小山作之助・夏は来ぬ

えんぴつの会の皆様 今を生きる子どもたち。

2016年10月25日(火曜日)

風強く時々雨が吹きつけた日、文芸に勤しまれるグループ
えんぴつの会から14名の皆様が来館されました。

児童文学作家、杉みき子さんを囲みまた薫陶を受けられて
いる皆様。
大潟区の小山作之助の足跡を訪ねてその墓所や、大潟町
中学校にある資料室を見学、同区の「魚蝶」で昼食の後、お
寄りになりました。

作之助の孫の一人が当館の展示画家倉石隆の夫人であり、
作之助の弟直次郎の孫の一人が不肖館長であることを写
真と共に説明させて頂きました。

作之助兄弟と孫

左・明治20年頃の作之助と直次郎兄弟。右・倉石氏アトリエ
における2002年の夫人と小生(資料としてお配りしました)。

齋藤三郎の陶芸では氏の鮮やかな赤、シンボル的な椿、味
わいある文字、年代に於ける作風や父との交流などをお話さ
せて頂きました。

作品を観た後でカフェでお茶になりました。

IMG_7676
カフェで。

皆様の熱心な視線、生きた個性、軟らかな人柄、なによりグ
ループとしてのまとまりに強い印象を受けました。

カフェでは松本竣介や司修の話題も出て私自身楽しませて
頂きました。

杉先生は何度も来館されていますが、とてもお元気で、美味
しそうにお茶とケーキを楽しみ、談笑されました。
皆様のますますのご活躍をお祈りし、ご来館に感謝いたしま
す。

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本日、午後1時から園医をしている保育園の健診に赴いた。
春より明らかにみな大きくなっている。
疾病や事故などを克服しながら成長するこどもたち。

この子たちは良い大人になるためではなく、かけがえの無い
今を無心に一生懸命に生きいている、それだけでいいんだ、
とふと思った。

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強風の空に大きな白鳥が飛んでいるような夕刻の雲。

 

祖母の遺影の裏 父と祖父母。

2016年8月29日(月曜日)

一昨日の話で、しかも仏壇のことで申し分けありま
せん。
実はある高校生の縁者の宿題で家系図を作ると
いうのがあり、それについてこちらで調べたものを
作成してお手伝いをした。

いわゆる描いたものではなく、戸籍をもとに作成し
たので大昔まではさかのぼるものではないが、か
なり手間どった。
念のため滅多に見ない仏壇の位牌を裏返したり没
年月日など出来るだけ確かめた。

先祖たちのことはともかく、お壇の中の1枚の写真
が気になった。
写真は全部で4枚あり、祖母、父、叔母、母の遺影
が見える。
父のは弟が撮ったスナップで、母のは私が撮った。

 

1
上の矢印は父、下のは祖母の写真。

祖母のは写真好きだった父が撮り自ら現像したも
のと思われるが、それが気になった。
22,5×17,5㎝の白い額に入り、さほど大きくは
ないが、全体が白々しているので少々変わった印
象があった。

そもそも父は叔父叔母たちと違ってほとんど先祖
の話をしなかったし、仏壇も参らなければ墓にも
行かない人だった。

子供の頃、お墓や仏壇が好きだった自分にすれば
大変不思議なことだった。

その父は二つのことで両親を恨みに思っていたふし
がある。
一つは多産で、祖母は19才から44才までの25年
間に12人を出産している。
その事は兄弟たちの学費不足として長く影響したと
いう嘆きをを父から聞いたことがある。
あるいは寒い日、新聞紙をフトンに足して寝たという
苦学の浪人と学生時代、帰省するたびに小さな兄
弟姉妹が増えていて困惑したと、漏らした。

もう一つは借金だ。
祖父母は大正7年と聞いているが家を建てた。
二階建ての入院施設に続く住居は、部屋数が60畳
の広間を入れて13室の木造三階建てという普通で
ない建物だった。
現在でいう億単位の家、そうでなくとも素封家出の祖
母はお金の掛かる人だったらしく、田舎医者の祖父
に際限ない借金がかさんでいったらしい。

返済に行き詰まった夫婦は家の書籍、書画はじめ
フトンまで売り払い、現金を求めてここを捨て北海
道の寒村の診療所へ移り、父は大学の研究生活を
中断して渡満、満鉄病院の勤務医となって背負った
借金の返済につとめたという。
これは母から聞いた。

