空・海・気象

あらためて春彼岸を思う。

2024年3月22日(金曜日)

1週間ほど前、当院に通われるS氏に三月の寒さを嘆き、一体この寒さは誰が決めているのだろう?と愚痴った。すると彼は「俺が決める」と笑いながら言い放った。
私より三つ若い彼とは子供時代よく遊んだ。年経て退職以来地域の役職やボランティアを積極的に引き受け、ハキハキとして真っ直ぐな性格は小学時代から変わりが無い。

その彼がこの寒さは自分が決める、という。「実際どうなの?」と訊ねると、「せいぜい彼岸まででしょう」と言う。
ああ彼岸というものがあったんだ、と暦を思い出した。
「そうだね、そうだね、彼岸というものがあったね、それまでだ、間違い無い」と私は喜んで相づちを打った。

するとその春彼岸20日は厳しい寒波となり翌21日はうっすら雪が積もった。だがこの両日の空は溜まりに溜まった寒さを滓(おり)を吐き出すようにして清算したのか。それが証拠に本日午後は見事な青空になったではないか。

昨日仕事場の水仙。

本日同じ水仙。

 本日株立ちのカエデが
抱えていた小さな残雪。

 本日午後の青空と
樹下美術館のコブシの蕾。

暑さ寒さも彼岸まで。長年それで来ていたのに今年の寒さは切りがなく、全く浮かばなかった。だがS氏はちゃんと頭に入れていて寒さを自分が決めると言った。

彼岸を忘れる寒さは年のせいか、まあいい、まあいい、と真っ青な空を見上げ、暦に従ったS氏を頼もしく思った。

悪天候の春彼岸 本「良寛の生涯と芸術-慈愛に満ちた心-」。

2024年3月21日(木曜日)

10日も前から昨日春のお彼岸と翌本日は悪天候と予報されていた。お彼岸と言えば穏やかな日和を一瞬思い浮かべるが両日は雪マーク付きの悪天候が知らされていた。

20日の昼の駐車場。
寒風の中お客様が見えていた。

 そして本日朝方から寒さがつのり仕事場では積雪がみられた。

仕事場の庭の水仙。

 昼前、いっとき陽が射して美術館の窓際で「良寛の生涯と芸術」を読んだ。

つかの間の日射し。

 何のマユだろう。
強靱な糸で編まれていた。

午後、ウィキペディアを書いてくれる方が見えご一緒した。優しいのに突破力のある人で作業がはかどった。

午後再び美術館でサラダを食べ本を読み、お客様と話しをした。

良寛の生涯と芸術」。
小島正芳著
令和6年1月1日考古堂書店発行

本著は本文500ページという大著ながら文、活字とも柔らかく非常に読みやすい。著者小島正芳氏は新潟大学教育学部書道科を卒業され新潟県立文書館や教職を歴任、この間50余年もの歳月を良寛研究に捧げされ,多数の論考、著作を重ねられている。

まだ60ページを過ぎたばかりだが、北前船と佐渡金山に向けて開けた港町出雲崎で要職を継ぐ名家に生まれた良寛。学問への勤しみの傍ら親子共々理不尽かつ激しい競争が繰り広げられる港町の勢力争いの惨さをまともに受け追い詰められ、ついに出家を決心する。

たまたま備中(岡山県)玉島円通寺の国仙和尚と巡り会い、いよいよ同寺での修行のため二人で旅立つ所まで読み進んだ。両親と別れ際の詩、特に母の場面は涙無くして読めない。

折々の発句、詩歌および関連資料や写真が次々掲載され、現実感を伴う波乱を追いながらいくらでも読めそうな気がする。生地の困難と出家、遠地への旅、修行と印可、長い行乞行脚、京都に於ける父の入水、帰郷、ふる里の人々と子らとの日々、晩年の貞信尼との恋、、、。

