2009年8月

投票

2009年8月30日(日曜日)

  朝早く一人の老人を看取り、夕方は投票に行った。

 

早いものでいつしか21世紀も10年近くが経った。

 

広く平和が尊ばれ、真摯に理想が遂行される将来を願って、

 

一票を投じた。

 

 

 

未発表作品の額装

2009年8月28日(金曜日)

 先回、倉石隆氏の古い作品の出現について掲載致しました。そこでお示しした作品のうち夫人像と裸婦の二点の額装が出来てきました。

 

 額装の力と言いますか、やはり出来上がると作品がいっそう映えて見えます。

 

 残りの一点は今もキャンバスの直しをしてます。この度の掲載には間に合いませんでしたが、展示替えの9月2日には三点揃って展示の予定です。

 

 あらためて三作品は同じ作家?と思われるほど様式の異なりを感じます。このような異なりは多くの作家において希ならぬ道程と思われます。また、作品は画家の懸命な試行を見る上で興味深い資料でもあろうと思われました。

 

 9月からの展示は他の作品7点lとともに、このたびの初期に属する未発表三点を展示いたします。どうかご期待ください。

 

     
額装前の夫人像 額装の夫人像
   
        
額装前の裸婦像 額装の裸婦像
   

日本文理高校

2009年8月24日(月曜日)

 夏の甲子園決勝戦。負けたとはいえ、大舞台の日本文理はスポーツの真骨頂を見せてくれた。本当に素晴らしかった。緊迫の場面で場内に広がった「伊藤コール」は圧巻だった。

 

 甲子園における勝ち数や勝率で、わが新潟県は日本で最下位だったそうだ。今回の準優勝で新潟県のイメージアップに貢献した高校生達の力は非常に尊い。大人たちもいっしょに頑張らなくては。

 

 

 試合終了後、ウェブ上の応援メッセージには相手校のOBや中京・東海地方からも日本文理ナインへ賞賛メッセージが届けられている。選手達の日頃の努力を思うと心からの拍手といたわりを伝えたい。

越後に人々

2009年8月23日(日曜日)

貴重な日曜日、訪ねてきていた弟と天使のような姪っ子たちが帰った。そして午後から新潟市へ、三回目の佐伯祐三展と初めての会津八一記念館行きだった。

 

 

佐伯祐三展に通って、一期三会を果たした。作品を通して見ぬ人と再会し、語り、別れる。芸術の世界ならではの素晴らしい体験ができた。

 

 

 

 

佐伯祐三展の案内スクリーン

 

 

 

 

会津八一記念館では「没後10年 濱谷浩 会津八一博士を写す」展を見た。詩と書と学芸の偉人・会津八一と写真家・濱谷浩の息詰まる交流を目の当たりに出来た。洞察の写真家・濱谷氏の神経と技によって、八一が館内で呼吸し闊歩していた。昔の人達が守り合った筋と流儀が清々しかった。

 

 

 

 

閑静な場所にある会津八一記念館。八一は新潟市出身。

 

 

 

 

 

同会場で詩人・堀口大学の上越市にある詩碑「高田に残す」の資料を見た。同じく上越にゆかり深い濱谷氏の奥様・朝(あさ)婦人の茶筅(ちゃせん)塚の資料にも出会えた。あらためて先人の足跡を訪ね、浅学の穴埋めをしようと思った。

 

 

そして新潟に向かう車中のラジオで甲子園を聞いた。越後の若者・日本文理ナインがとうとう決勝に進むことになった。これまでの同校選手のユニホーム姿が一段と洗練されて見えているのは、身びいきのせいだろうか。

 

 

さらに夜のドラマで景勝、兼続たちが越後春日山城を離れた。険しい山を幾つも越えて何百キロも先の会津へと城を替える。それぞれの心も体も大変だったことだろう。

 

 

夏雲とともに、越後の、越後ゆかりの、人たちがくっきりと現れた日だった。

 

