2020年4月
シジュウカラが庭の灯りに営巣 カワラヒワとスズメ 蕗を採った妻。
温暖だった木曜日、運動不足の解消にと午後、美術館の庭に出た。するとシジュウカラがしきりに警戒音を発している。近くに巣があるのではと思った。
ツーピー、ジュジュジュジュッ、ジュジュジュジュッと激しく鳴く。
付近に巣がありそうな場所が二カ所あった。その一つが庭灯だ。以前のブログを見ると2016年4月24日に、庭の西側の灯りに空いた穴で営巣したシジュウカラの記事がある。
今居る場所は家のアプローチで、脇に同じ形の灯りがある。今年はこれを使うのかと想像し、離れて腰を下ろしてカメラを向けた。
するとやってきた。
以前の営巣はヘビやネズミがいるかもしれない雑木林の地上近く。当時何故ここにと非常に不思議だった。この度は道路から家に出入りするアプローチのすぐ横で、公道も近い。
人の気配がある分、こちらの方が卵やヒナを襲う動物を避けられそうだ。過日テレビで、思わぬ所に巣を作るシジュウカラのことを放映していた。郵便受けや伏せた植木鉢での子育てに驚いた。
本日餌が運ばれても巣からヒナの鳴き声は聞こえなかった。生まれたばかりか、あるいは抱卵している親鳥に餌を運ぶようなこともあるのか、巣は静かだった。これからはそーっと通り、いずれチーチーと聞こえるであろうヒナの声を楽しみに、沢山の巣立ちを期待したい。
シジュウカラを待っている間、カワラヒワが近くの枝にやって来た。
今冬は雪が無く暖かったため、早くからモグラが庭で大騒ぎしている。お陰で沢山植えたチューリップの球根が9割がた食べられ、哀れにも枯れてしまった。茎を引っ張ると球根が無く、スポッと抜けるのである。こんなことは初めてであり、とても驚いている。芝生にも入っているらしく、軟らかそうな場所を踏みつけ、全体に撒水した。
いつも学童の自然観察日記風な記事ばかりで、美術館館長らしくないブログだなあ、と思っています。どうかお許し下さい。
昭和の日の休日 先へ進む花 懸命に酸素を運ぶトラック。
連休初日となる本日休日は昭和の日、ということだった。
昭和時代の期間は実質62年と14日になるという。私が生まれたのはその四分の一ほどの前期に相当する期間だから、遠い時代の出生者ということになる。
自分が中学校に入学した時、今の私の年令に相当する人は明治9年生まれだ。何とグラハム・ベルが電話を発明した年らしい。
だから今年中学へ入った孫の一人にして見れば、私などは(私にすれば)、もはやはるか歴史上の世代に属していることになろう。
あらためて昭和、なかんずく自分は古いと感ずる。
だが現在、ノスタルジーなど許さぬとばかり強力なウイルスに囲まれてしまった。昨年の今ごろ、いや今年の正月に、だれが今日を予想しただろう。
困惑の日々にあって、以下は本日午後の樹下美術館の庭です。
八重咲きイチリンソウ、黄花ホウチャクソウ、白ヤマブキ、エビネ。
私たちの混乱を傍目に、「お先に」とばかり咲き誇っていました。
風で落ちたか、たぶんジュウカラの巣。
新しい巣をちゃんと造ったのだろうか。
忙しい鳥がこんなに手の混んだ物を作るとは。
ベンチに座ると高速道路をトラックが忙しく往来していました。
行き交うトラックは呼吸困難の国を救おうと、懸命に酸素を運んでいるように見えました。
山海の幸。
去る25日土曜日は頸城区茶臼山を散策した。
その折、路傍のワラビを採った。来やすい場所なので、既にほかの人が入った跡の残り物を喜んで採ってきた。
私たちが採ったもの。如何にも素人の仕事。
弟の豚肉に助けられ、少々固いものもあったが、良く噛めば問題無かった。
これは昔、芝居を一緒にやった方からのアジ。
味は少なくとも関脇以上のクラスはあろう。
近隣では良く釣れているらしい。
静かな野や海を歩いたり、身近な山菜や魚を食べられるのは地方ならではの幸運である。また新鮮な大気の中でそれを採る幸せは、食べる以上かもしれない。
これからも恩恵にあずかれるよう、せいいっぱい気遣いを続けたいと思う。
皆さま有り難うございました、とても美味しく頂きました。
感覚的な寺院・松代の長命寺 何故?を考え、自分たちにも克つ。
昨日土曜日の外出の続きで、頸城区の公園や自然センターの後、十日町は松代に向かった。
これまで松代、松之山は何度も行っているが、この度だけは、いささか遠く感じた。浦川原が思ったよりも奥があり、大島区が広いためであろう。だが遠ければその分旅情がつのるので、問題なしだった。
〝橋を渡ってお参りする〟訪ねたのは松代の長命寺。
確かに、確かに、橋を渡る。正面に山門。
渡るとすぐ、実に甘い香りがした。満開のユキヤナギがあり、それでは?と妻の話。鼻を近づけるとしっかり匂っている。
仁王像がある立派な山門をくぐると、本堂には青地の卍が二つ掲げられている。青い地色には何か由緒があるのだろうか、清々しい。境内に雰囲気の異なる作りの庭が所々設えられ変化に眼を奪われる。
白衣観音の板碑。
日清・日露戦争および太平洋戦争の戦没者追悼と刻まれていた。
仏舎利、あるいは供養塔と言われる十三重塔(じゅうさんじゅうのとう)。
ほかに千手観音像やすっきりした宝篋印塔(ほうきょういんとう)あるいは立派な無縫塔などの石仏・石塔があり、仏性あらたかな雰囲気に浸れる。
コロナの犠牲者の慰霊と無事な収束を祈って鐘を叩かせてもらった。
当寺は曹洞宗らしく山を背負い、豊富な清水が境内を巡っている。
ひと周りした後、出口へと歩むと清水を用いた手水があり、あらためて手を浄めて退出した。
観音様の手前に花。ああ、これはコショウノキに違いない。
そばへ行って匂いをかぐとほのかに甘い香りを放っている。
