美術・音楽・文化

正月元旦と二日、増上寺、ビュッフェ、東京タワー、上野駅の彫刻、サンドウヰッチイッチ、新幹線の遅れetc。

2019年1月3日(木曜日)

新年は三日目となり、歳月の逃げ足はますます早い。
それを年々遅くなる足で追いかけるのだから大変だ。

この追いかけっこに参加するには唯一健康への配慮だけ
が条件であろう。
レース参加は生きている証し、または年取ってもなお続
くという成長をあてに、何とか追いついて行こうと一応
努力を試みる、そんな年が始まった。

 

ところで館長のノートと名付けた当ブログに元旦と2日
の記事を載せていた。
元旦は新年の挨拶、2日は以前に訪ねた板倉区の庚申塔
に関する記事だった。
実は元旦に一泊で上京したため、いずれも大晦日に書き、
投稿予約して出かけた。

そこで本日、実際に過ぎた1日と2日を振り返って記して
みたい。

1日は東京の縁者たちと会うことが急に決まり、30日に
急いでホテルと切符をあたった。
年末年始の人の流れと逆になるため、ホテルも新幹線も
思ったより簡単に取れた。

1日は夕刻の集合時間前に早く到着した者たちで近くの
増上寺へ参詣に上がった。

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増上寺は山門を「三門」と呼ぶらしい。赤くとても元気の
良い門だった。
嬉しい事にその左右に続く棟に計四つの火頭窓があり、歓
迎してくれていた。
何度も門前を通ったことがある増上寺だが、参拝は初めて。
門から先も壮大だった。

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午後4時40分、まだ大賑わいである。

 

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本殿(大殿)へ広い階段を上がる。色鮮やかな東京タワー
が背後に見え、この景観が人気の秘密の一つかもしれな
い。

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大殿内に読経が流れている。見ると向かって左脇檀に法然
上人像があり、そこで読経が行われていた。一日中続ける
のであろう。新春の寺院に相応しい声と光景だった。

さて参拝でお腹が空いたところで、食事になった。
東京のホテルの正月は往々にしてビュッフェスタイルにな
るようだ。
冷菜温菜、飲み物などなんでもある。
久し振りの現況を温めあい、励まし合い、美味しく頂いた。

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会食後参集者を送った帰路、東京タワーを通過した。
スカイツリーよりも人気があるかもしれない、とタク
シーの運転手さんが言う。
昭和の親しみ易さと安心感が人を惹きつけるのだろう。
二つの理由は大切なことだ。

翌日もう一軒の縁者を訪ねて帰路についた。
お元気な様子をなにより嬉しく思った。

 

さて帰路の上野駅。

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構内17番線手前に朝倉文夫作「三相 智・情・意」の彫刻
がある。
よき時代の素朴かつ強靱さが生き生きと現れていて、ます
ます好きになった。
余計なことかもしれないが、1958年発表ということで、モ
デルさんが20代であれば現在80代になられている。
優れた芸術の生命力を思わずにはいられない。
広い切符売り場の上方に掲げられた同じく文化勲章作家の
長大なステンドグラスよりもずっと良いと思っている。

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車内で買った昼食は大船軒のサンドウヰッチ。
何のおもねりも無い超シンプル品、迷い無く手が伸びる。
これも昭和の親しみやすさと安心が決め手。昔から食べ
物で迷うのは苦手。新鮮そうであれば適当に選び喜んで
食べる=食べれるだけでうれしい。
※昭和30年代に、かって満州で生活した母が何度とな
く作った餃子より美味しい食べ物に出合っていなのと、
今どき美味しくない物など売られてないと思っているこ
ともありそうだ(少し変かもしれません)。

 

ところで復路の2日、新幹線はくたかは飯山で長時間の
停車を余儀なくされた。
金沢で停電しているためとアナウンスされた。
一時間半ほど停まった車内で過ごし、庚申塔の本が読め
た。

慌てたのは発車直後のアナウンスだった。
「大変お待たせ致しました。次は糸魚川、糸魚川」と告
げる。
うん?降りるべき「上越妙高駅」が飛ばされている。
まさか停車していたのは飯山ではなく、上越妙高だった
のか?
さらに、「終点まで停まる駅と到着時刻をご案内致します。
次の糸魚川には○○」とまたしても上越妙高が無い。
これだけの雪で長時間の停電も問題だが、一体車掌には
何があったのだろう。
乗客の中には慌てて車掌室へ向かう人もいたし、一瞬、糸
魚川からどうやって帰ろうか、と心配もした。

