2016年7月

長峰池のトンボ 釣は一人だとドキドキ感が違う 加賀の千代の句。

2016年7月31日(日曜日)

本日午後、長峰池にトンボを撮りに行った。
昨日は大潟水と森公園の鵜の池だったので場所を変えて
みた。

こちらの方が静かなせいかトンボが多いように感じられるが
どうだろう。

1
右手前がシオカラトンボ、左がヤシオトンボのようである。
腰のくびれ尾の長さ複眼の色、サイズなどが違う。

 

 

2
全体が酔ったように真っ赤なショウジョウトンボ。
これが見つかるまで歩く。

 

 

3
チョウトンボ。鵜の池では沢山空中を飛んでいたが長
峰池では止まっていて撮りやすかった。

 

さて子供時代の夏、一人でよくトンボ(ギンヤンマ)釣
りをした。
網などで捕らえたおとりのギンヤンマの足を糸で縛り、
6,70㎝の糸の端を細い棒きれに付けて、それを振り
ながら釣った。

近隣の畑にギンヤンマがよく飛んでいて、それに向っ
て振る。
するとおとりめがけて畑のトンボがすーと寄ってくる。
すかさずおとりを地面に降ろすと、交尾をしようとガサ
ガサと絡みつく。
そこへ網を被せたり手で抑えたりして獲った。

とったトンボは指の間に挟んで持ち歩き、おとりが弱
ると捕ったものと替えた。

トンボを釣る時にまじないのような歌を歌った。
私たちは次のような文句で歌った。

“トコイ トコイ 女だど” “トコイ トコイ 女だど”
畑のオスに向かって、男来い、男来い、これは女だぞ、
と言うのである。
おとりがオスの場合でも適当に絡んでくるものがいて
急いで捕まえた。

トンボ釣は大抵一人で行った。
カンカン照りの畑で“トコイ トコイ 女だど”と飽かず
声を出していた小学生の自分が懐かしくも憐れであ
る。

小中時代に朝日池でコイやフナ、時にはカエルを餌
に雷魚釣りをしたが、大抵一人で行った。
一人の時は大勢と違って釣れた時のドキドキ感、興
奮の度合いが全く違うのである。
あるいは大勢だと騒いでしまって集中出来ないというこ
ともあった。

ある時の雷魚釣りで草むらをかき分けてカエルを探し
ていた時のこと、沢山のマムシの子がひとかたまりに
なって出てきた。

「ぎゃー!」と叫んで走ったが、この時も一人だったの
で恐怖は尋常では無かった。

とんぼつり今日はどこまでいったやら

加賀の千代女の句である。
時にトンボはいくらでも獲れるので遠くまで行ってしま
うことがある。
千代女は男子を幼少で亡くしている。
句にははかなく去った子への哀惜と子が遊ぶ姿が重
なり切なさが伝わる。

夏の新潟県立大潟水と森公園。

2016年7月30日(土曜日)

午後遅く樹下美術館に近い新潟県立大潟水と森公園を歩いた。

ここはこれまで何度か以下ほかを書かせて頂いたていた。

●2011/05/04

●2012/05/13

1
この一角は噴水のある水遊び場がありこどもの天国。
浴衣にストローハットの若いお父さんがベンチで見守っていた。

 

2
鵜の池はかなりの水量がみられた。。

 

3
ひっそりした夕刻の芝生広場はデジャブ感覚がよぎる。

 

4
南西の端といえばいいのだろうか、古代的な場所。
ここで小鳥よりも大きな蝶を見たが撮影出来なかった。
二つの白い斑点、クロアゲハのオスではないかと思った。

 

5
シオカラトンボ。

 

6
コシアキトンボ。

 

7
チョウトンボ。

 

8
キアゲハ。

 

9
青栗。

 

10
先日の大雨の湿り気が残る道。

 

当公園は何度も掲載していますが、広大で
変化に富み、場所毎の雰囲気を楽しめます。

優しい森林と水辺、目を凝らせば植物や小動物も優しく、
季節季節の詩情に恵まれた良い公園だと思います。

美しいクロアゲハ。

2016年7月29日(金曜日)

午後在宅回りに出る時、車の近くでクロアゲハが盛んに羽ばた
いていた。
アジサイに囲まれた中にキンカンが一本植わっているが、その
回りをひらひら飛び回って離れない。
傷もなく初々しく魅力的だった。

何か誘っているように勝手に感じたが、どうしょうもない。

アゲハ蝶たちは柑橘類に好んで産卵する。
この蝶も産卵場所を探していたのだろうか。

 

クロアゲハ背面
↑メスであろうと思わるクロアゲハ。
モノクロームを生かしたシンメトリーが美しい。

写真を見て気がついたのですが、この個体の前翅の先端がとがっ
ています。
そのためとてもシャープで気品高く見えます。

ちなみにネットで調べてみますと、一般的に前翅の先端はおよそみ
な丸みを帯びていました。
飛び回っている中で一瞬止まった時に偶然ピントが合った1枚ですの
で尖った羽の形状は撮影角度の違いかもしれません。

この蝶は今どこで何をしているのでしょう。

予報されていた豪雨 気象の大きさ。

2016年7月28日(木曜日)

一昨日、雨降りが待たれると書いていた夜間から翌日朝まで
上越市は激しい雨に襲われ、洪水、溢水、土砂崩れなどの災
害が発生した。

前夜の全国天気予報は、26日夜半から27日の上越地方に
おける豪雨を雨雲の動きとともに予報していた。
全国放送で当地方を特定して予報するとはすごいな、と感心
していた所、災害を生じるほど降った。
予報は何らかの形で活かされとは思うが、どうだろう。

