我が家と明け暮れ

さよならプログレ。

2018年5月17日(木曜日)

私の愛車プログレは2005年12月に購入し、足かけ
14年乗った。
初めての3ナンバーはコンパクトで品良く目立たず、
静かに走り本当に気に入っていた。
少し贅沢をして内装をアイボリーの革張りにしてもらっ
た。

多い時には60人も居た在宅患者さん、急な往診もまま
あった。
雨の日も風の日も黙って走り、4駆を発揮し道を塞ぐ堅
雪塊に突っ込み、乗り越え患家へと走ってくれた
購入時は地元医師会の不肖会長時代、100キロ先の新潟
市の頻繁な会議へも快適に走った。

近年鳥を求めてぬかるみや雪道などで随分酷使した。
順調だった車は、昨年秋に突然数回のエンストを起こし
た。
以来調子を乱し、このたび燃料漏れ。
しかもただならぬパイプの腐食が見つかった。

雨雪の往診、訪問はできるだけ玄関に近づけたい。
14年のうちに、庭石などにコツンコツンと四隅を当て、自
分で塗装した部分はじめ、細かに見れば満身創痍の趣きに
なっていた。

この車は2007年、すでに廃版になっている。
しかし仕事を続ける限り、最後まで乗るつもりでいたが16
万キロを目前にして泣く泣く替えることに決めた。

 

IMG_0195
本日ディーラーの駐車場に居た数日ぶりの愛車。
乗って帰ってくれると思っていたに違いない。
それなの荷物を下ろしてお別れだった。

見ただけならまだまだ十分行けそうな顔だった。
もっと手入れをしてあげれば良かった。
この後、どこか遠い国へ売られるような気がした。
ずっとこちらを見ている。
ゴメンネ愛車、絶対に忘れない私の戦車。

36

 

車と別れた後、ホームセンターで柿の苗を買った。

IMG_0200

沢山肥料をすき込んで植えた。
苗はすでに幾つか花実を付けている。

私たちの旅行、食事、行き先と切手 九州人は親切で熱いかもしれない。

2018年5月11日(金曜日)

三日に亘って記載させて頂いた4泊の旅行。ご覧になった方
たちから強行軍でしたね、疲れませんでしたか、と妻はねぎ
らわれたらしい。

だが普段の3倍は歩いたが妻は全然と言い、私も足取り軽く
過ごせた。

それが何故だか分からないが、楽しかったことと早い就寝の
せいかもしれない。
あるいは効率で、長崎市内では外観を見るだけで済ませた所
が数カ所あった。
京都も東寺は五重塔、広隆寺は霊宝殿、天龍寺は庭だけとい
う風に絞り、そこではゆっくりした。
食事は熊本の先輩のおごりの店のほかは、空いている所が最優
先という簡単ぶりだった。
昔から旅に出ただけで食物を美味しく感じるし、そもそも普段
妻が家で作るものが美味しいので、時間やお金を掛けなくても
良いというのもあった(妻はメニューにこだわるが店にこだわ
る気配は無い)。

行き先のことでは、
次回京都へ行く機会があれば、宇治平等院だけでも良い、と考
えている。
まだ行った事がなく、子供の頃切手で見て以来の長いあこがれ
の場所という理由で。
2012年母の遺骨をもって佐賀県を訪ねた際、帰路、錦帯橋
に寄ったのも、子供時代に見た切手からのあこがれだった。
さまざまな情報の中で、小さな切手がもたらした大きなインパ
クトは、子供ならばこそだったのだろうか。

最後に九州の人の、人なつこさ、熱さ、といえばいいのか、以
下に二つの場面を記してみた。

●島原鉄道に乗る際の駅で。
発車時間ぎりぎりで駅に到着。妻は走ってホームへ、私は切符
売り場へ急いだ。自販機でモタモタしていると駅長さんらしい
人が走ってきて切符を買うのを手伝ってくれた。
後で妻が言うにはその人は、
「私が車を停めますけん、大丈夫です」と言って妻を乗せ、私
の方へ走ったということだった。

