2016年6月

昔の農村の娘さんのこと R君から八ッ橋のお土産。

2016年6月29日(水曜日)

過日昭和4年生まれのおばあちゃんから娘時代の事をお
聞きした。
その人の父親は病弱なため農作業から身を引いていたら
しい。
家には7反の田があり、仕事は長女のその方が中心にな
って働くことになった。
母親に次々と子供が出来たので自然にそうなった。
小柄だったが、少女時代から牛を使って田を起こし,代掻き
を行い、苗取り、田植え、草刈り、稲刈り、ワラ仕事などみな
行った。
稲刈り後は稲を干すはさ木に上って稲束を受け取り、上ら
ない時は束を竿で刺して持ち上げ、はさ木に上った人に渡
した。

近所や親戚の助けも借りたが、あくまで責任は自分の肩
にあった。

戦時下の村で男たちは次々と出兵し、行き詰まった農家か
ら田を任されるようになった。
7反だった田はついに1町5反にもなり、小学生になった弟
たちも手伝ってくれるようになった。
後年、姉ちゃんは働いている姿しか思い出せない、と弟に
言われた。

稲刈りを終えた秋~春、村の娘は都会へ女中奉公に行った。
自分も行きたかったが、“裁縫を習わせてやるから奉公は駄
目”と親から言われた。
自分が奉公に行ったら帰ってこないんじゃないか、と親は心
配したらしい。

この方は可愛いお顔のお年寄りだ。
加えて働き者であれば若き日都会で見込まれたうえ、長い
奉公や嫁入り話などを親は恐れたのかもしれない。

さて裁縫は当時の娘さんの大切な修養の一つだ。
小生の同級生のお母さんはかって裁縫の師範で、冬にな
ると近隣の村から大勢の娘さんたちが泊まり込みで習いに
来たという。
場所は違うが、くだんのおばあちゃんもそうして習っている。

話変わって終戦後のこと、高等学校に行かせてもらえず、
中卒で煙突女学校に行ったという方の話を聞いたことがあ
る。
煙突女学校とは紡績工場のことで、なぜ学校かと言えば、
工場の外見が学校に見えなくもない事が一つ。
また工場では仕事のほかお花、裁縫、習字、社会学習など
の時間が設けられ、学校のような側面もあった事に由来して
いるようだった。

振り返れば農作業や奉公、裁縫や煙突学校などの事で、皆
さん最初は遠慮されるが一旦語ればちゃんとした言葉で話を
される。
苦しい時代を生き抜いた体験が奥底のプライドとなって、生
きているように感じられるのである。
較べて一旦事あれば多くの詭弁を弄し、終始うろたえる最高
学府出という某知事などは、本当に滑稽に見える。

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本日、京都へ修学旅行に行ったという孫から八ッ橋が送られて
きた。
何年か前、ある孫が同じ先の八ッ橋を送ってくれた。
焼いた八つ橋は自分の関西への修学旅行以来の好物だ。

 

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↑懐かしい聖護院八ッ橋。

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齋藤尚明氏の湯呑で茶を飲み、さっそく美味しくいただきました。

R君、旅行は楽しかったことでしょう、本当に有り難うございました。

農場に若い人 無台風が続いている。

2016年6月28日(火曜日)

樹下美術館の南に隣接する水田、畑地は上越市大潟区の
ナショナルカントリー、通称ナショカンが営んでいる。

ベンチなどで見ていると季節毎の作物の移り変わりや農作
業を目にする事ができて興味深い。

キジが追っかけっこをしていた枝豆畑は青々と成長し同園で
は出荷が始っている。

 

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農場にいつも若い人たちの姿が見られるので嬉しい。

さて去る23日、フィリッピン海域で台風の卵と呼ばれる熱帯
低気圧の発生が報じられたが、発達せず台風にはならなかっ
た模様。

今年になってまだその発表はなく、記録的な年の可能性が出
てきている。

熊本の復興には一日でも遅いまた弱い台風の年になるように
祈りたい。

冷たい抹茶、涼しい雲、大きくて愛らしい郭公 時は不安を帯びるが樹下美術館は。

2016年6月27日(月曜日)

