んで枝を詰めた。

こっそり忍び込んでいるセイタカアワダチソウが伸びて目立ってきた。今まだ楚々としているがそのうち固く根を張る。かなり抜き取ったがまだ沢山菊などに紛れている。

歳寒三友 酸友は陶齋の柚子の絵皿。

2013年7月24日(水曜日)

一昨日、庭石に生えた松のことを書かせて頂きました。石のくぼみで、かすかな養分を頼りに根付いた松に驚きました。あまつさえ小さな枝を元気に広げた姿は微笑ましくもありました。

緑を絶やさない長寿の松はめでたさのシンボルです。

ところで松といえば、樹下美術館に陶齋が高田で焼き始めたころの作と想定される絵皿があります。柚子が絵付けされ〝歳寒酸友(さいかんさんゆう・さいかんのさんゆう)〟の文字が見られます。松などどこにもありませんが、実は〝友〟の一つに含まれているのです。

 

皿の表       色絵柚子文皿。

 

文字歳寒酸友の文字。

書かれた四文字は中国に伝わる「歳寒三友」の〝三〟を〝酸〟にもじった陶齋の造語と考えられます。元々歳寒は冬のことで、三友は〝松・竹・梅〟の三種の草木を指しています。

松と竹は力強く冬を耐え、梅は寒中さきがけて花を咲かせる。厳しさの中にあって生き生きとした様から、古来貴いものとして中国で文人画の画題として好まれました。

ところが、歳寒三友は日本に伝わると江戸時代以降「松竹梅」と直接呼ばれ、目出度さの象徴となりました。

さて陶齋の友です。冬に明るい色で登場する酸っぱい柚子へ親しみを込めて酸友と称したのではないでしょうか。氏の優れた教養とユーモアが伝わります。
過日、新潟市會津八一記念館において、陶齋窯で製作された八一の書き入れ陶器を沢山観ました。気むずかしい八一が何度も陶齋を訪ねたのは、実力とともに陶齋の人柄、魅力に惹きつけられたのではと思っています。

 

裏面柚子文皿の裏面。
表は九谷の色を用いて日本画風ですが、裏面の三角模様にはオリエントの趣が漂います。
戦後間もなく、築いたばかりの登り窯で自らの才覚を楽しむような陶齋の姿が浮かびます。

松の生命力。

2013年7月22日(月曜日)

午後の在宅回りは7件、定期的な訪問のほかぶり返した暑さによる急な用件が二件入った。

最後に伺った初めてのお宅で珍しい松を見た。何気なく見るとなるほど、と思われ、あらためて見ると不思議そして驚嘆を禁じ得なかった。

 

側面から岩に松。どこかで見た風景。

書面の近接小さい(幼い)が、堂々としている。

正面高さが70~80㎝の庭石に生えています。
小さなくぼみに近くの大きな松から種が落ちて発芽したらしい、とうことでした。

固そうな庭石にどう根を張ったのか外見では分かりません。水を遣るわけでもなく自然にまかせているそうです。
土壌と言えばわずかの砂ぼこり程度のもの、水は雨水、そして石からかすかに浸み出すであろう養分が頼り、、、。

すでに3年ものあいだ、明らかに成長し真っ直ぐ立つ幼い松の踏ん張りは、にわかに信じられない光景でした。

〝行水の花〟の盛り 姫桧扇水仙(ヒメヒオウギズイセン)。

2013年7月20日(土曜日)

芝生の南はしに姫桧扇水仙(ヒメヒオウギズイセン)が咲いています。赤々と群れて咲く様は花少ない夏にあって慰められます。

 

この花のことを〝行水の花〟と言って07年7月23日の当ノートに書きましたが、ずいぶん昔のように思われます。当時の写真を見ると、当然ながら小こじんまりとした群でした。
ともすれば道ばたに咲くほど当たり前の花ですが、今はしっかりまとまり庭の一角を占めるようになりました。夕刻は芝生に映えて特にきれいです。

 

