2020年5月

樹下美術館は明日午後から開館です。

2020年5月31日(日曜日)

日中はおおむね曇りの日曜日。
明日から今年の樹下美術館が始まります。文字通り〝いよいよ〟あるいは〝ようやく〟という感じです。
およそ半年の休館などは未経験。果たしてお客さまは覚えて下さっているだろうか、来てもらえるだろうか、とやはり心配しています。

6月は午後1時~5時の開館ということで、どうか宜しくお願い致します。一通りのウイルス対策に加えカフェも飲み物とお菓子・ケーキ類だけで、本当に申し分けありません。
手前味噌ですが、展示と庭、それに食器を少々頑張りましたので、どうかお許し下さい。

 

本日芝を刈ってみましたところ、まだら模様が現れました。
毎年のことですが、伸ばしすぎたようです。
また手当をしていきたいと考えています。

 

本日曇りの空は夕刻に茜が射し、いっとききれいになりました。

 

美術館のそばの新堀川。

 

 

 

今年の近辺の海はアジやキスが良く釣れているようです。

明日のお天気は一日中曇りということです。来週は晴れたり曇ったり、時に雨が混じるか、という予報です。
いろいろなお天気の樹下美術館をお楽しみ頂けたらと、思っています。

「どうか宜しくお願い申し上げます」

間もなく開館 花の往来 美しい夕暮れ。

2020年5月30日(土曜日)

明後日の開館を前に、本日もスタッフは午前から準備をした。
無雪の今年は早くから展示を仕度し、庭をいじってきた。展示は順調にいけば、あと7ヶ月皆様に見て貰える。しかるに、そそとして始まった春の花たちのシーズンは、結局一瞥もされずに終わった。思えば随分可哀想な話だった。

曲折を経て植物たちの出番は夏の庭からとなった。
見所は木々の麗しい緑とその陰であり、花はまず植えたばかりの赤いサルビアと数本のバラ、それからすぐにアジサイやアスチルベにキョウガノコ、フウロソウ、シモツケなどが見頃を迎えるはず。
願わくばこの花たちは、去って行った椿に桜、レンギョウや丁字ザクラ、ヒュウガミズキ、そしてクリスマスローズ、イチゲ、スミレ、エビネ、スズラン、ミヤコワスレ、チューリップ、ボタン、芍薬、さらにアヤメなどに代わり、お一人でも多くの方に観てもらえれば、と思う。

本日は夕暮れの空がきれいだった。

 

 

 

ほんの少しだけ雨を降らせた大正時代の乙女のような雲。
広い水は田植えを待っている田んぼ。

 

今日だけは丁度良い時に電車がやってきた。

 

美しい夕暮れは、一日の終わりに授かる贈り物。

北九州市のような事が飛び火をしないよう祈るばかりです。

今年仲間入りしたカフェの器です。

2020年5月29日(金曜日)

14年目になる樹下美術館。今年はカフェの器を一部入れ替えました。
以下のようにイギリスはシェリー社の3客、バーレイ社の2客、ドイツのマイセン社の2客です。

 

シェリー社のクイーンアンタイプは1929~30代のアールデコ調です。
バルーンツリー(1客)

 

同じくクイーンアンですが、呼び名が分かりません(2客)。
とてもすっきりした印象です。

 

同じくクイーンアンタイプのレッドデイジー(1客)
ワンポイント、オレンジ色の花が効いています。

 

バーレイ社のブルーキャリコのカップ&ソーサー(2客)。
日本で言えば染め付けの器ですね、落ち着きます。

 

長く人気を保っているマイセンのピンクのバラのシリーズ(1客)。
ペインター職人たちの手書きにより絵付けされています。

 

同じくマイセン、ベーシックフラワーシリーズのカップ&ソーサー(1客)。
上掲と同じく深い皿が落ち着きます。

6月のひと月間の樹下美術館は、午後だけの開館です。カフェのメニューもケーキと飲み物に限定させていただいてスタートです。

緑の庭を眺めながら、新しく仲間入りしたカップなどで楽しくお過ごし下さい。

今度こそ開館その2 齋藤三郎(陶齋)の「椿と梅 」。

2020年5月28日(木曜日)

