2016年5月

齋藤三郎(陶齋)のアザミ 瑞天寺道のアザミ。

2016年5月31日(火曜日)

日ごと時間ごと、蒸したり寒かったりして梅雨に似ている。
いつしか木々の緑は濃く深く、そして大らかになった。

昨日これまで何度か通った蜘蛛ケ池の瑞天寺道と勝手に呼ん
でいる道へ行った。
昼休みのその道はかなり草が茂っていたものの、楽しみにして
いたアザミが沢山見られた。

 

瑞天寺道のアザミ
湿り気のある一帯はアザミの天国のようだった。

アザミと言えば樹下美術館常設展示の陶芸家・齋藤三郎(陶齋)も
食器にアザミを描いています。

1
↑染め付けアザミの湯呑。

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↑左・掻き落とした染め付け湯呑と右・搔き落としの鉄絵ジョッキ。
(左の湯呑の裏側には大きな破損があります)

3
↑染め付けのアザミをあしらった鉄絵のジョッキ。

陶齋は様々な花を自在に生き生きと描きました。
花を愛して止まなかったからに違いありません。

私が草花を好きになったのは子供時代から陶齋の器に
接していたせいかなと思うことがあります。

良い美術工芸作品にはそんなことが想像されるほど時
に強い作用があるのではないでしょうか。

キジの求愛行動 メスもディスプレイ様のことをするのか。

2016年5月29日(日曜日)

良い季候が続いていた昨日美術館裏のデッキベンチの田で
キジの求愛行動を見た。
(オスは先日掲載した個体ではないかと思われます)

オスはメスの先へ回り、しゃがんで尾羽を広げて見せる。
メスは避けたり、飛んだり、きびすを返したりするが、オ
スは追いかけて同じ行動を行う。
何度も繰り返し、場所を移動しても行われた。

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↑体を大きく膨らませてメスに向かう雄。

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↑メスが後ろをすり抜ける。

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メスの前に先回りするオス。

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↑前に回ってしゃがみ、尾羽を広げてメスに見せる。

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↑メスがすり抜けてオスがまた追う。

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↑メスを追い抜くオス。

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↑尾羽を広げる。

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↑場所を変えて続ける。

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↑間もなくオスが追わなくなりメスは少し淋しそうな感じ。

この後のメスの行動はかなり意外でした。
以下コンパクトデジカメの動画からのスチール画像です。

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↑オスからやや離れてくちばしで砂を払うメス。

 

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↑そこにうずくまる。

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↑身を倒し。

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↑横たわる。

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↑ふわりと羽を広げる(砂浴びとも違うように見えました)。

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↑起き上がる。

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↑オスに近づく。

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↑急接近し一見仲直りしたようだが。

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↑突然オスの前を飛んだメス。
尾羽を高く上げているので、これも誘いの行動かもしれない。

 

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↑飛んだメスはオスのそばでうずくまり尾を立てて誘う動作を見せる
がオスは興味を示さない。

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↑メスは諦めたように立ち上がると去って行きました。

さて当初オスの縄張りに入って来たメスがオスを誘い、繰り返し
オスの求愛行動を促しているようでした。
オスはメスの前に出てはかがみながら尾羽を広げて見せる。
これに対してメスは厭がるような素振りをして向きを変え、オス
が追いかける。

この繰り返しは華麗な鬼ごっこの様子でしたが、間もなくとオス
はディスプレイ行動を止めて餌をあさり始めました。

するとメスは近くで横たわり羽を広げるなど、「こっちへ来て」と
言うような意味ありげな行動をしました。

付け足しますと、けがをしているのかメスは終始右足を引きずっ
ていました。
足を引きずり、うずくまり、羽を広げる。
まさかと思いますが、これらはオスの気を引くための一種偽傷行
為に見えなくもなかったのです。

また最後にメスはオスに寄って行き、飛び跳ねるとうずくまりました。
うずくまるのは交尾を促すか、あるいは卵を温める行為にも見えま
したので、これもつがいになることを促す動作の一つだったかもし
れません。

いずれにしましてもオスよりメスはこまやかな駆け引きをしかけて
いるように見えました。
こんなことからキジの一夫多妻の形はオスよりメスの積極性がそ
うさせているのかもしれない、と想像してみました。

機会があればもっと観察したい所です。
(※最後の2枚の写真と後段の感想は5月30日に追加致しました)

とても長くなりました。

除草その1。

2016年5月28日(土曜日)

樹下美術館では除草の手間が多い。
近時苔まで取るので除苔(じょたい?)も加わっている。
本日は春からの手入れのことを記してみたい。

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↑一番南側の低い所はスギゴケの天国になりかかった。
スギゴケは樹木や石が主体の庭なら良いが、肥料を奪うので花の
庭には誠に悪い。
一本一本に数㎝の根があり、深く掘らないと残った根から発芽する。