梅雨の晴れ間が続いて、本日日中は雲が涼しかった。
以前述べたような気がするが、6月は好きな月だ。

いずれ来る酷暑というものがどの程度か見当も付かない
が、昨日に続いて本日も過ごしやすかった。

 

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昼食後、裏のデッキのベンチで飲んだ氷り入りの冷たい抹茶。
心身がしゃきっとして大変美味しかった。
齋藤三郎(陶齋)最初のお弟子、志賀重人さんのお茶碗で。

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↑朝顔をイメージしたお菓子は冷たい抹茶に良く合っていた。
皿は齋藤尚明(二代陶齋)作、白磁の角皿です。
※冷たいお抹茶(アイス抹茶)はお菓子付きで600円です。

 

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↑ゆっくり変わって行く涼しい雲。
水田の風に当たりながらベンチで太宰治を読んだが、
身に余る贅沢だと思った。

 

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↑愛らしく毛繕いする郭公(カッコウ)。
昼休みを終えて仕事場に帰ると庭の松で鳴いていた。
鳴いているところは撮れなかったが、堂々とした大きな鳥だった。

 

さて例年ならすでに幾つか来ているはずの台風がまだ見られ
ない。
そんな折当地で一昨日、本日と震度3の地震があった。
(実はほとんど知らずにいました)

あまつさえ英国と欧州、絶え間ない国内の災害と事件、続い
ている戦渦、大切な選挙。

時は常に不安を帯びるが、樹下美術館にはいつも小さな幸
せがあるように心砕いて行きたい。

頸城の海と里、梅雨の晴れ間の鬼舞と岩の原。

2016年6月26日(日曜日)

本日梅雨の晴れ間の日曜日、有志で糸魚川市鬼舞(きぶ)へ行った。
同地に江戸中期から明治期に北前船の回船業で栄えた県内有数の伊
藤家がある。

多数の船を有し大阪、瀬戸内、そして日本海沿岸および北海道の商業
港を巡る商いで成功を収めている。

同家のすぐ裏手の高所に五霊神社がある。
境内の鳥居や狛犬などの設えは広島県尾道の石であり、尾道の石工に
よって作られ、北前船ではるばる運ばれている。

蝦夷地へ米、藁、網、繊維、日用品などを運び、北海道で海産物、魚肥
小豆などを買い付けて商った。
同家の伊藤助右衛門[(1887~1967)は事業の近代化に取り組む一方
大正昭和期において富本憲吉(齋藤三郎の師でもある)と親交、民芸運
動作家たちの貴重なコレクターでもあった。

 


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↑気持ち良く晴れた日本海を望む境内。
長大な日本海を帆走、険しい海峡や潮流を越えて商いをしたスケールの
大きな先人たちを誇りたい。

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↑佐渡と能登を見ているような二体の狛犬の一体。
嘉永二年(1849年)と刻まれ、晴れ晴れとした姿だった。

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↑備後(びんご)尾道 石工(いしく)惣八作とあった。
狛犬にしろ鳥居にしろ文字の彫りが異常に深い。
尾道の職人は当地の風を心配し、長く時経ても文字
が読めるよう苦心したのだろう。
お陰で今なお全く歴然として、微塵の風化も感じられ
ない。

尾道石の造作を見たあと伊藤家に寄ってご挨拶をした。
昔お目に掛かったお年寄りが元気に出てこられ、嬉し
かった。

その後上越市へ戻り岩の原葡萄園で食事、同園の石
蔵および雪室を見学した。

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↑レストラン入り口に飾られたワイン「深雪花」と「善」。
二代陶齋(齋藤尚明)による色絵椿大皿を囲んで赤白、
そしてロゼが格調高く配されている。

賑わう店内で8名うち揃って美味しいランチを堪能し、
おしゃべりに夢中のあまりメニューの写真を失念。

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↑森のかおりに包まれて熟成される明治31年建造第二号石蔵の赤ワイン樽。

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↑ワイナリー開祖者川上善兵衛が開発した国産の名ワイン葡萄、
マスカットベーリーAが元気いっぱいに実を付けている。
これから順次房を選び実りの秋を迎える。

清々しい空の下、糸魚川の潮のかおり高田平野の森のかおりを吸
いながら心身のリフレッシュをした一日だった。

梅雨の庭 除草作業の美しい女性。

2016年6月25日(土曜日)