●博多で列車の待ち時間、妻が買い物に列を離れた時、
回りから一斉に声があがった。
「あっ、落ちた!」
「落としましたよ!」
「落ちました、落ちました!」
見ると何人もの人がある場所を指さしている。
そこに妻の上着が落ちていた。
急いだため肩に掛けていたのを落としたらしい。
間髪入れず発せられた親切。果たして新潟県でこうなるだろう
か、一瞬外国にいるような不思議な気持ちになった。

連休後半は熊本、長崎、京都へ その3・駆け足の京都 乗り物が好きなわけ。

2018年5月9日(水曜日)

昼間一日だけの京都。何処に行けばいいのか、ずいぶ
ん迷った。
旅は何泊も連泊して、その場所を堪能するものとの論
は良くわかる。

京都が好きな人なら何十回も訪ね、果ては移住まで果
たす人もいよう。
私は1951年の修学旅行(中学)以来学会など併せ
て5回訪れた。
いずれもせいぜい2泊のつまみ食いのような旅行ばか
りだった。

それがこの度は前泊の翌日一日のさらに短い観光。
結局、午前を嵐山など西部を午後は高台寺など東山の
数カ所を巡り、東西は可愛いであろう嵐電(らんでん
/京福電鉄嵐山本線,)で往来することにした。

 

1
9:00ホテル出発、まずは直近の東寺へ。
五重塔の特別拝観期間だったため、内部を拝観出来た。
心柱を守るように阿弥陀如来はじめ12体の菩薩、如来が配
置され、広い堂内には厳しく荘厳な空気が漂っていた。
真言の寺なのに大日如来が無いのは不思議だったが、心柱が
それだと知り深く納得。
拙家は真言宗(豊山派ぶざんは)で、1987年以来の東寺
訪問だった。

2
隣接地で毎月第一日曜日に行われている骨董市が立っていた。

さて初めての嵐山へ。


3
バスで四条大宮の嵐電始発駅へ、ここから嵐山方面に向った。

最初のお寺は広隆寺。

 

4
終点嵐山駅近くに太秦広隆寺駅があり、道路に面して山門が
ある。そもそも当地は京都で最も古い地域だという。
聖徳太子七寺のひとつということ、空気は澄み心地良かった。
(お堂は正面から撮影禁止となっている)

 

300px-Maitreya_Koryuji
弥勒菩薩半跏思惟像(Wikipediaから)。
諸塔端整な同寺の霊宝館で国宝第1号の一つ「弥勒菩薩半
跏思惟像を見ることができた。やや暗い館内で、12体の力
感あふれる神将像に守られて、一段高い所に安置されている。
優美な姿に初めて接し、手を合わさずにはいられなかった。
それぞれ国宝であるが、対面するように背の高い不空羂索観
音が安置され、一層室を穏やかにさせていた。

教科書で初めて接し、試験にも出たかもしれない仏像に60
年も経ってお目に掛かったが、遅かったという印象は無かっ
た。

 

太秦広隆寺駅で再び嵐電に乗車、終点嵐山駅で降りる。

 

5
嵐山の賑わい。夏の軽井沢を彷彿とさせる。

渡月橋を渡った後天龍寺へ。嵐山を借景した広大な庭は手入れ
良く、草木に丁寧な札が立ててあり、初めての植物も多く目に
した。

 

6
庭にアオサギがいた。

7
芍薬「万古の声」。優美な花が多く見られ花の寺の趣きだった。

 

9
清々した店でお豆腐料理の昼食をとった。
一帯はあまりに人が多く、2カ所の予定を省略した。

嵐電で四条大宮へ戻りタクシーで二条、木屋町通り入り口
へ。
通りを歩き鴨川へ出て、祇園白川、先斗町を歩いた。
鴨川べりを歩き過ぎて、この度の目的の一つ吉井勇の歌碑
「かにかくに碑」を見損ねた。

かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水の
ながるる

何と良い歌、良い時代だろう。
次は何時になるか分からないが、必ず目の当たりにした
い。

続いてタクシーで高台寺へ。
かって東山界隈を歩く度に横目で塀を見るだけだった高台寺。
品良く魅力的な雰囲気を漂わせるも、長く普段の公開がなかっ
た。それが平成になって公開されていると聞いていたのでこの
度は是非と思って訪れた。

12
その名の通り寺へは少し坂を登る。坂の途中から見えた通り
の程よい賑わい。

 

