2020年12月

良寛さん出家の謎、小島正芳先生のテレビ出演 ほくほく線電車が上る 樹下美術館の雪。

2020年12月31日(木曜日)

本日午前NST新潟総合テレビで9時50分から30分間、「良寛さん出家の謎」が放映された。今秋樹下美術館で「齋藤三郎と良寛さん」を講演された小島正芳先生が案内役として解説、出演された。

 

 

若き日の良寛の筆跡にすでに見られていた生真面目さを等を説かれる小島先生。
今夏から全国良寛会会長の重責を担われた。

 

領主見習いとして家と地域の諍いに苦労の絶えない良寛。
ある夏の日、出雲おけさを一心不乱に踊り明かし、翌朝光照寺を訪ねて仏門に入る。

 

右・書家泉田祐子さん、左・真保恵理アナウンサー。
このほか光照寺でご住職との対話もある。

 

書物のき覚え書きに見つかった10代のころの筆跡(左)。
右は晩年の書。
青春時代と晩年の書。専門家が見れば変わりなき手筋や人柄が見えるのだろう。
波乱をまじえて光照寺への入門前夜のことがリアルに伝えられ、とても良い放映だった。

 

さて大雪と言われたが本日美術館周辺は10センチ前後積もっただけだった。
昼食を抜き、昼前から鳥たちや電車をゆっくり見に出かけた。時折地吹雪が起こり日中とても寒かった。

 

悪天のなか時間通りに上って行ったほくほく線電車。
(向こうへ走っています)

 

本日の美術館。寒さをこらえている風だった。
あとふた月半したら開けに行きますし、その前には庭仕事もします。

本日は大晦日。新型コロナウイルスに押さえつけられていた1年だった。
開館を二か月半遅らせ、6月は午前のみの営館にした。強力なエアコン導入、思い切った換気、カード対応ほか一般的な備えをした。裏手の庭に椅子テーブル席を新たに設置し、カフェではマイセンとイッタラの食器を加える一方、二種の軽食メニューを中止し簡素化した。

当地も一定数の感染報告があったが、来館者さんは昨年よりも増えた。特に若い世代が伸び、毎月前年比10~15%多く来て頂いた。郊外型施設のイメージが受け入れられたのかもしれない。

展示物も熱心に見て頂き、全ての来館者様には感謝に堪えない。

 


どこかの街のスゥインギーなジャズ・ライブ。
「We’ll meet again(また会いましょう)」
お年寄りのクラリネットとピアニストは歌といい、中々です。
こんな楽しい所があったなら毎日でも通いたい。

皆様、良いお年を。
来年またお会いしましょう。

最後のゴルフで借金 夕食 寄付。

2020年12月30日(水曜日)

冬休みの一日目、午前に年賀状を完成させた。かつて同業の役員などをしていた頃の名残もあり、500通もあったのを減らし続け、今年は350枚まで来た。急に減らすのに失礼を感じるが、役が関係していた時の方々のを中心に止めた。

正月休み中ひどい寒波が予想されている。まださほどではなかった昼過ぎ、ゴルフの練習に行った。
コロナはゴルフにはフォローだったのか、打席はほぼ一杯だった。

このとき迂闊な私は財布を忘れて出て、受け付けで1050円の借金をした。こんなことがこれまで数回あった。来年でいいですよ、私が出しておきます、という優しいお言葉があった。
ウッドの練習をして家に帰ったはいいが、このままでは年を越せない。少々遅くなったが料金を払いに再度練習場へ行った。昼と違ってみぞれ交じりの寒風が吹きすさぶ場内は私一人だった。
せっかくなので打ちます、と言うと、昼のカードにあと100球残っていますと仰る。是非もなくショートアイアンを打った。
今秋からかなり熱心にゴルフをしたが、そんな年に相応しいクレイジーな終わり方だった。

 

誰も居なくなった練習場。
悪天を考え早々に閉まった。

 

以下は寒波前夜の夕食です。

 

野菜炒めには弟が生産したベーコンが混じっている。
赤飯、シャケ、キムチ、ゼンマイは頂戴もの。
簡潔な食事には得に言われぬ幸福を感じる。

弟の豚は人気があり、某有名中華や東京の二つ星フレンチなどから半頭などで引き合いがあるという。

 

最後は来春を思って「小さな花」です。

 

コロナ禍について医療の話題のほか生活困窮を知らせる記事も多くなった。
少額ながらフローレンス財団とYahoo!募金の一人親支援に寄付させてもらった。

一般に20才代の寄付者が多くなっていると聞いた。今年前半の支援金10万円の一部を寄付に回したのがきっかけになったらしい。コロナがもたらしているものの中に「心」への回帰があるのだろうか。

今年もあと一日となった。

今年の表向きの仕事が終わった コロナ 大潟水と森公園の鳥 豪雪予報。

2020年12月29日(火曜日)

本日今年の診療所が終わった。新型コロナ一色の年だった。
自分が罹れば皆さんも罹り、その逆も然り、スタッフおよび家族も同じ。重い三位一体が突然にして現れ、高齢者さんを多く診ているので、感染=重症化のイメージを常に払拭出来ず苦しい課題だった。

当初、臨床の入り口である検査の門戸が異常に固く、果たして先進国なのかと心底悩まされた。初夏のころから比較的スムーズな体制に移行したが、そのころ既にウイルスは小休止を装っていた。
もたついた当初の対応はあたかも国の方針の如く擁護されたが、実際は中央から保健所に至るまで公の体制があまりに貧弱だったためだった。幸か不幸か日本では同じコロナウイルスであるサースとマーズへの関わりが乏しかったことが、響いたのではと考えることにしていた。

