2014年8月
さらば夏の「はくたか」 幸せなヒメアカタテハ。
最後の夏の日、美術館で昼食をしました。
午後お客様が続き、昨日のサブリーユのプレーヤーさんやお客様だった方のご家族も見えられた。
さらに外人さんを交えた皆様、一家5人さん、先輩ご夫婦ほか皆様有り難うございました。
鑑賞とおくつろぎの様子はとても張り合いでした。
今日で「はくたか」は最後の夏を終える。
幸せなヒメアカタテハのつがい。
後ろの個体がよく見えませんがこれ以上邪魔もできません。
さて田圃へ出るとはくたかがやってくる。本日で夏の走行が終わり、明日から最後の秋冬へと向かう。
これまではくたかに大きな事故はなかった。どうか最後まで無事に走って欲しい。
拙歌)
はくたかの夏は終はりぬ白雲の 頸城の田なかを風のごと往く
サブリーユの土曜JAZZ.
小船津浜は「サブリーユ」で月一回の「土曜JAZZ」の日に夕食をした。
以前から行われているのを聞いていたが、実際は今日が初めて。
しかも今月はついにサブリーユが4回目となった。
当店は食材が新鮮なうえ油、塩、その他しつこくなく飽きない。
満席となった会場で演奏はギター、ピアノ、ベースのトリオ。
こじんまりしたレストランでジャズの生音の中の食事、それだけで十分だ。
アマチュアだが、そこにはアマチュアらしい楽しさやスリルがあってまた良いのである。
一ヶ月前に予約をしてその時生意気にも「Eealy Autum」をリクエストさせて頂いた。
コードがすこし厄介ながらリリカルな曲調は、この時期ピッタリであろう。
実際、期待以上の演奏となり拍手に力が入った。
ほかに「It Could Happen To You」が聞けたのも嬉しかった。
さてジャズの楽しさはやりスイング感だ。
これが聴く人の心を揺らし、演奏者同士の、客席の、そして双方で高まりを共にする。
以下はエラ・フィッツジェラルドとダイナ・ショア-のデュエットです。
コアな人はもしかしたらジャズでない、と言うかもしれません。
しかし二人が体現しているのはまさにスイング、そしてジャズのエッセンスではないでしょうか。
歌は.”メンフィス・ブルースから1:57あたりでセントルイス・ブルースへ変わる。
息が合った見事なハーモニー。
次第に盛り上がり、4:15からのドライブ感などさすが大御所同士です。
晴れ晴れと歌ってエンディングのハイトーンを決めます。
スイングはエッセンスですが、一方で不思議なことにジャズメンたちは、一旦バラードやブルースなどスローとなると人が変わったように叙情的な演奏をするのです。
今年前半皆様の「お声」。
樹下美術館内の陶芸ホールやカフェに合計5冊のノートがあり、皆様から自由にお書き頂いたいます。
今年前半3月~7月までの分がまとまりましたので、樹下美術館のホームページ「お声」に掲載されました。
140筆近い感想、お気持ち、俳句、詩、などが様々に綴られていました。
初めて美術館というもに接したこと、展示への感想、庭やカフェのくつろぎ、お一人、カップル、ご家族、お知り合い、友人、、、多様な皆様のお気持ちに接し、お書き頂いた事を心から感謝しています。
カフェの山本信氏の女性像とノート。
窓の左からハクセキレイが覗いています。
「 あめがすき・雨上がりの水たまりがすき
はれがすき・木もれ日のきらきらがすき
きょうも あしたも あさっても 誰かが、そばにいるだけで・・・
生きていて よかったぁ」
ある日の来館者さんのノートからです。
〝励みになります、皆様また自由にお書き下さい〟
11月 、楽しみな「SPレコードを聴く会」のお知らせその1
今夕、あるご夫婦と食事をしました。
来る11月予定の「SPレコード(手回し蓄音機レコード)を聴く会」で協力を仰いでいたA氏ご夫婦。
SPの会は樹下美術館の発足当初から行いたいと思っていました。
当館にも家庭用HMVと、小山作之助ご長男のSPコレクションなど結構あります。
しかし機械、さらにレコードは氏の協力なくしてコンサートまでは出来まい、と思っていました。
今夜は、そのSPの会にちなんだ一回目の打ち合わせ(表向き)でした。
確固たる原理に基づく応用の人A氏、ご一緒は楽しく有意義でした。
食事はいつものサブリーユ、その約3時間で以下の概要がまとまりました。
●期日は11月何週目かの土曜日 9月中に決めます。
※開始時間14:00は17:30に変更になりました(9月5日)。
●お客様はSPコアの人から初めての方まで広く。
●演奏家はクライスラー、カザルスなどからひばり、シナトラなどまで。
●いつの日か第二回を。
11月とは言え残り二ヶ月、今後必要なお知らせを致します。
〝どうかご期待ください〟
日本自然科学写真協会に入会した。
ブログ(館長のノート)に拙文と写真を載せていますが、日常も案外撮影対象があるものだと知らされます。
およそ美術館の行き帰りや在宅まわりではカメラを携行するようになりました。
虫、鳥、草花、電車、および海や空と雲などが対象です。
それらは日ごと、また季節ごとに変化して見飽きることはありません。
今年春、プロアマ問わず入会出来る日本自然科学写真協会(SSP)という団体を知りました。
電子顕微鏡などのミクロから動植物、気象、天体、地質など幅広いジャンルがカバーされていました。
