2013年9月

花の貴重 環境破壊的な植物繁茂 新幹線の真の効果とは。

2013年9月30日(月曜日)

草花の偉いな、と思うところは黙って暦に従うのもその一つだ。今年のように荒っぽい気象が続いた年でも、彼岸過ぎるとちゃんと秋の花が咲き始める。

樹下美術館でホトトギス、ノコンギク、シュウメイギク、リンドウが開き始めた。無言のうちに私たちを幸せにさせてくれる花にはますます貴さを感じる。

ただし、クズ、ツタ類、セイタカアワダチソウなどの破壊的な繁茂と圧倒的な開花は一帯でも異常で、昔の人が見たら「なんだこれ!」と言うにちがいない。住環境に近い松、山桜、ほか低木類の緑は、絡まれ締められ被われて病んでいる。野を銀色に染めた心の花・ススキは埋もれがちで、肩身が狭そうである。

あちらこちらの分離帯や歩道も荒れて結構つらい。地域ないし町全体を公園に!は大部分かけ声だけだったのだろうか。

今朝の新聞をみると、新幹線は若者達(子どもたち)がきれいな都会や都市へ出て行く(見に行く)ための乗り物になりそうだ。「こんなじゃだめ」。彼らがそう言って初めて本当の地域作りが始まるかもしれない。

ホトトギスホトトギス秋明菊秋明菊 ノコンギク野紺菊コスモス路傍のコスモス

 

鵜の浜の雲鵜の浜温泉で見た秋の雲。
いわし、ひつじ、うろこ、色々な形の雲に被われていたが、夕刻は厚く曇ってきた。

上越茶道会の記念茶会 美味しい薄茶 陶齋のお茶碗。

2013年9月29日(日曜日)

本日9月最後の日曜日はいっそうよく晴れました。この日、直江津駅前ホテル センチュリーイカヤさんで上越茶道会による20周年記念茶会がありました。

江戸千家(濃茶)小川紫雪、裏千家(薄茶・立礼りゅうれい席)有澤宗香、表千家(濃茶)香西宗英、各先生のお社中による三席です。

 

130929センチュリーいかや上越茶道会会記本日の会記

日曜日とはいえ宿題と重症の患者さんを抱えていて時間が取れず、宗香先生のお席だけ座らせて頂きました。
千家三代目、およそ400年ほど前の茶人〝わびの宗旦〟画賛によるお軸「六祖面目」は禅味に溢れ、唐物(からもの)の籠に入る5種の秋草は季節そのまま爽やかでした。皆具からたばこ盆までみな大変貴重、そして見事だったこと。

恥ずかしくも主客席に座らせられた小生は古萩のお茶碗、銘「熊川(こもがい)」でした。びわ色~ほんのりうす紅に変化を遂げ、李朝の風情を伝える碗。お隣で支えて頂いた西口宗米先生は唐物(中国伝来)の珠光青磁の端正な平茶碗でした。

そして三客さんは齋藤三郎(陶齋)の「秋草の絵」です。前もって会記を読んでいましたので陶齋のお茶碗は興味津々でした。実際目にした器は傍目にも見事で言葉もありません。
拝見を所望しますと、全体は黒々とした筆跡が覗える鉄絵茶碗。正面に白く抜かれた大きな半月、それに秋草が掛かり宗達を思わせる風趣満点の作でした。

私も大好きです、と宗香先生。その碗でもう一つどうぞ、と宗米先生共々勧めて下さり、あらためて一服を頂きました。若き陶齋の気力と今日まで器を伝えた人々の愛情が口いっぱいに広がるのでした。

お点前された若き人は樹下美術館の美しい常連さん。お心こもりの所作で、美味しいお茶が立ちました。時間が足りず名残惜しい会場を後にしました。

帰宅して往診、そして福祉書類の作成、図録文言集の見直し、個展の風景画の下絵、、、いつもながら忙しい日曜日でした。

大書されない場所の旅情。

2013年9月28日(土曜日)

上越市大潟区には「大潟パーキングエリア(PA)」があります。パーキングですので小規模ですが、案外多くの車が休憩しています。本日柿崎へ向かうのに入り、はじめてトイレを使いました。とてもきれいで、行き届いたもてなしの心を感じました。

