2021年3月
美術館の一本桜 本のインタビュー。
待っていたその春が早くも4月を迎える。全く容赦ないスピードである。
今年は時間だけではなく草花の進行も早い。わけてもソメイヨシノの開花スピードはどう考えたら良いのだろう。蕾がほころび、満開までの風情を楽しみにしていた所、一夜明けたらもう満開?という異様な早さでパッと咲いた。
一月突然の豪雪ですっかり厳冬気分に浸っていたところ、実は暖冬だったと伝えられ途端に桜が咲く。
あまりのことにからかわれている感じがする。
樹下美術館に一本だけあるソメイヨシノ。
一本しかないが、一本だから良いかもしれない。
急いで散らないでと願っている。
裏手のベンチは桜のそば。
15年前の開館時に植えた時は僅か2メートルほどの苗木でした。
玄関に向かって左手の植え込みの中にテーブル席を予定しています。
本日コンクリート工事が終了し、4,5日後に椅子テーブルを置くつもりです。
足元に若いツツジを三株植えました。
これからの季節、ここでもお茶などお楽しみいただけます。
本日新潟日報の記者さんとカメラマンさんが来られ、インタビューを受けました。同紙第2,第4日曜の朝刊コラム「にいがた人の本棚」の取材でした。
恥ずかしながら愛読書に「銀の匙」を挙げ、自分なりの読書のことを述べました。過去のそうそうたる本読みの方たちに混じり、惨めなことにならなければよいのですが、心配です。わたしのは4月11日とお聞きしました。
倉石隆の~風という影響。
昨日ゴルフができたのもつかの間、本日は書類、調べ物、必要読書などで、美術館に行くことも出来ず寸暇を惜しまなければなりませんでした。
そんな日の来館者さんで、美大出の常連さんA氏が見え、次のような感想を仰ったということです。
倉石隆作品はいずれも興味深かい。
「見つめる」にエゴン・シーレの、「人生」はジャン・ドュビュッフェの影響が見られて面白いということでした。当館所蔵で「みつめる」ほか「熱情」などの作品に一種荒々しいタッチと線、そしてホワイトの風合いがともにシーレ風だと思っていましたところ、あらためて仰って頂きとても喜んでいます。
さらに、なにより「人生」は不思議な絵だと思っていましたが、アンフォルメルの画家ジャン・ドュビュッフェの影響を聴き、調べましたところ、非常に良く似た幾つかの作品に出合いびっくりしました。
エゴンシーレ「自画像」
Wikipediaのエゴン・シーレから。
ジャン・ドュビュッフェの画像検索をされると、《ご婦人のからだ「(ぼさぼさの髪)」など、「人生」が影響を受けたと思われる作品に出合います。どうか試みてみてください。
さて倉石婦人から、主人はいろいろな人から影響を受けました、と聞きました。独創性を求めながら時代と先人を研究することは芸術家の必要な過程に思われます。
一番の師はレンブラントだったという倉石氏は、エゴンシーレのほかクリムトにも影響されたと聞きました。
ただ当館収蔵品にクリムトの影響らしいものが見当たらずにいました所、過日偶々「異国の人」に関係した個展のDMを見つけた折、印刷された「お気に入りの帽子」の輝くような色にクリムトを覚えた次第です。
フォルムやバックはともかく、色彩は如何でしょう、クリムト風でしょうか。
最後は○○風の余談です。
私が持っているセーターで、色具合なとが「みつめる」で倉石氏が着ている服にとても似ているものがあります。
冒頭の「みつめる」の着衣に似たセーター。
20年以上も経っていますが、ある方のイタリア旅行のお土産です。
肘が薄くなり、手芸の方から皮をあてがってもらいました。
今年の倉石隆は「自画像 自己投影像」ですが、確かに「影響を受けた画家」の観点でも面白いですね。
最後ですが、A氏は齋藤三郎の書の驚くほどの素晴らしさを述べられたそうです。
どんな筆を使っていたのだろうと感嘆させられる端然たる色紙、そして流麗自在な手紙を絶賛されたと聞きました。
心強いばかりです、“有り難うございました”
“春なのに”というヴォーカル曲と演奏 東日本のコロナ拡大傾向。
日中空はしっかり曇り、本日いつものA氏とともに初めてのBさんC氏とゴルフをご一緒しました。
初めての方とも楽しく回れるのがゴルフ。極地を思わせる気象のもとでもやろうと思えば出来る?のもゴルフ。私は後半崩れたが納得がいくラウンドでした。
あいにくのお天気で、レンズ雲を交えいろいろな雲が出ては消え、雨もぱらつき風も吹き、何とも活発な曇り空でした。
今ごろはまだお天気が安定せず、善し悪しを繰り返します。
本日動画サイトから以下、「It Might As Well Be Spring」を三つお借りしました。
“まるで春のよう”とか“春なのに”などの邦題が付いているこのジャズ・スタンダード曲は不安定な春の気分を歌っています。
ブロッサム・ディアリーのピアノ弾き語りです。
フランスを行ったり来たりしたディアリーはフランス語で歌っています。
風の柳のように騒がしい心、一方誰かが待っていそうな気分、などと
英語の本歌では歌われます。
上掲のみずみずしい録音は1957年。動画メモによれば、サイド・メンのベースはオスカー・ピーターソンを支えたレイ・ブラウン、ドラムスはカウント・ベイシーを支えたジョー・ジョーンズという輝かしさでした。バック・コーラスもいにしえのディズニー映画のようで私は好きです。
こちらは初めて観たビッグ・バンドの演奏です。
素晴らしいテクニックとアンサンブルは大人のバンドそのものですね。