さほど堅苦しさもなく楽しむ印象も伝わります。
入会には一応審査があり、申し込みは書類と2Lプリントした5葉の写真を添えるとありました。
これまでの写真から雲を選んで申し込みますと、2ヶ月余りで入会許可の通知がきました。
入会金15000円、年会費15000円と少々高いのですが送付し、過日会員証が届いた所です。
年と共に組織や団体への帰属願望が薄れ、もとより発表やコンテストもあまり関心がありません。
これまで通り少しでも長く、身の回りの事象に眼をやりながら暮しの励みになればと考えている次第です。
去る8月22日の日没後、東の空に現れた奇妙な形の雲。
コヨリのような深海魚のような形。どうしてこんな形が生まれるのだろう。
同日同じ時刻の南の雲。海へ日没しているのに山に掛かる雲が発光している。
高い雲ならともかく、なぜ低い部分が輝くのだろう。
午後の晴れ間に坂口ふみさんと皆様がご来館。
前日からの雨は時に恐ろしいほど強く降った。
昼過ぎ、やっと雨があがりましたね、と坂口ふみさんが皆様と一緒に来られた。
宗教・哲学研究者で東北大学名誉教授のふみさんは静かでとてもお若く優しい人だった。
お父様は上越ゆかりの世界的な応用微生物学者で発酵の権威、文化勲章の坂口謹一郎氏。
午前中に頸城区で謹一郎氏の墓参りをされ、坂口記念館の訪問の後、当館へ足を運ばれた。
謹一郎氏は最後まで陶齋と親交を結ばれ、陶齋の弔辞を読まれている。
本日は二代陶齋・尚明氏が案内役をされ、初代と仲が良かった方達も一緒だった。
皆さん熱心に作品をご覧になり、カフェにおりてのお話は尽きることがなかった。
坂口先生(右から三人目)と一緒に。
〝お訪ね頂き有り難うございました〟
坂口 ふみ(さかぐち ふみ、1933年 – )東京生まれ。東京都立三田高等学校卒、1957年東京大学教養学部ドイツ科卒、同大学院人文科学研究科比較文学比較文化修士課程修了。ミュンヘン大学にてPh.D.取得。1972年東京大学教養学部助教授(ドイツ語)、1984年東北大学教養部教授、1997年定年退官、名誉教授、清泉女子大学教授、2004年退任。
著書 「〈個〉の誕生 キリスト教教理をつくった人びと」岩波書店1996年ほか多数。
齋藤三郎(陶齋)の器と花。
樹下美術館の陶芸ホールでは器に花を入れて飾っています。
作品を実用するのことには意見が分かれるかもしれません。
しかしながら館内が和むこと、器に生気が漂うことを良しとして続けている次第です。
昨年は4つの器を使いましたが時期によって花を供給するのに少々大変でした。
そこで今年は2つ、会場入り口と奥正面の器で花を飾っています。
辰砂鶴首花瓶(しんしゃつるくびかびん)
タムラソウ、桃源ホトトギスやイトススキなどが入っています。
鉄絵手桶花生(てつえておけはないけ)
白花シュウカイドウ、ダンギク、ヤハズススキなどが入っています。
花好きだった齋藤三郎(陶齋)の器は花を活かす一方で器自身も生き生きします。
現在よく花を頂くお茶人から届いたものと、当館庭のススキ類が相性よく収まっています。
お花が変わるかも知れませんが、ずっと続けますのでどうかご覧になって下さい。
欅の枝切り 頼んで良かった業者さん。
診療所のケヤキがひどく繁茂して、道路や隣家の庭まで覆い始めていた。
そこで先日ある事業所に依頼して枝の伐採をしてもらった。
大がかりな手間になると思っていたが、作業は一人で非常にスムースに行われた。
ハーネスを装着し、ロープを枝に掛け巧みにチェーンソーを操る。
以前のこと、庭木の伐採と剪定のためにあるシルバーの派遣を依頼したことがあった。
二人で来て午前中から始まったが、昼休みまで作業はさしてはかどっていなかった。
午後しばし眺めてみた。
一人が枝を一本切ると一人がそれを5メートルほど先に運ぶ。
まだ若々しい人たちなのに動作は緩慢だ。。
よく見るとほんの小さな枝切れでも、一本ごとにぶら下げて歩くのである。
二人で切り、脇に積んだのをまとめて片づければいいのに、、、。
二人とも動いているので一見仕事に見えるが、つくづく馬鹿にされていると思った。
そのうち友達だろうか、ほかの男性が来て立ち話が始まった。
たまらず出て行って、意味のない動きや立ち話を注意し、派遣元に報告すると伝えた。
すると二人はせっせと動きはじめ、たちまち仕事がが片付いた。
時給で費用が発生するような作業を依頼した場合、とんでも無いことが起こることを知った。
ではどうすればいいだろうか。
一つはその方面に詳しい信頼できる人に業者さんを探してもらう。
一つは具体的な作業内容を伝えて貰い、しっかりした見積もりを出してもらう。
悪口は言いたくないが、シルバーさんといえども気を付けなければならならないという事になるのか。
このたびは挙げた一番目を満たした業者さんだったが、自らきちんとした見積もりも出された。
作業は迅速で事故もなく費用は大変リーズナブルだった。
ちなみにこのケヤキは貴重な緑陰を提供するが、繁茂と落葉でかなり手こずらされる。
しかし一度だけもっと若木の頃、めざましい自力を発揮したことがあったらしい。
1964年の新潟地震の時、家から飛び出した近所の人たちが安全だからとこの木に集まったという。
