社会・政治・環境

雪と車 そして選挙。

2026年2月7日(土曜日)

先月下旬から二週間も連続した寒波で連日ジワジワと降り続けた。長く降ったが何とか除雪が追いつきが少なくても仕事場の大潟区では車が出せないという日は無かった。

かって十年前は在宅の方を40人前後は診ていた。問題は冬で、50年前の帰郷、開業当初は冬の二ヶ月だけ4輪駆動車をレンタルした。
借りた車は「トレディア」だった。とても強いので助かり、以後今日まで四輪駆動を使っている。久し振りにトレディアの名を思いだしたが調べてみると三菱自動車製だった。

上記のように車といえば冬。以下冬場で大いにお世話になった車を載せ、そのいきさつを眺めました。

14年乗った「プログレ」の2012年2月。

プログレは私が乗った車のなかでは最も高級車だった。静かで本当に気に入っていたが2018年、涙ながらに別れた

その後2021年1月上旬にドカ雪が来た。当時車はプレミオになっていて、土曜日午後、転倒して動けなくなった老人宅から往診以来があった。ドカ雪のなか走る車など見当たらず、頼りの看護師もいないまま吹雪でけぶる田圃道を走った。

幸い老人は骨折を免れていた。帰路田んぼの中で突然コカ・コーラの車と相対した。止まった相手の車から人が降りてきて「この先行けますか」と訊かれた。雪で輪だちも切れているから戻った方がいいと返事すると何度も切り返して去って行った。

頑張ったプレミオ。

以後プログレよもう一度と思いながら車はプレミオから新型カローラへと変わった。しかし足かけ9年、いずれもしっくり来なくて昨秋さらにインプレッサになった。するとプログレに似ていると実感されこれで最後と思えるようになった。

この度の雪で、遠回りをしたが車は人間に似た不思議な存在だと振り返られる。

明日は投票日。ネットの影響(資金力)がさらに強まり万が一私の希望どおりには行かないかも知れない。この際訴求を願うあまり緊張を煽り、世界をいっそう冷たくするのは止めてと祈るばかりだ。

2月の好天、期日前投票。

2026年2月4日(水曜日)

本日水曜日、予報通り暖かく良く晴れた。2月に入ると往々こんな日が現れる。しかるに晴天もつかの間、週末には寒波が待っているらしい。
その日曜は衆議院選挙の投票日でもある。さっさと期日前を済ませている妻に習って今夕私も行ってきた。

折角だから学問・文化など個人の幸せに直結する施策をしっかり考えそうな人をイメージして投票しようと思った。本当は立候補者に「幸福な個人とは」を聴きたいところだが、紙面を見る限り明瞭に言及している人は見当たらない。

不覚にも投票所でしばらく立ち止まってしまった。それで少なくとも戦にならぬよう普段から尽力していそうな人や政党を考えて投票し、結果が外れたら国税の滞納でもしようかなと空想しつつ帰ってきた。

今冬1月、アトリの群。
同じ方向しか向かない大群は強弱両面を持っている。

道路に出てくる野鳥。

2026年1月23日(金曜日)

寒波は続く。来月上旬は寒の終わりでそれまで続くらしい寒波。まだ10日もありそうだし選挙もある。お天気のことだから波はあろう。また明けたらすぐ春ということでもないが、何があっても「豪雪」だけは許してもらいたい。

昨日はかろうじて大きな農道に入りハクガンが撮れた。しかし途中の道では空腹の野鳥(雀やムクドリあるいはツグミ)が車を恐れず道路に出ていてクラクションを鳴らさなければならなかった。

たった3,4日の雪なのにひもじくなった彼らは人を恐れず道に、あるいは車のそばまで来る。冬の道路が特別食べ物が沸いて出る訳でもないのに出てくる。

そのわけは多分こうだ。
野においては道路以外の場所は降るたびに積雪し、表面は絶えず新しい(つまり餌に乏しい)。一方道路は除雪により常に新雪が除かれ、餌を含めて細かく雑多なものが路面に残っている可能性がある。
あてにするゴミ捨て場も積雪し最後の餌場が道路という訳だ。道路脇に除雪された古い雪に鳥が集まるのも同じ理由からだと思われる。

