2020年7月
7月が終わる日 電車、水田、浜の花、キジバト 鳩は今でも平和のシンボル 陶芸展示は一ヶ月延長。
コロナのお蔭で3月15日の開館を6月1日に伸ばし、午前中だけ開館、お茶とお菓子でで始めた。
7月から通常にして、大丈夫と不安が入り交じった一ヶ月の開館が、今日で終わる。
本日空はおおむね晴れ、昼休みと仕事終わりの2回外出し、眺めた種々(くさぐさ)を載せました。
ほくほく線犀潟駅を出た電車が高架でくびき駅へ向かう。
空に夏の雲。
気持ち良さそうにひるがえる鳥追いのカイト。毎年ここのカンナは楽しみ。
夕刻は渋柿浜へ寄った。
浜にオニユリがまとまって咲いている所を時々みかける。
本日渋柿浜のを初めて見た。咲き始めの花はとても良かった。
さて夕刻の美術館の庭。
芝生でコツコツとゴルフボール打っていると、キジバトがやって来た。
このところ撒いている餌にトウモロコシが入っているので、それがお目当てで現れる。
こんなことを何回か繰り返したあと、茂みへと去って行った。
今後どれだけ近づけるか、続けてみたい。
キジバトはあたふたせず、動作はおよそ静かだ。地味ながら色合いが洗練されていて好感が持てる。
過日つがいで水盤に来た個体。
鳩は水にクチバシを入れたまま吸水できる。
およそほかの鳥は飲み込む時に、そのつど頭を上げる。
争いを好まず、夫婦仲が良く、賢そうであり、高尚な機能を有し、過度に人を怖れない。
鳩が平和のシンボルと呼ばれていたのも頷ける。
オリンピックなどでもそうだったが、昔は大きなイベントがあると開会式でよく鳩を飛ばした。
もうこのような事をしなくなり、今や「友好」や「平和」という言葉を嫌う人まで見受けられるようになった。
世界がコロナに襲われているのはそんな風潮への戒めであろう。
自然や災害は人を選ばず団体責任として襲ってくるので、余計に怖い。
最後にお知らせです。
7月いっぱいで齋藤三郎・陶齋の展示替えを予定していましたが、開館がずれましたので8月いっぱい現在の展示を続けます。
新たな「ざくろと秋草 展」は9月1日からです。どうか宜しくお願い申し上げます。
雨上がりの山と海 夏眠するウイルス、秋の目ざめが怖い 挑戦的な感染症。
昨日から本日へ、雨は佐渡や山形県に甚大な水害をもたらした。
このたび当地に水害はなかったものの、梅雨には長々とよく降られた。ぱらりぱらりと小雨の本日、夕刻には降り止んだ。
仕事を終えて急な用事があり、帰りに水田を回った。
雨上がりの米山と尾神岳はどこかこざっぱりした表情をしていた。
四ツ屋浜に出てみた。
北の沖に雲の塊が連なっていた場所は佐渡島であろう。
まだ厚い雲が夕陽を映していた。
長い長い梅雨が終わろうとしているように感じる。
一方終わるどころか、拡大に転じている新型コロナウイルス禍。
新潟県も新潟市ばかりではなく、上越市でも報告が重なるようになった。もはや検査拡大の反映ではなく、絶対数の増加を想起させる勢いである。
都内の大学に籍を置いたまま、当地で受けているリモート授業の不満や、借りているだけの部屋への心配を学生さんから聞いた。帰るに帰れない神奈川県の大学生の話。初盆を迎えて客への対応に困惑する方、、、。
隅々まで問題が行き渡るなかで、全く先が見えない大学生は深刻だ。退学を余儀なくされた人が出はじめ、個人として独自の方向を模索する動きも生まれているようだ。
経済を回すとは言うものの、医療、教育、芸術文化は、本質として個別の問題であろう。
いまだに会見するのが経済再生担当大臣、というのは本当におかしい。
少なくとも厚労省および文科省も会見し、分析と見通しについて率先して語るべきだ。
話戻して、重症者と死亡者は少ない、という楽観をよそにその実数がじわじわ増えはじめた。
それについて、当初ウイルスが弱毒化に向かっているから、という意見が見られた。
だが本当は、苦手な夏だから彼らは優しくしているだけでは、と考えている。
ノロノロと夏眠中のウイルスに、人間の方から大挙して近づき、感染しているのが実状ではないのだろうか。
感染者が増えれば当然重症者は増える。それが問題であり、弱毒だから構わないというのでは駄目なのである。
梅雨から夏休みへ、満遍なく全国にばらまかれるウイルス。
秋、彼らが一斉に目ざめ凶暴さを発揮しだしたら、どうなるだろう。
かって期待したが、そもそも本当に共生など可能だろうか。
最後に唾液抗原検査の再現性が良いことから、感染者唾液の濃厚なウイルスが推測される。
咳、くしゃみに限らず、会話、なかんずく高いテンションの会話が、マスクに関係無く如何にリスキーかを窺わせる。
その点でこの感染症は、ある種幸福が媒介し拡大するまことに挑戦的で、哲学的な疾病に見える。
長いコロナの梅雨にシャングリ・ラ(Shangri-La)。
長い梅雨、全国を支配するウイルス感染症で、明るかるべき夏がまったく冴えない。
こんな日にシャングリ・ラ:Shangri-LaをYouTubeから曳いてみました。
ザ・レターメンによる「Shangri-La(シャングリラ)」1969年。
貴方との時間は一瞬一瞬がシャングリラ、と歌われる。
ウィキペディによれば、Shangri-Laはイギリスの作家が1933年に出版した小説『失われた地平線』に登場するチベット奥地の理想郷だという。転じて、一般的に桃源郷やユートピアとしても扱われている。
Shangri-La 1963年。
テレビに一瞬出た拙写真 本日午後の呈茶。
昨日のテレビ放映「天才 志村どうぶつ園」で一瞬でしたが、私がかって撮った桜の幹の写真が使われました。
子ぐまたちの散歩シーン中の木登りに関した話題でした。たまたま昔のブログに出ていた写真がADさんの目に留まった、ということでした。
お届けした写真。
銀色の幹が気に入って撮った大潟区の新堀川公園の桜です。
放映で樹下美術館のクレジットまで付けて頂き、感謝しています。
さて4連休はあっという間に過ぎ、本日7月26日日曜日午後、樹下美術館は二席の呈茶を致しました。
二席で八名のお客様。三方の窓や戸を開け放ち、マスクを付けての点前でした。
梅雨の空の下で明るく振る舞った前田正博氏の色茶碗。
右に輪島は若島孝雄氏の千鳥大棗。
棗には万葉集から、柿本人麻呂の和歌「近江の海云々」がしたためられている。
向こうの初代陶齋(齋藤三郎)の染め付け竹水指と良く調和していた、と思う。
最後はお目汚しの一枚。直前の拙おさらいです。
予定通りでしたら8月は23日日曜日の午後1時および2時半開始で始めます。
一席5名様まで、二席の予定です。
本日薄茶を服して頂いた皆様、有り難うございました。
十分な配慮を致してますが、やはり拡大を続けるコロナウイルスが気になります。
追加されたフィンランドの食器イッタラ。
コロナ禍のため開館が遅れた今年の樹下美術館。
昨年12月16日以来、半年少々の長きにわたりお休みしました。