石仏や庭・建物を観て、水音や鐘の音を聴き、
行き帰りに花の香りを嗅ぐ。とても感覚的な寺院だと思った。
樹下美術館も長命寺のように色々と心がけなければならない。
秋、大銀杏の黄葉を楽しみに再訪したい。
およそ四時間近くの外出。お天気に恵まれ無事に帰宅した。
美しい自然と寺院を巡った。春は人間だけをのけ者にして、ほか全てに光を注いでいた。
何もいま無理して希望や誇りを求める気はしない。事態はそんな軽いものではないのではないか。
新型コロナウイルスにうちひしがれながら、ひたすら何故?を繰り返し、突き詰めた方が光が刺すような気がする。
〝自粛ばかりでは駄目なのだ〟
よく分からないが、〝ウイルスに克つ〟と同時に、なにがしか〝これまでの自分たちにも克つ〟のでなければ本当の収束にはならない、と考えている。
頸城区の茶臼山城跡公園と日本自然学習実践センター
週末土曜日は晴れたらどこか戸外へ行く、1週間前から決めていたその日が晴れた。ざっと二カ所、上越市は頸城区の茶臼山城跡公園と十日町市は松代の長命寺を行く先候補にしていた。
午前は仕事、午後一時半すぎから予定通り出かけた。
先ず茶臼山城跡公園。
当公園と池は去る4月9日に来た道に隣接(あるいは含まれている?)する場所であり、当日遠くから一枚写真を撮っていた。
小さな溜め池を想像していたが、どうして、眺めの良い丘陵に抱えられ、旧跡茶臼山城を頂く風光明媚な場所だった。
茶臼山の林道にワラビが生えていた。
かってここで大きなワラビを沢山採った。
林道を降りて進むとほくほく線「大池憩いの森」駅へ出る。
「大池憩いの森」駅から直近の場所。
素通りしていた所だが、本日あまりに美しい新緑のハンノキを目にして車を降りた。
「上越市日本自然学習実践センター」といういかめしい名前がついている。
大規模なビオトープということだが、20年ほど経過し、極めて瑞々しく自然な景観になっている。
センターは奥が深く魅力的だった。是非再訪して全周してみたい。
ここでピクニック仕度のご家族とすれちがった。
三密で家に居るのも大事だが、新鮮な外気に当たり、
日光を浴び、さらに健康アップをはかるのは有益だ。
新潟県は至る所、静かで健康的な場所に恵まれている。
さて以上は本日の公園と自然の探訪でした。
いずれも非常に良く手入れされていました。田舎には荒れた自然もあることはある。しかし、手入れされている自然は手入れされている都会よりも洗練され、かつ健康的で安全ではないでしょうか。管理に関わっている皆様に心からお礼を申し上げます。
このあと松代(十日町)の長命寺へと向かいましたので、次回掲載させて下さい。
ご拝読あり難うございました。
岡江久美子さんが亡くなられた 「Till(その時まで)」。
岡江久美子さんが新型コロナウイルスに感染されていて急変、亡くなられたということを知った。
重症化から重篤化へ。その間の恐怖と苦しさはいかばかりだったか、それを想像し、心からお悼みするばかりだ。
普段感染や死亡の数が発表される場合、主に疾病理解のための情報として接している。しかし、それが「知人の知人の事」になり、さらに「知人のこと」となれば、事は非常にリアルなものになろう。
この点、志村けんさん、およびこのたびの岡江久美子さんは、個人的に知らずともテレビで見慣れた人ゆえ、病の恐ろしさがまざまざと伝わる。
設定された緊急事態宣言の期限を控えて、緩みがちな私たち。突然の彼女の知らせは大きなインパクトがあった。
〝心から岡江さんのご冥福をお祈りいたします〟
さて一定の安心の日は、まだ1年より先とも聞く。その時、皆でなにがしかの警戒をしつつ、かっての毎日を懐かしむように話をするのだろうか。おそらく行きつ戻りつしながら、自由の日は徐々に実現されるのだろうが、どんな日が待っているのだろう。
そんな本日、「Till」(その時まで)のタイトルの曲をYouTubeから引いて並べてみました。
1950年代から世界中で聴かれた曲で「愛の誓い」という邦題がありました。
(以前は世界中で聴かれる曲が次々と生まれた)
ゆっくりしたテンポと伸びやかなメロディーは、萎縮しがちな心に響きます。
若い時はつまんないと思っていたロジャー・ウイリアムス。
年のせいでしょう安心して聴けるようになった。
ジェリー・ヴェイル。申し分無く良い声ですね。
世界を駆け巡った歌姫、カテリーナ・ヴァレンテ。
心から岡江久美子さんのご冥福をお祈り致します。
ある種論争としてテレビやネットを賑わしている著名人などは、これまで亡くなった人達の死を悼んで、一日くらい静かにできないものだろうか。
小学二年生による「森のトマト畑」の感想文
1982~83年頃、こどもたちのために書いてみた「ばいきんきち」をその1およびその2、続いて「森のトマト畑」その1,その2を二回にわたり掲載させて頂きました。
当時小学2年生の娘がそれを学校へ持参しました際、担任の先生が生徒さんたちに読み聞かせをされ、後日森のトマト畑について、クラス全員による感想文が届けられました。劇にして楽しんだ写真も添えられ、大変恐縮しました。
綴られた31名の感想文。
いずれも文には絵が描かれていて、生徒さんの感受性に刺激を受けたのを思い出します。
おおよそ40年前の皆様にあらためて感謝し、中から幾つかを紹介させて頂きました。
「この本を読んでいただいたら、わたしもそのトマト畑にいきたくなりました。森のどうぶつたちは、なかよしなんだなあ、と思いました。からすはがんばりやだと思いました」