本書あとがきに「良寛の研究はやればやるほど更に深みが広がり、奥深い」とあった。ますますトゲトゲしく混迷し不確定化する時代。本著の「慈愛に満ちた心」をテーマに「良寛」がNHK大河ドラマで取り上げられるなら何と素晴らしいことかと思った。

樹下美術館のカフェでドライカレーが新たなメニューになった。

2024年3月18日(月曜日)

本日も寒く午後車が示していた気温は6度だった。

ところで今年からカフェのメニューにドライカレーが入った。開館後4日経って8食の注文があったという。今まで軽食はパン類なのでお米メニューは初めて。宜しければお試しになってみてください。

ピクルスと野菜サラダそしてポットの珈琲また紅茶がつくセットで1200円です。

以下はメニュー表に掲載されたドライカレー。

本日はまた非常に寒かった。

近隣の雑木林の向こうの大きな雲。強風下でさまざまに姿を変えていた。何かプロレスラーのような表情です。
庭を巡ると風は強く頬が痛いほどだった。

寒い庭でクリスマスローズが
花盛りになっている。

明日午後から寒波が到来し一時雪が降りそうな予報。この予報は2週間も前からずっと出ていて、恐らくその通りになるのだろう。

天気予報はかなり先まで当たるのでとても感心させられる。悪天が予想される明後日は春分の日の祝日で初ゴルフを予約していた。本日申し分けないけれどキャンセルにさせてもらった。

「三月冬の尻尾」 ヴィヴァルディ「四季」の冬の楽章が3、2、1へ。

2024年3月9日(土曜日)

本日はせいぜい3~4℃で午後寒風が吹き雪が舞った。大抵の人は2月の方が温かかったと仰るようにこのところ空は荒れ模様です。これまで3月のことを「冬の後始末」と呼んできましたが本日「三月冬の尻尾」に変えました。かように昨今とても春とは言える気象ではありません。

そうは言えば午前中は日射しがありました。

今朝玄関にあった寒桜の枝。

時々玄関先に野菜や花が届き有り難いことと感謝しています。

午後から一転小雪が舞いいっとき辺りは白くなりました。

路傍の緑が一人春だと告げている。

今年2月5日に第3楽章、2月7日に第2楽章を掲載させてもらったヴィヴァルディ『四季」から「冬」。逆行でしたがようやく本日第1楽章を載せて終わりました。

リアルな冬もこれでお終いになればと願っていますが、まだ寒波は来るのではないでしょうか。

今年の開館15日までわずかとなりました。このところ開館準備のほか今年3月で週一通った特別養護老人ホームを止めることになり、後を継ぐ方に30人分ほどの情報提供書を書きましたので気ぜわしい期間でもありました。

3月15日(金)から始まる今年の開館。倉石隆「兎に角生きる 展」、齋藤三郎「齋藤三郎の文様 展」、そしてカ「フェ」はじめ「庭」を今年もどうか宜しくお願い申し上げます。
開館前は毎年緊張します。どうか無事な一年でありますように。

やはりそうだったのか、その1暖冬。

2024年2月13日(火曜日)

「もしかしたら」そうかも知れないと思っていることが、何かに書いてあったり、誰かが語り「やはり」と思うことがある。最近それに類する事が二件あったので書いてみたい。

一つ目は2月になってハクチョウやハクガンなど冬鳥の姿がり見当たらないことの訳だった。
白鳥は11月上旬、ハクガンは12月下旬に初めて目にした。特にハクガンの群は大きく、その後の撮影を楽しみにした。

今冬12月29日の初ハクガン。

24年1月14日夕刻の朝日池。
ねぐら入りしたコハクチョウとハクガン。

ところがその後ハクガンを目にしたのは2回だけ、大きな群は1月30日中の朝日池が最後だった。

昨冬は2月15日まで近隣の田でしばしば観察されたので、今年2月、近辺へたびたび足を運んだ。しかし朝日池にも田にも姿は無かった。

 今期11月18日の朝日池の夕刻。
白鳥や雁で一杯だった。

2024年昨日空っぽの朝日池。
水だけは満々。

例年まだまだいる白鳥もいまや全く見当たらなくなっている。私だけが見損なっているのか。しかし知り合いの鳥好きも「せっかく池の水が満々になっているのに見ない」と同じ事を口にする。何とあっけない、例年とは様子が違う、、、。

