美術・音楽・文化

妙高市のオペラ景虎。

2018年12月9日(日曜日)

本日妙高市文化ホールで午後2:30開演のオペ
ラ景虎を観てきた。
戦国時代の人質、養子同士の跡目争い、逃避行、
自害、、、上杉三郎景虎の短い人生は悲劇的だ。

 

181209妙高オペラ景虎

2009年、大河ドラマ天地人ではすっかり景虎に
思い入れてしまい、景虎最後の放送日の昼間、自
害の鮫ケ尾城へ行った。
山城の鮫ケ尾城跡本丸辺りは、谷を背にかなり急
峻で、ここに追い詰められたら後が無い、という
地形だった。

本日のオペラも景虎の人生の悲しみと幸福が、時
に残酷に、時に美しく歌われ演じられた。
座席は二階のかなり奥だったが、男性ソリストは
広い場内をそのまま歌声に変えるほど迫力があり、
女性が訴えた悲しみと気概に心打たれた。

狂言回しというのか遠山家光の設定も良く、複雑
な歴史物語を上手く繋ぎ、かつ今日へと橋渡した。

動きの多い芝居の中で最も印象的だったのは、白
装束の子ども達が群舞する場面だった。
幼い三郎が白帆の舟のオモチャを掲げて幸せそう
に舞台を駆け回る。
その三郎に大勢の子どもたちが白波のごとく動い
て続いた。
この劇には“海に消えし夢”のサブタイトルがある。
誠に個人的な解釈だが、
越後の厳しい冬の海から故郷小田原の陽光の海
へ。
憧れるように逃避を試みる景虎の運命と対比され
る象徴的で秀逸な場面ではないかと思い、こみ上
げるものがあった。

今夜、だれよりも天の景虎と華姫、そして道満丸
が幸福だったに違いない。

プロと一緒、地元70余人の合唱団の皆様の熱演も
素晴らしかった。
厳しかったであろう練習の成果が見事に実ってい
ました。
台本、作曲、演出、監督、美術、照明、衣装・メイ
ク、合唱指導、景虎メモリアルオーケストラ、役者
さん。
皆様ご立派でした。
満員の千余席から沢山のブラボー、本当にお目出度
うございます。

楽しかった週末。

2018年12月2日(日曜日)

それなりに仕事をし、それなりに生きている人生。
そんな日頃にあって今週末を楽しませてもらった。
昨日土曜日は懐かしい先輩旧友5人と偶々新潟に集ま
った。

むかし話、亡き人のこと、越後の食と酒、1960年代の
ジャズとウッドベース、抱えた身体のこと等々話した。
まれなこととて柳都の芸妓さんにも来てもらった。

 

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若く感じよいこの人は姐さまの三味線で新潟小唄、十日町
小唄、そして髙田の四季まで舞ってくれた。
急な幹事をして頂いたIさんには大変お世話になりました。

そして本日昼、昨日の遠くの先輩旧友が樹下美術館まで来
てくれた。
しかも、来年また来るという、何という友情.。
展示や庭を観てもらい、カフェで食事の後、北陸新幹線は
我が「上越妙高」駅まで送って別れた。

夕刻はSPレコードを聴く会だった。

 

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私は伊藤久男とダイナショアの歌、それにグレンミラーを
掛け、S氏がリパッティとバックハウスのピアノ、カザル
スの「鳥」などを掛けた。

 

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最後は氏持参、ビングクロスビーのホワイトクリスマスの
正味一時間、皆様と楽しく過ごした、
鬼が笑うけれど、来年のSPレコードの会はシャンソンでい
きましょう、という事になった(あくまで予定です)。

“K先生、お誕生日おめでとうございます”
“スタッフの皆様、有り難うございました”

12月2日開催手回し蓄音機で「SPレコードを聴く夕べ」のプログラム。

2018年11月29日(木曜日)

11月もあとわずか。
負け惜しみで“まだまだ一日ある”と言いたいところ。
樹下美術館の催し以下の「手回し蓄音機でSPレコー
ドを聴く会」もいつしか迫りました。
暖かな会になればと思っています。

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以下に当日のプログラムを掲載致しました。
前半4曲は戦後歌謡とスイングジャズ。
後半は名演奏家の心に沁みるクラシックの演奏です。
あたかも演奏者が現れるような不思議なリアリティ。
今からでも構いませんので、参加ご希望の方はお電
話下さい。