「とってもおもしろいお話でした。ぼくは、からすがほんとうに太陽をもってくるかと思いました。ぼくはピーマンと、トマトがきらいだけど、きゅうしょくででたらぜったいたべます」
「太ようと、みんなトマトをまちがえていて、カラスが「それは太ようではないんだよ」といってもかなしくなかったから、よかったなあと思いました。
「先生が、この本を読んでくれた時わたしは、とってもすてきな本だなあと思いました。りすたちは、トマトを太ようとまちがえてずっと太陽を見ていました。わたしもまちがえたらずっと見ているところでした。この本を書いてくれた人、ありがとうございます」
文では、カラスが正直に話し、みんなに責められなかったこと、ウンチの種が芽をだすこと、人間がクマと話をすること、太陽とトマトが同じか?ということなどへの興味が沢山書かれていました。
以下文に付けられていた絵の一部です。
文・絵とも一生懸命に書かれています。全部をお載せできなくて残念です。
寒冷前線の通過 野菜と食卓。
気象解説によれば周期的に低気圧が通過しているという。確かに雨、曇り、晴れ、雨交じりの荒天、雨、曇り、などがそれぞれ半日~一日半の単位で繰り反されている感じがする。
本日日中は曇りだったが夕刻に一時強く風が吹いた。仕事を終えて四ツ屋浜に出向くと、荒天特有の雲が見られ、気温が下がるとひどく風が吹いた。
雲が割れて、あたかも空が二分されているようだが、実は大きな帯状の雲が並んでいるのではないか、と考えられた。
最初の雲が近づくと寒くなり、突風が吹いた。
車は一昨年替えたプレミオ。
夕食の煮物。
弟の豚肉と小さなジャガイモ、それにコンニャク。
先日あるお宅から頂いた山菜。ご実家の山のものということ。美しく、あたかも作品のようだ。煮たり、天ざるになったり、和えたり、美味しく頂きました。
コロナの春とはいえ、皆さんの畑はジャガイモから無事スタートしている。すでに芽がのびはじめたという。
森のトマト畑 その2 日曜日の外気。
太陽のかけらを取ってくると言って飛び立ったカラスは挑戦に失敗。かわりに美味しいトマトを持って帰って謝ろう、と決心するくだりまで、前回トマト畑その1に掲載致しました。本日は続きです。
5 まちにまった太陽
ぐっすりねむった次の朝、カラスはトマトをくわえると森をめざしてとび立ちました。山こえ川をこえてとびます。ようやく動物たちの森が見えてきました。
「もうすぐだ」森でさいしょにカラスをみつけたのは小リスでした。とおくのカラスは、何か赤いものをくわえています。丸くピカピカ光っているではありませんか。
「太陽だ、カラス君が太陽をとってきたぞ!」
小リスはみんなに知らせました。動物たちはお山のてっぺんにかけつけます。
「やった、やったー!」6つぶれた太陽
カラスはどんどん近づきます。トマトはまっ赤に光り、たしかに太陽のようでした。パタパタパタ。
カラスは、ついにみんなの上までやってきました。
「えらいぞカラス君!」、
「カラス君、やったね!」
みんなは、くちぐちにカラスをほめました。「カアーッ!」、うれしくなったカラスは、思わず大きな声で鳴きました。
ポロリ、そのとき、口からトマトがおっこちたではありませんか。
ヒューッ!
「太陽が落ちてくるぞ、にげろ!」みんなはこかげにかくれました。ベチャ!
へんな音がしてトマトはつぶれて地めんにとびちりました。
何がおきたのでしょう、びっくりした動物たちはとおくから見つめます。
「ゴメン、ゴメン」
カラスは空であやまっています。いちばん早くうごいたのは小リスでした。そろりそろりとトマトに近づきます。
「クンクン、ちょっとまてよ、いいにおいがするぞ」
小リスがいうと、なかまたちがあつまりました。
ジュクジュク、ピカピカ、プーン、
太陽はとてもおいしそうです。
ごくり、ごくり、みんなののどがなっていました。
たまらず小りすがひとつまみ、ピチャピチャ食べはじめました。
「なんておいしいんだ!」もう大変、いっせいにピチャピチャ、クチャクチャはじまりました。
あっというまにトマトをペロリ。
「太陽っておいしいね」
みんなの口は真っ赤っか。動物たちは、おたがいのかおを見て笑いました。
空でカラスがこまっていました。
それは太陽ではありません、トマトです、と言えなかったのです。7 おいしかった太陽
それからというもの、動物たちは太陽のあじがわすれられません。夕方になるとお山のてっぺんに集まって、まっ赤な太陽をながめました。そして、
「もう一度おいしい太陽を食べたいね」と言いました。
夕陽(ゆうひ)はトマトそっくりでした。森に秋が来て、しずかに雪がふりはじめ、みんなはあなぐらでねむりました。なんケ月かたって目をさますと大好きな春になりました。
8 森のトマト畑
ところで、森にはカミナリが落ちて山かじになった場所がありました。
じつは、トマトを食べたあと、そこでマーグじいさんがウンチをしていたのです。ウンチの中には、いくつかトマトのたねがまじっていました。
その中の一つから、なんとまあ、芽(め)が出ていました。だれも気がつかなかったのですが、芽はすくすくと育ちました。
そして夏、赤くみごとな実が六つ、七つ、ついたではありませんか。「太陽だ、こんなにたくさんある」、みつけたのはマーグじいさんでした。
とつぜん、カラスがおりてきました。
「それは太陽ではありません、トマトという野菜(やさい)です。マーグさん話を聞いてください」と、言いました。じいさんは、しんけんにカラスの話を聞きました。
カラスは、太陽を取れなかったことをあやまりました。それから村の畑でトマトをもいできたこと、野菜は山火事(やまかじ)のばしょでよく育つこと、食べてウンチをすれば来年もまた芽が出ることなど、知っていることをぜんぶ言いました。じいさんはみんなを呼びに行きました。
