文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ・テレビ

遅くなりましたが上越市長の三田発言から「三田青磁」。

2025年9月21日(日曜日)

いささか旧聞に属しますが今年7月、上越市長はふる里納税に関連してかって住んでいた兵庫県三田市について”お酒は美味しい。でも米はまずい”といった主旨の発言をされました。全国ネットで取り上げられるなど大変な騒ぎになりましたが、その後三田市へ謝罪に訪れるなどしてようやく収まりました。
当時この件で三田と聞いてすぐ思い出したのが「青磁」、それも「三田青磁」でした。

三田青磁は中国の龍泉青磁、韓国の高麗青磁にならび世界三大青磁と言われるほど有名でした。この事は陶芸の書物には必ずと言っても良いほど載っています。しかるに上越市長の迷言から始まった三田と上越の騒動がお米だったので当初不思議な感じを受けました。

そもそも三田青磁は江戸時代、三田に釉薬の元になる青磁石が発見されたのをきっかけに栄えましたが、昭和の始めに途絶えています。
しかし後年再興の取り組みが行われ拡大しつつあるのはとても喜ばしいことです。

さて以下ちなみに樹下美術館で収蔵する青磁の一部からです。

高麗青磁の雲鶴(うんかく)茶入

この茶入れは二度ほど茶席で使ったことがあります。淡い褐色とうす曇りの空を思わせる青味が混じり合い、味わい深くとても気に入っています。来年6月に予定しているお茶席に濃茶を加え、是非この茶入れを用いようと考えています。

当館には龍泉青磁がありませんので、齋藤三郎の青磁面取り花瓶を掲載しました。

齋藤三郎作「青磁面取り花瓶」

青磁は釉薬に含まれる鉄分の濃度、焼成温度と還元の度合いにより黄味~褐色、そしてヒスイ色まで様々な発色をします。

その昔、陶芸に造詣深い方に、一体どんな色が最も青磁らしい青磁ですか、と尋ねた事がありました。すると“貴方の所にある齋藤三郎さんの青磁です”、と明言されたではありませんか。
上掲した花瓶がそれで、面取りの峰(角)と他の部分の緑のグラデーションの妙、そして色自体がとても深く静かです。一度聴いた言葉のせいもあり、以来青磁を見る時にはこの花瓶を基準として観るようになりました。

鉄分を多く含ませるためギリギリの厚さまで釉薬を掛けるため底の部分に分厚く釉薬(緑のガラス質)が溜まっているのも魅力一つではないかと思います。

当記事は上越市長の三田米に関する発言当時に書こうと思っていましたが、今や落ち着きましたので本日三田関連として記載した次第です。

2025年、樹下美術館秋の催し三題

2025年9月17日(水曜日)

2025年、秋の催し三題

10月の樹下茶会
長く暑かった季節を越え10月には爽やかな秋の風情が期待されます。樹下美術館では10月に以下の様に2回の薄茶茶会を催します。秋のひとときお暇をみてお気軽にお寄り下さい。
期日
10月5日(日曜日)  10時および11時30分の二席
10月11日(土曜日) 13時30分および15時の二席
会場:樹下美術館自宅茶室
客様数:一席7名様以内
参加費:お一人さま1500円
いずれも館長がお点前をさせて頂きます。

ケーキフェア(モンブランイベント)
樹下美術館のカフェが長くお世話になっている菓子工房「caramel・キャラメル」さん。美術館のホールでお菓子作りを実演し、食べて頂く会は二回目です。この度は三和区の栗農園で採れた栗の美味しいモンブランです。今年の栗ケーキはどんな味でしょう。
期日:10月22日水曜日
会場:樹下美術館
時間:10時30分から、 13時30分から、 15時から の3回
予定参加者数:1回15名様
参加費:モンブラン1個&プチケーキ1個と工程見学付き、お一人さま2500円(お茶代は別になります)
生産地の栗高騰のため参加費が2000円→2500円に急遽変更されました。
大変申し分けありません、どうか宜しくお願い申し上げます。

良寛さん講演会
越後が生んだ聖僧・良寛。長年良寛の足跡を追い探求される全国良寛会会長・小島正芳先生を講師としてお迎えし5回目の講演会です。複雑な現代こそ良寛さんのお話は心に響くことでしょう。お暇をみて振るってご参加下さい。
演題「佐渡島金山と良寛の母の愛」
期日:10月25日(土曜日) 14時開始
会場:樹下美術館陶芸ホール
予定参加数:50名様
参加費:大人お一人さま1000円