生前、そのことを何度か母から聞かされた。
鵜の浜温泉まつり がんばれ鵜の浜温泉 INPEX・メガソーラー上越。
1956年(昭和31年)に現・上越市沿岸に温泉が湧出した。
幸運にも旧・潟町村(現上越市大潟区)で帝国石油がガス掘削の際に掘り当てた。
当時中学三年生だった私は胸躍らせて現場を見に行った。
海岸べりの旧・国道のすぐ左側に蛇口がセットされ、暖かな湯が出しっ放しになっていた。
半農半漁の寒村にあって全く新しい変化が始まる予感に包まれた。
当時の村民はみな同じ思いだったにちがいない。
温泉は帝石から村に譲渡された。
間もなく公営の入浴施設が出来、篤志家が近くの松林にバンガロー村を作った。
帝国石油が東京都へ直接するガスパイプラインを敷設すると、大手企業が進出した。
雇用が急増し極めて希なことに人口増加が始まった。
湯には鵜の浜温泉の名が付き、以来60年近い年月が経っている。
正直、当湯は小さな温泉場である。
旅館、ホテルの仕事には、並々ならぬご苦労があったに違いない。
よくぞ今日までと心からの敬意を禁じ得ない。
開湯40周年だったかの記念行事の一環で、不肖小生が書いて演出した「人魚塚」の再公演があった。
挨拶した町長はもっぱら帝国石油の話に終始して、温泉関係者の努力に触れなかった。
演劇に先だって挨拶を求められた。
一種感情高ぶってしまい、思わず涙を飛ばして鵜の浜の当事者を讃えた。
本日第14回の鵜の浜温泉まつりがあった。
勇躍高田から先輩ご夫婦が見え、夕刻6時に浜茶屋「都屋」に座った。
茶屋には友人の顔や高田の名医ご一行の賑やかな一団もあった。
心配された雨もなく、海は穏やかに暮れた。
正午から始まった祭りのイベントは、よくもまあ15以上もある。
浜風涼しく昨年に劣らず大勢の人が集まった。30分の花火は大きな拍手で終わった。
地域は中心市街地だけのものではない。
周辺の中小や弱小が必死になってこらえ支えている。
祭に毎年心づくしの寄附をさせていただいている。
今夜の会場の司会が「お帰りは、来年のために温かいご寄附を」と述べた。
帰路、わずかながら皆して追加させて頂いた。
「がんばれ鵜の浜温泉」
最後に永年親しんだ帝国石油に新たな敬意を表さなければならない。
同社の系譜に連なる国際石油開発帝石株式会社のグループ企業である「INPEX・メガソーラー上越」が頼もしい。
減少する国人口を考えれば、国にはクリーンエネルギーを口実だけにとどめて欲しくない。
クリーン都市・上越市に相応しい一層の展開を期待したい。
不安定な気象 名残惜しさがつのるはくたか。
雨による広島県の土砂災害はひどい。
あすも上空の寒気や寒冷前線に入り込む湿った南からの大気などで不安定な気候が続くらしい。
本日夕刻海を見て、蜘蛛が池の先へ出て、.水田から名残惜しい「はくたか」を撮った。
如何にも不安定な空模様。
数キロの違いで晴れたり土砂降りになったり、本日はヒョウも降ったと聞いた。
こんな日に限って息を飲むような夕焼けに変わる。
猛然と夕陽を追う「はくたか20号」。
轟音とスピードから「頸城野の龍」と呼びたいほどだった。
「はくたか」は日に日に名残惜しくなります。
今日はかなりイメージに近い写真が撮れました。
齋藤三郎(陶齋)の辰砂 志賀重人、棟方志功、河井寛次郎各氏らの関与。
昨年から樹下美術館ではいくつかの齋藤三郎(陶齋)の器に花を活けて展示しています。
日本広しといえども、美術館の器展示物に花を入れてご覧頂いているのは当館くらいかも知れません。
本日は入り口正面にある辰砂の器にムクゲとイトススキが入っていました。
さてこの器のうわぐすり(焼き物を発色させる顔料)である陶齋の辰砂(しんしゃ)について記してみます。
わずかに紫を含む紅色の辰砂は陶齋(齋藤三郎)が好んだうわぐすり(釉薬)の一つで、生涯に亘って制作しました。
「辰砂は難しい」
しかし高田で制作を始めたばかりの頃の陶齋はそう漏らしたそうです。
このことは小生の両親からよく聞きました。
辰砂の主成分である銅は、温度を上げると窯の中で容易に気化して器にとどまらない性質があるのです。
焼成は窯の酸素を遮断する還元焼きで仕上げますが、タイミングと具合が極めて微妙です。
さらに器の土選びから釉薬の濃度、窯の炊き方冷やし方、個々の器の遮蔽など細かな条件の調整が必要でした。
これらは築いたばかりの大きくて素朴な登り窯ならば、なおさら微妙であり、
成功の暁には得に言われぬ上品な辰砂が現れたにちがいありません。
本日の樹下美術館でムクゲが生けてあった辰砂鶴首花瓶(しんしゃつるくびかびん)。
(陶齋は花を生けると書いています)
思い通りに進まない陶齋は昭和27年、辰砂を自在に操る京都の名工、河井寛次郎に教えを請うことにしました。
寛次郎と陶齋の師・富本憲吉は民芸運動などを通して旧知の間柄だったことも、幸運の一つとして考えられます。
そのころ陶齋の許には最初のお弟子さん・志賀重人氏がいました。
登り窯を築いて3年、多忙な陶齋に代わって志賀氏が寛次郎を訪ねることになりました。
志賀氏がまず向かったのは版画家・棟方志功の所でした。
当時、陶齋と棟方は戦前からの旧交を再開させていました。
棟方は訪れた志賀氏の目の前で制作に取りかかると、短い滞在中にたちまち20枚の作品を仕上げたといいます。
