台風前の本日大洞原を訪ねた。

2017年9月16日(土曜日)

過日、妙高市は関山、大洞原のトマトとトウモロコシを頂戴した
ことを書かせて頂いた。
倉石隆の絵に素描「草原開墾」と油彩「妙高」があり、同所では
ないかと思われ、トマトを食べて以来無性に訪ねてみたくなっ
ていた。

以下は倉石隆の素描「草原開墾」から。

1'
働く男女とハンモックのようなものがペンで描かれている。

2'
上掲の女性を入れて大勢が描かれ、わずかの水彩で着色さ
れている。
ここが大洞原だったとすると、描かれた人物たちは一日一日
が精一杯、観光化されるまでになった今日の様子など想像だ
に出来なかった事だろう。

調べてみると現在同所にハートランド妙高という施設あり、本日
昼そこへ電話をして場所を確認し妙高山が見えているか、も尋
ねた。
山は見えているということで、仕事を終えた午後車を走らせた。

1
トマト畑と向こうにハートランド妙高。

2
トマト畑は至る所にある。

4
開墾地らしく石ころが小道脇に集められていた。
火山の山麓ゆえ岩石との格闘だったことだろう。

5
トウモロコシ畑で、竿に繋がれた鳥追いのカイトが舞っていた。

6
曇天の妙高山と爽やかなソバ畑。

以下は倉石隆の「妙高」 41×31,5㎝。

3'
手前に描かれたものは判然としないが、良く晴れた山は本
日訪ねた場所からの眺めに似ている。
明るく南を向く妙高、数個の雲と原野、あらためて良い絵だと
気づかされた。

スケッチと油絵が同じ日のものとすれれば、この日倉石
氏が訪ねて描いたのは大洞原とみて間違いなさそうである。

氏が髙田にいたのは昭和25年(1950年)まで。
大洞原の開墾は昭和24年からだ。
わざわざ訪ねたなら、当時開墾は大きなニュースになってい
た事が考えられる。
「草原開墾」の題から、一帯は広大な草地あるいは萱場のよう
な場所だったのか。
いずれにしても開墾は始まったばかりだった。

敗戦後、厳しい世相下に於ける豪雪地の開墾は、運命への挑
戦だったであろう。
苦しい生活の中、再上京のことなどで葛藤が想像された当時
の倉石氏にとって、晴れた妙高山と精出す入植者の姿は、心
奮わせられる光景だったのではないだろうか。

 

7
本日路傍のハギと向こうのソバは秋の風情そのもの。
一帯から見て東に昇る満月などは美しかったにちがいない。
開拓団の人々は、月の日ばかりは疲れを忘れ、なにがしかの酒で
喉を潤したことを想い願いたい。

帰路、国道の直販センターに寄ってミョウガ、枝豆、トマト、ハリハ
リ漬けなどを買った。

11
大潟区潟町の祭で、知人宅からお赤飯を頂戴した。

夕食にセンターで買った野菜が出て、妙高の土と入植・後継の人
々による渾身の恵みを堪能した。

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