お申し込みはいずれも樹下美術館へ電話025-530-4155(良い午後)でどうぞ。

今年初めての赤倉CC 仕事上の最年長になっている。

2025年8月24日(日曜日)

再び雨が遠のいて暑い日が続くようになった。本日はあるご夫婦から声が掛かりゴルフをした。上手なお二人には手も足も出なかったが平地より数度は気温が低い久し振りの赤倉を満喫した。

コース傍らの白樺。

ここの景観がお勧めというアングル。

過日近所の理髪店に行ったところ、店主から「玄(ふかし)ちゃんが上越医師会で最年長の開業医だって聞いたよ」と仰った。思ってもみなかったことにびっくりである。
※ふかしちゃん:幼少から床屋さんではそう呼ばれています。

この話はよく来店られる医師から聞いたということ。私より一つ上だという髙田のA医師が少々前に閉院されたためそうなったらしい。病院勤務医はみな私より若いし、施設勤務医の中には私より年上の方がお一人はおられる。だがA先生がお止めになったならたしかに開業では私が一番年長かもしれない?にわかに信じられなかった。

本日赤倉を一緒した同業ご夫婦もそのことを知っておられ、知らぬは本人ばかりなりのような話だった。

能力や疾病など色々な年の取り方があるが、こんなこともあるのかと不意打ちをくらったような気持だった。
しかし確かならそれも良しとしよう。年などどうでも良い、健康を維持し、皆さまが来て下さる限り“やろうじゃないか”と妙に元気が出て来た。なによりも来院してくださる皆さまに深い感謝の念が湧くのを覚えた。

そう言えば最近励ましを仰る方が増えているような気がしていた。私よりも先に知っておられるたのかも知れない。

一見世界的アスリートには見えない山下選手 昨夜半の雨。

2025年8月5日(火曜日)

昨日ゴルフの山下選手の全英女子オープンにおける優勝を記した。彼女は世界メージャー大会の優勝について「これまで長かった」と語っている。わずか24才の人がその道程を「長かった」と述べたのにはとても驚いた。

驚きの一つは、その若さで「長い」と感じるほど厳しい試練を越えていること。二つめは私自身を振り返って「長かった」と言えるほどの達成感などは皆無であり、その人生の雲泥の差に驚かされた。

一つの目標をを得て全力で取り組み、若くして成功を手にすることは誰にでも出来る事ではない。まず素質と信じがたいほどの鍛錬と反省の繰り返し、そして家族一丸のサポート、最後に謙遜を交えて付け加えられた「運」もあったことだろう。

一見育ちの良い普通のお嬢さん。
とても世界的アスリートには見えない。
少し痩せたようなのも良かったのか。
【Photo by Morgan Harlow/R&A/R&A via Getty Images】

さて昨夜遅くブログを書いているとポツポツ、ザーッと雨音がした。しかし間もなく止んでしまい、どうもそれっきりだったらしい。だが明日、特に明後日はそれなりの降雨が期待できそうだ。最高気温が低めに出ているのも待ち遠しい。

本日も仕事終わりに芝生などに撒水した。暑かったので冷たい地下水はホースから思いっきり飲みたいところだが、飲み水としてはダメだという。浅い地下水はバクテリアなどの混入の問題もあり気を付けたい。

今夕の四ツ屋浜。
昨日辺りから雲の厚みが増してきた。

山下美夢有選手の優勝 雨音がしてきた!

2025年8月4日(月曜日)

第49回全英女子オープンで山下美夢有選手が通算11アンダーで優勝した。2019年の渋野日向子以来、日本勢2人目の全英女王となった。
渋野選手の優勝はまさに突然でありシンデレラと称されたが、この度の山下選手は若さに似合わない十分な実績の上にもたらされている。

山下選手は身長150㎝ととても小柄でドライバークラブ等は大変長く見える。しかし良くそれをコントロールし、常に無駄の無いシンプルなスイングを再現できるのには驚かされる。安定したメンタルとともに真摯なトレーニングが想像され、良い家族、良いチームの賜物であろう。

優勝を決め
大きなキャディーさんと可愛いハグ。

家族、キャディさんと記念写真。

優勝賞金は2億16660万円ということ。渋野選手の時代の二倍以上に膨らんでいる。上位5位に日本人が3人入ったのも立派だった。

夕刻四ツ屋浜へ夕焼けを見に行った。空は普通だったが、路傍のハマゴウは優しかった。

夏の夕凪を彩るハマゴウ。触ることも嗅ぐことも出来、
何十億円も掛ける花火大会よりずっと安上がり。

静かで心熱い競技、ゴルフ。この先何時まで出来るものか、自分も続けたい。

記載途中の4日夜半、雨音が始まり次第に強くなってきました。ようやく一息つけますね、すぐに止まないでください!