13
秀吉を弔ってねねがこしらえた高台寺は優しい。

 

14
大きな吉野窓が目を引く茶室遺芳庵。道の随所で竹とともにあ
しらわれるカーブも美しい。

 

15
茶室・傘亭。
昭和60年代初頭頃、この茶室を使った夜咄の茶事がNHKで
放映された。映像が素晴らしく、自分もお茶をやろうと決心、故
渡辺宗好先生の裏千家茶道に入門した。

16
帰り際の御茶屋で抹茶を服した。天目茶碗で裏千家流の点て
方で美しく出された。小さなお饅頭を頂き美味しく服した。

 

17
目の前をきもののお嬢さん達が盛んに通る。

抹茶を飲んだが近くの長楽館はどうしても寄りたい。

 

18

18'

19
ある個人の迎賓館だったという長楽館。30数年前も最後
にここへ寄って珈琲を飲んだ。

さて京都でこの旅も終わる。
東山は嵐山よりも静かだった。
長楽館に入る頃から小雨となった。

ところが、
旅の終わりに腰を抜かすほどびっくりさせられたのが京都
駅ビルだった。
写真などを見ていたが、実際見た現物は革命というほかな
かった。
設計者原広司氏の革命は壮大で未来的だが、どこか産業革
命当時への懐かしさ(親しさ)が漂うのを覚えた。

また構造があまりに社寺と反意的なのは、それによって市
中の社寺を一層明瞭化(引き立たせる)させる意図もあった
のか。

賛否はあったはずだが、私はとても気に入り、短時間だった
が、西方のてっぺんまで登ってみた(作者に導かれて)。
設計者は子供のように、どれほど楽しんでこれを作ったか
分かる気がした。
お金もかかったことだろうが、京都なら取り返せる。

 

20

21

22

出来れば再び京都と駅を訪ねたい。

 

23
22:38,帰ってきた上越妙高駅。なぜかほっとする閑散。

大好きな乗り物はさらに増え、京都市バス、嵐電、サンダーバー
ドにも乗ることができた。
マニアではありませんが、乗り物が好きなのは、満州からの引き
揚げが原因ではないか、と思っています。

大騒ぎして乗せられたトラックの荷台、大陸の客車で受けた襲撃、
真っ暗な貨車や無蓋車への乗り換え、混雑し迷い子になりそうだ
った引き揚げ船、、、。
4才になったばかりの私は終始殺気立つ気配の中で、乗り物だ
けは楽しかった事を漠然と思い出すのです。

短い旅でしたが、妙なことを思いました。

“人間(自分)は経験したことしか経験しない”
のではないか、という屁理屈です。

最後に施設や在宅の患者さん、スタッフとお客様、熊本の先輩M
氏、普段お世話になっている皆様のお陰で無事に楽しい旅行がで
きたことを感謝しています。

本当に長くなりました。

連休後半は熊本、長崎、京都へ その2・二日目の長崎市。

2018年5月8日(火曜日)

5/5長崎市は良く晴れている。ホテルの朝食後10時に昨
日お願いしたタクシーさんが玄関に来て長崎観光が始まった。

1
待っていてくれたタクシー。

2
めがね橋は楽しい風景。そういえば市内の建造物や通りの多
くに石が用いられている。
そのこともまた町に由緒ある異国情緒をもたらす一因になって
いる。

 

3
川沿いに人が集まっているのは、石垣の中にハート型のもの
があり、そこで自撮りなどをするため。

この後崇福寺、孔子廟、オランダ坂を経てグラバー園に行った。
花一杯の同園で早くもバラが咲き始めていた。

5
バラの垣。

6
グラバー園からの風景。
いつから変わったのか、その昔私はここをグラバー邸と呼ん
でいた。
1963年の夏、ある大きな団体の九州旅行があり、その医療
班に加わった。以来グラバー園は50年振りだった。

 

7
↑ルノワールの絵画に見られるような服装のお嬢さんたち。
グラバー(1841~1919年)の時代はルノワール(18
38~1911年)とほぼ重なる。
グラバーさんが仕事をした幕末~明治初期は、イギリスでは
ビクトリア女王の時代。このお嬢さんたちはじめ、多くの人が
レンタルでビクトリア調にドレスアップをしてグラバー園の春
を楽しんでいた。