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齋藤尚明さんが仕事場展示室で作品展 孫のお土産、修学旅行。

2018年11月21日(水曜日)

一昨日ご自宅で催されている齋藤尚明さん(二代陶齋)
の作品展に伺った。
自宅といっても隣接する仕事場。そこに設えられている
展示室が会場だった。
最終日だが期間中随分賑わったとお聞きし嬉しかった。

白磁、青磁、色絵、唐津など多彩な作品がくまなく展示
されている。
先代がこしらえたその建物は非常に趣味の良い民芸風
な設えで、誠に良い具合に作品を引き立てている。

何度ここへ伺ったか数え切れない。いつも長話をして
気がつけば深夜になっていた。
麗しいこの場所での作品展は誠に良いアイディアだった。

 

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色々迷ったすえ向こう正面の青磁面取り水指を選んだ。
折々の茶席を穏やかで澄んだ雰囲気にしてくれそうな頼
もしい作品だった。

 

ところで孫の一人が学業のことで上京し、お土産とて本日
マカロンが届いた。

 

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クリスマス向けのパッケージだ。
Sちゃん、楽しく美味しいお菓子をありがとう。
どうかこれかれも一生懸命頑張って下さい。

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そして過日は京都へ修学旅行に行った別の家の孫から八
ッ橋を頂戴した。
ここの家は次々と関西へ修学旅行へ旅立ち、決まって八
ッ橋が送られてくる。
1951年という大昔の中学時代、自分も修学旅行で京都へ
行った。
その折に八ッ橋を食べて大好物になった。今でもニッキ
の香りがするこの固い板の方を喜んでいる。

私ごとで恐縮だが、自分の修学旅行も関西で、京都の宿
で鑑賞した舞妓さんの祇園小唄の踊りと唄が忘れられな
い。三味線と唄に耳を済ませ穴が空くほど舞妓さんを見
た。
舞妓さんは髪飾りが印象的だったが、全体の装いは地味
だったような気がする。
宿は髙田旅館で、東本願寺のすぐそばだった。
当時はお米持参の修学旅行だった。

旅行のしおりには、法隆寺の要点として各塔頭の「卍崩
し組子入勾欄」を見ることなど、全くもって専門的な細
部が図入りで書かれていた。
レポートもこのような事を入れなければならず、とても
苦労した覚えがある。
中学生の修学旅行で舞妓さんを呼んだ事といい、新潟大
学教育学部附属髙田中学校という、長い名の学校は何事
もユニークだったと思う。

もうひとつ修学旅行といえば、お土産がある。
京都は清水焼が有名だと、前もって聴かされていた。
是非とも良い湯飲みを買って帰り、父を喜ばせたいと張
り切って土産屋に行った。
店にはあふれるほど器があったが、どれもこれも違う。
慣れ親しんだ齋藤三郎さんのような品は皆無だった(当然
ですが)。
それでも父に褒められたくて、なんとか一つ選んだ。
どんなものだったか忘れたが、遠くにお寺が描いてあった
のか。
帰宅すると父は笑い、自分で使ったような気がする。

ついつい長くなりました。
R君ありがとう、とても美味しく頂きました。
R君もどうか頑張って下さい。

若者たちには希望とともに試練が待っている。
課題に対する興味と集中心を願ってやまない。

東西遠方からの人。

2018年11月20日(火曜日)

本日村上市の帰路と仰る大阪の女性がお見えになった。
小山作之助に興味を持たれている方で、このたび二度
目の来越だった。
当地でコーラスをされるSさんが案内された。
拙家は作之助の母の実家にあたる。
診療が終わる時間、お寄りになり昼休みに作之助の墓
をご一緒した。

その後直近の大潟町中学校に併設された作之助の胸像
とそこの庭をご覧になり校内の記念室に伺った。
音大のご出身で、こどもの音楽に携わられるなか、唱
歌運動の礎である作之助に興味をお持ちになっている。
越後から徒歩で上京した作之助の志への共感を口にさ
れた。
資料室では明治前半の音楽指導書に目を止められた。
古来の日本音階から西洋音階へ、子ども達がどのよう
に教えられていたのか、確かに興味深いことだ。
時間が来て、大阪への帰路を急がれるのを見送った。
すらりとした人だった。