本日第21回卯の花音楽祭 被爆ピアノ。

2025年7月21日(月曜日)

本日海の日の祝日、午後上越市頸城区の希望館で第21回卯の花音楽祭が午後1時30分より行われた。日本の近代教育音楽の基礎を築いた「夏は来ぬ」の作曲者で上越市の偉人小山作之助。その人を讃えて始まった音楽祭は毎年今ごろ開催される。
作之助の顕彰をきっかけにして地域の音楽活動を維持し発表、そして聴くことは幸福であり貴重なことだと思う。

会場の希望館。

プログラム。

休憩を入れて約2時間半、以前に比べ出演団体が整理され、疲れず聴けるようになった。吉川区、頸城区、大潟区、地域合同の卯の花合唱団の各コーラス、大潟小学校および中学校、そしてゲストが参加した。
ゲストはソプラノ平原和泉さん、ピアニスト岩舟杏子さん、そして異彩なことにピアノは広島で被爆した楽器「被爆ピアノ」だった。

それぞれ熱演され、個性や方向のバリエーションが明瞭で楽しかった。大潟中学校吹奏楽部は「ラ・レーヌ・ヴィクトリア」を演奏した。

演奏前のチューニング時間です。

ヴィクトリア女王の輝かしい生涯を描いた曲ということ。静謐から始まり、隆盛した文化、商工業の発展など様々な偉業が織り込まれ、高らかに歌って終わった。途中インド風の旋律が聞こえたのは東インド会社の大貿易が表現されていたのかもしれない。訓練されたアンサンブル、劇的な打楽器が素晴らしかった。
優れた指導者に恵まれ部員が維持(あるいは増えているかも?)活躍されているのは頼もしかった。

ゲストの部で、広島で被爆したピアノを往時に近い状態で管理保存し、各地でコンサートをされている調律師・矢川光則さんがピアノとともに紹介された。

このピアノを上越市で活躍されている岩船杏子さんが伴奏し広島市出身で大潟区在住の平原和泉(ソプラノ)さんが「夏は来ぬ」、シューベルトの「アヴェマリア」、「一本の鉛筆」、「いのちの歌」を歌われた。

被爆した100才近くのピアノはある種チェンバロのような優しい音になっていた。それでも「アヴェマリア」の低音は美しくも重厚に響き、祈りの歌はピアノのかっての持ち主や被爆した広島市民、そして私達の心を慰めるようだった。

新潟市からお出での上越教育大学名誉教授の後藤丹先生と今年もお隣同士の席。本日演奏の上越市民の歌「このふるさとを」、「靑田川のうた」は先生の作曲。卯の花合唱団の「夏は来ぬ」は先生の名編曲。会場で紹介され先生はお立ちになり、元気に会釈され嬉しかった。

ゑしんの里茶会が終わった。

2025年7月14日(月曜日)

昨日懸案の(不安の)席持ち、ゑしんの里茶会が終了しました。一席25人を7席行う茶会。大寄せの席持ちから長く遠ざかっていましたが、今更ながら茶会(お茶)は私にとっては厳しい修行の場だったと反省仕切りです。

昨日の搬入と会場下見、予行演習を終え本番の本日は早朝起床。着物に着替え慌ただしく出発。会場ではお水屋の仕度、花の整え、釜の火加減などが一斉に始まっていました。

催事ホールの楽屋のような場所が水屋。そんな環境でも場数を踏まれた宗香先生お社中が仕度を終え、始まりに向けて着々と準備が進みました。

第一席が始まり皆さまの反応に手応えを感じました。しかるにお点前をしながらお客様の対応は難しく、後のお点前を宗香社中の方々にお助け頂き、亭主として点前座脇に座り専らお話をさせて頂きました。

現代もののお道具が色々と混じる席。一番喜んでいたのはお道具ではなかったでしょうか。

本日は懐かしいギンヤンマが沢山飛び交いキセキレイが窓際までやってきました。良い環境の会場です。

雲間から妙高山。
用いた淡々齋の茶杓の銘が「千峰」でした。

待合に掛けた『梁塵秘抄」の冒頭。昭和の終わり頃新潟市で求めた高橋玄洋さんの掛け軸。当時梁塵秘抄はちょっとしたブームだったような気がします。「仏はつねにいませども云々」も「遊びをせんとや生まれけむ云々」ともによく目にしていました。

