出たり消えたり手品のような毛糸(ニット)のチョッキ(ベスト) 樹下美術館のモミジ。

2025年11月12日(水曜日)

11月も中ばになったが本日、風も無く比較的温かかく長袖シャツに毛糸のチョッキを着た。

今ごろニットと言えば良いのに未だに「毛糸」と言い、ベストと言わず「チョッキ」と言う古さ。言葉づかいは許して貰いたいが、そのチョッキについて未だに良く理解出来ない不思議な事があった。

先月はじめの頃地元でゴルフをした。朝がた肌寒かったので毛糸のチョッキを羽織ったが、間もなく温かくなりそれを脱いだ。ラウンド後チョッキが無くなっているのに気付き、途中でカートから落ちものと考えて、スタッフに届け物があったら取り置いて下さいと告げて帰った。

チョッキは丈夫で10年近く季節の合間に着ているお気に入り。

不思議なチョッキ。
アーガイルもボタン留めもいい感じ。

ゴルフバッグには大小沢山ポケットが付いている。帰宅後確認したが何処にも無く、持参した手提げ鞄をあらためたが見当たらなかった。ゴルフ場からの連絡も無く、数日後に入れた電話でもありませんでしたという返事だった。

諦められないでいると、思わぬ所にあった夢を見た。赤いアーガイルが眼前に現れていたが、それが何処なのか見当がつかない。諦めてネットで検索したが似たようなものも無かった。

ところで私のベッドの台の部分は引き出しになっていてそこにセーターやカーディガンなど冬物を仕舞っている。
失くしたゴルフから一ヶ月が経った11月上旬の寒い日、ベッドの引き出しを開けてセーターをひっくり返したところ、なんと「毛糸の」「アーガイルの」「ボタン留めの」あの「チョッキ」が現れた。夢で見たのはここだったのか。

しかし一体なぜそこにあったのか。
一生懸命考えた。
実は持って帰り早々に仕舞った?そもそも着て出なかった?持ち帰ったならどんな風に?何故セーターの—下から出てきた?夢は本当に見たのか?いずれも疑問自体がおかしくはないか?

実はこの一件は十分スジが通っているのに、認知症のために「出てから帰宅までどこかの部分が完全に欠落している」ために手品のようになっている可能性があるのではないかと考え、うすら恐ろしくなった。

そして本日温かく、今そのチョッキを着ている。だがキツネに包まれたような感じが抜けない。私が本当に生きているのかさえどこか疑わしい。

本日樹下美術館のモミジと鉄テーブル。

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