実業之日本社の創業者増田義一のパネル展を観てきた。

2020年1月20日(月曜日)

昨日一昨日と書かせて頂いた「下北半島の風」はネット検索で探した本でした。
著者は上越市出身の第三回芥川賞作家・小田嶽夫、挿絵の倉石隆は上越市出身で樹下美術館の常設展示作家でした。さらに届いて初めて実業之日本社発行だと知りました。

 

下北半島の釜臥山(かまぶせやま)が描かれた本の裏表紙。

ところで本が届いた後、実業之日本社の創業者増田義一は上越市板倉区出身で、現在上越市ミュゼ雪小町で氏の生誕150年パネル展示会が行われていることを知ります。みな上越市出身者の本、そしてパネル展。四つもラッキーが重なり、さっそく19日日曜日に増田義一展を観に行きました。

以下当日の飛ばし飛ばしの概要です。

 

会場の案内パネル。

 

静かな会場でゆっくり観ることが出来た。

誠実で勤勉な人柄からのこと、会社設立のいきさつ、関わった人々、家族などが詳しく紹介されていた。

1869年(明治2月年)10月21日生まれの増田義一は、幼少から親が心配するほど勉強が好きだった。12才!で糸魚川市内の小学校で代用教員になるも、若くして両親を亡くし苦学する。20才で髙田新聞社に勤めると政治に関心をもち立憲改進党に入党。

髙田新聞の勤めを終え上京し、東京専門学校(現早稲田大学)に入り、大隈重信の門下生となったことから人生が大きく開けていく。学校卒業後、読売新聞社に入社、この間、髙田早苗、渋沢栄一、岩崎弥太郎など著名な政財界人の知己と信用を得る。

明治30年、読売新聞時代に参画した大日本実業学会を実業之日本社とし、その主宰となる。〝実業〟という言葉の斬新な概念は人々に受け入れられ、出版の工夫と相俟って読者は拡大する。

 

当時神とまで呼ばれた国際的な思想家・新渡戸稲造を顧問に迎えた増田義一。

大隈、渋沢、岩崎ら財界の要人の寄稿は多大な力があった。さらに書店に対し委託返品制度を導入し、売れ残りの節約に貢献、発行部数は飛躍した。また地方の青年を対象に新たな意識と道を開くため、書籍による通信講座を開設。

 

堅い書物のほか、女性と青少年に向けた雑誌「婦人世界」「日本少年」は人気となった。

 

1915年(大正5年)4月の雑誌「日本少年」
大正ロマンの気風によって繊細な少年が描かれている。

実業家であるとともに清廉潔白な政治家として衆議院に8回当選し衆議院副議長も果たしている。

 

家族とともに。
こどもたちには主体性を重んじ平和な家庭を築いていた。

1946年(昭和21年)45年間の社長生活にピリオドを打ち、1949年79才で亡くなった。平成になり社名は「実業之日本社」から「実業の日本社」になり、生活向け、青少年向けにも注力し今日に到っている。

このたびの「下北半島の風」は創作少年少女小説シリーズであり、巻末に以下に要約した出版主旨が記されていた。
〝優れた文学作品は、たった一つの生涯の生き方を考えさせ、人の成長に役立つ。過去の名作に加え、現在活躍している作家の優れた作品も取り上げて届けたい〟

函付きのハードカバー「下北半島の風」は品物としても良い本でした。

 

展示を見終えてロビーに出ると図書のコーナー。

2017年11月に樹下美術館が発行した「樹下美術館の倉石隆」と「樹下美術館の齋藤三郎」が並んでいた。日焼けもせずに頑張っているのを見て有り難いと思った。
貴重な展示を有り難うございました。撮影OKと言うことも助かりました。

 

 本日午後の在宅回りのお宅で黄色の花を見た。蝋梅(ロウバイ)だった。

 

本日は大寒。
甘い匂いを振りまく花に、無理にでも春と言ってみたくなった。

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