2019年4月

昨日,十日町は松之山の百体庚申塔と松代は洞泉寺の庚申塔を訪ねた(庚申塔その19) 仕事して良かった平成の最終日。

2019年4月30日(火曜日)

このノートのカテゴリに「花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺」がある。
そもそもは昨年6月上旬、上越市は黒井の大慈院で見た火頭窓の感激から発し→上越市浦川原は顕聖寺の二十三夜塔への興味→10月魚沼行きで見聞した庚申塔という順序で対象が拡がり、新たにカテゴリが出来た経緯がある。

庚申塔は近隣の板倉区、浦川原区、三和区、柿崎区、大潟区、頸城区、髙田公園を訪ね、さらに東京都目黒区さらに京都と奈良でも訪ねた。
その後雪と寒さのため、今年は3月3日を最期にひと休みしていた。

昨日、日曜日は何とかお天気が持ったため、午後かねて念願の十日町松之山は黒倉の百体庚申塔を観に出かけた。
途中松代は室野の路傍で予定に無い庚申塔に出会った。庚申塔探訪には思いがけない遭遇があることも楽しさの一つ。

合掌し、弓、矢、宝剣、宝輪を持った青面金剛(しょうめんこんごう)の石塔。

 

ほかに二十三夜塔と地蔵尊および馬頭観音が並ぶ。

 

上った石段途中に庚申の文字塔があった。

石段を上りきると曹洞宗の寺院「洞泉寺」だった。

 

堂々たる大寺の境内には雪が残っていた。
室町時代初期から続くらしい曹洞宗の名刹だった。

 

境内の指定文化材、大ケヤキの足許に石仏群。
衣服やショールをまとったようにほぼ全身苔に包まれている。

 

洞泉寺を後にして進むと、星峠の棚田へ至る道標があり、そちらに寄り道した。

 

連休とあって棚田のビューポイントは混雑していた。

これだけ人が集まっても観光商売をせず、棚田を維持出来るのは農業に強いプライドがあるからだろう。ほかに棚田独特の大規模な営農方法もあるのだろうか。

その後、黒倉集落で道を尋ね、100体庚申塔の駐車場へ着いた。
到着するまでの山あい谷あいに拡がる棚田群の多くが、良く手入れされていることに大変驚いた。山間では荒れて放棄された水田をよく見ているので余計だった。

 

百庚申塔の近くに雪が残っていた。

 

駐車場に車を駐め石段を上ると、わずかに小高い場所に庚申塔群が広がっている。
向かって左下に黒倉から上ってきた道路が通っている。

 

多くは庚申塔と彫られた自然石の文字塔だが、所々に青面金剛を彫り出した仏像塔も見られた。やや南に小さなお堂が建っていた。

 

二体ならんだ青面金剛の庚申塔。

この像に寄ってみた。

 

合掌し、他の4臂で弓矢、宝剣、法輪を持っている。
上方左右に丸い日月紋様が見える。

足許に約束通りの見ざる言わざる聞かざるの三猿(さんえん)と、二鶏(にけい)とおぼしき部分が覗えた。
とても素朴なデザインだった。

向かって右の青面金剛像。
左右二体は様式と姿が似ている。同じ石工(いしく)あるいは師弟の制作なのか。

お堂を覗くと、全体の本尊と思われる青面金剛像が安置されていた。
六臂(ろっぴ・六つの手)であるが、合掌せず左手にショケラ(半裸の女人)と考えられる小さな像を握っている。他の五臂で弓矢、宝剣、槍?と法輪を持っていた。

 

愛らしいショケラの髪を掴んでいる。何故ショケラなのか、定説はない。
男だけの集まりが基本だった庚申待ち行事。当時のこと、女で身を滅ぼさ
ないようにと、いさめを込めたものか。

猿は見当たらなかったが二鶏が彫られていた。

夕刻から夜明けまで経念仏、食事、茶話、時には歌舞あるいは飲酒や囲碁将棋、さらに一休みもあったという60日ごとの庚申の集い。
お開きとなる邪鬼が去る夜明けを告げる鶏は、猿とともに庚申塔定番シンボルの一つ。

数えてみなかったが100体もの庚申塔が集められている場所など全国的に極めて希ではないだろうか。明治時代前半のころ、篤志家の発案で当地に100体を造り、ここに集めたという。悪事を謹み、先祖を供養し、豊作と地域・家内の安全を願った庚申信仰。篤志に賛同した他地域からの寄進もあったという。
当時の農村の暮らしは、今読んでいる「生きづらい明治社会(松沢裕作著 岩波書店2018年12月5日第三刷発行」にも詳しい。
辛く大変だった明治の農村。
いま庚申塔に出会うと、少しほっとする。

ところで100庚申の駐車場と、園内はきれいに管理されていて気持ち良く、黒倉の人々の丁寧なもてなしの心が伝わってきた。
昨年掘川紀夫さんに大地の芸術祭に連れて行ってもらったが、このたび見覚えある場所を何カ所か通過して懐かしかった。

さて十連休中の本日は平成最期の日。意識した訳では無かったが、予め案内を配り開院した。30名近い受診者があり、入院が必要な方も来られ、開けて良かったと思った。
樹下美術館の昼は、17台の駐車場が珍しく満車になっていた。

本日をもって御退位される両陛下のご健康を心からお祈りしたい。

上越市は吉川区で従姉妹の法要の日。 

2019年4月28日(日曜日)