父は後々まで借金と祖父母を疎み恨んでいた風に
見えていた。

祖父は私が二歳になるころの昭和18年に亡くなり、
祖母は小学5年の春、昭和27年に亡くなっている。
祖母の火葬場で末の叔母がわんわん泣いて皆にか
らかわれ、お通夜で、普段静かな父が酔って枕を背
負い、「赤城の子守歌」を歌って踊った。

さて祖母の写真である。

2
↑父が撮って現像したと思われる遺影。

このたび仏壇の位牌を見終わり、眼前の祖母の写真に
手が行った。
撮影した父が裏に何か書いてないか、と思った。

3
↑写真立ての裏側。
裏板をはずしてみる。

4
↑別な紙が1枚挟まれていた。
厚さなどを調節する当て紙かと思った。

5
↑裏返すと祖父の写真が現れた。
この写真は初めてだった。

祖母の写真の裏に祖父が密かに重ねられている。
別々に置かず重ねた子、そうされた父母。
突然現れた祖父に驚くとともに、胸が熱くなった。

人の心の真意は分からない、開けて覗いても分
からないものは分からない。
だが何気ない所に形として残っていることもある
ということなのか。
物語は、終わればみな普通の人に帰るという事も。
思いもよらぬ父の行為にしばらく動けなくなった。

祖父の写真から思い当たる1枚があった。

 

1943年10月
昭和18年10月祖父を囲んだ写真。

病身となり北海道から家に戻った病床の
祖父を祖母と大勢の子、孫が囲んでいる。
満州から私たち子供を連れて里帰りした父母
も一緒だ。

あらためて見た祖父母の遺影の服装はこの時と
全く同じだった。
皆で撮る前にそれぞれ1枚ずつ撮ったのだろう。

生後8カ月の弟が後方で母に抱えられ、
1才8ヶ月の自分は父の膝の上に、
3才の姉が祖父母のそばにいる。
借金返済はまだ終わらず、
「簡易」の扁額が見えている。
(小山作之助の長男・藩氏が父の後ろに見える)

以上大変長くなりましたが、祖母だけ額に
入れ祖父を裏に重ねた遺影には、父の祖母への
思慕と思想の一面が現れているように思われました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに祖父・直次郎は日本教育音楽協会の
初代会長で唱歌「夏は来ぬ」の作曲者・小山
作之助
の弟です。
小山作之助:文久3年(1863年)12月11日~
昭和2年(1927年)6月27日。
祖父杉田直次郎:千葉医専出身医師、明治9
年(1876年)10月25日~昭和18年(1943年)
12月13日。
父杉田敬義:慶応大学出身医師、明治39年
(1906年)2月1日~昭和59年(1984年)11月
14日。

 

 

中島幸子さんの追悼文集から。

2016年7月23日(土曜日)

前回7月21日に小山作之助のひ孫に当たる悲運のヴァイオリ
ニスト中島幸子さんについて書かせて頂きました。

彼女のバイオグラフィーはお母様の香織さんが1983年8月6日
に発行された幸子さんへの追悼文集「ヴァイオリンと共に」を主に
使わせて頂きました。

本書は幸子さんの恩師シャーンドル・ヴェーク氏、久保田良作、
板谷英紀の各氏、先輩の塩川悠子さん、ご友人たち、音楽関係
者など70人近い方々の寄稿によって構成されています。

 

ヴァイオリンと共に表紙
「ヴァイオリンと友に 中島幸子追悼文集」
画家・装丁家司修(つかさ おさむ)氏による表紙。
司氏は樹下美術館の常設展示画家・倉石隆の友人で、
倉石夫人・翆(みどり)さんは中島幸子さんの叔母です。