ピンポイントの予報とその結果に驚かされたが、一方この雨は
ダムや溜め池の貯水にはたして役立ったのだろうか。

IMG_5187
本日午後の吉川区は長峰池。
水が少ないと聞いていたがやはり渇水が続いているように思われた。
(対岸で池底のように見えるのは池面のヒツジグサです)

渇水は今冬の小雪がそもそもの原因らしいが、雪が年間の貯水事情
を左右するという気象システムの大きさにも驚かされる。

本日気温は上がり、午後の外出時はくらくらするほど暑かった。

鬼平犯科帳一家。 

2016年7月26日(火曜日)

雨が待たれる、と書いてみたら昨日本日と雨降りとなっ
た。
特に今日は終日の雨で時には強く降った。

他所は分からないが、すくなくとも当上越地域で一定の
貯水が進むことを期待したい。

ところで昨日午後、宮城県の弟夫婦が二人の娘を連れ
てやって来て本日昼帰った。
養豚、養鶏を生業としている一家の生活は長年慎まし
く、ラジオは聞くが新聞取らず、テレビはあるが番組は
見ずDVDだけかける,というものだ。
これは忙しいのと、騒々しさやお節介が嫌いなためな
のだろう。

彼は外国人のステイを引き受け、代わりに営農の手伝
いをして貰うことを続けている。
過日、そのことで某大手テレビのワイド番組の取材を受
け、放映の時にワイドショウ-というものをついでに見た
らしい。
多くが芸能や政治のゴシップネタだったのか、内容につ
いて何て馬鹿馬鹿しいと嘆いていた。

その家族が長く楽しんでいるのがDVDだ。
以前は「パイレーツ・オブ・カリビアン」のシリーズだった
が、それが終わった今は中村吉右衛門主演の「鬼平犯
科帳」になったようだ。

昨日皆して寿司を食べに行った所、店に入るなり一同
「クッ、クッ、クッ」と口をふさいで笑いをこらえている。
どうやら初めて見る寿司屋の親方の顔が登場人物の
一人にそっくりだったらしい。

これで火が付いてしまい、品が出るたび、何かを回した
り、頼むたび、まして親方が来ようものなら大盛り上がり
で、「ちょいとお尋ねしやすが」、「まっぴらご免だよ」など
と、状況に応じて誰かが咄嗟の役になりきり、随所で「鬼
平犯科帳」が展開された。

そして帰りの代行の車中、下の姪が江戸時代が一番好
きということで、祖先が記した天誅事件の事を私が話す
と、それまで黙っていた運転手さんが「面白い話ですね」
と言った。
「運転手さんは何時代が好きですか」
「江戸時代です」
「ええー、じゃどんな番組が好きですか」と誰かが聞く。
「鬼平犯科帳です」
まさかの一言に一同ぎゃっとなり、眠っている人も起きた。
家が近づくと、
「その先を右に曲がってくんねえ」
「合点だ」
「おっとそんな先まで行っちゃいけねえ」
「へーい」
などと言いながら到着した。

あくまで慎重にハンドルを握った運転手さんのセリフは
短かっかったが、どこかで演劇をやっていたのではと
思うほど声が良く、セリフもうまかった。

「ちきしょうめ、あいつに一本取られちまった」と、家に帰っ
て弟が言った。

 

IMG_5074
お寿司やさんで、昨年東京の高校へ進学した姉は自分
で作ったというワンピースを着ている。

中2の妹は黒澤明監督が好き、と言った。

田も庭も待たれる雨。

2016年7月24日(日曜日)

数日晴れが続き、梅雨が開けている。
暦を見ればはや7月も残り少なくなった。
自分がボヤボヤしているうちに近隣の水田はすっかり成長している。

今頃の水田は例年緑ゆたかで生気にあふれてとても気持ちが良い。
見れば穂が出ている田も随所に見られ、それもびっしり付いている。

160724田んぼ
すでに黄色味を帯びている田んぼもある。

農家の方に聞いたが、今年はそもそも雪が少なく田を潤す水ガメの貯水が
足りず、現在大切な水に関してぎりぎりの状況だという。
干したり潤したり稲には微妙な時期にあり、ちゃんとした降水が必要なようだ。

樹下美術館の庭は基本的に砂地で、アジサイやクリスマスローズは暑さの
影響を受けやすく、当面気が抜けない。
そこへいくとムクゲやミソハギなどは暑さに強く頼もしい。

ミソハギ
↑ミゾハギ。
夏は緑主体で花が少なくなる樹下美術館は、昨年ネットで購入したミソ
ハギが南の隅で涼しそうに咲きはじめた。

中島幸子さんの追悼文集から。

2016年7月23日(土曜日)

前回7月21日に小山作之助のひ孫に当たる悲運のヴァイオリ
ニスト中島幸子さんについて書かせて頂きました。

彼女のバイオグラフィーはお母様の香織さんが1983年8月6日
に発行された幸子さんへの追悼文集「ヴァイオリンと共に」を主に
使わせて頂きました。

本書は幸子さんの恩師シャーンドル・ヴェーク氏、久保田良作、
板谷英紀の各氏、先輩の塩川悠子さん、ご友人たち、音楽関係
者など70人近い方々の寄稿によって構成されています。

 

ヴァイオリンと共に表紙
「ヴァイオリンと共に 中島幸子追悼文集」
画家・装丁家司修(つかさ おさむ)氏による表紙。
司氏は樹下美術館の常設展示画家・倉石隆の友人で、
倉石夫人・翆(みどり)さんは中島幸子さんの叔母です。

