明日で20才を迎えるという日に猫が。

2015年5月23日(土曜日)

昨年の3月24日のブログで、もう19才、人間では100になるという猫の事を書かせて頂いた。
ある農家でのことだった。

お宅の大おばあさんは既に100才を迎えていた。
「競争しているんでしょうか」
若いおばあさんが仰った。

猫昨年私には子猫に見えた間もなく19才の猫さん。

ところが先日の訪問で、1年経った4月下旬、
その猫が20才の誕生日を迎える前の日から居なくなったと聞かされた。

以下若いおばあさんのお話。
〝一ヶ月ほど弱りが見えていたところ、先ず誕生日の一週間前に一度姿が見えなくなった。
その時は集落の神社で見つかり、かなり遠い所だったので皆で驚いた。

家に連れ帰り、ようやく明日が20才と言う日に再び姿を消してしまった。
手を尽くして探し、二三見かけた人もいたが音沙汰なくひと月近く経った〟

「だめでしょね」

「どなたが一番可愛がったのですか」

「私です」
寂しそうにおばあさんが仰った。

猫は人目に付かない所で最後を迎えると、子どもの頃から聞いていた。
家から出ない猫なら別だが、出入りするならそのようなこともあるように思われる。
何故だか分からないが、最後は奥底の野性に導かれるのだろう。

眠りを好み喉を鳴らしてまどろむ一方、突然小動物に襲いかかる猫。
密かな猫足、静かな気配、すり寄りなど、独特の生態には犬とは異質の存在感がある。
このような動物を20年も可愛がり一緒に暮らせば、喪失による悲しみははた目以上に深いにちがいない。

それにしても20才の誕生日が近づいた日、神社へ行ったという話はある種猫の神格性を物語るようで興味深い。
かって猫は養蚕に於ける鼠の害を救い、農家の貴重な現金収入を補償した。
このことで猫を祭る神社は各地に少なからずあるらしい。
弱りを迎えた猫が神社に行ったと聞いて、独特な次元に触れたように思った。

如何に愛されても何も言わない、残さない猫。
挨拶して玄関を出るときの、おばあさんの悲しげな立ち姿も目に浮かぶ。

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