またここにはETCの出入口(スマート・インターチェンジ:スマートIC)があります。大潟区、頸城区、吉川区の一部にはとても便利です。すぐ近くでほくほく線が高速道路上を通過します。特急「はくたか」の通過が見られ、非常に珍しい所ではないかと思います。

樹下美術館もここで降りますとおよそ10分ほどで到着します。降りてからJR土底浜駅の踏切を渡って国道8号線(R8)へ出て左折。直江津方面に走り、さいがた病院手前で左折です。その後電子工場を通過しますが、電柱看板どおりにお進みください、間もなくです。

大潟SA1大潟SASAのトイレきれいなトイレ。 大潟SA2SAそばを横切る特急はくたか。
ベビー対応赤ちゃん連れ対応トイレ。

以下、当ブログによく掲載していますささやかな旅情の場所から。今夕の四ツ屋浜とほくほ線が見える頸城区の写真です。

四ツ屋浜今夕大潟区四ツ屋浜の夕暮れを見る車。 四ツ屋浜2四ツ屋浜で撮る関東ナンバー車も。

夕暮れ電車今夕のほくほく線夕暮れ電車。ここも大潟スマートICを使いますととても便利です。
頸城区柳町新田手前を農道へ左折(農耕車の邪魔をしないでくださいね)。

地域には華々しく大書されなくとも旅情漂う所が沢山あります。看板も行政PRもない、自分たちだけの場所。何かの折りに諸処お訪ねしてみてください。

本日午後、横浜市←→長岡市の方達が遠回りして樹下美術館カフェへ寄って下さいました。三回目ということで感謝しています。また当ブログで紹介させて頂いたレストランへも足を伸ばしたということ。「上越には美味しい店がありますね」とは有り難いです。

樹下美術館も大書されない旅情の場所として旅のお役に立ちたいと思っています。

夕暮れと上越火力発電所。

2013年9月26日(木曜日)

肌寒く雨ふりの一日。秋とはいえ乾いていた庭が助かり、畑に恵みの雨だったと聞いた。

夕刻雨が上がり、美術館の帰り道で空が真っ赤に染まった。海へ急いだものの夕焼けのピークは途中で終わった。

薄明かりのなか、近くの渋柿浜漁港から見る上越火力発電所の明かりは鮮やかだった。

 

010

060三基の巨大なLNGタンクと150メートルの集合煙突、そして荒波は迫力。

当発電所は中部電力初の日本海側施設。南海トラフ地震やロシアからのガス輸入への備えもあるという。電力はお隣の長野県に供給されている。

来春には工事の全てを完了する模様だが、長年全国から多くの人たちが工事のために集まった。当院にも博多弁を話す人たちが通院してきた。

今日の雨から一転、明日は良く晴れるらしい。

介護の形 遠距離介護。

2013年9月24日(火曜日)

刈り入れ時の農家を悩ませた台風の雨が去ると、一転して晴天が続いています。樹下美術館の庭で早々とニシキギが紅葉し始めました。

ところで以前から当館には介護にまつわる方たちが訪ねて来られます。地元で在宅介護の方、近くの施設や病院に入っている人への訪問、そして遠くから当地の親ごさんや病人さんを訪ねる方たち。時には介護する方される方がご一緒でお見えになることもあります。

介護はご本人の状態とご家族の事情などでおおまかに幾つかのパターンに分かれます。そのうえ状況によってそれぞれの形が移行しあうこともよくあることです。いずれでも介護者ご家族の思いは様々で、何かと気がもめ心重いこともおありと思います。

当ブログではよく在宅介護の事を書かせて頂いてます。しかし遠くから親ごさんや病人さんを訪ね、樹下美術館へ寄られる皆様もよくお見受けします。東京→新潟市の方が、わざわざほくほく線で来られたこともありました。

私の知人友人では東京→四国、東京→新潟県岩船郡、東京→上越市、上越市→隣県、大潟区→妙高市、上越高田→大潟区、さらに町内同士など大変な遠距離から近隣まで介護、看護で往来している方達は少なくありません。

地元の介護支援(サービス)を受けながら、兄弟姉妹の分担で、あるいはお一人で、病を、食事や着替えを、転倒を、周囲とのことを、冬場の雪を、認知症を案じながらの訪問と別れ。老親が独り暮らしの場合、特に大変だろうと想像しています。