そしてその後、東京都町田市からY氏が来館された。
今春開催した塩﨑貞夫展の際お見えになった方だ。
生前、塩﨑画伯はある時期に焼き物もされ、作品集
で拝見したことがあった。
塩﨑氏と親しかったY氏は絵画とともに焼き物作品も
所有されている。
このたびは抹茶茶碗を持参してのご来訪だった。

拝見したお茶碗の実物は素晴らしかった。

 

1
鉄釉茶碗。
黒に焦げ茶がほんのり混じり、上品な古色の風合いが漂う。
薄手な作行きが何とも言えずお洒落だった。

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灰釉茶碗。この碗も薄さ加減が良い。うっすらと釉薬の垂
れが景色になっている。口縁のゆっくりした山道も穏やか
だ。

 

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灰釉であろうか、上掲のものと異なる鉄混じりの灰ぐすり
が掛かっている。
正面の素朴な絵は山か、向こうの見込みが同じ鉄色を帯
びている。茶碗が置かれているふくさは、パッチワーカ
ーが古い着物をほどいて、こしらえたものだと仰った。

茶碗はいずれも腰から高台にかかる部分が潔く削がれ、真
横からの眺めも気持ちが良い。
こんな茶碗を画家が作るとは全く驚きである。己の審美眼
に任せ何度も試行錯誤されたに違いない。
一つに秀でる人は何を作っても味わいを外さない。
シャイで多弁だったという塩﨑氏。その人に見込まれ可愛
がられたY氏は、ごく一般的なサラリーマンだったという。
魚心あれば水ごころ、、、。
人の道も芸樹のそれも、お金だけでつながるものではない
ことが、ちゃんと具現されていて何とも頼もしかった。
そしてお菓子を食べる時に取り出された菓子楊枝がまた素
晴らしい。
根本曠子(ねもとひろこ)さんの楊枝だ。
根本さんは芸大出の漆芸家で切貝の優品を作られる。

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同じ茶や菓子でも、どんな人とどんな器で、どんな風に飲
食するかで美味しさや有り難みが異なる。
余計な出費を切り詰めれば、自分なりに満足のいく美的
生活を創り出すことができることをY氏が現している。
もしかしたら金にあかせるより、楽しい世界かも知れない。

美味しい茶菓子を持参され、居あわせたお客様達と頂き、
それぞれの茶碗で晩秋の庭を見やりながら茶を服した。
新幹線→在来線「さいがた」駅下車の道中でこられた。

大阪と東京の人。
お二人ともまた来たいと仰った。
有り難うございます、心待ち致します。

昨日ウラディミール・アシュケナージ指揮アイスランド交響楽団、そして辻井伸行さんを聴いた。

2018年11月19日(月曜日)

昨日夕刻は長岡市立劇場でアイスランド交響楽団の演
奏会があった。
指揮のアシュケナージ、ショパンのピアノコンチェル
トの辻井伸行さんとビッグネームが揃い、大きなホー
ルは満席だった。
同公演は川崎をスタートし、東京、福岡、岡山など12
会場を回るツアーで、長岡市はファイナルだった。

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以下は当日のプログラム。
1曲目:シベリウス〈カレリア〉組曲 作品11
2曲目:ショパン ピアノ協奏曲第2番ヘ短調 作品21
3曲目:シベリウス 交響曲 第2番 ニ長調 作品43

ショパン、シベリウス、アイスランド、、、。
ヨーロッパの東と北、、、。
風土は厳しくも美しい国々であろう。
そして人は我慢強くまた暖かではないのかと、演奏
中ふと雪国の自分たちのことが重なる瞬間があった。

辻井氏のピアノを聴くのは三回目、特にこの度のショ
パンは堂々たるものだった。
氏のアンコール別れの曲は大切な時間を愛おしむよう
に丁寧に、一種決意を告げる如くゆるぎなく演奏され、
不覚にもまた泣かされた。

オーケストラによるシベリウスの二曲は初めて耳にした。
時に囁き、時に唸る、変化に富んだリズムがまず心地良
い。
それは作曲者と指揮者、演奏者の郷里に吹いている風
であり、海や川辺の波や人々の踊りなのか。
そこに軽やかなメロディがロマンティックに重ねられ、
時に強烈な光と影が投入される。
100人のフルオーケストラの知性と情熱の音楽は晩秋の
ホールを澄みわたらせ、懐かしげに振るわせた。