道路脇の水田に集まっていた雀。
誰かが何かを蒔いたのだろうか。
あるいは動物の糞でもあるのか。

以下は本日潟町の仕事場直近の道路です。

旧8号線。

直角に交わる県道。
ここは消雪パイプが通っている。

まだ冬の先は長い。我々は原子力まで使って生活の利便を図っている。大寒のこの時期、必死な野鳥を目にすると素朴な命の原型を見ているようで身につまされる。

二つの話題 「ブルーカラービリオネア」とローラさんが農業。

2025年12月26日(金曜日)

●話題1

この所「ブルーカラービリオネア」という言葉が目に付くようになっている。主にアメリカで起こっているAI拡大による雇用傾向の変化を指しているようだ。
以下Yahoo!ニュースから引用です。

日本では、介護や工事現場などで深刻な人手不足が続く中、アメリカでは、肉体労働者の給与が高騰する『ブルーカラービリオネア』と呼ばれる現象が起きています。経理から配管工に転職して給与が3倍になったケースもあります。 日本でも将来、同じような現象が起きるのでしょうか。
※ビリオネア:億万長者

このような記事は多数みられ、日本に於けるAIの浸透はまだ米国ほどではないようだが、ブルーカラーが有利な状況はすてにシニアの転職者で起こっているという。

かって三密が厳格だったコロナ時代、密閉密着する事務職が受ける極端な制限を見て、一定のチームワークのもと、一人の手仕事が基本の職人や肉体労働伸がびるのではと話したことがあった。
このさき日本でもAIの伸びによって業種、労働別の給与評価が変わる節目があるのかもしれない。

●話題2
もう一つはタレント「ローラ」さんに関する記事。彼女はこのたびインスタグラムで本名を「佐藤えり」と明らかにしたうえで佐藤家の先祖が眠る新潟県で農業を行うことを表明したようです。

頭がよさそうな彼女が示した言葉などから、「農」や「土」の生産性と精神性への理解は本物ではないかと信じたくなりました。
県内の拠点は分かりませんが、新潟県としても有意義なニュースではないでしょうか。
インフルエンサーとしてアイコンとして、当然個人として粘り強く頑張って欲しいですね。
それにしてもあのローラが佐藤さんとは、急に近所の人になったようではありませんか。

遅くなってしまいほぼ鳥の写真です。

2025年12月25日(木曜日)

昨夜は昔ながらのクリスマス。

昔と違うのはケーキが小さくなったことと
家内ともども年取ったことでしょうか。

本日休診の木曜日はやはり鳥でした。

潟田の雀です。

朝日池周辺にいた二羽のコウノトリ。
吉川区で育つ若鳥だと思います。
幸運を感じました。

朝日池のタゲリ。数年前、初めて見てから
しばしば目にするようになりました。

夕刻、朝日池のハクガン。
雪降るようにねぐら入り。

本日はニュースを見て二つの事に興味を持ちました。いずれも新たな傾向と個人の出来事で密かな頼もしさを感じました。
いずれも政治がもたらすようなものではなく、社会や個人の現象と考えられましたので余計にジンときました。

富山市から同窓の後輩 美術館の秋の庭 ドジャースの頑張り 日本人ファーストと言うけれど。

2025年10月15日(水曜日)

本日水曜日は休館日だったが学生時代の一年後輩のA先生が富山市から親族の方々と来館された。休館日の美術館を開けてお迎えした。1学年100人の大学で私達は同じテニス部に所属していた。

懐かしい昔話や仲間の消息も興味深かったが、来館の皆さん揃って絵画や焼き物、茶道や食器などに興味を持っておられたのと、先生の故郷富山県、特に美術館などの話が沢山聴けて幸せだった。
富山県は山河豊かで街もすっきり、見どころが多く魚も美味しい。何度か訊ねているが是非再訪したいとあらてめて思った。

美術館で咲き始めた秋の花「ホトトギス」
間もなく庭の随所で満開になります。

さて何度も記載しましたメジャーリーグのポストシーズン。現在ドジャースは地区シリーズの最終戦をブリューワーズと戦い2連勝中。大谷選手はいま打撃不振だが投手陣が盤石化し打撃は下位打線まで切れ目なく好調。