昨日は今年展示の倉石隆作品を紹介させて頂きました。続いて本日は齋藤三郎(初代陶齋)の陶芸作品です。

3月~7月の前半を「陶齋の椿tと梅」展にいたしましたが、コロナに対応し休館のままに二ヶ月半が経ってしまいました。
あと二ヶ月、本日展示25点の作品から一部をご紹介させて頂きまます。

陶芸ホールを入ってすぐ左の展示です。
手前に色絵の椿文壺、向こうは赤絵の椿詩文壺と椿文の筆および香盒です。

 

民芸の味わいを有する鉄絵椿文皿。上越市における比較的初期の作品です。

 

色絵椿文壺。昭和40年代、華やかな椿樹を大らかに描いています。

 

梅文のペンダントヘッドと香盒。
師である富本憲吉の梅が継承されています。
香盒は初期、ペンダントは中期に相当する作品です。

 

手前の酒器は赤地に金彩で梅の枝が一面に描かれています。
向こうの鉢は椿樹を梅が囲む大胆な意匠です。
ともに中期に相当する晴れ晴れとした作品です。

 

向こうは梅枝をあしらった皿6枚。
手前は最初の師・近藤悠三の赤絵と呉巣の描き分けによる梅枝の鉢。
見込みの文字は「壽山萬丈高」でしょうか、参考として展示いたしました。

寿山といいますと、師・近藤悠三に続き、若き陶齋が腕を振るったのが「壽山窯(じゅざんがま)」。
宝塚市雲雀丘で、サントリー創業者・鳥井信治郎が有した窯です。

梅は二人の師、富本憲吉および近藤悠三が好んで描いたモチーフに習って描かれています。椿は、上越市寺町に窯を開いてから独自に創り出した文様で、長く好んで描き、多く愛されました。
時代により花の形状が変わりますし、中頃からは椿樹も描かれるようになりました。

陶齋作品の前期は地味めで一種民芸風、中頃から色数が増えて華やかなになる傾向が見られます。ご自分の好みを考えながら、どうかご覧ください。

 

本日はスタッフで展示準備と庭仕事でした。午後にはコロナの対応を皆で確認をしました。

以下は作業の一部です。

当初から庭にトクサの一角があります。
常緑性ですのが、細いため冬期は雪でバラバラに倒れます。
それで初冬に短く刈ります。
不思議な事に、冬を越すと上部が枯れて白くなり、見た目が良くありません。

 

それで本日、皆で上の枯れた部分を取り去りました。
大変でしたが爽やかになりました。
まじっている植物はこの場所が好きなリンドウです。

 

ようやくカーテンが上がり、呼吸を始めた樹下美術館。

〝良い季節になりました〟

こんどこそ開館その1 倉石隆の展示。

2020年5月27日(水曜日)

しばしば湿気を感じる日があり、早くも夏の気配。
人により着ているものが色々なのが面白い。私はまだ時にチョッキが必要で、ひと様のように半袖は無理。

かって書いたように思いますが、昔から一年で一番好きな月が6月でした。
生き生きした樹木と多彩な花々、穏やかな日射しに清々しい風と雲。
梅雨の初めの頃までの自然は、生気と調和がみなぎり、特別なことが無くても、ある種しあわせを感じます。
以前はもっと6月に拘り、2007年の樹下美術館の開館はぜひ6月にと進めたほどでした。

ウイルスパンデミックに見舞われた今年、奇しくも開館が6月1日となりました。まだ曲折があるかもしれませんが、どうか良い月であれば、と願っています。

今後数日は、あらためて展示やカフェなどのお知らせをさせていただきたいと思います。
本日は絵画・倉石隆の展示についてです。今年は「細長い絵と本」です。

正面に油彩「イブ」「黄昏のピエロ」「晩夏(向日葵)」「悲しみの像」「ネグリジェ」の5点を掛けました。好評だった昨年を継続しました。
今年の新機軸は倉石隆が挿絵や表紙として携わった本の展示です。狭いスペースですが、5つのテーブルを用意し21冊の関連した本を並べました。