本日は書物から幸子さんの音楽と横顔についてかいつまん
で記させて頂き、最後に幾つかコメントを試みました。

【中島幸子さんの音楽】
ヴァイオリンは彼女の自然な生にの一部であり、楽器を完全
にしかも自然に自らの意のままに支配しきっていた/モーツ
アルト、シューベルト、ブラームス、バルトークはじめラベル
もものにしていた/モーツアルトに特別な親和力を有し、それ
は透明で清潔、軟らかく、生気に満ちた演奏だった/小柄だ
ったが楽器をとると数倍も大きく見え、信じられない迫力と大
きな音楽が湧き出した/音楽に対する自己規制の大きな力
を周囲に放っていた/厳しさとやわらかさのこもった演奏であ
り、伴奏をしながら心が震えるような感動を覚えた/優等生に
ありがちな偏った所がなかった/幼少から友人を大切にする
日常の中で完璧な基礎と専門性を身につけていたことが不思
議だった/神様がついているかのように成長し、才能を有した
者には人一倍の努力を行う義務がある事を具現していた/ブ
リリアントな音色、垢抜けしたリズ感覚/メンデルスゾーンの
ロマンを歌うに相応しく、パガニーニの閃光を自らのものとした
数少ないヴァイオリストだけに許された音楽/アンサンブルを
演奏していると桁が違いすぎると感じさせられた/最高のテ
クニック・深い精神生・音楽性・構成力・内的体験といったもの
の結合がみられた。/死はモーツアルトが神のもとへ連れ去っ
たと思うしか無い。

【幸子さんの人となり】
食通であり多彩な料理で人をもてなした/スキー、水泳から
野球、鉄棒、ボーリングをこなした/優しく、後輩をよく面倒み、
ザルツブルグでは日本の留学生の母のようだった/エキゾ
チックな風貌、キラキラ輝く大きな瞳/天真爛漫でお茶目だっ
たが、ヴァイオリンを手にすると別人のような鋭い眼差しに変
わり吸い込まれるような魅力を湛えていた/学ぶことも遊ぶこ
とも全力投球/物事の本質だけの世界に生き生きと生きる人
/筆まめ/みな内にしまって耐え、深い中心点から出てくる
恐るべき集中力/どんな時でも感情的にならなず、一言いう
と皆何も言えなくなった。

筆者からひと言。
早く父を亡くした幸子さんを音楽家として世界に輩出させた母
香織(かおり)さんの眼差しを思わない訳にはいかない。
幼少からの運動や遊び、学生時代の料理、円滑な友人間関
係などは、いずれも優れたヴァイオリニストへの全人的な養
育として意識されたものであろうと想像でき、大らかな中にも
厳しく困難な親子の日常が浮かぶ。
遠い目的地での成果の中で、突然訪れた幸子さんの急逝は
どんなに辛かったか、私などには想像もつかない。

それから30余年、失意に耐えられたお母様は数年前に亡くな
られた。
残されたお子、ヨナス・ルードナーさんはウイーンに於ける気鋭
のホルン奏者として活躍していることが伝わる。
またヨナスさんの父オラまたオーラ・ルードナー氏は、ウイーン
交響楽団のコンサートマスター,BBCほか交響楽団客員指揮
など活躍、経現在ウイーン・フォルクスオーパのヴァイオリン
奏者兼指揮者として活躍、度々来日されている。

長く仕舞っていた追悼本を取り出してこの度再読した。
作之助の音楽が死後90年近く経っても脈々と密かに、そして
輝かしく生きていることを喜び、この先へも希望を託したい。

小山作之助の曾孫のヴァイオリニスト、亡き中島幸子さん。

2016年7月21日(木曜日)

去る7月18日、海の日の祝日に卯の花音楽祭が上越市大潟区
で催されました。
大潟区出身で、荒城の月の瀧廉太郎を育て、夏は来ぬや川中島、
漁業の歌などを作曲した我が国の教育音楽の母と称される小山
作之助を讃える音楽会でした。

作之助の母はわたくしどもの高祖父、蘭学医杉田玄作の二女トヨ
で、作之助の弟で医師となった直次郎は当家に養子に入りしました
ので小生はその孫の一人、作之助は大叔父に当たります。

自分は作之助にいくばくか血縁ある身ですが、音楽の才能は無く、
卯の花音楽祭に際してわずかの寄附をさせて頂くだけ、あとは盆
に当家墓所の隣にある作之助の墓掃除くらいで、何もしていない
恥ずかしい縁者です。

ところで作之助に関する業績展示や顕彰事業は折々行われていま
すが、その子孫、特に音楽関係の後人についてあまり知られていま
せん。

実は直系の曾孫(そうそん・ひまご)に1949年2月27日上越市大
潟区生まれで、生後70日で上京した故中島幸子(なかじまさちこ)
というヴァイオリニストがいます。
幸子さんは国立音楽大学付属幼稚園から同付属小、中、高、そして
同大学でヴァイオリンを学び、その間に久保田良作氏にも師事しまし
た。
※久保田良作:1928年-1997年のヴァイオリニスト、皇太子徳仁
親王のヴィオラ、ヴァイオリンの教師を務めた。桐朋学園大学教授。