オーケストラのアンコール曲はシベリウス〈悲しみのワル
ツ〉、と終了後のホワイエに掲示された。とても良い曲で、
ゆっくり膨らんだ情感は霧のような静寂で終わった。

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終了後のステージで団員たちは握手し合い、ハグし、接
吻し、とても良いファイナルの光景だった。

オーケストラの母国アイスランドの人口は33万余だと
いう。上越地方三市に柏崎市を加えたくらいの国という
ことか。
それがとても上質なオーケストラを有していることに驚
きを禁じ得なかった。
ちなみにアシュケナージは夫人の故国であるアイスラン
ド国籍を得ていると聞いた。

会場で燕市の後輩、糸魚川市の同業ご夫婦と出合った。
大きな会場の小さな出来事だった。

庚申塔その4、柿崎区は猿毛の庚申塔、すずきせいこさんと出合う。

2018年11月18日(日曜日)

6月からの石塔マイブームはまだまだ終わりそうもない。
二十三夜塔と庚申塔では、浦川原は顕聖寺(けんしょう
じ)、柿崎は楞巌寺(りょうごんじ)の各門前、そして三
和区のとある神社を訪ね、それらを当ページで紹介させて
もらった。
以後板倉区福王子や山寺および柿崎区は小村峠と猿毛集
落も訪ねた。

本日は小村峠と猿毛で見聞した石塔を記してみたい。
一帯の庚申塔について、今はなき大先輩である笹原作二
郎医師が「柿崎町黒川筋の庚申塔」という一文を当地の
医師会報に書いておられた。
昭和59年のその会報は手許になく、医師会から取り寄
せると4ページに亘る紹介文と6葉の写真が載っていた。
先生は写真に優れ、県展で特選されたこともあった。

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昭和59当時の庚申塔が載った医師会報記事から冒頭の
2ページ。
モノクロ写真はドキュメント性を引き立て、石塔は魅力的
であり、在りし日の先生を思い出して胸熱くなった。

すぐにでもこの写真のところへ行きたい。
まずは去る木曜、午後休診日に猿毛と小村峠へ向かった。

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小村峠への道すがら。鮮やかに色づいた山とススキが
美しい。

 

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峠からの眺め。眼下に柏崎市西部の集落が。
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↑峠の高台にあった二十三夜塔。幅2メートル近くあろう
という巨大な石塔(もはや岩石)だった。
30年ほど前、ここにあった5,6軒の家はおよそ10年で
半分ずつ減って、いま全戸が無くなっていた。
残った大きな石塔は、二十三夜の下弦月の晩に女性達
が集い語り合った夜があっことを、なにより誠実な住民の
暮らしがあったことを如実に物語っている。
それは石塔が果たしている重い役割であるが、江戸期に
置かれた石は、“まさか自分一人になろうとは”と呟いて
いるのではなかろうか。

その日の帰路、猿毛(さるげ)に寄った。

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紅葉の山に囲まれた赤屋根が印象的だった猿毛集落の一部。

 

4'
道沿いで見た庚申塔。力強い青面金剛(しょうめんこん
ごう)は六臂(ろっぴ;六本の腕)。
お猿さんは中央に一匹、耳を押さえているのか、左右に
もいるようだが、はっきりしない。

そして本日、先掲の医師会報を持参して再度猿毛を訪ね
た。
先回は東側から入り、この度は西から入ってみた。

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この辺りで60才くらいの方にお会いし、会報の写真を見
て頂きながらて話を聞いた。
男性は軽トラに積んだネギを納屋に降ろしているところだ
った。
会報の写真を見ると、“道路補修によって今ここには無い
がすぐ近くに移してあるよ”と仰った。
有り難い。
今年のネギはどうでしたか、と訪ねると「良かったかな」と
笑顔で仰った。

石塔は本当に近くの良い所にあった。

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きれいに並んだ石塔群。手前は大きな二十三夜塔!二番
目に庚申塔。
記念碑を手入れ良く保存することは、それを残したかって
の住人の願いを大切にすることであり、山間の人びとの愛
郷心とその篤さが心打つ。

