2011年10月
秋のバラ
数日続いた良いお天気が終わって雨の一日、一時は雷が鳴った。自宅庭でバラがぽつんぽつんと咲いている。花数は少なく形も小さい。孤独を漂わす花をみていたら一句浮かんだ。
旅人の休むに似たり秋のバラ
遠くから来て休んでいる感じ。
それから先日のチャリティに出した油絵「いもけんぴ」は売れませんでした。次回新潟→上越と巡回することになろうと思います。人と同じように拙絵も旅をするんだ。
秋晴れの秀麗 柏崎市のお茶 新潟市の驚くべき展覧会
二日続きの秋晴れの一日だった。週末の午後、柏崎市の木村茶道美術館へ寄って新潟市の會津八一記念館へ行った。柏崎市では最初に懐かしいヨットハーバーへも寄った。
同市は昔からヨットが盛んだ。ハーバーでは7割がた陸揚げされていたが、懐かしい「ミス日本海」号はまだポンツーン(係留のための共有通路・桟橋)に居た。大きかった同ヨットはその昔、ナホトカ市への友好航海やハワイへの遠征を行って有名だった。およそ4年間、当時皆さんにはレースなどでお世話になった。
お目当ての一つ木村茶道美術館は昭和62年春、茶道を始めるきっかけとなった所。ヨットを終えてからだったが、以来何度通ったか分からない。
初めての人もお菓子をいただき文化財級のお茶碗で抹茶が飲める。掛け軸、香合、棗(なつめ)、茶杓、風炉・窯、棚飾り、みな文句なしの文化財。私の茶碗は御本刷毛目(ごほんはけめ)、大振りで明るく、うっとりするような器だった。
妻は秋らしい趣の絵唐津の筒茶碗で、初めてというご一緒したお二人も備前や灰釉の名碗だった。
茶室のある松雲山荘の四季も道具類に負けずご馳走だ。なかでも間もなく錦となる紅葉はかってニュースステーションで中継されている。
ここでは未経験者でも気楽にお手前のもてなしを受け、御抹茶が楽しめるのでお勧めしたい。
松雲山荘:ドウダンツツジの刈り込み。 この数百メートルも真っ赤になる。
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茶室の棚飾りは竹籠。 古い唐物(からもの:中国の伝来品)
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本日のお目当て「北大路魯山人VS會津八一」はまれに見る充実の展覧会だった。サブタイトルは“傲岸不遜の芸術家”とあった。思い切ったキャッチ、しかし傲岸に秘められた限りない美意識と探求、ナイーブな精神は天からの贈り物だと思わずにはいられなかった。
単に贈り物と言っても、本人達は血のにじむ思いで制作と格闘したことだろう。しかしその結果が私たちへの贈り物(あるいはもてなし)ともなっているのだ。
二人の共通項は先ず時代と書、なにより強烈な個性(自我)ではないだろうか(巨躯とユーモアも)。両者の特異として魯山人は美食の具現と陶芸、八一は短歌と美術史でそれぞれ巨峰をなした。
お互いは同時代にも拘わらず、意識しあっても決して交わることは無かったという。つきつめた個性とはそのようなものかもしれない。
さて八一は新潟県の人であるが、魯山人と新潟県の関係も新鮮で興味深かった。その一つ貴人、良寛への熱中が示されていた。新潟県の文化人達へ良寛を所望する痛々しいばかりの手紙などに陶酔ぶりが伺われる。
糸魚川の歌人相馬御風や柏崎市のコレクター吉田正太郎との交流等々、同県人として誇りを禁じ得ない。