本日は書物から幸子さんの音楽と横顔についてかいつまん
で記させて頂き、最後に幾つかコメントを試みました。

【中島幸子さんの音楽】
ヴァイオリンは彼女の自然な生にの一部であり、楽器を完全
にしかも自然に自らの意のままに支配しきっていた/モーツ
アルト、シューベルト、ブラームス、バルトークはじめラベル
もものにしていた/モーツアルトに特別な親和力を有し、それ
は透明で清潔、軟らかく、生気に満ちた演奏だった/小柄だ
ったが楽器をとると数倍も大きく見え、信じられない迫力と大
きな音楽が湧き出した/音楽に対する自己規制の大きな力
を周囲に放っていた/厳しさとやわらかさのこもった演奏であ
り、伴奏をしながら心が震えるような感動を覚えた/優等生に
ありがちな偏った所がなかった/幼少から友人を大切にする
日常の中で完璧な基礎と専門性を身につけていたことが不思
議だった/神様がついているかのように成長し、才能を有した
者には人一倍の努力を行う義務がある事を具現していた/ブ
リリアントな音色、垢抜けしたリズ感覚/メンデルスゾーンの
ロマンを歌うに相応しく、パガニーニの閃光を自らのものとした
数少ないヴァイオリストだけに許された音楽/アンサンブルを
演奏していると桁が違いすぎると感じさせられた/最高のテ
クニック・深い精神生・音楽性・構成力・内的体験といったもの
の結合がみられた。/死はモーツアルトが神のもとへ連れ去っ
たと思うしか無い。

【幸子さんの人となり】
食通であり多彩な料理で人をもてなした/スキー、水泳から
野球、鉄棒、ボーリングをこなした/優しく、後輩をよく面倒み、
ザルツブルグでは日本の留学生の母のようだった/エキゾ
チックな風貌、キラキラ輝く大きな瞳/天真爛漫でお茶目だっ
たが、ヴァイオリンを手にすると別人のような鋭い眼差しに変
わり吸い込まれるような魅力を湛えていた/学ぶことも遊ぶこ
とも全力投球/物事の本質だけの世界に生き生きと生きる人
/筆まめ/みな内にしまって耐え、深い中心点から出てくる
恐るべき集中力/どんな時でも感情的にならなず、一言いう
と皆何も言えなくなった。

筆者からひと言。
早く父を亡くした幸子さんを音楽家として世界に輩出させた母
香織(かおり)さんの眼差しを思わない訳にはいかない。
幼少からの運動や遊び、学生時代の料理、円滑な友人間関
係などは、いずれも優れたヴァイオリニストへの全人的な養
育として意識されたものであろうと想像でき、大らかな中にも
厳しく困難な親子の日常が浮かぶ。
遠い目的地での成果の中で、突然訪れた幸子さんの急逝は
どんなに辛かったか、私などには想像もつかない。

それから30余年、失意に耐えられたお母様は数年前に亡くな
られた。
残されたお子、ヨナス・ルードナーさんはウイーンに於ける気鋭
のホルン奏者として活躍していることが伝わる。
またヨナスさんの父オラまたオーラ・ルードナー氏は、ウイーン
交響楽団のコンサートマスター,BBCほか交響楽団客員指揮
など活躍、経現在ウイーン・フォルクスオーパのヴァイオリン
奏者兼指揮者として活躍、度々来日されている。

長く仕舞っていた追悼本を取り出してこの度再読した。
作之助の音楽が死後90年近く経っても脈々と密かに、そして
輝かしく生きていることを喜び、この先へも希望を託したい。

小山作之助の曾孫のヴァイオリニスト、亡き中島幸子さん。

2016年7月21日(木曜日)

去る7月18日、海の日の祝日に卯の花音楽祭が上越市大潟区
で催されました。
大潟区出身で、荒城の月の瀧廉太郎を育て、夏は来ぬや川中島、
漁業の歌などを作曲した我が国の教育音楽の母と称される小山
作之助を讃える音楽会でした。

作之助の母はわたくしどもの高祖父、蘭学医杉田玄作の二女トヨ
で、作之助の弟で医師となった直次郎は当家に養子に入りしました
ので小生はその孫の一人、作之助は大叔父に当たります。

自分は作之助にいくばくか血縁ある身ですが、音楽の才能は無く、
卯の花音楽祭に際してわずかの寄附をさせて頂くだけ、あとは盆
に当家墓所の隣にある作之助の墓掃除くらいで、何もしていない
恥ずかしい縁者です。

ところで作之助に関する業績展示や顕彰事業は折々行われていま
すが、その子孫、特に音楽関係の後人についてあまり知られてい
ません。

実は直系の曾孫(そうそん・ひまご)に1949年2月27日上
越市大潟区生まれで、生後70日後に上京した故中島幸子(なか
じまさちこ)というヴァイオリニストがいます。
幸子さんは国立(くにたち)音楽大学付属幼稚園から同付属小、
中、高、そして同大学でヴァイオリンを学び、その間に久保田良
作氏にも師事しました。
※久保田良作:1928年-1997年のヴァイオリニスト、皇太
子徳仁親王のヴィオラ、ヴァイオリンの教師を務めた桐朋学園大学
教授。