空梅雨かと思われた空だったが、このとこと梅雨らしくよく雨が降る。
肌寒い日は余計梅雨らしい。

このところ樹下美術館にしばしば新しい方達がお見えになる。
いちいちお尋ねしないが、どこでお知りになるのだろう、とても有り難い。

さて額アジサイの大方が終わってテッポウユリとカシワバアジサイ
が咲き誇ほこり、夏の女王を競っている。

いや、咲き競うなどと言っては花には失礼だ、お互い一生懸命咲いて
いるだけに違いない。

 

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↑向こうが元からあったカシワバアジサイの親。
手前は5年ほど前に一本の芽を掘って移植した子で、随分大きくなった。

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↑ほとほどの雨をよろこんでいるテッポウユリ。
淑女風の花だがいつも賑やかに見える。

 

 

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↑今年の芝の成長は早い、もう何度目だろう、本日スタッフの芝刈り。
この後、ホームセンターから30キロほど肥料を買い、10キロ撒いたところで
雨となり中断した。

 

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樹下美術館の付近の市道で草刈りが行われている。
明日には残された刈り草が除去されるはず。

ところでビシッとつなぎを着て、ヘルメットを被っていた作業員に驚いた。
横顔に口紅が見え、鼻筋通る美しい女性だった。
ぶんぶんうなる草刈り機を背よりも高く掲げ、木に絡んだ猛烈な葛も刈って
いた。
これは普通の人ではない。
写真を撮らせてと喉まで声が出かかったが、とても言えなかった。

本日の学校保健委員会 大潟町小学校のオリジナル朝食本 昔の我が家の食事。

2016年6月23日(木曜日)

本日午後私の小学校母校、大潟町小学校で学校保健委員会
があった。
学校、PTA,区事務所保健師、同管理栄養士、学校医で構成
された22人の委員会だった。

学校、PTA主導でタイムリーなテーマが取り上げられるが、
生活習慣は例年共通する。

前段で健診結果、食生活、体力テストが報告され、後半は朝食
の課題がグループ毎に話し合われた。
食事は何度でも、繰り返すほど意義が深まるテーマだ。

朝の迎え方、メニューのバターン化と工夫、量、前夜の問題まで、
短時間のうち集中してにこまやかに話合われた。

最後に私の総括があったので、夜間(睡眠中)に実は消化と代謝
の活動が極めて活発に行われていること(副交感神経の活動)を
話させてもらい、関連づけて朝食の意義と要点を述べさせても
らった。

以下は本日頂いた今年3月に刊行された同校オリジナルの冊子。


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「大潟町小学校オリジナル 我が家のおすすめ朝ごはんレシピ」
著者・大潟街小学校、協力・同校PTA,同校後援会。
印刷・第一印刷所 全27ページの労作美本。

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朝ごはんはいいこといっぱい! 朝ごはんで、やる気スイッチオン!で
始まり、キャッチも内容もとても良い。

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定番メニューからバリエーションまで15人の提供者のレシピ
をもとに9人の作成協力隊が再現し、教師が撮影、メモや栄養
教諭のアドバイスなどが付く。

伝えたいことを伝えるには、本気か否かが最も肝心であろう。
形だけ整えトライしてみました、では伝わらないし残らない。

よくぞ完成させたと驚かされた冊子から熱心さが伝わり、手に
取ると幸せな気持ちがした。

 

ちなみに同校の潟町村小学校時代、わが家の朝食はカユと菜っ
葉と味噌汁。
昭和20年代、貧しかったせいもあるが、およそ絶対的権力者の
祖母に合わせた食事であり、小学校なかばのころまで、弁当はメ
ザシと漬け物ばかりだった。
私自身、当時の食事を旨いと思った記憶は皆無、食いしん坊の
弟はいつもカンカンだったことを覚えている。

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本日はせいぜい20℃前後で、大変寒かった。

夏の炭焼き小屋で父と食べたくじら汁。

2016年6月21日(火曜日)

夏至を迎え夏の盛りとなった。

先日、昭和21年生まれで桑取村横畑(現上越市)
ご出身の女性から炭焼きの話を聞いた。
仕事の合間なので短時間だったが、興味深かった。

遡ること中学時代の村はまだ炭焼きを行っていて、
山中に炭焼き小屋があった。
土曜日午後、学校から帰ると父の小屋に行った。
一人で入る山は怖く、突然大きな鳥が飛び立つ時
など特にびっくりした。