生じた時間で倉石隆の本、陶齋の梅と椿の器の展示に十分な時間を掛けることが出来ました。また雪が無い冬だったため、沢山庭いじりをしました。
さらに食器を見直す余裕が生じ、5月に新たなシェリーとマイセンおよびブルーキャリコを紹介いたしました。
このたびは、フィンランドのブランドであるイッタラのカップ&ソーサーとプレートが加わりましたので、掲載させて頂きました。
タイカ・シリーズのカップ&ソーサー。
ブルー(1客)、レッド(2客)、ホワイト(1客)、ブラック{1客)。
200ミリリットルも入るたっぷりした器です。
昨日ベンチで使用してみました。
ムーミンの国、フィンランドの器にはのどかさが漂い、ほっとしました。
ケーキ皿も主としてイッタラを使用することにしました。
カラフルな輪が重ねられたオリゴ・シリーズのプレート。
ぱっと気持ちが明るくなります。
これから長く使う食器。皆様に気に入って頂けることを心から願っています。
庭でカサブランカが咲き始めた 「As Time Goes By(時の過ぎ行くままに)」と飯吉馨さん。
傘マークが付いた日だったが、ほとんど降ることは無かった。
7月の連休初日、Go-Toキャンペーン初日でもあるこの日、樹下美術館に居る限り静かに過ぎた。
長く降り込められながら懸命に咲いたテッポウユリが終わり、代わって庭にカサブランカが華やかに登場した。
花弁の先端をひるがえして大きく開くこの花は、数はテッポウユリより少ないものの香りが高く引力は強い。
梅雨時に咲くなど気の毒な面をもちながら、
百合たちは一生懸命生気を振る舞う。
1970年代、日本のヤマユリを基にオランダで誕生した品種と言われる。
さてこちらは映画「カサブランカ」のテーマ曲「As Time Goes By(時の過ぎゆくままに)」です。
同じカサブランカですが、1942年に制作された映画の方が先のようです。
映像は現代のようですが、歌は1961年のベギー・リー。
以下は上越市出身のジャズ・ピアニスト故飯吉馨さんのCDジャケットの写真です。
氏は当地新潟大学藝能科でクラシックを勉強後、ジャズ・ピアニストの世良譲氏に師事。その後著名な奏者のコンボに参加、後に自らのカルテットを結成。NHK「音楽の広場」では森山良子とともにレギュラーを務め、テレビ朝日「題名の無い音楽会」などの出演で親しまれました。
一方でスタジオ・ミュージシャンとして録音演奏のほか、相良直美、森山良子、ガロほか数多くのアーティストの編曲を手がけ、さらにビクター音楽カレッジほかで後進の指導に当たりました。
ハンサムな人であり、かってサンヨーレインコートのCMにご自身が出演されたことがあります。
〝GREAT ART BEAKEY〟
Sep.29.1997 Live at Victor Music Collage
KAORU IHYOSHI Dreaming Piano FPD-5006
のプロフィール。
演奏会やライブは、しばしば「As Time Goes By」で始まり、氏のテーマ曲ではなかったかと思う。
当地でホームコンサートがよく開かれ、私どもへも何度か訪ねて頂き、弾いて下さった。
後年氏が出演し、著名人が集まった東京青山のピアノバーを時折訪ねた。ご常連という井上順氏が来られると、「駆けつけ三曲」などと言ってはこの曲を歌われた。
ある日順氏はマイクを握ると、以下の話を披露された。
〝カサブランカの映画制作で主演のハンフリー・ボガードがロケ先のカサブランカへ行くことになった。関係者に服装の事を訪ねた所、案外寒いと助言を受けた。そこで少々厚着をして空港に降り立ったところ現地は暑く、タラップを降りながら思わず「かさばらんか」と言った〟と話し、みなを笑わせた事があった。
そもそも1942年のこの映画は第二次大戦開始直後の制作であり、現地ロケなどはしてなかったという事のようです。さすが井上順さんです。
ちなみに映画が作られた年の2月、父が勤務していた満州奉天(現中国瀋陽)の満鉄病院の一室で私は生まれたようです。
去る日曜日午後の柏崎行き その2市立博物館から木村茶道美術館へ。
去る7月19日日曜日の柏崎行きの続きです。
前回は大潟区犀潟の圓蔵寺の大日如来像と作者の石工高橋一廣を考察した冊子を、さらに海辺の青海川駅の様子を綴らせて頂いた。
梅雨の合間の貴重な晴天のもと、半日足らずの隣市の探訪は楽しかった。
大橋と海を見る旧街道の高い所に、円形の出羽三山参拝の供養塔{巡拝碑)があった。
最も信仰厚い湯殿山を真ん中に左羽黒山、右に月山。
一帯の随所に西国や秩父そして出羽三山の巡拝供養の石塔が見られる。
青海川駅のすぐ手前の青海神社下に大正元年と読める庚申塔があった。
庚申行事としては遅い時代くまで行われていた模様で感心した。
14時半すぎに柏崎市博物館へ。
ショップを見ると小生の絵はがきが販売されていた。
古い統治、農魚業と生活、町と村、信仰と祭、鉱業(石油)、地質、戦争(大戦、鯨波戦争)、地震災害、生態系、現代の文化・芸術とスポーツなど、風土とその歴史が網羅され興味尽きなかった。
生活史や信仰では、米山を東西に挟む上越市柿崎地域との往来に納得し、格調高く展示された木喰仏は特に心うばわれた。
明治期の火災で閻魔堂内から救出された閻魔様。
館内ではこの像のみ撮影が許されている。
庚申塔は生活の安堵の証しのように感じる。大規模な凶作や災害のもとでは講は維持出来なかったに違い無い。
そんなことから塔とその周辺の風景を眺めるとき、ひと事ながらほっとするのを覚えるのである。
当日最終の目的は木村茶道美術館でお茶を飲むことだった。
15時45分ころ赤坂山の駐車場に入った。
コロナの世相で果たして開館と呈茶はどうなっているのか、遅い時刻でもあり気がかりだった。
相変わらず手入れの良い壮大な庭を急いで美術館へ上がると、受付の方が4時半まで大丈夫です、と仰った。
待合に正岡子規の短冊が掛けられている。
夏帽や不起とはされて濠に落つ
(夏帽やふきとばされて濠に落つ)
夏の流動する大気がよまれていた。
庭に面した竹の長椅子に座る間もなく、最後の席が始まった。
もったいないことに、私一人のために裏千家の方がお点前をされた。
席主さんの説明では、コロナのために南北の戸を十分に開け放ち、小人数ずつ分けて座り、マスクをしてのお点前を続けているという。
私どもも今週末、呈茶の予定があるのでとても参考になった。
穏やかなお点前で美味しいお茶とお菓子を頂いた。
手付の竹筒花入れに、矢筈薄(やはずすすき)、白花秋海棠(しろばなしゅうかいどう)、金水引(自信がありません)が涼しかった。
向こうの菓子器は現在同館で展示中の神山清子作の信楽。
神山さんは同市に縁があったとお聞きした。
茶杓は宗旦作銘「弁慶」、黒中棗(満田道志作)、茶碗は三代道入(ノンコウ)の黒楽平茶碗。
ふと訪ねてノンコウのお茶碗で服すとは!
