奈良国立博物館仏教美術資料研究センターは我が上越市の大先輩による設計だった。

2019年2月20日(水曜日)

前回2月18日の記事の最期に旧奈良県物産陳列所、現奈良国立博物館仏教美術資料研究センターを載せました。
ウィキペディアに関野貞(せきのただし)の設計と出ています。

帰ってから妻が関野貞を調べて、この方髙田の人だ、と言ったのです。確かに越後国中頸城郡高田町(現上越市)と記されていました。
髙田藩士の子息で「慶応3年12月15日(1868年1月9日) – 昭和10年(1935年)7月29日[1])は、日本の建築史学者、東大教授。文化財の保存に努めたことで知られる」とありました。

 

窓が特に印象的だった建物は明治35年(1902)に年に竣工。後に国指定重要文化財になっている。
写真では分かりませんが、両翼を広げるようなデザインは、氏の卒業論文である宇治平等院、鳳凰堂のイメージだということでした。

その以前に建てられた奈良国立博物館が洋風のため不評を買い、関野氏によってこのような形になった経緯があるようです。和を知り尽くした上で、それだけに留まらずイスラムの意匠へも広げた、若き日の心意気を感じます。

東京大学を卒業後辰野金吾および伊東忠太氏の指導を受け奈良県技師となった関野貞。奈良の古建築の調査研究と取り組み、1889年には平城宮址発見という偉業を達成されていました。
後に朝鮮半島を中心に、東アジアの史跡調査と文化財保護に尽力、フランス学士院の賞を受けておられます。

このような事を知り、私の不明を恥じている次第です。
訪れた当日は公開日ではありませんでしたが、興福寺から東大寺へ向かう通りで降り、外観の一部を眺めて、写真を撮りました。
師である辰野金吾の設計になる奈良ホテルが近くにあり、建築物を通して結ばれている師弟の絆を思っています。

近代文化遺産見学案内所のホームページの以下に大変詳しい写真がありました。
https://bunkaisan.exblog.jp/16960158/

想像以上のダイナミックさに驚かされます。

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