幸子さんには以下のような輝かしい経歴がありました。
・1966年:学生音楽コンクール高等学校の部全国1位。
・1970年:第39回日本音楽コンクール2位。
・1971年:皇居に於ける御前演奏会に出演、海外派遣コンクール
入賞。
・1972年:ザルツブルグのモーツアルテウム音楽院のマスターク
ラス入学、シャンドール・ヴェーク教授に師事。
・1973年:モーツアルト音楽祭にソリストとして出演。
・1974年:ヴェーク教授のアシスタントとなり後進の指導に関わる。
・1975年:米国のマルボロ音楽祭に参加、同年東京でデビューリ
サイタル。
・1977年:パガニーニ国際コンクール2位。
・1976年からザルツブルグ・カメラータアカデミカ合奏団でコンサー
トマスター兼ソリストを務めるようになる。
・1978年:ヘンリク・シェリング賞受賞。
・1979年:東京で二度目のリサイタル、また東京都交響楽団、東京
フィルハーモニー交響楽団と協奏曲を演奏(後にNHKテレビで放映)、
NHKFM「夕のリサイタル」に出演。

 

中島幸子さん写真
1979年、チャーミングな中島幸子さん31才のポートレート。
(ヴァイオリンと共に 中島香織1983年8月6日発行 から)

・1979年12月スウェーデンにてヴェーク教授の門下生だったヴァイ
オリニスト、オラ・ルードナー(オーラ・ルードナー)氏と結婚。
・1980年:夫ルードナー氏およびリチャード・レスター氏と「ザルツブル
グ・ストリング・トリオ」を結成、ヨーロッパ各地で演奏。
1981年:東京でトリオの演奏会、その後東北、四国、中国地方の各
地新聞社主催による演奏会に出演。
・1982年8月5日:ザルツブルグで長男ヨナス(陽)を出産。

1982年8月6日:長男出産10数時間後、突然肺梗塞を発症、33才
で夭折。
素晴らしい音楽歴を経て、新たな幸福に向かう時に何という悲運でし
ょう。
本当にこんなことがあったとは、とても信じられないことです。

次回はお母様が1983年8月に発行された幸子さんの追悼文集につ
いて掲載させて頂きたいと考えています。

楽しかった第15回卯の花音楽祭。

2016年7月18日(月曜日)

本日月曜日は海の日の祝日、午後に第15回卯の花音楽
祭が開催された。
上越市が輩出した音楽家故小山作之助を讃えて行われて
いる
音楽会が出身地の大潟区はコミュニティプラザで催された。

 

img163
本日のプログラム。

大潟区のオカリナやギターのアンサンブル、近隣を交えたコー
ラスに加えて折々ゲストが参加する。

器楽は技術のほか和声が高度化したり、曲調の陰影が深ま
ったり、素人の自分にも毎年進化を感じることが出来る。

コーラスでは大人のドラマティックさ、中学生の若人らしさ、
小学生の胸打つ純真さが真っ直ぐに伝わった。

ゲストのソプラノ、アルト、テナー、バスの四人の「よろずやリ
コーダカルテット」は唱歌から民謡、クラシックそしてピアソラ
までとても楽しかった。

上越教育大学大学院教授の後藤丹先生が編曲された「故
郷」と「夏は来ぬ」は、伴奏のピアノも美しく、卯の花合唱団
のコーラスはオーケストラを聴くようにこまやか、かつ壮大
だった。

 

会場

演奏は編曲と指導者によって大きく変わる。
良くなればさらに楽しく練習出来るにちがいない。
音楽をする人を羨ましく思った。

本日は後藤先生と相席し、終了後樹下美術館でお茶をご一緒し
た。
音楽について、作之助について、お話は面白くためになった。

主催される実行委員会の皆様、後援のまちづくり大潟、大潟の子
どもを育てる会、大潟ボランティア連絡協議会の皆様、有り難うご
ざいました。

地域の慎ましくも暖かな音楽祭、また来年も楽しみにさせてくだ
さい。

大阪のお客様 糸魚川市徳合地区でおそば。

2015年11月29日(日曜日)

本日日曜日、大阪から小山作之助の足跡を訪ねてある女性が樹下美術館へおより下さった。
妻がお会いし、私は所用のため帰り際でしかお目に掛かれなかったが、美しい方だった。
これから作之助の墓と生家を回ると立たれ、来年の卯の花音楽祭は是非訪ねたいと仰った。
遠くからわざわざのお訪ね、心から感謝いたしてます。