曲はリリカルなケニー・ドゥリューにぴったりです。
切れ味良いN.H.Ø.ペデルセンのベースも歌い、
エンディングの余韻といい、何とも言えません。
春なのに春のよう、と時期はずれ風に色々連ねて申し分けありませんでした。
ところで宮城、山形、福島、長野、群馬。新潟県など、今までになく中東部のコロナが盛りはじめ雰囲気が悪い。
反対に西南では下火に見えなくもない。すでにウイルスは夏へのシフトを始めたのだろうか。
山形の飲食関連の店主が、感染を出す前に自分で閉める、とインタビューで答えていた。
東北の実直さが効いてブレーキが掛かれば良いが、この方達こそ国に守ってもらいたい。
多くの人の苦悩をよそに、ニュースが伝える聖火リレーはひとごとのようにどこか空しい。
本日樹下美術館のホウキザクラと向こうはハクモクレンです。
双方はともに大きい木ではないのですが、写真はかなり立派に見えます。
ツクシ、ミズバショウ、スミレ、ウソ、クリスマスローズ みな有り難い。
午後のひととき大潟水と森公園を歩いた。
毎回ここへ出かける目的はおよそ決まっていて、この度は愛らしい鳥エナガともう一つはミズバショウを観ることだった。
園内を歩くと唐突にエナガが現れた。非常に慌てたためお尻だけ、当然ですがピンぼけでした。
エナガのお尻。この鳥は小さい上、とてもすばしこい。
エナガさん、皆さん、お尻の写真で失礼いたしました。
足元にツクシがいっぱい。
好きなだけ撮ってと言ってじっとしていてくれる。
エナガは駄目でしたが、初めてウソを撮りました、きれいですね。
ウソは「嘘」ではなく、古語で「口笛」のことらしい。
鳴き声がその由来ということでした。
帰路の道すがら出合ったスミレ。
高い石垣からそろってこちらを見ている。
意図せずにこんなに可愛いとは、天使か何かのようです。
カメラ片手に公園を歩いていると、たまに声を掛けられる。
ミズバショウが咲いていますよ、と見ず知らずの男性に言われた。
あるいは、先生ナニ撮ったのという二人組の女性に足を止めた。モニターのウソを見せると、あっそれ私も撮った、とスマホを見せてもらった。画面はヒヨドリだったので、うーん、ちょっと違うかな、と言った。
このようにほど良く声を掛けて頂くのはとても嬉しい。
この先の花は押し寄せるというくらい次々忙しなくやってくる。どこかに花津波という言葉があるかもしれない。
できれば心落ち着けて一つ一つしっかり観たい所ですが、とにかく沢山で忙しい。ただ有り難いと思って眺められればと思っています。
無事に手術を終えられた方、間もなく退院ですね、心からお見舞い申し上げます。
朝な夕なに去りがたい春の庭。
冬鳥たちの姿が消えるや春の鳥が四方で賑やかに鳴き交わす。大小のリスマスローズが満開を迎え、随所で椿がささやき合っている。
玄関向かって左脇の木立の中にこじんまりした椅子席を作るべく間もなくコンクリート工事が始まる。
駐車場からよく見えるので予定場所の足元にツツジを三株植えた。
近くのホームセンターで求めたこちらのツツジの札に淀川と書いてあった。
まだ小さな株だが、ひと月もすれば咲くのでは。
果たして皆様はこの場所に座ってくださるだろうか。
昨日ギイギイ、と鳴いていたコゲラ。
鋭いくちばしで思いっきり突っつかれる木は痛いだろうな、と思う。
本日の夕雲。
仕事終わりに芝生でゴルフボールを打った。
新緑を待つケヤキにいっとき優しい雲が掛かる。
花に代わって月がのぼった庭は名残惜しく、しばし去りがたい。
今年度の倉石隆作品から2点「めし」と「異国の人」。
過日は倉石隆の絵画から「馬上の人」を取り上げ、馬上の人物を大きくして解釈を試みました。
本日は展示8点の中から「めし」と「異国の人」を観てみました。
最初は「めし」です。
1934年太平洋美術学校を卒業し、東京で活躍を始めた倉石隆は1943年戦渦を避けて上越市旧髙田の実家に疎開、間もなく出兵しました。舞鶴の海兵団に所属し1945年終戦を迎え、1947年から髙田北城高等学校の美術教師を経て1950年に再び上京しました。
上京後の生活は苦しく、夫人によれば一時は全く絵も描けない時期があったようです。
以下作品「めし」は左上にサインと1953年の制作年が記された33,0×24,4㎝の小さな油彩です。
長靴を履いていますが何処なのでしょうか、雑然とした雰囲気が伝わります。
以下に皿と上半身を大きくしてみました。
身体の大きな37才の画家の食事のおかずは魚一匹。
次ぎに上半身を拡大しました。
空の茶碗を突き出し、ハシをもつ指はそれを指しています。
「飯くれ!」、あるいは「おかわり!」という空腹と怒りの叫びが聞こえるようです。
碗と皿の白さが空腹を際立たせています。
優しい顔の倉石氏がひもじさで鬼と化しています。
同じ1953年の作品「画室」が新潟市美術館に収蔵されています。架けたキャンバスの前に紙のように薄っぺらい大男が仰向けになり、キャンバスには何も描かれていません。上京後4年目、まだ苦闘が続いていたことが窺われます。
次ぎは「異国の人」です。
2007年樹下美術館の開館直前、練馬区のアトリエでこの一見メキシコ風な形(なり)をした男性像を観た時、変わった絵だなと思いました。持っていきますか、と奥さん。私は、喜んでと言いました。
例によって誰ですか、と尋ねますと、本人です、ふざけているのでしょう、というようなお返事だったと思います。
ちなみにタイトル「異国の人」はその場で夫人が仰ったのをそのまま使っている次第です。