 07年の夏2007年、開館当時の花。

桧扇本日の花。
一種見応えをを持ちましたが、あちこちへ飛びますのでほどよく抜いています。

この花を見ますと、〝子どもの頃行水をするといつもそばに咲いていた〟と言った佐賀県出身の母を思い出します。

二代陶齋40年 初代生誕100年 新潟行き メディアシップ。

2013年7月19日(金曜日)

樹下美術館の常設展示作家・齋藤三郎(陶齋)のご子息二代陶齋・尚明氏が作陶活動に入られて40年が経ちます。時を同じくして今年は初代陶齋の生誕100年に当たりました。

そこで現在新潟市會津八一記念館で「陶芸家齋藤三郎生誕百年 会津八一の旅と出会い」展が開催され、新潟三越で二代陶齋の40年記念展が開催されています。

さらに今夕「二代陶齋齋藤尚明さんの作陶40年を祝う会」が新潟日報メディアシップ20階展望フロアでありました。午後を休診にさせて頂き二つの展覧会を巡り、夕の祝う会に参加してきました。

案内と催事記事新潟日報の関係記事と会津八一記念館のちらし。

 

樹下美術館の案内物催事の関係施設ということで、會津八一記念館に置かれたてい樹下美術館の案内資料。

 

三越の案内三越のエレベーター案内。

 

粟島と佐渡汽船夕刻のメディアシップからの眺め。くっきり見える粟島を背に佐渡汽船が入港してきた。
右は朱鷺メッセ。

 

夜景初めて訪れたメディアシップ。20F展望フロアから見る新潟市の夜景は素晴らしい。
たまたまガラスの夜空部分に、背後の尚明氏お祝い会が写り込んでいます。

會津八一記念館では八一の旅を象徴して、南都(奈良)を訪ねた時代の仏(ほとけ)讃歌が充実して展示されていました。半ばから旧高田市における陶齋(三郎)との交流および陶齋窯における器への書入れ作品が続きます。
中に、地に蝋で揮毫し、釉薬を施したのち焼成し、文字を浮かび上がらせる蝋抜きの大きな鉄絵皿には〝藝〟の一文字。ほれぼれする見事さでした。

三越の二代陶齋は赤の色に変化が見られ、唐津の焼き上がりが良く、施された草紋には風情が漂っていました。40年の節目を期して新たな展開が垣間見られました。

夕刻からはじまったメディアシップのお祝い会は、素晴らしい会場で盛大でした。尚明氏は昨春の病を克服され、とても元気。そのことが特別に嬉しく思われます。
発起人の一人として小生も挨拶を求められました。僭越ながら氏の幼少のこと、独自性へのさらなる期待などを述べさせて頂きました。

会場で高橋新潟日報社長、篠田新潟市長、竹石BSN社長、後藤丹教授、火坂雅志氏、濱谷朝さんのご縁者始め多くの方とお会い出来たことも有り難いことでした。

猛暑が落ち着いて ローランサンの薄紅色の雲。

2013年7月18日(木曜日)

このところ暑さが一段落している。Yahoo!天気で見る限り、関東甲信越10県の,向こう一週間に猛暑日が見当たらない。上越市高田の最高気温も27~29℃と出ていた。

今夏は早くに猛暑が来たが、8月など中から先はさほどでない、という予報を聞いたことがあった。今のところそんな具合になりつつあるがどうなるだろう。

ところで原発再稼働のベクトルは猛暑を背景に機運が高まったかに見えた。しかし当県の柏崎刈羽は世界一の規模であり、中越沖地震の洗礼も受けている。次元とわけが並みでない、慎重の上にも慎重姿勢が求められる。

今夜放送されたTVコマーシャルに〝ほどほどの安心なんてありませんから〟というキャッチがあった。あるハウジングのコマーシャルだった。確固たる安心概念が伝わり、賢明な会社だと思った。

このような言葉を述べるスマートな電力会社が無いのも淋しい。

 

四ツ屋浜の夕雲曇りの夕暮れも見所、今夕の四ツ屋浜。
やや暗いが、薄紅はマリー・ローランサンの絵によく使われる色を思わせる。

柿崎病院の貴重 頸北のこと。

2013年7月17日(水曜日)