あつまった動物たちのよろこんだこと。
ゆめにまでみた太陽が、目の前にたくさんあるではありませんか。
食べようとするみんなに、じいさんが言いました。
「ちょっとまって」
それからカラスに聞いた話をみんなにしました。「トマトというものだったのか」
カラスのしっぱいも、太陽とちがうということも、だれももんくをいいまんせん。
「わかったね、みんな。さあトマトを食べよう」
もうがまんができません。手に手にトマトをとると、むちゅうになって食べました。みんなには、もう太陽でもトマトでもどちらでもよかったのです。
ああ、動物たちはなんとしあわせだったことでしょう。
見ていたカラスは安心して村へかえりました。それからカラスから聞いたように、みんなは毎年トマトを食べては、あき地でウンチをしました。そして何年かすると、しだいにりっぱなトマト畑ができてきたのです。
もちろん動物たちはとても丈夫になりました。
どうでしたか、私がマーグじいさんから聞いたのは、こんな話でした。
山おくのどこかに、このようなトマト畑があるかもしれませんね。
色々と突っ込みどころ満載の話だった事でしょう。陳謝をしながら感謝も致してます。
さて本日日曜日は暖かく、気持ち良い空に恵まれた。普段不健康と指摘される家ごもりが勧められているウイルス社会。安全なら健康維持のため出来れば戸外にも出たい。
その点、海、公園など田舎はあまり人に会わない良い場所がある。
本日昼近く、互いにマスクをして過日歩いた頸城区は大池いこいの森の湖畔を妻と歩いた。
一時間少々の間にランニングの若者が一人私たちを追い越し、一組の夫婦とすれ違い、外人さんのカップルが車から降りるのを見ただけだった。
昼食は湖畔の階段に座り、おにぎりとサンドイッチを分け、お茶を飲んだ。
南向きの庭。
庭の手入れをしたり、鳥を撮ったり二時間を過ごした。
ご夫婦が一組こられ庭を歩いて帰られた。
漠然とした恐怖に包まれながらお互いの疎外を温め合う、奇異な毎日。こんなことになってまったく言葉もない。
医療も激しい前線と、かえって暇をみている所に分かれている。私のところは後者だが、一人一人に非常に気を遣い、綱渡り感覚がつきまとう。当地は嵐の前の静けさを思わせ不気味でもある。
家では外気を入れ、清潔を保ち、運動と睡眠を心し、過剰な飲食による消耗を謹み、いざの場面に備えなければならない。
みんなが困っている、そのことをイメージしあう。
戦争よりまだいい、と仰ったおばあさんがいた。
森のトマト畑 その1。
新型コロナウイルス感染対応に準じ、なんとか休館中の樹下美術館。
お詫びのひとつとして、誠に恥ずかしいのですが1982~83年ころの自作「ばいきんきち」を掲載させて頂きました。
同じ頃もうひとつ「森のトマト畑」を書きましたので、本日懲りずにその前半を載せてみました。当時文は原稿用紙にボールペンで書き、絵は半紙に水彩を施しました。
長年経ち、一定の語句を添削しています。また表紙を替え、新たに後半の挿絵を用い、タイトルはパソコンで上書きしました。当時多くの漢字にルビをふり、一応小学校低学年の娘向けに書いていました。
1 はじめに
今日は、むかし私がお山を歩いていたときに見つけたトマト畑のことをお話しましょう。
あつい夏の日でした。わたしはとおい所にあるお山をあせをかきかき歩いていました。うすぐらいお山の森に小さな空き地がありました。
おどろいたことに、そこにまっ赤にじゅくしたトマトがたくさんなっていたのです。あついひざし、かわいたのど。そのとき、がまんしきれず一つもいで食べたトマトのおいしかったこと。でもなぜ、こんな山のおくにりっぱなトマト畑などがあるのでしょう。私はわけが知りたくて森のおくへはいっていきました。
森にはいろいろな動物が住んでいました。動物たちはリスもクマもテンも、タヌキも野ネズミも、キツネもみなつやつやと毛なみが良く、とてもじょうぶそうでした。元気なのは、おいしいトマトを食べているせいにちがいない、と思いました。
私は動物たちに、どうしてこんなところにりっぱなトマト畑があるのか、わけを聞いてみました。
すると年よりクマのマーグじいさんが、「こちらへいらっしゃい」といって、じいさんお気に入りの木のあなぐらへつれて行きました。
「じつはあのトマト畑にはわけがあってのう、ひとつ聞いてみるかい」といって話してくれたのがこのお話です。2 うすぐらい森
動物たちの森はむかしからひあたりが悪く、とてもくらかったのでした。そのためみんなはよく病気になりました。それで動物たちはもっとひあたりが良ければなあ、といつもねがっていました。ある日、村からいちわのカラスが森にまよいこんできました。カラスはみんなから明るい森のねがいをきくと、
「それなら私が空をとんで、太陽のひとかけらをとってきて森を明るくしてあげましょう」といいました。
みんな大喜び。くちぐちに「カラス君、おねがいします」とたのみました。3 がんばりカラス
雲ひとつないたいそう良いお天気の朝、
「では行ってきます」
動物たちにみおくられ、カラスは大空めがけいきおいよく飛び立ちました。
パタパタパタ、パタパタパタ、、、。カラスはいっしょうけんめいはばたきました。
でもとんでもとんでも、太陽は高い空の上。がんばりつづけたカラスでしたが、夕がたまでにようやく低い雲の下までしか行けきませんでした。太陽はどんどんしずんでいきますし、羽もすっかりつかれてしまいました。とうとうカラスはあきらめて、地上にまいもどりました。