 

ニシキギ色づき始めたニシキギ。

女性像とモネ人形カフェの女性像(山本信さん作品)とモネ人形の記念撮影です。

イナゴ長い時間ガラス窓からずっとカフェを覗いていたというイナゴ。
(写真はいずれも一昨日です)

どうか皆様、ケアマネと密に連絡しあい、ご自身のことも気をつけて頑張ってください、応援しています。

茶の復習 アキアカネ 栗とスダチ。

2013年9月21日(土曜日)

 

稽古来月の毎日曜日昼、「陶齋の器で食事会」が近づいた。本日も茶の稽古をした。

食事のほか、食後に陶齋の器を使ってお抹茶を差し上げることになっている。合計4回のうち3回を館長責任で、小生がお点前をすることになった。緩急と呼吸、自然な所作と手順。昔ほど上がらなくなったと思うが良いお点前をしたい。

 

トンボ連日の晴天で庭が乾いてきたので要所に水を撒いた。
庭のアキアカネが盛んに首をかしげて考え事をしている風。

 

栗とスダチ家に帰ると、いつもの方から元気いっぱいの栗とスダチを頂戴した。

昼のガラス栓 夜の名月。

2013年9月20日(金曜日)

昨日木曜日午後はいつもの休診。柿崎の海を40分ほど歩いた。海は先日の台風も知らぬげに穏やかで、沢山の砂利が上がっていた。シーグラスを期待したがやはり少なかった。すでに多くの人によって拾われている感じを受けた。

シーグラス幸運なことに、写真中央の緑色の先が丸いガラス栓のシーグラスが見つかった。
他のはこれまで集めたものの一部です。右には薄いブルーのガラス栓があります。
(コップに入れて水を注いでいます)

さて昨夜9月19日は旧暦8月15日で、十五夜の名月(仲秋の名月)の日に当たっていました。そして三年続きで暦どおり満月を迎えましたが、次にこのように暦と満月が一致するのは8年後ということです。

登り始めた月上越市は尾神岳の南側に昇った月。 大潟区渋柿浜から頸城区へ向かう道路から。

ところで、夕刻にお見えになった男性のお客様が、「今夜8時ころ、樹下美術館のデッキで月を観ていいでしょうか」とカフェで尋ねられたそうです。妻からそのことを電話で知らされました。

ご遠慮なく使ってください。それより私たちもご一緒するのはどうですか、と聞いてと言うと、是非というお返事。急遽ご一緒のお月見が決まりました。

お客様とは8時の約束。私たちは6時半から月明かりの下でお弁当を広げました。昇るに従ってますます明るさを増す月。

月と妻お弁当を終えて、デッキの妻とススキとお団子、そして月。

8時になると約束の男性が貴重な草団子を持参して現れました。40才ほどの背の高い男性とは初対面です。侍のように礼儀正しく振る舞われ、丁寧な挨拶をされました。何度か樹下美術館を訪ね、とても気に入っていると仰ったのです。

東京の写真学校を卒業後、広告の世界を経て父親の没後、故郷上越市へ戻られた人。現在設計に携わっておられるというこで、沢山四方山話をしました。私たちから無理に誘ってしまい、ご迷惑でなかったかなと思っています。

 三人で田んぼに昇る名月を惜しんだ一夜。氏とはお団子にお抹茶、番茶、コーヒーを一ご緒した。

お団子話を聞いたお茶をされる友人の奥様が、予め自宅用の月見団子を分けて下さった。
月明かりの下、軽い甘みとほのかな塩気は美味しかった。

さてオリンピックといい、次の十五夜満月といい、いずれも7ー8年先のことになる。それまで生きているかどうか、とは老人たちの話であり、71才の私の話でもある。

増々危うい年齢になっては健康への留意以外、将来に関してなすすべは無い。先日の後輩との食事、昨夜の初対面の男性との月見、、、。いつしかみな一期一会の真実味を帯びてきている。

お付き合いはある種厚かましさを禁じ得ません。ご無理を聞いていただき感謝しています。

敬老の日 台風18号の影響 雁子浜の夕空。

2013年9月16日(月曜日)