陶齋は志賀氏の京都行きの費用に充てるため、予め棟方の援助を求めていたと考えられます。
棟方はすでに気鋭の版画家としての地位を固めていました。
志賀氏が携えた貴重な版画は一ヶ月に亘る京都滞在と河井氏からの指導を大いに助けました。
勉強家の志賀氏が十分な技術を習得して帰ったのはいうまでもありません。
さて樹下美術館には20点ちかい陶齋の辰砂作品があります。
私は難しいとはいえ、辰砂は昭和23年初窯など早い時期から一定レベルで焼成されていたとずっと思っていました。
しかし安定した作品が出るようになるのは昭和27~28年からということになります。
昭和26年4月、高田品川軒に於ける棟方志功展。手前が棟方氏、右に陶齋
後ろ左に専念寺ご住職、右住職のご友人T氏。
この夢のような光景は齋藤三郎なしで実現しただろうか。
写真提供:齋藤尚明さん。
以上一連のことは先日お訪ねした上越市大潟区の専念寺ご住職からお聞きした話でした。
氏は早くから陶齋と交流し、初窯の窯出しに立ち会い、志賀氏を知り、棟方とも出会っていました。
斯くお話から、陶齋の辰砂誕生には、偉大な芸術家たちが好意的に関与していたことになります。
驚くべき齋藤三郎の人間関係と言わざるをえません。
それにしましても私は館長とは名ばかり、三郎を巡ってますます知らないことばかりです。
今後も新たな事実との出会いが期待されますし、作品への親しみの為にもそのことを願っています。
昼の雲、夕の雲 お客様ゼロが無くなってきて。
午後最高気温が34度になる暑い一日でした。
昼の空は晴れ上がり関田山脈からいくつか高い雲が立ち上っていました。
美術館では昼のカフェは賑わったが午後は展示もふくめて閑散だったということでした
閑散と言えば当初の数年間は来館者さんゼロの日が時々ありました。
しかし幸いなことに、昨年あたりから年間を通してそれが全く無くなったのです。
このことでは当館のことが少しずつ口コミやネットで広がっていること。
カフェの常連さんたちが底で支えて下さっていることの二つが大きいと思われます。
常連さんの中には、誰も来なかったら電話してと、携帯番号を窓口に知らせて下さった方もいるのです。
「万事心込める」、今後ともそのことを胸に皆で頑張って行きたいと思います。
私のノートには雲や夕焼けが頻繁に登場します。
昼の雲のことは少しは分かるのですが、日中のうちに夕焼けの善し悪しを予想するのは大変難しく思われます。
本日は外出していた妻が帰りの車中から、すごくなりそう、と電話をしてきました。
診療を終えて先日の潟川に行ったところ、雲全体が燃えるようになりました。
次第にきれいな夕焼けが見られる季節になりますね。
夏の往き来。
雨降りの盆が終わって残暑きびしい一日。
訪問で訪ねた家の傍らの栗は大きく膨らみ、数も多かった。
さて今回15日の上京で翌16日午後一足早く私が帰り、妻は午後仙台と宇都宮の孫たちを訪ね2泊して本日帰って来た。
いつもは皆が訪ねて来ていたが今年初めて自分から出かけて回った。
聞いてみると、どちらかというと訪ねた方が楽だったという。
ところで、ある70代後半の男性は、この夏まず長男達が訪ねて来て、そのあと数日次男の家を訪ねる事になっている。
9月になると今度は会社の部下達の集まりがあり、もう出欠の返事をしなければならない。
少なくともその会は、どうしたらいいでしょうか、と仰った。
今月初めのことだった。
長く管理職をされた几帳面な方だ。食事を守り、決めた散歩をされる。
病もそうだが、ある年齢になると一定の生活リズムを変えることに不安を覚える。
問題の会社の会は一泊で、20年ほど前の部下達が集まり、5,60才代中心だという。
60代までと70代の生活感の違いは非常に大きい。
「先輩!元気ですか!」
酔いにまかせて突然背中を叩かれる場面などは容易に想像できる。
この方なら今から気が滅入ることであろう。
「これまで十分なさったのでしょうから、もういいのではないですか」とお答えした。
「そうですね、ああ気がすっきりしました。年長の私がお聞きするなどお恥ずかしいことです」
明るい顔になられて、こちらもほっとした。
考えてみれば私は5、6才下とはいえ、ある意味同世代といってもいい。
答えながら教えて貰っている感じがするのです。
(上掲文は部分的に設定を変えています)
静かな夕刻の柿崎海岸。
夕方随分ご無沙汰していた柿崎海岸を歩いた。
遅い時間で海に人気は無かった。
私のお盆休みは終わる。
本日もお天気は優れず海は静かだった。
いつかもそんなことがあったが、帰ろうとすると海面がざわついてきて大きな魚が跳ねた。
陸は静かだが海は元気なようだ。
夕焼けの写真を撮ったあと、灯に誘われて自販機の飲み物を買った。
お盆休みの上京 ジャポニズム展 豊島園 武相荘。
15日16日と上京した。幸い東京は降らず昨日はかなり強い陽がさした。
15日は午前にほくほく線に乗り東京駅から渋谷経由で世田谷美術館へ。
同館は9月15日までの予定で「ボストン美術館 華麗なる ジャポニズム展」が開催されている。
19世紀後半から20世紀前半にかけて日本美術は欧米を文字通り席巻した。
広重と北斎の浮世絵を筆頭に漆器、工芸品、着物、武具、庭園に至るまで広く熱狂的な芸術潮流を引き起こした。