拙樹下美術館の人間として印象に残ったのは八一が揮毫し、齋藤三郎が形成・焼成した抹茶茶碗だった。蝋で書かれた力強い文字、染め付け(藍色)の色合い、寸法、、、。二人の天賦と努力が一点に注がれた夢のようなお茶碗だった。
會津八一の没後55年となる当館の今年度特別展。希な芸術家の篆刻、書画、手紙、器、看板、写真等々が二度と見られないであろう切実さと品格をもって心に迫った。本日は全てを見たとは言い難い日程だった。11月30日までなので願わくば何度も見たい。
同催事は新潟県民の誇りを確認させてくれる異例のものではないだろうか。是非沢山の方に見ていただきたいと思った。
懐かしいイタリア軒のラウンジで見たディスプレー
すっかり暮れてイタリア軒で食事をして帰った。夏来体調が良くなかった妻は快気のビール。運転の私は食べるだけ、美味しそうなお酒の色合いを鑑賞させてもらった。
何度か書き直しをしました。
深夜まで庭仕事 ああ鳥や山、そして田
昨日は夕食後から夜中一時すぎまで庭仕事をした。
ユリやチューリップの球根、新着のアジサイなど、植え込みはまごまごしていると時期がすぎてしまう。次第に暗所となったムクゲやシュウメイギクの移植もミゾレの中ではだめだろう。ことのついでに中低木の枝払い、アプローチの落ち葉掃除まで始めたらキリがなかった。
灯りを点けて深夜の庭をウロウロ、、、。その昔同じような事をしていたらパトカーが来たことがあった。
さて一昨日のこと、昼休みに田んぼへ行った。コハクチョウが居てマガンが飛んで来て素晴らしかった。
鳥や山、それらとつり合う田のなんと美しいことだろう。世界と進化はもともと彼らのものだ。我が儘な私たちの道連れなどには絶対ならないでください、絶対に。
あらためて福島県から避難されている方々のこと
昨日午後、地元の保育園の健診に行きました。例年ならば秋の健診は年長さんたち(6才児)を診ません。来月に予定されている小学校入学前健診で別に診るからです。
しかし今日は10人の年長さんを診ました。福島県からの子どもさんたちでした。来年4月に迎える小学校の入学先がまだ決まらないため今回の受診ということでした。園全体ではまだ17人のお子たちがいらっしゃいます。
5月の健診ですでに福島の皆さんを診ていました。5ヶ月が経った年長さんは特に大人びた印象でした。明るく活発に振る舞っているのに、いまだ安定しない立場に胸が痛みました。
家であらためて調べてみてみました。例えば原発地元の大熊町の人口は2010年の国勢調査時で11511人。放射能汚染のため役場は早くから会津若松市に移動し住民も居ません。全町民は県内に約7300名、県外に約4000名の方が避難されているといいます(大熊町役場ホームページ臨時サイトから)。今更ながら驚くべき現実だと思いました。
県外の避難先として埼玉県、東京都に次いで新潟県は三番目に多い513人でした。当地、上越市大潟区には福島県内数カ所の自治体からまとまって来られていて、ここまで何度か移動を余儀なくされた方も大勢いらっしゃいます。
将来設計、被災や汚染など故郷の心配、健康のこと、学業、初めて迎える雪国の冬、、、。この方たちの不安を思うと、国は文字通り1人1人を包むように全力で助けなければならないと思いました。そして私たちもまたあらためて支援や原発のことを考えなければならないのではないでしょうか。
昨日10月23日のギャラリー沙蔵
昨日午後、長岡市ギャラリー沙蔵へ展示を見に行った。展示作品は売れ始めていたが私のいもけんぴはまだ買い手を待っていた。26日が最終日、嫁ぎ先はきまるのかな?