それからあくる日もあくる日も、カラスはとびたちましたが、うまくいきません。
そのころ森では、動物たちがなかなかかえってこないカラスのことをしんぱいしていました。
「太陽はあついからなあ、カラス君、おおやけどをしてしまったのでは」
マーグじいさんはしんぱいそうです。
「空をとべるカラス君だ、きっと太陽をとってきてくれるよ」
小リスはカラスをしんじているようでした。
「もしかしたらカラス君、太陽をもちにげしたのでは」、キツネはうたがっているみたいでした。
それでも夕方になると、みんなでお山のてっぺんにすわって、カラスの帰りをまちました。4 こまったカラス
ところでカラスはどうしていたのでしょう。
なんどくりかえしてもうまく行かないカラスは、しょんぼり村はずれの道をあるいていました。
「このままでは森にかえれない。こまったなあ、カアー」と空を見上げてなきました。しばらく歩いていると、広いトマト畑が見えました。まっ赤にじゅくした大きなトマトがたくさんなっています。おなかペコペコのカラスは一つをもぐと、モグモグ、むちゅうになって食べました。
「あーあ、おいしかった」カラスはようやくひといきつくことができました。
そしてもう一つ食べようとトマトをくわえたとき、
「コラー、いたずらカラスめー!」
大きな声がしておひゃくしょうのとくべえさんが走ってきました。
カラスはトマトをくわえるとスタコラ、スタコラはしってにげました。ようやく草むらへとにげて、ひとやすみ。
くわえてきたトマトを食べようとしたとき、
まてよ、太陽がとれないなら、かわりにこのおいしいトマトをおみやげにもってかえろう。そしてみんなにわけを話して、あやまろうと思いました。
その夜カラスは、トマトをわきにおくと、ぐっすりねむりました。
申し分けありません、後半へ続きます。
これが当時の表紙。
いつでもコピーできるように、原本は閉じずにクリップで止めていました。
文の原稿用紙。
こどもたちなどに上げる時はこれをコピーし、
挿絵のコピーをはさみ表紙のコピーを乗せてホッチキスで止めました。
10部ほど作りました。当時白黒のコピーが普及しはじめていましたが、私が知る限りカラーコピーは新潟市の印刷屋さんが扱っていてそこへ持参しました。一枚800円だったと記憶しています。その後カラーコピーは急速に普及しました。
蜘蛛ケ池天ケ池 苦しい人間社会と鮮やかな自然 全国へ緊急事態宣言。
上越市大潟区には大小六つの湖沼があり、南西よりに二つ蜘蛛ケ池と天ケ池(あまがいけ)が並んでいる。二つは県道と畑を挟んでわずか150メートルほどで隣り合っている。
在宅訪問などで頻繁に通るが、この通りでいつも清々しさを覚える。二つの池はよく雰囲気が似ていて仲の良い兄弟のようだ。
社会が新型コロナウイルスに苦しんでいる間に野は次々と花を咲かせ新緑の着替えをしている。今回ばかりは自分たちが惨めな分、自然はいっそう鮮やかで高尚に見える。
さて緊急事態宣言が全国へと拡大して出された。
残念ながら国の施策には気骨が感じられず、いつもながらピンと来るものがない。
これまで丹念に個々の感染経路を追って頑張ってきた新潟県。当初インタビューを受けるニュースの知事は戸惑いを隠せなかった。
自分としては当然必要なことは精一杯遵守して行きたい。
だがこの先、どこか実感の乏しい要請や宣言を聴き続ける事。それが一番苦痛かもしれない。
上越市柿崎区上下浜の桜 頸城区「大池いこいの森公園」 アオゲラ ここにいるのはあそこにいた子供 昔の人は強かった。
昨日は三密と私、裏千家茶道の淡交を長々と書いた。なんとかそれも終わり、本日ようやく一昨日日曜日の番がまわってきた。
数日前に柿崎区上下浜の方から、高速道路沿いの桜が見事ですよ、ぜひ見て、と言われていた。
一昨日午後、近くなので行ってみた。
実は毎年観ているのだが、今年山桜はドンピシャで見事だった。
桜を後に美術館の庭に寄り、上越市頸城区の大池憩いの森公園へ。
美術館から直線距離でおよそ6キロ、過日の頸城野の道の少し先にある。
当日はビジターセンターに駐車し、橋を渡った後右へ進む道を歩いた。
人気のない水辺の森で、花や鳥にレンズを向ける清々しい一時間半だった。
イワカガミとショウジョウバカマはスミレとともに春の野の主役。
色に濃淡の違いがあり見飽きない。
このような道を繰り返し上下し左右する。
次にどんな眺めが待っているのかときめく。
本日は初めてのルートを歩いた。
ある場所にこのような花が小さな群落を作っていた。
うまく調べられなかったが、ジンチョウゲの仲間ではと見受けられた。
よく見るが花は初めて。名は何だろう、詳しい人に尋ねてみたい。
鼻を近づけるとかすかに甘い匂いがした。
可愛いチゴユリ(左)はみなうなだれて咲く。
そろって肩を落とし、がっかりしている様はおかしいくらい。
イワカガミ「元気だしなさいよ」
チゴユリ「それがダメなんです」
大潟区の湖沼群と違い大池は深く青く満々としている。
谷あいのコブシは花数が少ない。
品の良いお嬢さんに見えなくもない。
この日はじめて大正山というてっぺんの展望場所へ登った。
遠く対岸に取水塔が見える。
〝小学三年生だったか、あそこの辺へ遠足に来たなあ〟
〝8才かあ、、、その時の私と今の自分をどう繋げれば良いのだろう〟
だれより知っているはずの自分にその答が浮かばない。
答のないまま、頭をモヤモヤさせて道を折り返した。
ほどなく頭上でピヨッ!ピヨッ!と声が響く。比較的大き鳥の影が二つ、木の枝高く見えた。
右の影に向けてシャッターを切るとモニターにこんなものが写っている。
ぎょっとするような姿は鳥?ケダモノ?トトロの親戚?
