南国・西国の小旅行Ⅴ:佐世保は浦頭引揚(うらがしら ひきあげ)記念平和公園。

2012年3月23日(金曜日)

前記しましたように虹の松原を泣き泣き歩いた。その後再び筑肥線に乗って唐津で降りた。

 

唐津はレンタカーの営業所へ直行、車を午後1時から24時間レンタルして佐世保へ向かう。途中の伊万里などもスルーして、一路目的地、浦頭引揚記念平和公園を目指した。

浦頭(うらがしら)は複雑な佐世保湾のやや南よりに位置している。途中の花などを撮影しながら夕暮れ近く目的地に到着した。公園は小高い丘の上にあり、長い階段を登った。

 

公園よく手入れされていた公園。

正面の彫像などはホームページで見ていたが、目の当たりにして全体の広さと手入れの良さに驚かされた。歴史を丁重に扱うのは知性と良心であろう。公園は市が管理しているのだろうか。

 

公園からの眺望公園からの眺め。引揚げ船は湾の左奥から右手前にある桟橋へ入港したらしい。

上陸後の道程園内の説明板から。検疫後も厳しい行程が待っていたことが分かる。
昭和20年10月から25年4月まで引揚者と復員兵の合計140万人もの人が
南風崎(はえのさき)駅から故郷へ帰っている。
全国では舞鶴、佐世保、博多など8港ほかを経て、
660万人を越える人々が困苦のなか帰還したという。

彫像の上部

表情や姿に癒された記念像。
制作者の小金丸氏は太平洋美学校教授、東大講師の経歴の人。

昭和21年の今頃の季節、0才と3才の弟、6才の姉と4才の私を引き連れて当地に上陸した父母。
満州では引き揚げを前に、母は私たち三人の子どものために一つずつ小さなリュックを作ったという。
出発の前の晩まで一番張り切っていた私は本番では全く駄目。リュックの代わりにオマル?を背負わされ、健脚の弟が頑張ったらしい。

 

かすかな記憶を拾ってみると緊張場面ばかりだ。満州で乗った貨車や客車、途中の襲撃、引き揚げ船の雑魚寝やうす曇りの甲板がうっすらと浮かぶ。しかし佐世保の上陸に関して全く記憶が無い。私はすでにふらふらになっていたのだろう。引き揚げはそれぞれにとって文字通り命がけだったのだ。

このたび訪ねた記念平和公園への階段を登り始めてから帰るまでの一時間、虹の松原同様やはり涙を禁じ得なかった。大きな荷物を背負い私たちを守った一文無しの父(満鉄病院の医師だった)を思っていた。

3月18日は九大病院→虹の松原→唐津、伊万里→浦頭引揚平和記念公園→佐世保で泊った。この日昼食を摂るヒマがなかった。

当旅行で見た家々の梅と椿、山道に満開だったアブラチャン、そして時折のキブシ。道中慰められた花は二三のエピソードとともに最後にまとめて掲載させて頂こうと思っています。

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