敬老の祝日の本日、台風18号は新潟県上越地域に雨の被害をもたらした。

雨を避けようと昼前に東京へ立った長男たちは、やはり高速道路の通行規制に遭い、ある区間は一般道へ降りたという。

早くから多くの河川で増水の警報が出続けていた上越地域。夕刻5時頃とうとう矢代川の堤防が決壊したと報じられていた。
氾濫は避難を促すだけで、目の前で進行する堤防決壊までは防げないらしい。川の怖さであろうが、歯がゆさも感じた。

避難所のニュース映像に妙高市の親戚の地名が出ていたが、水害は免れたと聞いた。堤防決壊の映像はひどいものだったが、その後も大丈夫なのだろうか。

 

雁子浜 の夕刻夕刻に向かって雲が切れてきた。大潟区雁子浜は日没後に鮮やかな空。
台風一過の夕は何時までも空が明るいことがある。

敬老の日だった。現在104才の方と間もなく104才を迎える方を月一で訪問させて頂いている。いずれも女性。104の方は100才で大腿骨頸部骨折の手術をされたがベッドサイドに端座され、しゃんと話をされる。もうお一人は普段よく眠っていらっしゃるが、デイサービスに週二回通われ、耳のご不自由があるものの、目立った認知症もない。

お二人とも長生きの愚痴を仰ることがある。しかし、「またおばあちゃんの顔を見に来てもいいですか」と言うと、お二人とも同じように手を合わせて拝む仕草をされる。

この方たちに共通する生活方法や身体の特徴を一概に言うことはできない。ただ酒たばこをせず、一生懸命身体を使って働いたことのほか、ご家族の暖かな見守りと敬老(愛老)の姿勢が共通していると思う。

週一回特養に出向いているが、私が知る範囲でこの年まで比較的お元気なのは在宅の方たちのようだ。

ホットサンド 萩、アキアカネ SPレコード シャルメーヌ。 

2013年9月15日(日曜日)

本日9月15日は日曜日、明日の敬老の日に続く連休です。その明日、夜半から朝にかけて台風が来ると報じられています。

さて樹下美術館のカフェでは妻の提案によってトーストに追加してホットサンドをお出しすることになりました。当館内はこじんまりしているうえドアが一つもありません。それでカフェの匂いは全体に行きますので、あまり食事らしいものは用意できませんでした(もちろん手が足りないのもあります)。

本日ホットサンドはお二人から注文があったそうです。小生も昼食に食べました所美味しかったです。館内はかすかに暖かで香ばしい匂いがして、なんとなく幸せな感じがするのを覚えました。

※大変に申し分けありません。ホットサンドのメニューは1ヶ月ほど日曜、祭日だけの対応ということです。どうか宜しくお願い申し上げます

 

ホットサンドホットサンド。秋めいた庭を見ながらどうぞ。

 

はぎ隣接の庭は萩の盛り。

 

あきあかねアキアカネがあちらこちらで羽を休めています。

 

spレコード息子たちが来ていて家で夕食の後、久し振りに蓄音機を開けてでSP盤を鳴らしました。
写真のレコードはシュナーベルのピアノソナタです。

最初にマントヴァーニの「シャルメーヌ」を掛けました。さほど大きくない機械ですが、音はかなり出ます。
上越出身(新井、大潟、塩沢にもいらした)のピアニスト、編曲家・故飯吉馨さんは、クラシックからジャズ、ポピュラーに転向したきっかけは、このレコードを聴いたため、と後に仰っていました。1950年代のことでしょう、ジャンルを超える名盤ではないでしょうか。

次ぎにアルトゥル・シュナーベルが弾くベートーベンのピアノ・ソナタから一枚出して掛けました。SP二枚、若者に感動と驚きが走るのが見えました。

 

YouTubeに同じ音源、機械も同型の「シャルメーヌ」が掲載されていました。小生の盤より良い音がしています。

 

台風はどうなるのでしょう。衰えていること、出来ることなら夕焼けがきれいになることが願われます。

イプシロンロケットの発射 突然ですが「国歌 君が代の由来」。

2013年9月15日(日曜日)

宇宙航空研究開発機構(JAXA)は昨日午後、ロケット「イプシロン」の打ち上げに成功した。8月27日の中止以後慎重な姿勢が伝わっていたが、昨日の発射映像は鮮やかだった。