 

本で賑やかです。

 

5点の細長い絵。
過去に展示した中から特に細長い作品を架けてあります。

 

 

 

倉石隆が本に携わった時代はモノクロ(白黒)からカラー版への移行期でした。

開館以来、関係書物を集めました。まだ十分ではありませんが以下のタイトルで21点を展示致しました。
「不良少年」「一切れのパン」「小公子」「ふしぎな球」「金色のあしあと」「うつくしいおくりもの」「魯迅」「ちきゅう」「人形使いのポーレ」「黒森へ」「森の少女」「十五少年漂流記」「下北半島の風」「罪と罰」「カラマゾフの兄弟」「従姉妹ベット」「二人のイーダ」「ドレミファランド」「ひかりのくに」「宝島」「しあわせの王子」
です。

展覧会出品にみられる油彩の人生への自己表出、対して読者への思いやりに満ちた挿絵・表紙作品。
芸術家が生きるために費やす心の深さを、どうかご覧下さい。
油彩と挿絵。形は異なりますが、生きることへの〝寄り添い〟が共通しているのではないかと思っています。

デッサンを極め、人物画を追求した倉石隆にとって、書物の挿絵は性に合っていたにちがいありません。

長くお待たせ致して申し分けありませんでした、6月1日開館です。

2020年5月25日(月曜日)

新型コロナウイルス感染拡大に対しまして、3月15日の開館予定日を長々と延長してきました樹下美術館。

多くの県で新規の感染報告がゼロになり、それが続くようになりましたので、

樹下美術館は6月1日(月曜日)に開館いたします。

昨年閉館の12月15日から数えますと、ほぼ半年お休みしたことになります。
新たな状況下の開館を迎え、スタッフとともに展示、カフェ、庭などのチェックをして、来る6月1日開館という次第です。

以下に今年の概要をお示し致しました。

           

小規模ながら感染は続いています。辛いあと戻りにならないよう、用心をしながらのスタートです。

7月からこれまでのように午前10時~午後5時まで開館、カフェのメニューも以前に戻る予定です。

色々申し分けありません、どうか宜しくお願い致します。

8時間の庭仕事。

2020年5月24日(日曜日)

日中お天気に恵まれた日曜日。
妻は午前に所用。私は10時ころにサンドウィッチと果物、ヨーグルトの朝昼兼用を摂り、10時半から庭仕事。

芝生の肥料撒きと撒水、20余株のクリスマスローズの施肥と撒水、雑草取り、バラ植栽の手伝い、切り出した芝の移植、ススキ周囲の除草と芝止め、飛び石のみぞ掃除、まだ小さい柿の剪定などを行った。

途中木陰でお茶の休憩をしたが、午後6時半までおよそ8時間の庭。相当に汗をかいた。
茂る草木の中でしゃがむ時間も多く、最後の方では気持ちが悪くなってきた。脱水を心配して水を飲むと美味しくていくらでも飲めた。熱中症の手前だったかもしれない。

早くも芝刈りをしなければならなくなった。

本日バラ植えの様子。主に午後から来た妻が取りかかり、穴掘りの一部を手伝った。
何故かコンクリートの屑が層になっている部分があり、手こずった。

昨日植えたマリアベール。

 

仕上がったチャイコフスキー。
少しレンガを調整しなければならないようです。
いずれも飛び石に接する部分はレンガを省略し、Cの字になるようにしました。
(丸く囲むと固く窮屈な印象になるためですが、如何でしょうか)
植えた薔薇は5,60㎝でまだ小さい。場所が良いのでどんどん成長する事でしょう。
早速消毒です。

 

8時間も庭にいたことが無く、かなりきつかった。夕食のラーメンと餃子の塩気をとても美味しく感じた。

開館を願って&本日の庭仕事。

2020年5月23日(土曜日)