感染症の動向は季節因子の影響を少なからず受ける。
間もなく1年、未知疾患の基礎と臨床の知見がようやく揃い始めることになる。この後のワクチンと特効薬の動向は大きいが、それまでは対応の効率化が最重要課題だ。1年の経験をもとに幾つか関連法の整備に手がつけられ、流れの円滑化が期待される。

いずれにしてもこの冬が正念場ではないだろうか。余計な犠牲者を多くしないよう、気を付け、あと二か月少々の冬を何とか無事越えたいと思う。

本日は風雨なくまことに穏やかだった。
在宅訪問が一件だけだったので、その前に大潟水と森公園を歩いた。秋冬の妖精、あこがれのエナガに出合うことは叶わなかったが、40分ほど歩いて以下の鳥を見た。

 

カシラダカ。

 

 

シジュウカラ。

 

 

アトリ。

 

 

コゲラ。

 

 

小さな流れにミズバショウの芽が出ている。

無理を言って1週間休ませて頂くことにした。
しかるに明日から強い冬型となり、正月も豪雪が予報されている。数年に一度という雪らしいが、初詣の寺は決めてあり、唯一の外出予定がそれ。小康があればと望みを託している。

池の靄 雀の群 夕暮れ電車とコハクチョウのハーモニー、飛び立ち前の行進。

2020年12月27日(日曜日)

本日日曜日、風雨も雪も無くお天気は一休みしてくれた。
午前は年賀状の原稿をいじったり刷り増しをして、午後から柿崎を歩き、帰路鳥を探しながら新柿線を走った。

途中で寄り道した吉川区田尻?の池に靄がかかっていて、幻想的な眺めだった。

 

 

靄の一部に強い陽が射していた。

 

ほくほく線高架橋周辺の水田にいくつも白鳥の群が見られた。
家に戻ると妙高市の中1の孫が母親と来ている。一緒にお茶を飲んだ後妻も加わり再度先ほどの白鳥を見に行った。

一帯の群は道路脇にも居て、みなかなり近い。初めて間近に見る白鳥に一同目を丸くして“見学”。
一渡り眺めて一行は帰ったが、鳥と電車が撮れればと思い私一人残った。

背景にうっすら難葉山。

 

近くで雀の群が高架と下の枯れ草を行ったり来たりしている。

 

月がのぼっている。

 

下り電車がやってきた。

 

ややあって群はねぐらに帰る仕度を始めた。

急に食餌を止め、西側の遠い群が一列になって西へと歩き出す。
16:52

 

ねぐらの朝日池は東にある。ひとまず西に歩くのは危ない高架橋から離れる行動ではないかなと思った。
数年前の夕暮れに見た群も、どういう訳か“ほぼ一列”になって歩きはじめ、移動後集合し、暫くして一斉に飛び立った。

西側から次々に歩き始め。東端にいた一群が最後に歩いた。

 移動は次第に列となり、あたかも行進のようだった。

17時頃、西の端、県道わきまできて集合。
{写真は編集ソフトで明るくしていますが、実際はほぼ真っ暗です)

集まるとコウコウ、コウコウと大変賑やかに鳴く。この時高く鳴くものと低く鳴くものがあり、一種ハーモニーが生まれている(普段は高い鳴き声一色)。高低二音の歌声は神秘的な響きがあり、是非再び聴いてみたい。

 

明かりを点けた電車が下ってきた。

このあと暗い中を少数ずつ飛び立ち、最後に大きな群が一斉に飛んだ。
食餌を止めて歩き出す。一体だれが時間や歩く方向などをリードしているのだろう。一部もたつく場面もあるがほぼ整然と行動した。

遅くまで田んぼをウロウロした帰路、自分のほうが孫よりも子どもじみているようで恥ずかしくなった。

二度目の雪は雨に変わった ささやかなクリスマス 虹の彼方に コロナ、今後の笑いと静かさ。

2020年12月25日(金曜日)

雪の予報通りに朝からボタボタと降ったが、夕方には雨交じりになるなどしてさほど積もらずに日が暮れた。

 

仕事場の二階から午前の雪。

在宅回りの雑木林と午後の雪。

 

今夕のケーキ。


以前載せました私の好きな「Over the Rainbow」。
ある意味今どきぴったりかもしれません。

 

さて残念ながらコロナが拡大しています。病院や介護施設における50人、80人規模の感染や4、50人に増えた新規死亡の日報などから新興感染症の本当の怖さが現れ始めているように思われます。

夏から秋の楽観主導が冬春を主戦場とするウイルスを温存播種、活性化させ、都市を中心に列島の汚染的状況を許していると理解されます。専門職や臨床家の必死な助言に耳を貸さず、移動を伴わない経済支援をせず、未経験な出来事を全能感覚に酔ったまま推移させたツケです。

ところでハイテンションになりがちな飲食、なかんずく「歌」や「饒舌」はウイルスを喜ばせるはずです。最近私は「笑い」、とくに「大笑い」もまた問題かもしれないと思うようになりました。笑いは不規則でかなり激しい呼吸を伴います。だれかが感染している場合、笑いでウイルスがまき散らされたり、笑いでそれを深く吸い込むことを恐れるのです。

この先ある日突然ウイルスから解放され、祝杯を上げるように終わるとは考えにくいコロナ禍。
「静けさに耐える」、「静けさを喜び、あるいは楽しむ」生活と文化を受け入れる。振り返れば、静けさは文化の普遍的なエッセンスの一つかもしれません。
YouTubeに小声で漫才をしている動画が上がっていました。耳にして可笑しさとともにさすが、と感心しました。
静かには、得手不得手はあろうと思います。しかし政府なども静かな生活を推奨しました。
今後まだ間に合うと考え、ウイルスで地域が汚染されないよう、「静かに」を重要なキーワードに加えて予防を心がけ、自身と貴重な病院を守って行かなければと願っている次第です。