ところで南国にはやや変わった感じの地名や姓がよくある。ロケット打ち上げセンターの町・肝付(きもつき)も珍しく写った。一方かって書物に姓が肝付という人が写真とともに載っていた。
本は以前紹介させて頂いた音楽教育家、作曲家・小山作之助の遺稿集「国歌 君が代の由来(昭和16年6月27日発行 発行者小山眞津)」だった。肝付は変わった名なので頭に残っていたが、ロケットの打ち上げで再会するとは思わなかった。

 

随分横道にそれますが、前述の作之助は上越市大潟区の人で、たまたま私どもの縁者(大叔父)になります。「夏は来ぬ」の作曲者であり、東京音大の前身で瀧廉太郎を育てた人でした。それだけであればいいのですが、国歌の由来を探ったテキストとなりますと特異で重く感じられます。
幸い音楽家(学者)として、国歌の意義、歌詞における古歌の詳細な検討、君が代草創の人物たちとの書簡による多くのやりとりおよび楽譜、写真などを示して淡々と書いているので助かります。

以前この本の紹介をさせて頂きたい、とここに書きましたが、きっかけをつかめずにいました。今回たまたまロケットが肝付町から飛び立ちました。地名が同書に登場する人物と同名の機縁で、作之助の本について触れさせて頂くことになった次第です。

 

肝付兼弘氏の写真前述の書物から肝付兼弘。

肝付氏は国歌制定の黎明あるいは発端期である明治2年おける関係者の一人として登場しています。

氏は幕末ー明治の薩摩藩士でお側用人の要職。函館戦争に出てその帰路、氏の隊は横浜に上陸します。藩命で同地に駐屯していたイギリス軍の兵法や教練を見習うことになりました。
兼弘は英国の軍楽隊の存在と演奏を目の当たりにして、カルチャーショックを受けます。儀式における晴れやかな英国国歌の演奏、一方自分たちには洋式の楽器・楽隊はおろか応答できる礼式(国歌)もなかったのです。

急な展開がはじまります。駐留していた楽長ウィリアム・フェントンに礼式(国歌)の作曲を依頼する運びとなりました。フェントンは先ず歌詞を所望したのでしょう。そこで古歌から選んだ32文字「君が代」の提出となるのですが、このほかの経緯で、肝付氏以外にも選者(推奨者)として西建蔵や大山巌元帥(いずれも薩摩の人)などの名が挙げられています。
(自分たちで国歌まで作ってしまおうとは、当時の薩長の凄さが伝わりますね)

作之助は歌詞について、選者の個人特定は無理としたうえで、薩摩藩主とするのが最も相応しいのではないか、と述べます。
同藩には〝吉書〟という習わしがあり、正月をはじめ慶時の折に書いたり詠ったりする。なかでも古今和歌集第七巻、賀の部に〝題しらず〟〝読み人しらず〟として載る〝我が君は〟あるいは〝君が代は〟の古歌が折々に用いられていました。中には日の丸に添えて書かれているものもあったようです。
これが藩主により礼式(国歌)に相応しいとされフェントンに伝わった、という大きなくくりで結んでいます。

同時に和漢朗詠集の〝君が代は〟あるいは薩摩琵琶の「蓬莱山」や往古から俗謡にみられる同種の歌にも言及しています。

つい長々となりました。まさか自分が国歌に関連したことを記載するとは思ってもみないことです。しかしたまたま古い縁者が書いたその由来の本を避けて通ることは出来ないことでした。

今後拙くはありますが、〝我が君は〟と〝君が代は〟のこと。メロディの変遷と確定。遺稿集の編者小山眞津(マツ)さんのことなども載せることが出来ればなあ、と思っている次第です。

上越市で少々懐かしい友人と食事。

2013年9月12日(木曜日)

過日、私より少し若い知人が樹下美術館を訪ねて下さった。数年前のこと、展示だけご覧になって帰られたことがあった。このたびはカフェにも寄られ、留守中の拙宅の呼び鈴を押したという。そのことが同夜のメールにあった。

誰もいない家の呼び鈴を押す情景は目に浮かぶ。追い返したようで申し訳なかった。詫びのメールをしてひさしぶりに食事をしましょう、と返した。話はとんとん拍子となり、何日も経ずして今夕上越市は高田「おと」で夫婦の会食をした。

