海・空・気象

荒天の日のオレンジ色の海 何事も無関心に見える海。

2020年3月22日(日曜日)

穏やかな晴天がしばしば一転して荒天となる。
前後しますが、去る20日春分の日(金曜日)は、前夜半から恐ろしいほどの風が吹きつけた。それでも時々陽が射す時間があり、ホテルと雲を撮ろうと上下浜を訪れた。すると、壮大な光芒の後、日没前後の荒れた海面がオレンジ色に染まった。

 

 

 

 

 

 

膨大な海水がうねり、しぶきを上げ、砕ける。

ちなみに以下は前日の海です。

のたりのたりしていた。
豹変は風のせいで、自分がやったことではない、と海は言うだろう。

 

自らの子でもあろう人間やウイルスの出来事や、ふところに抱く海洋生物などに全く関心を示さないようにみえる海は大物だ。一方それを揺り動かす地殻や風、光や湿度に温度などもまた凄い。かれらは物云わぬ巨大な兄弟たちだ。だが無口な彼ら巨人に代わって、子たる私たちが代弁するのも必要な仕事ではないだろうか。
※足りない部分がありましたので、末尾一行を翌日補いました。

暖かかった木曜日 庭の手入れ 土底浜の夕空。

2020年3月19日(木曜日)

暖かかった木曜日、車外温度計が19度を指していてびっくりした。

 

潟町のキクザキイチゲ。三十年近く経って次第に色が濃くなった。
八重?というような花も見える。
場所が良いのか毎年しっかり花をつける。

 

のたりのたりとしていた柿崎の海。

広い海を見ていると何でも引き受けそうに見えるがそうは行かない。

放射能もコロナも駄目と海が言う
余計な仕事をさせないでと言っているように思われる。

柿崎の後で県立大潟水と森公園に寄るのが最近のお決まり。
(ホームページには新型コロナウイルスに関するお願いが書かれています)

 

大潟水と森公園で後ろ向きのマヒワ。

公園の西の端にある潟の里ゾーンの東屋。
このゾーンは人が少なく比較的鳥が多い。
どこか神秘的でもあり最も気に入ってる。

 

午後から妻の友達が来て庭の手入れを手伝ってくださった。 お陰様で残っていた落ち葉が片づいて随分とさっぱりした。

 

 

庭の後、夕刻の土底浜へ行くと赤い空に出合った。

 

 

 

この高い所から海を写しました。

 

大きさの比較のために?オートシャッターで撮りました。
10秒だったのですが、のぼり坂を走ってやっと間に合いました。

 


ペリ・ーコモの「Red Sails in the Sunset(夕陽に赤い帆)」
上京して初めて買った25㎝LPに入っていた曲です。

 

残念ながら今夜から大荒れの予報です。

嵐の海の絵 東北大震災のエネルギー。

2020年3月7日(土曜日)

走ればすぐ海へ出る所で育ったので、季節ごとに何かと海へ行った。冬の最中に海辺の砂丘でスキーをした。荒波が打ち付ける波打ち際の砂の上まで滑るのである。
そんな訳で荒海のドラマチックな景観も好きで、先日も写真をのせさせて頂いた
先週末にかけて荒れたため飽きもせず近隣の海を写してきた。

 

爆弾低気圧と伝えられた日の四ツ屋浜。

 

漁港の防波堤と波。
どんなに激しく何年打ちつけても、小さな漁港の防波堤だがびくともしない。

もうじき3月11日、東北大震災の日がくる。
ちょうど新潟市の知足美術館で拙個展の最中。弟はじめ三つの親族が南三陸町と仙台に住んでいた。すぐに個展などは上の空になったことが昨日のように蘇る。

大震災の津波は1回で、あまたの港の防波堤をことごとく破壊した。その力は広島型原爆のほぼ3万個分のエネルギーだったという。上掲の堤防などは砂を盛った如くあっさり潰されたに違い無い。普段地下のプレートが如何に強大な力を我慢しあっているかも知らされた。

加えるに原発4基の破壊と爆発。東北を越えた未曾有の災禍に広がった
日頃自分一人生きるのも大変な人生を生きている。だが時に立ち止まり、このような災害と事故を自分のことのように置き換えて振り返ることには非常に意味があると思う。

さて冒頭で爆弾低気圧の漁港を取り上げたが、美術の分野には海洋芸術あるいは海洋画というものがある。
陽光を湛えた穏やかな海を描いたものが多い中で、以下のように嵐も少なくない。

 

ウイリアム・ターナーの「嵐の中のオランダ船」

 

レンブラント(レンブラント・ファン・レイン)の「ガリラヤの海の嵐」

 