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↑2月下旬にシャベルや鎌で削った。

3'
↑その後、お陰様でスズランやアヤメがよく咲き、この先はミソハギ
やリンドウが待っている。

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↑4月2日、枯芝の中で早くもスズメノカタビラが青々と生えいる。
雑草たちは旺盛で常に季節や場所の先取りをしてくる。

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↑芝は根で繋がっているが、スズメノカタビラは一本一本抜ける。

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↑秋に種が散った部分で沢山出てくる。
放っておくと、丈が倍以上になり横に広がり根が強く、取るのが大変。

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↑4月上旬、背丈5㎝ほどで密集し一見愛らしく見えたタネツケバナ。
当初は“何という花ですか、可愛いですね”とお客様が仰った。

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↑それがどんどん伸びて細いサヤ状の種を沢山付ける。
乾燥してくるとそっと触るだけでパチパチ音を立てて種を周囲に飛ばす。
現在飛んだ種の芽が出て二回目の花が咲き、再び除草の対象にな
った。
大きいのは30㎝にもなるが、簡単に抜けるので種が飛ばないうちの
除草が肝心。

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↑先日の庭。一見きれいですが、まだまだです。

さて除草は掛けた時間の分だけきれいになりますし、庭は皆様に
楽しんで頂ける作品とも言えますので作業は気になりません。

少々広いため毎日何らかの手入れは必要で、「修行?」と思って
行っているところです。

機会をみてその2を記させてください。

カフェのノートの楽しいイラスト。

2016年5月26日(木曜日)

先日、館内のノートのうち展示ホールのものに記載された皆様のお声の
一部をここに掲載させて頂きました。

ノートはカフェにも数冊ありまして、本日はそのうち丸テーブルに置かれた
ものからご紹介いたします。

このノートは横書きのせいでしょうか、よくイラストが描かれているのです。

 

IMG_1856
ノートの外観はかなり華やかです。

 

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↑何人かの方が次々に描き足したのでしょうか、楽しい時間が伝わります。

 

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↑御抹茶と和菓子を食べたのですか、雰囲気があるイラストですね。

 

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↑“長岡にもこんな素敵な美術館があればいいのになあ”
有り難いお言葉、どうかまたおいでください。

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この所の暑さですでにぐったりしている花が幾つか見られた。
閉館してから散水したが間もなく夕立のような雨が降った。

だが雨だけあてにしていると枯れてしまう花があり、庭は気が抜
けない。

野イバラ(野バラ)と齋藤三郎(初代陶齋)の壺。

2016年5月25日(水曜日)

先日まで樹下美術館一帯はアカシアの白い花が沢山見ら
れていました。
それも終わり、いま路傍などに野イバラが咲いています。
野イバラはいわゆる野バラに相当する植物です。

茂ってトゲもあり、容易に触れにくい花ですが、近づくとと
ても良い匂いがします。

 

1
↑野イバラ(野バラ)。

1の拡大
↑上掲写真の部分をトリミングして拡大。

 

さて樹下美術館に齋藤三郎(初代陶齋)が野バラを描いた壺
が二つあります。
一つは青(るり色)の地に黄色で描かれています。

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↑初夏の青空を思わせる地色の「色絵のばら文壺」。
縦横22,0×26,0㎝

 

2の拡大
↑「上掲の一部を拡大しました。

 

もう一つは現在展示中の作品で、赤い地に金彩で描かれ
ています。

3
↑「赤絵金彩野薔薇文壺(あかえきんさいのばらもんつぼ)」
縦横20,0×16,9㎝

あでやかな赤と金、才気と情熱が伝わる作品です。
(「ばら」と「薔薇」とありますが、器の箱の記載通りにしました)

3の拡大
↑上の写真の一部を拡大。
二つの作品とも軽やかな筆致で花の喜びを伝えています。

野バラを描いた陶芸家は珍しいと思われ、陶齋の花への親し
みが伝わる作品ではないでしょうか。

アザミの季節にもなりましたので、近いうちにその作品も掲載
したいと考えています。

頸城野の早苗と電車とツバメ 10年目の樹下美術館。

2016年5月23日(月曜日)

田植えを終えた水田の中をほくほく線の電車が行く。
かって高速特急「はくたか」が轟音と共に通り過ぎたほく
ほく線。
普通列車だけになったが、くびき駅を出てから目の前に現
れ雑木林に消えるまで、さえぎる物も無く眺めは楽しい。

日本一早いローカル特急を支えた高架橋は立派で、今そ
こを走る普通列車は田園の「小さな王子さま」といった感じ
だ。

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↑植え終えたばかりの瑞々しい田園を行くほくほく線電車。

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↑なびく早苗と風を切るツバメはお金で買えない清々しい眺め。