夏のお席で黒味のお道具は心引き締まり涼やかだった。お道具組みは表千家のお仕事ということ、感心しました。
5時間に満たない柏崎。西の一部を巡っただけですが、海、山、博物、お茶とお菓子など沢山頂きました。
去る日曜日午後の柏崎行き その1大潟区圓蔵寺から青海川。
過日、ある方から新潟県石仏の会上越支部で発行された「石工の系譜-梅沢光廣とその弟子ー」という冊子をお借りしました。
石仏石塔は、ふとしたことから十三夜塔と庚申塔に少々の興味を抱き、散策がてら漫然と周辺を見ていただけでした。
それでもたまに貴重な資料をお持ち下さる方がいて、恐縮しながら有り難いことと感謝しています。
冊子の冒頭に当地大潟区は犀潟の圓蔵寺境内に安置されている大日如来の素晴らしさから、制作者である石工(いしく)とその系譜が丹念にまとめられていました。
冊子を見始めたばかりでしたが、圓蔵寺(えんぞうじ)は美術館から数分の場所。お天気の良い7月19日日曜日昼過ぎ、最初に訪ねました。
清々しい圓蔵時
境内の手前から無縫塔、大日如来座像、宝篋印塔(ほうきょういんとう)
丸みを帯び先が尖った無縫塔また卵塔はかっての住職の墓碑。
宝篋印塔は仏舎利や貴重な経典を収めたもの、あるいは墓碑など。
上品な光背を背負った大日如来様。生き生きとして端整な表情が素晴らしい。
冊子において、この石仏は柿崎区黒岩の石工・高橋一廣による1886年(明治19年)の造立であることが確認されています。柿崎、刈羽から離れた大潟区犀潟の一廣作品は大変珍しいという。かっての優れた石工は高い教養と技術を身に付けていたことが述べられていました。
さてこの日、久し振りに柏崎市立博物館を訪ねることにしていました。数年、庚申塔探訪や天神様祭によって同市を訪ねる機会が増えていたため、「まとめ」的に博物館が浮んでいました。
柏崎は地形に起伏の変化があり、海岸の岩や赤坂山周辺の赤い土などを見ただけで心が弾み、社寺や石仏石塔が随所に見られるのも嬉しいのです。
当日は珍くよく晴れ、本日は一応前半として途中の風景を載せてみました。
米山インターで国道へ降り、米山大橋を青海川へ下りて行きました。
柏崎はマリンスポーツが盛んです。この日も青く穏やかな海を楽しむ様子がうかがえました。
昭和50年代後半、私たちは30フィート級のヨットを所有し、同市に出来たばかりのマリーナに係留していましたので、ヨットは大変懐かしいのです。
以下は日本海に一番近い駅、青海川駅の様子です。
米山大橋の直下はサケが遡上する谷根川(たんねがわ)。
採魚と孵化・放流場があり、「さけます展示施設」を見て回りました。
色々道草をしてしまい、時間が残り少なくなりました。このあと急いで柏崎市立博物館へと急ぎました。
次回にこの続きを記したいと思います。
本日樹下美術館へご来館の皆様、有り難うございました。
大潟水と森公園 白蓮の素性など植物編。
本日日曜日は朝から晴れた。
終日降っていた空に晴れ間がまじるようになり、梅雨開けが近い感じがする。
来る盛夏はどのようなものだろうか。また40度などと酷暑になるのか、はたまた思ってもみない冷夏なのか、予報を聞いてみたい。
本日は柏崎へでかけてみた。昼過ぎからなので、同市の西部をほんのちょっぴり回っただけだった。柏崎のことは後日にして、今日は昨日の続きとして、大潟水と森公園の草花を書かせて頂きます。
公園の駐車場は東西と北の三カ所あるが、昨日は北に駐めた。ここは公園事務所があるメイン駐車場で220台が駐められる。
駐車場を降りすぐ下にスイレンの池がある。
大きい池ではないが涼しそうに花が咲いていた(14時過ぎ)。
かってここでまっ赤なショウジョウトンボを見たが、もう何年も見ていない。しかし近くの長峰池では見られるので、暇を見て出かけてみたい。
芝生広場から水上回廊へ向かう。
夏草が刈られ、風が通って涼しい。
水上回廊にかかってすぐ右手にヌマトラノオが群生している。
この白い花はとても涼しく、夏の公園の見所の一つであろう。
オカトラノオは頭を垂れるがヌマトラノオは直立する。
回廊を過ぎて間もなくの左手にまっ赤な実がついた木がある。
右の白い花の木はクサギと思われる。
以前この赤い実をガマズミかと書いたが、時期と実の付き方が違っている。このたび調べると実の数の多さと8月を中心に結実と載っていた「ゴマキ」のようだ。葉を嗅ぐとゴマの匂いがするらしいので、ぜひ試してみたい。「ゴマキ」、、、かあ。
両側を池に挟まれた歴史ゾーンの道は、途中に大きな赤松が生え清々しかった。しかし数年前、一挙に松枯れを起こしてほぼ全て伐採された。現在跡地に多くの松苗が植栽されている。
さらに先、丸山古墳へ近づくあたりにリンドウがあった。
この公園では珍しいと思われる。秋の花を楽しみににしたい。
丸山古墳の手前に群生している「フトイ」?自信がないので公園の方に尋ねてみたい。
ちなみに以下当館のトクサをご覧になり、「フトイですか」と訪ねるお客様が時々いらっしゃる。
この日何カ所かでアザミが咲いていた。
他所よりも遅く花は少し小さいが,、そそとした感じを受けた。
古墳に渡って右手に行き、鵜の池のハスを見る。
ここのハスはすべてが白蓮で一斉に咲くと神秘的な光景になる。
当池のハスはレンコンを取る食用の品種と考えられていた。しかし専門家によって鑑賞用の「「不忍池斑蓮(しのばずいけまだらはす)」だったことが分かったと地方紙に掲載されていた。花が大きいこと、花弁の縁に紅紫色のまだら模様があるのが特徴らしい。
東京上野の不忍池を構成する三つの池の一つに「鵜の池」があるという。当地も「鵜の池」であり、何か関連があるのだろうか。サイズなどから食用のはすとは違うのでは、という話があり、この度の調査発表につながったらしい。
ちなみに以下は2012年、当ブログに掲載した鵜の池のハスです。