出来た炭を俵に詰めて運ぶのが仕事だった。
一つ30キロもある俵を二つ背負って山を下りた。

炭焼きで忘れられないものにくじら汁がある。
かたまりで買った塩くじらが小屋に置いてあった。
夏になるとユウガオやナスが入り特に美味しかった。
炭火でコトコト煮て父と食べたのが忘れられない。

 

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鉄砲百合
樹下美術館で賑やかに咲き始めたテッポウユリ。
あちらこちらで咲いて気持ちの良い眺めになりました。

雨上がりの夕焼け 今年はまだ台風が発生していないらしい。

2016年6月19日(日曜日)

日中蒸し暑く夕刻に掛けて雨が降り、日没の頃いっとき陽が射
した。
夜雨が止むとかなり涼しくなった。

 

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今夕の四ツ屋浜の夕暮れ。
厚い雲の切れ間から陽が射し、短時間だが息を呑むような空にな
った。

ところで今年はいまだ台風の予報が無く、実際発生もしていないら
しい。
現在一両年続いていたエルニーニョ現象からラニーニャ現象に移
行中であり、
このような年は台風の発生自体少ないという。

ちなみにこれまで台風ゼロ期間が最も長かったのは1997年12月
から翌年7
月までの199日間で、今年あと二週間ほど発生しなければ新記録
らしい。
但し秋に集中して発生する事も想定され、安心は出来ない模様。

如何に恵まれようと何から何まで良いなどということは無く、如何に
不運でも何から何まで恵まれないということも無い、という観念論め
いた事が気象にもあてはまるのか。

鵜の池の舟着き場。

2016年6月18日(土曜日)

昨日は、かって上越市は大潟区の鵜の池で、舟を
使って牛馬の飼い葉を刈っていた事を書かせても
らいました。
当時の船着き場とおぼしき場所は見当が付いてい
ましたので、本日午後行ってみました。

長崎集落の東の端で、鵜の池の西側に近い所です。
かねて農業用水の取水を行う水路だろうと漠然と思
っていた場所でした。

160618鵜の池の船着き場
水門で休んでいたご近所のお爺さん。
向こうの鵜の池へと水路が開けている。

お爺さんから以下のような話をお聞きしました。

・ここには各家が持っていた田舟が置かれ、賑
やかだった。
・近隣では主に牛を飼っていた。
・池は牛が好きな「カツボ」という草が沢山生え
ていたので主にそれを刈った。
・葦(ヨシ)も生えているが軸が固く、牛は喜ば
なかった。
・自分は夕方に舟を出した。
・刈った草はそのまま牛に与えたが、冬は藁に
米や麦のぬかを混ぜて与えた。
・夏、池が干上がった時にカンジキを履いたが

自由なほど足が埋まることは無かった。

兵役で大陸へ行ったというお爺さんは遠くを見
ながら昔話を話してくれました。
つゆの晴れ間、心地良い風が吹いていました。

池のふちからトコトコ電動カーに乗って現れた
老人は患者さんでした。
土曜日午後は良いひと時でした。

※草にぬかを混ぜて動物に与えたと記載しまし
たが、それは冬期間にワラを与える場合のこと
でしたので訂正させていただきました。

昔は鵜の池に舟を出し、飼い葉(牛馬の餌)を刈ったらしい。

2016年6月17日(金曜日)

上越市大潟区の二人の方から、その昔鵜の池に舟を
出して飼い葉を刈ったとお聞きした。

今春以来皆様に昔の田植えの話を聞いてきたが、およ
そ農家は農耕用に牛馬を飼っていた。
牛も馬も毎日餌として大量の草を必要とする。
草刈りの時間は早朝か夕方、中には朝暗いうちから遠
くへ出かけたという人もいた(しかも少なからず子供が
関わっていたらしい)。