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本日来館された何組かの方が、
「上越にこんな良い所があるなんて知らなかった」と仰った
そうです。
樹下美術館は今年10年目になりましたが、実はこの様な
ご感想がよく聞かれ、今なお大いなる励みになっています。

“皆様に感謝を致し、これからもどうか宜しくお願い申し上
げます”

国鳥のキジ。

2016年5月22日(日曜日)

見たいときに中々見られず、ぼんやりしていると不意
に現れるキジ。
最近美術館の周囲でいっそう頻繁に鳴き声がしていた。

本日閉館後のベンチで休んでいると向こうの畦に現れ
た。
およそ茂みや深い草むらを隠れるように移動するが、
今日は臆することなく姿を現すと少しずつこちらにやっ
て来た。

 

1
↑右手前にハクセキレイも来て平和な眺め。

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↑横顔は一種滑稽だが、正面からは若冲の絵のよ
うな迫力。

 

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↑元気よく鳴き声をあげドドドーッと羽ばたく。

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↑たいていバランスを失うほど煽る。

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↑鳴き終えて澄ましている。
(最後の方は日陰に入り、露出などうまく行きませんで
した)。

何を食べているのだろう、とてもよく肥っている。

日本の国鳥なのに撃ってもよいことになっている。
幸い撃つ人も減り次々放鳥されるため増えているらしい。

立派な鳥で人里にも馴染んでいる。
美術館一帯は禁漁区だが、せっかくの国鳥だからもう狩
猟を禁じてもよいのではなかろうか。

今にして思えばということ。

2016年5月21日(土曜日)

良い季節となり近隣の田も田植えは終了しつつある。

 

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5月17日のデッキ。

さてまた田植えの話で申し分けありません。
「今は10条植えなんていう凄い田植機があり、5反くら
いは何回か往復するだけで終わらせちゃう。兼業や手
伝いの家族の都合なんかで、田植えは週末にちゃっち
ゃっと済ますんです。人も二人か三人で、昔とは大違
いです」

話はその昔、そうとめ(早乙女)をした若いおばあちゃん
の感想だ。

今でも田植えは見た目と違い楽ではないと思われる。
また最盛期の田んぼは田植機が動き回り、人も出て、
私は好きだ。

IMG_0158
↑お年寄りも腰掛けて応援団として田植えに参加しているようだった。
早乙女だった日の熱い血がよみがえるのではないだろうか。

その昔、見渡せばあちこちで十人、二十人の人、それ
もある時代、ちゃんと着付けた早乙女達はじめ、大勢の
男衆がいで立った田植えは、どんなに壮観な眺めだっ
たことだろう。

但し苗の仕度、人集め、複雑な段取り、雨降り、、、。
田植えは持ち主にとって目出度い一方、重い責任とスト
レスの行事だったに違いない。

自分なども見ようと思えば過去いくらでも大勢の田植え
を見ることが出来たはずだが、当時は見る目がなかっ
たとしか言いようがない。

親の話なども同じで、居なくなってから聞いておけば良
かった、と思うことばかりだ。
一方、子は要領を得ず、親も馬鹿にしてまともに相手に
してくれない、ということもあり、難しいところだ。

清々しかった新潟県立大潟水と森公園。

2016年5月19日(木曜日)

5月になり強い寒暖や風に見舞われていがこの所穏やかに推移
するようになった。
午後休診の本日、4時半頃から新潟県立大潟水と森公園を歩いた。
今年1月に来た時、こんな所に道があるのか、と思った所を初め
て歩いた。

1
↑このようなエントランスを見るとつい誘われる。

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↑繁茂の夏を前に清々と草が刈られている道。

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↑広場も丁寧に刈られている。

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↑道は曲がりあるいは上下する。

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↑道は分かれまた合流する。

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↑とても大きいがクワらしい。

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↑実が付いていてクワだと思った。

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↑湿地のハンノキ。

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↑昔の田植えで皿代わりにその葉が使われたホオノキ。

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↑ヤマボウシ。

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↑嫌いだったマムシグサだが、見慣れると格調がある。

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↑随所のモミジ。

 

広大な園内の自然観察園ゾーンと潟の里ゾーンの一部を歩いた。
桑の実がつき、ヤマボウシが咲き、モミジは鮮やかだった。

華々しい花は無いが公園は緑したたる初夏を迎えていた。
沢山写真を撮ったが、繁茂の季節を前に行き届いた管理に感心さ
せられた

夕刻の園内を歩く人たちは健康そうだった。

皆様からお書き頂いている展示場のノートから。

2016年5月18日(水曜日)