昨日の池は花が少なく、2012年の様子と異なっていた。今年は特に少ないのか、時期が早かったのか、いずれだろう。8月になったら再度訪れてみたい。
色々と長くなってしまいました。
同じ場所でも出かけると何かしら新しい発見があるので楽しいのです。
コロナ禍の中、めいめいに楽しまれる方達を沢山目にしました。
どんな形にしても自然に親しむのは本当に良いことだと思います。
コロナはいやですが、読書とともにこの傾向は好ましい現象だったのではないでしょうか。
本日ご来館の皆様、まことに有り難うございました。
夏の大潟水と森公園 生き物編。
本日土曜日、午後2時ころから1時間半ほど大潟水と森公園を歩いた。
今年3月は、新型コロナウイルスが拡大しはじめる中公園を3度訪ね、緊張しながら歩いた。いま4ヶ月が経ち、散策やリクレーションの人は増えたが、当時と異なりほぼ全ての方がマスクをされていた。
コロナ禍によって広い自然公園の存在価値はさらに大きくなっていると思う。
本日目にしたものの中から以下に生き物を乗せました。
大きな鯉。ここでは釣りをする人がいないので、魚はゆっくり出来る。
ヒヨドリソウに止まるモンシロチョウ。
白い花に白い蝶は一種の格調。
この花に以下のヒョウモンチョウ(ミドリヒョウモン)もいた。
地味な場所ながら2種の蝶が来ていた。
蝶は小さな花が集まって咲く集合花を好む傾向があるという。
小さな花の蜜を吸うのは容易ではないはずで、少々不思議だ。
1000キロに渡って列島を大移動するアサギマダラもこの花が好きらしい。ヒヨドリソウは園内に何カ所も咲いているので、次回訪ねた折は特に蝶に注意をしてみたい。
次回は本園内で目にした植物を載せたいと思います。
新潟市から月刊キャレルの取材。
本日御前に新潟市から月刊キャレル掲載予定の記事について取材がありました。
眺めの良いカフェ特集ということ、ライターさんとカメラマンのお二人には丁寧に取材して頂きました。
仕事の合間に駆けつけて短時間でしたがインタビューに応じました。
ライターさんは美術館と周辺の世界にとても造詣深く、当館のコンセプトや設えについて大変好意的にとらえて下さり、感謝しています。
奇しくもライターさんが仰るように、当館は展示作品とともに建物、家具、食器、庭まで、樹下のものはみな鑑賞対象になるように励んで行こう、とあらためて思った次第です。
遠路の御取材、まことに有り難うございました。
雑誌は8月20日発売号ということ、楽しみに致します。
コロナの海に漂流する船 歩みを進める夏。
昨日上越市から10代と20代二人の感染報告があった。
当市の感染は今年4月26日以来6人となり、一気に緊張が走った。
現在、国内で再び拡大に転じている感染は、5月25日に次ぐ6月19日の自粛緩和が反映されたものであろう。
間近に迫るGoToトラベルには、各界から深刻な懸念が指摘されている。
いずれも容易に想定された事態である。
未知の医療マターにも拘わらず、予防、検査、診断、治療を検証重視して進められる医療の王道が顧みられていない。
おそらく絶えず政治の都合に押しまくられるのであろう。
政府の部会に参加する医療の専門家たちは、不条理をどのように耐えているのだろうか。
経済優先と言いながら、付いて回るツケは想像以上に大きいことが危惧される。
主要な流行地である東京都は迷走の末、一昨日知事は警戒レベルを最も高い水準に引き上げ、本日GoToに独自の制限を設けた。
周辺各県も追従する可能性がある。
〝緊張感をもって見守る〟といつも国は述べる。、
だが克服の港に向けてコロナの海を航海する船は、漂流しているように見える。
あるいは、もうこの先国民は、〝個人の責任に於いて泳いで渡れ〟と、言われているようでもあり、
経済とともに感染を促すのは、犠牲者を盾に抗体保有者を増やすことによって、社会防衛を果たそうと目論んでいるようでもある。
死亡者が少ない一点が楽観を許しているのだとすると、ウイルスはそんなに甘くはないことが経験されている。
重症者と死亡者は遅れてまとまって増えるのではないか。
予算に余裕があるとは考えられず、GoToの補助は支援金として直接業界に交付し、感染拡大防止と医療資源の確保に専念してはどうかな、と思う。
おしまいに、お目汚しに昨日、本日の写真です。
「銀の匙」の夕刻 過日の夕暮れ。
雨に何か考えがあるのだろうか、とにかく降り続く。
今日も降り、体調がすぐれない人が、自分はコロナではないでしょうか、などと言う。
さてたびたびの「銀の匙」。明治期中頃にかけて幼年のこどもの日常が描かれる。つぶさな描写から生活は、まだ江戸時代の名残を引き継いでいる。一方現在の私たちの心の中にも、かっての時代の情緒性が息づき、ある時刻や情景によって浮上し、共感を覚える。
以下は「銀の匙」から、夏の初めの夕刻における幼い主人公と仲良しの女の子お国さんとの場面です。
あの静かな子供の日の遊びを心からなつかしくおもう。そのうちにも楽しいのは夕がたの遊びであった。ことに夏のはじめなど日があかあかと夕ばえの雲になごりをとどめて暮れてゆくのをながめながら、もうじき帰らねばとおもえば残り惜しくなって子供たちはいっそう遊びにふける。
ちょんがくれにも、めかくしにも、おか鬼にも、石蹴りにもあきたお国さんは、前髪をかきあげえ汗ばんだ顔に風をあてながら
「こんだなにして遊びましょう」
という。私も袂で顔をふきながら
「かーごめ かごめ をしましょう」
という。
「かーごめ かごめ、かーごんなかの鳥は いついつでやる……」-途中略-
夕ばえの雲の色もあせてゆけばこっそりと待ちかまえてた月がほのかにさしてくる。二人はその柔和なおもてをあおいで お月様いくつ をうたう。
「お月さまいくつ、十三ななつ、まだとしゃ若いな…..」
お国さんは両手の目で眼鏡をこしらえて
「こうしてみると兎がお餅をついているのがみえる」