イヴァン・アイヴァゾフスキー「第九の波濤」

海にまつわる説話や聖書の逸話など古くから海は多く描かれている。わけても嵐の海は風波や雲の観察、光の効果、波乱を支える構図の安定感、さらに物語の構成など素晴らしい。

日本画の激しい波浪といえば、何と言っても葛飾北斎と曽我蕭白であろう。機会にめぐまれたなら勉強をして、取り挙げてみたいと思います。

陽が射したり雪がぱらついたり 「銀の匙」と麦こうせん。

2020年2月27日(木曜日)

午前中は暖かいと言う人も寒いと言う人も居た本日木曜日。
午後休診とはいえ、ここのところよく往診が入った。本日は看護師が上手に調整してくれてちゃんとフリーになった。

風が強い日だったが夕刻にはいっとき雲が赤くなった。うまく時間が合えば夕焼けのほくほく線電車が撮れるかもと期待して田んぼへ出向いた。残念ながら時刻が合わず、あまつさえモクモクと黒い雲が現れて空を被った。

 

 西の空。この後一面真っ黒となり、たちまち山も見えなくなった。

 

帰りましょう、と車の向きを変えると、しばし道が白くなる。

 

現在二回と半分読んでいる「銀の匙」
しばらくどこかへ見失ったが、また出て来た。
年令のせいだと思うが、同じ本を繰り返し読む。
父の晩年に似てきたが、楽に読めるので仕方が無い。

以前も触れた通り、物語は明治前・中期におけるこども時代の回想として進められる。
祭、食べ物、遊び、囃しことば、親族、もの売り、植物、生き物、庭や風景、男女のこども、、、。これらと引っ込み思案な主人公との、どこかもの悲しげで美しいやりとりが、こまやかな言葉で綴られる。野尻湖の枇杷島(弁天島)で執筆されたというのも親しさをおぼえる。

 

本には驚くほど色々なお菓子(今で言う駄菓子)が登場する。
右は文中に登場した江戸・明治以来の「麦こうせん」。
左は遅ればせながら本日初めて口にしたタピオカ。

麦こうせん。粗めのラクガンであろう。かってよく食べた気がする。

麦こうせんはネットで買った。香ばしい麦粉の匂いがぷんぷんしている。私だけかもしれないが、タピオカよりも美味しかった。
本には沢山のおもちゃやお菓子が登場する。それらが売られている様子や扱いには何とも言えない情緒が漂う。
今、情緒や風情などというものは、どこか遠くへ行ってしまった。時に周囲でそれらしいものも顔を出すが、人集めであり、生活感もなく作り物ばかりで残念だ。

大きな海 小さな小さなウイルスの理解。

2020年2月23日(日曜日)

昨夜から台風にまさるとも劣らない風が吹いた日曜日。
大潟区渋柿浜の大潟漁港の波は圧倒的だった。カメラのレンズに絶えずしぶきが吹きつけ、何度も拭かなければならなかった。

 

 

いっとき陽が射した時間に堤防に当たる波しぶきは迫力があった。
このような時に一瞬虹彩がかかることがあるが本日見られなかった。

目に見えない小さな小さなウイルスがひきおこしている災禍の日常で、大きな海の動静を眺めるひとときは少し気が休まる。

いま季節は移り、移動、進学、引っ越し、歓送迎会、スポーツイベントと観光シーズンがはじまっている。コロナの状況はようやく日本人メインになってきた。対応の中に多くの外国人が介在したこれまでに比べて、状況に幾分整理がついてきた。ここに到っては、大声のマスイベントなどは暫く見合わせ、新たな封じ込め対策を実直に実行し確実に克服に向かった方がいいと思う。

経済のダメージは大きいが、だらだらと進めて、何時終わるともしれない深みにはまるのが最も良くない。緩むこと無く綿密かつドラスティックな対策を是非履行してもらいたい。

今ウイルスは何を求め、どんな環境を喜び、何を嫌やがるかを知り、どんな状態に置かれているかを理解することは、私たち一人一人にとって有益ではないだろうか。敵を知り己を知るのは戦の基本。〝本当の専門家〟の話を聴いてみたい。

寒波を免れている マンハッタン ・トランスファーの「SNOWFALL」。

2020年2月9日(日曜日)

先週からぐっと寒くなり何度か雪が降った。
難渋する程度ではなく数㎝の積雪だったが今期はじめて雪景色だった。そういえば今年は「寒気」という言葉を聞くが「寒波」は耳にしていない。
調べると、著しく冷たい気塊(空気のかたまり)でも一両日で去るものは寒気、広範に亘り3日以上居座るものを寒波と呼ぶらしい。