樹下美術館ではカフェに3冊、展示ホールに一冊、ノートを置か
せて頂き、「お声」として皆様からご自由にご感想などをお書き
頂いています。

 

IMG_1016

 

今年は多めにお書きいただき、とても感謝しています。
本日は展示場のノートから以下幾つかをご紹介させて頂きました。

すばらしい作品を有り難うございました。
(川口市 男性)

素晴らしい作品ばかりで感激しました。ざくろの壺がと
ても好きです。
(女性)

とても素敵な美術館、静寂な中にも又開放的な美術館
で上越でこんなにすばらしい所を拝見できて今日一日嬉し
く過ごしました。(上越市 女性)

はじめて来館しましたが本当にすばらしい作品の展示
を見せて頂いてよかったです。連れてきてくださった友達
に感謝です。(女性お三人)

We enjyed the beautifull ceramic Pieces thank you!
(Seattle,Washington USA)

 

_MG_9829
↑陶芸ホールに展示中の齋藤三郎作「色絵椿文鉢」。

初めて来たのになぜか懐かしいような、、、。四季の移
る度に自分の気持ちの変化する度に訪れたくなりました。
(長野県の方)

どちらの作者も朱がとてもあざやかで美しい。
(上越市のお二人)

朱色のチューブとても気に入りました。陶芸の装飾もき
れいでした。来て良かったです。
(女生徒さん)

どの作品も美しかったです、また来たいです。
(富山県の方)

ずーと訪問したいと思っていました。絵画と美しい陶芸、、、
雪国の人のいとなみを静かに表現した作品に触れあたた
かい気持ちを感じました。(上越市のご夫婦)

_MG_9877
↑絵画ホールに展示中の倉石隆作・「朱色のチューブ」

小さな美術館ですが、ノートにしたためられた皆様のご好
意になにより励まされます。
齋藤三郎、倉石隆の常設を維持し、これまで通り皆様のご
紹介を主な頼りとしてさらに認知されますよう自らも努力し
たいと思います。
「ノートにご記載くださり、誠に有り難うございました。」 館長。

5月に33度の日の給餌 幼鳥の凄まじい食欲。

2016年5月17日(火曜日)

昨日、仕事場の上越市大潟区は突然のように気
温が33,4度まで上昇し、当日全国1を記録した。

南国にはもっと暑いところがあるはずなのになぜ
当地だったのか、全く不思議で仕方がない。

その日昼の美術館の庭に一昨日のハクセキレイ
の一家がいた。
親鳥は餌を運んだが、一昨日と違い子供達を連れ
回す様子は見られず、たいてい寄って行って餌を
与えた。

幼鳥が日陰に集まっていたのも、さほど親を追い
かけなかったのも、親が連れ回そうとしなかったの
もみな33度もの暑さに対して幼い体力を消耗させ
ないためだったのか。

それにしても親に餌をねだる子の姿は本当に凄ま
じかった。

1
↑むしろ子は親より大きく見える。

2
↑もっとくれと凄い剣幕。

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↑早くよこせと恫喝。

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↑こんなに騒がなくてもいいのに。

ヒナたちは「食べなければ死ぬ」レベルの原始的欲
求をみなぎらせ、全力で餌を求めているようだ。

要求はあまりに凄まじく、親を脅迫あるいは恫喝して
いるようにさえ見える。

ヒナというものが黄色のくちばしを目一杯開き、赤い
喉を見せて激しく鳴く時、あまりの切なさに別の種類
の鳥さえ餌を与えてしまう事があるらしい。

人の子も睡魔や空腹に襲われて激しく泣く。
時には傍目に見当もつかないまま何十分も泣く。
親はその声や形相にせかされ、必死に抱き時に困惑
させられる。

幼少の激しい欲求は自分も体験しているはずだが、
どこにも痕跡が無い。
ただ成人後、時にこみ上げた強い怒りなどは幼少に
鍛えた原始的感情から発しているかもしれない。
もちろん泣くことで心肺機能や喉を訓練していること
は容易に理解出来る。

それでいうと、自分が人より声が小さいのは幼少で激
しく泣かなかったのだろうか。

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昨日の33度から一転、本日昼の車の車外温度は17度
を示していて肌寒かった。

 

昔の田植えの続き。

2016年5月16日(月曜日)

過日お二人のお年寄りから早乙女として田植えをした話
を記載した。
手植えによる盛大な田植えは当地で歩行型田植機
が普及する昭和50年代後半~60年前半あたりま
で続いたいたようだった。
※但し後に兼業農家が圧倒的となり、自家用車が普
及し田植えは次第に地味になっていったという。
機械化では稲刈り機に較べ田植え機の機能と構造は
は複雑で、現在のように大がかりな実用が可能になっ
たのは最近らしい。