幸子さんには以下のような輝かしい経歴がありました。
・1966年:学生音楽コンクール高等学校の部全国1位。
・1970年:第39回日本音楽コンクール2位。
・1971年:皇居に於ける御前演奏会に出演、海外派遣コンクー
ル入賞。
・1972年:ザルツブルグのモーツアルテウム音楽院のマスター
クラス入学、シャンドール・ヴェーク教授に師事。
・1973年:モーツアルト音楽祭にソリストとして出演。
・1974年:ヴェーク教授のアシスタントとなり後進の指導に関
わる。
・1975年:米国のマルボロ音楽祭に参加、同年東京でデビュー
リサイタル。
・1977年:パガニーニ国際コンクール2位。
・1976年からザルツブルグ・カメラータアカデミカ合奏団でコ
ンサートマスター兼ソリストを務めるようになる。
・1978年:ヘンリク・シェリング賞受賞。
・1979年:東京で二度目のリサイタル、また東京都交響楽団、
東京フィルハーモニー交響楽団と協奏曲を演奏(後にNHKテレビ
で放映)、NHKFM「夕のリサイタル」に出演。

 

中島幸子さん写真
1979年、チャーミングな中島幸子さん31才のポートレート。
(ヴァイオリンと共に 中島香織1983年8月6日発行 から)

・1979年12月スウェーデンにてヴェーク教授の門下生だった
ヴァイオリニスト、オラ・ルードナー(オーラ・ルードナー)氏と
結婚。
・1980年:夫ルードナー氏およびリチャード・レスター氏と
「ザルツブルグ・ストリング・トリオ」を結成、ヨーロッパ各地で
演奏。
1981年:東京でトリオの演奏会、その後東北、四国、中国地方
の各地新聞社主催による演奏会に出演。
・1982年8月5日:ザルツブルグで長男ヨナス(陽)を出産。

1982年8月6日:長男出産10数時間後、突然肺梗塞を発症、
33才で夭折。
素晴らしい音楽歴を経て、新たな幸福に向かう時に何という悲運で
しょう。本当にこんなことがあったとは、とても信じられないこと
です。

次回はお母様が1983年8月に発行された幸子さんの追悼文集に
ついて掲載させて頂きたいと考えています。

合理的でユニークだった大橋巨泉さん。

2016年7月21日(木曜日)

「今日の話は昨日の続き 今日の続きはまた明日」。
これは1961年(昭和37年に予備校入学のため上京して以来、
学生時代を中心にしばしばラジオで聴いた番組の冒頭フレーズ
だった。

番組名は忘れたが、出演者は大橋巨泉、前田武彦、富田恵子
(草笛光子の妹さん)が中心のおしゃべり番組だった。
話し上手の面々が、毎夜時流の話題をまこと饒舌に語り合って
いた。
放送局は音楽番組が多かったラジオ関東という局で、巨泉氏ら
のおしゃべりに「さすが都会」を実感した。

その巨泉氏が亡くなられた。
氏には独特のポリシーがあり、一言で言えば見事な合理主義者
であろう。
シビアで無駄の無い金使い、多趣味を良しとする生活、社会の不
合理を嫌い、健康に対する科学的な理解など明快な人だった。

その氏は学生時代からジャズに明るく、雑誌の執筆、ラジオ出演
やジャズコンサートの司会など多方面で活躍された。

ジャズコンサートにはよく行ったが巨泉氏の司会は声が良くユ
ーモアがあり、同じ良い声の久保田二郎氏、いソノてルヲ氏ら
とともに人気があった。

巨泉氏が司会をされたコンサートで忘れられないのに「オスカー
ピーターソントリオと日本のジャズメンたち」という、有楽町ビデを
ホールで行われた変わったコンサートがある。
(1960年代後半だったと思う

巨泉氏が構想、構成したと考えられる演奏会で、司会も同氏だ
った。
オスカーピーターソンの黄金トリオが最初に数曲演奏した後、ク
ラブなどを終えた日本人ミュージシャンたちが次々集まってきて、
トリオとセッションするという雑然として楽しい演奏会だった。

ちゃんとしたプログラムが有ったのか無かったのか、いきなりトリ
オが長々としたアドリブを演奏し終わると、虚を突かれた形の巨泉
氏は「今のは“On Green Dolphin Street”ではないかと思い
ますが、、、」と慌てアナウンスしたたのが印象に残っている。

テナーサックスの西条孝之助や松本英彦、ギターの横内章次、ピ
アノの中村八大や前田憲男、ドラムスの猪俣猛や白木秀雄、ベー
スの原田政長、名は忘れたが自分が好きだったトロンボーン奏者
ほか沢山のジャズメンが深夜から早朝まで入り交じって舞台に上
がった。

これも巨泉氏のアイディアだと思われたが、踊り場などに酒類が
売られ、演奏者もお客さんも一体となり夜が更けるのも忘れて楽し
み一番電車が出る時刻まで熱いセッションが続いた。

 

チケット
上掲のコンサートの切符。詳しい年が書かれていないが、
1960年代後半であろう、演奏開始時間が夜12時とある。

外国人ジャズマンのコンサートで、時に客としてきている巨泉氏を
見たが、賑やかなグループの真ん中にいつもご機嫌な姿があった。

若き日の「今日の話は昨日のつづき今日の続きはまた明日」。
その前田武彦、永六輔、大橋巨泉、特別に快活だった人たちが亡
くなっていく。
皆さん何事も自前で楽しみ、権力を嫌い、清々しく貴重な人だった
と思う。

楽しかった第15回卯の花音楽祭。

2016年7月18日(月曜日)

本日月曜日は海の日の祝日、午後に第15回卯の花音楽
祭が開催された。
上越市が輩出した音楽家故小山作之助を讃えて行われて
いる
音楽会が出身地の大潟区はコミュニティプラザで催された。