 

 

黒崎SAからの空

倉石隆の古い油彩

2009年8月20日(木曜日)

  昨年秋、上越市高田のM氏から倉石隆さんの古い絵があるから見て、というお話がありました。伺いますと油彩が三枚ありました。

 

 戦前東京で応召された倉石隆は、昭和20年秋、上越市高田の実家に復員します。その後、昭和22年から新潟県立高田北城高校の美術教師として勤務。昭和25年に再び上京しました。この約5年間、多くのスケッチ類が残されましたが、油絵は稀少で、中々見ることはできません。

 

 氏の上京後、長年お宅を守られた亡きお母様が、「押し入れの棚に積んであった作品です」と申されて、生前、ご近所のM氏にその作品を託されました。保管を続けられたM氏は、今後は樹下美術館でと申され、この度の話になりました。貴重な高田時代の油彩がほぼ60年を経て日の目を見ることになり、とても嬉しく思います。

 

 作品はF6~8号サイズの三枚の油絵でした。一枚がキャンバス、二枚は板に描かれています。長年、本などが上に乗っていたのでしょうか、キャンバス作品は陥没や絵の具の一部剥落が見られました。

 

 三点とも現在額装中で、きたる9月2日から樹下美術館で展示を予定しています。以下古い順と考えられる作品から並べてみました。 

 

静かな夫人像。未完成ながらオーソドックスな制作手順が見られる。右下に 
R Kurai のサイン。隆をリュウと読み倉石をクライにしている。

 サインは見えませんが倉石作品だと思いました。お嬢様と若き倉石画伯でしょうか。幾重にも重ねられて落ち着いた色彩はプロならのものと思われます。青はピカソを想起させ、また少女の衣服の黒がとても効いています。現在キャンバスを修理中です。 

暗色を重ねた迫力の裸婦像。吸い込まれる作用を感じる。裏面に倉石隆の
サイン。当時倉石が所属していた自由美術家協会の重鎮・麻生三郎の
影響を感じさせる。

終戦記念日に母と

2009年8月15日(土曜日)

  上越市板倉区のショートへ行って二日目の母。明後日には帰るのに、訪ねて施設周辺を散歩した。そんな時、94才の母はいつもながら佐賀の生家時代の話をする。

 

妙高や火打の山々が見える。

 

 母は7才で父を亡くしたが、父の姉に色白で綺麗な人が居た。農家に嫁いだその叔母を訪ねるのは、子ども心に楽しみだった。
ある夏、自分の家のスイカを風呂敷に包んで棒にくくった。それを弟と二人で担いで4里(16キロ)の道を歩いて叔母を訪ねた。長道中だったが、訪ねることが嬉しくて平気だった、と。

 

 今日は終戦記念日。母にはもう一人、少し年の離れた弟が居た。貧しかったが良く出来て、陸軍士官学校に入った。しかし卒業後、レイテ戦の突撃で真っ先に戦死した。子どもの頃から頭が良くて優しい弟だった、と。これは以前も聞いた。

 

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今日の夕焼け

 先の大戦でついに兵士は武器、食料もなく衰弱し、侍とも人とも言えぬ戦死が常態化した。戦争にかかわる死者への鎮魂は、「常に後人が、人間の希望を謙虚に約束すること」、ただ一点しかないと思う。 

やっと夏

2009年8月14日(金曜日)

 今日、やっと夏らしいお天気になって、山に赤ちゃんのような入道雲。予報もお天気マークが続いている。樹下美術館にも遠くのナンバーのお客様が見えていました。 

 

近所の鵜の浜温泉の海が海水浴の人で華やいでいる。丘の上からみるととてもきれいだ。

 

待ちに待ったお天気、賑わう鵜の浜。

不思議な夏ですが

2009年8月12日(水曜日)