左にいたもう一羽がこれで、かなり大きな鳥だった。
帰って調べるとキツツキの仲間でアオゲラということだった。
最初の写真は、たまたま胸を膨らませた
タイミングだったために奇妙に写ったらしい。
前日のアカゲラに続いて今日は謎の鳥に遭った。
いずれも初めて見る鳥であり足取りが軽くなる。
いつしか8才の自分へのモヤモヤも取れていた。
ここにいる自分はあそこに遠足に来ていたあの子だ。
何があったか知らないが、あの子は今ここにいる。
それだけでいいんだ。
さて本日久し振りにある方の自宅を訪ねた。
大正13年生まれと記録紙に書かれている。
昭和24年に亡き妹を家で取り上げた助産婦さんだ。
その時彼女はわずか25才だったと気づきとても驚いた。
昔の人はみな強かった。
三密 淡交 自分を消す。
長年どちらかというと賑やかな所は苦手で静かな場所と時間が良かった。
30代のころ、近しい人が、春の連休の軽井沢について〝まだ賑やかではないのでイヤだ〟と話した。
アララ、春の軽井沢は静かで新緑、それなりに良いのに、と思ったが、人の好みは如何ともしがたいので、〝そうですか〟とだけ言った。同じ一万円でもお札1枚より一円玉1万個を喜ぶようなものかな、と思った。
そんなわけで外出となると近郊の静かな里また里山、柿崎海岸あるいは自然公園などで十分楽しめている。ましてお隣の妙高、柏崎や糸魚川の市へ出かけたならば旅情十分で、自然も風物も外国へ来たように心奪われる。
慣れた所も季節ごとに花鳥風月は異なり、毎日毎分雲と日射しは変わる。ましてカメラを持参するようになってから、なにかしら初めての草花や鳥に出合えるようになった。さすが連日は飽きるが日を変えれば基本同じ場所で一向に差し支えない。
もしかしたら自分は忘れっぽいので何を見ても面白いのかな、と思うことがある。ほかに迷惑をかける事でもないので、まあいいか、と深く考えないでいる。
そもそもこの年になると〝ある程度健康であれば生きているだけで満足〟という道理も働くのだろう。
「三密」
世が世なら、これは空海が説いた「身」「口」「意」、三つの本意(加持)だった。それで字面をみれば宗教的あるいは哲学的な雰囲気を漂わす魅力的な文言に見える。だが今日、新興感染症対応の基本として登場したのは密閉、密集、密接を三密として避けようと、いうもので偶々同じ文字になっただけのことである。
さてよく見れば現三密を避けるのは、親友もいない、酒も飲めないことなどから、およそ自分の性に合っていると捉えている。ただし密閉から開放され静かな戸外へ出ることだけは許して貰いたい。
普段仕事上密接する機会は多く、今日皆様とは相当距離を意識するようになった。逆に皆様の方から私との距離を置こうとされる態度に接することがあり、三密の行き渡りに感心している。ただ三密の励行は行政の力などではなく、ウイルス自身の強大さがさせるものであり、そのことだけは肝に銘じなければならない。
はたしてこれが何時まで続くのか、以前触れたように当面新しい文化として親しむことになりそうだ。
「淡交」
昭和62年初夏に入門した裏千家茶道の同門組織に「淡交会」があり、不肖永久会員の末席を汚している。人との距離、あるいは密接度に関して良い言葉がある。
〝淡交会」とは、十四代家元淡々斎宗匠の斎号に因み命名されたもので、荘子の「君子之交淡若水」 (君子の交わりは、淡きこと水の若し)に典拠するものです。
淡々としてあたかも水が流れるようになにごとにも執着せず、 どんなときにも感情に流されない平常心の交わりを意味し、茶禅一味の精神を根本とします。」、とホームページにある。
人はじめ万物との交わりについて述べられているのだろう。原典には続きがあり「小人の交わりは甘きこと醴(あまざけ)のごとし」と述べられるので、淡きことの価値がいっそう分かりやすくなる。
ところで世間には、ある種の話題になると反射的に激しい感情を込めて人や他国を非難する人がいる。見ていると喧嘩そのものとして写る。
自分を愛する余りであろう、心中休むことなく喧嘩が行われているのではと想像される。ご自分の正義とはいえそのような言説を耳にすると、立派な人なのにと、悲しい気持ちなる。
この点禅味が原点の淡き交わりは理にかなっている。
一昨年4月、お家元がお正客の八畳間の席でお点前をさせて頂く機会に恵まれた。
所作を分けたり繋げたり、人にも観ててもらったり、イメージトレーニングを入れつつ徹底して稽古をした。
最後の方になって、良いお点前とは〝自分が消えてしまうこと〟ではないかと気がついた。すべてそのための稽古だったのかと振り返った。
心配をよそに本番では、水のごとく淡く振る舞えたやに思われた。その時不思議な有り難さで夢心地さえ去来し、あとで家元から暖かなねぎらいを受けた。
但しもう一度それを行えるかと問われれば、今後の稽古(修業?)次第としか言えないのが情け無い。
さて、以上何からこのようなことを書き連ねたのかよく分からなくなりました。昨日日曜日は頸城区にある「大池いこいの森公園」へ出かけた事、それを三密の一つとして言い訳をしたかったからのようです。大変長くなりました。
当日の花鳥などの写真は次に掲載させてください。
無念の休館中 直江津の五智公園を歩いた。
3月15日予定の開館日から間もなく一ヶ月が過ぎようとしている。広がる新興感染症をみるにつけ、残念だったが休みにして良かったと思っている。
詳細を把握している訳ではないが、首都をはじめ国内の美術館、博物館の少なからず数は休館になっている。
延期後の再開を4月中とした所はまず無理ではないだろうか。8月31日までを設定している所があり、この方が無難なのかと思案する。
公立や大企業と異なり、樹下美術館は三ちゃん経営も及ばぬ弱小で基盤は弱い。開館していたなら、ニュースに一喜一憂し、心安まる暇はなかったにちがいないと振り返っている。
それにしても齋藤三郎、倉石隆とも今年の展示は面白く仕上がっていたはずと自負していた。無雪のおかげで庭はいつもより念入りに仕上がり、カフェはシェリーとマイセンセンを買い足し、妻は新たなメニューを考案して備えた。さらに新機軸の月1回の呈茶の準備は張り合いだった。
現在、暖かな日などは皆様のお顔を思い浮かべながら無念を噛みしめている。
昨11日(土)および本日日曜の週末は五智公園と頸城区の大池憩いの森公園を歩いた。上越市の現状なら健康のため外気と適度な運動は意義あろうと考えている次第。
以下昨日午後の五智公園散策から写真を掲載いたしました。
展望台へ向かう道での写真です。
オヤマボクチの枯れ花。
秋は女王様のように咲いているが、春の姿は過剰なほど悲劇的。
野山は下草、低木から緑が始まる。
大きな木立はまず彼らに日光を与えてから新緑を展開するつもり?