左三分の一をオレンジに塗り込め、そこに手と花が薄く描かれています。
右は黒をバックに氏と思われる人物が女性の衣装をまとい、
ハンサムな氏とは別人のような表情で描かれています。
左のオレンジ部分と三分の二の人物の分割の意味は分かりません。何かが描かれていて、不都合によってオレンジを塗ったのでしょうか。
この絵は、1995年9月14日から10月22日まで新潟市美術館で開催された「倉石隆 展」150点の作品リストには無く、サイン、制作年とも見当たりませんでした。
ただし夫人から頂いた資料の中に以下倉石隆の個展案内のDMがあり、作品「お気に入りの帽子」が載っていました。
その派手で大きな帽子は「異国の人」で倉石氏が被っているのと同じでした。開催日は1990年5月7日-16日、会場は銀座の湯山画廊です。
黒をバックに華やかなオレンジの像が明解なコントラストで描かれた「お気に入りの帽子」は非常に魅力的です。
個展開催の1990年は氏の脳梗塞発症から3年が経っています。個展には旧作20点が出品されたようですが、当作品は恐らく売れたのでしょう。しかし借り上げが間に合わなかったのか、1995年の新潟市美術館の倉石隆展へは出品されていませんでした。ちなみに私はまだこの作品を目にしたことがありません。
それにしても先の「異国の人」の倉石氏はなぜモデルの大きな帽子や女性ものの腰巻き、さらに長いグローブなどをして、メキシコ人のようにヒゲを描いたりしたのでしょう。
想像するに、制作中の夜中、あまりに「お気に入りの帽子」が上手く描けたので上機嫌となり、自らそこにあるモデルの衣装を身に着け、描きかけのキャンバスなどを用いてはしゃいで描いた、と誇大な妄想を試みた第です。もしかしたらメキシコの酒、テキーラを飲んだのかもしれません。
空腹の「めし」の苦闘時代からはじまった東京の画業。いつしか魅力的な帽子の絵と、それにまつわる戯画とも思われる個人的な絵を描く余裕に至ったことに、安心と一種祝意を覚えるのです。
初めてのリモート参加 近くの雑木林にユキツバキと思われる花。
今夕仕事上の説明会があり過日購入したタブレットでリモート参加した。
かねて機種を世話して頂いた信越情報さんとのシミュレーションによって無事参加でき、ほっとした。
社会では多くの方がこのような方法で勉強や仕事をされているご苦労が分かる。
コロナ禍に於いて様々な連絡や事務がIT化されていく。検査とワクチンなどどこまで付いて行けるか自信はない。しかし地域事情と責任を考えれば軽々に「止めます」と言えないのが正直悩ましい。溜まる一方のストレスを庭やゴルフで和らげながらもう少し粘ってみたい。
先日樹下美術館の近くの雑木林でよく繁ったツバキを見た。屋敷跡とは考えにくい場所であり自生のユキツバキではないか、と思った。
すぼまない花姿、大きさが異なる五弁の花びらからユキツバキを考えた。
枝にしなやかさも感じられた。
大潟区は比較的雪が少ないため、大きく成長したのかもしれない。
ノイバラのヤブの中で可哀想な気もするが、ここに居たので育ったとも考えられる。
雪にしっかり押してもらったクリスマスローズ。
昨年とちがい重い雪に被われた今年の庭。
木々はかなりの枝折れがあったものの、草花は思ったよりしゃんと芽を出し咲き始めた。例年一番目の花として開館に色を添えてくれるのがクリスマスローズ。それに小粒な蕾を沢山付けみるみる膨らませるや、あっというクリスマスローズに追いつくトサミズキも開花している。
以下本日曇り空のクリスマスローズと最後にトサミズキです。
しっかり雪に押してもらったクリスマスローズは例年より勢いが感じられています。
以前記しましたが、雪でしっかり押して貰うと良い花が咲く、と仰った亡きある園芸店主の話は確かなように思われます。
午後遅く見えた芸術系大学のお嬢さん達。喜んで沢山写真を撮って頂き有り難うございました。
大潟工会でコロナの話をしました アジの夕食。
今夕18:00から大潟商工会創立60周年の行事として拙講演をしました。
50周年の時にも何かお話しし、この度は「コロナ禍の健康管理」という事でした。私は既に後期高齢期にとっぷりつかっていますので、本当は話を聞く側ですが、以下拙い話をさせてもらいました。
健康管理ということでしたが、概観も必要と考えて始めました。
●初めに
・当初の国のもたつきは突然のコロナ初体験、それに続く研究所や保健所などの公的機関に超過重の印象があった。
・当初賑やかだった風邪並み論、PCR嫌悪、ウイルス自然消滅などの評論?には明確な根拠は無かった。
・医療ならびに医師会のみ科学と経験に基づいて真剣に心配しながら提言を続けているので、今後も耳を傾けて。
など流れの印象を述べました。
●次いで新型コロナウイルスの特徴、その強さと巧妙さとして
・他の主だったウイルス感染症が激減した中、ひとり新型コロナウイルスのみ活発に生存流行を続けている強さ。
・巧妙さとして、活動的な若年層にウイルスの集配を分担させ、高齢者と高リスク者には増殖の役割を担当させるなど世代特性を巧みに利用している。
・夏に弱るのではなく、休んで(自ら温存している)いるだけかもしれない。
など、ウイルスが洗練されている印象を挙げました。
●それをどう捉え戦うか、敵を知る
・手ごわい相手との共存(ウイズ・コロナ)は到底無理、やはり敵と捉え収束への努力を傾注するほかない。
・相手は人間の肺を借りなけば生きることも増えることも出来ないのは、ひるがえって弱点でもあろう。