先日記載の後、さらに何人もの方から昔の田植えの話
をお聞きして早乙女の追加や新たなことがらなど掲載し
ました。

先日の疑問や追加など。

田植えのため早乙女たちが往き来する事の呼び方?
「ユイ(結い)」や「ユイッコ」と呼んだ。
(※前回早乙女を「しょうとめ?」と書きましたが、「そうとめ」
かもしれません)

田植えに行った場合、行った先の娘さんたちも一緒に
植えたのか?
一緒に植えて、多いときには10人を越えることがあった。

娘さん達は苗を植えたが男は何をしたのか?
苗床から苗取り、苗運び、苗結び、格子や定規で田の目
安を付けるなどを行った。

男の子たちは何をしたのか?
植える人のために、田んぼに束ねた苗を投げたり、格
子持ちも若い男の仕事。昼食や水も運んだ。

【新たにお聞きしたことなど
多いときには一週間から10日で4,5カ所を回り、と
ても疲れた。
上着、腰巻き、タスキ、手甲やきゃはんは自分で縫った。
但し半幅の帯だけは買った。
田植えばかりでなく「植え直し」という作業があり大変だ
った(初期の田植機の頃かと思われます)。
(昭和13年生まれ 吉川区川崎のご出身)

子供の時から田仕事を見ていたので、初めての田植
えも平気だった。子供時代の田仕事は半分遊びみたい
な感じだった。
(大正12年生まれ 吉川区梶のご出身)

田植えの前の日、食べ物を包む朴の葉を取り行くが、
木が高いので男の子が登って葉を落とし、女の子は下で
拾い集めた。
近郷近在、老若男女が大勢入り交じって話の花が咲き、
田植えは一年で一番大騒ぎの楽しい行事だった。
(大正6年生まれ 名立区桑取西横山のご出身)

結いの往き来は当初バスだったが、後にタクシーで迎
えが来るようになった。
早乙女に出る人が少なくなったためだと思う。
(昭和11年生まれ 大潟区内雁子の男性)

服装はハンチャと言うカスリの上っ張りを着る。
袖の先の内側に白布をつけそれを折り返して表に出
した。
黄色の帯は当初メリアスで縫ったが後に買うよう
になった。
昼食の煮しめが特に美味しかった。
朝早くから夕方遅くまで植えたが遅くなると余計にお
金を貰った。
自分は一人っ子で我が儘に育ったが、誘われて初め
て結いに行き、みなと同じ仕事が出来て嬉しかった。
近隣の田植えにはチャリンコで行った。
(昭和13年生まれ ご実家吉川区西の島)

家が地主だったため田植えをした事がなかった。
戦後、貯金を封鎖され、広い田と山の巨木を取られ
た。
ある日突然田植えをさせられ、さんざんな目に遭った。
みな上手にドンドン先へ行くのに、自分は田の中に
取り残されて動けなくなった。
その年、吉川区の泉谷や竹直へも行ったが、もう無
理だと思い、看護婦の勉強をすることにした。
(昭和8年生まれ 大潟区農村部の女性)

田植えに限らずお年寄りの若き日の話は夢まぼろし、
あるいは物語のようです。
いま10代、20代の人も5、60年経ったら懐かしい
昔話を生き生きと語って貰いたいと願うのです。

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本日診療所の上越市大潟区はひどい暑さにみまわれた。
33、4度の気温はこの日全国1位となった模様。

一転して明日はぐっと冷え、場合によって半分程度まで
気温は下がりそうだ。

本日の田植え
本日の田植えはほくほく線を背景に8条植えの乗用田植機。
(大潟、頸城両区のあたりで)。

樹下美術館の庭でセキレイの子育て。

2016年5月15日(日曜日)

周囲の水田は水が入りすっかり瑞々しくなった。
庭は花の種類が三回ほど変わり夏の姿になろうとしている。

 

庭
↑本日の庭。

 

 

1
↑水盤のそばで三羽のハクセキレイの幼鳥がのんびりしている。

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↑餌をくわえた親が現れて大騒ぎ。

3
↑餌をねだるがなかなかもらえない。
幼鳥の体の大きさは親と全く遜色がない。

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↑親は餌をくわえたまま行ってしまう。

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↑後を追う。

6
↑餌をもらえなかった者がさらに追いかける。
子はパニックを否めないが親は終始落ち着いている。

巣立った幼鳥に対しておよそ親はすぐには餌を与えない。
走ったり飛んだりして子供をあちこちへ誘導する。
そうしながら脚力や飛翔力を付けさせ、場所の変化やテリ
トリーの様子を教えているように見える。