広大な公園は路傍の手入れが行き届き、陽を浴びた草花が情緒良く咲いている。
美術館へ帰ると餌台にスズメが沢山きている。
今冬は極めて温暖だった。
それで鳥たちは例年より数を減らさずに済んだのではないだろうか。
大池憩いの森の分は明日掲載させてください。
夕刻のほくほく線。
すっかり日が長くなった。
大潟区蜘蛛が池の先、頸城区の農道からほくほく線の高架が良く見える。くびき駅発上り下り18:16の列車があり、本日仕事を終えて出向くとちょうど間に合った。
かってここで特急「はくたか」を随分撮った。重厚な金属音とともに、のどかな田園の夕暮れを切り裂くように通過した列車は常に新鮮で魅了された。
はくたか去った後、何度か金澤でサンダーバードになった同型の列車に乗った。
しかしここを走っていた時の方がずっと格好良かった。
現在は普通列車だけになったが、ゆっくり走るので撮りやすく、夕焼け雲などが良ければ旅情めいたものが浮ぶので悪くない。
腕のせいもあるが、本日はいまいちだった。
この先時間と夕焼けの具合が合う良い日を楽しみにしたい。
頸城野の道。
薄曇りの午後休診日、
車を駆って頸城区は茶臼山公園の東を通過する林道を走ったり歩いたりした。新型コロナウイルスに巻き込まれているうちに、野は芽吹き新緑の装いを始めていた。
美術館からほど近いこの道は、さして高くもないが山道の風情があり、舗装もされている。花を、よしんば鳥にも出遭いたいと思って出掛けた。
小さな谷あいのユキツバキ。
五枚の花びらに楽しい変化があり、茶席でも喜ばれる。
遠慮しないでばっと開くのも良い。
初めて見たきれいな色の小さなスミレ。
名が分からなかったが、初対面なので訊くわけにもいかない。
み道はおよそこのような感じ。
途中で来客の知らせがあり、引き返した。
客人はとても趣味の良い人で樹下美術館の常連さん。コロナの四方山に茶道具や棟方志功、あるいは作品の真贋のことなどを話して清々しく過ごした。
いつもより互いに離れて座るのは、それとはなしにコロナを意識しているせいであろう。
客人を見送って、新堀川の桜を見た。
(フラッシュを焚いています)
林道の帰りがけ期待したエナガの小さな群が枝から枝へ飛んだ。素早さに追いつけずうまく撮れなかった。
訪ね来る人影もなし樹下の庭 花や小鳥、そして歌 全てはPCR次第。
本日水曜日の暖かな日は午後から施設の回診。帰路、樹下美術館へ寄った。妻が手入れをしていた庭を見てまわった。
精一杯咲いてみせてたソメイヨシノ。
屋根に雀のつがい。矢印に毎年使用される巣がある。
今年はこのつがいが確保したらしい。
ルルリリ、ルルリリと松田聖子の歌のように鳴くカワラヒワ。
ただし顔はこわもて。
訪ね来る人影もなし樹下の庭 相手になりたや花や小鳥の
トゥルリラ、トゥルリラの松田聖子さん。
maj7thコードの詩情が多用される聖子さんの歌。この曲でも効いていました。
本日国内で、あらたに新型コロナウイルスの感染確認が503人となり、はじめて500人を超えたという。最も多かった4月4日の365人から一気に飛躍している。偶然ではないとすると一挙拡大の懸念がある。
一方、この急拡大は、突然PCR検査を拡げた結果の可能性が考えられ、ようやく実態に近づいたのかもしれない。新型コロナウイルス対策で何かと出遅れが指摘されたが、PCRの遅れがすべの始まりである。感染症対策のイロハの「イ」に目をつむり、後ろを向いて「医療崩壊を招く」とまで雑言を浴びせられた基本検査PCR。診断の手がかりを失った暗闇ではまともな疫学も診療も成立しない。事態は医療を離れ、陳腐なカオスと化した。
初めにクルーズ船でなけなしのキットを使い果たしに近い状態にしたのも痛かった。
首相は直近の会見でPCR拡充のテコ入れを表明した(今度こそ本気と期待したい)。まだ遅くは無い。精度の高い事実に基づくなら、如何なる悪材料が出ても有意である。合理的な分析・検討に沿うなら対応が可能である。またその発表にも自信が持て、結果としてパニックの総体は逓減し、真摯な国民は要請に応えるだろう。
緊急事態宣言の真の勝負はPCRから始まる。金と手間は掛かるが総力を挙げて取り組み、遅れを取り戻してもらいたい。
キットが余れば窮している国々を支援すればいい。
得意の経済面はそれこそ存分に実力を発揮してもらいたい。
当地初の感染が確認された。
間もなく緊急事態宣言に向かう東京。
そんな本日、上越市で東京から帰省された男性が、当地一例目の感染となったことが公にされた。公共交通を避け、自宅外へ泊まるなど配慮されてた模様であり、気の毒である。
話題は一気に地域に広まり、あたりにこれまでと違った緊張が漂うようになった。
本日、ほかに県内阿賀野市でも帰省中の女性に感染が確認されたほか、四月に入り帰省者の感染が見られている。偶然かもしれないが、みな東京からで、そちらが如何に凄い状況になっているか、一端を垣間見る思いがして恐ろしい。
東京の宣言および当市での感染確認は、いずれも今年の美術館開館可否の目安だった。こうしてみるとやはり延期をして良かった、とほっとする。
当地は既に新潟市などのクラスターをみているので、見聞が役立つことを念願している。
緊急事態宣言は出るけれど PCRへの思い。
ついにと申しますか、政府は明日主要な感染都道府県に対して緊急事態宣言を発する予定と表明しました。
4月3日のノートに〝間もなく発表〟と記しました通りで、本日の成り行きには特別な感想はありませんでした。
ただ今後往来が多い東京都の人達がこちらへ移動やある種避難的にやってくることが考えられます。本日の外来で、東京に住んでいる娘さんに帰ってくるな、と電話しましたというお父さんがいました。何とも可哀想で複雑な気持ちになりました。