8
↑園の一角にある三浦環像。
長崎を舞台にしたプッチーニのオペラ「蝶々夫人」。三浦環は、
世界で蝶々夫人を演じ、日本の音楽界に貢献した。
明るい園内でくっきりと影を作るこの像を見た途端、悲しいアリ
アがあたりに響くのを覚え、胸が締め付けられるような気持ち
になった。


ある晴れた日の悲しい願い、伝説のマリア・カラスの歌。

 

さて午後、時は過ぎて行く。
三浦環像が指差している港の湾口に橋が架かっている。グ
ラバー園の後、二日に亘って親しく付き合ってもらったタ
クシーの運転手さんに、最後にあの橋を渡ってください、
とお願いして走ってもらった。
女神大橋という名の橋だった。
橋を渡り長崎の経済を支えた三菱造船所関連の広大な地区
を回ると、二日で港をほぼ一周したことになった。

帰路の特急まで3時間弱の時間があった。

 

9
長崎美術館でタクシーを降り観光を終了とした。運転手さんに
名刺を渡してお別れした。お世話になったのはラッキータクシ
ーだった。
美術館では企画展もあったが、収蔵するコレクション展を中心
に観て回った。

 

10
水路を挟んで建っている美術館は隈研吾の設計。
イベント、学習、憩い、ショップなど多面性を考慮し、羨まし
いくらいに伸び伸びと建てられている。

同館が誇るスペイン絵画、須磨コレクションを中心に観た。
ゴヤからピカソに至る19世紀の作家が網羅され、まことに軽
やかなピカソにも出合えて嬉しかった。

12
↑ゴヤの代表的な版画シリーズの一つ「妄」から22点の展示。
人間の欲望について、その荒唐無稽さや滑稽さなどへの警鐘
が込められている。鋭い洞察と表現アイディアに感心した。
(写真は美術館のホームページから引用)

18
美術館のカフェで冷たい珈琲とホットサンドウイッチ。
樹下美術館のホットサンドも人気があるので美術館同士較べ
てみることに。もちろん樹下美術館のほうが美味しい、という
ことになった(先に結論ありきで、、、)。

DSC_0394
帰路の長崎駅ホーム、振り返るとやはり名残惜しい。

13
入線してきた特急かもめ。濃い色の車体に金のマークは中
々おしゃれ。

15
乗車してみて列車は母の実家があった肥前浜を通ることが
分かった。
麦秋。生前母から聞いていた通り、一帯で実り始めた麦畑が
傾いた陽を浴びとても美しかった。

DSC_0459
18:52博多に到着、間もなくやって来た山陽新幹線に乗車、
京都を目指した。
午後ケーキと軽食で2回お茶を飲んでいたので夕食は博多駅で
求めたおにぎりで簡単に済ませた。

新たに長崎本線特急かもめ、山陽新幹線に乗ることが出来た。

明日は休暇最後の日、急ぎ足で京都を観る予定。

連休後半は熊本、長崎、京都へ その1・羽田、熊本市、黒川温泉、熊本港、島原、長崎市へ。

2018年5月7日(月曜日)

去る5月2日夜から4泊して6日まで熊本、長崎へ行き、
京都を回って帰ってきた。

一昨年4月14日熊本地震が起こった。当時、同市中心部で
被災された大学時代の先輩にコシヒカリ60キロを急いで送
った。
医療と高齢者保健施設を営んでいる氏は、お年寄りはパンが
無理なので、米は助かった。しかも美味しかったと、大変
喜ばれた。
お礼にと、昨年ご夫婦で当地を訪ね来られ、今年は私たち
が訪ねる約束をしていた。

これまで妻とは一泊旅行がせいぜいだった。
この度は連休のため、早くから仕度をしていたが、お天気と
患者さんの様子には最後まで不安があった。

心配な患者さんは看護師が毎日電話で家族に様子を尋ね、変
化があれば訪問。何かあればこちらに連絡、対応の指示や必
要な場合の病院連絡をすることにして出発した。
ブログ(ノート)については5月1日分を記載。同夜5月3
日と5日の記事を予定投稿として予め書いた。