早々に休館を決め、未だそれを続けている樹下美術館。
大げさに言えば、明後日25日、予定通り一人で諮問委員会をひらき、6月1日開館を決める手順にしています。

あまりの慎重さですが、三ヶ月余、本業で味わった何とも言えない緊張感は簡単に収まるものではなく、用心深くなってしまいます。
5都道府県が解除されても、拡大当初はこの程度の水準だったことを考えれば、そう安心はできません。
いずれにしましてもこのウイルスの未知性を前提に、慎重に歩むほかありません。

本日は伸びやかな雲景色、気持ちの良い空でした。妻は一カ所目の芝生のバラを植え終わり、二カ所目の仕度でした。
私は頸城園芸のあるじに聞いたように、終わったクリスマスローズの根の周囲をほぐすように施肥をしました。来年の大株を夢見て行った次第です。
いずれも拙い仕事ですが時間を忘れます。

 

樹下美術館の開館前から頑張っているメアリーローズ。
この花に被さるように伸びてきた木の枝をすっかり払うと
気持ちよさそうな表情になりました(今夕の様子です)。

東京都などの解除を心待ちにしています。

むなし恥ずかしの一件 不可解なツバメの巣。

2020年5月22日(金曜日)

長く続く政権で色々なことがある。この度の検事長の一件は、政権のシンボル的出来ごとであり、ため息が出る。
望むなら高位の公職者には手腕とともに品格が期待される。

件の方の手腕はよく分からないが、期待されたものは「貧格」としか言いようがなかった。同僚とその世界が気の毒なほどである。
また、司法・立法に跨がる要職で、このような人を法を変えてまで重用しようとした政府もまた残念極まる。結局、選挙で選んだ我々に責任があるのだから切ない。

先日依存症の拙文を書かせていただいた。
〝制限されるほどつのる〟
ギャンブラーにとって連日の雀卓は「蜜の味」だったのか。
狙いか、不覚か、空しいばかりだ。

それでも、このような人たちの口に納税しなけらばならない民の仕事は続く。
本日は20件ほどの外来と三件の在宅訪問。在宅はお一人に手の腫れと痛み、お一人には褥瘡の初期症状があった。手当と投薬で済みそうな症状だった。

ところで、あるお宅の車庫で以下のようなツバメの巣を見た。

 

サッシ窓のフレームに巣。
実に微妙な場所に作ってある。ヒナは孵っているらしく、静かだ。

すると二羽のツバメが入って来た。
それが巣のために用意した台に止まるや、親鳥に餌をねだっている様子。

人の心ツバメ知らず、、、。なぜ格好の場所を選ばず、きわどい所に巣を作ったのだろう。説明してみたいがどうしても分からない。問答が得意な禅僧は何と答えるだろう。

ページを閉じようと見直した時にふと思った。
もしかしたら用意した場所は角であり、襲われた場合逃げ場に無理がある?
その点サッシの場所はほぼ真ん中で余裕がある、そのためだろうか?

できればほかの巣も見てみます。

BRUTUS最新号「クラシック音楽をはじめよう」。

2020年5月21日(木曜日)

庭に出ているとある方がブルータス最新号、「クラシック音楽をはじめよう」を持参され、どうぞと仰り、頂戴した。

1980年代、40才になった私に何かと新鮮な刺激を運んでくれた懐かしい雑誌ブルータス。80年代は色々なものが新しい服に着替えた時代だったように思われ、幸い当時の頭はまだ多少柔軟だった。

雑誌を見ることで、カジュアルでこだわりのファッションや小物に目が行き、多くの芸術情報を見、一応ポストモダンなど百花繚乱の思想を知り、旅の写真を見、本を買いコンサートに行き、出来たばかりの渋谷東急ハンズへも行った。

 

頂いたBRUTUSはグレン・グールドの表紙。
雑誌がまだ続いている事を知り、驚きかつ安心した。
写真のきれいなこと。

図らずもウイルスで自粛的生活が続く今日。便利の価値と離れた所で息づいていた健全な紙媒体は大変フレッシュ。

ゆっくり目を通したいと思っています。

二本のバラ。

2020年5月20日(水曜日)

雨が降ったり止んだりで終日肌寒く、この所の空はまるで梅雨の様相。

サルビアが一段落し、本日はバラに取りかかった。芝生のへりに少し離して、二本だけ植える予定で妻が苗を購入した。
バラの印象は強烈なので、このくらいにしておかないと全体の調和が持たないと考えている次第。