すでに新型コロナウイルスは、規模、強さ、波動、影響、生成と収束などで複雑系分野の様相、一種カオス的になりました。
だが手探りの中で、克服に向け世界が有している唯一の科学と医学の根拠が「PCR検査」です。
〝一定の乖離がある〟〝テクニックエラーが混じる〟と述べて過小評価しようとする人がいましたが、悲しいことでした。〝検査拡大は医療崩壊に結び付く〟とまで述べた人もいました。
全く反対です、混乱した医療状況で、粘り強く道すじを作れるのが医師の判断と検査およびデータの積み上げです。検査で陰性、しかし状態に疑いがあれば機を見て再検査へと進めばいいのです。前出の諸発言の真意が分からず残念でした。
一定の乖離や一定のエラー。それを伴うのも科学であり、その事を認めた上で間断なく克服行為を続けたのも科学。それらによって今日の信頼と価値に結び付いたのではないでしょうか。
思えば日本はSARS、MERSともにコロナ未経験(とされている?)でしたので、この度はかって経験した国々に比べ、恐らく知見、検査とも出遅れを否めなかった事でしょう。
自前の検査開発を託された感染研は突然の事態を前に、必死だったと想像されます。政府は〝感染拡大に結びつく〟とか〝ゆるやかに感染コントロールを〟などと述べて、出遅れを修飾するのにまた懸命に見えました。
あまつさえ洗練されたロシュ社のキット増援は、感染が世界に拡大したため日本への補充が十分に効いていないことが想像されました。
緊急事態宣言による私たちの行動規範は大切ですが、国民はおしなべて真面目です。
どちらかと言えば、宣言を出す国側こそ、この機にPCRの検査拡充に邁進することを願ってやみません。
合理的な診断、治療、予防の拠り所として、科学(検査)を大切にする基本姿勢の徹底を望みたいのです。
そのために国器(造語:国の器)を大きくし、周辺諸国とさらなる疎通構築も願っています。
外見や立ち位置を気にするのはおしゃれなことですが、今は少しこらえてほしいと思うのです。
当分、樹下美術館は休館いたします。
昨日、東京都における1日の新型コロナウイルス感染者が100人を越えたと報道されました。
延期させて頂いていた樹下美術館の4 月6日開館の可否判断の一つに「東京都の緊急事態宣言」を挙げていました。
きわめて個人的な見解ですが、東京はじめ国の事情は緊急事態に準ずるものであろうと考えるに至り、
まことに残念ですが、来る6日の開館を当面延期することに致しました。
ささやかながら美術施設を営む者が、自ら門戸を閉ざすことには誠に忍びがたいものがあります。
一方決定について逡巡し、遅らせましたことを大変申し分けなく存じます。
お客さまおよびスタッフ、さらに地域の皆様の健康を最も優先すべきものとしての対応でした。
これまでお世話になった皆様のお顔を思い浮かべながら、いっそう充実した再開に備えたいと考えています。
望むらくはいずれ開館のとき、ともに元気にお会い出来ますこと、ただ一点です。
どうか宜しくお願い致します。
〝ご一緒に頑張りましょう〟
ほぼ展示準備を終えた 近隣の自然 特攻準備? 間もなく発表?
昨日は午後休診の木曜日で、齋藤三郎の陶芸作品を展示準備した。
「陶齋の梅と椿」がきれいに並び、室内は一見春でいっぱいになった。
手前味噌とはいえ、絵画ホールの22冊の本といい、館内にはある種迫力が漂っている。
一通り終えると、貴重な晴れ間、近隣の林へ鳥を探しに行った。
細い波状雲が空を埋めている。
爽やかな眺めだが前線の前触れと言われている。
雑木林の流れ。
小さな流れながら気に入っている。自然に見えるが手入れされていた。
天ケ池。
今冬の小雪にもかかわらず水は満々とある。
上越市大潟区は大小多くの湖沼がある。
天ケ池と蜘蛛ケ池は道と畑を挟んで隣り合っている。
天ケ池湖畔の砂利道を歩いていると初めて見る鳥に出合った。
上掲2枚は初めて見た鳥。調べるとミヤマホオジロだった。
頭部を中心に黄色と黒の色分けはとてもおしゃれだ。
飛び立った野鳥は追わずに待っていると戻ってくることがある。雀より素早く飛んだので待っているとやって来た。砂利道で餌を探すのをなんとか撮らせてもらった。
長生きは良いこと、という考えをコロナウイルスが曇らせる。
初めての鳥をレンズで追いながら、ああやはり良いことだと思い直した。
結局コロナを試練と考えることにしようと思った。
それにしても東京はじめ大都市の状況には何とも言えない危さを感じる。
このところ休みであっても1日に何度も手を洗い、何度も洗顔し、何度も歯磨きをする。
上越市で公式な感染者の発表はまだないが、私の外来でさえ緊張させられる方が混じる。
すでに何人かの方には翌日電話をして状態を確認した。
いわんや現在当地の病院にかかる見えざるストレスは並々ならぬものがあろう。
この先、実際に始まった場合、持ちこたえられるだろうか。
かって戦争で若い人が特攻に行った。
このたびのコロナでは、特攻として老医が前線に向かう場面を想定した方が良いかも知れない。
ぐずぐすのニューヨーク、たった2枚のマスクの日本、踏ん切りつかない東京、、、。
例によって精神論まで語られはじめた。
そもそも世界にはいわれるほどの体力は無かったのではという疑念がよぎる。
緊急事態宣言はすでに実施の具体的詳細を機密下に検討している最中と想像している。中央の検討のあと対象知事とのすりあわせが待っている。まもなく発表ではないだろうか。
これが試練で済むことを祈りたい。
日本に悪化はあるが、体型の要因などからアメリカのようにひどくはならないような気がする。
一つだけ危惧があるならば働き過ぎによる疲労であろう。
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