午後に上越市吉川区は国田の善徳寺で従姉の一回忌法要があった。
大正12年生まれで最年長のいとこの享年は94才だった。
二十才年が離れていたので、子供の頃に「おばさん」と呼ぶと、「いやね、お姉さんでしょう」と言い直しをさせられた。東京女子大出身、東京大学地震研究所に助手として勤務経験がある優しく聡明な人だった。
大正生まれの方はご苦労されている、とはある僧侶の言葉。
亡き従姉も空襲に遭うなどで神戸、東京、旧菅原村、旧吉川町と人生の苦楽を歩まれ、後年坊守の傍ら地域活動や俳句に勤しみ、幸せな晩年を送られた。

若き日苦手だった経は、本日美味しい水でも飲むように心耳に響き、懐かしくも良い時間を過ごさせてもらった。夕刻のおとぎは場所を移し、鵜の浜温泉「みはらし旅館」に会した。食べきれないほどのご馳走を頂き、初めてお会いする浦川原の方のお隣で時間を忘れて興味深いお話をお聞きした。

 

国登録有形文化財「経堂」や市指定有形民俗文化財「仏足石」のある清々しい善徳寺。

 

境内で満開だったドウダンツツジ。

 

 

 

 

一帯の水田には早くも水が張られ、新緑の里は麗しかった。

本日、お陰様で樹下美術館はお客様に恵まれ、好評の展示を見入られ、またカフェが満席になる時間もありました。
誠に有り難うございました。

間もなく平成時代が終わる 強靱な陛下。

2019年4月27日(土曜日)

あと三日で平成が終わる。
いまだ傷跡癒えぬ幾つもの大災害に見舞われた30年間だったが、陛下は先日のお言葉で「日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちました」と述べられた。
一貫して平和を願われた陛下に相応しいお言葉だと思った。

また都市中心に回りかねない社会にあって、行脚によって常に地方を大切にされ、「国民と共にある」ことを体現されたことも貴重なことだった。
しかるにメディアや人々の一部には、「平和」とその礎たる「民主主義」「友好」などの言葉や感覚を嫌う言説が常に存在したやに思う。
おそらく陛下はそのような事を知っておられ、昭和天皇から引き継いだ「民と共にある平和の象徴」を貫くため、長くこれらの現象と闘われたのではないだろうか。
昨年8月のお言葉はじめ、年と共に陛下には希有な品格のなか、ますます強靱なお考えと意志が感じられるようになった。

 

手許の「皇太子さま」 著者田中徳 大日本雄弁講談社昭和24年11月15日発行。

小学校低学年時代、大きな行事があると地元の分校から本校へ行列して行った。
本校には図書館があり、そこで陛下の皇太子時代の絵本を何度か手に取った。遠泳やヴァイニング夫人との美しいカラー挿絵を見て、その都度子供なのに凄い人だなあ、と驚嘆した記憶がある。

いっときも時間と経験を無駄に出来ないお立場と日常は、想像を超えるご苦労があるに違い無い。
くわえて幾つかの病を越えられ、健康でおられることも貴重なことであり、年とともに遠くから学ばせて頂きたい事の一つになった。
さらに美智子妃殿下との間に滲む愛情は、象徴に相応しい姿として強く印象に残る。

 

本日の庭は落花によりますます美しかった。
来館された東京のお客様がこの落花にカメラを向けられたと、聞いた。

落花の日幾千万の花びらはいつか根などへ帰らむと喜びて散る土に緑に

 

寒い一日だったが、明日はとにかく晴れるらしい。

ゴールデンウイークの開館 山桜の落花。

2019年4月26日(金曜日)

日中、二日続きの雨が降った日、肌寒くて美術館は暖房が必要だった。
小さな女の子さんが来館され、カフェの食事ではワーッっと歓声が聞こえてきました。

間もなく10連休などという春の連休です。
5月1日水曜日は普段定休日ですが、連休中はお休みせず開館致しますので宜しくお願い致します。

お勤めの患者さん達にお聞きすると、殆どの方達は長休みは取れない、と仰いました。
近隣の病院は4月30日と5月2日の受診を可能にして、長期休診を回避しているようです。全く微力ですが私の診療所もこれに習うよう、一応皆様にお知らせし致しました。

 

さて、樹下美術館の山桜には野の楽しさを満喫させてもらいましたが、本日大方落花していました。

 

 

右の黒い木が花を散らせた本人です。

山桜はソメイヨシノに比して開花期間が短いように感じられます。というよりソメイヨシノが長く咲くように改良されいるのかも知れません。
また木によって開花時期にずれがあり、近隣には今満開を迎えているものも見られます。

今夜も冷え込み、県内の高地では雪が降るということ、なかなか丁度には行きません。
連休中のどこか良い日に庚申塔の探訪が出来れば、と考えています。

裏手のデッキの柵が新しくなった 雨の庭 秋のジャズコンサートの打ち合わせ。

2019年4月25日(木曜日)

樹下美術館の東の裏手には当初から小さなデッキをこしらえ、ベンチを置いている。
その場所は少々高い石垣の上にあり、落下予防として一部に木製の手すりをしつらえてあった。
それが昨年からぐらぐらしてきたため、この度新しく鉄製のものに取り替えた。
白く細くなったが頑丈で、見た目も清々しく仕上がった。

 

2016年7月のデッキ。

以下は本日のデッキ。

 

 

 

昨日の南風大風と打って変わり、本日日中は少々冷たい雨がしとしとと降り続いた。

 

