樹下美術館

一枚の写真一冊の本

2007年9月20日更新

 当館展示の陶芸家齋藤三郎と画家倉石隆の二人は上越市ゆかりの人で、かつ戦前、戦中、戦後平和の時代と、ともにダイナミックな文化変転の舞台で懸命にゆめ見、励んだ芸術家として活躍しました。二人は高田と東京に住まい、出会いは頻繁ではありませんでしたがいくつか会合場面があります。直接の会合は館内ゆかりのコーナーに展示した写真の昭和40年6月における主体美術協会員、倉石隆・矢野甲子夫・賀川孝の「三人展」などと思われます。他方、間接的な出会いは、上越市出身の第三回芥川賞(昭和13年)作家・小田獄夫の地域文化振興に呼応したいくつかの出版事業があります。戦後すぐの「文藝冊子」(現・文芸たかだ)の草創や昭和48年出版の書籍「高陽草子」への参加でした。
 このたびゆかりの小コーナーは上述の写真と書籍「高陽草子」を取り上げ、ボックスに展示しました。高陽草子の著者は小田獄夫、表紙題字を児童文学の坪田譲治、表紙装幀と一枚の挿絵を倉石隆、寺町における小田獄夫の扉写真をマグナム賞写真家・濱谷浩、扉絵を齋藤三郎、さらに挿絵を画家・賀川孝と彫刻家・岩野勇三が一枚ずつ担当しています。そうそうたる士が関わった書物の内容は、主として上越に関する小田氏の諸筆をまとめたもので、興趣と思索に富んでいます。 
 疎開を期に戦後の上越は多くの文化人が住まい、地域の人たちも巻き込んで交流し合いました。特筆すべきは戦後1,2年ではなく、5年、10年それ以上もこの機運と縁が続いたことではないでしょうか。上越一帯が人をもてなし、楽しみ、学ぶ気質の豊かな風土だったからにちがいありません。
今後、齋藤・倉石両氏とその時代、上越地方に交錯した画家小杉方庵、詩人堀口大学、写真家濱谷浩、俳人高浜虚子・星野立子、版画家棟方志功、童話作家坪田譲治、歌人會津八一ほかの人々、そして両氏系譜の人々の小品などを、およそ2ヶ月に1回更新の予定です。温故知新、楽しみながらのコーナーになればと思っています。

5冊の高陽草子を展示しました 昭和40年、三人展を訪れた陶齋

2007年9月20日 館長