認知症の予防で人と話をするということ 自分が変えてみる。

2014年11月30日(日曜日)

過日ある方が、一日少なくとも4人の人と話をするとボケ防止になる、と仰っていた。
〝4人〟という数字に拘らなくても、人と話をすることは良好なコンディションの維持に有益であろう。

休日などに、夕刻まで長く人と会わないでいると、感覚がぼんやりして、手応えのない奇妙な空間に居る気持ちに襲われる。
毎日こうであれば、周囲と無関係で方向の定まらない漂うごとき存在に陥るであろう。
これは認知症の人の状態に似ている。

確かに「出ない」、「会わない」は、異次元的な迷子(認知症)になる要因たり得る。
恐ろしいことに、「出ない」のほかに「否定される」が加わると事態は深刻である。

家に居ながら家族(全員ではなくとも)に絶えず叱られ、注意を受ける状態の事だ。
出たい、役立ちたい、は老いたりといえども人間の証しとして老人達の根底で燃えている。
それなのに、危ない、おかしい、余計だと絶えず禁止と否定を繰り返されたらどうなるだろう。
残された活路は周囲と交信不能な自分だけの世界にさまようか逃避するかしかないのである。
これらはある種の防御反応であるが、鬱や徘徊、混乱や無謀へと様相が変る危険をはらむ。

しばしば家族は言います。
「先生、いくら言ってもちっとも言うことを聞いてくれません」
お年寄りは、たとえ助言であっても、きつい否定の言葉など耳がわんわんして聞きたくないのです。
さらに言えば、良い助言であろうとも、気に入らない人の言うことは聞きたくないのです。

「長く生きて相当に頭を使い果たしていますので、理屈はもう通用しません。あなたの表情や印象がずっと大切なのです」
「つまり耳ではなく、カメラのように目でシャッターを切って単純に判断しているのでしょう、自分の敵か味方かをね」

「お年寄りの前では作り笑顔でいいですから、見た目優しい表情がまず必要です」
「こちらがちょっと工夫すれば相手も柔軟になる可能性があります、すぐ始めて根気よく続けて下さい」
「そのうち自分の作り笑顔が本物に変わるかもしれませんよ」

なんとか上手く行っている家は、世話する人が小声で愚痴をこぼしながらも、さてさて、どうしたかね、と優しく反応している。
そこでは老人達は保育園の園児のように可愛い目をして安心しているのである。

勿論、これで全てクリアではないし、数日後、数ヶ月あるいは半年、もしかしたら1年後に新たな問題が起き得る。
しかし「いつでも私やケアマネに相談してください」、が最も大切な事になるのだろう。

それでも事情によって加齢や認知症の事で、在宅に限界を生じるることは少なくない。
その時もきっと正直な相談が広く有益であろう。

話変わってその昔、ある女性が友人宅へ旅の土産を届けに行きました。
すると「なんで電話もしないで突然来たのか!」といきなりご主人に激怒されたそうです。
「夫婦げんかの最中だった、ゴメンナサイ」と友人は謝ったといいます。
大きなショックを受けたが、「先生に聞いてもらって少し楽になりました」、と仰ったことがありました。

一日4人でなくとも、誰かと何かを話をすることは心身に良いことにちがいありません。
おしゃべりは女性で特に目立ちますが、男性にも有益なようです。

柿崎海岸本日歩いた柿崎海岸。

シーグラスシーグラスを拾いました。

私はブログを書いていると、人と話をしているのと似た作用を感じることがあります。
見て頂きありがとうございます。

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