場所は田のアゼや土手や道ばた、あるいは共同ないし
私有の草刈り場だった。
そんな中でAさんBさんから、「鵜の池」に舟を出して草
を刈ったと聞いて驚いた。

舟は底が平らな田舟、池は浅いので棹さして進み、舟一
杯刈ったという。
本日年配のBさんによると、夏はしばしば池が干上がり、
目的地まで行けなくなったらしい。
そんな時は途中まで舟で行き、カンジキに履き替え干上
がった池の底を歩いた、という事だった。

 

名称未設定 1
↑県道78号線を挟んで上方(東より)が朝日池、左下方
が鵜の池。(Googleマップをキャプチャーしてマーク)
Aさんの集落は朝日池に近いがそこに草はあまり無い。
そこで県道を越えBさんの近くの鵜の池まで出かけた、
という。

 

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↑本日の朝日池。向こうにAさんの集落がある。
周辺に飼い葉向きの草は少なく、池面にヒツジグサが多い。

 

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↑本日の鵜の池。周囲や浮島部分は多くの草に覆われ、
なるほどここで刈ったのか、という景観が残る。
草で言うと二つの池は大きく異なる。由来が人工的か自
然的かの相違かもしれない。

朝日池や鵜の池には中学時代までよく釣に行ったが、
かって舟で草刈りが行われていたとは思ってもみなかっ
た。

池が干上がるほどの炎天下の池底を歩き、鎌を振るい
背丈ほどの草を刈る。
それを背負って何度も舟まで通い、岸へ運び、そこから
荷車かリアカーに積んで家まで帰ったのだろう。
毎年、毎夏、、、何という苦労だろう。

いつしか皆で同じことをしていた時代からテレビの時代に
なり、同時的に農業の機械化も始まる。
若者はどっと都会へ出た。
比較的若かった長男のAさんは、農業がばかばかしくなり、
勤め人に転身したという。

機械化に対応して圃場や水管理など全体が製造業と平
行して様変わりして行ったのはそれとなく目にした。
結果、多くの農家は機械化された大農式の営農家に仕
事を委託するようになって今日に至っている。

ところがそれ以前のことを全く目にしていないのも不思
議なくらいだ。

以前ブログで田植えの事を書かせて頂いたように、見よ
うと思えば舟による草刈りも見る事が出来たはずである。

その事で言えば、物事は見たいと気づいた時(自分にそ
の価値が何とか分かるようになった時)、しばしばそれは
すでに終わっている。

遅きに失したが、この年になって少しばかり関心分野が
広がり、喜んでいる。

それにしても日頃何かと頭の良い人ばかりに目が行き、
どうすれば生きるにふさわしいか、いつまでも現実は悩
ましい。

「紅(くれない)」アジサイ ルビー ジャッキー・グリーソン。

2016年6月16日(木曜日)

薄いピンクで始まるアジサイ「紅(くれない)」がますます濃くなった。

 

5-7
6月7日の紅。

 

6-9
6月9日。

 

紅アジサイ
↑昨日の様子、赤い額として花の周りを可憐に囲んでいる。
このような色になると毎年ルビーのような花、という印象を持つ。
これからさらに紅色を濃くしていく。

昔の曲にルビーというのがあった。
学生時代の初めころ、ザ・プラターズの歌がラジオから流れた。

今ユーチューブにジャッキー・グリーソン楽団のルビーがある。
彼の音楽はいつも懐かし気で私のような人間には聞きやすい。

 


ジャッキー・グリーソン楽団の「ルビー」
本職の俳優としてジャッキー・グリーソンは映画ハスラーで、
ポール・ニューマンとビリヤードの真剣勝負を演じる役どころ
で出演している。

方や自分の楽団はロマンティックな音楽を得意としていた。
編曲もこなし、50~60年代にかけ1億数千万枚のレコード
セールスの実績があるらしい。

もう一つルビーに関して、自分の子供時代に母と次のような
話をした覚えがある。
「うちに宝石ってあるの」
「いーや、何も無いの。昔ルビーの指輪をお父さんに買って
もらったことがあるけど、引き揚げの時に取られちゃった」

私が晩年の母を好きになったのは、清潔以外装飾というも
のに興味が無かったような人だったせいもある。

積乱雲の日。

2016年6月15日(水曜日)

昼に車の車外温度計が29度を指し、
東の空にもくもくたる入道雲が次々見られた。

 

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服ぬぎて飛び込んでみたし入道雲。

 