 暑中も残暑もなく夏は過ぎています。


 明日こそは晴れるようにと願っても、当日は曇りに雨。それが毎日、、、で、とうとう上越はお盆を向かえます。


  


 地震や水害の被災地の方々には心からお見舞い申し上げます。


 また日頃のご来館や拙いブログのお目もじに深く感謝申し上げます。


 



落書きです、申し分けありません。



 娘が来ていて、以前にもらったタッチペンによるお絵かきソフトを起動させてみました。いまだ苦手なパソコンですが、このようなソフトに触れてみて(上図)あらためてコンピュータの進化に驚きました。




 


  夜中にマントヴァーニー楽団のシャルメーヌが聞こえてきました。1950年代、上越出身の亡きピアニスト飯吉馨さんにジャズ・ポピュラーへの道を決心させた曲だと、ご本人に聞いたことがあります。


 


 今日こそはちゃんと晴れますように(8月12日深夜)。


 


松雲山荘の初秋、そして別れがたき佐伯祐三展

2009年8月9日(日曜日)

午後の時間、前回に続いて二度目の佐伯祐三展を見に新潟へ。途中の柏崎では木村茶道美術館へ寄った。美術館がある松雲山荘のもみじが色づき始めていた。

美術館茶室の床(とこ)には玉船の「雪」ひと文字のお軸。床の花は黄ツリフネソウ、レンゲショウマなど5種が夏を惜しんで生けられていた。座って李朝(りちょう)あみがさの主茶碗(おもじゃわん)で飲ませて頂いた。迫力の茶碗は見どころが多くて、心に残った。

妻は道入の茶碗で飲んだ。替茶碗(かえじゃわん)が道入とは驚くべきことだが、ここは一貫して貴重な実物で広く茶を呈する姿勢を続けている。

※玉舟(ぎょくせん):17世紀の臨済宗大徳寺派の禅僧。同寺第185世住持。

※道入(どうにゅう):軽く柔らかい楽茶碗は利休によって重んじられるようになった。楽茶碗は初代楽吉左衛門(長次郎)から15代継承され今日に至っている。3代道入は特に人気が高い。

何かと時間が足りない常で、新潟市の佐伯祐三展は立ち話をする程度しか見られなかった。もう一度別れを告げに行ってみたい。

素晴らしい生け垣 心こもったお手前
朱欄干 色づきはじめたもみじ
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茶室に向かう階段と彫像 手水鉢(ちょうずばち)

カフェの本を追加しました

2009年8月7日(金曜日)

 樹下美術館カフェに新たに以下の13冊の本を追加いたしました

 

「少年民藝館」  「福縁随處の人びと」  「良寛入門 墨スペシャル第6号」  「レオナルド・ダビンチ」  「生きてることを楽しんで」  「没後50年 松本竣介」  「Bora Bora」  「アールデコ様式 朝香の宮がみたパリ」  「黒田辰秋 木工芸の匠」  「日本の美術館名品展」  「虹の館」  「没後80年記念 佐伯祐三展」  「世界の名画1000の偉業」

 

 何気なくページをめくる方、ドサッとおいてゆっくりご覧になる方、ただ置くだけの方etc,,,。カフェのお茶と本はよく似合っていますね。

 

どうかごゆっくりお過ごし下さい。

 

 

新潟県立大潟水と森公園

2009年8月6日(木曜日)

梅雨開けと知らされてもお天気は今いち。夏のエンジンが掛からず、入道雲はいつ立つのでしょう。ひとまず近くにある今日の新潟県立大潟水と森公園です。

メイン駐車場。特殊な仕掛けで、ほどよく草が生えています。

広大な敷地に数カ所あるあずま屋。

コシアキトンボ。名前の由来は腰が白く空いているように見えるということです。他のトンボとのバトルに忙しい性格のようですが、ひと休みをしていました。
モノクロームでおしゃれな外観。

この場所へ立つと、よく白サギが横切ります。

 

 