以下、この度のおよその行程を記させて頂きます。

5/2仕事の後、19:13の北陸新幹線で上京、品川泊。
5/3朝、タクシーで羽田へ、8:20発ANAに搭乗。
接近する低気圧で飛行場の草木が猛烈に揺れている。
30分遅れて離陸し、相当揺れたが飛行機が好きなので、それ
も楽しんでみた。

IMG_9136
↑5/3風雨の朝の羽田。

IMG_9154
途中から厚い雲が切れ、熊本は清々しく晴れていた。

先輩の案内で熊本市内の水前寺公園、熊本城、ご自宅を訪ねた。

IMG_9163
↑手入れが行き届いた水前寺公園。

IMG_9208
↑修繕中の熊本城を眺める。見えている二つの櫓だけでも如何
に美しい城だったかが分かる。

IMG_9160
↑観光地はどこへいってもくまモン関連の品があふれている。
日本ばかりでなく海外でも未だ衰えないくまモン人気は復興へ
大きく寄与しているようだ。お店の人も「くまモンさまさま」
と仰った。

IMG_9199
ぜひ観たかった市電。この場所の数百㍍は芝生を走る。

IMG_9206
↑日本文化のエッセンスともいうべえき照葉樹林文化。その照
葉樹の代表の一つ大らかなクスノキが飛行場から市内の至る所
に、もくもくと繁っている。北国には無いクスの大木を好きな
だけ見られて、すでに十分幸福だった。

IMG_9230
↑途中数カ所、阿蘇の外輪山から巨大なカルデラを見る。しま
なみハイウエイなどを経て休憩も入れおよそ2時間で黒川温泉
着。

IMG_9294
黒川温泉の宿「のし湯」の廊下と灯り。

IMG_9319
数え切れないほどの山海の妙味の皿が、よい頃合いで続いた。

 

若き日の部活の思い出、地震のことなど遅くまで話をした。
一時病院では何組もの被災者の方達の面倒をみたという事だっ
た。
届いたお米が役に立った、ということを嬉しく聞いた。
熱い温泉に二度入ってぐっすり休んだ。

5/4朝、黒川温泉→熊本港へ。昼食後、ご夫婦とお別れし
熊本フェリーに乗船、島原に向かった。

 

IMG_9389

 

IMG_9409
約一時間で遠かった雲仙普賢岳が迫り、島原港へ着く。

島原でタクシーに乗り、島原城と武家屋敷通りへ行った。帰り
は朗らかな運転手さんに聞いた通りの道順で歩いた。

IMG_9477
↑高い石垣の島原城。場内にキリシタン資料館があった。
遠藤周作の「沈黙」ほかキリシタンものは昭和50年代に読ん
だ。
生活と信仰、その深さと情熱、そして迫害。現実の地に来て深
い感慨を覚えた。

IMG_9423
400㍍に亘って続く武家屋敷通り。中央に当時の生活用水をま
かなった水路が続く。水は澄んできれいだった。

IMG_9442
↑何軒か昔のままの内部が公開されている。通りには現在住んで
いる人の家もある。

IMG_9435
柑橘類の葉に取り付いていた二羽の黒いアゲハ蝶。

IMG_9478
↑島原駅から乗車した島原鉄道の列車。小一時間で歴史的干拓
の地、諫早へ着く。途中干潟や大きな堰と思われる構造物が見
えた。
満員だったが、途中から座れた。相席の人にどこからですか、
と聞かれ、新潟県です、と答えるとびっくりされた。
以後九州では、同じ事を聞かれるたびに同様の反応をされた。
遠く海外から沢山人が訪れているのに、新潟県からというと、異
常にびっくりされる。わが県はインドやフランスよりも遠いのだ
ろうか。

IMG_9507
諫早で長崎本線の特急「シーサイドライナー」に乗り換え、長
崎駅へ。

 

IMG_9509
↑長崎駅から乗った新型タクシー。扉が開くと下からステップが
出てくる。座席は足がゆっくり伸ばせるほど前後が広く、トラン
クスペースも十分だ。オリンピックに向けて全国で新型化が加速
するらしい。

長崎では、まず港と市電と夜景を見たいと思っていた。
港の対岸、稲佐山のホテルまでタクシーを頼み、途中港へ寄っ
てもらった。

 

IMG_9525
埠頭にあった役目を終えた巨大なアンカー。

夕食はホテルのシャトルバスで市街へ下り、市電で中華街へ
行った。

 