筆者の地元は新潟県は上越市、地勢区分で頸北地域になります。平成の大合併によって13もの町村が旧上越市に編入されましたが、それまで柿崎町、吉川町、大潟町の三町エリアは頸北と呼ばれていました。

合併をしましたが、広大な上越市にあって生活圏、なかんずく医療の日常において頸北は歴然たる地域として生きています。なかでも柿崎病院は、高齢者医療および日常疾患における文字通りの砦として欠かせません。

昨夕、その柿崎病院さん主催によって「2013年度上越頸北臨床検討会」がありました。

今年の話題は肺炎実は結核、薬剤によるアレルギー性肺炎、COPDの評価法などでした。いずれも卑近かつ貴重なケースと知見を示して頂き、地域の開業医師を交えて沢山の質疑がありました。

柿崎病院は小規模な病院ですが、院長と医師たちはいっそう暖かく熱心。今後も重要な医療機関として維持発展を願って止みません。

 

頸北地域はおよそ雪少なく、開業医師同士は仲良く、高速道路のICとスマートICの直近などで、生活利便があります。さらに近年、直江津における中高一貫校の定着と同校への比較的近距離によって、以前より進路の選択肢が拡大しました。さらに柿崎区と吉川区の中山間地域は貴重な特性の維持に、都会交流にと頑張っています。

〝頸北もいいかな〟

地元の一人としていつもそう思っています。

 

以下のPhotoは頸北三区の一部です。

IMG_1584柿崎区の上下浜の雲。

IMG_0549吉川区は悠然たる尾神岳。

IMG_5611夕焼けの大潟区は鵜の浜温泉。

 

そしてお隣の〝頸城区と樹下美術館〟これからも宜しくお願い致します。

小林古径 びんのかけら Lait Deux(レ・ドゥー)。

2013年7月15日(月曜日)

昨日上越市は高田の総合文化博物館と埋蔵文化財センターの催事を書かせて頂いた。どちらも充実し企画→展示のご苦労が偲ばれた。文化財埋蔵センターは撮影がOKということで有り難かった。

博物館で小林古径も観た。特に夏をテーマに三階で展示されている植物を中心とした多数の素描は興味深かった。氏の探求と修養、そして品格は印象的だ。

1ショップで求めた「清らかな美」

清らかな美は小冊であるが、古径の要点を本人の語った言葉を引用して良くまとめられている。なかでも写生、時代と絵画、画品というもの、下絵の要点、対象の価値(命)の表現などにおける文言に畏怖を禁じ得なかった。
古径は、いま脱税などで騒がれ同じような絵ばかり描いていた高名な某画家とは天地ほど格が違うのである。郷土の真の誇りとしたい。

さて、少し早かったが夕食のため「びんのかけら」へ寄った。趣味のよいご主人の好みがさりげなく生かされ、ほどよく味付けされた年月にくつろげる。

2外にも席があり、ミストが吹き出すファンが置いたあった。

3多くのホーローの器が時の流れを演出している。

4

5天井の明かりととドライフラワー。

入るとビル・エバンスの「My Foolish Heart」 がかかっていた。美味しいミックスとアンチョビーのピザを妻と一人前ずついただき珈琲を飲み、オーナーと沢山話をした。南欧風のしつらえ、流れるジャズ、隣接するオーナーのバレー・スタジオ、庭、バラ、小鳥、、、、。
ちなみにと、仰ってレコード棚から取り出されたレイ・ブライアントの一枚は、偶々私が持っているのと一緒だった。

途中激しい驟雨が来て、小止みを見計らって失礼した。それから直江津へ出てお菓子屋さん「レ・ドゥー」へ寄った。

6フランス菓子の店「Lait Deux(レ・ドゥー)」。お菓子、内外のしつらえともおしゃれだ。

樹下美術館ではカフェのケーキでいつもお世話になっている。夕刻にはケースがカラカラになるほどの人気を長く維持しているらしい。ご出身が筆者の地元大潟区で、ご近所だったのも頼もしい。