賑やかに多く交わらず、静かに暮らす。こんなことが果たして歴史にあったでしょうか。
確かに異常です。
しかし半年前、「戦争よりまし」とあるお年寄りが言ったのを思い出しました。
何とか良いワクチンや特定の特効薬が普及し終息するまで、嘗て無い文化文明を新しいものとして受け入れ精一杯生活する。
後は政府に本気で頑張ってもらう。
偉そうに言うわけではありませんが、そんな気持ちで過ごした一日でした。

長くなりました。

怒る海とコロナとチドリ 一応の食卓。

2020年12月24日(木曜日)

午後休診の本日、穏やかな空をみて柿崎海岸へ向かった。
静かな空と対照的に海は数日前の低気圧の名残で大波が打ち付けていた。

波を見ていると計り知れない力を感じる。
例えが合っているか否か自信はないが波を見ていると、ウイルスも斯く膨大な力を有しているのではないか、と思った。
海とウイルスは様子は異なるが、古い兄弟同士だ。一方新参の私達は、高邁にもAIだ5Gとうそぶきながら、遠く小さなウイルスに苦戦している。

 

 

 

歯がゆそうに打ち続ける波は、懲りる様子もない人間に怒りを押さえられない風に見えた。少しは謙虚になれば良いものを、数字は煽りだなどと、偉そうにしながら死者を増やすのに手を貸している人間たちに怒っているのだ。

 


コロナを恐れない人々はこのような歌を、腹を抱えて笑うことだろう。
ベトナム戦争はこの歌などによって終わった訳ではないが、
毎日毎日ラジオから流れ、一種真実を歌っていたことは確か。
今より希望やささやかな幸福があった時代の歌。

人は幸福を実感出来にくくなった代わりに、真実を笑い飛ばす新しい快楽に夢中になっているように見える。

 

 

本日も二羽のチドリがいた。
チドリは海と兄弟だ。養鶏場の鶏とは違う。

 

一応クリスマスイヴらしい夕食
異教徒ながらいささかの反省を試みた。

必要がある1円切手、前島密の肖像。

2020年12月22日(火曜日)

年の背が押し詰まりやはり気ぜわしい。

二三頂き物の礼状の葉書を書いたのは良いが、手もとの切手では1円が足りず、妻から切手をもらって間に合わせた。
葉書は平成29年に続き昨年再度1円の値上げがあったらしい。

そもそも切手代の端数は10円、5円など切れが良かったが、消費税値上げの度に2円や3円が現れた。その都度あらたな葉書や切手が間に合うとは限らないため、追加して貼る1円切手が必要になる。

 

この度ハガキに貼った1円切手。しばらく出番が多くなりそうだ。

この切手の図柄、前島密は上越市出身の偉人の一人。昭和22年以来同じ肖像が用いられ、日本郵便ではこの先も変わりなく続くと公にしている。
可愛い切手が多くなるなかモノクロの1円肖像切手は上品で、あらためて貴重に感じられる。

以前かなり手紙やハガキを書いた。かし最近ではメールとものぐさによって少なくなり、切手が沢山貯まってしまった。郵便局に持参すると換金は出来ないが、相応する切手に交換出来るらしい(手数料が要る模様)。

後片付けの後の昼食会。

2020年12月21日(月曜日)

昨日今年度を終わり、本日午前中にスタッフが片付けをした。
すっかり仕舞った後、スタッフ7人と「とくっと」で昼食会をした。

少し遅くなって駆けつけた。みなはステーキ丼を食べている。あわてて私はオムライスを注文した。
マスクを付け外ししながらの食事。コロナで忘年会を止めるのでせめてもの集まりだった。

 

入り口に立っている大きなボードのメニュー。
“イラストはお店のイメージとコンセプトです”と書かれている。
背の高さよりも大きく、美術作品のような出来映え。
席で見るメニューもアーティスティック。店に上手い人がいるらしい。

 ロビーにあるとても大きな暖炉。

 

慌てていて少し食べてしまいました。

 

上、デミオムレツ。下、コーヒーとマシュマロのデザート。

 

13時15分頃、まだ賑わう駐車場。

駐車場を共有する「ココビーンズ」のピザも美味しい。近くに野菜フレンチ「サブリーユ」や「都寿司」など美味しい店がある。

スタッフは溌剌としていた。店や組織は常にサービスや設えを磨き、いつも「生き生き」としている印象が必要だ、とつくづく思った。
樹下美術館にも大切なことだと感じた。

今日、今年の樹下美術館が終わりました。

2020年12月20日(日曜日)

新型コロナを心配しながら樹下美術館の2020年の営業が終了しました。
全ての人に重く等しく迫ったコロナの災禍。
“万事塞翁が馬”
大変でしたが真摯に受け止め、苦労した人ほど心身の抗体を強く獲得した、という風に考えたい、と思っています。

頭の洗濯として荒れた海を見に大潟漁港へ行きました。

 

 

 

閉館近く二組のお客様が見えて、お茶を一緒しました。

今年購入し、ご好評を頂いたイッタラのカップ&ソーサーが最後を飾った。

 

ある方がプレゼントといって「スージー・クーバー」の楕円皿を下さった。
既に終了したメーカーながら、今でも人気を保っている。
一目見てスージ・ークーパーだと分かり、
初めて手に取り、素晴らしさを実感。果物を盛ってみました。