よく磨かれた入り口のガラスドアに沙蔵と書かれている。
近くにあったオーナー家の蔵を、けん引の大作業をして移されたという。
館内は小品ながら力作がびっしり、二階にもいっぱい。
96人の作家と180点を越す作品は表現の自由を喜び、
さらに開かれる社会を一心に願っているようでした。
小生のいもけんぴ、8000円は高いかな。
作品は半額が、絵葉書は全額が地震支援のチャリティにされます。
10枚持ち込んだ花の水彩絵葉書は残り三枚になっていました。
5歳になるギャラリーオーナーのお嬢ちゃんが右のを一枚買ってくださった、と。
お嬢ちゃん、ありがとうございました。
高田、直江津 暮色
本日、親鸞聖人七百五十回忌記念茶会があった。宇喜世と浄興寺の二会場で行われたが、時間が迫って後者の会場のみ伺った。
濃茶、薄茶両席の待合で聖人等身影と恵信尼(えしんに)公御文の貴重に浴した。晩秋の茶会は賑わいと共に、随所に名残の風情が漂い心に沁みた。
濃茶は妻の知人がお点前をされた。濃茶に相応しい緊張が伝わり心こもった茶が美味しかった。宗泉先生、宗米先生、有り難うございました。
時間まで高田小町を見学
茶会 初めて通った新しい道 |
浄興寺の境内、シロダモらしい花。
穏やかな黄色に惹かれた。
夕刻から高田世界館で「煙突の見える場所」を見る予定。時間まで車を置いて寺町を歩いた。
山野で減りつつある照葉樹林は社寺林とも言われ寺などでまだ大切にされている。シロダモらしき樹もそうだが、高田寺町界隈では雪国には珍しい常緑広葉樹が見られるようだ。
いくつかの寺院を訪ねてみた。樹木も珍しかったが、ある境内で一面にシロバナホトトギスが咲いていた。自分など一株育てるのに苦労しているのに、こんなに群生するとは。今度はもっと明るい時間に歩いてみたいが、黙って境内に入ってもいいのだろうか。
映画は胸を打った。戦後、砂利道の東京下町、正義や権利という言葉が生々しく息をしていた時代の物語だ。美男美女が貧しさの中の真心を引き立たせ、あっという間に時間が過ぎた。
高峰秀子は劇中二回あくびをして、二回とも釣られた。森雅之にはまったく反応しなかった。高峰秀子は迫真だった(夜叉のごとき田中絹代もまた)。
映画館は滅多に入らない日頃、今日は高田世界館に来て良かった。
夜の直江津港、船舶の灯りは印象的だ。灯りの下でクルーたちはどんな時間を過ごしているのだろう、羨ましくもありいつ見ても楽しい。
新潟県長岡市 二つのイベント
午後休診日の昨日、二つの用件で長岡市へ行った。一つは本日から26日までギャラリー沙蔵で開かれる「アート&アーティストの底力」長岡展に向け拙作品の搬入。もう一つは長岡市立中央図書館で30日まで開催されている「長岡ゆかりの詩人 堀口大學 生誕120年展」を見るためだった。
初めてのギャラリー沙蔵は駅前・大手通りを進んだ市の中心部、分かり易くて助かった。展覧会は県内外から100名近い作家が出展し、小品ながら一人3点までなので膨大だ。事務局の堀川さんたちが懸命に展示作業をされていた。モダンな作品の中で私の「いもけんぴ」は明治時代の油絵のようだった。
作品をお願いして堀口大學展の中央図書館へ向かった。
堀口大學は上越にもゆかりがある。
明治25年(1982年)東京本郷で生まれた氏は、2才から17才まで父・九萬一(くまいち)の故郷長岡市で育っている。外交官・九満一は東京帝大を出て第一回外交官試験に合格する異才で、母・政は大學三才の時に結核で夭折した。
慶應義塾へ入学した大學は吉井勇の短歌に打たれ、与謝野鉄幹、晶子の門下となり、友・佐藤春夫を得る。吉井勇への傾倒は生涯続いた二日酔い、と述べられている。
堀口大學の大きな写真が飾られた 会場 筆記用具を忘れたら 鉛筆を貸していただいた |
会場の二階へ続く階段は タイトルシールが貼られている さすが長岡市 移動図書館は米百俵号 |
●堀口大學生誕120年展は素晴らしかった。父九萬一の明治人としての気骨と教養は並外れている。魂の外交官が生涯を通して行った「疲れを知らない読書」は印象的だった。
大學のこまやかな感受性が、長岡市周辺の豊かな自然と雪国の生活実感から出発していることを知った。またそのみなもとの一つは母への思慕であり、幼少で失った母の面影のことは胸に迫る。病室の窓ぎわに佇む横顔は花火の明かりに照らされたものだった、と。