親鳥が来るまで幼鳥たちはたたずむほか、周囲を突っつき、
餌をあさる動作も行っている。

辺りでは雀、カワラヒワあるいはツバメたちが親を追って
とても忙しい。
ツグミは北へと姿を消しているが、新たに生まれた鳥たち
で一段と賑やかになった。

楽しかった蓄音機でSPレコードを聴く会。

2016年5月14日(土曜日)

裏手の水田にすっかり水が入った穏やかな土曜日。
一昨年から数えて第三回目のSPレコードコンサートが終わった。
広い告知をしなかったが,ほどよく50名様の来場者さんをお迎え
できた。

前半7曲のクラシック、後半にポピュラー、歌謡曲と童謡で7曲。
3回目だったのでお陰様でリラックスして主催できました。

1
アヤメが咲いていた本日日中の樹下美術館。

 

【プログラム前半の部】
アンダンテ・カンタービレ(チャイコフスキー)
「弦楽四重奏曲第一番より」  フリッツ・クライスラー(Vn)
エチュードOp10 No3(ショパン) アルフレッド・コルトー(Pf)
プレリュードOp28 No15(ショパン) イグナツィ・パデレフスキー(Pf)
菩提樹「冬の旅」より(シューベルト) リヒャルト・タウバー(Tn)
“恋とはどんなものかしら“「フィガロの結婚」より(モーツァルト)
エリザベート・シューマン(Sp)
楽興の時 Op94 No1(シューベルト)   エトヴィン・フィッシャー(Pf)
鳥の歌(カタロニア地方のキャロル)  パブロ・カザルス(Vc)
  【後半の部】
映画「道」のテーマ スリー・サンズ
映画「汚れ無き悪戯」のテーマ  サウンドトラック
「キェン・セラ」  フランシスコ・チャヴェス
「リンゴ追分」   美空ひばり
「青いカナリア」   雪村いづみ
「テネシーワルツ」  江利チエミ
「月の沙漠」 川田孝子/安西愛子

ご協力頂いているA氏に心から感謝申し上げます。
ご来場の皆様、楽しい時間にして頂き誠に有り難
うございました。

 

3
いつも頑張るスタッフによって準備整った会場。


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お話をしながら。

5
休憩時間。

いずれ4回目を致したいと考えています。

若き日、お年寄りたちは早乙女として隣町の田植えに行った。

2016年5月12日(木曜日)

先日昭和10年生まれの方から、娘時代の何年か毎年、
隣町の農家に行き田植えをした話をお聞きした。

数日後昭和4年生まれの方が、同じ話をされたので、少々
驚いた。
お二人とも頸城区の農家から大潟区へ嫁がれている。
お話はいずれも実家に於ける娘時代の体験だった。

田植えをする娘さんたちは「しょうとめ?そーとめ?(早
乙女)」と呼ばれたらしい。

当時の年令と住所は異なっているが早乙女として田植え
に行った先は偶々いずれも現在の柿崎区の上直海(かみ
のうみ)だった。
お聞きした内容はおよそ以下のようなものだった。

15才~20才ころ田植えの時期が近づくと親は新しいカス
リの生地を買ってきて、娘達は自分で野良着を縫った。

田植えは近所の娘さん達5,6人とバスに乗って行った。
新井柿崎線を長峰で降り、そこから上直海まで数キロ歩
いた。

田植えの身支度はピンクの腰巻きをしっかり付け、上から
新しい野良着を着て黄色の帯を締めた。
手甲、きゃはんをつけ、赤いタスキを掛け、手ぬぐいで顔を
覆いすげ笠を被ると身が引き締まり、晴れがましい気持ち
になった。
雨降りでは持参した箕をまとった。

男衆は苗の仕度をし、格子を置いて植える目安を付け、
植えるのはもっぱら早乙女の仕事だった。
午前午後の途中に休みがあり、お茶とともにボタ餅やキナ
コ餅などの甘くて美味しい食べ物が出された。
それらは大きな朴の葉にくるんで用意された。
お昼は足を洗って上がり、昼寝をしてから午後また植えた。

一日が終わった夕食に赤飯とともに、刺身や煮物に焼き魚
など贅沢なご馳走が振る舞われた。
行った農家で2晩ほど泊まったが、若かったせいか辛かっ
たり、腰が痛くなるなどの記憶はない。

こちらの田植えの時に、今度は行った先から娘さん達が来た。
彼女らを迎える前に、朴葉を取りに行くのは自分たちの仕事
だった。
(地元の娘さんと遠来の娘さんと一緒に田植えをするのかは
お聞きしていませんでした.。
両地を結ぶ親戚筋が早乙女の往来を「いっこう?」として取り
まとめているようでしたが、これも詳しくお聞きしていません)。