絶妙なパステル調の色使い。楕円ぶりも麗しい。
オムレツ、果物、、、お茶会でお菓子も載せてみたい。
貴重なお品を有り難うございました。

 

開館を3ヶ月近く遅らせるなど、コロナで大変な年でした。
至らないことが多かったと振り返っていますが、皆様のお陰をもちまして何とか終了しました。

来年度は3月15日(月曜日)から開館です。
お待たせ致して申し分けありませんが、無事開けられるよう健康に注意して臨みたいと思います。

本当に有り難うございました」

明日で今年度の終了。

2020年12月19日(土曜日)

北風が吹き付け、外気温が2度前後だった本日。幸い樹下美術館周囲の積雪は少ないまま推移している。

 

本日の様子。

悪天候でしたが13人様にご来館頂いたそうです。とても感謝いたしてます。

以下周辺で見た鳥です。

スズメの群。
比較的雪が少ない当地に集まっているのだろうか。

この数日アトリやカワラヒワなどの群も見ている。
鳥たちにとって暖かかった昨冬は天国だったが、一転今年は厳しく始まった。餌が不自由する季節をどのように凌ぐのか、一見あっけらかんとしている鳥たちを見ていると心配になる。

メジロの小さな群が垣根に来ていた。
きれいな色に癒やされる。

今年の営業は明日一日を残すことになりました。少しでも天候が回復しますように。

絡まずにメガネからマスクを外す。

2020年12月18日(金曜日)

メガネを掛けている人はマスクを外す時に往々ヒモが絡んでやっかいな思いをする。
これは通常メガネの上からマスクをするためと、マスクのヒモがメガネのツルの内側(顔との間)に入っているために生じる。

マスクを先にしてからメガネを掛ければ絡みなくマスクは外せるが、まず普段の生活ではそうしていない。

今10月、あれこれやっていると簡単にマスクを外す方法が分かりスムーズになった。すでに行っている方も沢山おられると思いますが、以下に示してみました。
マスクには耳の上と下に二本のヒモが通ります。そのうち下ではなく、上のヒモに指を掛けて引くことが要点です。

●まず下のヒモに指を掛けて外した場合、絡んでくる様子です。

ヒモはメガネのツルの上にあるため、
そのまま下に前に引くと、ヒモがツルの内側にくぐった状態になる。

 そのまま前に引くのでツルを一回りしたまま絡んでくる。

 

メガネごと外す以外ない。

最悪の場合。

●上のヒモに指を掛けて外すと以下のように、絡んでいても抜けます。

マスクの掛け方を問わず、ヒモはメガネのツルを後方へ抜けるように移動し、取れます。

 

耳の上を滑り、絡むことなくとツルから外れる(抜ける)。
左右とも同時に行うと一度に取れる。

少々不思議ですが、上のヒモに指を掛けると耳との関係で後方への動作になり、下に掛けた場合前方へと手が動きます。このことも絡みと関係するようです。

加藤官房長官は時折マイクの前で、メガネにマスクを引っかけては苦労されていました。下のヒモを引っ張っていたためでした。ある時期から上を引くようにされ、いつでもスムーズになりました。

まだ苦労されている方はぜひためしてみてください。

●マスクを掛ける段階で、ヒモを後ろ一杯、上から下へ引かないことも大事になります。
(往々この時にメガネのツルの先端から内側へヒモが絡みます)
●細いヒモの場合余計にツルの内側へ入りやすいと思われます。
●メガネのツルがゆるい場合も、後方の隙間から内側にヒモが入り絡みやすくなります。

私は聴診器まで絡みますので時にひどい目にあっていました。

いずれにしても上のヒモに指をかけて外せば大丈夫です。
すでに分かっていらっしゃる方には余計なことだったかもしれません。

ささやかな慰労会 荒れる上下浜、

2020年12月17日(木曜日)

まれに見る豪雪となり各地で甚大な雪害を生じるまでになっている。

樹下美術館の一帯は積雪も少なく助かっている。
過日SPレコードをかけて頂いたS氏を囲んで慰労のお茶を飲んだ。合間にシューベルトやブラームスを聴き、ロンドンデリーの歌にビングクロスビーのクリスマスソングなども聴いた。

このような時の最後は、たいていP・カザルスの「鳥の歌」が掛けられる。本日も祈るような気持ちで聴いた。

 

懐かしのビング・クロスビー。

 

 

窓外にアラレが降り、時に一瞬陽が刺す。

クリスマス向けのお菓子。

 

お茶がお開きになって上下浜へ行った。

 

強風のなかカモメがやってくる。
この二羽はしばらく演技風の飛び方をした。

 

 

荒海はターナーの絵のようで見応えがあった。

雪中の青い建物。

2020年12月16日(水曜日)

連日の灰色の空。
そんな日に走っていると青い建物が目に止まる。本日午後、施設回診の帰りに回って二三撮ってみた。

色の名は難しく、自信がありません。

ターコイズ、トルマリンなど。

 

セルリアンブルー?。

 

濃いラベンダー、プルシャンブルー、群青など。

いずれも納屋か作業小屋のようだが、それぞれ良い色だった。
これら青い建物は雪が降ると急に目立つようになる。灰色の雲の上にはこのような色の空が広がっているんだろうな、と思って見てきた。

今夕のニュースは一気に来た寒波と大雪を報じていた。幸い沿岸の私達の所は、風は強いがなんとか小雪で推移している。

英国の人のふる里は窯業の地 当地の初雪。

2020年12月15日(火曜日)

昨日のこと英国人のお客様が見えられ、挨拶をしました。ブルー・キャリコのカップでコーヒーを飲まれ、出身はその器が作られている地域だと仰ったことを、後でスタッフから聞きました。