行政は各地域を総括する親あるいは子孫の代表機構であり、
他に代えがたい存在意義がある。
文化都市を謳うなら、先人を尊ぶ事業の一環として各地の
民の生活史である石塔や諸石仏を文化として手厚く保護し
紹介する義務を負っているのは論を待たない。

 

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先輩医師が撮ったものと思われる青面金剛の庚申塔。
金剛の六臂と三猿がかなりしっかり浮き出ている。
十像十色、それぞれに特徴があって面白い。

猿毛から樹下美術館に戻ると女性がお茶を飲んでおら
れた。
糸魚川市からこのたび開催された上越市の名家巡りに
来られたという方。最後の頸城区森本の白田邸の帰り
に寄った、と仰る。

お話するうち、小生がよく見るブログの筆者すずきせ
こさんだと分かった。
まさかである!
とても知的な方だ。
以前にも当館のことをお書き下さっている。
クラウドの人が眼前にいる不思議さと嬉しさで胸弾
んだ。

沢山お話したかったが、長岡市のコンサートに出かけ
る時間が迫った。
アシュケナージ指揮アイスランド交響楽団と辻井伸行
さんのピアノが聴けるコンサートだった。

忙しい午後は長生きして良かった日になった。
コンサートのことは明日の予定にしてみます。
ついつい長くなってしまいます。

魚沼行きその4 雪囲い開山堂の雲蝶、お土産。

2018年10月31日(水曜日)

10月最後の本日は、風強く驟雨に見舞われ気温は下が
った。
二件の在宅回りでは一瞬パチパチとアラレ風なものが降
った。

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午後に短時間掛かった虹。

 

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在宅回りの空。
さて三回も続いた魚沼行きの記載は本日最終回。このたび
ちゃんとまとまるのか心配だ。

 

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前回は毘沙門堂でこの方に庚申講を聴く所で終わった。
明晰な人で、妻は電話番号などを渡し、是非樹下美術館へ
遊びに来てと言った。

昔から昭和10年代まで長く行われていたらしい庚申講の習
わしは、二十三夜の月待ちに劣らず興味深く、後に触れる
ことが出来ればと思います。

少々時間をオーバーした後、石川雲蝶彫刻の西福寺へ向か
った。
魚沼見物は上手い具合に目的地が連なり、何十分も車を走
らせる事なくほどほどで到着する。

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西福寺本堂と火頭窓。

 

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左の開山堂と本堂の位置。

 

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開山堂は豪雪への雪除けとしてこのようなしつらえに
してある。
決定まで曲折があったに違い無いが、歴史的建造物を
守るのに正解だったのではないだろうか。屋根の守備
が最大の課題だったという。

開山堂の雲蝶は彫り色彩とも息を飲むばかりの迫力だ
った。今様にいえばクレージー、彫って彫って彫りまく
る凄まじさである。
9月掘川紀夫さんに連れ行ってもらった奴名川に於け
る削りと彫りの作品は雲蝶からのインスピレーション
ではないのかと、ふと思った。

彫刻作品は当寺院の貴重な財産。撮影不可は仕方無い。
ショップで写真集を求めた。

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雲蝶の本。トミオカホワイト美術館のものと樹下美術館書
棚に並べました。

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西福寺のお土産、とち餅を茶店で一つずつ食べた。

さて火頭窓の寺院と路傍の二十三夜塔への寄り道などで時
間が無くなった。
最後の予定地である堀之内の永林寺はこの度省略して帰路
に就いた。
西福寺から小出インターは近く、高速道路で帰った。

思えばこまごまとして忙しい魚沼行だった。
気がつくとこの日昼食を食べてなかった。

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夕食は大潟区のピザ屋さん「ココビーンズ」に寄った。
サラダとビザをことのほか美味しく食べた。

以下はお土産です。

 

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西福寺から越後上布をあしらったしおり。

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同じく西福寺で孫が喜びそうなコーラ。

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 雲洞庵から般若心経が書き込まれた念珠。

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西福寺の鈴のストラップ。かすかにシャリリリ(捨利利利?)
と鳴る。

ようやく魚沼のことが終った。見聞は同地のごくごくわずか。
ただ名刹と観光トンネル、それにロープウエイは観光バスと
マイカーでごったがえしていた。
八海山ロープウエイを予定していたが、行列をみて即止めた。
終わりに、一帯の風土に深々と漂う信仰の空気は得に言われ
ぬものがあり、身を置くだけで心地良い浄化を感じた。