おとの踏み石店の土間の踏み石。食事の最中は夢中で写真を撮る暇なしでした。

地野菜、魚の焙り、のっぺ、貴腐サラミ、栃尾の油揚、ほか皿を回しあって美味しく食べた。代金もリーズナブルだと思った。

医師会の今昔、旅、上越の偉人、焼き物、庭、体調のことなど話尽きなかった。
氏が仰ったとおり、いつしか過ぎた食事は一期一会の味が残った。氏とは若干の起伏はあったが、知人から友人へ変わった様な気がした。

番茶と甘納豆家に帰って齋藤尚明さんの近作の湯呑で甘納豆を。

酒は弱い方の私ですが、、今夕は生ビールのあと「山崎」のストレートをちびちび頂きました。
相客は良い方なので無理に酒を勧められず、ほどよい加減。
家に帰るといつものように甘い物と牛乳を少し口にしました。

陶齋の器で食事会 茶の復習 セプテンバー・ソング。

2013年9月10日(火曜日)

陶齋の器で食事会が迫ってきました。10月の毎週日曜日の昼、拙宅で5,6名の食事を予定していました。早いお問い合わせや、常連の方、何かとお世話になっている方たちで、皆様に詳しくお知らせする前に一杯になってしまいました。まことに申し訳なく思っております。

このたびは一回7名となりましたが、全てでわずか28名様です。うまく出来ましたら来年は6月に4回、あるいは毎月、何番目かの日曜日を決めて3月から12月まで行うことも検討しております。
後者ですとうまくいけば70名様に参加して頂けます。今年を踏まえて方法を検討し、ぜひ来年も行いたいと思っています。

ちなみに、今回は高田「京」のご主人に厨房に入って頂き、食後はお抹茶のお点前を差し上げる予定です。私も何とか頑張って一、二度座ることになりました。

 

月
お茶の復習を終えて外へ出ると月齢5という月。ほどほどの雲を従えて煌々と輝いていました。

 


ユーチューブからの「September Song」です。

〝9月になって日は短くなり、あなたとの日々はいっそうかけがえのないものとなった〟
ウエスタン歌手のウィリー・ネルソンが心を込めて歌っています。
古いピアノを使っているようですが、敢えてでしょうか。

「良心と責任のオリンピック」

2013年9月9日(月曜日)

2020年のオリンピック開催都市が東京に決まった。悪条件の中でよく決まったと思った。ブラジルを経て7年などあっという間だろう。

およそ50年前の学生時代、東京に居て同時進行的にオリンピックを経験した。当時の都内はひたすら突貫突貫の日々だった。それに較べ、今日大津波と原発事故が加わり明らかに事情が変わった。国土から漏出した海洋の放射能汚染という前代未聞の敏感な問題の中、よく承認されたものだと思う。

45年間の医者の日常からいうと、家に重病で苦しむ家族がいるのに、祭りだ祭りだとおみこしを担ぐ図式には到底なじめない。。

オリンピックはスポーツの祭典である。しかしこのたびは国際的にも深刻課題となった原発事故を含む震災復興をもう一つの輪として実直に取り組むことが要求される。
実現の可否は「日本の良心と責任意識」に掛かっていよう。

国の良心や責任意識を世界に示すチャンスなど滅多に無い。しかしそれは世界が期待し、開催地決定のカギにもなったものかもしれない。

福島の復旧と復興は支援などという曖昧なものから名実ともに厳格な国家事業となった。
初めからしてして当然であろう。現地と世界を裏切るわけには行かない。

今日の雲今日の樹下美術館上空の雲。朝夕だけでなく日中も涼しくなった。

雲の季節 頑張れ農業。

2013年9月6日(金曜日)

午後に樹下美術館でコーヒーを飲んだ。裏手の田んぼからどーどーとコンバインのエンジン音が聞こえている。大きな機械が何台も入って次々に刈っていた。毎年もち米の品種から始まるらしい。

農業は天候に大きく左右される。今年は春以来、冷温、乾燥、猛暑、大雨など何かと異常と言われ続けた。皆さんの規模は昔よりはるかに大きい。やり直しが効くとは思われないゆえ、心安まる暇が無かったことだろう。