対ブリューワーズ2戦目。
貴重な完投勝利をした山本由伸投手。

メジャーリーグの完投勝利は珍しく、8年振りの快挙ということだった。先頭打者ホームラン以外、全く危なげなくあれよあれよという間の完投。小柄な投手がスピード命と言われるメジャーリーグで抜群の「コントロール」をもってマウンドとチームを守った。

ブリューワーズとのリーグチャンピオンシリーズ戦はあと2勝で最後の大舞台ワールドシリーズへと進める。
時の運は公平に相手チームにも巡ろう。慎重に進めてワールドチャンピオンを目指して健闘してほしい。

さて日本人ファーストと叫ぶばかりの政治を横目に、二人のノーベル賞受賞、観光、文化、スポーツなど多岐にわたり民間が日々汗してそれを体現している。威勢の良さの割りに何の役にも立ち得ていない政界の権力争いは恥ずかしいばかりでまことに残念だ。

全ての人間に備わる唯一の美徳は「良心」と言われ、それは人間の真の力の源であろう。
政治はもっとそのことを認識し国民の幸福のために持たされている力をちゃんと発揮してもらいたい。

突然終了したドジャースのポストシーズン地区シリーズ。

2025年10月10日(金曜日)

本日およそ曇り空で夕刻は肌寒く17℃と知らされた。いよいよ布団も秋仕度になりストーブが脳裡を横切った。

連日の案件、MLBのポストシーズンはドジャースが地区シリーズでフィリーズを3勝1敗で制し、リーグチャンピオンシップシリーズへ駒を進めた。
フィリーズとの最後戦は延長となり8回には佐々木朗希が登板。3イニングを投げ、フィリーズの強打者を抑えた。最後は11回裏の攻撃、2アウト満塁の場面で相手チームに痛恨のミスが出てサヨナラ勝ちした。

次はナショナルリーグ優勝決定シリーズではブリュワーズ対カブスの勝者と対戦する。

本日の診療で連日メジャーリーグを観ていると言う方と話弾んだ。トーナメント表を作り朝から観ているのを奥さんが怪訝な顔して眺めているという。特にポストシーズンが面白いと仰った。

アナウンサーは
「Ballgame is over! Oh my goodness!」
と叫んだ。

余りに突然な幕切れに選手たちは「What’s a game! 何というゲームだ」、「That was insane あり得ない」、「I’m tired 疲れたよ」と口々に述べていた。
一度観るとクセになるポストシーズン。昨年はこんなに興味が無かったので不思議だ。

このところ良いニュースがある。存在まで危ぶまれていたガザに対するイスラエルの和平計画第1段階の合意が成立したという。また国内では7基ある柏崎刈羽原発の2基の廃炉が決定されたと報じられた。
そもそも風力および太陽光エネルギーの問題を指摘しながら膨大な地域の避難計画まで必要な核エネルギー施設を簡単に容認出来るのだろうか。柏崎市に隣接する当地で末席ながら医療に従事し美術館を営む者として問題は卑近であり敏感にならざるを得ない。

旬となったカマスの塩焼き。
近所の海彦さんから沢山頂きスタッフと分けた。

明日は今秋2回目の茶会。五行棚で中置きの点前だが前回のように無事に出来ればと案じている。

昭和100年、太平洋戦争80年の声無き声を思って。

2025年8月15日(金曜日)

この年と今年8月15日は昭和100年、および太平洋戦争80年+満州事変の敗戦記念日に当たっている。
毎年この時期が近づくと気持が自然と落ちてくる。戦争で亡くなった何百万人の方とそのご家族の無念に満ちた「声無き声」が夏空にこだましているような気がするのである。

遠い異国で戦死、餓死、病死された数知れない無念の声と最後の一息に込込められた恨悔を思うと胸が潰れそうになる。

彼らに英霊としてのお「礼」や「鎮魂」「追悼」の言葉だけで良いのだろうか。幸福や明るさに賭けて出兵しながら「未熟な作戦のもとで満足な食糧や兵器も与えられず、ひたすら死ぬまで闘え、死ねなかったら自決せよ」と命令され続ける。
生き残った者同士は殲烈な敵砲火の前にせめての抜刀突撃を行い全滅。戦争は結果が全てであろう。

