2012年6月

篠崎正喜さんが個展をされます。

2012年6月27日(水曜日)

画家・イラストレーターの篠崎正喜さんが以下のような個展をされます。
美しく、豊かな篠崎ワールドをお楽しみ頂きたいと思います。

 

篠崎 正喜 展 ー見上げる といつも 空があったー 

会期:2012年7月16日(月曜日)~21日(土曜日)
時間:午前11:00~午後6:30(最終日は午後5:00)

会場:銀座4-4-5ギャラリー・オカベ 電話03(3561)1740 

ホルスタイン(上)・希望(下)下
頂いたお葉書から上は「ホルスタイン」、下は「希望(32×41㎝)」です。

物語ただよう幸せな展覧会が期待されます、どうかご覧下さい。

 

篠崎さんの絵は樹下美術館のカフェの大作「午睡(120×180㎝)」でおなじみです。

午睡
2007年6月、樹下美術館の開館に際して篠崎氏に描いて頂きました。

 

カフェの午睡
ここで皆様に親しまれ、喜ばれています。

バッハからピアソラ、チック・コリア、そして竹花さんオリジナル 

2012年6月25日(月曜日)

お陰様で満席となりました今週末30日。竹花加奈子さんのチェロと蓮見昭夫さんのギターによるコンサートが近づきました。

演奏者のお二人から以下のようなprogramが知らされておりますので、掲載いたしました

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ  G線上のアリア
サン・サーンス  白鳥
竹花加奈子 プラザ カテドラル
竹花加奈子  プラードからの祈り
ヴィットーリオ・モンティ チャルダッシュ

休憩

 アストル・ピアソラ   オブリビオン 、リベルタンゴ、 タンゴの歴史よりカフェ1930、
チック・コリア  ラ ・フィエスタ

 

チェロとギターのエキゾチズム、胸おどり心に沁みるコンサートが期待されます。

 


you tubeからチック・コリア自身がトリオで演奏する「ラ・フィエスタ」

母の故郷の古枝小学校から。

2012年6月22日(金曜日)

今年3月の連休に九州を旅行し、佐賀県鹿島市の古枝小学校を訪ねた。校長、教頭の両先生にお目に掛かり、ささやかな図書費の寄付をさせていただいた。

 

このたび礼状とともに30冊の購入リストとその展示写真を橋口校長から届けていただいた。良い本が選ばれていて嬉しく思い、かつ大変丁寧にしていただいたことに恐縮と感謝を禁じ得なかった。

 

図書
“新潟県の小生から頂いた本”として展示してくださった。

 

幼少に父を亡くした母を支えてくれた佐賀県の田園、古枝と古枝小学校の話は、母の晩年によく聞いた。この春、いつかその地を訪ねたい念願が叶った。学校の校庭で遊ぶ児童の姿に、幼少の母が交じっている錯覚を覚え忘れ難い。

 

個人的な経験からしても、子どもを支え教育する学校は本当に貴重な場所だと思う。母を介した九州の、とある小学校とのささやかな縁を喜びたい。

樹下美術館の梅雨の庭。

2012年6月21日(木曜日)

樹下美術館の庭は、春の終わりを賑わしたキョウガノコ、シモツケソウ、アスチルベなどから夏の花にバトンタッチをしました。

梅雨どきの今頃は日光の直射も少なく、気温も下がって花持ちが良く庭に力が感じられます。

 

1南側 様々なガクアジサイがいよいよ可憐です。キンシバイが満開となり、トクサ、ヤハズススキ、イトススキがぐんぐん伸びてきました。

2カワラナデシコ
カワラナデシコ
濃いの薄いの白など咲いています。

 

4ヒメタイサンボク
ヒメタイサンボク
良い香りをはなっています。
この花は日持ちが短いのです。3カキランIMG_0156
カキラン
場所を得て馴染んでいます。

 

5オオヤマレンゲ
オオヤマレンゲ
まもなく終わりです。
今年は八重咲きが多かったようです。

マツモトセンノウ
消毒が効いてしゃんと咲きはじめました。

昨年秋、沢山植えたテッポウ百合も間もなく賑やかに咲くことでしょう。

ところで潟町の仕事場の庭のコムクドリは、本日からウロBで抱卵を始めたようです。美しいメスのけなげな行動が見られました。

台風一過の夕暮れ。

2012年6月20日(水曜日)