それでも稲作は平年並みと報道された。あと少し穏便な気象が続くことを祈らずにはいられない。

 

涼しくなって雲の形が面白くなってきた。雲は自然現象なのに、見上げるだけで即、巨大なアートに変わる。昨日のように雨を降らせたり風まで吹かせる。自然は偉大だ。

 

昼の雲本日は変化に富んだ気持ちのよい雲。

コンバイン美術館に隣接する農道を行く大型のコンバイン。

いま燃料の高騰は馬鹿にならない。
安全、新鮮、美味、美観、 日本の風土の根幹を支える農業!
こんな立派な仕事はない、どうか粘って頑張ってください!
新潟県でも再び小麦への取り組みや、地熱利用の野菜栽培などが試みられていると聞いた。

柿崎海岸で九月の驟雨に遭う。

2013年9月5日(木曜日)

午後休診の夕刻、春以来となる柿崎の海を歩いた。シーグラスを探しながら歩いたが、いつしか「浜千鳥」をくちずさんでいる。ここでよく千鳥を見るのと、千鳥と母が重なるので柿崎にくると自然に出てしまう。

生前シーグラスを探して持ち帰るたびに、ベッドの母は青くてきれい、大きいね、などと興味を示した。色々こまごまと喋った人でも、最後はきれい、大きい、小さい、もう少し、お腹空いた、などとしか言わなくなる。最晩年は、そんな時間がいっそう貴重で有り難った。

 

今夕の柿崎は東の方角に当たる米山が雨雲に被われていた。雲は次第に低く広がりそこから強い風が吹いてくる。いつもとは逆、まさか竜巻などは来ないだろうが、帰りには土砂降りとなり最後は走って車に飛び乗った。

前歩き始めた頃、東北の方角は雨雲。

 

途中から帰り始めると、強い風とともに雲がこちらに広がってくる。

 

本降りへずぶぬれになって車に飛び乗った。

途中まで湿った風が気持ち良かったのですが。
ずぶ濡れで車のシートに座るのは気持ちが悪いですね。
シーグラスはほとんどありませんでした。

上野で出会った人々 松井豊氏の「笑ふピエロ」 画家達の幸福。

2013年9月5日(木曜日)

去る9月1日の主体展における非日常インパクトが強く残り、一両日は多少のぼんやり感に包まれた。

それにしても当日多くの方にお目に掛かった。中でも倉石隆氏が繋がる主体美術協会の方々や新潟県ゆかりの会員・阿部正彦、妙高市の大口満氏に出会ったことも幸いだった。ちなみに大口氏は13人の佳作入選作家の一人で、同県人として鼻が高い。

以下は1995年、新潟市美術館における倉石隆展の図録である。中に7,8枚の小さなスナップ写真が載っている。そこにはご本人とともに上越市ご出身の若き賀川隆、矢島甲子夫、矢野利隆氏らが、そして友人の司修、松井豊各氏のお顔が見える。

図録表紙1995年9月14ー10月22日 新潟市美術館に於ける展覧会図録。
樹下美術館カフェでご覧頂けます。

賀川氏、矢島氏は既に亡くなられているが、賀川氏のご子息にはお会いしている。また司氏は当館でご講演をしていただき打ち上げもご一緒した。そしてこのたび精養軒のレセプションで懸案だった矢野氏と松井氏に初めてお目に掛かった。

お二人とも大変お元気で、出品された作品にはそれぞれ時間の静止と流動の物語が若々しく描かれていた。倉石氏が去ってすでに15年が経つ。しかしありし日のアルバムで一緒だったお二人が、現に目の前に元気でおられること、しばらく夢のような感覚に包まれた。

 ところで樹下美術館には松井豊氏の「笑ふ道化」というとても小さな作品がある。倉石氏の奥様から頂いたもので、自作と思われるアルミjの額が付いている。

笑ふ道化「笑ふ道化」(7、9×10,3㎜)。〝豊〟の整ったサインがある。
(傷みを生じていて大変申し分けありません)