雨は昨日の乱暴な風を詫びるように静かに降り、草木は一息ついている様子だった。
雨中の新緑がまぶしい。

さて本日午後、10月に行われるジャズコンサートの打ち合わせで、メンバーのお一人佐藤俊次さんがお見えになった。
ヴァイオリンが入るクヮルテット編成で、ジャンゴ・ラインハルトの流れを汲むマヌーシュ(ジプシー風の)ジャズが演奏される。

期日は10月5日土曜日午後。
秋の樹下美術館がエキゾチックなジャズサウンドに満たされる日が楽しみです。
詳細につきましては後日お知らせ致します。

庭に悪い風が吹いた日。

2019年4月24日(水曜日)

本日定期休館の水曜日。
日中強い南系の風に見舞われ、花と新緑の草木には悪いお天気だった。

 

 

 

背が高いクリスマスローズは誠に辛そう。

 

 

上はナツハゼ、下イタヤカエデ。

 

カシワバアジサイ。

 

可憐なジューンベリーも散々。

 

シダ。

本日の気温は上越市大潟で最高24,5℃。
過日「春を喜ぶ若芽若葉たち」と記載したばかりの幼弱な春の草木には、辛い熱風だったにちがいない。
施設の帰りに寄って撒水すると、時には竜巻かと思う程の強風に見舞われた。
患者さんたちの菜園はジャガイモの苗を植え終えたばかり、風は夕刻には収まってきたが、心配だったと思う。
三月初めから咲き続けたクリスマスローズも、そろそろ刈らなければならない。

上越市大潟区は潟町一区の火防地蔵尊。

2019年4月23日(火曜日)

上越市は大潟区潟町の西端、旧国道沿いに地蔵尊のお堂がある。
数年掛けてお堂と門が改築されて大変きれいになった。本日4月23日は祭礼に当っていた。
薄明かりが残る夕食前に寄り、食後暗くなって再び訪ねた。

 

夕刻の火防地蔵を門前から見る。
ここの地蔵には門があり、それも立派に改築された。
瓦も下見板も壁も提灯もみな新しくなっている。
地蔵を守っている小さな地域が良くも立派にしたもの、と熱意に驚かされる。

 

門をくぐり日が暮れたお堂へ。

 

地蔵尊。
帽子、前掛け、袈裟衣ほか全てが新調されている。
初めてまじまじとお顔を見たが、笑みを浮かべ、大変良い表情。
花も新鮮でお地蔵様は何とも晴れがましく映った。

 

お賽銭を上げると当番の方が見えて、お札を頂いた。

 

当地蔵尊は1700年代中頃に発する言い伝えがあり、仏は柿崎区は猿毛山中の石工がこしらえたという。
かって地蔵が大火を知らせたと言われ、火防地蔵尊と呼ばれている。地域はまた地蔵町とも称される。
お合いした当番の方は、火の用心とともにお地蔵さんは顔も良いのでみんなが大事にしている、と仰った。
なるほどである。
近くの西念寺さんが読経されていると聞いた。
一体の仏が地域を幸せにしていると感じられ、9月23日には秋の祭礼がある。

大潟区潟町の旧国道沿いにあと二カ所、六地蔵が祀られている。

ジューンベリーとヤシオツヅジ 京都の筍と弟のベーコン。

2019年4月22日(月曜日)

日中、暑からずすがすがしい晴天だった日。さる18日に新芽若葉でご紹介したジューンベリーとヤシオツツジが早くも満開を迎えた。
わずか五日の日がこれほど花を促すとは、花の早さに驚かされる。

ちなみに二つの花の先日と本日の様子を並べてみました。

去る18日のヤシオツツジ

 

本日の花。

 

先日のジューンベリー

 

本日の花。

先日はジューンベリーのことを目立たない、などと書きましたが、
本日あっと驚くほど白さが際立っていました。
昨年からこの辺りに花を沢山植えたため、肥やしが効いたのでしょうか。

話変わって度々の食卓です。
本日は頂いた京都の筍が弟の農場から届いたベーコンとともにバターで炒められました。

 

京都の麗しい野の香いっぱいのひと皿。

弟の豚肉は相変わらず絶品で、最近神戸のレストランから引き合いがあり、とても好評だということです。

近隣に山桜の季節、自然との調和が美しい。

2019年4月20日(土曜日)

ソメイヨシノが終わると山桜が咲いてくる。あたりの新緑と混じり合い野に多彩で穏やかな色調が展開する。
本日は一日中清々しく晴れ、近隣の桜を見て回った。

 

美術館と診療所の間で見る山桜。

 

 

樹下美術館には6,7本の山桜があり、微妙に時期をずらして次々と咲く。

 

 

空の青さがすけて爽やかなコントラスト。

 

 

美術館近くのお宅には大きな山桜がある。何年か見ない間にいっそう立派になっていた。

 

 

大潟水と森公園公園に向かう途中の天ケ池(あまがいけ)の山桜。
古来愛されてきた春の野の風景ではないだろうか。

 

 

西口駐車場で降りると目の前の芝生広場の右手は色とりどりの山桜。

 

 

 

その桜の通路を歩いた。

 

 

 

上下写真は鵜の池の歴史ゾーン。古代人も見ていたであろう新緑と山桜の軟らかな景観。

 

 

歴史ゾーンから対岸をみる。
自然のままのため位置により見え方が異なる。

 

 

水辺の新緑とともに。

 