その影響は印象派の絵画から英国のアーツアンドクラフトまで及ぶ。
思いも寄らぬ構図、鮮やかな色彩、モチーフの動きや情愛、粋と洒脱のフィーリング、自然へのこまやかな視点、そして全体、、、ことごとく受け手側のショックが伝わる。
当時の我が国に於いてこれら文化は一部の階層だけでなく、
様々な形で人々の好みとして広く親しまれていたに違いない。
それらは現在言われるクールジャパンやカワイイなど比較にならない深度と地平を有していたと思われる。
入場券は当展の象徴的な大作、クロード・モネの「ラ・ジャポネーズ(着物をまとうカミーユ・モネ)」
展覧会は大変な人気。若い人が多、く非常に頼もしかった。
見終えて出た広い庭、欅の木漏れ日の下でかき氷を食べた。
小さなジャポニズムが刺さっている。
ジャポニズムの展覧会がとてもお似合だった来館者さん。
名刺をお出しして撮影させて頂いた。
〝有り難うございました。〟
展示された広重の版画は早くから美術館収蔵されていただけに新鮮さと美しさは抜群だった。
私たちにとってジャポニズムは芸術の逆輸入であり、あらためて江戸時代の美とは、日本の美とは、を考えさせられる。
この度の上京は忙しい。用賀のジャポニズム展の後は阿佐ヶ谷で一年生の孫と待ち合わせて「豊島園」へ。
念願の夕刻のメリーゴーラウンドを見ることが出来た。
豊島園のシンボル、メリーゴーラウンドは「カルーセルエルドラド」。
当メリーゴーラウンドは現存する日本最古の遊戯器械であり、世界的に見ても最古クラスのものだと言われる。
1900年代初めにドイツで制作され、1911年にはアメリカに渡りさらに1971年に豊島園に来たという100年前の貴重なものだ。
このたび私はもっぱら写真を撮る側だった。
メリーゴーラウンドは幼年時代からの密かな憧れ。
来年は是非とも乗ってみたい。
以下は翌16日に訪ねた小田急線は鶴川駅下車の「武相荘」。
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若き白洲次郎氏の愛車
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木製の一輪車?
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レストランの前庭を飛び続けていたルリタテハ
この蝶はもとの主(あるじ)か武相荘武相荘の旧主・白洲次郎氏のおよそは知っていたしTVドラマにもなった。また骨董を通した青山次郎氏との壮絶な交流など正子夫人のこともよく書物で目にした。
本日の訪問で、内部でもう少々お二人の体温や居住まいが伝わればと感じた。一方予約して食べたカレーはとても丁寧で、家具や農具、あるいは小径などが親しめた。
武相荘からの帰路、暑さの中を歩いていると小田急バスがやってきて飛び乗った。
- 鶴川から新宿までは早い電車の乗り換えもせず、各駅停車で20数駅をずっと座った。
- いつしか近年希なのんびりした気持ちに包まれた。
- 電車の中で妻が、
「東京の人が都会の生活が楽だというのが分かるような気がする」と漏らした。
一泊の上京だったが色々な電車に乗り、可愛い孫にも会い長旅をしたように感じた。 -
東京駅のホームに出ていた新たな北陸新幹線の大きな看板。
夏のデッキで食事 美術館で仲直り。
昨日から17日まで取ったお盆休みの二日目。
お盆中、主婦であるスタッフは忙しい。そこで四日続けて妻の出番となった。
そんな訳で本日の朝昼兼用の食事を美術館のデッキで食べた。
ホットサンドのパンは8枚切りが二枚、本日はミルクをつけました。
具にタマネギ、キャベツ、チーズと少々のベーコンを入れマーガリンを薄く塗って焼いています。
付け合わせは好評のピクルスと果物。価格はホットサンドイッチとポットコーヒーで950円です。
今回の熱量はミルクを加えましたので650Kca前後だと思いました。
本日のノートはヘッダーを入れて同じような写真が三枚も並んでしまいました。
以下のチョーカーも入加えて夏のコマーシャルという所でしょうか。
本日、次のように仰って濃いブルーのシーグラスチョーカーを買われたカップルがいらっしゃったと聞きました。
「車の中でけんかをしてきたが、ここへ来たらすぐ仲直りできた。記念にこれを買って帰ろう」
優しい雰囲気のご主人だったそうです。
樹下美術館を訪ねる方たちの帰りのお顔がとても良い、といつも思います。
潟川の夕暮れ カルガモの月浴び。
昨日は午後から次第に雲が退いて暑くもなく穏やかな夕暮れとなった。
大潟区や頸城区などの水田を潤す小さな潟川。
その夕暮れにカルガモなのか水鳥一家は静かに逍遙する風だった。
拙句) 水鳥の川面の月と眠りませ
拙文) 「かるがもの月浴び」
ある夏の晩
さあ今夜は満月だから月を浴びましょう
お母さん鴨が子ども達に言いました
川面に写るまあるい月の中に年の順から入るのです
最初にお母さんが入りました
月の水面をちょんちょんと突ついて水を吸います
続けて体を潜らせ、震わせ、立ち上がって力一杯羽ばたきました
金色のしぶきがぱーと飛び散りました
同じ事をもう一度繰り返えすとゆっくり羽をたたんで目を瞑ったのです