さて午後から念願の糸魚川市徳合地区の「古民家で地そばを味わう会」を訪ねた。

 

1立派な毘沙門堂が迎えてくれる。
機会があれば像を拝観してみたい。

 

2おそばは彦右衞門さんのお宅が会場。
黙々とお給仕される女性の赤いエプロンがお似合い。

 

 3おそばが来て、いよいよ食事、山の幸満載のご馳走です。
美味しい天ぷらも付きました。

 

4お隣のグループ

 

5食後は河岸を変えて景徳庵さんで一服。
いろりに畠春斎の穏やかな茶釜が掛かっている。
沢山の資料と共に樹下美術館の絵はがきコーナーがしつらえてあった(大感謝)。

 

6同所で頂いた手作りクッキー。

 

7家々にさざんかや寒椿の冬の花が見られた。

 

8見事な茅葺きの民家。
徳合が20年前から取り組むしだれ桜が見える。

 

147海岸への道中で見られる豪快な砂岩泥岩互層と呼ばれるダイナミックな地層。
ところどころに細い滝が落ちている。

 

10海が近づき、磯部小学校をぐるりと取り巻く石垣、下方の一部は20段近くある。

 

11小学校の先に広く17段かもという見事な石垣。

 

9本廣寺と筒石郵便局の間の狭い坂道。
狭い坂道には詩情がある。

 

12そして日本海は筒石の通りを眺める場所へ。

20年前、100年先を考えてしだれ桜の植栽から始まった糸魚川市徳合地区の地域活動
適材適所の熱心な人材と何事も相談の年月が手応えをもって実っている。
眺めを良くするために要所の杉などのを伐採したという。
本気でなければこんなことは出来ないし、本当の愛郷精神が伝わる。

本日のおそばは最終組に入れて貰っていたが、美味しかった。
皆様さぞお疲れだったことだろう。

このあとすぐ反省会(慰労会でもあろうが本当に反省もするらしい)を始めるという。
数多い各地の地域おこしだが、いざイベント時の主役は客が相当しよう。
(主役には、ならではの張り合いがあるにしても)
主催者が主役で、はしゃぎ過ぎたり上から目線で来られると入りづらくなる。

本日の徳合は皆様一様に自然体で心安らいだ。
この調和は長く真摯な経験のたま物だろう。
〝回り道〟の控えめな名付けも気持ちが伝わった。

筒石へ出る途中の高い「砂岩泥岩互層」の露頭も非常に見応えがあった。
日本海に迫る山々、注ぐ河川と集落群、特異な地形に地質、密かな白山信仰、海彦山彦文化、歴史の起伏、愛郷精神、自然なもてなし、楽しい発見、、、。
一帯に長い可能性を感じた。

三人の大学院生による秋の美術館コンサートが終わって。

2015年10月17日(土曜日)

良く晴れた日の本日土曜日夜、三人の上越教育大学大学院生さんによるコンサートが終わった。

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生まれ育った所が異なる若者が遠く上越の学舎に集い、半年経て実現した今夜の音楽会。
リクエストした「枯葉」から、最後のカンティレンヌとダンスより「カンティレンヌ」まで精魂込められた演奏だった。

この度、どうして上越教育大学だったのですか、と三人にお尋ねしてみた。
すると異口同音に、教育大学大学院の音楽コースなら同大学が良いと知っていたので来た、と仰った。
望外の、なんとも嬉しい返事だった。

演奏

 

会場熱気が残る休憩の会場。

 

ヴァイオリン、ピアノ、サクソフォンのトリオ編成は珍しい。
きっと本人達も苦労したことだろう。
だが良い音楽を創ろう、という三人の気持ちがありありと一つになり心を打った。
そのことは卓越したソロにも劣らず素晴らしいことで、50余人のお客様から大きな拍手を浴びた。

「枯葉」と「夏は来ぬ」に出色の編曲をされ、大好評を博した後藤教授。
ご多忙の中お越し下さったお客様、いつも円滑に会場作りをする樹下美術館のスタッフの皆さん。
心より御礼申し上げます。

とても良い音楽会でした。

待ち遠しい雨は今夜降るのか 今秋11月14日(土曜)に第3回SPレコードコンサート 作之助の墓参り。 

2015年8月13日(木曜日)