・相手はどこにでもいる。感染の可否は私達の行動次第で決まる。
・感染していないのは、上手く予防しているからではなく、運が良かっただけと考えてさらに予防を心がける。
・予想される長い忍耐への動機づけと褒美は必ず必要。それは国にしかできない。みな命がけでやっている。国も命がけで経済支援を徹底せせ、実態に報いるべきだ。
・緊急事態宣言と解除の繰り返しの中、唯一ワクチンが重症化予防ひいては収束への助けになる。ワクチン有害論もあるが、インフルエンザワクチンが可能な人なら、前向きに接種を受け、自らと他者を守ることは十分意義あろう。
などをお話しし、
●生活の要点として
・あらためて過労の回避。
・ハイテンション、長時間接触、三密、の回避の重要さ。特に飲みで生じやすいハイテンションによる密接、大声、大笑い、唄、長い時間共有は高リスク。
※大勢の会食はノンアルコールをトライしてみる。ノンアルでも美味しい料理を工夫、研究することは、時代の先端であり売りにつながるかもしれない。
・精神面、特に長いストレスにどう向き合うかは重要な課題。
などを挙げ、
●健康管理とその効果として
・適量の運動、戸外時間、過食回避、現在の疾病管理、清潔などにいっそう丁寧に取り組む。それらは身体のみならず精神と免疫の維持活性が期待出来る。
・ストレスや鬱への対応として、際限なくウイルス関連情報を探さず、一定の時間を決めて日々の数字、主だったニュースの確認に収めてみては。
・外出は巣ごもりによるメディア、PC、スマホの接触過剰がもたらす超近視、眼精疲労のリスクをを軽減、回復を促す。
・なにより心身に余計な負担を掛けず、日々自らの「新鮮さ」を保つイメージを持って想定される長期化に対応しよう。
など一応まとめとしました。
●最後にワクチンの接種見通しと変異株への有効性の質問がありました。
・正直、関係者の末席にいる私ですが、具体的スケジュールがどのように下りてくるのか分まだかっていない。
・現段階で現ワクチンは変異株もカバー出来ると言われている。
とお答えしました。
何時の頃からか、私の話は予定より短く終わるのが常となり、このたび予定の45分は司会の紹介や質問も入れ40数分で終わりました。
短いのが良いのか否か、正直分かりません。
ただ話したいだけ話すのではなく、一応聴く人の側で話すことのみ心がけるているつもりです。
夕食は知り合いが釣ったアジの南蛮漬けと、モヤシと春雨の中華風サラダでした。
緊張して話しをしましたのでお腹が空いていました。
近くで大きなアジが釣れているようです。
齋藤三郎と棟方志功 上越市大潟区と棟方志功。
今年の展示「齋藤三郎の絵と書」に絵入りの葉書が12点展示されています。
昭和20年代中頃のものですが、今の絵手紙と違い、それぞれにはしっかりした内容があります。ちなみに以下の葉書はきれいな赤が施された器に二点の内容が記されています。
その一つは第四銀行支店の前で楽焼きをすることになったこと、もう一点は髙田に於ける棟方志功展開催および座談会の予定です。楽焼きは雁木の下で行ったのでしょう、本人は、“街道に出ての商売いかなることになりますやら あわれな事で御座います」と述べています。
今日貴重な銀行の建物は保存されていますが、はたして70年も前の当日はどんな様子だったのでしょう、一目見てみたかった所です。
何度か当時の楽焼き作品を観たことがありますが、素朴かつ美しい作品でした(残念ながら樹下美術館は収蔵していません)。
文面の棟方志功展は昭和26年(1951年)3月31日、4月1日に開催されました。棟方氏は当地の祭踊り「米大舟」見学や柏崎市の個展などで、写真のお二人の家に数回泊まっていることが、以下「大潟小学校で開かれた棟方志功展」に記されています。
(大きくしてご覧下さい)
現在大潟区の郷土史家が地域の歴史を伝えるべく中学校へ出向授業をされている。
本資料は昭和35年11月、小学校で開催された「棟方志功展」や
氏と地元との関係を取り上げています。
かって地域の学校でこのような展覧会が開かれた事を知り、大変驚きました。
当地訪問に際し、棟方氏は一度だけ当家に寄ってお茶を飲まれたことがありました。品川ホールの売り上げは芳しくなかったらしく、父は来訪された氏から5,6点作品を求めたようです。上掲写真の若きお二人も購入されたと考えられ、これらの機会で知己を深め後々も棟方氏と交流されました。
齋藤三郎は戦前、富本憲吉門下時代、すでに棟方志功と知り合っていました。三郎の作った陶印を気に入り欣喜雀躍したと伝わっています。
金沢市のお土産、諸江屋のオトギクズユ。
過日、金沢に詳しい方が国立工芸館に行ってきました、と言って諸江屋のお菓子「オトギクズユ」のお土産を頂いた。
2020年、金沢市に開館した国立近代美術館の工芸部門である国立工芸館を観てこられたということだった。
あまり出ない私達。でも出かけられた方が見えては時にはこうして情報やお土産を頂く。2月の十日町博物館行きもそのようないきさつがあり、“皆様から聞いた”という、それがまた楽しかったのだと思う。
いろはカルタのように、どこか懐かしいパッケージの「オトギノクズユ」
熱湯を注いでかき混ぜると、あら不思議今はむかし、軽い甘みのくず湯が出来る。
小さなカキモチのようなものが2個浮く。
是非とも金沢へ行き、国立工芸館を訪ねたい。また嬉しい低カロリーのオトギクズユを少しまとめ買いし、しばらく昼食時に飲んでみたいと思った。
無事に15年目の開館を迎えた トウナの卵とじ 新年号?