穏やかな光りがお母さんを被っていました
七羽の子どもたちも順に水を飲み潜りしぶきを上げました
最後は皆目を瞑って月に包まれます
はいあなたの番よ、最後にちびちゃんが呼ばれました
うとうとしてしていたチビちゃんも光の中に入りました
金色の水をすすると眠気が覚めます、夢中になって潜って羽ばたきました
ああ、なんて気持ちがいいのでしょう
揺れる水面、飛び散るしぶき、なにもかもが金色に輝いています
チビちゃんは何度もしぶきを上げ羽ばたきました
さあ目を瞑って、お母さんの声がしました
あわてて羽をたたむと首を曲げて目を閉じました
どきどきしていた心臓がだんだんとゆっくりになります
月はひときわ優しいい光でチビちゃんを包みました
頭の中に真白な卵が一つ現れて中にまあるい黄身が浮かんでいました
私も昔は月だったのかしら、私のまあるい月、、、遠い短い夢でした
さあ帰りましょう明日も早いのよ、またお母さんの声です
チビちゃんは今見た夢をすっかり忘れていました
居眠りしていた子ども達は急いで集まると真っ直ぐねぐらへ向かいました
月はもうひと遊び、と言って川面でゆらゆら揺れながら波乗りをしました
台風一過の空 憎らしいカボチャ。
今朝までに台風11号は当地の沖合を抜けて行った。
上越地方はさほど目立った被害はなかったようだが、一日中強い風が吹いた。
多くの台風がそうであるように、去った後の空にはさまざまな雲が現れて興味深かった。
夕暮れ時、塵が払われた空の雲は四方まで華やかに染まっていた。
雲が雲を噴出しているような昼の空。
高いすじ雲に低い雲が重なっているだけのようですが、面白い光景でした。
本日お会いした88才のおばあちゃんは気丈な独り暮らし。
右手に新しく湿布が貼られていた。固いカボチャに手こずったらしい。
「カボチャと格闘したので痛くて痛くて、憎らしいカボチャだわ本当に」と仰った。
肩も胸も痛いということ。
一時は寝たきりが心配され関係者で相談会も行ったが、春から老人カーでトイレに行けるようになった。
今は新聞を読み読書をし墨絵を描き、前向きに暮らしていらっしゃる。
カボチャと言えば昔、母から切ってといわれて切ったことがあるが確かに石のようだった。
本日見かねた看護士が少し茹でてから切ったらどうでしょうか、と言った。
何かあれば飛んでくる息子さんが近隣にいるが、本人はここがいいと仰る。
カボチャと格闘されたおばあちゃん、多くの人が無事を祈っている。
台風接近 嵐の前の静けさに乳房雲。
西日本に大雨被害をもたらした台風11号は18;00に輪島沖を北北東に向かって進んでいると報じられていた、
今後佐渡沖を通過するのではないだろうか。
幸い本日上越市はさしたる雨も無く夕刻まで風もほとんど無かった。
さて平成12年10月、強い台風が太平洋沿岸を通過する前日の夕方、往診の帰路、房状の変わった雲を目にした。
仕事場に帰って撮影したが乳房雲と呼ばれるものと知った。
2012年10月日台風26号接近で見られた乳房雲。上越市大潟区で。
以来台風が近づくと空を見るようになったが2012年の雲ほど明瞭なものは見られなかった。
ところが本日四ツ屋浜で、佐渡島方面を房状の雲の集団が通過するのを見た。
2014年8月10日、13時すぎから見られた乳房雲。
大潟区四ツ屋浜から見て佐渡島方面の空をゆっくり東へ移動しつつ形状が崩れていった。
この雲も乳房雲と呼べるものではないでしょうか。観察時は微風で雨も降っていませんでした。
なぜ房状になるのか分かりませんが、少なくとも強風や雨のもとでは見られそうもありません。
曇りで湿度が高く、嵐の前の静けさの時刻にいっとき現れるようです。
ブログアップ時刻は21:20頃ですが、風の音が聞こえるようになりました。
台風には明朝までに無事通過して欲しいところです。
降り続く雨 巻き毛風のカノコユリ。
盆を控えた夏休みの真っ最中に雨が降り止まない。
昨日は、「雨のお陰で墓前に供えるアズマギクがしゃんとしてきて助かった」と仰る人がいた。
また「田にも良かった」と言う方も。
しかし本日は、「もう雨はいらない」と言う人ばかりとなった。
暑さの庭でずっと蕾を閉じていたカノコユリの白が咲き始めた(上)。
くるりくるりと花びらを後方に巻くような姿は涼しげで愛らしい。
恥ずかしながら私はどちらかというとショートヘアーが好きで、娘もそうでしたが子どもの自然な巻き毛のショートは特に可愛いと感じました。
当時の本人は少々悩んでいましたが、この花を見ると娘の子ども時代を思い出します。
最近巻き毛のお子さんが少なく思われますが、早くからパーマをかけるのでしょうか。
後藤丹先生。
この所梅雨に戻ったような雨降りが続いている。本日も一日中降り、最高が25度程度でした。
昨夕は上越教育大学の芸術系コース音楽教授の後藤丹先生を交えて6人で食事をしました。
昨年7月、新潟メディアシップに於ける二代陶齋作陶40年記念のパーティーで初めてお会いした先生。
その時「小山作之助について研究してます」と仰られ、
今年7月小山作之助生誕150周年記念行事で「小山作之助の音楽を求めて」の素晴らしい講演をされました。
作之助作曲の唱歌における曲構成の特徴や、斬新なメロディラインおよび部分的な音符配列の特徴などが語られたのです。