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上越妙高には大勢が降りた。構内で駅員が次を待っている
乗客にアナウンスをしていた。まだ影響が残っているのだろ
うか。

停電と言えば過日、妙高市でオペラ「景虎」が上演された。
その日、かなりの雪降りに見舞われて新幹線が遅れ、東京
からの公演関係者が間に合わず、30分開演が延びた。
混乱は停電が原因ということだった。

今回も豪雪レベルではなかった。
停電、、、、大丈夫なのか、北陸新幹線。

交通不運はこれで終わりでは無かった。
東口で10数人がタクシーを待ったが、10分、20分経っても
一台も来ない。

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タクシーを待った東口の光景がきれいで癒やされた。
タクシー会社に電話をすると間もなく妙高営業所からやって
来てくれた。他の方達も各自電話をして次々と車を呼ぶのだ
った。

当日、髙田での会合には大幅な遅刻となった。
目出度いはずの日に往々にして面倒が起きる。
人生ではよくあることだろう、こんな程度で良かった。

新年にお会い出来た皆様、有り難うございました。
今年また頑張りましょう!

庚申塔その10髙田公園の庚申塔はいま何処に? 忠魂塔に死者を悼み 痛ましい彫刻を見た。

2018年12月30日(日曜日)

30日の冬休み日、冷たい風が吹いた。
折角の休みであり、雪は小康、出来れば庚申塔を訪ねた
いところ。
手許の本、「越後の庚申信仰」には髙田城址公園におけ
る庚申祭という写真が掲げられている。
私にとって数あるであろう一帯の庚申塔のなかで、最も
心惹かれる場所となっていた。

 

1
庚申祭(髙田城址公園内)のキャプションがみられる。
書物刊行の昭和41年の時代に祭として行われていたとは!
髙田は浄土真宗が盛んな所であり、真言宗、禅宗を主とし
て広まった庚申講は少ない土地柄(それでも5,6カ所はあ
るようですが)のため、写真の塔と祭の様子は大変貴重に
思われた。
しかも石仏塔のように見える。
※キャプションには髙田城址公園と書かれていました。

是非とも見たい、とかねて樹下美術館のお客様に尋ねてい
た。
「忠霊塔の辺りにあるのではないでしょうか」と何人かの
方からお聞きした。

それで本日午後出かけ、図書館に車を駐めて歩いた。
普通の靴のまま来たところ10㎝ほど積雪があり、滲みなが
ら何とか歩いた。
いわゆる忠霊塔の建物から西へ数基の忠魂塔が建立されて
いる。
日露戦争の忠魂塔があり戦死者:9柱、傷死者:9柱、病
死者:1柱の名が彫られていた。
戦死のほかに傷死とあったが、いわゆる事故なのだろうか、
戦時は毎日が過酷な重大事故に等しく、戦死と同程度の死
者があったとしてもおかしくない。
さらに西伯利亜(シベリア)出征者の霊顕彰碑があり、
大正9年4月26日チエルオフスキー?戦闘による戦死者
として陸軍歩兵1等兵一名と陸軍歩兵上等兵一名の名が。
同年4月8日ベクンミセーヲ?における軍属一名の名が刻
まれていた。
このような記録を見るたび、遠い異国の戦地に於けるこの
方達の最後はどのようなものだったのか?家族の思いは?
案じると胸が痛む。

さて歩き回ったが結局、本日目指す石塔は無かった。
何処かほかの場所にあるのだろうか。

辺りを見渡すと遠目に塔か彫刻か、何かの像が見えた。

4
彫刻のようである。

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何としたことか、こんなに傷んで!
そもそも誰の作品なのだろう。
親子増
かろうじて父母が子供を抱き上げている像らしいと分かる。
三人の表情は失せ、胴はヒビ割れ、母の手は落ち、父の腕
は裂け、その脇部に穴が空いている。
まことに痛ましい。
公園は当地のシンボルであろう。
まさか上越市の本質がここに現れていないことを願うばか
りだった。

 