戦前戦後のおよそ6年間に居住した妙高市と上越市における生活も濱谷浩氏の写真とともに詳しく紹介されていた。貧しい時代の中でも詩集は刊行されており、敗戦によって国と人が洗われていること、深く戦争を憎む心が伝わる。
※和20年1月、戦禍を避けて夫人の実家である現妙高市(旧名香山村)関川へ移住、同21年11月から同25年6月まで現上越市(旧高田市)南城町に居住。
なかほどに、上越市西城町のT氏宅に4人の文学者が集い揮毫した木製の茶入れ(箱筒状のもの)が展示されていた。小田嶽夫は薫風と書き、堀口大學が花を描き龍瓜の文字を、坪田譲治は名園荘別天地、松岡譲は融雪煎香茗と記していた。
話に聞いた茶入れだったが突然現物に出会って胸躍った。ありし日の高田は大変なことになっていた事をあらためて知らされた。
三島由紀夫ほか多くの著名人をファンにもっていた大學。美しい装丁が施された著書の数々が展示されていた。それぞれの表紙にルビー、紫水晶、ヒスイ、猫目石などがはめ込まれた限定本の豪華さに驚かされた。
筆記用具を忘れたため受付で来館者向けの鉛筆を貸して頂いた。ボールペンは作品を汚す危惧があるため、鉛筆にしているということだった。こまやかな配慮だった。
最後に読みやすいパネルの詩のコーナーを出ると、階下のロビーに子どもたちの詩が展示されていた。堀口大學詩賞の受賞作品で小学生の作品がとても良かった。「言葉は浅く 意は深く」、大學が語った言葉を思った。
※樹下美術館は昨年、今年と堀口大學のご長女・すみれ子さんの講演会を致しました。来秋もまた予定しています。
※樹下美術館が収蔵する戦後妙高・上越時代に発行された詩集です
左から山嶺の気:昭和21年11月30日発行 冬心抄:昭和22年1月21日発行
人間の歌:昭和22年5月5日発行 雪国にて:昭和22年7月7日発行 あまい囁き:昭和22年5月10日発行
●堀口大學の会場を後にして再びギャラリー沙蔵に寄ると展示準備が終わったところ。事務局の労を執られている堀川さんはじめ舟見さん前山さん、オーナーさんほかの皆様、遅くまで本当にお疲れ様でした。
大震災支援チャリティと「無謀の無い豊かな国」を願うアーティスト達の思いをお汲みください。
同展は今後新潟市、上越市の開催が予定されています。
長々と書きましたので日をまたいでしまいました。
心ひらかれた秋の午後でした。
取材 樹下美術館のいわれ リンドウ
火曜日、休館の本日午後、長岡市・県央地域のフリーペーパー・ 新潟日報住まい通信「すまっしゅ」さんから取材を受けました。
およそ取材では樹下美術館の名の由来を最初に尋ねられます。しかし、それがいつ決まったのか少々ハッキリしないのです。
開館は07年6月ですが、大橋秀三氏に設計をお願いした2005年初夏にはすでに樹下美術館と書類に書いてあります。
名付けのいきさつは多分こうでしょう。自分は樹木が好きだから樹の字を付けよう、ならば樹下?樹下は人が憩うし仏様も座られて、樹下美人もある、響きもいいし立地に樹木も多い、、、。深い訳も迷いもなく即決だったと思います。
本日来られた三人のクルーから丁寧に取材していただき感謝に堪えません。最近新潟市や長岡市・県央からお客様がぽつぽつお見えになります。
先日も新潟市のご夫婦が結婚37年の記念に寄りましたと、ノートにお書き下さいました。
費用がかさむ広告よりも取材はずっと反応が良いと実感しています。開館4年目の秋の取材、本当に有り難いと思いました。
賞品の財布 「いもけんぴ」の終了
日中は強い風が吹いた日曜日、ゴルフコンペに出た。今年三回目のゴルフは、わずか二組の小さなコンペ。それが年一回、18年間続いている。
ダブルペリアのハンディは制限無しの優しさ。今年の優勝者は44,4のハンディがついて腕時計の賞品だった。小生は55-53で四位、二つ折りの財布をもらった。20年間使った財布を今日で止め、賞品を使うことにした。ほかに大波、ニアピンの賞をもらって上出来だった。実は私が主催するささやかなコンペの話でした。
さて当ノートに何度か出させていただいた「いもけんぴ」。今夜加筆、サインをして終了としました。用意した額に入れて記念写真をとりました。