 

遊歩道がアクセント。これから最も良い季節が始まる。

 

 

コローの絵のようだ。

山桜の良さは天然木であること。他の樹木との穏やかな調和があげられる。
わずかな色の違いが軟らかな葉とともにパステル調の眺めになる。

もともと山桜が多かった頸城野地域。ほかにも随所に見所があることだろう。

落花 鯵フライ。

2019年4月19日(金曜日)

肌寒かった金曜日、周囲のソメイヨシノはほぼ花を振り払って大方今年を終えた。
何日も満開を続けた花を、こうもあっさり散らすのは気温か、風か、それとも予めメモリにでも書き込まれているのか。
それにしても一斉に散るのはクローンならではの振る舞いであろう。
「ご苦労さまソメイヨシノ、どうか一休みして下さい」

樹下美術館の落花。
北西の風で散ったのか、農道に沿った小さな流れに掛かる橋に向かっている。

釣りの知人から頂いた鯵がフライになった。
美味しい鯵フライを嫌いな人などいるだろうか。

それにチキンのトマト煮。

本日随分寒く感じたのは年のせいであろう。それに風邪をひいているのか。

春を喜ぶ若芽若葉たち。

2019年4月18日(木曜日)

数日うららかな春の陽が射すと一斉に樹木の芽が膨らみ、競うように若葉を広げている。
本日昼、樹下美術館の若芽若葉を中心に、庭木を撮ってみました。

 

カフェ正面ですくすく成長するイタヤカエデ
メープルシロップが採れる樹です、きれいに黄葉します。

 

その下の中低木ナツハゼ
大きな樹木の下で秋に黒い実をつけ、紅葉します。

 

 

その手前のモミジは昨年成長した枝。

 

右少し奥のナツツバキ
初夏に白い花をつけ、株立ちが似合う樹です。

 

その前のアメリカハナミズキ
間もなく開花します、これは白花。

 

さらにその前のヤシオツツジ
もうすぐ品の良いやや大きめの花を咲かせます。

 

建物正面右の中低木のニシキギ
秋の紅葉が見事。

 

正面左のアオハダ
三カ所で爽やかに株立しています。

 

正面右のやや低木のマユミ
ニシキギと兄弟のような木、真っ赤に紅葉します。

 

その右のツツジ
しばらくするとピンクの花が咲きます。

 

右奥の低木はウノハナ
「夏は来ぬ」の白い花は初夏の象徴。

 

そのまた奥のドウダンツツジ
6、7本くらいあり、一部で咲き始めた。

 

その手前の低い木、ヒメウツギ
白い小花をいっぱい咲かせます。

 

カフェ向かって右のこれも低いシモツケ
初夏にピンクの花が可憐。

 

その近くのガクアジサイ
樹下美術館に沢山あり、6月が楽しみ。

 

カフェ正面のカシワバアジサイ
夏庭の女王様、株分けをして四カ所で咲くようになりました。

 

ずっと左奥、実生のコナラ
コナラのどんぐりから生えた幼木です。

 

コナラのそばの中低木タニウツギ
旺盛に成長、夏の野の風情を演出。

 

その手前のやや低いツクバネウツギ
白く小さなトランペット形の花を沢山咲かせます。

 

カフェから右手に見えていたハクモクレンの若葉
モクレンの仲間は花も葉もゴージャス。

 

樹下美術館で現在満開のヤマザクラ
花と若葉の爽やかなトーンに心洗われる。

 

ライラック
まだ小さな苗です。

右手奥に植えて四年目のジューンベリー
そそとして目立たないが可憐。

 

眠りから覚めた彼らはみな柔らかで、軽々とした葉をまとい春の歌を謳っている。

土門拳などによる昭和の写真集 犀潟は新堀川の夕陽桜。

2019年4月16日(火曜日)

今年、美術館の図書をかなり大幅に入れ替え、30数冊を新たにしました。
(3月20日および3月21日に記載)

棚にまだ余裕がありましたので、いよいよ遠ざかる昭和を慈しみ、土門拳を中心に4冊の写真集を加えました。

私の年の人間には戦後のある時期から一種日常として土門拳は存在していました。まず氏のプロフィールのほんの一部ですが下記に記しました。
「1909(明治42)年山形県酒田市の生まれ。昭和10年、報道写真家として出発。戦中に仏像、文楽などを撮影。戦後は社会と生活に密着したリアリズム写真を展開する一方、著名人の人物ポートレートや風物、仏像など日本の現象と地勢、伝統に広く取り組み、優れた作品を発表した。昭和34年、脳出血を発症。回復後は「古寺巡礼」の撮影を開始。その後再発のたびにリハビリに専念し現場に復帰。晩年は長い昏睡の後209年、80歳で永眠。文筆家としても知られる」。

 

「土門拳の昭和」 編集・構成小西治美 (株)グレヴィス 第三刷 2012/6/発行
生誕100周年を記念した写真展「土門拳の昭和」の図録。「戦前・戦中の仕事」
「戦後日本の歩みとともに」「風貌」「日本の美」の4部構成で約300点の写真を
収録。
真実の迫力に引き込まれる。女優・水谷八重子ほかのあとがきと土門自身の
エッセイも収載。

 

「筑豊のこどもたち」 著者土門拳 築地書館。1977/7/21初版発行。
本書は2016年3月30日発行で第16刷。40年経ても変わらない熱心なニーズがある。
今後のために、嘗てあった事実を見ることの価値は他に代えがたい。