というので私もまねをしてのぞいてみる。あのほのかなまんまるの国に兎がひとりで餅をついているとは無垢にして好奇心にみちた子供の心になんという嬉しいことである。
以下は7月9日、いっとき雨が上がった夕刻の写真です。
夕暮れの茜があたり全体を包むと、去りがたい名惜しさをがつのる。
出来れば茜と一緒に西の国へ行ってみたいのだが、それは黒い森影などを残して去ってしまう。
取り残されて私は、いつも動物のようにすごすごと家路をたどる。
♪ 菜の花畑に入り陽うすれ~
♪ 夕焼け小焼けの赤とんぼ~
♪ 夕空晴れて秋風吹き~
♪ 夕焼け小焼けで日が暮れて~
♪ 秋の夕陽に照る山もみぢ~
♪あの町この町日が暮れて~
♪ぎんぎんぎらぎら夕陽が沈む~
※「叱られて」も夕暮れでしたね。
斯く子供のころから、私たちは日暮れを歌ったり聴いたりして育ってきた。
さて、くだんの本では、伯母さんが迎えに来て、幼い主人公と女友達お国さんは
「かいろが鳴いたからかーいろ」と、玄関先までかわるがわる呼び合いながら家に帰るのである。
新型コロナウイルス対策で都道府県の「貯金」が痛手 深刻な三すくみの中で。
昨日のノートで、新型コロナウイルス感染症(COVIT19)対策に〝国や自治体が血が出るまで繰り返す以外ないのではないだろうか。と記しました。
昨日日曜日は新聞を読まず、本日になって12日の朝日新聞を手にしましたところ、
〝42都道府県「貯金」58%減ーコロナ対応 1兆円超取り崩しー〟と一面トップにあり、否応なく目に留まりました。
貯金とは都道府県が、主に緊急支出に備えて蓄えている財政調整基金です。
日本が新型コロナウイルスの災いに見舞われておよそ半年。
4月以後の基金取り崩しの調べの結果、47都道府県のうち42都道府県で残高の平均58%を使ったとありました。
90%を越える都県からゼロの所まであり、各自治体の事情や考え方などで色合いが異なるようですが、多くは相当の身銭を切って出血し対応していることが窺われました。
ちなみに東京都は8521億円(万単位切り捨て)で、残高に対する減少率は91,2%でした。石川県も90%台と多く取り崩していました。こんなに使って大丈夫かな、と思いますが、カバーできる税収や国からの他の交付金で埋め合わせするようなのです。
ちなみに我が新潟県は380億円と比較的多額の残高を有していて、この度の取り崩しは4億円で率1,1%と小さな範囲に留めていました。ほかの財源で多くをまかなったこと、発症者が比較的少なかったなどもが関係しているかもしれません。
さらに未だ感染者の報告ゼロである岩手県は5億を、反対に多くの感染に見舞われた埼玉、千葉、京都、兵庫などでゼロのまま踏ん張っているという、多様な様子も窺われました。
終息はおろか再拡大をはらんでいる感染症。
元はといえばわずか0,001㎜という電子顕微鏡レベルのウイルスがもたらしている災禍です。
くすぶる大都市圏、思いがけない劇場クラスターの発生、さらに拡大する世界の感染事情、、、。
この先どのような姿がゴールなのか、イメージしにくいのが本当に辛いところです。
そんな中で地味ながら、私たちなりに新たな生活様式に準じようと、あらためて思うばかりです。
感染対策、財政出血、税収確保。
小さなものがもたらしている深刻な三すくみ。
少なくとも1点「安心」の二文字を共通項として、国、自治体には長く長く粘ってもらいたいと、心から願っている次第です。
日中晴れ間が見え、雨が上がった本日。
終始肌寒く、夜になってシトシト、ザーザーとまた降り始めました。
雨降りが続くようです。
よろしければ作品とテッポウユリの庭に憩っていただければ、と思っています。
解禁拡大、どうなる第二波、やはり厚生労働大臣が前面に。
新型コロナウイルスの感染報告が東京都と周辺および大阪などで4上旬のレベルを越えるようになった。
死亡例が少ないだけで感染状況は明らかに2波であろう。
現況の死者は少ないが、今後の社会・家庭における接触シャッフルにより重症化リスクの高い老人や有病者への拡大は否定出来ない。
移動解禁と.、5000人以下というイベント解禁はどうみても流れが悪い。
恐らく国はそれも見越して拡大に踏み切ったはずである。
根拠として①陽性増は検査を増やしたため、②死亡例が少ない、③医療資源が足りている、の3点が挙げられている。
しかしこれは、わずか一瞬の相を見ているだけに過ぎないのではないのか。
この先、急な感染と死亡例の拡大が避けられる保証はなく、むしろ悪化の可能性のほうが想定される。
それでもやろうとするのは、集団(社会的)感染→集団(社会的)免疫獲得によって終息を図ろうというのだろうか。
そうであれば、最終的には弱者切り捨て。コメントするのもおぞましい現実が浮かぶ。
新たで厄介なウイルスのコントロールとは、デリケートな措置をラジカルに繰り返すことでしか成立しないように思われる。
慌てて経済を回す前に、根気良い予防マナーの継続、潜在的な発生源の完全な封鎖と経済保証、水平な損失補填の継続。
これらを、国や自治体が血が出るまで繰り返す以外ないのではないだろうか。
当地方では隣接の糸魚川市で初めて一例が報告された。
これと東京都および全国の動静をどう関係づければよいのか。
一般にこれらに対して答えるのは、
厚生労働大臣ではなく経済再生担当大臣が出てくるなどというのは、非常に奇異である。
一刻も早く、直さなければ災禍は永遠に続くように思われる(本気度が疑われる)。
PCRのさらなる一般化と医療確保と同様、リーダの人違いは最も根本的な問題であろう。
体を張っている知事たちは、もどかしくないのだろうか。
2020年3月1日~7月12日までの全国新規感染者数の推移。
Yahoo!ニュースから。
しゃんとしている今年のテッポウユリ。
毎年テッポウユリは梅雨のまっ最中に満開を迎える。
咲いたままひどく雨に降られると、早くしおれたり、脱色してガラスのようになってしまう。その点今年は雨に当たっているものの、しゃんとしていて驚いている。