道中で見聞した庚申講のことは後に触れてみたいと思ってい
ます。
お読み下さった方に感謝致します。

る魚沼行きその3、トミオカホワイト美術館、火頭窓、二十三夜塔。

2018年10月30日(火曜日)

一泊二日の魚沼行き。ノートに連ねて三回目になった。
駆け足ぶりが如実に現れ、少々恥ずかしいが本日その
3とさせていただいた。

日曜午前は雲洞庵で過ごし、その後トミオカホワイト美
術館を目指した。
魚野川の右岸国道291号を走ると道すがら寺院が目に留
まり、しばしば火頭窓の設えが見られて満足だった。

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南魚沼市は美佐島の大久寺。

 

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同市下原の西珠院。二寺いずれも火頭窓が爽やかだった。

さて丁度正午ころトミオカホワイト美術館に着いた。
有名な美術館だが不勉強がたたり、この度が初入館だった。
かつて昭和50年代の半ばに富岡惣一郎氏の作品展が地元
大和デパートで催され、見たことがあった。小品をと思っ
たが高価で全く手が出なかった。

求道者のイメージで描き続けた氏の作品は今どきの賑や
かな絵画を見慣れてしまうと、深閑としてハッとするほど
懐かしく、かつ不思議と新鮮だった。

 

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館内撮影出来ず作品図録を求めた。

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八海山の眺望が素晴らしい。

目的地、浦佐の毘沙門堂に向かって再び国道を北上する。
以下いずれも走行中目にして撮影しました。

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同市薬師堂の長福寺。

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同寺のオオマユミの実(上)と二十三夜塔(下)。

 

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南魚沼市は六万騎城という場所の地蔵堂。

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やや文字が判然としませんが、地蔵堂の二十三夜塔。

以後、道中こんなにあるのかと驚いたほど次々に二十三
夜塔と出合う。

 

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塔や塚は地域の整備事業や廃寺を機に沿道にまとめられ
たものも少なくないと聞いた。上越市で見た幾つかのも
のに比べて皆大きく立派だった。

午後二時半過ぎに浦佐は普光寺・毘沙門堂に着いた。
毎年正月3日の「裸押合大祭」で知られている。
一帯では神仏の催事が多く伝えられ独特の風土イ
ージ
がある。

まず仰ぎ見る重厚な山門はじめ幾つかのお堂が配置され、
見事なケヤキの巨木が随所に見られる。

 

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毘沙門堂は古く、9世紀初頭に坂上田村麻呂によって創建
されたという。寺院の普光寺は江戸初期に建てられ、諸堂
と回廊で結ばれている。
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山門の天上に谷文晁筆による二面の龍図が描かれている。

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山門はじめ諸堂は回廊でつなげられている。

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古山門(太子堂)にひっそりとあった火頭窓。境内にある
お堂の中で最も古いものという。説明書きによると、江戸
初期に髙田城主松平越後守が修繕したとあった。

 

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普光寺境内から西(左)の眺め、正面に千手院が見える。二
つの流れが落ち合い、苔むして如何にも古い景観。石段は
洗い場に続いていたものか。
神仏とともにある悠久を感じさせる一帯に生まれ育った人を
羨ましいと思った。

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片隅に庚申塚などと共に大小二基の二十三夜塔があった。
二つ並ぶのは珍しいかもしれない。

この日、境内で盛大な菊祭が行われており、年配の女性が案
内役をしていた。
その方に塔や塚について尋ねたところ、二十三夜の月待ちは
知らないが、庚申待ちは知っていると仰った。

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女性の話をメモしている妻。庚申講の食事について聴いて
いる。

さてここまで記載してきたが随分時間を費やしました。
たかだか県内の一泊ドライブ。皆さまご存知の場所を斯くの
んべんだらりと書き連ねてしまい恥ずかしく思います。

申し分けありません、魚沼のことは後一回書いてお終いにし
たいと思います。

魚沼行きその2、あこがれの 雲洞庵。

2018年10月29日(月曜日)

昨日は魚沼行き初日、土曜日午後を記載させて頂いた。
ホテル「ダ・フェールイン六日町」ではぐっすり休み、朝
食バイキングを摂ってこの度の目玉である 雲洞庵を目指し
た。

