我が家も梅を干す 「まー」と言うお年寄り 単純な誕生・多様な死。

2013年8月7日(水曜日)

昨日在宅で伺ったお宅の庭に梅が干してあった。本日は我が家でも妻が干した。昔ながらのローテクは目に優しく心和む。(梅は家で採れたものと頂き物が半分ずつだったということです。)

 

梅干し作り

 

本日の新潟県上越市の最高気温は32度。週間予報は30~33度と示され、関東以西などよりやや低目のようだ。

日中お二人の高齢者が38度まで発熱されたが一過性だった。
盆はショートステイの利用が増える。来客に忙殺されたり介護者も一息つきたい。しかし如何せん患者さん自身急な弱りが見える時期でもあり、予約はしても利用の可否は気がもめる。

本日伺ったお年寄りは間もなく100才になられる。半年前まで大声を出されていたが、この数日は「まー」としか言わなくなったという。額を撫でて「どうですか」と尋ねると小さく「まー」とおしゃった。
〝すみません〟が短くなって、ついに「まー」だけになったと聞いた。やはり生まれた姿に戻るのか。

それにしても死は絶対運命にもかかわらず、自分のこととなると具体的なイメージを容易に作り難い。それは誕生と異なり遙かに多様で、人生の複雑さが深く絡んでいるように見える。
生まれた姿に帰るとはいえ様相は人の数だけ異なろう。死は誕生と同じく一瞬だが万差を経る。私たちは、あたかも生涯をかけて回り道をさせられている如くだ。このことはおそらくDNAの計らい(戦略)であろう。しかし全てを彼らの手にゆだねる訳には行かない。

可能な限り健康に留意すること。これはDNAによって複雑に仕組まれた生死を少しでも単純化し、かつ豊かなものへと導くことの根本にちがいない。

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