本日今年の開館を迎えた。晴れ間の多い気持の良い日だった。
月末まで午後のみの開館なので少々申しわけ無く感じる。
22名様の来館ということ、ちなみに昨年の初日は15名で、例年の初日よりも多かった、とノートにに書かれていた。
春の日に包まれた館内で思い思いに憩われる皆様を見ていて、ふつふつとありがみが湧いてきた。
半数近くの方が「倉石隆の自画像 自己当映像」と「齋藤三郎の絵と書」を観てくださった。倉石隆の「馬上の人」や齋藤三郎の“手紙”などを中心に、興味深くご覧頂けているようで嬉しかった。
お持ち頂いたお花。開館はお客様が仕上げて下さる。
夕食はスタッフの畑から届いたトウナに新タケノコと鶏肉の卵とじ。
美味しく頂きました。
自然の中の樹下美術館。今年も自然のように自然にスタートが出来て安心しています。
コロナはまだまだやる気なのでしょうか。
主だったウイルス感染症がすっかり影を潜めた中、一人コロナだけが残っている。
実際およそ1年ほど前から外来と、関係している三カ所の福祉施設とも発熱や消化器感染症が激減した。
これは抜きん出たコロナの強さを現しているのか。いずれにしても未知でしぶといウイルスということだけは間違いない。
全実像が明らかにされ、ワクチンの有効性が確認されるまで、今後とも用心はやむを得ないと思う。
昨年はコロナ元年、今年はコロナ2年の呼び方があるかもしれない。残念ながら現代におけるコロナ禍のインパクトは、西暦や元号がかすむほど世界を席巻している。
いよいよ明日開館 あらためて「齋藤三郎の絵と書」「倉石隆の肖像画と自己投影像」 ある記者さんと「馬上の人」
いよいよ明日が2021年度の開館になります。
本日ぎりぎりまでかかって来館者様に配る展示作品の紹介文を作りました。樹下美術館は全く小さく、その一から十まで個人施設です。自分が楽しむ室を皆様に開放せて頂くという、我が儘な本質のもとに始まり今日まで営み、今後も変わりなく推移することを願っています。
そうは申せ、一旦美術館と称すれば一種公共性を帯びるのは自明のこと、一応の自覚をもってやってきましたが、もとより凡庸浅学のうえ怠惰な日常。学識的な言動には全く曖昧さを禁じ得ません。
左様に以下展示の概要説明も自己流の域、ある個人の見解ということで、お許し頂かなければとお願いするばかりです。
勿論、責任や勉強のため皆様のご意見ご助言はこれまで通り、貴重なご好意としてお聴きして行きたいと思っています。
それでは、
●陶芸作品展示「齋藤三郎の絵と書」
旧栃尾町(現長岡市)出身の齋藤三郎は18才の時に陶芸の道に入りました。後に絵付け陶芸の人間国宝になる二人の陶芸家、近藤悠三、次いで富本憲吉に師事したのはとても幸運だったと言えましょう。
5年もの修業を完遂し得たのは三郎が造形、絵付け、書、教養、それぞれに優れた才を有し、師達がそれを高く評価していたためだと考えられます。
中国出兵後、帰国し上越市寺町で窯をひらいた三郎は、民藝風な素地に江戸時代の琳派に通じる趣きを重ね、加うるに師の富本氏に連れ添って訪ねた九谷の陶風を自らのものともしました。
絵付けのモチーフはあまねく雪国の草木であり、風雅のうえに親しみと上品さが滲む作品を沢山造りました。
この度の展示では、氏の書にも光を当てましたので、関係する作品や手紙類をどうかご覧下さい。
大変勝手な印象ですが、書にも氏が愛した草木の品と流麗さ、繊細さと強靱さなどを見るのは私だけでしょうか。 みなが草花を愛するように、氏の書もまた私達を惹きつけるにちがいありません。
手紙類には仕事の精進と生活支援を頼む趣旨が多く含まれています。
昭和20年代中頃、芸術家はおしなべて貧しく、手紙は近況を告げると同時に、支援者に助けを働きかける重要なツールでした。三郎の手紙と作品に動かされ、父は喜んで窯出しに向かっていました。良い手紙を書くことは生きるためにとても大切だったのですね。
●絵画作品展示「倉石隆の自画像 自己投影像」
倉石隆が敬愛したレンブラントはじめ、内外の画家は好んで自画像を描きました。人間を描いた倉石氏も当然そうしました。しかし氏の当館収蔵のそれは作品「みつめる」以外一般のような肖像ではなく、別の形を借りそれに投影させ(表象させて)描かれました。
展示作品の多くは愚者、空腹、ピエロ、漫画風に悩む人、壊れた操り人形など、いずれも存在の負に自らを投影しています。
自己のネガティブな要素を描くこと。それには相当な覚悟と自己追求の深刻な作業が必要だったに違いありません。ですが何度もやり直しの跡が見える作品を眺めるにつけ、どこか吹っ切れた感じを受けるものもまた事実です。
「黄昏のピエロ]はやはり悲しいです。しかし孤独は万人がともにする人間の一面であり、共感と親しみを覚えるのですが、如何でしょうか。
最後に「馬上の人」です。この氏は前進しています。オレンジの光の中を、馬に乗って坂を上ろうとしています。1979年、後期にかかろうとする時代における挑戦の決意でしょう。その男を隅に小さく描いたのも氏の美学ではないかと思うのです。