器はバーレイ社の製品で、会社はスタッフォードシャー地方のストーク=オン=トレントにあります。古くから一帯は一大窯業地で知られ、ロイヤルドルトン、スポード、ウェッジウッド、ミントンなどはここで生まれたと言われています。

 

昨年からお出ししているバーレイ社の「ブルー・キャリコ」。

 

 

開館当初から使っているロイヤルドルトン社の「タンゴ」

 

かって使用していたミントンのシノワズリ

同地域が良質な陶土に恵まれたこと、焼き物に必要な燃料である石炭の産地に近かったこと、運河による交易を盛んにしたことなどが発達に繋がりました。分けても一人の人、ジョサイア・ウェッジウッドの窯業に対する功績は特筆すべきもののようです。
当館ではかってミントンやウエッジウッドも使いましたので、色々とスターフォードシャー地方、ことにストーク=オン=トレントシティにお世話になっていることになります。

 

ところで本日は予報どおりに雪が降りました。幸い仕事場の大潟区は僅か、美術館の頸城区は10センチほどでした。

午後の大潟区土底浜。

美術館のカフェと外の様子です。

こうなるとこの先の天候は予測出来ません。庭に出て切り残したホトトギスの枯れ草を切りそろえ、雪による倒伏に備えてトクサを切り詰めました。

明日、明後日はさらに寒波が強まるようで心細いです。
ちなみに、一昨日悪天のゴルフを一緒したK氏に風邪を心配して電話をしましたところ、大丈夫ということでした。

極地?ゴルフ クリスマスプレゼント モミジの落ち葉。

2020年12月13日(日曜日)

去る11月29日にゴルフをした。その時今年最後のラウンドだと思ったのもつかの間、お天気次第でもう一度出来ないかと考えた。

1週間前に本日の予約をし、見ていた予報は曇り時々雨だった。
いよいよ迎えた本日その朝、寝床で聞いたのはビュウビュウ唸る風の音にバシャバシャ鳴る雨の音。予報はこんなにひどくはなかったと思いながら、次第に良くなろうと淡く期待した。
さて時間が来て出発、荒れすさぶなか車を走らせた。

ゴルフ場は近くの米山水源ですでにK氏が来ている。あの雲が行ったら上がるんではないかな、と仰る。
ロッカーで仕度をしてスタート室へ向かうと、「ああダメだダメだ、アラレまで降ってきやがった」、と言って二組のプレーヤーがびしょ濡れになって戻ってきた。
確かに風雨は衰えないばかりか盛っている。

それでも私達は出た。
一番ティーは顔を上げられないほどのアゲインスト。どういうわけかティーショットはちゃんと飛んだ。だがコースのバンカーは水が溜まり、グリーンは水浸しである。
水浸しのグリーンはパットが出来ない。それでも良いところを探し、ずぶ濡れになりながらパッティングの練習をした。後にも先にも人影は見えない。
まるで貸し切りですねとK氏は言い、人が見たら狂気の沙汰かもしれない。

中ほど過ぎると自販機とトイレがある。ホットココアを買った。手がかじかんで時間が掛かったと言ってトイレから出て来たK氏。二人でココアを飲んだが、こんな美味しいココアは滅多に無いと思った。

 

温かココア。手袋もぐしょぐしょ

あと2ホールになると、このままなら9ホールで上がろうか、と話した。
コロナを前に風邪で寝込んだらどうしよう、という考えが頭をかすめる。だが不思議なことにショットの調子が良いのである。強風のなかドライバーは飛ぶし、まずフェアウェイを外すことが無かった。

雷も鳴り無事とは言えない9ホールを終えた。スタート室では良く帰って来ましたね、と迎えられた。軽めのレインウエアの私は雨合羽のK氏よりはるかに濡れ、乾燥室に直行した。ロッカーで持参したズボンと靴下を着替え、一応後半の時間を尋ね昼食をすることにした。

熱いギョーザと味噌汁が美味しい。

広いレストランに客は僅かだった。
K氏のゴルフ歴は52年、私は57年。今の人は雨だ風だと言ってすぐ止めるが、私達はそんなことはしなかった、と昔話をした。
昼食を終えると風が少々収まる様子。残りのラウンドをすることにしてマスター室で貸し靴を借りた。そこで頂いたポケットに入れる発熱剤はかじかむ手に有り難かった。
気温が下がっているものの、ラウンドしてみると不思議なことにまだ好調が続いた。

11番ミドル。写真を大きくするとパー・オンしている私のボールがわずかに見える。
後半も雨は続いたが、グリーンの水は退きパットが出来るようになった。

前半調子が出なかったK氏が良くなり、18ホールを終了した。ひどい条件だったが楽しんだ、と思った。18ホールを回ったのは、私達を入れて二組と聞いた。

朝から5時間半。南極でゴルフをしたみたいでしたね、とK氏。いつもお世話になっている氏に、また来年と厚く挨拶をして別れた。

しっかり着替えて美術館に行くと、妻に、あなたほらほら、と言われ、Oさんのお顔が見えていて、妻とともにクリスマスプレゼントを頂いた。

間もなくこられたSさんは歴々たるお茶人。話は昭和30年代の上越市の四方山に及び、楽しかった。

 

Sさんを見送って玄関に出ると、あら可愛い、と仰ったモミジの落ち葉。

 

本日のゴルフもそうだったが、やりましょうと言う人と仕事や遊びをするのはとても楽しいが、止めたがっている人とは非常にやりにくい。
良い思い出になりましたね、とK氏。
そのとおりである。このくらいやらないと思い出にはならない。