上越市は台風4号の直撃を免れた。しかし一夜明けた本日、吹き返しの風が止まなかった。

 

そして日没直前、陽は頸城平野を思いっきり照らし、雲は多かったが西の茜は消えがたく残った。 

 

柳町
上越市頸城区柳町。

 

ほくほく線
ほくほく線普通電車。

 

潟町
私のまち上越市大潟区潟町。

おっぱい雲(乳房雲) 台風4号前の奇怪な空。 

2012年6月19日(火曜日)

夕刻まじか(午後3時45分頃から気がついた)からとても変わった雲が出ていた。東南の空低く流れた雲は柔らかな大小の房を連ね、思わずおっぱいと呼んでしまった。

 

1/乳房雲
乳房(にゅうぼう)雲と呼ぶらしい。乱れた大気の底(乱層雲などの)で部分的に冷えた所が沈んでこのようになるという。雨はなかった。

 

2/腸のガスのような雲
同じ空の真上を東に流れる雲。ガスが充満したお腹のレントゲン写真のようだ。

 

3/奇怪な雲
上記の部分がまもなくこのように変化した。脊柱のレントゲン写真か、節足動物の化石を思わせる雲。

 

普段あれほど爽やかだった青空と雲。しかし夕刻にかけて物語的な様相に一変した。いずれも全体は異様な感じで暗く、こんなに変わった雲は初めてだ。巨大な怪奇的芸術を見せてもらった感じだった。(いずれも仕事場の庭からでした)。

 

雨降りコムクドリ
今昼、雨降りの枝で毛繕いするコムクドリのメス。

 

雨のせいかコムクドリの出入りは少なく思われました。しかしオスメスとも寄ったのは昨日のウロBでした。具体的にどのような時期に相当しているのだろうか。

 

上陸した台風の脚が速いのも気になります。どうか甚大な被害をもたらさないで。

 

追加です:見た空があまりにネガ的でしたので三番目の写真をいたずらしてみました。色を白黒反転させ、色相、彩度、明度を少しずつ上げてみますと、普通の青空が現れました。本日の空が如何に見慣れたものとは反対の暗いものだったかが、分かる気がしました。

 

雲の修飾IMG_9880
全体の色を反転させましたので、樹は白くなっています。

コムクドリその5 二つのウロ 第二のメス? 予測不能な展開。

2012年6月18日(月曜日)

一日半振りにコムクドリを眺めた。期待されるのは同じカップルによる同じ巣での子育てだ。

 

しかし、今日は二つのことで少し様子が変化しているように見えた。一つは巣であり、もう一つはメスらしき鳥のこと。

 

1ウロの位置・正面_
今まで巣と言えばAのウロを見ていた。ところがつがいは盛んにBの枝分かれ部分に止まるようになった。
(大きくすると矢印♂の先にオスがいます)。

 

2・ウロの位置・裏側
樹の裏側に回ってみた。するとBにもウロがあった。
(普段は向こうの家のカーテンが空いている所にカメラを置いて観察しています)。

 

3・Bの裏を見る
Bに見られたウロ。長径15-20センチはある。部屋から見るとこの面は見えない。つがいはひょいと裏側に消えることが多く、ここへ出入りしていたと考えられた。営巣はここに決まったのだろうか。

 

4・Bを見るオス
本日ウロBに近づくコムクドリ・オス。

 

5・Bから出てきたメス
本日ウロBから出てきたと考えられるコムクドリ・メス。

 

6・謎のメス?
コムクドリのメスと考えられる鳥。15日につがいのメスに付いてきた鳥と同じかもしれない。
もしもメスだとすると子育てヘルパーか?もしや第二婦人ではあるまい?当然ヒナではなかろう。
つがいに排除される気配がなく馴染んでいる様子が不思議だ。
頭部や翼の模様と色が、つがいのメスと比べて少し変わっている。果たして誰だろう、謎の存在だ。

 

夏が進んでいる。盛夏は脱水や激しい雨など鳥の子育てには不利だろう。果たしてどんな展開になるのか、急げコムクドリ。

 

チェロとギターのコンサートバナー お陰様でコンサートのお申込みは定員に達しました。予約を終了させていただきました。

 

雨のち晴れ週末の上京 食事 酒場・ルパン 二つの展覧会。

2012年6月17日(日曜日)