初めて人馬を拡大してみました。
とても格好よくテンポ良く描かれていますね。
その昔、最初に「馬上の人」を展示した時の事、ある方とお話ししました。人物をドン・キホーテに見立てているのでしょうか、と述べると、その人は、いやこれは倉石氏の挑戦の決意を描いているのでは、と仰いました。目を凝らすと人物の姿勢、馬の歩みの力強さから、確かに氏の仰る通りだと心から同意し、私自身ほっとしました。
その方は当時、ローカル新聞の記者さんでした。よくお話しする機会があり常に高い見識に驚かされました。
本日冒頭でごちゃごちゃと並べましたのも、「馬上の人」にまつわる記者さんとの話を思い出したからでした。
明日からの開館、コロナに配慮しながら慎重に始めたいと思います。
皆様をお待ち致しています、どうか宜しくお願い申し上げますす。
大変申し分けありませんが、
●3月31日まで午後1時~5時の開館。
●この間は飲み物およびケーキのサービスに限定させください。
明後日の開館に備えて齋藤三郎&倉石隆の展示 小鳥がよく来るようになった。
世の中は、コロナ中心に回っているようになり、まことに様変わりした生活を強いられている。
昨年12月20日来の冬期休館も何かとコロナに気を奪われ続け、感染状況とワクチンの動向、検査受託の可否などに悩まされ続けた。
コロナにかこつける訳ではないが、昨年12月20日からの冬期休館は誠にあっという間に過ぎた。
今月に入り、豪雪でひどく荒れた庭の掃除と展示の準備で何度もスタッフに来てもらっている。本日ほぼ展示を終了し、明日最後の見直しをすることになった。
絵画スペース。
賑やかですが倉石隆のテーマ「自画像と自己投影像」に沿って8点全て架けました。
正面を見ている「みつめる」を除き、作者は自身を様々な姿に変えて描いている。情け無い姿、ピエロ、壊れた人形、空腹、悶々たる様など色々だ。無いのは自画自賛だけだで、その姿勢こそ氏の美学そのもののような気がする。
恥ずかしさ、恐縮、、、かって無言の俳優のような倉石氏にお会いした際、精一杯お顔に現れていたのがそれだった。
芸術家は作品すべてに狙いを持って作る。それがどれだけ私達に伝わるかは常に微妙だ。だが一点、観る人が作者にどれだけ“親しみを覚えるか”は肝心なことであろう。
特に亡き作家ともなれば、作品の前だけでもよい、なにがしかの関係、よしんば親しみの感情などが動くなら、幸福な出会いに違いない。
額の中で悩み恥ずかしがる倉石隆氏への同情、軽蔑、尊敬でもなんでも構わない。それらから親しみを感じてもらうだけで天国の氏は喜ぶのだと思う。
本日の陶芸ホール。
今年の展示は「齋藤三郎の絵と書」。
齋藤三郎大好きな良寛の人、小島正芳先生が楽しい企画を考えて下さった。
私は父が買ってくる齋藤三郎に親しんだ小学生の頃から、器の字、特に底にしたためられた署名は魅力的だった。そもそも家中で、作品は勿論だが、署名まで今度はどんなだろう、と皆で器をひっくり返しては眺めた。その味わい、早さ、太さに細さ、踊り加減、、、色があっても無くても喜んだ。
このたびは折々の三郎氏の心境が現れる絵付け作品と、文字が施された器、書また手紙類を展示した。抜群の手筋に加え筆あるいはペンの何たるかを熟知し、人を惹きつける品のある美しい文字が現れる。加えて昭和20年代中頃の手紙類からは、高い教養とともに懸命な制作と生活への傾注が滲むのである。
展示に関係したご講演を全国良寛会会長・小島正芳芳先生にお願いした。氏の学生時代の貴重な恩師・齋藤三郎にまつわる第二回目講演をどうかお楽しみください。
さて急に小鳥たちが来るようになりました。
「続 良寛遺墨集ーその名筆とゆかりの人々」と齋藤三郎作品 3・11のこと。
書物「続 良寛遺墨集ーその名筆とゆかりの人々」 全二巻 序・泉田玉堂、 執筆・小島正芳、 企画編集・ 関谷徳衛 淡交社発行 2021年2月26日発売。
執筆者の小島正芳さんから届けられた函入りの大型本は素晴らしかった。
かなり昔、何冊かの良寛さんの本をすがるようにして読みそれなりに心酔した。何も無いというが全てがある人、良寛。そんなイメージを今でも抱いている。
このたびの本は一言で言えば「美しい本」だと思う。渋いグリーンを基調にした装丁が施された函入りの上下二巻は読みやすく、大変親切に編集、執筆されている。良寛は勿論、その縁者、後年の理解者、名だたるフアンまで作品と説明は逐一丁寧だった。
第一巻は作品写真で、それらは大きく色彩は自然で、釈文や読み下しが附され心おきなく鑑賞できる。第二巻は作品のモノクロ写真の再掲にさらに詳しい解説が加わる。
巻末に附された良寛の年譜、系図、440余人にわたるゆかりの人々や膨大な参考文献などは綿密で、専門書と同時に安心な入門書でもあるまいか、と思った。
ページをめくる度に師の貧しさと清らかさ、美しさと深さ、あるいは人間らしさなどが浮かび、読む人それぞれの良寛に出合うことができるのではないだろうか。
渋いグリーンを基調にした函と本の麗しい装丁。