あちらこちらで「また来年」の挨拶。仕事と美術館とゴルフが出来るよう頑張りたい。

今年のSPレコードを聴く会が終わった。

2020年12月12日(土曜日)

昨年の樹下美術館は催事が多く、小規模な私たちにはかなり大変だった。そこで来年は簡単にしよう、と考えていたところ、年が明けるとコロナが始まりことさら静かな年として経過した。

7月以後、月1回のささやかな茶会は何とか無事終了できた。後は本日の年末SPレコードを聴く会だけ。
例年レコードをお持ち頂くSさんのお蔭で、それも本日無事に終えた。しかもベートーヴェン生誕250周年にちなんでオールベートーヴェンが試みられ、胸打つ会だった。

入場無料で30席予定の会は25名ほどの参加で始まり、コロナを考えればほっとする状況だった。

 

開始前のひととき。

 

ベートーヴェンや曲のエピソードなど、Sさんの興味深い解説で進む。

 

プログラム。
軽快・重厚、知的・情熱的、、、心打つ巨匠たちの丁寧な演奏。

休憩。

 

休憩のお茶。

すぐ後ろで演奏を聴いていた?齋藤三郎さんの器たち。

昭和20年代、父の居間からしばしばベートーヴェンのSPが聞こえた。上掲写真の左二つの壺はそのころに父が求め、ずっと居間にあった。今夕6,70年振りに父がよく聴いていたクロイツェルが掛かると、一瞬壺たちが耳を傾けているように感じた。

雨模様の寒い午後、お越し頂いた皆様、誠に有り難うございました。
またはるばる遠くからこの日のためにいらした方。ここは良い所と仰って頂き有り難うございました。

穏やかだった日 裏のテーブル席 ベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」。

2020年12月11日(金曜日)

薄曇りの本日日中は暖かく、ほとんど風も吹かず、上越市大潟の最高気温は13,2度だった。
極めて雪が少なかった昨冬の今ごろも好天だったと、書かれている。

いつものように昼は美術館に寄った。
カフェ前のモミジの落ち葉は、一昨日掲載したのと同じように散らばっていた。まだ少し葉が残っているので、風が強く吹かなければ明日もきれいに見えるもしれない。

 

良い具合に芝生が落ち葉を受けるので、この木はとても恵まれている。

 

裏の丸テーブルで、女性が一人、一時間ほどお茶されたと聞いた。

 

ここは人けが無く、風も当たらず眺めも良い。

 

私も真似て、本日はここで昼食。
紅茶とサラダを頼み、持参したヨーグルトを食べた。

 

午後の在宅回りは三件。帰路は無風の中谷内池。

明日午後3時から陶芸ホールでSPレコードを聞く会。今年はベートーヴェン生誕250周年記念に当たっているので全てベートーヴェンを掛ける予定です。

 


ピアノソナタ「悲愴」の解説。
平野昭氏と仲道郁代さんによる演奏と解説。

自らの運命的な苦難と取り組み、人々のためにあろうとしたベートーヴェン。歴史的なコロナの年がベートーヴェンのメモリアル年だったことは深い意味があるかもしれません。

大変申し分けありませんが、予定の30席は本日満席になりました。今後また楽しい企画をしたいと思いますので、どうか宜しくお願い致します。

家で昼食 モミジの落葉。

2020年12月9日(水曜日)

日中風強からず、お天気に恵まれた本日水曜日は美術館の休館日。
いつもならヨーグルトを一つ持参して美術館へ行き、サラダと紅茶をもらって昼食としている。本日は休みなので、家で妻の用意したものを食べた。

 

小さなパン一切れに頂きもののルッコラとハム、チーズが乗り、サラダと珈琲で済ました。

午後から施設を一回りして美術館のモミジの落ち葉にカメラを向けた。

北から南を撮る。

 

反対からも撮った。

 

この木が落葉している。

毎年一度、年末のモミジの絵画。今年は弱い北風のせいで芝生全体にきれいに描けた。明日は雨降りらしい。モミジはどのようになるだろう。

机上の白紙メモを取り替えた 小さな幸せと希望 背を伸ばして。

2020年12月8日(火曜日)

昨年8月半ばから始めた机上の白紙メモ。このたび4枚目を終了し本日新たにタートした。昨年8月から始めて16ヶ月近く経った。およそ4ヶ月で一枚終わったことになる。

後々のために用いるのではなく、その場その時に必要な文字や数字をメモするだけ。物忘れが進むので必要なものになってしまった。

 

今年7月1日に新しくした紙(終わったカレンダーの裏)。

 

それが昨日以下のように一杯になり

近寄ったところ。一部ボールペン書きの上をマーカーで書いた。
使えそうな英単語はノートに写す。

今夜以下のように5枚目として取り替えました。

 

たぶん右下から書き始め、
次第に向こうは手が届きにくくなり、途中で上下反対にします。

 

4ヶ月経ってメモが終わるとすると、3~4月ころに取り替える。そのころコロナは、オリンピックは、アメリカは、アジアは、医療や学校は、経済はどうなっているでしょう。一つだけ、オリンピックは中止と予想していますが、ほかは全く想像できません。
いずれにしても国は一般のために賢くお金を使ってと、切に願うばかりです。

しばらくは小さな希望の積み重ね。
その中で背すじだけは伸ばして行かなければ、と思っているところです。

在宅今昔 手作りリースと冬の野菜。

2020年12月7日(月曜日)

今日の在宅回りは一件だけ。
その昔、25~30年くらい前までは1日回7,8件の在宅は普通で、週末に深夜なども含め急用の往診が時に10数回もある日があった。
肺炎や看取りの方が同時に3,4人いるとそのようになり、若かったので勇んで出かけていた。