暖冬のせい?だが冬鳥の餌場である当地の田は山間にかかる所などで十分な雪が残り、彼らが苦手な気温上昇はそれほどではないはず。どこかに沢山いるのではと本日日中も車を走らせた。

ところが今夕、妻が「新聞見た?」と朝日の天声人語を見せてくれた。そこには冬鳥の飛来地として有名な宮城県伊豆沼では、例年これから鳥たちの北帰行が始まるが、今年はすでに終わりかけている、と伝えていた。

私達は暖冬厳冬、大雪小雪、ドカ雪淡雪など色々経験しているので、たとえ暖冬に推移しても、「この先まだ降るかもしれない、そんな年もあった」などと考え即断を避け、常に用心深い。一方鳥たちは各年ごとに判断し、「そうと決めたら早い」のか。

数百の群も一羽が飛び立つと全羽が一斉に飛ぶ。さらに北帰行など大規模な移動を一体だれが決め、なぜ皆が従うのか、野性の仕組み(知?)は並のものではない。
デジカメなど電子部品満載のカメラを手に、去った鳥たちを探し右往左往していた自分。比べて暖冬と決めるやさっさと帰った鳥たち。その違いは滑稽でさえある。

思えば彼らがこの先伴侶をみつけ産卵し子育てする遙か北の地こそふる里なのであろう。当地は極寒期の一時避難場所であり、帰れるとなったら一刻も早く帰りたくなるのは鳥たちの人情なのだろう。

良い勉強になった。これでもう今冬の探鳥をお終いにしたい。彼らには来期も是非また沢山来てもらいたい。

 

ところで実は昨日祝日の建国記念日、夜半を過ぎて午前4時ころから恥ずかしながら腹痛に苦しみ、せっかくの祝日を寝て過ごした。
下痢嘔吐もなく、ただ痛かっただけ。明瞭な判断材料もなく「もしや」と考えていたことがどうやら「やはり」だったらしいので、次回そのことを書かせて下さい。

2月の雪。

2024年2月5日(月曜日)

昨日の当欄で、過去5年間に書いた2月のブログ記事の事を最後の方に載せました。その中で、思わぬ雪が降ること、を挙げていました。

今のところ今年の冬は暖冬、小雪でしたので、本日の雪は「降ることがある」風に思われました。そんな日の午後遅く在宅訪問で二軒回りました。

最初のお宅は雑木林を行きますので道中は美しい景観でした。

雑木林の雪道。

伺った二カ所の距離は市街地を入れて8キロほど離れていましたが、このあと回った国道はまだ除雪が必要ない状況でしたので助かりました。でも雪道は良くても悪くても何が起こるか分かりません。早め早めにブレーキを踏み、時にはエンジンブレーキを効かせて走りました。

 

今夜仕事場前の道。
豪雪レベルではなさそうです。

2月、3月は普通に、時には4月上旬に雪が降ることがあります。今後は淡雪と言いますか、地上をうっすらと白く染める降り方もよく見られます。但しこの時期から大雪になることがありまだ油断出来ません。
本日の雪は明朝までには一旦止むようです。その後どうに推移するでしょう。


ヴィヴァルディ「冬」
第三楽章。

この度は太平洋岸にも降ったようでした。

寒波に咲く蝋梅。

2024年1月24日(水曜日)

西日本まで巻き込む今年最大の寒波が来ている。幸い当地の雪は10センチ程度で今のところは助かっている。が寒さは身にしみる。本日午後は特養の回診日、駐車場に車を置いて建物まで吹雪の中を走った。