直江津のお茶人A先生に懐かしい、良い軸でした、と褒めて頂きました。

本席の「独聴松風」は坐忘斎お家元の筆。
香合は懐かしい当県・新井野正直さんの
「かわせみ香合」。

このたび茶会の肝は水屋であることをあらためて実感させられました。9人が組んで、25人前後のお客様のために夏菓子を三つずつ6~7個の器に盛り次々に運び出す。大勢のお客さまのために一斉に茶碗を洗い湯を通し、茶を盛る、湯を注ぐ、茶筅を振って点てる、点てた茶を運ぶ。本日、これが7回繰り返されました。

ほかにお客様の移動を観察したり、私以外だれ一人ぼーっとしている人は居ません。進行に精出しながら次の仕事も仕度する。万事心得たベテランさえここに貼り付いたままです。さらにお点前が回ってくると若手が飛び出して行く。一体何という動きでしょう、久し振りの大寄せの水屋は話に聞く寺修行を目の当たりにするようでした。

お社中の心こもったお点前も大変参考になりました。どれだけ活かせるか不明ですが兎に角勉強になったのです。

宗香先生、お社中の皆さま、本当に有り難うございました。
また茶会の亭主冥利とは自らの数々の反省にほかならないようです。

最後に別席の長野からお運びの田中祐翠先生のお席に座りました。ゑしんの里に相応しい野点趣向でした。
先生のご健康な姿、お詠みになった短歌、仏具をあしらった重厚ななお道具に感心し、きびきびと進められる複雑なお点前やお運びをされたお弟子さんの様子も心に残りました。

このところもたつく私の周辺で絶えず動き回った妻にあらためて感謝を禁じ得ません。
最後に暑い日なかお越しのお客様がた、本当に有り難うございました。

これからが夏本番、日をまたいでしまいました。

言い訳出来ないお茶の点前 懐かしい風 となりのトトロ。 

2025年7月9日(水曜日)

本日休館日の水曜日。午後いっとき美術館で来たる日曜日の薄茶点前の稽古をした。この度は御園棚(みそのだな)を使ってする立礼。あらためて茶室に座る点前と違うように感じる。

30年も経つだろうか、渡辺宗好先生の許に通っていた時に行われた催事ではなん無く出来たのに、今日あちこちでつまづく。仕方が無い、遠ざかりや年のせいもあろう。

だがいかなる訳があっても人前での点前は心だけでは通用しない。有り難い試練と考えて残りの日を稽古に励みたいと思う。


「風の通り道」(となりのトトロから)
 STUDIO GHIBLI INC.
Compose: Joe Hisaishi Arranger: Maho Fukami

7月の庭のひと隅。

本日午後気温は32度前後あったが北風が吹いていた。そのためムッとする暑さではなくどこか子ども時代の夏に似ていると感じられ懐かしかった。

本日の蝶とカエルと雲そしてピアノ。

2025年6月29日(日曜日)

昨日は頑張って「お乳盲腸」を書きましたので、本日は簡単に夕刻の庭の蝶とアオガエルそして四ツ屋浜の雲の写真だけにしました。

長くじっとしていキアゲハ。
その後猛烈に羽ばたくと勢いよく舞い上がりました。

 

オカトラノオの上のアオガエル。

 

四ツ屋浜の夕雲。飛行機雲が二筋。
穏やかな音楽のようでした。

梅雨の中休みなのか過ごしやすかった土曜日。過日のテレビ放映の影響でしょうか、若い方たちや新潟方面からのお客様が見えられました。そろそろかなと思っていた同級生U君夫妻も顔を見せてくれました。


「人生のメリーゴーランド」

皆さま、有り難うございました。本日は6月らしい良い空でした。

小津安二郎監督映画「麦秋」を観て。

2025年6月12日(木曜日)

さる6月9日、小津安二郎監督、1949年(昭和24年発)の作品「晩秋」の感想を記しました。太平洋戦争が終わって5年目の映画でしたが、このたびの「麦秋」の舞台は7年目の同じ鎌倉です。
ほぼ東京圏の文化都市、鎌倉の映画に観る生活水準の高さにはさらに驚かされ、かつまだ敗戦の影が垣間見られていました。