この日初めてオーレンプラザを見た。

3'
忠霊塔側から見たオーレンプラザ。
前からも見たが、写真のように後方から見た方がずっと良
い。
設計者は多分このような景観をメインにしたかったことだ
ろう。
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6
お濠の鴨はとても可愛いかった。
本日は見たいものを見られず、見なければいけないものを見
て、見てはいけないものも見て帰った。

今日は冬至 夕の頸城野に花 もうすぐクリスマス。

2018年12月22日(土曜日)

冬至の本日上越市髙田では最高気温が12,9℃となり非
常に暖かな日だった。

こんな日を待っていたようにお客様には賑やかにして頂
いた。

午後遅くハクチョウを見に車を走らせたが姿をみること
が出来ず残念だった。
しかしあるお宅の庭で梅か寒桜か満開の花を目にした。

 

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暮れていく妙高山。

 

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くびき野の宵にまさかの花揺れる

美術館に戻ると、カフェでは短い日を惜しむようにお客様
たちが陽の落ちた庭を見ていらっしゃった。

 

そして本日お客様がお持ちになった彫刻家舟越保武さんの
デッサンを見せて頂いた。

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デッサン「St Secilia:聖セシリア」

 

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明かりが上手くなかったので、頭部を拡大してみました。
聖セシリアは2世紀頃に殉職したとされる聖人。音楽と盲
人の守護聖人とされる。
もうすぐクリスマス、良い絵を見せて頂きました。来年に
は舟越保武・桂さん親子の作品集を図書に置く予定です。

 

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閉館まじかの樹下美術館。ほっとしているこの時間の
眺めを気に入っています。
12月25日が今年の最終日、間もなく冬期休館です。

トミー・ドーシー楽団の「SONG OFof INDIA」はリムスキー・コルサコフの作曲だった。

2018年12月21日(金曜日)

昨夕、今年最後のSPレコードとてS氏が盤を持参されて
聴いた。
フルニエのチェロでフォーレのエレジーほか数多く掛か
った。
冬至が迫る午後やや遅い庭は、麗しい音楽とともに暮れ
た。

そのレコードで面白かったのはグレゴリオ・ピアティゴル
スキーのチェロによるリムスキー・コルサコフの「SONG
OF INDIA インドの歌」だった。
スイングジャズの名バンド、トミー・ドーシー楽団に同名
の演奏があり、関係あるのだろうか、と思って聞いた。
すると、ドーシーが「SONG OF INDIA」として残したも
のと同じ主旋律が流れた。
私は同曲はドーシーのオリジナルだとばかり思っていたの
で、コルサコフが作ってものであり、タイトルも同じだっ
たことにいささか驚いた。

YouTubeに昨日実際に掛けられたピアティゴルスキーの
「SONG OF INDIA インドの歌」があったので掲載してみ
ました。


1940年代の録音。端整なピアノとともにとても上品な演
奏。演奏者はヴァイオリンのハイフェッツ、ピアノのルー
ビンシュタインとともに100万ドルトリオと呼ばれたとい
う。

 

つづけて、


ドーシー楽団の1938年の録音。弱音器をつけたドーシー
自身のトロンボーンが軽快なサックスのシンコペーション
に乗って演奏される。

さて、
・ストレンジャー・イン・パラダイス→ボロディン作曲「
ダッタン人の踊り」(歌劇「イーゴリ公」より)。
・ラヴァーズ・コンチェルト→バッハ「メヌエットト長調」
・情熱の花→ベートーベン「エリーゼのために」
ほか、クラシックからメロディを取ったジャズ、ポピュラー
の曲は沢山ある。
おしなべて異なるタイトルになっている中で、同名のまま
演奏された曲はほとんど聞いた事がないので、昨日のSPレ
コードに驚いた次第でした。

上越文化会館で慈悲と祝福の聲明(しょうみょう)を聴く。

2018年12月15日(土曜日)

今日午後、上越市文化会館で「聲明:しょうみょう」
聴いた。
副題は「螺旋曼荼羅海会(らせんまんだらかいえ」と付
されていた。
胎蔵界、金剛界、、、もう大方忘れたが、昭和59年11
月、父の葬儀で柿崎区上下浜は最勝寺さんのご住職から
曼荼羅について何度も聞かされた。
また葬儀と勤行で読経の合間などに聲明が歌われた。
ご住職は大変に声が良く、恥ずかしながら読経に飽きを
覚えるころの聲明はほれぼれするほど美しかった。