びんのかけらさん、レ・ドゥーさん。ともにポリシーとその現れなど、樹下美術館にとっていつも勉強になる。

「花の高田」展 「春日山城から福島城、そして高田城」展。

2013年7月14日(日曜日)

本日午後高田へ行き、先ず上越市立総合博物館で開催中の企画展「花の高田」と同館常設の小林古径を観た。

その後咲き始めたお壕の蓮を見て、上越市埋蔵文化財センターで春日山城から高田城まで、それぞれの城跡に関係した埋蔵文化財の展示を観てきた。

1上越市立総合博物館3お壕の蓮5センター企画展の染め付け皿 2図録・花の高田と清らかな美4センターの珠洲焼の壺(常設展示品)6センター企画展のオランダ染め付け皿

博物館の企画展は来年の高田開府400年にちなんでいる。福島城から移り高田城で開府(1614年)して400年。伊達政宗、上杉景勝、前田利常、真田信之など東北、北陸、信越の有力な外様大名によって行われた築城普請がわずか4ヶ月だったことにまず驚かされる。

さらに展示で示される高田藩が経た有為転変は江戸時代では当たり前だったのか、あまりの激しさに恐れを禁じ得なかった。繰り返される藩の盛衰に対して民はどうだったのだろうか。このたびの視点とは違うかもしれないが、気になった。
開府300年の大がかりな祝祭行事も興味深かった。賑わいの写真に写る少年たちは、生きていれば110才前後、はや誰も居ないことだろう。当時赤ちゃんであれば元気な人がいるかもしれない。

さて埋蔵文化財センターは初めてだった。開催中の企画展は同じく高田開府400年にちなんでいる。
実は新聞で紹介されていた城跡埋蔵の台所用品、主として出土した食器を観たくて、まず高田行きを決めた。

江戸期の城内に於いて用いられた唐津と伊万里の肥前もの、および美濃の人気。多くは破片であっても、今と変わらぬ、あるいはそれ以上の好みとレベルの高さは想像以上だった。
悲喜こもごもの日常における食事。人々はどんな思いで器を手にし、箸を運んだのだろう。オランダの染め付けまであり、愛された遺物は人々の手と口と心を伝え、その生々しさは一種独特だった。

小林古径、夕食のびんのかけら、帰りに寄ったフランス菓子のレ・ドゥーのことは明日掲載したいと思います。わずか半日の旧上越市でしたが、色々観てとても長く感じました。

本日の樹下美術館の庭 青鬼灯、クレマチス、葦、蟹そして桔梗。

2013年7月13日(土曜日)

暑さが一段落。樹下美術館の庭はテッポウユリが終わりアジサイは片隅に残るだけになりました。

そんな時期、桔梗が始まりました。

夕刻は、暑さにうなだれた福島県からのシラネアオイに寒冷紗を掛け、
水田に面した場所の葦(ヨシ)を整え、
花に侵食を試みる芝や、鋭いトゲをもつ周辺のワルナスビを抜きました。

 

059昨年初めて数株の鬼灯(ほおづき)を植えた。発芽後いつしか伸びてひっそり実を付けていた。
とても嬉しい。

 

053小生がこしらえた拙い竹の棚に一輪ずつクレマチスの名残花が続いている。

 

017水田に面した南側に涼しげな葦。
夏の風情ですが、いずれ一気に群れますので本日少し抜きました。

 

甲羅が2㎝ほどのとても小さな蟹が突然現れました。 037くびき野は稲穂のおほきく育つ日に 我いとちひさき蟹と戯る
正面の顔は怖いのですが、甲羅は愛嬌がありました。

 

039 また明日(あした)夕べの庭の桔梗かな
またあした桔梗が告げる夕べかな

猛暑の日の大きな木 地下水の散水蛇口が付いた。

2013年7月11日(木曜日)

暑い日には大きな木が涼しく見える。
午後仕事休みの本日、樹下美術館へ行った。美術館まわりで目に付く木を撮ってみた。

 