 

img163
本日のプログラム。

大潟区のオカリナやギターのアンサンブル、近隣を交えたコー
ラスに加えて折々ゲストが参加する。

器楽は技術のほか和声が高度化したり、曲調の陰影が深ま
ったり、素人の自分にも毎年進化を感じることが出来る。

コーラスでは大人のドラマティックさ、中学生の若人らしさ、
小学生の胸打つ純真さが真っ直ぐに伝わった。

ゲストのソプラノ、アルト、テナー、バスの四人の「よろずやリ
コーダカルテット」は唱歌から民謡、クラシックそしてピアソラ
までとても楽しかった。

上越教育大学大学院教授の後藤丹先生が編曲された「故
郷」と「夏は来ぬ」は、伴奏のピアノも美しく、卯の花合唱団
のコーラスはオーケストラを聴くようにこまやか、かつ壮大
だった。

 

会場

演奏は編曲と指導者によって大きく変わる。
良くなればさらに楽しく練習出来るにちがいない。
音楽をする人を羨ましく思った。

本日は後藤先生と相席し、終了後樹下美術館でお茶をご一緒し
た。
音楽について、作之助について、お話は面白くためになった。

主催される実行委員会の皆様、後援のまちづくり大潟、大潟の子
どもを育てる会、大潟ボランティア連絡協議会の皆様、有り難うご
ざいました。

地域の慎ましくも暖かな音楽祭、また来年も楽しみにさせてくだ
さい。

夏、疲れを知らないこども。

2016年7月17日(日曜日)

雨模様の午前が昼になる頃晴れてきた。
一番小さな孫が来ていて近くの鵜の浜温泉海水浴場へ一緒
に行った。

知り合いの浜茶屋「みやこや」(海の家)でラーメンやおでん
などをゆっくり食べてから三才の孫は日本海初デビューとな
った。

初めは波に怯えて、帰ると言っていたが根気良い親が時間
を掛けて馴らすと、浮き輪無しで波に向かって行くようになっ
た。

IMG_4932
鵜の浜は多少深めだが楽しみながら海の泳ぎを覚える事が出
来る。
監視所のアナウンスも適切だった。

さてこどもというのは本当にアクティブだ。
海から帰って昼寝をすると夕食前のひと時はダンス。
家にある卓上型蓄音機で1940年代のレコードを掛けてみた。

 

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ベニー・グッドマン クインテットの「世界は日の出を待っている」が
回っている。

 


ユーチューブに同じレコード演奏がありました。

 

非常に早いテンポですが一生懸命腰を振って踊ります。
そのあとフリッツ・クライスラーのヴァイオリンでベートーベン
のクロイツェルソナタ第三楽章を掛けました。

 


やはりユーチューブにあった同じ盤の演奏です。
テンポに合わせてご機嫌でした。

“疲れを知らない子供のように”
はシクラメンのかほりの歌詞でしたね。

日本音楽コンクールに出場される少女。

2016年7月16日(土曜日)

本日夕刻外出から戻り車を降り立つと美術館からまことに妙なる
ヴァイオリンの音色が聞こえてきた。
樹下美術館の何処から聞こえるというのではなく、全体が鳴って
いる音だった。

普段カフェのBGMは小さいし、SP盤もこんなに鳴らない、音は
極めて本格的だった。

恐る恐るはいると、一人の少女が陶芸ホールでヴァイオリンを弾い
ている。
胸がすくような音がホールを自在に満たしている。
これはただ者ではない、一体誰なのだろう、そしてどうしたのだろう。

傍らにおられたご両親が、8月末の日本音楽コンクールに出場する、
弦楽器が良く鳴りそうな樹下美術館で一度弾かせてやりたかった、
と仰った。

IMG_4801
絵画ホールで、中学二年生のSさん。
陶芸ホールのパガニーニのあと絵画ホールでバッハを弾かれた。

確かに樹下美術館はコンクリート一体駆体で残響が良く(良すぎる?)、
弦楽器の演奏に向いている。
陶芸ホールは角張ってやや閉鎖的な形状だが、広めなので音楽会
はそこでさせてもらっている。
一方、絵画ホールは小さいながら天井が複雑で高く、カフェにも陶
芸ホールにも音が行き、多様なピッチをこなし、もっと良いかもしれ
ない。

Sさんに絵画ホールで弾いてみたらと勧めると、バッハを弾かれた。
思う存分に歌い素晴らしかった。
絵画ホールの方が良かった、とご自分で仰った。
響き渡る自らの音のすみずみを究極まで聞き取られたにちがいな
い。

3才からというヴァイオリン、どんなに練習されたことだろう。
どうかコンクールではがんばって、と心から祈った。

演奏のあと、高鳴りを静められるように三人で夕刻の水田が見える
テラスに向かわれた。

新潟市からのお客様 カサブランカ スギゴケ取りと篩(ふるい)。

2016年7月14日(木曜日)

本日は新潟市から二組の方達にお寄り頂き感謝しています。
お一組はお母様とお嬢さん、熱心に作品をご覧頂き、お茶と食
事、そして庭を楽しまれ4時間近く滞在されました。
在来線で鵜の浜温泉一泊、犀潟駅から徒歩で樹下美術館へ。
「小さい旅」の母娘さんは、ほのぼのと過ごされていました。

もう一組さんはご夫婦、2011年に新潟市は知足美術館で行っ
小生の拙作品展をご覧になり、一度当館を訪ねたかったと仰
いました。
5年前の縁が繋がっていて、遠くからお訪ねて頂き幸せでした。

新潟県は広く、県内とはいえ当館-新潟市は直線で100キロ
はあります。
皆様には遠くから本当に有り難うございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて樹下美術館の庭はテッポウユリが終わり、カサブランカが
南東の見落とされそうな場所で香り高く咲いています。

 

1
秋にはもっと沢山植えたいカサブランカ。

 

そして本日昼、スズラン、ミソハギ、アヤメ、トクサなどの場所で繁
茂するスギゴケの処理を試みました。
開館前の2月、この場所のコケ取りを掲載しましたが、根が沢山残
っていてこの時期雨をもらい再び広がっていました。