IMG_0413
↑本日午後、のどかに晴れた上越市大潟区は潟田の眺め。

男衆が段取りをつけ娘さんたちがが本番の苗を植える。
お話から田植えは通常の農作業と異なり、豊作を願うハレ
の神事でもあり、産む能力を有した早乙女たちは田の神の
使者の役をも委ねられているように思われた。

お二人とも思い出しながら気持ちが昂揚されるのか、生き
生きと話してくださった。

昨今の社会は一見自由で便利だが何かに付け複雑で、自
身の立場や役割を明瞭に把握するのにしばし困難を伴う。
そのうえ人生は長く、存在理由の曖昧さはさらに広がろうと
している。
較べて昔の人の人生は短い。
それで農村などでは年令などに応じて立場、役割が適宜一
般化され諸般無駄の無いよう計られていた風に見えた。

今月は風が強い。

2016年5月11日(水曜日)

本日午後から西風が強まり気温も下がった。
夕刻、田植えをしていたが風がひどくなったので中止したと言う方が
来られた。

2
大きなイルカが風の中を泳いでいるような夕暮れの雲。
風にあおれらた田の水は濁って茶色に変わっている。

自然界に接している樹下美術館。

2016年5月9日(月曜日)

樹下美術館は草木や鳥たちに囲まれている。

 

2
隣接する大潟ナショナルカントリーのあぜ道のアイガモ。

 

3
↑水盤のコムクドリのつがいが同じタイミングで水を飲み込んだ。

 

1
庭の灯りで営巣しているシジュウカラは終日ヒナに餌運び。

 

自然界の無心さは心を魅了する。
その一員であるはずの自分たちは、今やそこからはみ出し
ているようで心もとない。

草花や鳥たちは母の懐の如く私たちを懐かしがらせ、
山河や田畑の眺めもそのような雰囲気を持っている。
樹下美術館の作品も庭もカフェもそんな世界の近くにある。

農作業の女性は格好良い。

2016年5月8日(日曜日)

本日日曜日の頸城野は穏やかに晴れ、随所に農作業が見
られた。
本日あらためて感じたのは作業をする女性の生き生きとし
た格好良さだった。

それに女性がいるだけで、現場が明るく見えるのである。

 

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↑女性が田植機を運転していた。

いっそ都会の女性達も作業服を着て農地に出れば、
一段と健康的で素晴らしい魅力を放つと思う。
そんな時代が来ればいいのに、、、もったいないなあ。

海への跨線橋が架け替えられた海崎海岸。

2016年5月7日(土曜日)

まだ風が収まりきらない土曜日午後、柿崎海岸を歩いた。
海岸沿いの道にハマエンドウの紫の花が盛りだった。

JR線を渡る橋が気持ち良く架け替えられている。

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↑ハマエンドウ。

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↑海岸で見つけたシーグラス。

海あり里あり田んぼありの当地は近隣で不自由なく楽める。

頸城平野は田植えの時期に。

2016年5月5日(木曜日)

良く晴れたが終日風が強かったこどもの日の祝日。
昼過ぎには当地の東、米山と尾神岳に長々としたレンズ
雲が見られた。

レンズ雲
↑強風が反映された尾神岳の雲。

当地の水田で代掻き(しろかき)が始まっている。
代掻きは田に水を張って耕す作業だが、均等に土を起こし、
水平を保ち、雨にも配慮するなどこまやかな仕事だという。

1
↑次々に水が入る水田の遠くに妙高連山。

 

2
↑一部で始まっていた田植えの機械は軽快なデザイン。

 

3
↑人手も入っているしろ掻き。

担い手には大変なことと考えられるが、水田は当地の貴重
な景観。
折々にきれいに草が刈られ、広々として本当に美しい眺めだ。
間もなく頸城平野一面に水が入り初々しい苗が植えられる。

明日も強風の予報が出ている。

熱風の嵐が去った日。

2016年5月4日(水曜日)

昨日の熱風の嵐が去った本日は緑の日の祝日。
樹下美術館はほどよくお客様にお越し頂きました。

まだ風は残ったが庭の草花や鳥たちは嵐のダ
メージを癒やす風でした。

 

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↑午後の空。

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↑眠っているようなライラックの花。

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↑愛くるしいスズラン。

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↑水浴びするコムクドリのつがい。

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↑庭の灯に巣を作ったシジュウカラはヒナが孵っているようだ。
つがいは餌運びに忙しそうでした。

強風の憲法記念日。

2016年5月3日(火曜日)

5月3日は憲法記念日の祝日。
貴重な記念日だったが当地は瞬間風速20メートルを越す強風
に見舞われた。
しかも南寄りの風だったので草花はおろか植えられたばかりの
作物の苗にも最悪だった。
一部の草花はぐったりしてしまい、明日雨降りの予報ながら散
水した。