例年の今ごろはお客様が減り、せっかくの美しい百合を見る人が少いので、花は可哀想だな、と思っていた。
ところが今年は皆様に多めに来て頂き、しかも庭をご覧になる方が多く、百合にも満足気な表情がうかがえる。
ところで花全体に言えることだが、夕暮れ時になると、彼や彼女たちは一段と穏やかな雰囲気を漂わす。
昨日は昼間の写真でしたが、本日は午後7時近くの花を撮ってみました。
美術館が陽当たり側なので、およそそちらを向いているのもけなげだ。
例年賑やかにおしゃべりをしている風に見えるのに、今年はみな静かな印象なのが不思議。
新鮮な感じは、宝塚の卒業生か、舞妓さんから芸妓さんになったばかりの女性達のようだ。
梅雨を越えてもはや「雨期」 換気、庭の花。
連日の雨は梅雨というより、「雨期」と呼びたくなるほどの執拗さ。
しかし当地では、昨夜から降り続いた雨は昼頃から小休止となった。
本日は換気の様子と庭の花を記しました。
開けっ放しの玄関ガラス扉。今までどんなに降っても閉めずに済んでいる。
トクサも庭を涼しくしてくれる植物。
以下今春沢山植えたテッポウユリがあちらこちらで賑やかになりました。
ヤマアジサイが終わった後、以下園芸種の額アジサイが綺麗に咲いている。
柿の実が大きくなってきた。
母の出身地の川がテレビに映った 雨降りの昼。
本日も雨が降り続く。
人間ならば息切れするところだが、雨はいっとき休んではまた降るを繰り返している。
洪水が頻発している九州の雨は残酷なほどで、昨日は母の出身地である佐賀県鹿島市の映像がテレビに出た。
母の昔話に出てきた川が氾濫しそうだった。
母はよくこの川で泳いだという。
ある日泳いで帰ると、いつもは穏やかな母が烈火の如く怒り、お前の背中に石をくくって沈める、と言ったという。
子ども時代ならまだしも、もう娘になるのだからはしたない、ということだったらしい。
近隣の水田。
雨を降り残した雲がもやもやと米山にけむっている。
本日昼のいっとき美術館はお客様で賑わっていた。多くの人がカフェを使われるが、今年は特に初めての方々が熱心に展示をご覧になり有り難い。
私がいた時に、俳句の皆様が寄ってくださり、庭を見ながら発句をされていた。
また車椅子でご老人をお連れした女性の静かな甲斐甲斐しさは印象的だった。
あるご夫婦は毎年結婚記念日に当館を尋ねてお茶を飲み、玄関で記念写真を撮ると仰った。例年スタッフがシャッターを押すらしいのだが、今年は私が押させてもらった。
持ち寄り食事会の後と仰る四人の女性は、カフェがいっぱいで陶芸室のテーブルにすわって頂いた。陶齋の作品に囲まれ、ここもいいですね、と仰った。
雨降るお昼のひととき、皆様有り難うございました。
明治時代の信心、小説「銀の匙」の伯母さんと主人公 信心は生の肯定と憐れみの心。
何度も登場している銀の匙。明治時代中頃の生活が描かれ,信心深い伯母さんと、こどもである主人公の日常の応答がリアリティをもって心に響く。
本日は、その伯母さんの仏性や信心の深さが窺われる場面から、いくつか引用させてもらい記してしみました。
●主人公(こども時代の著者)に対する伯母さんの考え。
〝伯母さんは私を育てるのがこの世に生きている唯一の楽しみであった。(途中略)というのは、今もし生きていればひとつちがいであるはずの兄が生まれると間もなく「驚風」でなくなったのを、伯母さんは自分の子が死んでゆくように嘆いて
「生まれかえってきておくれよ、生れかえってきとくれよ」
といっておいおいと泣いた。そしたら翌年私が生まれたもので、仏様のお蔭で先(せん)の子が生まれかえってきたと思いこんで無上に私を大事にしたのだそうである。
たとえこの穢い(きたない)できものだらけの子でもが、頼りない伯母さんの頼みをわすれずに極楽の蓮(はちす)の家をふりすててきたものと思えばどんなにか嬉しく、いとしかったであろう。それゆえ私が四つ五つになってから、伯母さんは毎朝仏様へお供物をあげるときにーそれは信心深い伯母さんの幸福な役目であったー折折お仏壇のまえへつれていってまだいろはのいの字も読めないこどもに兄の戒名、伯母さんの考えによれば即ち私が極楽にいた時の名まであるところの、一喚即応童子(いっかんそくおうどうじ)というのを空に覚えさせた〟※驚風:こども時代にかかる高熱や痙攣をともなう髄膜炎。
※厚く手を掛けた子が逝き、翌年に生まれた子をその生まれ変わりとして可愛がる。最も尊ぶべきものがアイデンティティとする現代ではあり得ない心情であろう。だが極楽からとって返してきたという考えや、兄の戒名をそらんじさせて同一化を願うなど、あの世とこの世が一続きであるとする信心の深さに感心させられる。
●観音様の形をした雲。
〝夏になればいろいろな形をした雲の塊が日光にあふれてぎらぎらする空を動いてゆくのを伯母さんは、あれは文殊菩薩だの、あれは普賢菩薩だのとまことしやかに教えた。
ある日のこと遊び疲れた私はひとり寝ころんで自分をまもってくださる仏様の姿に似た雲のくるのを眺めていた。そうしたらちょうどそこへ通りかかった雲の、観音様の仰向けになったようなのが不意に崩れて恐ろしい形になったので、私は化けものが観音様になって、とりにきたのかと思ってあわてて伯母さんのところへ逃げていった。それから私はそういう形の雲を死人観音(しびとかんのん)と名づけてその影をみればすぐにかくれてしまった〟
※この下りの雲は一部自分も経験しているので、楽しく読めた。
●伯母さんは四角い字(漢字のこと)こそ読めないが、無尽蔵と思われるほど話の種を持っていたという。
その1