SMサイズの小品ですが、30数年ぶりの油絵の完成でした。植物画の精密水彩をしていたことや、年を取ったことで昔よりも上手く描けたような気がしました。
9月上旬からはじめて一ヶ月半、憧れの油絵を描くことは苦労もありましたが、総じて楽しく描けて幸せでした。
作品は20日に長岡市のギャラリー沙蔵さんへ搬入、震災復興支援のチャリティにする予定です。売れればお別れです。
午後はもみがら焼きの煙 夕刻は牧田由起さんのコンサート
昨日午後は小雨混じりでやや温暖。往診に出向いて田んぼに出ると凄まじい煙が目に入った。火事と見まごうそれは、もみがら焼きか。
車は煙の中を逃げるように走り抜けている。もみがらは田にすき込み、焼くのは原則禁止。例外の燻炭は一定の配慮を、とされている。
10年以上も前の三ヶ月間、交換留学生のステイを引き受けた。清澄の国ニュージーランドの高校生だった。通学には電車やバスの便が悪く車で送り迎えをした。秋、田に登る煙を見ると、「信じられない」、と彼は涙さえ浮かべて怒った。
まさか常態ではなかろう。COPD、ダイオキシン関連、交通などへの悪影響。農を応援している者にとって昨日のあまりの煙は少々残念だった。行政から指導などがあったかも知れない。
午後7時から牧田由起さんのヴァイオリンコンサートがあった。ヴァイオリンとヴィオラを佐々木友子さん、ピアノは金子陽子さんが共演された。大潟音楽協会の主催でまちづくり大潟が支援していた。
第一部のプログラムは二曲。「二つのヴァイオリンのためのコンチェルト(ヴィヴァルディ)」と「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲(モーツアルト)」だった。
三人の息はぴったりで、弦楽器は歌いに歌い、ピアノは縦横に奏でられた。モーツアルトは饒舌かつロマンティックで、演奏者と聴衆へのもてなしでいっぱいだった。会場は我が家のすぐ近く、楽しいコンサートだった。
倉石隆氏 1975年の雑誌から
前回のボザールよりさらに10年前の雑誌アトリエの1975年9月号。特集“油絵のテーマと制作の実際”で倉石隆氏のモノトーン「若い男」の制作過程が18ページに渡り掲載されていました。氏の考えの一部とともに紹介させて頂きました。
●発想:僕は何となくこういうものを描きたいと思って描くだけです。(途中省略)自然に何となくこういうものを描きたかったと言うときこそ信じるに足りるものと思っています。概念的な作意が感じられる絵は好みません。
1975年9月号アトリエの表紙
「若い男」の描き始めが表紙に。
余白:このたびのように情景を排して人間だけを描こうとすれば周りは当然ただの余白と言うことになります。油絵ではこれが大変むずかしい。
東洋の場合は周りに何も描かなくても余白が不思議と空間に見えます。デッサンも同様ですが、油絵の背景はただ白く塗ってもそれは空とか壁とかつまり物質を持ったものに見えるから困るのです。
綿密なデッサンを通してモチーフが頭に入る。
油彩の段階ではデッサンを見るがモデルはもう見ない
モチーフ:この数年人間ばかり描いています。何となく描きたいから描いているのです。老人・女・子供・性別が判然としないものまで、色々描くけれど若い青年の絵というものが少ない。多分弱い人間のほうが興味をもてるのかもしれません。
「若い男」のモデルについて:現代の青年が持つ一面の性格、気負い、弱さ、傲慢とふてくされ、何かを欲しがっているいる姿勢と怠惰、そうしたものをむき出しにしている面白さがあります。
(今回のモデルは)せがれと言うことで、どうしても親近感が先にたち、それほど客観的に突き放して見ることは出来ませんが、それはそれで何か描けそうな気がして仕事にかかることにしました。
倉石隆は自他の自然さを大切に作意なき制作に徹した人だと、あらためて思いました。描きたいから描く、描くのが好き、、、画家らしい画家ですね。
氏は背が高くハンサムな人でした。私は脳梗塞(1987年7月発症、右半身麻痺と失語症)の後でしかお目に掛かっていませんが、お洒落な方だと思いました。懸命な介護をされる翠夫人も心に残ります。
1996年正月、娘と練馬のご自宅を訪ねた時
倉石隆作「秋」の少女が樹下美術館へやってきました