冬の荒天は数分おきに青空になったり黒雲に被われたりする。

ところで昨年冬あるお宅から頂いた蝋梅の枝が誠によく香り、思いついて今年春ホームセンターにあった残り1本の蝋梅を購入し、診療所の庭に植えた。

購入時の苗。

植えると、土が良いこともあり活着し、早くも今年1月中ばに上品な匂いを漂わせて開花した。

一枝切って水仙と一緒に
玄関に生けてある。

この花が咲けば春が近いという訳ではなく、むしろ冬本番のさ中であることを示している。
それゆえ素性の強さに驚き、「雪国の人を励ます優しい花」という点で「春秋の花」とはちょっと違うと感じている。
(上掲文は翌日少し手を加えました。)

1月3日の倉敷と直島。

2024年1月18日(木曜日)

前回記載の1月2日午後の大原美術館は15時閉館ということで観ることが出来ず、翌3日に回され予定に少々の詰まりが生じた。
3日午前に同館を観終わり12時には宇野港へ行き直島を目指す予定となった。

大原美術館の創始者・実業家大原孫三郎は、孤児院の運営に粉骨するプロスタントの篤志家を知り、自らもプロテスタントとなり文化の社会貢献を目指して昭和5年、日本初の大規模な私立西洋美術館を設立した。

前夜2日夜の大原美術館。

本館入り口左に
ロダンの「カレーの市民」
勇敢な人々の像は50年前も
ここにあった気がする。

同じ作家でも作品は様々にランクを生じる。大原美術館は主に孫三郎が支援した画家児島虎次郎がパリを中心に各地で懸命に収集。作品は作家の名ではなく完成度によって真摯に集められている。

このたび広大な展示場の館内でエル・グレコの暗色効果を生かした劇的な「受胎告知」から中心部の白が目を引くアンリ・ルソー、眩しいシニャック、ルノワールの若く幸福な裸婦、私には珍しく重厚なマティス、さらにムンクにロートレック、ルオー、モネ、ピサロ、ゴーギャンほか淀みなく並ぶ近代西洋画の代表作を観た。みな懐かしく、倉石隆が憧れたパウル・クレーも良かった。

日本人が描いたこの国の人々の深い味わいに一段と思いを新たにし、突然現れた松本俊介の青い人物も嬉しかった。

図録「大原美術館+作品と建築」
の見開き小出楢重「Nの家族」。

民藝の不動の人々、河井寛次郎、濱田庄司、富本憲吉、バーナード・リーチ、棟方志功、芹沢圭介のあまた一級品をを咀嚼するように堪能した

絵画では開館した昭和初期、日本で西洋名画の実物を目にする機会は乏しく、収集品は日本洋画壇の向上に貴重な役割を果たしたという。

50年ぶりとなる広大な館内を、まさにおぼろげな記憶とともに歩きながら、これは見納め、拙い自分のなにがしかの責任の一端を今果たしているという気がして安堵を覚えた。

米倉を用いた民藝・東洋館。
染織家芹沢圭介の紅型に
ちなみ独特の赤色をしている。

さて大原美術館の後は直島へ急がなければならない。宇野港からフェリー。しかし電車による岡山経由の行程は宇野港を頂点に岡山と倉敷が底辺となり三角形を構成していて相当不効率に思われた。時間を考慮し最終的にタクシーを依頼し宇野への直行を図った。

一帯に詳しい地元のタクシー運転手さん。運賃は掛かったが妻と二人で昼食を抜けば少しは足しになる。道中先々の話を聞きながら走った。現れては消える倉敷川を観て倉敷が物流の一大中心地だったことを納得した。

農海産物、繊維の運搬に
陸と海を繋いだ倉敷川。

道中で見た道の駅風な施設。

野を越え山越えて宇野港へ到着した。

港の広場を挟んで山側の眺め。
異国へ来たような景観。

乗船する「せと」丸。正面が直島。

直島までの時間。
多くがデッキに出て過ごす。

宇野から目と鼻の先、直島宮浦港まではわずか20分だった。

宮浦埠頭に
草間彌生さんの赤いかぼちゃ。
一斉にこどもたちが走った。

直島のアート巡りは施設と野外がある。施設のほとんどは予約制で迂闊にも私達はそれをしていなかった。残念だったが野外作品を主に観で回る事にして一台だけあったタクシーに乗り込んだ。