種類はチャイコフスキーとマリアベールと聞いています。
チャイコフスキーは白を基調に中心部が淡いクリーム色。マリアベールも白が基調、縁にごく淡いピンクが乗る、という予定です。マリアベールはウエディングヴェールのことなので、まだ小さな苗ですが、花時にはお若いカップルさんにも見て頂きたいと思っています。

 

芝を切り4,50㎝土を掘り、用土を入れる。
ここは奮発してアンティーク煉瓦で囲む予定。

 

切った芝は傷んだ場所の手当に。

庭仕事とはいえママゴト風であり、何事もおぼつかない手つきで進めているところです。
美術館なのに庭の話ばかりで恐縮です。
庭は成長し毎日何かしら用事があります。手を抜くと荒れて仕事が増えるため、やはり致し方ありません。

新型コロナウイルスの新規報告が減る傾向をみせています。
このまま行けば、5月25日に6月1日開館のお知らせが正式に出来そうなので期待しています。

パチンコとカジノと新型コロナウイルス  低気圧下の雲。

2020年5月19日(火曜日)

日常的なタバコ、アルコール、甘い物、、、。
これらには止めたくても止められないレベルの依存症を生じることがある。

このたび新型コロナウイルスに関係して、様々な業種に混じってパチンコ店が休業要請された。店の休業と顧客の自粛はなかなか円滑に進まず、口頭による申し入れや店名公表も行われた。
休業はかなり進んだが、結果は一種モザイク的だった。開いている所を探し、はるか遠隔から来店するファンがいて、依存症の側面が指摘された。

一般に長く習慣化し周囲や医師に止めることを勧められる依存症。意を決して止めようと試みれば、当初上手く行っても、回数・量を減らすほど美味しく感じ、味が濃厚になる。詳しくはないが紙面を賑わす不倫にもどこか似ている。
〝制限されるほどつのる〟
過度の習慣によって脳が受ける薬理的な作用、依存症の厄介な側面である。

パチンコに眼が行くと、新型コロナウイルスで深刻な米国のカジノが気になり、ウェブを覗いてみた。自由の大国ゆえ、かなり緩いのでは、と想像していた。
すると、三月中に全米のカジノ団体に対して閉鎖が指令されると、ほぼ全ての施設は一斉に休業した、とあった。パチンコとの差に、とても驚いた。

まとまって反応する業界、それ以上に、従う顧客の相違が目に付いた。法令の違いもあろうが、訪れる人の動向がパチンコと異なっているように写るのである。
実は裏カジノなどがあるかもしれない。しかし表向きカジノとパチンコに何か違いがあるのだろうか。
現場を想像するに、ディラーなど人の介在とやり取り、マシーンを動かす動作の必要、客同士のコミュニケーション、アトラクションの息抜きなど、多彩なカジノが浮かぶ。

対してパチンコは、機械に対する孤独で受け身的な集中。休息配慮はあるが、長時間に亘って反復する脳への強い単純刺激と興奮が挙げられる。前者にゲーム性が想像され、後者には依存性が懸念される。

米国のごく一部にパチンコがあり、これに似たものが他にあるかもしれない。
ここでは産業としてのカジノとパチンコについて、わずかな見聞から依存症を心配して記載してみた。

だからと言って懸案の国内IRは余りに異質で、私には理解できない。
そのお金は工夫し、既存する国内の諸業に回すようにすれば良いと思う。

パチンコの世界における精神衛生について、さらに進んだ取り組みを期待したい。

 

本日午後3時ころの大潟区は東の空。コントラストの強いうねるような雲が形を変える。

 

およそ一時間後、在宅回診の西の空。
白い帯状の降水雲。帰りには降り始め山が見えなくなっていた。
2、30分すると雷が始まった。

本日の在宅は三件。雨は夜間も続き、望ましい事だが降り過ぎは困る。

在宅数今昔 柏崎市の方からメッセージとマスク。

2020年5月18日(月曜日)