IMG_9549
一つ電車を間違え、乗り直した。運転手さんたちは皆親切。

 

IMG_9556
↑あこがれの市電。降り口は前にあり、停車の度に真ん中を
開けて、とアナウンスされる。幅の狭い電車は混雑していた
が、何とか前へと出ることができる。

IMG_9560
中華街で私はスープビーフンと餃子、妻はチャンポンと餃子
を頼んだ。時代は進み世の中は何でも美味しく作られている。
後はどんな時に、誰と食べるかが大事ではないかと思ってい
る。小さな月餅を買ってシャトルバスでホテルに帰り、部屋で
食べた。

IMG_9571
長崎の夜景もあこがれ。

長崎駅から世話になったタクシーの運転手さんは、良い人だ
った。翌日の市内観光をお願いしたいと言うと、コースと料金
を説明してくれ、誠実な人だったので10時迎えの約束をした。

大観光地だけあって、人はみな人なつこく親切。
偉そうにしたがる土地では観光など、絶対に無理だと思った。

北陸新幹線、山手線、都内タクシー、ANAジェット機、先輩の
高級車、熊本フェリー、島原のタクシー、島原鉄道、JR長崎
本線特急、新型タクシー、ホテルシャトルバス、長崎市市電
と、二日間で13もの乗り物に乗れたこと、さらに2万8千歩
を歩いていたことも満足だった。

前日に続いてぐっすり休んだ。

 

春耕の吉川区でいとこの法事。

2018年4月28日(土曜日)

今年三月上旬に小生のいとこ頭の女性が逝去した。
上越市は吉川区国田の善徳寺の坊守をされた才媛
だった。

雪の本堂で行われた通夜からはやくも四十九日の勤
行要が春爛漫の本日午後、善徳寺で行われた。
5人の僧侶による思い込められた阿弥陀経が唱えら
れると、亡き人が遠くへ逝ってしまった実感を覚えた。

吉川区の田はすでにならされ、水が入り始めている。
美術館周囲よりずいぶん進んでいて驚いた。

 

IMG_9063
正面に尾神岳。一帯の田は何とも気持ちの良い眺め。

 

 

IMG_9068
見事なドウダンツツジがある善徳寺の庫裏。

 

IMG_9077
勤行が終わって出ると、辺りの風景は淡く軟らかで素晴
らしい眺めだった。

賑やかになる野鳥の訪れ 美しい山菜。

2018年4月16日(月曜日)

春の歩みが強まり、庭の水盤が鳥たちの人気になりつ
つある。以下本日昼、美術館に寄って出合った鳥。

1
ホオジロのカップル。

2
↑水を浴びるホオジロ。

3
水浴びが大好きなヒヨドリ。

4
↑珍しくムクドリも来た。ヒヨドリとともに普段喧しい者同士
の鳥が、水盤では大人しくしていた。

 

以下水盤の近くにいた鳥。

6
一昨日のジョウビタキ。冬鳥と言われるがまだ居る。

スタッフが毎日水を替える水盤は野鳥にも嬉しいらしい。

 

 

7
ため息が出るほど美しい山菜を頂いた。

長年お年寄りを介護されているお宅から毎年頂く山菜。
介護の歳月は次々新たな出来事があり、大事業に匹敵
する。

いえ、相手がだれであっても、誰かと長く一緒に暮らす
のは大事業ではないだろうか。

意外にも本日ゴルフが出来た。

2018年4月15日(日曜日)

一昨日から二日に亘り本日ゴルフがある日曜日のお天気
について心配して書いた。

発達する低気圧の通過に伴い暴風雨が予想され、降水確
率はずっと90%が続いていた今日の空。
昨夜のノートではもう駄目、楽しみにしたゴルフは中止
の止む無し、と諦めて書いた。

ところが起床時に雨音はなく、集合した8時半ころ風はや
や強かったものの難なくスタートした。プレー中に傘を差
すことも無く、14人のコンペが終わってみれば成績は三
位だった。

 

1
本日の米山水源カントリークラブ。三番ティーからホテル
(クラブハウス)と朝日池を振り返る。
予報の悪天候を聞いてキャンセルされた人が多かったようだ
が、私たちは全員参加した。

