昔は鵜の池に舟を出し、飼い葉(牛馬の餌)を刈ったらしい。

2016年6月17日(金曜日)

上越市大潟区の二人の方から、その昔鵜の池に舟を
出して飼い葉を刈ったとお聞きした。

今春以来皆様に昔の田植えの話を聞いてきたが、およ
そ農家は農耕用に牛馬を飼っていた。
牛も馬も毎日餌として大量の草を必要とする。
草刈りの時間は早朝か夕方、中には朝暗いうちから遠
くへ出かけたという人もいた(しかも少なからず子供が
関わっていたらしい)。

場所は田のアゼや土手や道ばた、あるいは共同ないし
私有の草刈り場だった。
そんな中でAさんBさんから、「鵜の池」に舟を出して草
を刈ったと聞いて驚いた。

舟は底が平らな田舟、池は浅いので棹さして進み、舟一
杯刈ったという。
本日年配のBさんによると、夏はしばしば池が干上がり、
目的地まで行けなくなったらしい。
そんな時は途中まで舟で行き、カンジキに履き替え干上
がった池の底を歩いた、という事だった。

 

名称未設定 1
↑県道78号線を挟んで上方(東より)が朝日池、左下方
が鵜の池。(Googleマップをキャプチャーしてマーク)
Aさんの集落は朝日池に近いがそこに草はあまり無い。
そこで県道を越えBさんの近くの鵜の池まで出かけた、
という。

 

IMG_4112
↑本日の朝日池。向こうにAさんの集落がある。
周辺に飼い葉向きの草は少なく、池面にヒツジグサが多い。

 

IMG_4119
↑本日の鵜の池。周囲や浮島部分は多くの草に覆われ、
なるほどここで刈ったのか、という景観が残る。
草で言うと二つの池は大きく異なる。由来が人工的か自
然的かの相違かもしれない。

朝日池や鵜の池には中学時代までよく釣に行ったが、
かって舟で草刈りが行われていたとは思ってもみなかっ
た。

池が干上がるほどの炎天下の池底を歩き、鎌を振るい
背丈ほどの草を刈る。
それを背負って何度も舟まで通い、岸へ運び、そこから
荷車かリアカーに積んで家まで帰ったのだろう。
毎年、毎夏、、、何という苦労だろう。

いつしか皆で同じことをしていた時代からテレビの時代に
なり、同時的に農業の機械化も始まる。
若者はどっと都会へ出た。
比較的若かった長男のAさんは、農業がばかばかしくなり、
勤め人に転身したという。

機械化に対応して圃場や水管理など全体が製造業と平
行して様変わりして行ったのはそれとなく目にした。
結果、多くの農家は機械化された大農式の営農家に仕
事を委託するようになって今日に至っている。

ところがそれ以前のことを全く目にしていないのも不思
議なくらいだ。

以前ブログで田植えの事を書かせて頂いたように、見よ
うと思えば舟による草刈りも見る事が出来たはずである。

その事で言えば、物事は見たいと気づいた時(自分にそ
の価値が何とか分かるようになった時)、しばしばそれは
すでに終わっている。

遅きに失したが、この年になって少しばかり関心分野が
広がり、喜んでいる。

それにしても日頃何かと頭の良い人ばかりに目が行き、
どうすれば生きるにふさわしいか、いつまでも現実は悩
ましい。

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