スギゴケはチビながら数㎝の根がありますので、今回は草刈り鎌
で土ごと削ぐように掘るように取ってみました。
肥料を含んだ表土もいっしょに削りますので、取ったものをそのま
ま捨てるのは大変もったいないのです。

すると見ていたスタッフが家から篩(ふるい)を持ってきて、これで
やってみましょう、という事になりました。
土が沢山付いたスギゴケを、まぶしながら篩に掛けて両者を分け
てみました。

 

2
ふるっているところ。

 

3
↑篩(ふるい)取ったコケと雑草。落とした土は元へ戻します。
作業はとても旨く行き、安心して深めにコケをを削ぐことが出
来るようになりました。

反省点はただ一つ、篩にかける前に削ぎ取っものを乾かせば、
さらに旨く行くと思いました。
スギゴケは長く頭痛の種でしたので、篩は強い味方になりまし
た。
お客さまが来られ、中断しましたが苦しみが楽しみに変わった
次第です。

 

4
↑洗った篩、昭和45年度新調と書かれていました。
(しばらくお借りします)

庭仕事とは言え所詮素人の行い、今にして農家の古い道具の世
話になり一種幸せな気持ちがしました。

黄金オニユリ 団体に備えて。

2016年7月13日(水曜日)

日中は時折陽がさすが、夕方~夜間に降り時には激しい。
樹下美術館の庭でテッポウユリが終わり、キキョウが盛りを迎えつ
つある。

その中にあって黄金オニユリが可憐な姿を見せている。

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黄色が淡泊で全体が可憐。
黄金オニユリの名は仰々しくてこの花にはまったくそぐわない。

話変わって、秋に向かって樹下美術館に珍しく団体さん(最大
で40人など小規模ですが)の予定が幾つか入っています。

展示鑑賞で問題ありませんが、大人数のお茶に備え、隣接の自
宅も対応できるよう一部改装し保健所の許可を受けてあります。

包丁を研いで食べた熊本産のマンゴー。

2016年7月12日(火曜日)

地震以後、熊本県の農産物に目が行くようになり、この度ネットで
同県のマンゴーを求めた。

1
サイズは14,5×9,5㎝は普通サイズだろう。
指で押すとほんのわずかへこむ。

念入りに包丁を研ぎマニュアルに従って切って盛った。

2
扁平で大きな種を避けるように三枚に切る。

 

3
外周を皮に沿って包丁を入れ、縦3本横5本の切れ目を深くつける。

 

4
皮の中程を押し上げると果肉のキューブが起き上がる。

 

5
種の部分の皮をむいて外縁の果肉を削ぎ、これも切り分ける。

 

6
夢のような2人分(一個の半分)のマンゴー。
(ペーパータオルを半分丸めて底に敷き盛り上げました)

紅茶を入れて食べたが、濃厚で滑らか、喉が痛くなるほど
美味しかった。
昨年3月から止めたアルコールに代わって四季折々の果物
を以前にも増して楽しめるようになった。

この度は1人1490円で包丁研ぎから切り盛りまで楽しめ
ました。

マンゴーは完熟で届けられますので、なるべく早目に食す
のが良いと思いました。

赤ちゃん、こどもの成長、自然。

2016年7月10日(日曜日)

選挙の日、投票の帰りにすれ違った若い女性は初めての
投票、と言って手を振った。
子供時代、ワクチンでいつもワアワア泣き叫んでいた人だ。

この人とそのお子さんの幸福のために投票するのだと思った。

それはまた50年100年、そのずっとずっと先までの幸福。

つまり可愛い赤ちゃん、こどもの成長、清々しい自然。
3つの健やかな永遠のために何を選べばいいのか、
自分の先は長くはないが、感じたり考えたりしていきたい。

IMG_4732本日美術館近くの合歓。

つゆの合間の過ごしやすい日だった。

新潟市で6年ぶりの母校同窓会。

2016年7月9日(土曜日)

午後から母校の新潟支部総会に参加した。
毎年行われているが、私は6年ぶりの参加だった。
曇天の空が新潟市へ付く頃は晴れ間を見せるようになった。
午後3:30から総会、母校教授による有益な講演そして懇
親会と続いた。

開始までのわずかな時間、信濃川の堤を歩いた。

 

1
やはり新潟市では船を見たいし撮りたいが、時間がなくここで引き返した。

 

2
↑母校のオリジナルプレミアムワイン、赤白(2009年限定もの)。
学校がワインを有しているなど珍しいかもしれない。
昔から一種ユニークな大学だったが、オリジナルワインとはびっくりし
た。
学生寮が山梨県にあったためワインのほかオリジナルミネラルウオー
ターもある。

6年降りの参加だったが、一昨年大臣表彰を受けたというので記念
品を頂いた。

3
↑新潟市夕刻の風景、やはり都会だ。
次第に遠い街になったが、その分訪ねると懐かしさがこみ上げる。

懇親で何かと気遣ってくれる馴染みの後輩、颯爽として利発そうな
若い医師たち、健康な超先輩達、みな嬉しかった。
なにより来賓の学長および同窓会長の報告から休み無く発展を続
ける母校の内実を知り、心奮い立たせられた。

写真はいずれもコンデジ(キャノンパワーショット30Xでした)。

ヒヨドリの早すぎた巣離れと親の対応。

2016年7月8日(金曜日)

診療所と美術館の庭ともにヒヨドリが巣を懸けていた事を
一昨日書かせて頂いた。
本日昼、美術館の庭の巣の写真を撮っていると突然ヒナ
が飛び立ち、すぐ近くのツツジの茂みにかろうじて止まっ
た。
ひらひら、ぱたぱた、落下するような5メートルの飛翔。