以下皆さん御存知の方も多いと思いますがあらすじを記しました。

主人公紀子は28才の独身OLで、二人のこどもがいる兄康一夫婦と父母の三世代7人で暮らしている。周囲と家族は紀子の未婚を心配している。

「晩春」と同じ北鎌倉駅看板。

康一は東京の大学病院へ通う勤務医、紀子は都内商社で専務の秘書をしている。ある日専務から条件の良い見合い話を持ちかけられる。

都内で友人達とお茶をする紀子。未婚、結婚組に別れてどちらが良いかで話は尽きない。壁の絵が当時よくあったモダニズム。お茶を飲むのに皿も手に取りみな上流。

日本古来の古風な生活感と進む復興。映画は海外で観られることも強く意識していると感じられた。

康一たち家族は見合いに対してはっきりしない紀子にいらだつ。ある日電車模型が欲しい二人のこどもは、康一が買って帰ったものが全く違っていたので父をなじる。康一が折檻すると二人は家を飛び出した。

家を出たこどもが歩く海岸道路。人っ子一人見えず向こうに江ノ島が見える。戦争で供出された鉄柵が無いままの石柱が痛々しい。

そんな折、康一の部下である医師・矢部に秋田の病院への移動が決まる。もとから家同士が親しかった矢部には先立たれた妻との間に幼いこどもがいた。矢部は戦争に行ったまま消息不明になっている紀子の兄と同級生だった。

矢部の秋田行きに餞別を持参した折、矢部の母は秋田行きを嘆き、紀子に“貴方のような人がお嫁さんなら良いのに”と漏らす。この言葉に紀子は突然“私で良かったら”と言う。

紀子の返事を喜ぶ矢部の母。

友人に矢部との話を打ち明ける。
向こうに淡島千景、こちらは原節子。

矢部との急な縁談に波立つ一家。
軽率だと言って兄が激しく叱る。

兄嫁が紀子の気持ちを確かめるべく二人で浜辺を歩く。

紀子の決心は固く、矢部は子持ちで40才だが一人でフラフラしている男性よりも信頼出来る、秋田の生活にも耐えると言う。

紀子の気持が家族に伝わり一先ず皆は受け入れる。これを機に父夫婦は郷里の奈良県大和に引っ込み、兄は開業、紀子は秋田へ移り家族の形ががらりと変わることになる。

紀子は受け入れた家族への感謝とバラバラになる一家を想い嗚咽をもらす。

大和へ帰った両親は“みな離ればなれになったが私達は良い方だ、欲を言ったら切りが無い”とつぶやく。

麦秋の大和路を花嫁行列が行く。
夫婦は“どんな処へ嫁ぐのだろうね”と言う。

さて映画はNHK「尋ね人の時間」が放送されていた時代でした。人物たちはその話をします。実際出兵後、行く経が分からない紀子の兄が物語に影を落としていることが伺われます。
当時私は小学4年生でしたが、どこへ行っても夕方になるとこの放送が聞えてきました。戦争で行く経不明になった人を探す定時番組でしたが、明瞭な音声が印象的でした。

「晩春」では自らの結婚で取り残される最愛の父を気遣い、「麦秋」は一つ屋根の下に住んだ家族の分散に責任を感じる。いずれもも当時の濃密な家族関係をひたすら写し出していました。

昭和21年3月、父母と私達こども四人は満州から佐世保に引き揚げました。ところが当時新潟の実家は祖母のほか疎開と出産で12人もの叔父伯母従兄弟が住んだり出入りしていました。そこへ私達が加わると18人!です。
佐世保上陸後、佐賀の母の家に一旦身を寄せた私達でしたが、父は実家のてんやわんやを嫌って中々帰ろうとしなかったと聞きました。当然ですが同じ時代でも家ごとに事情は様々ですね。

2018年5月、熊本で老健施設を伴う開業をしている先輩へ地震見舞いに米を送ったことが縁で九州旅行をしました。以下の写真はその帰路、車中から見た佐賀県は母の実家近くの麦秋です。

生前母が言っていた通りで、
五月の実りは不思議な眺めでした。

この映画で最も滲みた言葉は、大和へ帰った父が呟く“欲を言ったらきりが無い”です。年取ることは多くを諦めたり、要点を絞ることになりますので余計心に響きました。

劇中、当時ならではの相づちや早口に過ぎた昔を感じました。

「晩春」の感想がとても長くなりましたので、このたびは短くなるよう努力しました。しかしまだ長くて申し分けありませんでした。
両映画のカットはいずれもYouTubeのカラー版「晩春」と「麦秋」のスクリーンショットでした。アップ主さま、本当にお世話になり有り難うございました。

2025年9月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930  

▲ このページのTOPへ