なか三日お休みして更新したブログ。
その分を補って本日13日もう一記事を掲載致しました。

ようやく猛暑が一段落した盆入りの日、雲多き空から結局雨は降りませんでした。
もうどのくらい降っていないのか判然としません。
まずサルスベリとキョウチクトウだけが、我が世とばかり赤い花を勢いよく咲かせています。

サルスベリ診療所の近く、お地蔵様のサルスベリ。

午後美術館に寄りますと、当館のSPレコードコンサートで蓄音機と盤の厚い協力を頂いているS氏が来られました。

蓄音機夏の昼下がりのカフェでSPレコード。

お客様が帰られた後のしじま、聴きましょう、と持参された二枚のSPレコードを掛けました。
・最初はJ・Sバッハのやや珍しいリュート曲で、歴史的なギター奏者アンドレス・セゴビアの演奏でした。
・次がエルネスト・ブロッホ作曲のヴィオラとピアノの為の組曲からウイリアム・プリムローズのビオラによる一枚でした。

セゴビアが奏でるバッハはこよなくロマンティックに歌い、
プリムローズによるヴィオラは1900年前後のかぐわしさをカフェに響かせました。

今秋の「SPレコードを聴く会」を
11月14日〔土曜日) 18:00開演 に予定致しました。

クラシック、ポピュラー、日本歌謡の古き豊かなレコード音をどうかお楽しみください。
お申し込みは樹下美術館の窓口か、電話
025-530-4155で受付致します。 

本日聴きました二枚はとても良かったので、相談のうえ今度のプログラムに入れることに致しました。

 

作之助墓所当方で守らせて頂いている盆入りの日の小山作之助の墓。
我が家の墓所の隣にあり夕方お参りしました。

巣箱のシジュウカラ 卯の花音楽祭 カナトコ雲とほくほく線の電車。

2015年7月20日(月曜日)

昨日見られたシジュウカラの子育てに対する雀の手伝い。
今日気になり見に行ったところ、1時間ほどの間もっぱらシジュウカラが餌を運び、雀の姿は無かった。
ヒナがひょっこり顔を出し、巣立ちが近いことを知った。

1

 

用事を済ませて午後から「卯の花音楽祭」を聴きに行った。
大潟女性コーラス、卯の花合唱団(混声)、フルートアンサンブル「オイレン」、そして小学校低学年のコーラスが聴けた。

コーラスのハーモニーは情感深く胸に響く。4部を美しく響かせたのは、よほど熱心に練習されたに違いない。
スケールの大きな「夏は来ぬ」は後藤丹先生の編曲だった。
フルートアンサンブルは心地よい厚みと歯切れの良いリズムで演奏されとても楽しかった。

子ども達は文語体の「夏は来ぬ」を五番までしっかり歌った。
体の正面から明るい声が届いたのは、譜面を持たずに歌ったせいだったのだろうか。
子ども達おそるべしである。

2

 

終わって外へ出ると東方にむくむくと積乱雲が湧いていた。
雲を背景にほくほく線の電車を撮ろう考え蜘蛛が池へと向かった。

 060入道雲を背景に下り電車がやって来た。

 3およそ30分後、上り電車が雲に向かってのぼって行く。

 4発達し終えた雲は「かなとこ雲」に変わり、扇を広げたようになっっていた。

卯の花の季節 夏は来ぬ。

2015年5月28日(木曜日)

卯の花の 匂う垣根に
時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

小山作之助作曲・佐佐木信綱作詞「夏は来ぬ」の清々しさはこの時期にぴったりだ。

一帯でホトトギスの声は聞けないが、卯の花は真っ盛りとなった。

卯の花高速道路の土手で満開の卯の花。
作之助が当地の人のせいか大潟の区間に沢山植栽されている。

話変わって、本日見えた同級生の男性患者さんは若々しいブルーのチェックのシャツを着ていた。
よく似合うじゃないの、と言うと。
「孫のお古ですわ、今の若いもんは一年着るとポイだもんね」

特にお爺さんたちは、よく息子さんや孫さんのお古を着ている。
不自然でもなく似合っているから不思議だ。
女性も娘さんたちのお古で来られることがあるが、男性ほど多くはないかもしれない。

私の世代は古いものを有り難がり、10年、20年前のものを喜んで着るのではないだろうか。
夏を迎えているが、年と共に半袖を着るのが遅くなり少々情けない。

 

ヤマボウシいまカフェの前のヤマボウシも満開。
今年は特に花つきが良い。

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