少々風強く薄曇りの月曜日。

近時、在宅で訪問が必要な方達が減ってきている。重い方が亡くなられたことと、施設入所への流れが長く続いているためだ。

以前は70人を越える在宅の方を受け持っていた。安定されていれば月1で、毎日5、6件を訪問。重篤な方が複数ある場合は、同日に何度も出かけ、土日も10回近い往診と深夜の看取りも希ではなかった。
時代変わりであろう、本日は2件。次第に私の年令に合わせてもらっているようであり、これなら維持出来るペースになっている。

 

ところで、柏崎市の方から以下のお品を頂いていました。

楽しいアイディアのさるぼぼ人形とハガキ。

人形は「コロナにまけるな」、というのぼりを持っています。
ハガキは手編みの毛糸があしらわれ、「ゆっくり、、、ゆっくり」と書かれていました。手作り感満点で、込められた心がとても良く伝わります。事情はまさにその通りですね。

 

本日、ご夫婦で庭に寄られ、手作りマスクを持参して下さいました。
小千谷ちじみが使われているマスク。
つけてみると、とても軟らかで清々しい。

三忠呉服店の三井田様、喜んでいます、誠に有り難うございました。

雨の美術館 桜の枝払い。

2020年5月17日(日曜日)

終日細かな雨が降った日曜日。
自家菜園の方達は雨が欲しいと口々に仰っていた。私どもも一応庭をいじり、サルビアを植えたり芝に肥料や土をくべていたので、雨は有り難かった。

終日降る雨はホースの散水など比較にならないほどしっかり滲みこみ、植物に生気を与えてくれる。どれだけ馴染み、庭が生き生きするか、次の晴れ日が楽しみになる。

植えが終わったばかりの田んぼから撮った雨中の樹下美術館。
水田は海・山・川に比肩する田舎ならではの貴重な環境。

 

ベンチの桜の枝を払った。

新緑を過ぎるや庭木は猛烈に枝を伸ばしている。暖冬で力を蓄えた上、花や芝に施した肥料をお相伴して繁っている。
高枝バサミを使ったので首が痛くなった。

円滑なPCR検査実現へ 二波三波を前に今こそ新たなスタート 頸城園芸。

2020年5月16日(土曜日)

サルビア 美しい山形のお菓子 山茶碗 木村隆さんの椿のお皿。

2020年5月14日(木曜日)

私がサルビアをきれいだな、と思ったのは妙高の池の平温泉で見た時からだった。温泉地の黒い土とサルビアはとても印象的で、当時中高生だった脳裡に残った。

だが庭いじりを始めて以来自分で植えたことがなかった。外でよく見るのでわざわざ植えなくてもいいか、と考えていたのだと思う。

それが昨年から変わった。開館以来12年、庭の南端を占拠していたヒメヒオウギズイセンが繁茂しすぎて、全体に弱り始めたのがきっかけだった。
あのオレンジに代わる夏の花、、、、すぐにサルビアが浮かんだ。
芝生の向こう端にまっ赤な花はイメージしやすい。先日Mスーパーセンターへ行くと望み通りのがあり、22株求めた。初めて手に取ってきれいだと思った。

家内が除草後に施肥をして植え場所の仕度をしている。花の赤さが気に入ったと言って自分でも10株購入してきた。土が馴染んできたので間もなく植え付ける予定。一部は他の場所にしたいが、まだ決まっていない。

調子に乗って、本日種も購入した。用土に撒いて育ててみたい。

 

植え付けられるのを待っているサルビア。

上手く行けば6月から開館できる。
それまで芝生もきれいにしたい。暇があれば土をくべ、施肥しをしている。お天気が安定したのは良いが雨が降らないので、作業の後は十分な撒水が必要になった。本日午後は時間が取れるため一通り行った。

すると友人A氏がやってきた。目利きの趣味人は手に入れた物を持参されることがある。本日は運良く「山茶碗」だった。

 