 

「腕白小僧がいた」写真・文 土門拳
(株)小学館 2002年9/1初版 2015年9/16第5刷発行
これも多くの重版が続けられている。

昭和20年~30年代の日本には元気いっぱいに遊び回るこどもたちで溢れていた。
こどもに溶け込み、生き生きとした姿を捉えた傑作に自身のエッセイを収録。
とりわけ東京の下町のこどもを愛し、豊かなスナップを残した。
「東京のこどもたち」、「日本のこどもたち」、「筑豊のこどもたち」
三部は氏の代表作のひとつ。

写真家が捉えた現代の一瞬「昭和」  (株)クレヴィス 2013/10/10第一刷発行
土門拳による表紙「浅草・雷門 しんこ細工 昭和29年」。
中央の男子の熱中と作る女性の沈んだ表情。
たった一枚の写真は、世相、場所、世代、生活、物語まで写そうとしている。

はかなげな戦前の平和、軍靴と戦渦、焦土と貧困、占領に引き揚げ、復興と景気、地方と都会、、、激しくうねった激動の昭和。その各相の光と影、日常と非日常が、12人の写真家によって見事に写し出されている。プロの撮影技術に加えて、時代への鋭敏な感受性が見事なシャッターを切らせたにちがいない。
撮影者:木村伊兵衛、入江泰吉、土門拳、浅野喜市、濱谷浩、緑川洋一、林忠彦、薗部澄、芳賀日出男、長野重一、田沼武能、熊切圭介の各氏。

時代とその生活を撮るために人物を写すのは必須である。しかし今日、肖像権や拡散と悪用などで極めて限定される。
その点、昭和の媒体は主として活字のうえ人間も大らかで、相当自由に人を撮影出来た。
自ら起こした戦争によって国も人間も死線をさまよった昭和。復興への陰影が撮られた写真はますます貴重で、価値も高まろう。

つい最近、ある方から土門拳の書を見せてもらった。
あまりに良いので展示中の齋藤三郎の壺に添えてみるとぴったりだった。

 

「毘(び)」は人間のへそ、あるいは助ける、の意味がある。
脳梗塞の後、渾身の気力を込めて左手で書かれている。
「毘」は「龍」とともに上杉謙信の旗印。
人を励ます力がある。

日が長くなっている。
夕刻、診療を終えて残っている草花を植えるため、美術館に向かった。
通りがかった新堀川の桜が夕陽を浴びてきれいだった。

 

短時間の天然照明、夕陽桜の美しさ。
花冷えが利いているのか数日来満開のまま。

掘川紀夫さんの凱旋 本日の食事。

2019年4月14日(日曜日)

夕刻まで何とかお天気が持った本日日曜日。
昼少し前に妻が用意した朝昼兼用の食事プレートを美術館に運び、コーヒーを入れてもらい、ベンチの丸テーブルで食べた。風がわずかに冷たかったが、まだ日射しは良く、のんびり過ごせた。

 

腎臓のことを考えて牛乳は100cc程度。
果物のほかちりめんじゃこ野菜、番茶まで付いた少々風変わりな食卓。

 

食べ終えて本「生きずらい明治社会 不安と競争の時代」
松沢裕作著 岩波ジュニア新書を読んだ。
平易な文書で大変読みやすく、先が楽しみ

すると掘川紀夫さんが、お久しぶり、とお見えになった。

昨年夏、当館で「夏庭のテンセグリティ展」をして頂き、静かな美術館を盛り上げて下さった人。
この度は3月8日~6月9日まで、ニューヨークはジャパンソサイエティに於ける「Radicalism in the Wildness Japan Artists in the Global 1960s」展の格調高いオープニングセレモニーの招待行事から凱旋され、本日のご来館だった。
※邦題;「荒野のラジカリズム-グローバル1960年代の日本の現代美術作家たち」展

8泊9日のアメリカ行きで少々肥られたご様子。嘗て取り組まれた60年代後半の成果が再評価された。国際的なイベントのオーブニングを終えられておのずと安堵の表情が滲む。
人生は色々あるが、芸術家という方達は、理想対時代の激しい潮流のなかで、本当にご苦労されている。だがこの度ご本人関連30点以上の展示と内覧、スピーチとインタビュー、さらに晩餐会。そしてにニューヨークタイムスほか多くのメディアによる紹介。情熱を注いだ青春時代の仕事が晩年?このように盛大に再評価されることなど、誰にでもあることではない。誠に希有な幸福であろう。

 

当展覧会案内冊子の表紙。

展示は1960年代後半の日本人による挑戦的な表現作品として掘川氏前山忠氏らのGUN、松沢宥氏、The Playの三者がピックアップされている。GUN全体では、50点以上もの作品と資料が展示されているという。
前衛は常にリスクを負う。表現されたものの価値と評価は流動し相対的なのが普通であろう。だがこの度のことで、仕事が50年の時間に耐え成熟し、歴史としての客観価値に近づいたのではないか。同時に今日、成熟したのは時代と社会でもあって欲しい、と望みを託したい気持ちがした。

 

プログラム冊子の「GUN]紹介ページ。
掘川氏らによる「雪国のイメージを変えるイベント」とGUNの紹介。
左はイラストではなく手前の橋から羽永光利氏撮影の写真。

60年代の「石を送るメールアート」から。結び紐と荷札がとても良い。
月面の石の一種アイロニーとして河原の石が各界に郵送された。
送られた人によって大切に保存されている。