しばらくすると反対側のツツジへ7,8メートル水平に飛ん
だ。
鳴けば親鳥が気づくはずだが、じっとしてている。
すぐ近くに既に巣立った別のヒナが居て、親鳥たちはそち
らの給餌に夢中だった。

 

1
↑翼は雀のようにまだ小さく、つぶらな目のヒナ。

 

2
↑こんな所でまあ可愛い、と庭仕事をしていたスタッフが
見に来る。
丸囲みの所にヒナがいる。

子は私たちを警戒して鳴かないのであろう、茂みでは鳴か
なければ親は気づかず餌ももらえない、ひとまず皆で遠ざ
かることにした。

しばらくすると今度はほぼ水平に10メートルほど飛び、モミ
ジの若木に止まった。
それが親の目に止まったのか、つがいが来て大声で叫びな
がらヒナの周囲を飛び回る。
ヒナは枝の高いところへ足を使って少しずつ移動した。

 

4
↑枝を上っていく。まだ尻尾も見えない。

 

 

3
↑ヒナに近づく親鳥。

餌を与えるのかなと見ていたが、何もくわえず近づいた
親がきびすを返してパッと飛び、間髪を入れずヒナが
続いた。
そのまま飛んで遠くの木立へ消えた。

思うに、人がいる低い所の給餌は危険とみて、安全な
場所へ誘導したように見えた。

突然のおぼつかない巣立ち、
「この子には餌より安全を」。
親の判断と反射的に従った子。

親も必死、子も必死、普段何かと威張っているヒヨドリだ
が、良い場面を見させてもらった。

1号なのに「猛烈」に成長した台風 少ない小鳥?多いヒヨドリ?

2016年7月6日(水曜日)

日中、風が強く暑さが厳しかった日。
記録的な遅さで発生した台風1号が夕刻のNHKTVニュース
のトップで報じられていた。

発生数日にして100hPa余も気圧を下げたのだから驚異的
な発達ぶりだったにちがいない。
本日、三階級の強さ表記で最強の「猛烈な」台風の冠が付き、
1号にしては記録的なことらしい。

西北西の進路で台湾を目指し、与那国島など先島列島を巻
き込む予想図が示されているが、今後どうなるのだろう。

ただこの度の台風は、乾燥続きで全国的に切迫した水不足
の助けとして期待もされている。

お天気の恵みと災いはいつも表裏一体、少しでも良い面もあ
ればと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話変わって一ケほど月前、「今年は小鳥が少ないようだ」とあ
るお客様から聞いた。
確かに春先にツグミ、カシラダカ、モズ、ジョウビタキ、雀、メジ
ロ、コムクドリ、カワラヒワ、シジュウカラなどで樹下美術館の
庭と水盤は賑わい、よく写真も撮った。
ところがその後、連休の頃からか意外なほどひっそりして経
過している。

但しヒヨドリだけは良く見ているし、鳴き声も賑やかだ。
ツバメは普通通りのようだが、ほかはどうしたことだろう。

昨日大潟水と森公園の方が来られ、「小鳥が全体的に少なく、
特にメジロが少なかった」と仰っり、ヒヨドリだけは多いとも話さ
れた。

少なく感じるのは、普段うるさいムクドリまでもそう思われる。

何故だか分からないが、
●今冬~春、飛来していた冬鳥が多すぎて餌を減らして帰っ
た。
●ヒヨドリが多すぎてほかの鳥を追い出してしまった。
(とにかくこの鳥は威張りん坊で縄張り意識が強い)
●他所は普通であり実はいつもと同じ、などが考えられる。

ちなみに以下は、もしやと思い診療所と美術館の庭を観察し
て見つけたヒヨドリの巣です(撮影は本日昼)。

1
↑診療所の椿にあったヒヨドリの巣。

 

2
↑上掲の巣の近くにいたヒヨドリのヒナ(若鳥)。
チ、チ、  チ、チ、と細く金属的な鳴き声で親鳥に餌を
せがんでいる。

 

4
↑美術館のモミジに作られていたヒヨドリの巣。
この周囲でも数日来若鳥たちが盛んに飛び交っていた。

 

3
↑丸囲みの裏に上掲の巣がある樹。

いずれも人との距離が異常に近いが、今まで気がつかず、
巣作りと子育ては極めてひっそり行われていたようだ。

巣に気付いたのは鳴き声によってで、ヒナまた若鳥は大
型ながら親と違って鳴き声は虫の音のように小さく、分り
ずらかった。

この鳥の柔軟なことに、大きいのにホバリングを行い、椿
の蜜を吸う器用さを有している。
虫、果実も食べる雑食性を併せると、趨勢が続く場合、強
すぎて生態系への影響は如何?と懸念される。

これらは全てエルニーニョ現象のお土産でしょうか、杞憂
であれば良いのですが、、、。

記録的に遅い台風一号が発生している。

2016年7月5日(火曜日)

6月に、今年は台風が来るのが遅いと書かせて頂いた。

それが今月3日午前、第1号が発生したと気象庁が伝えていた。

統計が始まった1951年以降、第1号が最も遅かったのは1998
年の7月9日、今年は二番目の遅さの記録ということ。

現在台風はフィリッピン沖東を発達しながらゆっくり西北西(大陸方
面)へ進んでいる。

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本日7月5日午後4時45分 中心気圧955hps、中心付近の最大
風速40m(気象庁)。今のところ日本をそれるように西北西に向かっ
ているようだ。

半年間、台風が無かったが、残り半年に次々と来るのでは困る。

 