送り出した国と国民は「真に申し訳けありませんでした」と長くいつまでも「詫びる」べきであろう。
少なくても「天国でどうしていらっしゃいますか」と声を掛けるのも彼らの慰めになろう。忘れられているのが一番つらいと想像される。

国と戦争に関係する者はあらためて幼弱な優越欲求や無知粗暴を諫め、敵対する国であっても勇気をもってその懐に飛び込み粘り強く外交を維維継続してもらいたい。
世界は一様に臆病になっている。強い者は争いも避けるが臆病者は暴発する。
吠えてるだけなら獸や動物の域を越えない。

国家観という言葉があるようだがそれ以前に「国家は存続するかぎり国民の幸福を保証し戦争回避を最大の責務とする体系」であってもらいたいと思う。うるさく言う人のそれは政治的世界の一用語にしか写らない。

注意深く為政者を観察し戦争の芽はどんな小さなものでも摘み取り続けたい。それは選挙と共に戦死者に応える重要な義務であろう。

今もし幸福な生活があっても、「これでいいですか」と常に声無き声と応答し続けたい。

本日昼の頸城平野。

夏祭り 政治家には何かしら趣味がある人を。

2025年7月20日(日曜日)

本日日曜日、やはり35℃近くの気温はきつい。朝弱いので外出は夕刻でないと気が向かない。あとふた月?このあと何回暑さを嘆けば良いのだろう。

日中は介護保険、施設入所、病院宛など7人分の書類を書いた。いつもは要介護認定用のが多いがこの度は一通のみで、あとは情報提供書だった。ほかに成人後見人制度に関するものもあったが依頼先の福祉関係者に尋ねたい事項があり、週明けに書くことにした。

夕刻閉館ころから庭で雑草取りと撒水。するとワッショイ、ワッショイ、ドンドコドン、と太鼓の音と共に集落の夏祭り御輿がやって来た。隣の空き地で一休みの様子をみて出て行った。
この暑さ、約1キロの練り歩きは大変であろう。庭仕事で世話になっている人、ゴルフを一緒にやっていた人たちの顔も見え、しばし立ち話をした。

集落は人が減らず子供もちゃんといる。

S杯と私の名を冠したゴルフコンペを20年くらい皆さんとやっていたが数年前に終了した。残った3人で続けていると聞いたので次回は是非参加させてとお願いした。

夜になって参院選挙の結果が報道されている。以前のような関心は無くなり何故かほっとしている。
昨日は、投票するなら心広く、理想や平和を尊びそうな人と書いた。本日は「鑑賞だけでもよい、何か良い趣味を持っている人」を付け加えたいと思った。政治一本という人はどこかなじめない気がする。

旅行の最終日5月6日は酒田市の土門拳記念館、昭和時代の人物写真。

2025年5月13日(火曜日)

仁賀保、由利本庄の鳥海山見物を終え最終日は山形県酒田市でした。土門拳記念館で沢山写真を観、本間邸と長大な米倉を見学し、珍しく昼食を食べました。

土門拳記念館の一部外観。周囲に水があしらわれ、かなりモダン。

 

重々しい鉄扉

太平洋戦争の出征祝いの様子です。皆でビールを飲み日の丸を振り、晴れやかに過ごしています。父の出征でしょうか、向こう二人の息子であろう少年の胸中は複雑だった事でしょう。いや本当は皆複雑だったかもしれません。背後で泣くのは母親ではないでしょうか。おおやけには「喜びの涙」とされたに違いありません。このような経験をせずに80年が過ぎたのは大変貴重で幸せです。

「出征看護婦」
正装に白手袋が悲しい。
別れの水杯を口にしています。

「南京陥落提灯行列」
このような写真をみると職業写真家の
技術の凄さが分かります。

傷痍軍人がこどもをおんぶしているのは初めて見ました。小学5年生の上京で、汽車の中や上野公園、街角で募金箱を持った傷痍軍人の姿をしばしば目にしました。
高校時代の上京時も見たような気がしますが、何か怖いようで近づけず寄付をするかどうかも迷いました。それにしても当写真はこれ以上無いほど痛ましいですね。