その後あまり聴く機会が無かったところ、本日の催しと
出合った。

 

1
すっきりした舞台に袈裟衣の美しかったこと。

僧たちの磨き抜かれた声は朗々凜々と、時に唸り時にね
じれるように場内に響きわたる。
28人の僧は一列になって厳かに移動するかと思えば、二
つあるいは四手に分かれ、会場の前後や両側に並んで歌
った。
独唱に続く斉唱あるいはグループごとの応答など、歌声
は優しく強く変化し、四方から私たちを捕らえて放さな
い。
突然最上階の奥から聞こえた時は天からの声と紛う有り
難みを覚えた。
目をつむって聴くと、声は果てしなく遠く広い所から波あ
るいはこまやかな振動となって届いているように感じられ
た。
曼荼羅なのか。
絡み合い重ね合わされる歌声に包まれながら、もしかした
ら小さくわずかな自分は、ここで尽きない世界から祝福さ
れているのかとふと感じ、涙が出た。

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パンフレットから、作曲をされた桑原ゆうさんとサイン。

構成演出:田村博巳
出演:
迦陵頻迦聲明研究会〈真言宗〉
七聲会〈天台宗〉

途中の歌で散華(さんげ)がまかれた。
散華のはなびらは仏の慈悲の現れだという。
父の時に撒かれたものをしばらく取っておいたが、今ど
こにあるのだろう。
太鼓が鳴らされた歌もあった。
悠久の時と天空の起伏をなぞるようだった。

妙高市のオペラ景虎。

2018年12月9日(日曜日)

本日妙高市文化ホールで午後2:30開演のオペ
ラ景虎を観てきた。
戦国時代の人質、養子同士の跡目争い、逃避行、
自害、、、上杉三郎景虎の短い人生は悲劇的だ。

 

181209妙高オペラ景虎

2009年、大河ドラマ天地人ではすっかり景虎に
思い入れてしまい、景虎最後の放送日の昼間、自
害の鮫ケ尾城へ行った。
山城の鮫ケ尾城跡本丸辺りは、谷を背にかなり急
峻で、ここに追い詰められたら後が無い、という
地形だった。

本日のオペラも景虎の人生の悲しみと幸福が、時
に残酷に、時に美しく歌われ演じられた。
座席は二階のかなり奥だったが、男性ソリストは
広い場内をそのまま歌声に変えるほど迫力があり、
女性が訴えた悲しみと気概に心打たれた。

狂言回しというのか遠山家光の設定も良く、複雑
な歴史物語を上手く繋ぎ、かつ今日へと橋渡した。

動きの多い芝居の中で最も印象的だったのは、白
装束の子ども達が群舞する場面だった。
幼い三郎が白帆の舟のオモチャを掲げて幸せそう
に舞台を駆け回る。
その三郎に大勢の子どもたちが白波のごとく動い
て続いた。
この劇には“海に消えし夢”のサブタイトルがある。
誠に個人的な解釈だが、
越後の厳しい冬の海から故郷小田原の陽光の海
へ。
憧れるように逃避を試みる景虎の運命と対比され
る象徴的で秀逸な場面ではないかと思い、こみ上
げるものがあった。

今夜、だれよりも天の景虎と華姫、そして道満丸
が幸福だったに違いない。

プロと一緒、地元70余人の合唱団の皆様の熱演も
素晴らしかった。
厳しかったであろう練習の成果が見事に実ってい
ました。
台本、作曲、演出、監督、美術、照明、衣装・メイ
ク、合唱指導、景虎メモリアルオーケストラ、役者
さん。
皆様ご立派でした。
満員の千余席から沢山のブラボー、本当にお目出度
うございます。

楽しかった週末。

2018年12月2日(日曜日)

それなりに仕事をし、それなりに生きている人生。
そんな日頃にあって今週末を楽しませてもらった。
昨日土曜日は懐かしい先輩旧友5人と偶々新潟に集ま
った。

むかし話、亡き人のこと、越後の食と酒、1960年代の
ジャズとウッドベース、抱えた身体のこと等々話した。
まれなこととて柳都の芸妓さんにも来てもらった。

 