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 山の字を描いて高し積乱雲

夕刻からは曇り始め雷が鳴りそうな雲行きになった。

 

 

再び熊本のスイカ 果物の美味しさと優しさ 八一の講演を聴いたお客様。

2016年6月14日(火曜日)

熊本のスイカは青味が無く甘さに品があった。
数年来、朝食は果物130~150Kcalと牛乳を60ml位で済
ませているが、熊本のスイカで今朝は一層幸せだった。

朝食を簡単にすると日中心身が軽くかつ眠くないため自分に
は合っていると思う。

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今朝の朝食、小玉スイカは特にむらなく美味しいと聞いた。

普段昼も野菜果物メインにし、脂質とタンパク質は夕食で調
整する形にしている。

一定の身体運動を行っているのもあり、今年3月の健診はBMI
20,5、体脂肪率18,6を維持していた。

最大の懸案であるクレアチニンが1,02で、この6年間で最も
低値となりeGFRまで数値が改善して希望に繋がった。

野菜果物メインでもタンパク尿が無く、HbA1c5,1かつクレアチ
ニンがこのレベルなら総タンパクもカリウムも全く問題を生じな
い。

もとより虚弱な人間のうえ年と共にヘビーな食事は体が拒む。
スイカ、サクランボ、メロン、モモ、ナシ、、、良い季節時が始まり、
ほどほどであるが運が良ければ雪国マンゴーなども食して
みたいと夢見ている。

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本日昼、これから佐渡へ向かうという東京のご家族が来館さ
れた。
とても可愛い犬を連れた90才のご老人が、早稲田中学時代
に會津八一の講演を聞いたことがある、と仰った。

カフェの本でその事を思い出したが、講演では巨躯、異形の
八一の迫力に圧倒され内容は全く覚えていない、と言って笑
われた。

八一は若い時代、板倉区の有恒学舎(現高校)で4年間、英語
教鞭を取り、後年には齋藤三郎(陶齋)に泥裏珠光(でいり
じゅ
こう)の号を与えている。
會津八一の講演を聴いた人(しかも早稲田中学で)と初めてお
目に掛かったが、とても羨ましかった。
今なお氏の和歌と書の人気は衰えを知らない。

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今夜また食べました。

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まことに美味しい熊本のスイカ。

2016年6月13日(月曜日)

昨夜から今朝にかけて本降りとなり、新潟県でも梅雨入り
が報じられた
畑をされている人たちから良い降り、と評判だった。

 

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益々色冴えるアジサイ。

そんな本日熊本からスイカが届いた。
熊本地震で、同じ部活を送った先輩が市内で被災されていた。
電話の際、「米が足りない」という思いがけない一言で当地の
お米を送らせてもらった。
本日のスイカはそのお礼だった。

 

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熊本県は日本一のスイカ生産高を誇っていることを知った。

 

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一身に南国の豊かさを現している。

 

さっそく冷やして夕食後にいただいた。
部屋中に香が漂い、上品な甘みで実にさっぱりしている。
何きれも食べたが次々後を引いた。
立ち直りに向かう南国の期待と気合いが伝わる品だった。

 

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医療と福祉部門に携わる皆様が手を振っている礼状。
建物の補修はこれからということですが、まことに美味
しいスイカを本当に有り難うございました。

瞽女ミュージアム高田 鵜の浜温泉の夕陽。

2016年6月12日(日曜日)

昨日土曜日午後は長く間懸案だった場所を訪ねた。
瞽女ミュージアム高田(麻屋高野 上越市東本町1-2-33)」へ行った。
懐かしげな旅情を漂わせる一角で、すっかり楽しませてもらった。

 

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雰囲気良く活かされている町並み。

 

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瞽女ミュージアム高田」はかって染物屋さんのだった町屋が
巧みに利用されている。

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先人たちの生活感が伝わる。

 

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杉本キクイさん(館内の紹介映像から)。
この人がいなかったら文化としての「高田瞽女」の名実は
残らなかったかもしれない。
最後の瞽女(ごぜ)の覚悟を胸に昇華した美しい人だと思った。
とても強靱で聡明な印象を受ける。

瞽女さんには厳しいハンディキャップと芸が深く一体化されている

 

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↑齋藤真一氏の装丁による本の数々。
(齋藤画伯の油絵を観たかったのだが)

