去る17日日曜日の「堀口大學展」のこと。

2017年12月21日(木曜日)

去る17日日曜日のこと、荒れ模様の午後長岡市へ
「堀口大學 展」を見に行った。
同展は12月2日~1月8日まで開催される。この
度大學のご長女堀口すみれ子さんから知らせがあ
り、当日お会いできる時間が約束約束されていた。
早めに会場入りして展示を見た。
審美眼に優れた詩人が著した膨大な書物と趣味の良
い遺品が館内いっぱいに展示され、一般の絵画展など
と一味異なる優れた個人の生活と生涯に触れることが
できた。

 

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会場入口のタペストリーはアポリネールの詩集
「動物詩集 又はオルフェさまの供揃い」から作品
「猫」とデュフィの版画挿絵が掲げられている。


我が家に在ってほしいもの、
解ってくれる細君と
散らばる書冊のあいだを縫って
踏まずに歩く猫一匹、
命の次に大切な
四五人ほどの友人たち。

 

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93ページの展覧会カタログ。表紙「鳥と雲」は長谷
川潔の版画であり、1921年の大學詩集「水の面に書
きて」の別刷、挿画。

会場には、終生心の父母と敬愛した与謝野鉄幹・晶
子の恋文、夫妻の短歌、遺品からはじまり、両親、家
族とともに若くして世界を駆けた15年間に於ける原稿
や写真および愛用品が続く。

館内を巡ると堀口大學の装幀へのこだわりがわかる。
大正期に始まる長谷川との表紙、挿画によr協働は熱
いものがある。
さらに昭和初期の絢爛とも言える装幀文化の中にあ
って、豪華な限定本など装幀は百花繚乱の趣が見て
とれる。
本とその装幀は当展の力点の一つで、古来西洋独特
のものだった革装幀について大學は、日本の古典には
馴染まないものとして、文化の根本的な相違を指摘して
いる。

 

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当館収蔵「水の面に書きて」。長谷川潔にの表紙。
水の面に書きて、は何刷もあり長谷川による異なる表
紙や扉絵が施されているようだ。

 

当展は「美と文学の探究者」の副題の通り親交した画家
たちとともに永井荷風、西條八十、三島由紀夫、佐藤春
夫青柳瑞穂など文学者との交流を示す関係資料も豊富
に展示されている。
1920年代、世界的な人気を博していた詩人ジャン・コク
トーとの交流が生まれている。大學は彼の詩集訳詞に積
極手に取り組み紹介している。コクトーは絵にも優れ、そ
の書籍は流麗な人物デッサンによって飾られ、会場で独
特の流れるような線で描かれた人物画を多数見ることが
できる。
また1930年代にはサン=テグジュペリの「夜間飛行」ほ
かを翻訳していることを知った。

さて大學は1945年7月妻の故郷である新潟県の関
川村(現妙高市)に疎開、
同地で終戦を迎え、時経ず
して父を失くしている。
翌1946年1月に高田(現上越市)
南城町に移ったが、
1950年6月神奈川県葉山町に転居するま
での足か
け6年上越地方に仮寓したことになる。
敗戦による混乱と物資困窮時代にも拘わらす、当地方
に於いて気力を振り絞り一気に5点の詩集を
刊行した。.

以下はいずれも樹下美術館が収蔵する関川および高田時
代に出版された詩集。

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左より「山嶺の気」、「冬心抄」、「雪国」。

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同じく当館収蔵の「あまい囁き」と「人間の歌」。

いずれも1945~47年(昭和20~22年)の発行で「山
嶺の気」は31ページの小冊である。「あまい囁き」の
表紙は東郷青児の細い線とわずかな着色で刷られて
いる。

もう一冊の「人間の歌」の経緯が少し切なかった。
つまり、あとがきによれば、自身のの作詩集は1925年
の「砂の枕」以来20年ぶりということだった。もちろん
その間に何篇もの訳詩集を刊行しているし、きわめて部
数が限定された私家本「ヴェニュス誕生」はあったが、一
般的な発行は長く途絶えていたという。
私にはその訳を知る由もないが、やや辛さが感じられる。

だが上越地方の仮寓中、多くを作詩し過去分も含め集中
して出版を重ねた。
終戦によって重しが取れたのか、疎開先の食べ物が、それ
とも人情が良かったのか、あるいは妙高山の雄姿に押され
たのか、生活ひっ迫だったのか、いずれにしても詩人は当
地で心奮い立たせた。

展覧会会場まで60キロ、再度県立近代美術館を訪ねそ
の人柄に触れてみたい。

慣れないパソコンで四苦八苦し、ミス文が多く失礼しました。
まだあるかもしれません。

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