お茶を服すように爽やかな印象。
本中の一部。一閑(右)および思無邪(左)。
以下解説の要旨。
閑は心の中がのどかで無心であること。良寛が大切にしていた心境。
思無邪:思ひ邪(よこしま)無し。論語にある言葉。
執筆の小島先正芳先生がよく口にされます。
特筆中の特筆。
ゆかりの人として齋藤三郎作品(左)が掲載されている。
皿のふちに良寛の詩から「花開蝶来」がしたためられている。
右は北大路魯山人の筆筒(ひっとう)。魯山人と並び示されるとは。
「続 良寛遺墨集ーその名筆とゆかりの人々」 (株)淡交社 令和3年3月12日 初版発行
A4判変型 2巻セット(ケース入) 総400頁 (カラー208頁・モノクロ192頁)の体裁で17600円です。
●ちなみに細川家ゆかりの永青文庫美術館(東京都文京区目白台)で「心のふるさと良寛 Ⅱ」が今年4月24日~7月4日の会期で開催されます。
小島先生は本展も監修され、齋藤作品が展示される予定ということで、とても光栄です。
●先生の講演会「齋藤三郎の絵と書」が来たる4月3日、午後3時から樹下美術館で開催予定です。
さて本日、東北大地震から10年が経ちました。当時仙台市に二家族、南三陸町に一家族の縁者がいました。いずれも直ちに音信不通となり、特に南三陸街町の弟は6日間も音信が途絶しました。
被災地の心配ばかりしていたせいか、長い揺れを覚えていますが、その時家に居たはずの自分はどこで何をしていたのかさっぱり思い出せないのです。仙台の無事は間もなく確認できましたが、南三陸町の方は、弟と親しかった小室等さんのルートから無事が知らされた経緯がありました。
丁度新潟市の知足美術館で拙植物画の個展会期中。順調に推移していましたが、それどころではなくなりました。
ところで良寛の時代に三条を中心に震度7,1607人が失われる大地震が発生し、良寛は深く悲しみ、被災者を励ましたといいます。
地震の詩があり、その一節に“凡て物微より顕に至るは亦尋常”とあり、今日のコロナ禍にも通じる観点が示されていました(上掲本から)。
すべて物事は、かすかな兆候から始まり大事に至るのは世の常と述べているようです。
長くなりました。
鳥の声が戻った大潟水と森公園 水芭蕉も咲き始めた。
晴れた日、吹くというほどの風もなく良い日和だった。
陽に誘われて大潟水と森公園に行った。お目当てはあの可愛いエナガに会えないか、ということとミズバショウは咲いたか、だった。
雪どけ後、何度か公園を歩いたが、晴天でも園内はシンとして鳥の声を耳にすることは無かった。
それが本日カワラヒワの声を聴き、一羽のホオジロを撮った。
公園の西の端で咲き始めたミズバショウ。
真っ白な花も、緩やかに流れる雪解け水もきれいだった。
その緩やかな水辺のサギ。
サギの種類をよく知りませんがコサギではないようです。
ではチュウサギでしょうか。
田んぼのサギは人の気配で直ぐに飛び立つが、この鳥は案外平気な素振り。
風に煽られた尾羽がてひるがえって、愛嬌になった。
今まで何処にいたのだろう、当地に小鳥たちが姿を現し始めている。一方でコハクチョウやガンは北へ帰ったものか、見なくなった。運が良ければ朝日池や鵜の池で西国から北帰行の途中休憩するオオハクチョウを目にする事が出来るのだが、もう遅いかもしれない。
いよいよ春は本番。ネットで買ったチューリップの球根が間もなく届くので、急いで植えなければならない。
上越市のクラスターが中々終息に至らずはやり困惑する。
コロナは普段ヒト事のように言うけれども、自分が罹らないないのは運が良いだけと考えつつ、いっそう用心する以外ない。
小島正芳先生の講演会が1週間延期になりました。夕食のカレイの煮付け。
上越市に発生しました新型コロナウイルスのクラスターに対応しまして、
念のため来る3月27日予定の小島正芳先生の講演会「齋藤三郎の絵と書」を1週間延期致します。
●4月3日(土)開催に延します。
●午後3時始まりは変わりません。
一週間延期をどうか宜しくお願い致します。
先生の齋藤三郎に対する愛あるお話をどうか楽しみにご参加ください。
さて遅くなりましたが、この日の夕食はカレイの煮付けでした。
カレイの煮付け、手前はフです。ネギがみそという話でした。
少し昔のこと春になると背中が盛り上がった大きなヒラメを下さる漁師さんがいました。
妻の包丁の手が止まったほど見事なヒラメだったと言います。
すでに亡くなられ、もう二度と食べられない、とは妻の口癖です。
私は妻の半分くらいしか味を理解していなかったかもしれません。
いそいそと始まっている春。
上越市髙田で最高気温6,1度だった寒い日曜日。午前に左官さんにきてもらった。
昨年のこと、庭仕事の休憩にと、裏庭に鉄と石板の丸テーブルと椅子三脚を置いた。風に煽られず中々格好良く、コロナの外気対応にもなるのでお客様にもと考えた。しかし玄関から遠すぎて、思ったように利用が進まなかった。