先週末午後から上京した。同夜古い友人の快気祝の食事をし、晴れた翌日の日曜日に展覧会を二つ見た。

 

1群馬県北部の田んぼ 土曜日午後の新幹線車中から、群馬県北部は雨の水田。

 

2六本木のカフェ
都内のオープンカフェも雨降り。かすかな蚊取り線香が雨をすっきり感じさせていた。

 

3マンゴービネガー
最後の最後に出たマンゴービネガー。

4ルパン
ついに行ってみた酒場・ルパン

 

土曜日の食事はル・マノワール・ダスティンで五十嵐安雄シェフの料理を堪能した。すみずみまで氏の真心が込められたアラカルトから夏トリュフの前菜と魚料理を二品選んだ、その後チーズ、デザート、珈琲と進み最後に口直しのマンゴービネガーがママレードと一緒に出されて終わった。4時間が経っていた。

   

五十嵐シェフと一緒に
五十嵐シェフ(後列左から二人目)とともに。
およそ年一回、もう20年近く食事会を続けた仲間で会うのは刻一刻貴重になっていく。

 

 

遅かったが、前々から行ってみようというバー・ルパンへ寄った。文士名士たちが愛しに愛した店。ここのカウンター奥で撮られた太宰治の写真はあまりに有名。今でもその席に座ってみる客は引きも切らないという。当夜20席ほどの店内は満員で、若い男性たちが太宰の席を喜んでいた。

 

大騒ぎしなくとも昭和の遺産というべきバーが残り、流行っている。さすが東京、文化の力だ。

  

5紅型展 沖縄復帰40周年記念 紅型 展図録 サントリー美術館 

サントリー美術館の紅型(びんがた)展は独特な沖縄の美を印象づけられる。親しさとともにあるエキゾチズム。明瞭な色と形。多くの国宝があり、衣服として実用された染色芸術は保存状態が良く素晴らしかった。幸せな旅情へ誘われる第一級の展覧会だった。

 

6大エルミタージュ美術館展IMG_9640大エルミタージュ美術館展 新国立美術館 図録
日本テレビ放送網©2012

 

ロシア350年におよぶロマノフ王朝が蒐集した代表絵画作品展。16世紀・人間の世紀、17世紀・黄金の世紀、18世紀・革命の世紀、19世紀・進化する世紀、そして20世紀=アヴァンギャルドの世紀、流れ沿って展示は一見の価値ある。

 

それにしてもまる一日半見ていないコムクドリはどうしただろうか。

コムクドリその4 メスがもう一羽メスを連れて現れた。何者なのだろう。

2012年6月15日(金曜日)

鳥のことばかり続いて恐縮を禁じ得ません。もう少しお願い致します。

 

本日、つがいのそれぞれはネムノキを離れている時間が多く、時々戻る様子でした。オスは今日も第二のオスの排除に余念がないように見えました。

 

メスも出たり戻ったりしましたが余裕が感じられ、近くのヤマザクラの実をついばむのを見ました。

 

そして夕刻迫るころ、驚いたことがありました。

1揃っている
ときどき二羽そろっている。

 

2オス
オスがウロを見に来る。巣の補修などをする気配はない。

 

3メス
メスもウロを見に来る。ここでの営巣の可能性はまだあるらしい。

 

4想定外
そして夕暮れ近く、巣を見に来たメスにもう一羽メスが付いてきた。

 

つがいが互いに巣に関心を示していたことは安心材料でした。しかしメスが二羽連れだって現れたのには驚きました。

 

オス同士が絶えず争っているのは理解出来ます。しかし気をゆるしている風なメス同士はどんな関係なのでしょうか。

 

以前、鳥の養育でヘルプをする鳥(メスかオスか忘れました)が現れることがあると、読んだことがあります。子育てに失敗したカップルにヘルパーが付くとしたら非常に有益でしょうが、果たして彼女は何者なのでしょう。オスとの関係はどうなのでしょうか。

 

 

樹下美術館の庭樹下美術館の庭は自然な感じで夏の花が盛りになりました。
いよいよアジサイそしてテッポウユリですね。
一回目の芝刈りも全て終わり爽やかです。

 

 

コムクドリその3 つがいの行くへは。

2012年6月14日(木曜日)

コムクドリの観察(プライバシーの侵害)が日課の一つになった。

 

闖入者の防御に追われ遺伝子の制御と格闘するいたいけない二羽。 育児が不成功に終わったので、おそらく深刻な状況下にあるのではないだろうか。

 