〝なかでもあわれなのは賽(さい)の河原に石をつむこどもの話と千本桜の初音(はつね)の鼓(つつみ)の話であった。伯母さんは悲しげな調子であの巡礼唄をひとくさりうたっては説明をくわえてゆく。その充分なことわけはのみこめないのだが、胎内で母親に苦労をかけながら恩を報いずに死んだため塔をたてて罪の償いをしようと淋しい賽の河原にとぼとぼと石を積んでいるのを鬼がきては鉄棒でつきこわしてひどいめにあわせる。それをやさしい地蔵様がかばって法衣(ころも)の袖のしたにかくしてくださる というのをきくたんびに、私は息のとまりそうな陰鬱な気におしつけられ、また可哀そうな子供の身のうえがしみじみと思いやられてしゃくりあげしゃくりあげ泣くのを、伯母さんは背中をなでて、
「ええわ ええわ、お地蔵様がおいであそばすで」という。
※賽の河原と子が積む石塔の話は子供時代から色々聞いていた。文中、悲しむ主人公に対して伯母さんはこれ以上無い慰め方をする。その2
〝仏性の伯母さんの手一つでそだてられて獣と人間とのあいだになんの差別もつけなかった私は親の生皮(なまかわ)を剥がれたふびんな子狐の話を身につまされてきいた。親の白狐は皮を剥がれながら わが子かわいや わが子かわいや といって鳴いたという。これは私の知っている鼓についての三つの話のうちの最もあわれな話である。それは神秘の雲につつまれて天から降った鼓でもなく、つれない人が綾でで張ったという音なしの鼓でもなく、大和の国の野原にすむ狐の皮で貼ったただの鼓が恩愛の情にひかれてわが子を思う声をだしたというのである。私は今でもこの話を思い出せば昔ながらの感情の沸きおこるのをおぼえる〟
※この下りは義太夫や歌舞伎の「義経千本桜」における人気の段にある。初音と呼ばれた鼓の名器の皮は、千年生きた狐から剥がされたもの。鼓の皮となって死んだ親に対して子狐は人に化けて鼓を守る。源氏の時代、静御前へと鼓が渡ると、子狐は義経の家臣佐藤忠信(ただのぶ)に化けて御前と鼓に付く。
ある日病気だった本物の忠信(源九郎忠信)と、狐忠信がともに義経の前に現れる出来事が起きる。どちらが本物かの詮議で、鼓への反応で狐忠信は正体がばれ、御前に切られそうになる。しかし親孝行を遂げたいという子狐の切々たる身の上話を聞いた義経は、許したうえ鼓を与える。
YouTubeに掲載された文楽や歌舞伎で、鼓を与えられた狐忠信が、ほおずりしながら嬉々として舞い帰る最後の場面など非常に秀逸だった。
以上は信心深い伯母さんと、幼く多感な主人公の日常の一部です。
〝胎内で親に苦労を掛けた恩〟などという凄まじい考えは、今や困難だ。しかしその昔では一般に感覚された事がらかもしれない。
親への恩や孝行には何かしら越えるべき試練が内包されているが、全て〝生まれた幸せ、いま生きている幸せ〟が前提で成立しているように思われる。古めかしく見えるけれども、かつてそれは、陰に日なた「生」と「その幸運」を肯定しようとする原点を有し、生活のすみずみに溶け込んでいたのではないだろうか。このようにみると、過ぎし日常文化の深さを考えないわけにはいかない。
但しこれが戦(いくさ)における主従とその恩に取り入れられると、「犠牲の強要」という残酷な相に転化され、本来の生の肯定的な意味と反対のものになる。
銀の匙の物語は、国が富国強兵に染まる過渡期の話であり、特に幼少時代の風俗習慣と信心はまだ善良な庶民感覚にあふれている。
但し後半では、前者の堅苦しい感覚を持つ兄との相克が描かれるようになる。
強靱に成長した主人公は、後に幼き日の郷愁から、視力を失い遠くで一人暮らしをする老いた伯母さんを訪ねる。
繰り返し読んでいる「銀の匙」
ほかの出版社版もあるが、私のは2015年7月21日第5刷発行の小学館版。
まだ読むつもり。
雨に濡れた木肌 山中教授とタモリによる番組「人体VSウイルス」。
ほぼ一日中雨が降った日、熊本県の球磨川流域で深刻な水害が見られている。
地方のことは観光や物産で知るほか、毎年災害で知る事も少なくなく胸が痛む。
当地でも午後からかなり激しく降り、肌寒く終日雨音を聴いた。
美術館ではコロナ対策のため外気が流通する天井の排煙孔から雨が入ったためそれを閉じた。但し強い降りでも、玄関のガラス扉は開放のままで全く問題なくとても助かる。
カフェのお客様は解放した窓を喜ばれるが、さすが激しい降りとなったため遅くなって閉じた。
雨の日も良い、と言って本日来館されたお客様方、張り合いを感じます、有り難うございました。
さて雨に濡れる樹木の木肌が目に留まり、撮ってみた。
以下の様に十本十色で面白かった。
下枝を払われたばかりのツルツルした椿。
向こうのスチール椅子と良い絵づら。
雨がスジ状に伝わったり、一面に濡れて光ったり、木肌はそれぞれ独特で面白い。
このほかケヤキ、コナラ、松、若いモクレンやヤマザクラなど撮ってないものがあり、別な雨の日に撮りたいと思っています。
さてこの所、東京を中心とした新型コロナウイルス禍が拡大しはじめ、一次の続きというより第二波の始まりかもしれない。
そんな折、今夜山中伸弥教授とタモリ、そして二人のゲストによるNHKスペシャル「「タモリ×山中伸弥『人体 VS ウイルス』~驚異の免疫ネットワーク~」を観た。
CGが駆使され、ウイルスに対する免疫細胞や免疫物質の動態が如実に示され、新型コロナウイルスの特異性なども非常に興味深かった。
このなかで回復した患者から得られた抗体を投与することによる重症者の回復例、さらに100才の高齢者の生還に希望を感じた。
ワクチンと特効薬が存在しない時点で、回復して高い抗体価を有する人の血漿を治療に用いることは非常に現実的だ。
感染が急拡大した中国は、この方法を積極的に採用したのではないかと当初から思っていた。
治癒→血漿採取→重症者へ投与→治癒→採血、これを洗練させ繰り返す。
方法は患者が多いほど効率が上がろう。
このサイクルを効かせ、甚大な1波乗り切りの一助としたのではないかと思うが、如何だろうか。
雲がダイナミックだった強風の日 本日から通常の開館時間と営業。
本日梅雨の晴れ間の訪れ。
かなり風が強かったが、雲がダイナミックで清々しい日だった。