 

2
午後2時20分ころのティーグラウンド。

低気圧は夜間に北上し、プレー開始の9時近くには中心
が青森付近まで行っていた、というのが本日の気象だっ
たらしい。
そのほかプレー中、偶々ゴルフ場一帯に雨雲がかから
なかったという運にも恵まれたのだと思う。

ゴルフ以外あまり顔を合わすことが無くなった旧知の皆
さんと過ごすのは楽しく、とても貴重な日だった。

若い四人組のお客様 夕は親しさつのるお別れ会。

2018年3月24日(土曜日)

春雨そぼ降りまた上がる、というような日
中。4人組の若い女性のお客様が見えた。
美術を勉強されている様子で、絵画、陶芸
とも熱心にご覧になった。

1

2'

カフェでは壁面の篠崎正喜さんの「午睡」を
楽しみ、めざとく松本俊介の画集を見つけた
り、絵本を眺めたり、全て熱心だった。

2

IMG_8864

3


お茶の後で庭に出ると、根を出し始めたどん
ぐりに夢中、好奇心一杯、若さ一杯のお嬢さ
んたちでした。

ブログに出します、といって撮らせて頂きま
した。来て頂き、とても喜んでいます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夕刻、ある方のささやかな送別会があった。

IMG_8569
筍メイン、旬揃いの料理は心に残った。

上越市が誇る美味しい岩の原ワインが
開けられた。

IMG_8566
斎藤尚明さんの華麗な椿があしらわれた
スパークリングワイン。

IMG_8572
重厚な生誕百五十年ワイン「善兵衛」

真剣にまた楽しく過ごした人との別れの会。互
いの思い出を語り、幕末の裏話や歴史を動かす
大災害、あるいは私が全く知らない人達の興味
深い話に時の経つのを忘れた。

いまわの際は、再会を約束し爽やかに手を振り
あった。

聴いてみないと分からない 分校小学校クラス会 発電所の夕暮れ。

2018年3月10日(土曜日)

今夕小学校3年まで通った分校のクラス会があった。
毎年ノートに書かせて頂いたいるクラス会は旧潟町村
(現上越市大潟区潟町)で昭和23年に分校の1年生
になった者たちの会で、延々と続いている。

本日幹事の報告では現在26名が残っているという。
入学時に50名はいたので、70年経って半分だけ残
ったことになる。
そのまた半分の12人が集まった。
生きながらえたのは、ひとえに運が良かったのと親の
産み方のお陰以外無い。
そしてF君、Mさん、T君、、、ら早世した同級生の顔
が必ず浮かぶ。

IMG_8087

今夕、ある方から聞いた話から、あらためて人と家族に
歴史あり、を思わずにはいられなかった。

祖父は神奈川県で特高、それを嫌った父は終戦後、共産
党員になり、こちらの地元で新聞を発行した。
その夫を早く亡くた母は失業対策事業に出るようになった。
ある日、母が道路工事をする現場を見て涙があふれた。
ある夜は窓を開けて星を見ながら泣いた、と。
後に私はそのお母さんを看取っていたが、そのような話
など全く知らなかった。96才まで認知症もなく、しゃ
んと生きられたお母さんだった。

いつも明るい人からこんな話を聞き、ああ分校小学校のク
ラスに歴史ありを思った。

またT君は、俺たちのメシなんて、サツマイモの回りにち
ょびっとご飯つぶがくっついているだけだった、と話した。
細かく切ったサツマイモがおかゆに浮いていたのは自分も
食べた。
今思えば悲しいが、当時はそれで嬉しかったのではと思
う。
いえ、思えば大勢でかゆをすすったのが、なにか幸せな
光景としてよみがりさえする。

だれ一人自己責任だのマキャベリズムだのポピュリズムだ
のと、生意気を言う人もいない、幼少において裸足で駆け
ていただけの者たちが集まる、どこか愛おしいクラス会だ
った。

IMG_8085
集まりの前に撮った火力発電所の夕暮れ。
そばで若い女性がシャッターを切っていた。
うまく撮れましたか、私は大した写真になりませんでした。

 

IMG_8004
本日朝日池はマガモの雌の意外な落ち着き。

2018年6月
« 5月    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

▲ このページのTOPへ