 

 

 

デッキで昼食の掘川さん。
巨躯、髭、日焼け、メガネ、、、厳つい外見の掘川さんから人並み以上のナイーブさが伝わる。

 

がらっと話変わって夕食です。

 

タケノコが入った鯛そーめん。

 

味噌味のちゃんちゃん焼き。

 

これで十分なのに頂き物の富山の鱒寿司も出てきた。

 

とろろ昆布が挟まれた非常に充実濃厚な鱒寿司。

あすの朝昼は軽くしないといけなくなった。

樹下美術館の常設展示画家・倉石隆氏ご縁者の来館 庭仕事。

2019年4月13日(土曜日)

今昼、東京方面から画家倉石隆氏の縁者さんが来館された。
寡黙のなかに美学を秘めるお父様(倉石隆)の振る舞いなど、お話は興味尽きなかった。

 

あっという間にお別れが近づき、田んぼと桜を背景にベンチで記念写真。
さすが芸術家の血筋、皆さんさっと構図良く収まる。
ファインダーを覗くのが気持ち良かった。
どうかまたいらして下さい、有り難うございました。

お見送りしてからホームセンターへ行き、肥料と土などを求め、日没まで庭で過ごした。
先日と本日、植え込んだのは購入頂戴を含めアスチルベ7株、キョウガノコ9株、エビネ7株、雪割草8株、センノウ類5株。ほか成長の悪い8株のクリスマスローズを掘り起こし花を取り、場所と土を変えて移植した。植栽のほか拡がろうとする苔を剥がし、雑草も取った。

土や肥料は重く姿勢はきつい。
暮れるとともに足腰と肩がきしむように痛み出し、終了した。
まだ芍薬とヒュウガミズキ、それにエンレイソウが残る。
痛みは来るものの庭仕事ほど楽しいものは無い。
患者さん達が畑に夢中になるのはよく分かる。

樹下美術館のソメイヨシノと成長の早さ。

2019年4月12日(金曜日)

樹下美術館には以前から雑木林にあった7,8本の山桜が今もあり、間もなく開花を迎える。
ほかに2007年の建設時に記念としてソメイヨシノを一本南側の裏手に植えた。それがみるみる成長してこの一両年は目立って立派な花を咲かせるようになった。

 

田んぼから見た本日のソメイヨシノ。
左手に5、6年前に植えた樹が咲いている。
今後これも猛烈に育ち、右の樹と枝が重なってくるのではないだろうか。

テラスと桜。

 

手許に2012年の写真がある。当時まだ小さく花も目立たなかった。

 

2012年5月、田んぼから。

同じく2012年5月、手前から。左の樹はアカシデ。

わずか9年前にはまだ添え木をされ、屋根に届くかどうかという小さな苗が、今や屋根のてっぺんを越えた。施肥をする芝生にあるので余計良く育つのかもしれない。それにしてもソメイヨシノの成長の早さは全く驚くばかりだ。

所で自然界の山桜やエドヒガンザクラは数百年は大丈夫らしい。かたやソメイヨシノは60年とも聞き、短命はクローン植物の宿命なのであろう。
春一斉に狂った様に開花する花を支え、栄養する根の成長もまた凄い。狭い場所では、もこもこと地上に現れるほど太く大きくなる(あたりを踏み荒らすからだけではなさそう)。
あらためて寿命を考えれば、今や人間のほうが長生きになってしまった。だから手入れがとても大切らしい。
私たちを喜ばせるために懸命に生きるソメイヨシノを見るときは、「今年もありがとう」と心の中でひとこと言ってもいいかもしれない。

今夕、医療で関わっている特別養護老人ホーム「しおさいの里」で春の会があった。140名のスタッフはチームワーク良くモチベーションを維持し、社会の要所を支えている。
万歳三唱が回ってきた。「集団の仕事だが互いの個性を尊重し合うのも大事」と一言述べさせてもらった。離職率が低いのは、そのような配慮が自然となされているからではないだろうか。
同ホームは5種の施設を運営する複合施設の一つで、全体の職員は250名の大所帯だ。

お年寄りのマイクロピースジグソーパズル 美味しいタケコノ。

2019年4月10日(水曜日)

上越市髙田で日中7度にならず寒かった日、終日雨が降った。
こんなに寒くては折角の庭や畑の仕事が出来ない。予報では明日午後から数日晴れ間が見られるというので、本日は中休みに丁度良かったのかもしれない。

ところで以前、患者さんでジグソーパズルが趣味のお年寄り(女性)の事を書かせてもらった。これまで4000ピースなど、信じられないパズルをされていたが、先月の来院時、今こんなのをやっています、と以下の写真のようなピースを見せて下さった。極小ピースというものが1000個というのに挑戦され、ピンセットを使うらしい。
ピースを見ただけで頭が痛くなるのに、本当にお好きなんだなあ、これは才能だと、ほとほと感心した。
そもそもその昔たまたま娘さんが、もらいものと言って持参したジェームス・ディーンのモノクロ写真を完成させ、楽しさを知ったという。意外に高いので一時中断し、年金がもらえるようになって再び始めたと仰った。寒さと雨で畑中断の本日、暖かいおこたで存分に極小ピースと取り組まれたのではないだろうか。

 

サランラップに包まれた小さなピースをパソコンのキーボードに載せて撮りました。

 