1
若く感じよいこの人は姐さまの三味線で新潟小唄、十日町
小唄、そして髙田の四季まで舞ってくれた。
急な幹事をして頂いたIさんには大変お世話になりました。

そして本日昼、昨日の遠くの先輩旧友が樹下美術館まで来
てくれた。
しかも、来年また来るという、何という友情.。
展示や庭を観てもらい、カフェで食事の後、北陸新幹線は
我が「上越妙高」駅まで送って別れた。

夕刻はSPレコードを聴く会だった。

 

3

 

 

4
私は伊藤久男とダイナショアの歌、それにグレンミラーを
掛け、S氏がリパッティとバックハウスのピアノ、カザル
スの「鳥」などを掛けた。

 

5
最後は氏持参、ビングクロスビーのホワイトクリスマスの
正味一時間、皆様と楽しく過ごした、
鬼が笑うけれど、来年のSPレコードの会はシャンソンでい
きましょう、という事になった(あくまで予定です)。

“K先生、お誕生日おめでとうございます”
“スタッフの皆様、有り難うございました”

12月2日開催手回し蓄音機で「SPレコードを聴く夕べ」のプログラム。

2018年11月29日(木曜日)

11月もあとわずか。
負け惜しみで“まだまだ一日ある”と言いたいところ。
樹下美術館の催し以下の「手回し蓄音機でSPレコー
ドを聴く会」もいつしか迫りました。
暖かな会になればと思っています。

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以下に当日のプログラムを掲載致しました。
前半4曲は戦後歌謡とスイングジャズ。
後半は名演奏家の心に沁みるクラシックの演奏です。
あたかも演奏者が現れるような不思議なリアリティ。
今からでも構いませんので、参加ご希望の方はお電
話下さい。

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齋藤尚明さんが仕事場展示室で作品展 孫のお土産、修学旅行。

2018年11月21日(水曜日)

一昨日ご自宅で催されている齋藤尚明さん(二代陶齋)
の作品展に伺った。
自宅といっても隣接する仕事場。そこに設えられている
展示室が会場だった。
最終日だが期間中随分賑わったとお聞きし嬉しかった。

白磁、青磁、色絵、唐津など多彩な作品がくまなく展示
されている。
先代がこしらえたその建物は非常に趣味の良い民芸風
な設えで、誠に良い具合に作品を引き立てている。

何度ここへ伺ったか数え切れない。いつも長話をして
気がつけば深夜になっていた。
麗しいこの場所での作品展は誠に良いアイディアだった。

 

1

 

2
色々迷ったすえ向こう正面の青磁面取り水指を選んだ。
折々の茶席を穏やかで澄んだ雰囲気にしてくれそうな頼
もしい作品だった。

 

ところで孫の一人が学業のことで上京し、お土産とて本日
マカロンが届いた。

 

3
クリスマス向けのパッケージだ。
Sちゃん、楽しく美味しいお菓子をありがとう。
どうかこれかれも一生懸命頑張って下さい。

4
そして過日は京都へ修学旅行に行った別の家の孫から八
ッ橋を頂戴した。
ここの家は次々と関西へ修学旅行へ旅立ち、決まって八
ッ橋が送られてくる。
1951年という大昔の中学時代、自分も修学旅行で京都へ
行った。
その折に八ッ橋を食べて大好物になった。今でもニッキ
の香りがするこの固い板の方を喜んでいる。

私ごとで恐縮だが、自分の修学旅行も関西で、京都の宿
で鑑賞した舞妓さんの祇園小唄の踊りと唄が忘れられな
い。三味線と唄に耳を済ませ穴が空くほど舞妓さんを見
た。
舞妓さんは髪飾りが印象的だったが、全体の装いは地味
だったような気がする。
宿は髙田旅館で、東本願寺のすぐそばだった。
当時はお米持参の修学旅行だった。

旅行のしおりには、法隆寺の要点として各塔頭の「卍崩
し組子入勾欄」を見ることなど、全くもって専門的な細
部が図入りで書かれていた。
レポートもこのような事を入れなければならず、とても
苦労した覚えがある。
中学生の修学旅行で舞妓さんを呼んだ事といい、新潟大
学教育学部附属髙田中学校という、長い名の学校は何事
もユニークだったと思う。