当日会場の暑さも忘れ、先生の鋭い感性と深い探求に心奪われました。
先生を囲む食事で話はずみ、食後は友人宅へ場所を移してまた楽しいひと時を過ごしました。
先生の分野は音楽の根幹、作曲。かつ研究室テーマは、日本教育音楽における尋常小学校唱歌、特に黎明期の分析的な研究です。その中で音楽教育の母、小山作之助が主要な対象であることは、大学の建学趣旨および地勢の上からもぴったりだったことをあらためて知らされます。
様々な談義の中で、私は譜面と向き合うことが仕事です、と控えめに仰ったのがとても印象的でした。
昨年の新潟市のパーティーでは一人で同時に二本のリコーダーを吹かれた楽しい先生。
貴重なお人が存分に活躍され、長くこの地でご指導くださることを願わずにはいられません。
音楽のほか美術館の営みについても刺激を受けた夕べでした。
齋藤三郎(陶齋)の署名「齋」 蘇るパワー。
去る7月18日、お茶人の宗香先生から頂いた齋藤三郎(陶齋)の香盒の署名について書きました。
それは特徴的で、長く不明だった樹下美術館収蔵のある作品の制作年に重要なヒントを与えるものでした。
今回写真が多くなりますがその実際をお示ししてご説明してみます。
まず以下は手許に長くあった作品とある種典型的な陶齋の署名です。
①「鉄釉葉文鉢(てつゆうはもんばち)」と署名(左) 初窯の記入が見られる。幅19,9㎝
②昭和20年代中頃の掻落石榴文壺(かきおとしざくろもんつぼ)と署名(左) 高さ20,0㎝
③同じ頃の掻落牡丹文水指(かきおとしぼたんもんみずさし)と署名(左)高さ 19,0㎝
④昭和50年頃の辰砂牡丹文偏壺(しんしゃぼたんもんへんこ)と署名(左) 高さ15,5㎝
上記4点はかなり時代の隔たりがありますがおよそ見慣れた署名です。
「齋」のなべぶたの下にある「Y」や「刀」などの複雑な部分が省略されている点が共通しています。
ところで当館が収蔵する以下2作品の署名は上掲のものと異なり、「齋」の複雑な部分がちゃんと意識されている彫り署名です。
⑤白磁彫椿文鉢(はくじほりつばきもんばち)と署名(左) 幅23,2㎝
⑥青磁彫牡丹文鉢(せいじほりぼたんもんんばち)と署名(左) 幅22,0㎝2
2点とも丁寧な優品でしたが、変わった署名は不勉強な私に長く時代の見当がつきませんでした。
ある時などは、④に見られる強くて均等な筆圧に印象が似ていましたので、遅い時期のものかな、と考えた事もありました。
一方⑤の椿の模様などは高田時代の初期のそれによく似ていたのです。
後期、前期いずれかでは開きがあり過ぎますので、是非とも拠り所になるヒントが欲しいと願っていました。、
しかし当館が収蔵する昭和12~15年ころの極く早い時代の署名は①②③に類似したり、全く異なるパターンで書かれ、参考になりませんでした。
ところで陶齋は昭和16~18年に神奈川県藤沢市鵠沼(くげぬま)で制作しています。
当時の作品が一品でもあれば「齋」の署名の参考になるのですが、手許には全くありません。
そんな中、平成21年秋~翌冬に「あふれる詩心」展が新潟県立近代美術館で開催され、鵠沼時代の作品「呉須掻落草文瓶」が展示されました。
書物「越後の陶齋 泥裏珠光」にも掲載されている気品あふれる名品で、底にあるはずの署名をどんなに見たかったことでしょう。
平成24年5月、新潟県立近代美術館に閲覧願いを提出して、ついにその瓶を見ることになりました。
もしも署名が無かったら、あるいは想像を越える意外な書体だったら、怖い物を見るような気持ちで用意された部屋へ行きました。
「呉須掻落草文花瓶(ごずかきおとしくさもんかびん)」は何と作品⑤⑥とよく似た彫り署名でした。
(実際はかなり小さな書体。写真の掲載は許されていませんので写真をなぞったスケッチを載せました)
陶齋は鵠沼時代の昭和18年6月,に応召され満州に出兵します。
その後戦地で重傷を負いましたが、除隊後昭和21年に高田寺町で兄・泰全師と再会を果たしました。
間もなく立派な登り窯を高田に築くと昭和24年満を持して初窯を炊きます。
ところで作品⑤⑥は戦前作品にも繋がる早い時代と分かりましたが、具体的に何時頃だったのでしょう、なお疑問が残りました。
それが今年春ようやく糸口が見つかることになります。
今年4月、高田のお茶人・宗香先生から「葉文月白瓷香盒(はもんげっぱくじこうごう」を頂戴しましたが、そこに⑤⑥に極めて類似した署名が燦然とあるではありませんか。
しかも脇に深い青で「初窯」と書かれていました。
「呉須掻落草文瓶」は「齋」の署名が戦前からのものである事を教え、
「葉文月白瓷香盒」は昭和24年初窯にも記されていたことを伝えました。
作品⑤の箱には高田 齋藤三郎と書かれ、⑥は父が求めましたのでいずれも高田時代です。
初釜の記入が無いことから、初窯前の試し焼き、あるいは初釜直後あたりの焼成ではないかと絞ってみました。
一連のことから以下のことで胸を打たれました。
師に恵まれ精進の末、鵠沼に名品を残して30才で出兵した陶齋。
当然死を覚悟の旅立ちにちがいありません。
戦後身一つとなり高田で兄と再会します。
そこに築いた窯を最後のものと決め、手と命を愛しむようにして蘇らせたのは鵠沼の署名「齋」でした。