さて、いよいよタケノコの季節になり、すでに煮物で2回夕食に出た。消化のことを考えて良く噛み美味しく食べている。
秋のミョウガとともにタケノコは子供のころから特別な楽しみだった。

海苔と豚肉があしらわれている。

味、香り、歯ごたえ、季節感、、、。これからヤマタケノコまでしばらくシーズンが続く。

大潟区のメンズの会とは 椿にメジロ、新堀川の桜。

2019年4月9日(火曜日)

午前の診療で、ある方から当上越市大潟区には、メンズの会というものがあることをお聞きした。
その方は会の幹事さんで、70才以上の男性だけによる月一の集まりだという。大潟水と森公園のビジターセンターに集合、体操、散策、昼食、茶話や歌などを楽しむ日課は、とても出席率が良いらしい。

何故男だけの会になったかお尋ねしたところ、以下のお話を聞いた。
そもそも地域の介護予防事業として生き生きサロンがあった。しかし集まるのは女性ばかり、男性はゼロが続いた。そこで男性を対象に似た主旨の集まりを試みたところ、すぐに希望者があり、8年目の今日20名の参加で続いている、ということだった。
参加者を独居男性と老々世帯の男性に限定。長続きを心がけ、人数や内容は現在のレベルで維持したいという。
女性のサポーターが協力されているが、男性にも厨房が得意な人もいて楽しいらしい。

世の中にはまだ隙間がある。年取って大勢の女性達の座に加わると、賑やか過ぎて時に気後れするのも事実。メンズの会はお仕着せではない、良い会ではないかと感心した。
歌うことの健康メリットを訊かれたので、以下のようにお答えした。
心臓と肺に良い、楽しくて気持ちが若返る、認知症の予防になるなど、メモに書いてお渡しした。「みんなきっと喜びますよ」と、その方。良い幹事さんに恵まれていると思った。

 

昼、診療所の椿にメジロの群が来ていた。

 

 

昼休みは美術館に向かったが、直前の犀潟は桜の新堀川を歩いた。

 

時折散歩の人とすれ違う程度で静かな良い場所。

 

美術館の裏手で、ドードーと耕耘機が唸っていた。
入学式が終わり、畑にジャガイモが植わり、田で耕耘機が唸る。
今年の春も様々に動き出した。

第27回 命の電話チャリティー茶会。

2019年4月7日(日曜日)

毎年桜が良い時節に命の電話チャリティー茶会がある。
今年も本日午後からお邪魔した。
第27回という茶会は、今年で一旦終え一区切りとすると聞いた。主催の新潟いのちの電話後援会上越支部の皆様、協賛の(株)有沢製作所様および大杉屋惣兵衛様、そしてお当番の社中の皆様のご苦労とご努力に心からの敬意と感謝を禁じ得ない。

思えばその昔、不肖私が人前で初めてお点前をしたのが当茶会であり、後に席主を仰せつかったこともあった。それが一区切りということで感慨深く、区切りの本日は特に盛況だった。

毎年会場となる(株)有沢製作所の茶室「一期庵」の案内。

 

小間を望む。

 

広間を望む。

 

賑やかな待合。

 

外。

 

庭から東方を眺める。

眼の利いた由緒あるお道具ともてなし。花の盛りのもと、大切な人をも偲んだ良いお茶会だった。

行き帰りに花見会場の近くを通ったが、気のせいかさほどの混雑を感じなかった。昨今は夜桜のほうが賑わうのか。

頸城野にヒメオドリコソウ、スミレ、ジョウビタキ、エナガ、ツバメ、ショウジョウバカマ。

2019年4月5日(金曜日)

3,4日非常に寒い日が続き雪が降り、空は冬に逆走のおもむきだった。
スノータイヤを変えなくて良かった、という人までいたが、本日寒さが去り、暖かな日射しが戻った。
時間が掛かったが、この寒さで冬は何とか面目を保ち、満足して去って行ったのではないだろうか。

午後休診の昨日木曜日午後、陽気に誘われて大潟区は大潟水と森公園へ出かけた。ミズバショウを見る目的だったが、まさかの鳥に出合った。

 

ミチュアの戦士に見えるヒメオドリコソウ。

 

土手に可憐、多分タチツボスミレ。

 

ミズバショウ。

 

ミズバショウ。

これまで水と森公園で鳥に出合うことが少なかったが、本日短時間に二種の野鳥が現れた。

 

ジョウビタキ。メスのようだ。

そしてエナガ。
この鳥はこれまで柏崎市と上越市大潟区で一度ずつ出会った。いずれも突然現れ、まさか、まさか、と胸高鳴らせてファインダーを覗いた。
最も小さい野鳥(尾を除いて)と言われ、大変すばしこい。鳥に興味がなければまず気づかないのではないだろうか。いや興味があっても、簡単には出合えないように思われる。

私の場合、春秋に鳥を見に行くのは、エナガに会えないか密かに期待して出かける。
それが本日ジョウビタキにカメラを向けていると、パッパッと小刻みに動きながら小さな鳥が入って来た。もしや、まさかと思ってシャッターを押すとエナガだった。

「行かないで!」
エナガは、良く知らないが気まぐれな恋人以上かもしれない。

 

 

 

あっち向き、こっち向き、飛び立ってはまた戻る。
忙しいが一瞬おあつらえ向きのポーズが訪れる。
あまり目が良くない私には、ちゃんと写っているか心配だ。

樹下美術館が開館した12年前から来館されるているKさんは大のエナガファン。
シマエナガの写真集まで戴いた。
Kさん、ご覧になっていますか、私なりに?撮れましたよ。