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↑館内のしつらえ。

 

以下は昨夕出会った鵜の浜温泉の夕景です。

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夕陽を眺めていた若者達。

雨に咲く花 芝の雨太宰案じてめくる本。

2016年6月9日(木曜日)

午後から雨降りとなり気温が下がった。
昨日半袖になったばかりのところでまた長袖に後戻り。

午後は休診の木曜日午後、樹下美術館の庭はヒメタイ
サンボクが香り、アジサイまで匂う気配だった。

 

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↑雨で重そうなヒメタイサンボク。

 

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↑濃い青のアジサイ。

 

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近頃愛読の太宰治の本、繰り返し読んでも飽きない。

芝の雨太宰案じてめくる本

可哀想な氏の命日が近づいている。

三陸で捕れた大きな鱒の恵み。

2016年6月8日(水曜日)

昨日は弟から鱒が届いたことを書かせて頂いた。
今夕ひとつはアラ汁に一つは焼き魚で卓に上った。

味、香りともに秀逸で濃厚なうまみに舌鼓を打たせてもらった。


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鱒は大きければ大きいほど美味しいという。
送った本人が、自分も食べてみたかったとは、昔から食いしん坊の
人間らしいお言葉だった。
三陸で捕れた海山川の恵みを一身に背負った鱒と弟に感謝したい。

姿びっくり、味もびっくりであろう弟からの鱒。

2016年6月7日(火曜日)

数日前に宮城の弟から鱒を送ると電話があった。
豚を飼っているので肉がいいか、それとも魚にするかと訊いて
くれる。
今回は魚にしてもらった。

彼自身グルメゆえ美味しい物を届けてびっくりさせたい有り難
みと暖かみこもる話である。

頂く方は見ばえと味の両方をびっくりしなければならない。
最初のびっくりは開けてみてまさにそのとおりだった。
きらきら光った3キロ以上はあろうという立派な鱒だった。

 

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腹が隠れてしまったが、まるまると肥っている。

写真のあと妻はさばきにかかった。

おそらく明日、どんな形で食卓に上がるにしてもしっかりく味わった
うえ、正しくびっくりしようと思っている。

田んぼで水浴びする鳥たち。

2016年6月5日(日曜日)

時々陽が射してしのぎやすかった日曜日。
美術館のテラスのベンチで本を読んでいると、目の前の田ん
ぼに鳥たちがよく来た。

本日は雀やカワラヒワ、ハクセキレイなどが水を飲んだり水を
浴びた。
読書といえども写真も撮りたいので忙しい。

 

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↑黄色が印象的なカワラヒワ。

 

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↑水浴びの後軽やかに飛び立つたハクセキレイ。

デッキのベンチに近い場所だが、鳥たちは幾分馴れている
印象を受ける。

 

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ハクセキレイを見ていたら樹下美術館のトイレを思い出した。

設計家・大橋秀三氏による樹下美術館は手洗いも明るく大変
清潔です。

大潟かっぱ祭 編み笠の米大舟。

2016年6月4日(土曜日)

当地に長く伝わる踊りに「米大舟(べいだいしゅう)」が
ある。
子供の頃の祭の夜、神社で輪踊りが行われていた。
この踊りも歌も好きで小学生のころよく見に行った。

哀愁の曲調を剽軽にを踊るオジさんがいて、お腹をか
かえて笑いながらその人に付いて回ったことがあった。

翌日、その人の踊りのこともあるが、真似をしながら
ついて歩いた私も可笑しかった、と人に言われた。

ところで昨日から明日まで上越市大潟区で「大潟
かっぱ祭
」が開かれていて本日午後、米大舟が踊
られた。
以前から昔ながらの編み笠をかぶる踊りを是非見
たいと思っていたところ、今年実現した。

 

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ゆっくりとゆっくりと踊られる「米大舟」

 

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ああ懐かしい、今年は編み笠を被って踊った。
笠は踊りに専念出来るし、姿も動きもきれいに見える。

 

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八社五社(やしゃごしゃ)を踊る人達も集合。
昔から地域によって八社五社が踊られている。

 

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甚句風の八社五社、とても上手だった。

 

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周囲は木陰の松林。

 

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ダンスのリハーサル。

 