その後施設が沢山出来、病院や地域の夜間休日の態勢が順次整った。本日のように一件と聞くと、有り難いと感じる。

 

本日90才なかばのお年寄りの家へ寄った。
庭の植物で作ったリースがそっと壁に掛かっていた。
斑入りアオキ、マンリョウ、スギ、カラスウリでこしらえてある。

お宅では、様々に身体の問題を抱えるお年寄りを長年ご自宅でみて来られた。食事はベッドとばかり思っていたが、その都度食堂へ連れて出られると聞き、とても驚いた。

帰りにギンナン、ルッコラ、柚子、瑞々しい季節の野菜を頂いた。

 

 


少し早めですが1960年代のアンディ・ウイリアムスの「ホワイト・クリスマス」です。
これくらいの雪なら本当に綺麗ですね。

どうにか穏やかだった本日、明日は雨模様ということ。段々と気ぜわしくなります。

カプセルが回収された 空力加熱と発光。

2020年12月6日(日曜日)

本日2::30少し前、ハヤブサ2から切り離されたカプセルがオーストラリアの砂漠地帯で無事に回収された。

 

火球となり大気圏を通過するカプセル(JNNニュースから)。

火球の光は、毎秒12㎞の超高速物体の前面と大気との間に生じる圧力による空力加熱という現象による発光だという。部分的に1万度にもなるが摩擦によって全体が燃えているのではないらしい。
耐熱プラスチックや炭素層の設えによって防護された内部は50℃レベルで守られているという。回収されたカプセルの外観も一見とてもきれいに見えた。

猛烈な物理的ストレスがかかる大気圏突入中の姿勢が、一定に制御されているのにも驚かされる。カプセルはゆっくり回転が加えられているというが、不思議だ。本体からの切り離し角度やタイミングなど、何から何まで綿密な計算通りに遂行されている。
様々な試行錯誤があったはずだが、責任者が1000パーセントの成功と言うのだから凄い。

原初の地球の姿をとどめるといわれる小惑星から持ち帰られた試料。まず地球と生命の生成にどのような情報をもたらすのか、興味深い。

本日12月6日、深夜の火球映像とカプセル帰還。

2020年12月6日(日曜日)
昨日午後、はやぶさ2本体が地球に向けてカプセルの切り離しを成功させた。火球となって大気圏を通過するのは本日午前30分ころと知らされていた。

こんなことがあると夜更かししてテレビを見てしまう。
そして見た。

ほぼ予想された範囲の時刻に火球となったカプセルが夜空を横切る映像が見られた。ゆっくり夜空を横切る流星として映し出される。10分ほどすると無事カプセルが発するビーコンが受診されたとアナウンスされ、着地地点の捜索、回収作業が始まった。

 

NHKの深夜速報から。

 

カプセル無事着陸に拍手が起こる
相模原市のJAXA宇宙科学研究所管制室。
(日テレのネット中継映像から)

6年をかけてミッションを遂行したはやぶさ2は、地球に向けてカプセルを切り離すと、次のミッションに向けて再び宇宙へと旅立っていった。11年後、最終的に1998KY28という微少惑星に到達し探査を行うという。
私は茫としてそのような文言に接するだけだが、実際に運営する現場の人達は超広大な宇宙空間で超微細な操作によって超高速の探査機をコントロールする。まったく、信じられない世界があるものだ。

このたび持ち帰られた貴重な試料や、今後やぶさ2が知らせる事実は、地球の生成はおろか、その先の運命の研究にまで資される。

大偉業を成功させた宇宙科学のリーダーたちは、一見しておじさんたちだった。コロナで暗黒化した世界に何と輝かしい光を灯したことだろう。それがおじさんたちのリードというところに、科学における脈々たる昭和の力を感じたが、おじいさん世代としては嬉しいことだった。
この先平成、令和生まれのもっとすごい力が発揮されることを期待している。相模原の応援ホールで興奮していた子供達がとても印象的だった。

夜が明けて、カプセル回収の映像が見られることを楽しみにベッドに戻りたい。

小島正芳先生の来訪 名残惜しい上下浜と四ツ屋浜の夕暮れ。

2020年12月5日(土曜日)

午前の仕事を終えて急いで美術館に戻る。
すでに新潟市から大切な方、小島正芳先生が自宅にお見えになっている。

今夏全国良寛会会長になられた先生は、優しいお心に朗らかな童心をお持ちの方。隣に座っていると澄んだ感受性が伝わってくる。

ふとしたことから先生の知己を得て、今秋樹下美術館で「齋藤三郎と良寛さん」を講演して頂いた。先生は新潟大学時代に髙田の芸能科で齋藤三郎の講義を受けられ、三郎に心酔し敬慕されていらっしゃる。
樹下美術館来年の展示は「齋藤三郎の書画」を予定し、秋にはそのことで再び先生のお話を聞けることになった。

本日は三郎の文字の書き込みがある焼き物と手紙類を見るため来訪して頂いた。関連作品と書に囲まれ、とても幸せそうにされ、ご一緒した私どもも幸福だった。

 

玄関に掲げた額。
齋藤三郎の書はとても鑑賞価値があるという。

来客をまじえた話は良寛の書と逸話に及び、それらに現れる優れた人としてのエッセンスに触れられた。
年末テレビの良寛の特別番組や、来春~夏の東京に於ける良寛展などの企画・監修でお忙しい先生。広く芸術に対する造詣深さが伝わる貴重な時間だった。

NST新潟総合テレビ、2020年12月31日9:50~10:20
「良寛さん出家の謎」 案内:小島正芳
ちなみに昨年の同企画番組の一コマをNSTのブログから以下に引かせていただきました。
昨年の大晦日番組での先生。