倉石隆氏には可愛いお嬢さんを描いた絵が何枚かあると、奥様からお聞きしていました。それがこのたびたまたまのご縁でその一枚「秋」と出会い、彼女は樹下美術館へやってきました。
「秋」:黒と強い暖色のたっぷりした洋服に守られた少女の秋。
F15号(652×530㎝)
二枚の木の葉が舞い、背後で謎のような赤がある種緊張と揺らぎを漂わせます。
1984年の絵画雑誌、月刊ボザール:絵とともに届きました。
油絵教室として6ページに渡り「少女像」の制作過程が掲載され、表紙にもなっています。
デッサン:倉石隆らしく様々にデッサンを重ね、緻密に構想が練られていく。
タブロー(油彩)にする:全体の調子を見ながら作者の方向が次第に現れてくる。
服の色彩、質感が変わっていく
「秋」は、「少女像」として誌上で完成とされた絵からさらに変化していました。
女性はより若く、背景は白く髪は黒く、頬と頸は細くデフォルメされ、表情に愁いが含まれていました。また単純化された画面は黒によるシンメトリーが強調され、服装の重厚感とあいまって迫力ある作品へと変化していました。
(ページ左の参考作品「悲しみの像」は樹下美術館に収蔵されています)。
樹下美術館にあったデッサンは、当作品のため一枚だったようです。
倉石隆は人物画の探求を深めました。
「秋」を所有されたAさんは画家であり、かつ倉石隆の熱心なファンでした。その方のお父様も画家で、1950年代当時、たまたま持っておられた芸術雑誌に倉石隆の「めし」が掲載されていたそうです。雑誌を見た息子さんである若きAさんは「めし」に突き動かされるように倉石さんに傾倒していきました。
※「めし」は現在樹下美術館に収蔵されています。
後に自らも画家になられたAさんは、ある日の展覧会で「秋」と出会います。氏は居ても立ってもいられないほど作品に惹かれました。会場には黒皮のコートを羽織った背の高い倉石氏がいました。近づき難い雰囲気があったそうです。
Aさんはついに胸の内を語り、絵が欲しいと告げました。汗した手に爪が食い込むほどの緊張と覚悟だったそうです。
分かりました、支払い方法はお任せします、と答えた倉石氏。喜びと敬愛が現実のものとなった瞬間でした。二人に親交が生まれ、A氏の作品について倉石氏のアドバイスを得たこともあったとお聞きしました。
お二人のことは、作家とファンの最高の関係ではなかったでしょうか。
ところで、1975年の絵画雑誌「アトリエ」にも制作の実際という倉石氏の18ページもの記事があります。近く内容の一部と氏の言葉を書かせて頂ければと思います。
大変長くなってしまいました。「秋」は高度な均衡と緊張、および愛着の魅力を放つ一枚であろうと思います。作品は来年3月からの展示を予定致しております。
夕暮れの尾神岳 おなかぺこぺこ
今日日曜日の夕方、 昨日から来ている東京の若者、子供たちと夕暮れの吉川区の尾神岳へ行った。
つづら道を車で登り、パラグライダー離陸場へ出ると一気に視界が広がる。みなオーッと声を上げた。尾神岳の風景の広大さと海までの遠近感はいつ見ても素晴らしい。まるで浮遊している感じになる。
尾神岳はパラグライダーでも全日本級の場所として有名
写真は昨年11月、シーズンオフ直前の頃
鵜の浜温泉に泊まり、渚であそび直江津の水族館を堪能して子どもたちはおなかぺこぺこ。
尾神岳から帰って夕食のピザとパスタをまことに気持ちよく頬ばった。
お茶のおさらい いつか私も
樹下美術館隣接の茶室で妻の友人がお茶のおさらいをされた。お終いの頃に座って濃茶を頂いた。
滑らかに練られてとても美味しかった。
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第2回東日本大震災&長野県境地震復興支援チャリティ 「アート&アーティストの底力」長岡展 いもけんぴの油彩
7月の柏崎に次いで第2回東日本大震災&長野県境地震復興支援チャリティを目的にしたイベントが迫りまりました。
今回は長岡市で、関東北信越を中心にら96人の作家さんが参加します。小品を持ち寄る多彩な作品展になろうと思います。
皆様の賑やかなご来場をお待ち申し上げます。
「アート&アーティストの底力」長岡展
10月21日(金)~26日(水)