もうひとつ修学旅行といえば、お土産がある。
京都は清水焼が有名だと、前もって聴かされていた。
是非とも良い湯飲みを買って帰り、父を喜ばせたいと張
り切って土産屋に行った。
店にはあふれるほど器があったが、どれもこれも違う。
慣れ親しんだ齋藤三郎さんのような品は皆無だった(当然
ですが)。
それでも父に褒められたくて、なんとか一つ選んだ。
どんなものだったか忘れたが、遠くにお寺が描いてあった
のか。
帰宅すると父は笑い、自分で使ったような気がする。

ついつい長くなりました。
R君ありがとう、とても美味しく頂きました。
R君もどうか頑張って下さい。

若者たちには希望とともに試練が待っている。
課題に対する興味と集中心を願ってやまない。

東西遠方からの人。

2018年11月20日(火曜日)

本日村上市の帰路と仰る大阪の女性がお見えになった。
小山作之助に興味を持たれている方で、このたび二度
目の来越だった。
当地でコーラスをされるSさんが案内された。
拙家は作之助の母の実家にあたる。
診療が終わる時間、お寄りになり昼休みに作之助の墓
をご一緒した。

その後直近の大潟町中学校に併設された作之助の胸像
とそこの庭をご覧になり校内の記念室に伺った。
音大のご出身で、こどもの音楽に携わられるなか、唱
歌運動の礎である作之助に興味をお持ちになっている。
越後から徒歩で上京した作之助の志への共感を口にさ
れた。
資料室では明治前半の音楽指導書に目を止められた。
古来の日本音階から西洋音階へ、子ども達がどのよう
に教えられていたのか、確かに興味深いことだ。
時間が来て、大阪への帰路を急がれるのを見送った。
すらりとした人だった。

そしてその後、東京都町田市からY氏が来館された。
今春開催した塩﨑貞夫展の際お見えになった方だ。
生前、塩﨑画伯はある時期に焼き物もされ、作品集
で拝見したことがあった。
塩﨑氏と親しかったY氏は絵画とともに焼き物作品も
所有されている。
このたびは抹茶茶碗を持参してのご来訪だった。

拝見したお茶碗の実物は素晴らしかった。

 

1
鉄釉茶碗。
黒に焦げ茶がほんのり混じり、上品な古色の風合いが漂う。
薄手な作行きが何とも言えずお洒落だった。

2
灰釉茶碗。この碗も薄さ加減が良い。うっすらと釉薬の垂
れが景色になっている。口縁のゆっくりした山道も穏やか
だ。

 

3
灰釉であろうか、上掲のものと異なる鉄混じりの灰ぐすり
が掛かっている。
正面の素朴な絵は山か、向こうの見込みが同じ鉄色を帯
びている。茶碗が置かれているふくさは、パッチワーカ
ーが古い着物をほどいて、こしらえたものだと仰った。

茶碗はいずれも腰から高台にかかる部分が潔く削がれ、真
横からの眺めも気持ちが良い。
こんな茶碗を画家が作るとは全く驚きである。己の審美眼
に任せ何度も試行錯誤されたに違いない。
一つに秀でる人は何を作っても味わいを外さない。
シャイで多弁だったという塩﨑氏。その人に見込まれ可愛
がられたY氏は、ごく一般的なサラリーマンだったという。
魚心あれば水ごころ、、、。
人の道も芸樹のそれも、お金だけでつながるものではない
ことが、ちゃんと具現されていて何とも頼もしかった。
そしてお菓子を食べる時に取り出された菓子楊枝がまた素
晴らしい。
根本曠子(ねもとひろこ)さんの楊枝だ。
根本さんは芸大出の漆芸家で切貝の優品を作られる。

4
同じ茶や菓子でも、どんな人とどんな器で、どんな風に飲
食するかで美味しさや有り難みが異なる。
余計な出費を切り詰めれば、自分なりに満足のいく美的
生活を創り出すことができることをY氏が現している。
もしかしたら金にあかせるより、楽しい世界かも知れない。

美味しい茶菓子を持参され、居あわせたお客様達と頂き、
それぞれの茶碗で晩秋の庭を見やりながら茶を服した。
新幹線→在来線「さいがた」駅下車の道中でこられた。

大阪と東京の人。
お二人ともまた来たいと仰った。
有り難うございます、心待ち致します。

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