DNAはつがいであることを含め、全て元に戻せと命令しているかもしれない。しかし二羽はすでにある種絆を有しているように見える。

 

新たに現れたオスからも、元のオスからも追われると(交尾を迫られる?)とメスは逃げる。しかし佇むのはつがいのオスとだけのようだ。

 

1
あどけなくも一途なオス。 本日午前。

 

2
まことに美人なメス。 本日午前。

 

3
けだものの如き鳥、ムクドリ。 本日昼。

 

4
闖入するムクドリを非難するつがい。 本日昼。
共通の外敵に強まる絆は生き物に共通のことであろう。
第二のオスとは決着が付いたのか。メスは再び身ごもっているかもしれない。

コムクドリその2 ああオスは辛い、つがいはどうなるのだろう。

2012年6月13日(水曜日)

宣言された梅雨入りが見事に外さている。

 

このよい季節に子育てに励んたコムクドリの育児は何らかの理由で失敗したらしい。 二人には今後次のような問題がありそうだ。

 

①現在のウロを今後も巣として利用するか?
人家に近い、また厄介なムクドリも大勢いることから、メスは次もここを選ぶとは限らない。

 

②オスはこの先も夫としてつがいを続けられるか、次回のヒナは誰の子か?
どうして分かるのか、本日別のオスがやってきた。
鳥類のつがいは固いと言われる。しかし遺伝子の研究からかなりの鳥でメスは夫以外のオスの子を生むことがあるらしい。どんな場合でも夫だと思ったオスはせっせと子育てに協力するが。

 

i以下は今日見た様子です。

 

1よそよそしい二人毛繕いするメス(右)とオス(左上)。どこかよそよそしい空気。

 

2せっかく見つけたウロだもの
せっかく見つけた僕の巣穴。

 

3もう一度交尾を試みたようだがメスは逃げた。身ごもっているのか、嫌われたのか。

 

4現れたオス
現れたオス(上)を下のオスが追い払った。
追い払った方を従来のオスだと思いたい。

 

ああそれにしてもオスは大変だ。餌を追い、メスを追い、邪魔者(ムクドリ)を追い、ライバルを追う。つがいが成立するまで、感情論の隙間もなさそうだ。そして一旦成立した暁にはただ一途に思い込む、それだけ、、、。

 

よく目にするキジバトのつがいだけは非常に睦まじく写る。

コムクドリその1 つがいは子育てに失敗したらしい。

2012年6月12日(火曜日)

長くスズメ以外の鳥にはさほど関心がなかった。しかし鳥にカメラを向けているうちモニターで見る表情や行動に興味を惹かれるようになった。70-200㎜のズームレンズなので迫力は今一だが、新たな世界を見ることが出来る。

 

仕事場の居間の目の前にネムノキがあって、色々な鳥が来る。5月中旬から、木の洞でコムクドリのつがいが営巣し子育てを始めていた。

 

コムクドリ♂

5月19日。巣作りのための枯れ草を咥えたコムクドリのオス。
色白で翼が輝く濃い青色をしていてきれいだ。メスはベージュ~茶系色なので
かなり違って見える。ムクドリに似た感じだが鳴き声や姿ははるかに可愛い。

 

1
5月19日。
大きなウロへ巣の材料を運ぶオス。

3
6月7日
夕暮れに一時のデュエット。

5
昨日で子育ては失敗したらしい。
おせっかいなムクドリがウロを覗く。

2
同日
横暴なムクドリ(左)を撃退するオス。

4
6月10日
オスメスで頻繁な餌運びが続く。

6
今日、交尾をした。
再度産卵と子育てに挑戦するのか。

 カメラ
外を向いているカメラ。仕事の合間でも思わぬ場面に遭遇する。色々興味を持つのもいいが何かと忙しい。

 

昨日から奇妙なことが起こっていた。つまり、メスがヒナかもしれない大きな黄色の物体を咥えて巣から飛んで出た。別なコムクドリが加わって争いが起きていた。これらと何か関係があるのか、つがいは昨日から給餌を止め、子育てに失敗したように見える。

 

そして本日交尾を目にした。観察とは言え明らかにプライバシーの侵害にちがいない。
それにしても数が多く乱暴な闖入者ムクドリに応戦しながらの子育ては大変そうだ。それでも再出発する、種の保存本能は痛々しいばかりに原理的だ。