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十分な朝食(妻の分)。

 

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出てすぐ快晴の魚野川を渡る。ホテルはもともと川沿いの
旅館を改装したばかりだったという。

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さっそく沿道に現れた二十三夜塔。大抵庚申塚などと共に
置かれている。開発で元の場所から移動してきたものもよ
くあるようだ。

この春替えた車のナビが優れていて無駄なく目的地に着く。

 

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9時半前に到着。丁寧な庭掃きを目にした。

 

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美しく刷け目が施された大きな香炉(常香炉じょうこうろ)
に蝋燭とお線香を上げた。

 

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少し誇張すれば、夢にまで見た火頭窓が眼前にずらりと10
窓も並ぶ。窓はそろって半開され誠に爽やかだ。

どういう訳か建物の細部に目が行ってしまう。

 

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本堂の釘隠し。

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同じく釘隠し。これは水仙に見えた。

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禅寺らしく簡素な欄間。最初の釘隠しに似通っている。
木瓜紋(もっこうもん)をデザイン化したものか。

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菊水紋の釘隠し。足利時代に恩寵を受けた楠木家の家紋。

 

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外から見た回廊の火頭窓。何という幸せ、とにかく沢山ある。

 

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回廊の火頭窓。本堂と異なり幅広く嵌め殺しになっていて
とても明るい。

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位牌堂の先に開山堂。鏡の如くピカピカに磨かれている。
江戸時代の普請であるのに傷、塵ひとつ無い。どうすれば
こんなに綺麗に維持出来るのだろう、不思議なほどである。

 

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池を望む火頭窓。

 

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それぞれの窓から手入れされた風景が目に入る。

 

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曹洞宗では一仏両祖と言われるらしい。本像はその二祖で
ある道元と瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)の像。

 

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手入れの良い各堂を巡っているうち、もてなしの心が伝わ
り、いつしか心癒やされ何かと有り難くなってくる。それ
で仏像や偈頌に手を合わせたくなる。

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精緻な飾り障子。

 

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観音。

 

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座禅堂。

 

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禅寺特有の魚板(あるいは魚鼓)。叩くと口から邪気を吐き
出すといい、木魚の原型。修業僧への食事などの合図に叩か
れる。

最後の宝物館は開祖師にまつわる品、あるいは歴史上の人
物(特に戦国武将)たちの書簡や身辺を彷彿とさせる道具類
が展示されている。

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上杉憲実愛用の茶釜。その後の名物に比較して地味な印象
を受ける。

 

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13世紀の中国の禅僧・天童如浄禅師の袈裟の端切れ布。
ぼろぼろになっているが大変に貴重な品であろう。
禅師は渡宋した道元の中国に於ける心からの導師。道元は
天童如浄から印可を受け、帰国して永平寺を開山、曹洞宗
の開祖となった。切れは二度と会えない恩人の形見だった
に違い無い。

 

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お別れにもう一度火頭窓を見る。

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帰りぎわの香炉にはその後の参拝客が上げたお線香が香って
いた。香炉にも鮮やかな菊水の紋章が見られた。

私のように教義に疎い者にとって、それが実践されている環
境に込められている丹精とその美しさに触れると、自ずと心
鎮まり癒やしに包まれる。

そもそも当寺院の縁起には藤原不比等の子の妻にまつわる物
語があり、庵寺(尼寺)の趣きなのである。優美な窓の曲線な
どはその事に深く関係しているのか。
現在の本堂は、江戸時代に出雲崎の大工の棟梁・小黒甚内に
よって再建されたものだというが、全く素晴らしい出来映え
だと思う。

さて、そのような訳でこの度は塔頭内の端っこばかり見てい
た。
“神は細部に宿る”という言葉があります。
明るく美しい火頭窓や廊下そして釘隠しや庭掃除。雲洞庵は
隅々へ意識が行き渡り、全体として私たちまで有り難くなって
いることに気づかされました。
樹下美術館もそんな風な心がけを少しでも実践して行ければ、
と願った次第です。

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11:45頃、巡り終えて茶店で抹茶を服した。

まだ幾つかの見聞がありますので、再々度記載させて下さい。
わずか2時間ほどの拝観でしたが随分長くなってしまいました。

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