神話の東北 失神した子ども 温かく着実に

2011年3月28日(月曜日)

  夜半過ぎ、仙台で二泊した妻が帰宅した。バス(仙台→新潟)と電車(新潟→柿崎)を乗り継いで“ただいま”と言って帰ってきた。

 

 どこか別の国から来たような印象。仙台に2家族、南三陸町に1家族、話を聞くと親たちはみな再出発に直面して大変そうだ。

 

小さな子どもたちはそれぞれに打ちのめし、喪失、怒りなど複雑なダメージを受けてる様子。 高学年の子ども達には、ある種挑戦の芽生えを感じたという。

 

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妻が撮った写真
アーティストの一部は昨日までこのような光景を作品などと呼んでいたように思う。

 南三陸町の小学生である姪の一人はこう話したという。学校は町を見下ろす高台にある。

 津波が来て、先生は子どもたちが外を見ないように教室のカーテンを急いで引いた。しかし、そっと覗いた子どもがいて、あー、と叫けぶと気を失ったという。

 

 荒波に水没する我が町と子どもの感受性、胸が締め付けられる。親を失った子供たちも少なくない。辛い親、悲しむ子どもを無理矢理笑わせるようなことは慎重にしたほうがいい。

 

“私たちは一緒“は、はたして通じるだろうか。

現地の人は心身が裂けるほど疲労している。

“頑張れ”というのは加虐的であり耳障りな雑音かもしれない。

 温かく手応えある支援と、着実で夢いっぱいの復興計画が待たれる。

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