 

何とか力になれないものか。

開館5周年の日 I氏の訪れ The folks who live on the hill

2012年6月10日(日曜日)

お花
頂いた花束にモネ人形もびっくり。
お客様で賑わった午後、「おめでとうございます」と、花束を手にした男性が現れた。白の麻ジャケットを羽織り、すらりとして日焼けした人こそ懐かしいI氏だった。 忘れていたが今日6月10日は開館5周年の日だった。

氏は開墾農家で、スタンダード曲“The folks who live on the hilll (丘の上の農夫)”の詩情を漂わせる。30年近く経つが、クルーに加えて頂いた佐渡や能登における外洋ヨットレースで誰もが認める名スキッパーでもあった。

最初の佐渡レースに参加した前夜の小木港で、自分は鍋一杯のブイヤベースを作った。あちこちの艇からキャビンに人が沢山集った楽しい一夜などの思い出を語ってくれた。

いま畑作に専念し、仕事は大変だろうが彼の畑をいつも美しいと思って見ている。

 


キリ・テ・カナワの“The folks who live on the hill”
(1937年 ジェローム・カーン作曲、オスカー・ハマースタインⅡ作詩)

 

勝手にかいつまんだ意訳ですが、

“ いつか私たちは丘の上に小さな小屋を作り

丘の上の農夫と呼ばれるようになりましょう ”で始まる曲。

 

最後のさびがいい。

“子どもたちが大きくなってここを出て行ったら

ベランダに座って大好きな景色を眺めましょう

普通の若者二人が睦まじい老夫婦に変わるのね

丘の上の農夫と呼ばれた二人に”

(間違いはお許し下さい)

 

梅雨入り 水分の風景。

2012年6月9日(土曜日)

今日から梅雨入りと報じられた。午前からしとしとと始まりそのことがうなずける。

 

遅い午後、柿崎は8号線沿いから見た米山(標高992.5m)は雨を含み、植田に濃い影を映していた。

  

梅雨入りの米山
水分が一杯の風景、田に山影を見るのも今のうち。

少し疲れた日 夕暮れ電車と音楽。

2012年6月9日(土曜日)

先日の頸城平野の夕暮れ電車

暮れる柳町

頸城平野のはくたか
「はくたか」

 

昨夜聞いたルイス・ミゲル“Inolvidable”。

雀の子 幼鳥から若鳥へ。

2012年6月6日(水曜日)

仕事場の二階からみる庭の正面に父が植えた古いネムノキがある。ネムの芽吹きは遅く、まだ始まったばかりで裸同然だ。

 

それでやってくる鳥がよく見える。今日は枯れ枝の先に雀が四羽、恐らくこの春巣立った若鳥たちが並んでいた。

 

幼鳥1
思い思いの毛繕い。親を追うこともなく、この子たちはもう自立とされたのだろう。

 

幼鳥2
軒下で親は既に二番子の抱卵をしている。

 

幼鳥3
若鳥は次第に集まり、秋には大きな集団を作る。しかしまだくちばしに黄色みを残しているのがやや痛々しい。それもまた野性の勇ましさとしてみよう。

 

今年、親たちと一部の若鳥が留まり、大部分の子は秋に渡りをするらしい。新潟県で放鳥された雀が静岡や関西まで行っていたというのを読んだことがある。ここにいる限り、頸城野の庭や畑、そして秋の素晴らしい水田で、長くて二、三年と言われる一生のひと時を楽しんでもらいたい。 

 

2,30年前に比べて雀の数は半減しているらしい。

 

チェロとギターのコンサートバナー 
現在コンサートの予約は50席で、あと10席ほど余裕があります。

陶齋作品 1943年(昭和18年)鵠沼(くげぬま)時代の署名のこと。

2012年6月3日(日曜日)

先日午後、新潟県立近代美術館へ行き、同館が収蔵される齋藤三郎作品「呉須掻落牡丹文瓶(ごすかきおとしぼたんもんびん」を拝見し撮影させて頂いた。

作品は2009年秋の同館の企画展「あふれる詩心-版画と陶芸-展」で一度見ていた。図録に1943年制作とあった。年代は拙樹下美術館で唯一欠けている鵠沼の時代である。底に記されているはずの署名がどんなものか、長く見たいと思い続けた。