※当公園のホスピタリティーは高く、虫・蜂・蛇毒に対するポイズンリムーバー、熱中症への冷却水、さらにAEDも配備されているようです。下の写真は多様な路面に対応できる車いす(公園ホームページから)。

蝶のカップルと燕

2009年8月2日(日曜日)

 あまりの長雨で稲作が心配される。気象庁もつらいところだろう。こうなれば、梅雨が開けたらぜひ毎日カッカッと照ってほしい。

 

 そんな梅雨空のもとでツバメたちが元気だ。先日「帰るつばめは」で水田のツバメを書かせて頂いた。いくつか興味深い事があったので今日も見に行った。

 

 何気なくレンズを向けているとファインダーにアゲハ蝶?のカップルが入ってきた。そこへサッとツバメの影。あわや捕食、と思ったが大丈夫だった。そもそも蝶は大きすぎて燕は相手にしていないのかもしれない。

 

 今日は蝶になりました。しかしツバメにはかなりの独特さがありそうなので、また機会がありましたら書いてみたいと思います。

 

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3 4
   
5 さよならー 6 もう一回
   

ついに新型インフルエンザ

2009年8月1日(土曜日)

 今週初め、私の診療所で大きな出来事がありました。新型インフルエンザの経験でした。これが過日記述したフェーズ6なのかとやや奇妙な感じでした。掲載を迷いましたが、今後に向けて少々のことを綴ることにしました。

 

 下の写真は診療所に続く古い自宅居間です。ここは廊下同然、ある種空き部屋になっていました。少し前に部屋を片づけて、ティッシュ、医療用ゴム手、アルコールジェル、聴診器などを置きました。新型インフルエンザが疑われる患者さんに備えるためでした。

 

 

 

 7月27日月曜日午後、診療所の受付で「39度1分です」というスタッフ同士の会話が聞こえました。気になりましたので、「待合室は止めて、マスクと手の消毒をしてもらって」と話しました。関東から旅行中の児童と付き添いさんです。待合室には4、5人の一般の方がおられました。

 

 すぐに看護師が二人を外から写真の居間へ誘導しました。ここで鼻腔から採取した児童のサンプルが迅速診断キットでA型陽性でした。新型インフルエンザが濃厚です。その後、保健所とのやりとりで、児童の自宅で姉が新型に感染していることがわかった、と知らされました。

 

 翌日、保健所員がPCR法(確定診断)のサンプル採取用具を持参しました。写真の部屋で付き添いの方ほか4人を対象に鼻腔からサンプリングをしました。7月29日、発熱の児だけがPCR陽性、新型インフルエンザ確定と知らされました。

 

 マスクや手袋で対応した私たちスタッフは濃厚接触者とみなされないということでした。またその後の異常もありませんでした。

 

 振り返れば医療機関の対応について、公式な通知が次々と変わった時期でした。正直、診療は漠然とした戸惑いを否めませんでした。また居間での診察の適否も課題でしょう。簡単ながら以下のような感想をまとめてみました。

 

①新型インフルエンザはやはり身近にあった。

②新型インフルエンザは夏でも油断できない。

③夏休み中のサーベイランス(届け出・監視)は別途の考慮が必要かも知れない。

④夏休み後、学校を中心に急速な拡大の懸念がある。

⑤日常の予防(清潔習慣、カゼのマスク着用など)はずっと続けたい

 

 

この度の対応はやや事大だったかもしれませんが、以下のことを意識しました。

「ウイルスはまだ若く、強毒化や通年性(夏型?)など今後、思わぬ変異を否定できない。感染が増えれば変異機会も増え、そして死亡者も。この一点で、当面はほかの疾患よりやや厳格な扱いが求められるのではないか」という意識でした。

 

 話題が美術館から離れてしまって、申し分けありません。お互いが意識を維持して、なんとか新型インフルエンザを乗り越えましょう。落ち着くまで数年はかかるとも言われています。

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