ガード下でしょうか、
胸が締め付けられます。

以上2枚とも一緒のこどもをどう理解すれうばよいのでしょう、言葉もありません。

 

「担ぎ屋の子」
東京での撮影だそうです。

「母のいないこども」
筑豊のこどもたちシリーズから。

ある子が本を買うとその子の回りを子ども達が囲みました。先ず左右からのぞき込み三人で読む。次の人に回すと別の子が左右から覗きます。当持雑誌や本への関心は並々ならぬものがありました。

旅役者の一座は地域の娯楽に必須でした。当地にも決まった一座が回ってきましたがその名は忘れました。
残念ですが私は舞台を観たことがありません。写真は一座の触れ回り、チンドン流しでしょうか。これも見たことがありません。

嫁入りは文字通り「非日常のハレの日」。小学時代、近隣でも続けさまに嫁入り行列があり、全く不思議なものを見るように驚きをもって付いて歩きました。今このような花嫁が通りを歩くとしたら、どれだけのこどもが集まるでしょう。

薪を背負いとても自然な笑顔ですね。親と一緒だったかもしれません。私の患者さんで、子ども時代に泊まり込みで父と炭焼き小屋で過ごしたことを話してくれた女性がいました。美味しい鯨汁を作る父の手付きがとても鮮やかだったと話されました。

お弁当を持ってこない子はお昼に本を読みました。貧しくてお弁当が持参できなかったのです。
私の経験では学校に近い生徒は「家で食べる」と言って家に帰りました。当時、家に帰れて羨ましい、と思っていましたが、恥ずかしいことに、貧しさからだと分かったのは後年になってからでした。お弁当を持ってこない生徒はたいてい女子だったことも不思議です。この写真もそのようです。


映画の看板があるからといって必ずしも都会とは限りません。小学時代の私の村には少なくとも2軒(もう一軒あったかもしれませんが)とても質素な映画館がありました。
両親は映画館へ行くのを勧めませんでしたが、「血槍富士」と「破れ太鼓」の2回は覚えています。あまり楽しい映画ではありませんでした。

「終着駅」がかかる都会の映画館。
看板描きは画家の重要なアルバイト。

都会のおしゃれなスナップショット。このような場面をみるにつけ、早く大人になりたいと思っていました。上掲の男女の写真は詳しくありませんがパリのブラッサイ作品を彷彿とさせます。

今回も長くなりました。館内展示の土門拳の作品から戦前戦後の主にこどもを撮った作品を掲載し、戦後娯楽の王様、映画にまつわる作品数点を追加しました。

ちなみに掲載作品はみなモノクロです。
主観ですが、写真はカラーだと場面の「切り取り」の印象がありますが、モノクロは一挙に「作品性(芸術性)」が強まるように感じられのは不思議です。
しかしおそらく誰しもモノクロなら作品性が高まるとは限らないでしょう。確かな視点と構図を含む撮影技術の熟練はカラーより必要かもしれません。

土門氏の時代、自在に人物を撮影できたのも羨ましい限りです。時代の進歩の一方、他者による人物撮影(スナップ写真)が極端に制限されている現在、写真の面白みと価値が大きく減ってしまい、まことに残念と言わざるを得ません。

かっての人物は現在と比べものにならないほど「匿名性」を帯びていたことになります。昭和時代の人々は、普段一定の個別性は意識しつつも、カメラが向けられると匿名化し他者の撮影に応じていたのは不思議なことです。

現代は個別性(人権、プライバシー、アイデンティティー)やそれが晒されることのリスクを強く警戒します。しかし少なくても昭和時代には個人一般、男女、貧富さえ問わない存在として、カメラの前では人はみな同じという一種あっけらかんとした感覚を有していたようです。

最後に少々逆説的ですが、かっての私達はカメラ、あるいはカメラマン(特にプロカメラマン)を“特別なもの、あるいは特権者”として認め、素直に撮影を許していただけかもしれません。

他者による人の撮影の問題はわずか数十年の間に生まれた非常に大きな変化です。人権に関わることですから再び昔にもどることはちょっと考えられません。

さて同館における土門作品の撮影は自由でした。
皆さまも鳥海山見物の際には仁賀保高原や由利高原鉄道とならんで土門拳記念館の訪問をなさっては如何でしょうか。

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