樹下美術館

マッシュルームスツール/いくつかの運命

2007年7月27日更新

 当樹下美術館の見取り図でご紹介しておりますように絵画展示ホールにマホガニーのスツールが2脚置かれています。リズミカルで風変わりな形状のこの家具は仕組みのうえでも魅力的です。実際お客さまで寄っては座り、立っては覗かれる人たちをよく見かけます。当椅子の名はマッシュルームスツール、外観にふさわしいネーミングです。1961年、日本有数の家具メーカー天童木工家具が行った第一回家具コンクールの記念すべき入選作です。山中グループという三人の大学生たちによって共同デザインされました。
  西洋ノコギリ型をした三枚の板を同じ形状に加工し要所を止め合わせて出来ています。それぞれの板には湾曲、折れ、ねじれが1回ずつ加えられ小口の強さが引き出されています。パーツの少なさ、力学要点の押さえなどデザインのミニマム性も評価されているようです。
  やや特異な形状は既に高周波発震装置を導入し、型成合板技術に優れていた天童木工にふさわしいデザインだったと思われます。しかし当時、同社をもってしても複雑な意匠の商品化はコスト面から困難と判断されたようです。結局試作のみでマッシュルームが世に出ることはありませんでした。 
  ところが21世紀に入って、1950〜60年代のデザイン品がミッドセンチュリーとしてエポックメーキングな人気となりました。この時流の中で天童木工のある社員は同社に名作たる試作品が眠っていることに気付きます。すでに技術はコンピュータ制御など飛躍的な発展を遂げていたのでしょう。2003年1月、ついにマッシュルームは製品化されて市場へと登場しました。
  樹下美術館の各パートにはそれぞれ異なった椅子が置かれています。なかでも円形で高さのある絵画展示ホールに置く椅子を選ぶのは最後まで楽しい作業でした。アジアンからミッドセンチュリーへ、名作ペリアンチェアから天童木工へ、そして導かれるようにマッシュルームへと到達しました。館長は決定の直前までこの小さな家具が辿った運命も作者のこともあまり知りませんでした。
  生みの親である山中グループは以下の方々です。そして一員の山中阿美子さんこそ当ホールの展示画家・故倉石隆氏のご長女です。現在、白い小振りなホールで父娘の作品は静かに対面しています。隆氏が亡くなられて9年、マッシュルームスツールが入選して46年の歳月が流れていました。親子の作品が当館の一角で出会うのにある種不思議な運命を感じます。 

一脚では話しかけ 二脚だと語り合う
ミッドセンチュリーからきた宇宙人のようです

紙を折ったり曲げたり学生時代の楽しい思い出です。
復刻の知らせには大変驚きました(山中阿美子さん談)

山中康廣:東京都出身/1938年生まれ
  早稲田大学建築学科、同大学大学院修士課程卒業
  現在、山中康廣建築設計事務所主宰

山中阿美子:東京都出身/1939年生まれ
  東京芸術大学卒業、同大学大学院修士課程卒業
  現在、山中デザイン事務所主宰
  ※阿美子氏は新潟県立高田高等学校の卒業生です

曽原厚之助 :東京都出身/1939年生まれ
  早稲田大学建築学科卒業
  現在、KS環境デザイン主宰