厳しい戦を乗り越えた陶齋の熱い胸中が伝わるようです。
さておまけがあります。
先日7月24日、上越市大潟区は渋柿浜の専念寺さんを訪問しました。
住職がさあさあ、と出してくださったお煎茶の茶碗、その底に「齋」と「初窯」が朱色の細筆でしたためてありました。
筆による「齋」とは、またまた驚きでした。
若かりし住職は初窯の窯出しに立ち会った数少ない一人だったのです。
わずか3ヶ月ほどの間に署名「齋」は、昭和24年の初窯にからんで急展開をしました。
また同じ初窯でも署名に違いがあることも知りました。
一連のことがらより、戦後高田で花開こうとする30代の陶齋から計り知れない力を一気に浴びせられた思いがして、
何か力が抜けるような、急に何十年も年を取ったような不思議な気持がしているのです。
西は豪雨、東は猛暑 色づき始めた水田。
西は豪雨、東は猛暑と報じられている。
高知県に降った桁違い雨量には驚かされる。
昨日東京へ行ったという方が、「東京は暑かったー」と仰った。
当地も非常に暑く、遺跡発掘を手伝う方や工務店の方から具合が悪くなる人がいると聞いた。
午後、在宅の訪問と往診が4件あり、冷えた車から出るのは短時間のはずだが帰って来たらぐったりした。
冷たい麦茶をしっかり飲んだら目が覚めたようになった。
すでに花が付き、たわわに実る夕刻の稲穂。
水田はずいぶんと黄色みを帯びてきた。
明日は本日よりもう少々暑くなる予報が出ている。
昨夕の雲。
昨日夕食の時間まで四ツ屋浜で雲を見て写真を撮った。
南西部を通過する台風の影響下にあろう雲は3,40分の間に刻々と変化した。
台風が関係しているであろう雲の形状はダイナミックで、時に奇妙で変化も早い。
激しい雨に見舞われた高知県の谷間の土砂崩れの映像はひどいものだった。
立派な山林が雪崩のように谷へと落ちていった。
津波も原発事故もそうだったが、水の性質や作用は人のコントロールをはるかに越える強大さを秘めている。
ビストロ「サブリーユ」。
今夕、東京から高田に来ている義理の兄と三人で夕食。
客人は食通だが遠路を協力してもらい、大潟区はカジュアルフレンチのサブリーユで一緒した。
●サブリーユTEL:025-534-3684
上越市大潟区下小船津浜1165-4(国道8号線沿い)
ランチ 11:00-14:00L.O.
ディナー 18:00-20:30L.O.
年と共にもっぱら近くが良くなり、最近は何かと同店に行くようになった。
店は良心的で美味しく、今夕も3時間半はゆっくり話をしながら過ごした。
こじんまりした店内で以下順不同ですがピンぼけも交え沢山写真を撮りました。
写真に相客のメニューも入れました。
店先のスクリーン白ワインと前菜(イナダのカルパッチョ)前菜2(ベーコン、南瓜のマッシュとパテ)ワイン義理兄のメイン・牛頬肉のワイン煮デザート店内の一隅美味しいコーヒー | 店先のメニューボード今月末、店内に於けるジャズの告知オクラとジャガイモの冷スープ 私のメイン・イシモチのポワレ妻のメイン・さーろいんすてーき玄米ライス店内の一隅・ピアノ代行 |
昨日、夏場の血糖値上昇の要因について色々書かせて頂きました。その舌の根も乾かないうちに今夜は「客」と「外食」の2つファクターが入ったことになります。
それで日中は果物とコーヒーしか摂らずに調整を試み、明日はあっさり三食(二食かもしれません)でコントロールするつもりです。
それにしても赤、白を美味しく飲み、良心的な内容で食べ、コーヒー、デザートで一人4000円台は、
会食にお勧めではないかと思いました。
今月はいつしかあと二回ここで食事の予定となってしまいました。
そのうちの一回は、11月予定の「SP盤を聴く会」をサポートしてくれる友人と打ち合わせを兼ねて食べる予定です。
その間きちんとあっさり食にして、かつ一定のエクササイズは励行しなくてはなりません。
夏だからでしょうか、私が読ませて頂いているブログは食事や運動のカテゴリが多く、興味深く拝見しています。
熱中症の季節 強いムクゲ 四ツ屋浜の夕暮れ。
暑い日が続いている。
この日午前中、一人で畑仕事をされていて倒れ、自ら気づいたいう女性が来院された。
37,7度の発熱だが感染症症状はなく典型的な熱中症。
超高齢や糖尿病の方では熱暑に対する脱水症への閾値が低下している。
多い糖尿病で言えば、夏は美味しい漬け物、、ビール、清涼飲料水、スタミナ食意識、来客、外食、旅行などによって、
オーバーカロリーとなり、運動不足の冬にも劣らず血糖コントロールが乱れやすいように思われる。
本日の方もこのようなケースに相当され、午前早めの畑でお茶持参にも拘わらず倒れられた。
例年9月半ばまで油断できない日が続く。
暑さの盛り、しかも直射日光のもとでムクゲが咲いている。
枝などはとても軟らかなのに強い花だと思う。
傍にいた一人の青年がスマホを構えて自分を写そうとして苦労されていた。
背景に夕陽が入れば自分は暗くなるのでアングルが難しいらしい。
撮ってあげましょう、と言ったまでは良かったが、今度は私がスマホに手こずってしまった。
少し横を向いて貰って何とか撮れたましたが。
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