裏面手作りの額の中、笑ふ道化の裏面に描かれていた美しい女性の像。
倉石隆様 197? 松井豊  と記されたいた。

ピエロといえば哀愁のイメージであろう。しかしそのモノトーンの裏に、ファンタジーを思わせる美しい女性が色鮮やかに描かれている。まことにはっとさせられた。

記された文字からして贈り物だったのか。小さな絵に込められやりとりは、すでに忘却の彼方にありそうだ。しかし友人同士のエピソードめいた名残りは、美しく小さな化石になってこうして残っている。絵の表裏のことは偶々だったかも知れず、事の詳細は分からない。だがこうした心の込め方は、芸術家たちの一つの幸福ではないのかと羨ましく思った。

上野で第49回主体展とレセプション。

2013年9月2日(月曜日)

昨日、第49回主体展に行ってきた。正午前、上野駅で降りた東京は猛烈な暑さ。コンクリートが吸い込み貯めて跳ね返す熱波は並みでは無かった。会場は東京都美術館。

歩いて行くのだが暑さをものともせず、上野は賑わい、多くの芸術・博物施設へ、そして公園へ向かう人でごった返していた。

1ウエイトレス不忍口から出てJR線下は軒並みのレストラン。満員の店内で色々親切だったスタッフ。
最後に、〝今日はこれで帰ります〟と挨拶に来て驚いた。写真はブログOKのピース。
急ぎの昼食でまごまごする私たちがとても田舎者に見えたのだろう。
店は「バニュルス 上野店」だった。

2風船公園で大きなシャぽん玉。

3琢也の前1300点を超える作品が展示された広大な館内で二番目に樹下美術館から出品された
特別展示作家・倉石隆の「琢也」があった。
若者の不安と内なるエネルギーが横溢するモノクロームの「琢也」は見やすく、多くの人に足を止めて頂いた。
おびただしい作品はみな個性と切磋琢磨のエネルギーに満ち、晴れやかで、素晴らしかった。

4司修さんの講演午後2時から始まった司修(つかさおさむ)さんの講演会「イメージの迷路」。
大江健三郎の経験、精神分析医ユングの症例、芭蕉と其角のエピソードなどから、
心の闇から抽出される命の物語の象徴として浮かぶイメージについて語られた。

司さんは女性に人気があり、来場者の7割以上が女性。書物のサイン会も長蛇の列だった。

さて夕刻、6時半から精養軒でレセプションがあった。来賓挨拶を美術評論家の林紀一郎氏がされた。氏はその界の大御所のお一人で、元新潟市美術館の館長もされた。また1995年新潟市美術館で開催された倉石隆展の64pによぶ展覧会図録で、倉石隆の左手の製作について書いておられ、ぜひ一度お目に掛かりたいと思っていた。
「老後に認知症となり施設に入る時があっても、イーゼルと絵筆を忘れずに持って行って」など、気骨溢れる挨拶をされた。

その次の挨拶が何と筆者で、当日頼まれた。何を話したかよく覚えていないが、上越市と樹下美術館を紹介させていただき、主体美術協会の倉石氏に巡り会えたことへの感謝を述べさせて頂いた。

5鏡割り秀作入選者によるレセプションの鏡開き。手前が「繚乱」で損保ジャパン表彰を受けた井上樹里さん。

 7受賞者と入会者秀作入選者と新入会員の皆様。若い人、女性の多さが目を引く。

 8林先生と司さん歓談する林紀一郎氏(手前)と司修氏(向こう側)。

当日上野のホテルに一泊して今朝早くの新幹線で帰ってきた。行きの車中、施設から患者さんの39度を超える発熱の相談電話を受けていた。幾つか対応を指示したが、朝には落ち着いたと連絡があった。出先でよくこのようなことがあり、綱渡りのやむなきを経験する。

芸術はいずれも価値と力をもっている。主体美術協会へ若い人たちの入会が増えていると聞いた。手を抜かなければなんとかなろう、皆さんの可能性が楽しみだ。

002立派な第49回主体展図録。
404点の応募、188点が入選。うち7名の秀作、13名の佳作、新人賞山岸結さんだった。

005作品2ページ目に倉石隆氏と「琢也」。

最後にこのたびは同協会の﨤町勝治さん、榎本香菜子さんに大変お世話になりました。
謹んで御礼申し上げます。

2013年9月
« 8月   10月 »
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  

▲ このページのTOPへ