今年は寒さが来ても短期間で去って行くのが続いている、ということになる。今の所豪雪という災害的な気象から免れているのでやはり助かる。

 

昨夕、上越市大潟区の蜘蛛ケ池湖畔。

 

昨夕の大潟区蜘ケ池は瑞天寺の方向の眺め。

 


マンハッタン・ トランスファーの「スノーフォール」。
四人のコーラスグループ、マンハッタン・ トランスファーは何度もグラミー賞に輝いている。
しんしんと雪の降るさま、あるいは降り止んだ雪晴れの感じがよく現れていると思う。

冬の晴れ間の柿崎海岸。

2020年2月4日(火曜日)

朝方などは雪交じりの雨が降っていたが、次第に晴れ間に変わり、午後からは安定した晴天になってしまった。
こんな日の昼休みをどう過ごすかは軽い悩み。出られるのは近隣なので、田んぼなら山と雲、それに水鳥を探し、海なら波と雲、時にカモメや千鳥に出会える。

出掛ければ何かしら目につくものがあり、写真も撮れる。欲張ったら切りがないが、頸北はそこそこ近隣に恵まれていると思っている。

本日は柿崎海岸に行った。

 

 

 

空が青いと海も青い。2月ともなれば日射しに強さが出てくる。

 

 

珍しくシーグラスが上がっていた。
良いのを選んでショップのペンダントに出来そうだ。

 

晴天を喜んだのはつかの間、明日は寒気が降りて平地も雪になるらしい。雪よりも寒さの方が気になる。

テッポウユリの球根 雲の変化。

2020年2月2日(日曜日)

本日日曜日の日中は気持ちが良い晴れ間も見えた。気温は少々寒いが、買ってあった鉄砲百合を午後から植えた。
50ヶあった球根を30は植えた。いつもは深く植えるが、すでに芽が伸びているものがあるので浅めにしてみた。6月に真っ白な花を沢山咲かせるのを楽しみにしたい。

 

晴天の午後の米山は雲に被われていた。

それが夏のカナトコ雲のようにぐんぐん上昇して広がるや、30分もすると今度は山が見えてきて、雲は透け、散って行った。
空全体を被う灰色の雲は動きもしないが、塊の雲の変化は早い。

年末~大晦日に上京し鎌倉を訪ねた-その3。

2020年1月4日(土曜日)

二泊の旅行にも拘わらず長々と書いている年末の東京鎌倉旅行記は今回で終了です。

さて31日朝、前日の雨は上がり、夜半からの風で鎌倉の雲が吹き払われ、空と海は真っ青。まさかの富士山が岬の向こうに姿を現していた。激しく立つ白波も冬の風情として文句なしだった。

 

これ以上何を望もう、喜んで七里ヶ浜の歩道を歩いた。
(午前8時35分頃の海)
真白き富士の嶺、緑の江ノ島、そしてそして真っ青な相模灘。
常緑樹の江ノ島は冬でも緑色なのだ。

年を経ても長い休みは取れない身分。貴重な時間で色々見たいので、いつものようにタクシーを頼った。
本日のドライバーさんは年配の紳士。さあ行きましょうの一声で出発した。
よく分からないながら、北へのぼり東をかすめて終了のコースになるようだった。

長谷寺から始まった。

これでもかというほど掃き清められた驚きの露地。

 

清々しい花頭窓が連なる大きな観音堂。
正月に向けた華やかな五色幕が風に揺れる。

 十一面観音菩薩像はあまりに近く(実はかなり距離があるのだが)、大きさと輝きに圧倒された。

拝観した観音ミュージアムのパンフレットから。
館内のほっそりした幼顔の十一面観音を中心に33体の観音を拝観。
揃って大きな円板に浮き彫られた掛け仏は誠に優美だった。

 いにしえの仏師の技と心に比べ現代造形の技と心はいかなるものであろう、といつも思案する。
それについては進化をせずただ変化(私にはまだ十分に理解できないと言う意味で)を模索するだけの残念をやはり払拭できない。
これは行き着くところ作り手だけの話ではなく、観る者ともに日常の苦楽が全く異なってしまったからなのかと、考えている。
飽くことなき経済活動が金にならない芸術活動を抹殺してしまった?結局幸福の総体はゼロッサムゲーム?そんなことで終わてしまう話ではないと思うのだが、どうだろうか。

大仏様の高徳院へと回る。

日本晴れの大仏様。
建造物だと分かっているけれども、何故これほど落ち着いていられるのか教えて欲しいほど。

続いて海蔵寺。

 

鎌倉の寺院には岩窟が多くて驚く。
それによって神仏の神秘性がより伝わる。
神仏混淆、寺院の鳥居も自然に感じられるようになるから不思議。

 