小さな船着き場に設置された黄色いカボチャで写真を撮るのにしばしば数十人待ちになるらしい。私達の時は誰もおらず後から混んできた。

大声のフランス語が飛び交い映画の中にいるようだった。

細い坂道を上ったり下りたり、写真を撮ったり、島の歴史と現状を聞きながら回った、精錬から文化の島へ痛々しさの克服。今日までの長い努力を思わない訳には行かなかった。

家プロジェクト地区にあった「ANDO MUSEUM」。予約無しで入館できる貴重な場所。しかし、ちょうど昼休みで入れなかった。

午後次第に崩れる天気。
ポツポツ始まるころ
高松へ向けて出航した。

直島の主だった宿泊や展示施設には(株)ベネッセの関わりが大きい。室内展示で是非観たい場所や作品があり予約をせず未練を残した。だが彌生さんの二つのカボチャほか楽しい作品に触れて満足して高松へ向かった。
高松までおよそ一時間、海路で見る瀬戸内の島々は想像以上に大きくて驚いた。

一先ず峠を越えた雪 土井先生のチキン ホワイトクリスマス。

2023年12月24日(日曜日)

一昨日当欄でドカ雪ぶりを記したが、どうやらその日がピークだったようだ。予報ではしばらくの間、さほどの寒波(降り)はなさそうだ。

当地は昨夜から雨風交じりとなった。風も雨も雪を減らすので50センチ前後あった積雪は半分近くになった。

 

午後の美術館。

以下は本日一時陽が射した近隣です。

近隣の田と道。

真ん中に焼山、左が火打山、
右の遠方は糸魚川方面の山々。

土井善晴さん風のチキン。
妻は簡単で美味しい土井先生ファン。


ホワイトクリスマス。

昔の若者にはクリスマスソングと言えばこれくらいしか無かった。その後のクリスマスソングは具体的でややこしく、あまりholyな感じを受けない(爺まる出しでした)。

昨夜からの本降りはドカ雪?

2023年12月22日(金曜日)

夜半から本降りになった雪は上越地方一帯に降り、当地でも4,50センチの積雪になった。日中止むこと無く降り続く様は恐怖感があり、今夜の降り方次第では災害級となるドカ雪の気配となった。

午後所用があり美術館を往復したが、国道以外の枝道は一定の幅はあってもひどく凸凹しておりハンドルを取られて怖い。また国道に出る細い市道を進んだ車が国道脇に積まれた除雪塊に阻まれて動けず、ドライバーさんがスコップを振るって脱出を試みていた。とても可哀想だったがいつ自分がそんな目に遭うかも知れない。
そんなことから本日二件の在宅訪問の予定をご本人に変わり無いことを確かめて延期させてもらった。

ところで本日昼、所用があり上越市髙田の脳外科医に電話をしたところ、午後から10件の訪問や往診の予定があるという。20年も前なら在宅医療の取り組み熱が高く、私にも月に5、60人の対象者さんがいて、雪の日も大勢回っていた。
今日施設入所と病院医療に移行される在宅患者さんが増えたが、今まだ訪問日に10件もの用件を引き受け実施される医師の熱意に畏敬を覚えた。

本日昼駐車場の妻の車。

以下久し振りの本日の夕食写真です。

 肉うどん。

鶏肉と白菜の煮込み。

夜になり風が吹いてきた。風はイヤだが吹くほど積雪は減る。予報では明日も雪が続くと言われている。出てきた風が積雪を妨げてくれれば良いが。

4,5年前ならこの程度の雪に怖れをなすことは無かった。それが何かと怖じ気づいてしまうのは年のせいであろう。

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