当日、奥まったスペースで丁寧な学芸スタッフによってまず全体を見せて頂いた。続いて底を見るために寝かせて頂いたところ一瞥では署名が分からなかった。エッと思って目を凝らすとへりに小さな刻印風のものがある。さらに凝らすと釘で浅めに彫った署名だと分かった。

下に当館が収蔵する作品の底の署名と、今回拝見したそれを古い順に①~⑨まで示させて頂いた。④はこのたび撮影した署名をトレースしたものである。

 

1①昭和12年秋
作品の箱に年代明記されていたので大変助かった。

2
②昭和12-13年

4
④昭和18年

6
⑥昭和24-29年

8
⑧昭和40年代

3
③昭和13年

5
⑤昭和24年頃

7
⑦昭和24-29年

9
⑨昭和50年代

10
⑩ずっと年代同定で悩まされた署名。

10色絵魁大鉢
その署名がある口径30センチの色絵魁(さきがけ)大鉢。
当作品は現在展示中で、陶芸ホール入ってすぐ正面にあります。

10の裏面
その裏面。

一連を眺めて二三の感想を記して見たい。

●この度の作品の署名④は筆によるものとばかり思っていたので、小さな彫り署名は意外だった。

●しかしそれ以前の署名①②③を考慮すると、④の字体は自然な流れの中にある印象を受けた。

●⑤は拙父が生前に集めた青磁鉢の署名である。見慣れた戦後髙田の⑥⑦⑧⑨と異なり同定に困難を感じていた。ただ長く家にあったので漠然と早期の髙田時代だろうと推測していた。このたび鵠沼④に照らすとよく繋がり、推定通りとして安心した(同じく彫り署名でもあり)。

●⑩は樹下美術館にある色絵魁大鉢の署名で、少々字体が風変わりだ。戦前の時代②③と幾分類似するように思われるが自信が無い。さりとてこのたびの鵠沼とも異なる。また見慣れた髙田時代の⑤⑥⑦⑧⑨とも関連させずらい。聞けば戦前と言う人もいたし、戦後という人もいる。
非常に大きくて実験的な印象が漂う興味深い作品である。予定している当館収蔵図録において唯一「年代不詳」とすることとした。

年代同定は、最初に手に入れた人か、なにより作者に聞くことが出来れば何でも無い事であろう。しかし後人が本などにしようとなると苦労と不安がつきまとう。

最後にこの度、新潟県立近代美術館の学芸員の方々には大変丁寧に対応していただき深く感謝しています。

お見せ頂いた呉須掻落牡丹文瓶は素晴らしく、齋藤三郎の生涯最高作品ではないかと思いました。もしかしたら古今東西における陶芸の傑作の一つかもしれませんね。樹下美術館で陶齋を飾れる幸せを感じながら帰りました。

 

当瓶の写真は樹下美術館カフェにある本「越後の陶齋 泥裏球光」と「あふれる詩心-版画と陶芸-」でご覧頂けます。

トキ親子のひと安心 鳥が緩和するマイナスイメージ そして未来。

2012年6月1日(金曜日)

今日から暦の夏となった。災害が無いことを祈るばかりだ。

 

昨日トキ幼鳥の映像を心配したが、今日のテレビは親子の給餌風景をしっかりと写した。 昨日とは一転、美しいトキの行動はダイナミックで見応えがあった。

 

餌をねだる幼鳥
餌をねだるヒナ(TeNY/テレビ新潟のニュース画面より)。

 

本日二羽がそろって巣離れしたという。天敵だらけの中、まずここまで成功させるとは素晴らしい親であろう。これから各所の餌場へ子を連れて回り、翼を強化させ、給餌し、探餌や危険への教育をするだろう。

 

鳥は子育てのためなら相当大胆になる(人もそうだが)。餌を求めて驚くほど人や民家に近づくかもしれない。人工的な環境で始まったが、共生が成立すれば佐渡を“命の島”“優しさの島”へと再生させる可能性を秘めている。

 

多発する災害や世界一大きな原発施設など新潟県のマイナスイメージを鳥たちが緩和する。

 

群れてトキが飛ぶ将来、善光寺参りのあと「佐渡のトキ参り」も夢ではなかろう。新・新幹線駅と佐渡汽船も救うこことになるのか。地域作りとは何か、深く考えさせられる。

 

まだまだヒナは後に控えている。何より豊かな餌に恵まれますように。

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