ヤマナラシ「さいがた病院」の門のそばにヤマナラシ。風が吹くと葉がサラサラと鳴る。
ポプラに似ているが、すっきりしている。大潟一帯の雑木林にしばしば見られたが今は少ない。

 

ハンノキ(株)信越半導体のハンノキ。樹下美術館のデッキから東に見える。
当館庭の南にも数本ある。これも一帯の名残となる自然木であろう。

 

ネムノキ美術館の東に借りている駐車場に異常に背の高いネムノキ。
当初、松や雑木に囲まれて育ったゆえ、細く上へと伸びたと思われる。

 

赤松樹下美術館のシンボル赤松の大木。
立派であるがポンポンを持って踊っているおばさんの様でもあり、
古いディズニー漫画を思い出させる。
(カメラを地上すれすれにしましたので、手前のトクサが竹のように写っています。)

 

蛇口熱暑の水不足を心配して散水蛇口を新設してもらった。
(消雪用の地下水ポンプから水を引いています。)

夕日のかなたに。

2013年7月9日(火曜日)

本日も山梨県は勝沼(甲州市)で39、1℃とニュースが報じていた。どんなに暑かったことだろう。

最高気温は人ごとではない。勝沼ほどではないが、昨年9月17日は筆者の地元・上越市大潟区の37,6℃が当日の全国最高気温だった。ひどい猛暑と聞くとむっとして鼻から脳へ乾くような熱感がよみがえる。

上下浜の夕暮れ本日夕刻の上下浜。

 

Beyond The Sunset(夕日のかなたに)


曲はその昔、パット・ブーンやハンク・ウイリアムズの歌、ロジャー・ウイリアムスのピアノなどで
ラジオから流れてきました。
当動画はジョー・スタッフォードとゴードン・マックレーのデュエットです。

真夏日 猛暑日。

2013年7月8日(月曜日)

本日全国的に高温となり、山梨県勝沼では38,6℃もあったという。

ところで昨日午後4時ころ訪れた埼玉市は35℃前後だった。妻以外皆様のお顔に苦痛が見られなかったと書かせていただいた。しかし本日の山梨県の猛暑を報じるニュースの市民の方たちには、明らかに〝うんざり〟という表情があった。

38℃超は異次元的(病理的)な気象環境にちがいない。ちなみに上越市高田の最高気温は33℃。在宅回りで45分ほど外出したが、おおかたは冷房された車内である。戸外の労働、徒歩などでの通勤通学に比べればずっと恵まれている。

合歓の花雨に弱い合歓が満開。仕事場の老木の花も精一杯青空を喜んでいる風だった。

当地はまだ梅雨が明けていないらしい。

暑かった関東 美味しかった野菜 名残惜しい「はくたか」。

2013年7月8日(月曜日)

昨日午後、縁あって埼玉市を訪ねた。大宮駅で新幹線を降りたが突然にして驚くような暑さだった。
暑さが苦手な妻は顔をゆがめた。しかし混雑する駅で、地元の人々はハンカチや扇を使ってはいるが平然としているように見えた。文化の違いか気のせいか、とにかくさすが関東、ということになった。

今回どの電車も駅も多くの人がスマートフォンを操作していた。隔世の感であり、「おとぎの国」のようでもあった。私は良寛の俳句の本を広げたがとても面白かった。

本を読む人は他にもいて、それはそれでまた「おとぎの国」の人のようにも見える。不思議な世の中になったと思った。(私自身が年のせいで、不思議の国へ近づいているという事でしょうね)

 

お訪ねしたお宅の菜園から見えた積乱雲の頭部。008畑では多くの作物が育ち熱心さが伝わる。夕げの食卓は幸福の野菜料理だった。

 畑で初めて見たブラックベリー。007

英国の器、ロイヤル・ウースターにペインテッド・フルーツのシリーズがある。そこにはブラックベリーがしばしば描かれ、あこがれていた。黒く熟しているものがあったので口にしてみたが、とても美味しかった。上越でも作られているのだろうか。