 

来客のお一人が庭のモミジをご覧になった。
根本から枝が出ていることがとても変わっていて面白いと仰った。

この木は手入れを怠っているだけと返事をした。が後になってよくよく考えると、購入したものではなく、ここで実生から育った木ではないかと思った。そもそもこの場所は、いまだ十分な手入れがされず半ば野のままになっているところ。来年はもう少しかまいたい。

楽しい時間はあっという間に過ぎる。高速バスの頸城停留所へ先生をお送りした。着いたのは良いが、上り下りの線を間違えてしまい、先生が慌てて強風の隧道を対側へ歩かれるのが見えた。走って行ってお詫びし、あらためてお別れした。

 

さて極端に日が短くなっている。陽の名残を惜しんで上下浜と四ツ屋浜に寄った。
まったく漠然とであるが、あの世では会いたい人に会えるかもしれない。だが風景だけはそうは行かないような気がする。

夕闇迫る上下浜は、いつものマリンホテル・ハマナス。

 

帰路の四ツ屋浜では沖の雲に降水が見られた。
遠くから見ると、時雨はこんな風になっているらしい。

 

心から楽しそうに良寛や齋藤三郎を話される小島先生。思い邪(よこしま)無し、幸福とは何かを垣間見るような時間だった。

時雨の合間の日射し 愛らしい落ち葉 カフェにシベリウスのヴァイオリン 山裾に雲のいたずら。

2020年12月3日(木曜日)

しぐれる午後のカフェにいると、突然遠くに陽が射してきた。
まだ雨が残る風景の向こうが明るくなっている。今ごろよく見られる絵画的な光景で、いっとき気分が明るくなる。

こちらまで陽がやってきて外に出てみた。

 

 

2枚とも美術館の裏手で。

 

玄関前左手のモミジ。

 

カフェ右手のモミジ。
この二本が落葉するとほぼ全ての落葉樹が散り終わる。

 

上掲の株立ちの根本に落ち葉が集まっている。
北風を避けて肩寄せ合う。ああと声がでるような可愛い情景。

午後遅く、ほくほく線の田んぼに行ってみると奇妙な雲。
ときたま変な現象を目にする事があり、これも変わっている。

 

まもなくモヤモヤと消えた。
もう面倒なので理由の詮索などは止め、雲のいたずらということにした。

12月20日が最終日の樹下美術館。例年今ごろ、雪はどうなるだろうと思案して過ごす。
皆さんに聞くと予報は、当初の「多い」から「例年並み」に変わったようだ。

本日お客様が持参されたSPレコードでシベリウスのヴァイオリンコンチェルトを聴いた。木枯らしの庭に澄んだヴァイオリンが響き、北国のオーケストレーションが熱くバックアップをした。第1楽章だけだったが終わると拍手が鳴った。

昨日の記事、猫の目とコロナの感染報告の続き。

2020年12月1日(火曜日)

昨日田んぼの黒猫を見て写真を撮り、目が色々変化することに感心してここに書いた。
その時、慣用句である「猫の目のように変わる」を思い出していた。

以下四枚、昨日の猫の目の拡大を追加してみました。


惹かれたのは色々と変化する目の色(瞳孔に見える色)だった。後で猫の瞳孔の色が、特にフラッシュを使ったときなどで変わることがあるのか、あるらな何故か、を知りたくて検索してみた。

しかし、「目の色が変わる」で、多くの記事は猫の成長過程で虹彩部分が変化することがあるという言及が大半だった。これでは猫の目のようにめまぐるしく変わる、の意味にならない。
進めると、色ではなく瞳孔の形状とサイズが明るさや光によって瞬時に変わることが、「猫の目のように変わる」の意味するところだと分かった。猫を飼っている方や猫好きな方なら誰でも知っていることにちがいない。

大人になって久しい私はすっかり猫の事を忘れている。そして昨日は猫の目の色の変化に驚き、変わりやすいのは「目の色」というイメージになっていた。
申しわけありません、変わるのは色では無くて瞳の形状でした。

では目の色の変化は何だったのだろう。
人間でもフラッシュ撮影で赤目になるが、あれに似たような現象を考えた。但し猫は、顔の微妙な向きによってそれがオレンジになったりブルーになったり、オバールのようにもなり、きれいだった。

本日二三当たったところ、猫は鋭敏に光に対応するためタペタム(輝板)という反射板としての膜が網膜の裏にあることが分かった。私たちの目は1回網膜を通過するだけだが、猫はその裏のタペタムで反射させ、裏から網膜を再通過させて感度をあげているという。

ではなぜ何種類にも変わるのか、は詳しく探せなかった。恐らく目の微妙な向きにより網膜を通過する入射角と反射角が変わり、それがプリズム現象となって色が変るのではと考え、一応納得してみた(まだはっきりとはわかりませんが)。

猫に関してもう一つ、フラッシュは目の障害にならなかったかの問題。
曇り空の広い田んぼで、猫との距離は3、4メートル。撮影中ずっと瞳孔が同じ大きさだったことから、障害を生じさせるほどの光量ではなかったのでは、と思った。だが相手をしてもらった猫さんには少々迷惑だったかもしれない。

最後に、昨日書いた病院に於けるコロナ感染に関係して、本日新たに1名の陽性者が出たと報告された。関連スタッフを広く検査した後、他に陽性者が無く、本日から外来業務再開と報じられた翌日の追加報告だった。
当初迅速な行動と判断に敬意を表したが、新たな展開による再開は7日を待って検討するという。克服や安全の宣言に関する難しさがひしと伝わる。保健所も加わりより詳細な検証がさらに続けられることだろう。

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