午前の仕事を済ませ通常営業となった美術館へと向った。しっかり雲が見たくて途中四ツ屋浜へ寄った。
四ツ屋浜は海沿いの旧国道(129号線)を大潟総合事務所付近で海側に入るとすぐ出る。
濃淡2色に別れた青い海は。風によって一面に白波(三角波とも聞く)が立っていた。
北東方向に大きな白い雲。
昼さがりの美術館は大勢の方に来て頂いていました。
美術館から東方の雲。
本日からカフェは軽食としてベーグルサンド、ホットサンド、トーストをお出しすることになった。
今年購入し、裏庭に設置した丸テーブル席に座り、ベーグルサンドを食べた。
丸テーブルのサイズは小さめだが、二人分ならサンド類の食器が乗りそうだった。
余裕を期待して、似たような仕様のサイドテーブルを探してみたい。
本来ベーグルサンドはピックルスと果物およびポットコーヒー付きで1100円です。
これがベーグルサンドの正式メニューです(後日追加しました)。
二度目の四ツ屋浜。帯状の雲がうねりながら横たわっている。
過日上越市の海岸から沖合に出現した貴重なロール雲が撮影された。
モーニング・グローリーと呼ばれる珍しい雲で、撮った人が羨ましかった。
ねっとりとした、いかにも高密度な雲は晴れ間を交える強風の日に現れる。
レンズ雲の系統は、風によって雲が練り込まれている印象を受ける。
出現には山が関係しているようであり、東は米山・尾神岳、西は妙高山が影響していると考えられる。
本日ご来館の皆様、有り難うございました。
今後ともどうか宜しくお願い申し上げます。
ケータイメール・ライン無経験者の4枚目の机上メモが始まる。
私は一応スマホを持っている。
しかし汎用出来ず電話メインで、時々ほくほく線の時刻表を見るか、外出で地図を見る程度しか使わない(使えない)。
その上恥ずかしながら一度もケータイやスマホでメールというものを打ったり貰ったことがない。パソコンのEメールは使うが、まず仕事か買い物関連に限定される。
小さな道具のひらがな入力が苦手なのが原因といえば原因。ほかにアナログ頭なのと、親密な人間関係を有さないこと、あまり暇がないことなどで、電話以外ほとんどスマホをいじらないし、メールもラインも過去現在皆無なのである。
それでも生きているので、良い悪いの問題ではなさそうだ。年のせいかなと思ってみるが長年のことなので何とも言えない。
一方、ニュースを見たりブログを書いたり、写真を扱ったり、調べ物や品物を探すなど、パソコンには頻繁に接する。
それで問題なしと諦めてはいるが、目の前の人が、あっちょっと待って、とスマホを取り出したり、即座に検索したりするのを見ると少々羨ましく写る。
話変わってそのアナログ者(もの)の骨頂、机上の一枚メモです。
PCのキーボードの手前に広げて使っています。
昨年8月から始まった大きな一枚メモが3枚目を終了、本日新しいのを敷いた。
仕事用、ブログ用、学習、予定などに手書きで使う。
今回終わったのは今年2月18日に替えたもので、4ヶ月半使ったことになった。
※手帖は医師会の仕事をしている時に必携でしたが、止めると使わなくなりました。
このたび終了した縦39センチ横42センチの紙はカレンダーの裏。
角などはボロボロになってくる。
2月18日のブログに「新型コロナの件が好転するような断片が現れることを期待している」と記している。
近づいて撮ってみました。
ボールペンの記載の上にマーカーなどを使って更に書いている。
新型コロナウイルスに関連したメモが多くみられる。
コロナの事情が好転したとは言えず残念。
本日4枚目となる紙を敷きました。
取り替えると、明日へのささやかな希望を感じます。
便利と言っていますが、結局横着が正解なのでしょう。
さて、スマホ苦手、いろは入力苦手でしたが、検索だけでも出来ればと考え、昨日就寝前のベッドで、スマホを手に例文を打つ練習をしました。
はたして少しは使うようになるでしょうか。
大変申し分けありません、7月1日は定期休館日でした。
昨日の記事に「7月1日から通常の営業です」と記載いたしました。
しかし、1日は水曜日のため定期休館でした。
通常の営業に戻るのは、「7月2日から」でしので、陳謝し訂正させていただきます。
勇み足を致し大変申し分けありませんでした。
どうか宜しくお願い申し上げます。
樹下美術館 館長
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- 初雪?の日 最近のお客さん 買い物の日。
- 二つの高瀬舟。
- 時間を掛けて押す注射 ほぼ一年振りに替えた机上メモ。
- 昨日から一泊の上京。
- 大潟区公民館活動の方々の樹下美術館来訪、小山作之助係累の話をさせて頂いた。
- 本阿弥光甫のお茶碗で飲みたくて木村茶道美術館を再訪。
- 柏崎、上越、晩秋の野道 斎京まさ子さんの本。
- 木村茶道美術館の貴重、庭園の紅葉ライトアップと駐車料金。
- 木村茶道美術館の寒月茶席に伺った 素晴らしい本阿弥光甫のお茶碗。
- ゴルフ場でトマトジュースの汚れを口を使って落としてみた。
- 晩秋、驚くほど当たる天気予報のゴルフ 朝日池のコハクチョウ。
- かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「すき」と書かれた。
- 妙高市はいもり池の近く「ギャラリー峨々」を訪ねた。樹下美術館も紅葉。
- 再び良寛椿の苗。
- 1本の木にキンカンとカラタチの実が。
- 秋晴れの日のゴルフ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- 本日ジョケラさん初日。
- 明日からジョケラさんの展示会 高宮あけみ展のご来館有り難うございました。
- 別れ。
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