田植え後の水田が強風に見舞われると植えた稻が浮いてくるら
しい。
当地は田起こしが始まったところだったので難を逃れたと思う。

 

160503悪風の日
↑本日強風の美術館裏の田んぼ。

ところで本日来館されたご家族が憲法の話をされた。
以前は改憲止む無しの方だったが本日はこのままで良い趣旨を
述べられた。

このままで良しは私もその一人。
憲法が発布された昭和22年の自分は6才だった。
暗く貧しい時代、発布が周囲にもたらした「明るさ」と「希望」の感
覚は子供心も打ち、今日まで脳髄に染みこんでいる。

一部不満の人はあったことはうなずけるが、多くは新憲法に奮い
立たされ、働き、家族を支えたように思う。

厳しい人生で個人が豊かで良い子が育つ国へ。
憲法には真の幸福を反映する唯一無二の絶対価値が漂っている。
これ以上無い最上位の国の規範(理念)でありほかに何をか望もう。

あらためて「負けるが勝ち」という言葉と膨大な戦争犠牲者の方々
が思い出される。
憲法、なかんずく第九条は米国よりも、この方達によってもたらさ
れた尊い魂の遺産ではないのだろうか。

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強風の庭に一輪香りたつ 花は牡丹かはた憲法

四度目の蜘蛛ケ池道(瑞天寺-十二神社) 独立自知 馬鹿野郎大居士という墓碑銘。

2016年5月1日(日曜日)

樹下美術館の近くに大潟スマートインターがあり、周
辺は雑木林に囲まれている。
その林の中に小径があり、十二神社から三つの鳥居を
経てほくほく線高架橋をくぐり、蜘蛛ケ池は瑞天寺へ
とジグザクに続いている。

昨年10月に偶然この道を見つけ、神仏をつなぐ静け
さと路傍の草花が気に入り何度か歩いた。
2015年10月22日

2916年1月3日

2016年4月17日

本日来館されたご夫婦は過去のブログで道に興味を持
たれ、急遽「行って見ましょうか」ということでご一緒した。
私が知らないことを教えてもらったり新たな発見もあり楽
しかった。
このたび勝手に蜘蛛ケ池道と呼んでみることにした。

 

車を停めて
↑車を降りて上ってきた道を振り返る。

十二神社
↑短い坂を上ってすぐ左に十二神社(この写真は本年正月です)

径
↑本日一段と緑深くなった道。
草刈りなどは蜘蛛ケ池集落の方達がされていると聞いた。

2
↑道中両脇のアマドコロは清潔感あふれる。

4
↑白く泡立つごとく咲いていたハナウドの群生。

3
↑ニホンタンポポ(ほかではおおかた西洋タンポポということですが、
この道のはみなニホンタンポポらしい)

5
↑開花が楽しみな立派なアザミ。

9
↑由緒ある観音堂が建つ瑞天寺に出る。

6
↑瑞天寺裏山の墓所にある笠原家の墓。
大傷みしていて非常にもったいない。

7
↑墓所にある笠原大川の墓碑(勝海舟筆による「大川笠原
君墓碑銘」の八文字(昭和63年発行大潟町史を参考)。

6b
↑墓所の小高い山に点々と三十三観音像。

6c
↑お気に入りの一体。

10
↑蜘蛛ケ池山から見る頸城野の水田。

8
↑驚かされた「独立 自知 馬鹿野郎大居士」と記された
墓碑。
瑞天寺の墓地は檀家衆の非常に立派な墓が多い。
その中の一つで、安政五年の年号があった。
自ら名乗ったものか、残された人の命名なのか。
どんな人だったのだろう、独立自知の言葉はとても
良い。
いずれにしてもこれ以上無い謙遜?の墓碑であろう。

 

11
↑笠原家墓地の入り口にあった二基の灯籠のうちの一基。
寄進者の名の中に曾祖父貞蔵(嘉永3年11月28日生まれ、
嘉永3年→1850年)の名があった。
貞蔵の父玄作は笠原大川(だいせん)の弟子の一人であり、
大川に勧められて医師になっている。
(玄作の娘トヨは小山作之助の母です)

本日はご一緒した方のお陰でニホンタンポポ、馬鹿野郎
大居士の墓、曾祖父の彫り銘など興味深い発見をさせて
もらった。
500メートルほどの短い小径だがいつもなにかしら楽し
める。
途中ほくほく線高架橋の真下を抜け、頭上を電車が通った。

百合の群生も見つかり夏にはどんな花が見られるだろう。
いつか皆様とご一緒にここを歩いてみたいと思いました。

拙ブログを楽しみにしていると仰る入院中のAさん、ご覧い
ただけましたでしょうか。
治療に専念され、ご快癒されることを心よりお祈りしていま
す。

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