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本日夕食前の日本海。凪いでいて夕風が心地良かった。

ああ先人、佐渡に骨を埋めた都会の女医さん。

2016年7月3日(日曜日)

先日、佐渡へ向かう汽船待ちという東京のご家族が当館にお
寄り
になった。
お孫さんご夫婦と一緒の高齢のご夫婦、93才の老紳士は可
愛い犬を連れ、庭を巡られた奥様には、羨ましいと仰って頂い
た。

別れ際にお会いしただけだったが、ご自分の早稲田中学時代、
會津八一の講義を聴いたことがあると仰った。
カフェに會津八一の本があったことからそんな話になった。

それから一週間ほど経って、思いも掛けず會津八一の本が8
冊送られて来た。

同封のお手紙からご本人は長年地域に尽くされた大正生まれ
の産婦人科医だった。
激変する経済と社会、大陸進出、太平洋戦争、戦後の大混乱。

荒波に翻弄される進学事情、兵役、仕事、家庭の様子が垣間
見られる。

大正生まれの方達は苦労されている、とはかってある僧侶がし
みじみ語った言葉だ。

恵送本
↑我ら新潟県民の誇りの一人、會津八一の関連書物。
幾冊かの本から八一が如何に教え子たちから敬愛されたか、が
分かる。
書物は適時カフェの図書に入れさせて頂くことにしました。

お手紙に、自らの出兵を前に訪ねた奈良薬師寺のことと、八一の
短歌がしたためられていた。

末尾に、時代の波に押される如く昭和15年に東京から佐渡に渡
り、僻地医療に携わり平成14年89才で同地に骨を埋めた女医
である姉の記載が見えた。

この度の佐渡行きは彼女が眠る羽茂の祭と墓参りが目的だったと
いう。
戦時下の医師達は次々軍医として出征したため、地域は極端な医
師不足に見舞われたはずである。
姉君は帰郷の機会を失いながら、無医村化した佐渡で60余年間、
最後まで献身的な医療を遂行、昭和52年に勲五等宝冠章の叙勲
を受けられている。
傍ら手紙主の学費も支え、恩人に値する存在だった。

ハイヒールで颯爽と都会を歩いた女医さんは、羽茂において袴に
下駄の往診姿で納棺されたという。

思いもよらぬ先人の足跡を読み目頭が熱くなった。

実はもう一つ八ッ橋が。

2016年7月2日(土曜日)

先々回ある孫の修学旅行みやげとして八ッ橋を送って貰っ
たことを書かせて頂いた。
記載したのは聖護院八ッ橋だったが、実はもう一つ別な店
、本家西尾八ッ橋が一緒に送られていた。

京都で試食の際、どちらも美味しくて迷ったすえ、両方送
ることにしたと聞いた。

中学三年生なったばかりの生徒が年寄りの土産に迷うの
は容易に想像出来る。

そもそも聖護院八ッ橋と本家西尾八ッ橋とでは、同じ菓子
でも由来が異なっている。

聖護院は江戸期のお琴の名手八橋検校の遺徳に、本家西
尾のものは伊勢物語などで伝えられる「三河の国八ッ橋」
の逸話に由来するとされるようだ。

由来をも勘案して決めかねたことが想像されるが、結果とし
て両方にした、というのは本当に微笑ましい。
彼がもしも裁判官になったなら、良い判決を下す名判事に
なるような気がする。

お小遣いを散財させて申し分けなく思い、またR君の人柄に
触れて心温められた。

 

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抹茶味の本家西尾八ッ橋

今では生八つ橋のほうが人気があるが、私の場合昭和31年の
中学時代、修学旅行で食べて感動した固い方の味が忘れられ
ずにいる。
(当時まだ生八つ橋は無かったかもしれません)

蓄音機で聴くクラシックSP盤の至福。

2016年7月1日(金曜日)

ある方のご好意で樹下美術館のカフェにコンソール
タイプの大きな蓄音機が置いてある。

時々持ち主がレコードを持参して来館され、一緒に聴く。
たびたび聴くうち、クラシックSPを聴くのは特別な時間だ
ということが分かるようになった。

昨日木曜日は午後休診の日、有志が5人カフェに集った。

 

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↑窓辺のレコード盤。
(ほかに組みアルバムも聴きました)

SP盤の音楽は優しく哀しく、あるいはふつふつと喜びを
伝える。
往時の名手の演奏が箱から私たちに向かって再現され、
カフェは良き音楽の時代そのままの空気に包まれる。

以下は昨日かかったレコードです。
「幻想曲(K475)とソナタ(K457)」(モーツアルト)
/ ピアノ:リリー・クラウス
・「弦楽四重奏曲(死と乙女)」(シューベルト)
/ ブッシュクヮルテット
・「エレジー」(フォーレ) /チェロ:ピエール・フルニエ
・「愛の喜び」「愛の悲しみ」(クライスラー)
/ヴァイオリン:フリッツ・クライスラー
・「ワルツ(No11、12)」(ショパン)
/ ピアノ:ディヌ・リパッティ
・「アヴェマリア」(シューベルト)
/ヴィオラ:ウィリアム・プリムローズ
・「歌の翼に」(メンデルスゾーン)
/ヴァイオリン:ヤッシャ・ハイフェッツ

ほかに3人のお客様がおられましたが、皆さん喜んで加
わってくださり、最後まで楽しまれました。

庭の花たちも耳をそばだてて聴いている風情、コーヒーが
一段と美味しく感じられました。

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テッポウユリも、

 

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今年初めて植えたリアトリスも、

 

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ナツツバキも、

花や草が一緒に聴いていたようなひと時でした。

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