長岡市本町1-4-3 ギャラリー沙蔵で開催。
DM本文:ずらりと並んだ出展者 私の名は杉みき子先生のお隣で光栄
大きくしてご覧下さい
恥ずかしながら小生の参加作品・油彩「いもけんぴ」(F-SM22,7×15,8㎝)。
とても小さいサイズです。期限の20日までもう少し加筆してみます。
二つの震災復興を支援するアーティストたちの真心とチャリティへのご理解をお願い申し上げます。
当イベントの事務局長・堀川紀夫さんのページです。
館長のトイレの絵 ヒロハテンナンショウ(広葉天南星)の実
本日から樹下美術館のお手洗で、正面の鏡の脇に掛ける絵を替えた。赤く少々毒々しいヒロハテンナンショウの実です。作品ノートを見ると2002年10月終了と書いてあった。
2002年秋、母を乗せて紅葉を見に旧安塚町の菱ケ岳へ行った。菱ケ岳の登山口まで行くと大きな丈のブナ林があって、道は平らとなり車椅子を押すのにちょうど良い。
その日、よく晴れて見上げる山の紅葉は素晴らしかった。もう二つ三つカーブを曲がると登山口という所で「おしっこ」と母が言った。きついカーブの左端に車をとめ、車の向こう陰で用を足してもらうことにした。用の間、道をブラブラ歩いてみた。茂みで見つけたのがモチーフとなった赤い実だった。
一片だけ葉を描いたが、実は一枚から数葉に分葉したものの一つだった
(A3サイズ)
持ち帰って描いてみることにして折らせてもらった。用を終えた母に見せるとワーッと言って驚いた。
調べると、ヒロハテンナンショウ(広葉天南星)というマムシグサと同種の植物だと分かった。実の形状に驚かされたが、宇宙の南の星というスケールの大きな名にもびっくりした。
名前の立派さに畏怖のようなものを覚え、俄然描く意欲が沸いた。スケッチも彩色もよく進み比較的短時間で仕上がった。
さて本日トイレに掛けましたが、毒々しさはにはある種消毒めいた作用を感じます。それにしてもあの日、母がおしっこ、と言わなければこの絵は無かったことでしょう。
小雨の日、広間のお茶会へ
雨模様の一日、真宗大谷派高田別院で表千家・知足会の茶会がありました。ご無沙汰を続けながら、一年に二三度は何とかお茶会に出て復習をさせて頂いています。
唐物の竹籠にお庭から七草。初めて見る細葉タムラソウの可憐なこと。
本日は表千家さんの会、裏千家の拙生にはアウェイです。最初に伊澤宗利先生の薄茶席、次いで杉山宗栄先生の濃茶席に座りました。いずれも正客に祭り上げられ面映ゆいばかりでした。
曽呂利(そろり)にイワシャジンとススキ一すじ。背筋を伸ばしておもてなし。
両席とも更けゆく秋を惜しむ風情。お道具、お菓子、お香、何より心こもったお手前のお茶は格別でした。
異なる流派の暖かなもてなしを受け、幸せな一時でした。
この数日、夜間に雁の音が聞こえるようになりました。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- 路傍の花 木村茶道美術館のお茶 サブリーユの夕食。
- 米は美味しい 取り残される人々 国を愛するために。
- 6日振りのブログ更新 高宮展、食べ物、ゴルフ、冬鳥など。
- FM新潟から「ヤンの気ままにドライブ」の取材。
- 午前の激しい雨が上がった日の午後。
- 激しい雨 講演会の案内ハガキ 連日大谷選手がもたらす幸福。
- 11月3日(日曜日)の講演会「良寛さんに学ぶ」のお知らせ。
- お彼岸が近づいて。
- 水盤は「お鳥さまの公衆浴場」 敬老の日の花束。
- 午後から降った雨 天気予報には心身の健康チェックの意味がある?
- 新潟市から小島正芳先生が来館されました。
- 暑かった日、水浴びするスズメ。
- 多くの雀が水盤に。
- 煙突女学校で労働組合の委員長に推された騒動 市長の学歴差別。
- 高宮さんご夫婦の水彩画展が始まって。
- 明日から「透明水彩 高宮あけみ展」。
- 急に冷えた日 痛みの少ない高齢者の帯状疱疹。
- 高宮さんご夫婦の水彩画作品 昨日の夕焼 朝夕に幾分の涼しさ。
- 9月5日から「透明水彩 高宮あけみ展」 弱まる台風10号。
- 本日の空と頂き物の食卓。
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