 

036上越新幹線は越後湯沢駅への往復に利用したほくほく線特急「はくたか」ホワイトウイング。

2015年春、北陸新幹線の開業で現「はくたか」は終了する。その後私たちの上京などは「上越妙高」駅を利用することになるのか。せめて列車の名だけでも残してほしい。

ところで北陸新幹線開業後は長野駅でJR東と西の運転士と乗務員が交替するらしい。現行の信越線ー北陸線に関して直江津駅でそれが行われている。これにはある種カルチャーショックを禁じ得ない。

新駅まで冬場の交通不便や直江津駅の地位低下、ともに辛い状況が見える。今後は、残ったほくほく線およびJR並行在来線の頑張り、それに新たな公共交通の開発が期待される。いずれにしても地域がどれだけ頑張れるか、私たち自身の古くて長く真剣な課題にちがいない。

帰路、懐かしい医師にお会いした。頑張り屋さんの先生で国際的なチームに参画されている。変わらぬ前向きさに、元気を頂いた。

今年前半の「お声」を有り難うございました。

2013年7月6日(土曜日)

本年の開館をしておよそ4ヶ月が経ち、梅雨のただ中となりました。この時期の恒例で、館内のノートに頂戴した皆様のご感想やメモを樹下美術館のホームページ「お声」に掲載させて頂きました。

およそ90筆ほどの数になりますが、お一人で、ご両親と、友人やご近所と、のんびりと、癒やしに、あるいは亡くされた方へのグリーフ(鎮魂)に、、、、樹下美術館へ様々な方がそれぞれのお気持ちで来てくださっていることをあらためて知らされました。

倉石隆、齋藤三郎両氏の作品や建物およびカフェ・庭など、好意的なご感想にほっとしています。

タチアオイ在宅回りで毎年目が行く上越市大潟区は里鵜之島のタチアオイ。

園内の百合梅雨の日を慰めてくれる美術館の賑やかな紅白のてっぽう百合。

皆様のお声、まことに有り難うございました。

何かありましたならご遠慮なくスタッフに申してください、これからもどうか宜しくお願い申し上げます。

静かな樹下美術館ですが、お陰様で6月の来館者様は昨年より55名の増加、6月としては過去最高と聞きました(音楽会を除きました)。

花はいろ 人はこころ、、、 堀口大學の詩 年と共に響く言葉。

2013年7月5日(金曜日)

鎌倉へ行った方から頂戴した紙袋が堀口大學の揮毫による詩文でした。

文は短く〝花は色 人はこころ〟と書かれていました。

この言葉は神奈川県葉山町の大學の文学碑に刻まれており、女優森光子さんが好んで色紙などに書いたといいます。

大學は疎開によって戦前戦後の一時期を妙高市と上越市に居住され、その後葉山町へ移り永住されました。氏と当館展示の陶芸家・齋藤三郎との交流の縁で、長女・すみれ子さんには樹下美術館で過去三回、印象的な講演会をして頂きました。

花は色目にとまった〝花は色 人はこころ〟の紙袋。鎌倉市は日本料理「御世川(みよかわ)」もの。
御世川は多くの文人に愛されたと云われています。

 

人間の歌〝花は色・・・〟の原典が載っている樹下美術館収蔵の詩集「人間の歌」。
昭和22年5月5日 實文館発行。
あとがきの末尾に〝1946年春の彼岸。妙高山麓関川の假寓にて〟と記されています。

花は色のページ「人間の歌」71篇の170ページの「人に」。
〝花はいろ そして匂ひ
あなたはこころ そして やさしさ〟

幸福のパン種樹下美術館収蔵の堀口すみれ子さん編、堀口大學詩集「幸福のパン種」
筆頭に「花はいろ、、、」が掲げられています。

ところで「幸福のパン種」の二番目に「自らに」が収載されています。心のともしびになろう磨かれた詩ではないでしょうか。

自らに 「自らに」の出典「白い花束」の本文です。

白い花束樹下美術館収蔵「詩と随筆 白い花束」 昭和23年2月20日 草原書房発行
上越市時代の発行と考えられます。

傍らにあった紙袋から堀口大學の詩へ進むことが出来ました。

この数年、年のせいでしょうか、〝ある種新鮮なもの〟として心を打つ芸術と出会えたり再会出来るようになりました。

 