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とても賑わっていた。

米大舟や八社五社でいえば、何百年前と同じようにするのは本
当にすばらしい。

それだけの価値を有していることと、伝える人と観る人も価値を
分かっていることで余計に素晴らしく思われる。

爽快だった昼のすじ雲。

2016年6月3日(金曜日)

寒いという人も涼しいという人もいた本日、澄んだ色の空にすじ雲が
清々しかった。

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↑西の空からやってきて。

 

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↑しばし頭上で舞を披露しつつ東の空へ去っていく。

 

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↑北の方にはエイサーの一団だろうか、一生懸命だった。

昼休みのひと時、美術館の駐車場から爽快な雲を眺めた。

表情があって美人な雌キジ それに引き替え雄は、、、。

2016年6月2日(木曜日)

肌寒かったが気持ち良く晴れた木曜午後は仕事休み。

デッキ
日射しが心地よかった今日の美術館のデッキ。
昼食の後ここで読書をしている、とメスのキジが眼前の畑に
現れた。

右足が不自由な歩き方をしているので先日見た雌だと思った。
一人でいるところをみると求愛は上手く行っていないのか。

足のハンディが心配だったがちゃんと肥っていて元気な様子。
私がじっとしてカメラを構えていたのを知ってか、知らずかこち
らへゆっくり移動して来た。

 

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枝豆畑ではかなり目立っている。

モニターで大きくしてみると明らかに表情が見て取れる。
有り体に言えば色気のようなもの?が特に目に現れていた。

以下写真の上半身を伸ばしてみた。

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シャドウやハイライトなどメークを施しているような目。
きりきりとした美人さん。

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まさか訴えているわけではないだろうが、、、。

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たまたまであろう、私と目が合っている。
(7、8メートルの近さで、一瞬どきどきしました)

最後にあぜ道を飛び越えるとすぐ横の深い草地に入り、
見えなくなった。

さて本日雄を見なかったが、顔もまた雌雄まるで違う。

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先日の雄の横顔、真剣な雌に較べて一種おふざけ調である。
赤い飾り部分は反対向きのようであり、しかも目には表情を認めが
たい。(正面向きは迫力があるようですが)
キジは一夫多妻が可能らしいが、多くの雌を均等に相手にするため、
あえてて曖昧な表情に進化したのだろうか。

それに引き替え雌の、特に目には強い引力が感じられ、このような
美人を放っておく雄には罪があろう。

 

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慌てていて全くピントが駄目ですが、農道を飛び越えて傍らの草地
に入った本日の雌。
足が不自由なこともあり、元気でいて欲しいと願っている。

草が刈られている場所の清々しさ。

2016年6月1日(水曜日)

最高気温が20度に届かず、夕刻は15℃だったと当地のニュース
が伝えていた。

今年の花は早く咲きあっという間に終わってしまいますね、とある
方が仰った。
まさにその通りだと思う。

樹下美術館の庭は大好きなキョウガノコが華やかに、ヤマボウシ
は白さを増している。
うかうかしていたらアジサイがあちらこちらでパッパッと咲き始め
た。

周囲の空き地に目を移せばこんな庭が出来れば、と思うほど色と
りどりの草花が清々しい初夏の彩りを見せている。
以下三葉は美術館近傍の空き地です。

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↑美術館の隣地でイネ科の草にブタバナの黄色い花が清々しい。

 

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↑上の場所から樹下美術館方向。牧歌的な景観で親しめる。

 

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↑ここにはマンテマがほどよく混じっている。

 

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↑美術館から少し離れた場所でムシトリナデシコとマンテマの赤い
花が混ざり、チガヤの白い穂が忙しく風に揺れていた。

ところで空き地は放置すれば茂りに茂り、あっという間にジャングル
化する。
上記の場所はいずれも適時草刈りをしているため、風も陽も通り清々
と花が咲き、ピクニックをするか絵でも描いてみたくなる。
いずれも印象派絵画の草地のような色彩を帯びて美しかった。

昔から地域を知っている人はほどよい草刈りを欠かさない。
その方達のお陰で気持ち良い眺めに出会うことが出来る。
かって農村では牛馬の餌としてせっせと草刈りにいそしんだというが、
景観も大切にしたのではないだろうか。

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