 

美術館に戻ると、裏の水田にツバメが一羽元気よく飛んでいた。

 

美術館の一角でショウジョウバカマが満開。
2012年秋、福島県から引っ越してきた花。
スタッフの関係者さんから頂いた株がしっかり定着している。

今夕、頂き物の築地のたまご焼きを食べた。
こんなに美味しいものがあるとは。

中西進、令和の新元号その3 花冷えどころではない寒さ。

2019年4月2日(火曜日)

本日夕刻のニュースで、新元号「令和」の考案者と仮定される人について報道があった。
中西進、懐かしい名前だった。

私には昭和50年代初めころから約10年あるいは15年間、苦しい時期があった。
長かったが必死に仕事し茶を習い、本を読みいつしか切り抜けた。
当時読んだ本の中に中西進氏の著書が何冊かあった。

 

 左から「古典と日本人」、「谷蟆考」、「雪月花」。
私を救ってくれたかもしれない本。
日本人の格調、命と自然の深遠が記されていたと思う。
谷蟆(たにぐぐ)→ヒキガエル
このたび元号の考案者は、伏せられるはず。
何故と思ったが、報道で名を聞いて一瞬胸が熱くなった。

ところで本日非常に寒く、気温は2~3度、何度も雪が舞った。
以下は上越市大潟区の様子。

 

 

 

ソメイヨシノは2月になると開花の準備が始まり、毎日の最高気温の合計が100になると咲き始めるという。
ローカルテレビ局の気象予報士の話だった。
これでいうと、どんなに寒くとも、その日0度を越えれば開花が進むことになる。
如何に遅れようが咲く、これは大変なことに違いない。

話変わって、中西進の本のそばに藤沢令夫の本「自然・文明・学問 科学の知と哲学の知」があった。

 偶然でもないが、藤沢氏の名前が令夫、「のりお」と読む。

奥付にあった読了の署名。
1984年2月28日と記され、11月に父が亡くなる年。
傍線や囲みをつけながら、一生懸命読んでいたようだ。

令のこと、令和の新元号その2

2019年4月1日(月曜日)

申し分けありません、以下本日二回目の記載です。

今昼、元号発表を見て、前回のノートに書いてみた。
その後、美術館に行き遅い昼食を食べ、お客様と話をした。
元号の話題が少し出て、皆さんは意外の印象を口にされたが、特段長話にならなかった。

診療への帰路、そういえば令には令嬢、令息、令室があり、麗しさや尊びを込めて使われている事を思い出した。
ああ、それで良い、馴れるはずだ、と感じられてきた。

一方、律令制度、大宝令などにあるように令には法令の意味もある。このたびは麗しのほか、法が意識されているか、と一瞬ドキッとした。
出典の万葉集の時代は大系として律令が確立される時代でもあるから余計だった。だが政治を持ち込まない元号制定ゆえ、杞憂としたい。

意外な令と再度の和の登場。
思いがけない号だったが、令の名で女優団令子が浮かんだ。
今後生まれる女のお子さんで令子、令奈、美令、男の子は令治、令太などが一気に増えるかもしれない。

万葉集の月と風、令和の新元号その1。

2019年4月1日(月曜日)

先ほど予定よりやや遅れて新元号が発表された。
「令和」の文字の令をひと目見て、厳しいなと感じた。命令が浮かび、冷も浮かぶ。むしろ「礼和」でも良かったのでは、と感じた。

官房長官の説明では万葉集から採ったという。だが説明では万葉集のどんな歌なのか判然としない。ただ「梅」、「令月」、「良い月」、「和らぐ」などが聞き取れた。
早速万葉集 梅の花 令月 を検索してみた。

“時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)く。梅は鏡前の粉(ふん)を開き、蘭は佩後(はいご)の香を薫(くん)ず”
と出てくる。
文は万葉集の梅花の歌32首の「序文」だという。和歌ではないやや長い序文で、天平二年(730年)、大伴旅人の邸内で山上憶良らによって行われた梅見の宴の模様らしい。
文中梅のほか、蘭、雲、松、霧、鳥 蝶の麗しさが述べられ、さあ膝を突き合わせ心のままに歌を詠もう、と綴られているようだ。

この中から、「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)く」のカ所が取り出された。
特に“良き月、風の和(やわら)ぎ”が元号として採用されたことになる。
そもそも万葉集、大和心をを伝える斬新で詩的な元号に思われて来た。

個人的な感想だが、敢えて梅の宴を選んだのには意味があるのではないかと思った。
一つは天平時代への復古、一つは出典の漢籍を止めた中国への配慮もあったのか。
天平で花と言えば梅、しかもそれは中国からもたらされ、同国で珍重された花だった。

「令和」はどのような人の案だったのか、さすが学者、文学者でなければ出し得ない二文字であろう。
ちなみに、私が昨日挙げた文字など余りに拙くて話にならない。

最期に“天平、梅”
今年二月に京都と奈良へ行った。
薬師寺東塔は天平時代ともいわれる。
そのとき同寺で香っていた梅の写真を再度載せて、新たな元号(時代)の無事を祈りたい。

 

恥ずかし私たち。

過日、陶齋の陶板額で読みに苦しみながら万葉集だと分かり、驚いたばかりだった。
今度は元号で。

由来は分かったがやはりまだぴんと来ない。
平成もそうだったが、次第に馴染むようになるのだろう。

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