※詩人・フランス文学者、堀口大學は昭和20年旧妙高山村関川の妻の実家に、そして昭和21年から昭和25年まで上越市旧高田の南城町に住みました。生活逼迫の時代、懸命に草稿し出版社へと送る生活の中で妙高上越両市の地元とよく交流しました。

雨に香る百合。

2013年7月3日(水曜日)

7月の声を聞いて梅雨の本番となりました。樹下美術館の庭はアジサイから百合へと変わりつつあります。

夕刻の雨上がり、園内を歩いてみました。

117百合の香を残して雨の上がりたり
→百合の香を残して樹下の雨上がり
(最初があまりに良くないので7月5日に直しました。よみ人同じでは中身も同じ?)

095100数十本の百合が見頃を迎えていました。
主にテッポウユリですが、雨ならではの香りと美しさで皆様をお待ちしています。

「RUBENS ルーベンス」展 日本で三カ所開催の一つが長岡市!

2013年7月2日(火曜日)

去る6月30日、日曜日に長岡市の新潟県立近代美術館で始まったばかりの「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」展を観に行った。

まず技術的なことながら、人物や天使の皮膚の滑らかさに驚かされた。タッチの筆跡が見えない。さらに各部に施された陰影における色の階調は自然で、線はきわめて繊細に書かれる。そのため全体が豊かで柔らかく見え、強烈なテーマでも観る者を容易に惹きつけていた。

厳格な徒弟制度と大規模な工房制作が行われた時代。ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)は才能と環境に恵まれ、それらを生かしきった希有な画家であろうと思われる。しかも平和を希求する芸術家にふさわしく、政治外交においても活躍したという。どんなに忙しかったことだろう。

チケット入場券。

図録中のページ充実した展覧会図録。樹下美術館のカフェに置きました。

ドラマティックな場面の瞬間の動きや空気を描くようになったバロックの絵画。テーマはキリスト教あるいはその周縁の寓話が多いが、研究し尽くされた作品は油彩、版画とも素晴らしかった。

8年間イタリアに学んだというルーベンスはベルギー第二の都市アントワープの人であり、一帯はフランドル(オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部)地方と呼ばれる。
私たちが涙したフランダースの犬の主人公は同市の大聖堂に掲げられたルーベンスの〝キリスト昇架〟と〝キリスト降架〟をひと目見ることを夢として画家を目指す少年だった。
作品を広く知ってもらうために当時のルーベンス工房で製作された〝キリスト降架〟を原画とした版画が展示されている。58,5×43,5㎝ということだが、実に詳細で迫力がありそして大きく見えた。

油彩における毛髪の輝き、各作品の女性の美しさ、生死を分ける瞬間の人や動物の表情と臨場感などなど。写真やカラー印刷が無かった時代に芸術家が込めた渾身の技と魂に対面できる貴重な展覧会だった。
下絵を油彩で描くことを知り、工房における画家たちの関わり方や、直系であるヴァン・ダイクの作品に触れることもできた。

 

なお本展覧会は日本の三会場を巡回します。現在、東京Bukamuraザ・ミュージアムを終えて県立近代美術館の長岡市で開催されていますが、その後北九州市美術館へ行くようです。

世界のおよそ20施設から集められた貴重な作品。ぜひご覧頂きたい、と思いました。すでに東京でご覧になった方でも地の利を生かして再び長岡市で鑑賞されてはどうでしょう。新潟県へ回ったことも驚きでした。

筆者が行った日の会場はしばしば東京で見られる押し合いへし合いではなく、若者も多く、ほど良い入りで観やすかったです。
会期:2013年6月29日(土)~ 8月11日(日)
会場:新潟県立近代美術館

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