同寺の庫裏であろう、数寄屋作りが誠に清々しい。
私共の雪国ではこのような建物はまず成立しない。

 

梵鐘にも注連縄(しめなわ)。

 

さらに訪ね進んだ浄智寺の門にも正月飾り。
日本晴れといい、すっかり新年のおもむき。
花はまだ先だが、手入れされた梅林は目を引き、是非再訪したい。

 

広大な境内で巨大な伽藍に圧倒される建長寺。
青空を写す滑らかな池の庭で一息。

寺巡りをしていても中々僧に出遭えない。

日円覚寺ではじめて僧侶のお姿を見ることが出来て嬉しかった。
(折角のお寺、若い僧が通り過ぎるだけで十分、私たちの前にもっと現れて欲しい)

 

円覚寺境内の佛日庵でお抹茶を頂いた。

最後に念願の丸窓が見られる明月院へ。

正面に台杉が何株も植栽されている。
たまたまお会いした庭師さんは良い感じの人だった。

 

あこがれの丸い窓。
この時期、火鉢に鉄瓶が掛かる情景は何ともご馳走。

 

路地を脇へ入ると生け垣に餌台が設えてあり、雀が沢山来ている。

 

何とリスまでも。

 

明月院を最後に午後二時近く寺巡りは終了した。
運転手さんとは駅でお別れ。座席が心配だった復路の横須賀線は1000円の追加料金でグリーン車に座わることが出来、ひと安心だった。

一泊二日の鎌倉は雨と晴れそれぞれに趣きがあった。多様な庚申塔を目にし、随所で江ノ電を見た。急ぎ足だったがそれぞれ特有の表情をした歴史的社寺を巡ることが出来たが、もう少し鎌倉時代を勉強しようと思った。
狭い路地や辻はみな奥ゆかしく、美味しそうなお菓子を求め、絶品のてんざるを頂けたのも幸運だった。何より青々とした相模湾の彼方に現れた富士山は貴重な冥土の土産になった。
前日妻に七里ヶ浜の遭難の話をしたら、初めて知ったと表情が暗くなった。一日経って空が晴れるとそれも和らいだやに見えた。

花の少ない季節だったが随所で椿や山茶花に蝋梅、珍しく地に下ろしたシクラメン、開花した水仙も見た。また紅葉が遅いため今もモミジがみられると聞いたが、なるほどと思われる樹があった。
照葉樹林帯の同地では、カシノキ、クスノキ、タブノキ、ヤブツバキが生き生きと育ち、シイの類もあるに違い無い。道沿いの柑橘類や木守の柿も印象に残った。
多くの社寺で手入れ良く維持されている梅林は大変に印象深く、機会があればぜひとも花を見たいと念願している。

最後の明月院は花の時期ではないにも拘わらず、人を迎える温かさが伝わり楽しい場所だった。
いつもながら長々となりまことに申し訳けありません。

雪国の雪の話題 車がメリー・クリスマスと言った。

2019年12月24日(火曜日)

相変わらず無雪が続いたまま年末に向かっている。
さすが一日中晴れている日は珍しくなったが、曇ったり雨が降ったりする日でもどこかで陽が射す時間がよくある。本日もそんな日だった。

このところの外来で雪が無くて助かりますね、とよく話す。
お陰で買い物や医者通いもできます、と皆様仰る。だがまれにこの話題で気まずくなることがある。
本日ある夫人に雪が無いことを話したところ、
「私は助かるんですが、主人が○○の駐車場と資材置き場の除雪を頼まれてますので、、、」と仰った。このお宅では雪が無いと冬の生業に支障を来すのだ。
このように手放しで無雪を喜ぶと意図せずして人を傷つけてしまうことがある。
私の地元にスキー場はないが、道路除雪のほか雪下ろしやスキー用具の販売などに関係している方達は、早く雪をと、待っているにちがいない。

それゆえこの話題には軽い打診や情報があると無難だ。先の夫人のカルテには雪と書いて丸で囲み、降ったら「良かったですね」と話したい。

さて本日午前の仕事中、急の往診があった。
車に乗りエンジンボタンを押したところ、
「メリー・クリスマス」、と優しい女性の声がした。カーナビである。毎日車に乗る度に、今日は何の日、と知らせてくれる。
大抵何も役立たないが、突然の「メリー・クリスマス」には一瞬驚き、少々嬉しくなった。
今や持ち主や家族の誕生日まで祝ってくれるナビがあるかもしれない。

 

昼の四ツ屋浜。白黒さまざまな雲が印象派の絵のようで魅力的だった。

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