そこで今年は美術館向かって左手の植え込みの中に平らな場所があるため、そこにコンクリートをうち、椅子テーブルを置いて四席作ることにした。
駐車場に面しているので背の低い椿を脇に二本移植し、足隠しにすればそれはそれで良く見えるのでのではないかな、と期待して始めたところです。
午後、スーパーセンターに行き芝生の肥料を買い、庭用のテーブル&ベンチを見た。一体型のものがあり、簡単で良いかな、と思った。
施肥はいい加減でしたので本日は工夫した。二本の棒に5メートルほどのヒモを結んだものを二組用意し、約80センチ幅に平行に並べて間に肥料を撒く。一筋まいたら一組を80センチほど先に移動してまた撒く。どれだけ繰り返しただろう、体は冷えるし右肩が痛くなり、少々残して終わりにした。
さて白モクレンの蕾がズンズンと膨らんでいる。と思えばピーピージュクジュクとシジュウカラが枝に来た。
キルリキルリと、カワラヒワのつがいも来てカメラを向けたものの、カードが入ってなく撮れずに残念だった(よくあることです、、、)。
さて春よ早く来い、と考えているうちに、鳥や花の方から割り込むようにやって来る。
よく目を凝らしていないと、あっという間に辺り一面が春になってしまい、こちらが焦る番になる。
美術館は着々展示準備中です。
庭に居ると、時々美術館の前に車が停まります。しばらくするとまた走り出すので、来館された方かなと思うことがあります。
●本当に申し分けありませんが、3月15日からの開館です。
●しかも3月いっぱいは午後1時~5時までで、
●この間、飲み物だけのサービスになりますので、どうか宜しくお願い申し上げます。
昨年は伸ばし伸ばして6月1日から開館しました。それでも今年の方が早いのです。
昨年は先がどうなるのか全く状況が見えず不安でした。今年はどう終わるのかを案じて心を尽くすという事でしょうか。ぜひ終息に向かう年になりますよう願っています。
集まって初庭仕事
庭の雪ほ自然に消えた。
本日その片付けをし、休憩のお茶を飲みミーティングをした。広葉樹が多いため雪の被害は最小限度だったが、小枝と落ち葉で皆さんは大変だった。
クリスマスローズの茎を切ると例年より沢山蕾がついていることが分かった。開花しているものがあり再会を喜んだ。
皆さんのお陰で、4時間近くかかってきれいになった。
芝生に一回目の施肥をした。例年になく芝の調子が良いと感じた。
2月21日の写真。
芝生で20~40センチ、囲いの前は山ほど雪があった。
その後の雨と気温上昇によって何もせずに一気に消えた。
百合の芽がしゃんとして出ているのも、クリスマスローズの芽が多いのも、芝がムラ無く揃っているのも、雪の下でゆっくり休んだためだと思った。
しっかりと雪に押して貰うと草花は良くなる、とその昔、園芸店で聞いたことがある。
名付けようもない変わった樹下美術館の庭。草木は何も出来ない赤ちゃんみたいなものなので皆で世話したい。
追加です。
晴天のコハクチョウとマガン。
風は少々冷たいがよく晴れた日。
午前の外来で、昨日は頸城区の田に沢山白鳥がいました。500羽はいたでしょう、マガンもいっぱいでした、と聞いた。
施設出向の午後、帰路聞いた場所に行くと、確かに沢山いる。しかもあちらこちらに大小の群が見られ、コウコウと白鳥が、クヮクヮクヮとガンが盛大に鳴いている。
一心不乱に食べながら鳥たちは鳴く。遠くの群も鳴いている。飛べること、鳴けること、食べられること、なにより冬を越えたことが嬉しいのだろう。
いつまでも楽園をともにしたい気持がして去りがたかった。
朝日池に一羽でいるコハクチョウ。
日中暖かかく17度もあったという。風も陽の光も春そのもの、やはり心は軽くなる。
本日の在宅回りで朝日池をみると一羽の白鳥が堤の下にいるのが見えた。
集団で行動する彼らなので、一羽だけでいることや、人の気配が近い場所にいるのもおかしい。北へ帰る時期になっているのに残っていることも、みな理由があるに違いない。
ケガをしているのだろうか。
幸いなことにやつれているようには見えなかったし、マガモたちと一緒なのも安心に思われた。
マガモは見守っているとしたら大したもの。
餌が与えられているならお相伴をしているかも。
帰りに見ると付近を泳いでいた。
鳥たちは悲しみや痛みというものを顔に現さない。
弱りの表情を見せないのは、捕食者の多い野性で身を守るためだと思われる。
集落の方が、あの豪雪の最中、県道を歩いていた鳥では、と仰った。餌をもらっているなら大丈夫だが、苦手な夏が課題。
近くの堤に上がっているマガモ。
堤の上のマガモを初めて見たがとても可愛い。
15日の開館が近づきました。
ただし上越市はここへ来て急にコロナのクラスターが発生しています。
そこで大変申し分けないのですが、少し様子をみるため、
●3月15日~3月31日までは午後のみの開館にさせて頂くこと致しました。
●開館時間 午後1時~5時です。
どうか宜しくお願い申し上げます。
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