鎌倉時代の出土品「山茶碗(やまぢゃわん)」
黒い部分は破損を漆で接いだもの。

山茶碗を見るのは初めてだった。
登り窯以前に相当する穴窯で焼かれた茶碗。山をトンネル状に彫って作られた窯で生産されたので一般に山茶碗と呼ばれるらしい。
広く瀬戸、美濃など東海地方で須恵器の後に古くから生産され、これは多治見のもので鎌倉時代だという。当時の日常の器というだけあって薄造りで丈夫そうだ。やや青み(灰色)がかった地の一部にわずかに灰が被って景色になっている。小さな高台にいかにも普段使いの趣きがある。

歴史上の人々が実用したものを、座右で鑑賞する、あるいは用いてみる。山茶碗のほか山皿もあるらしい。個人で所有し当時の文化に直接触れることが出来るとは、とても貴重で有意義な事だと思う。

 

木陰のベンチで頂き物の山形のお菓子でお茶を飲んだ。
のし梅本舗 佐藤屋の「星降る夜に」は誠にきれいで美味しい。

夕食は小さめのオムライス。

器は今冬お亡くなりになった上越市の五智窯・木村隆さんの椿皿。

20数年前のお宅訪問の帰り際、玄関先に無造作に積んであった5枚の七寸皿。辰砂の地に白椿が刻んである。素早く施された模様が清々しく、地色の辰砂の落ち着きも気に入った。
そのうちの何枚かは辰砂が飛散し、灰色がかっていた。しかしいずれも味が良く、私には問題無かった。下さいと言うと、氏は「それでもいいですか」と仰り、頭を掻かれていたのを懐かしく思い出した。

戦争よりまし 減らない死亡者と現場消耗の懸念 いつしか夏の庭へ。

2020年5月13日(水曜日)

宣言の有無に拘わらず、この先もじわっとした不安と緊張に包まれて日々過ごすに違い無い。そんななか、かってある年配の女性の患者さんが仰った、
「それでも戦争よりましです」と。

田植えの季節になった。
一年で最も良い季節の一つであろう。かってそのような折、夫に召集令状が来て出征し稲刈りの頃、遺骨になって帰ってきた。近所の男衆にもたびたび同じ話を聞くようになる。
それが何年も続き、生徒さんたちは工場へ動員、物資は配給、当地でも空襲のサイレンが鳴るようになり、〝欲しがりません勝つまでは〟一色の社会を経験したのである。
まともには比較できないが、言われれば今の所そのような日常よりはまだいい、と思うしかない。

ただ最近の状況をみると、感染報告は減りつつあるものの死亡者20人前後の日がそう珍しくない。
すでに受け入れ機関の関係者は3ヶ月余、ウイルスに身をさらし、連日死と背中合わせで重症者と取り組んでいる。院内感染による一旦撤退も無視できない。
また重積する疲労とストレスで逃げ出したい心情が去来するのは頷ける。実際、耐えきれずに現場を去った関係者がいるやに伝わる。

対象が減少しているのに死亡者が減らない。
バランスを考えれば、質・量とも医療側の消耗の現れではないか、と心配している。
だれ一人としてスーパーマンではない。彼ら彼女らは風邪と戦っているのではなく、基本丸腰でウイルスの相手をしているのだ。

どうか政府には長期戦で消耗しているであろう現場に対し、いっそう手厚い支援を考慮してもらいたい。

 

いつしか樹下美術館の庭は初夏の趣きになった。

 

 

 

 

多くは無いというものの、はっきりとは減らない死亡数が気になる。

ほくほく線の夕焼け電車。

2020年5月12日(火曜日)

水田に水が満たされはじめ、一部で早くも田植えを目にする。
無雪の冬が今年の農業にどのような影響をもたらすのだろう。
新型ウイルスで経済が打撃をこうむる中、農業が安定した成績を残すようであれば、都会から地方へ農業をやりに来る人が出てくるかも知れない。
このようなトレンドが生まれるなら、良いこととして期待される。

夕暮れの雲が良さそうに思われたので、仕事の後、ほくほく線の電車を撮りに行った。

 

 

今夕はかなり美しい夕焼けの中を二両編成の電車が通った。
仕事場からここまで車で10数分あれば来られる。

上越市頸城区から大潟区に到る水田を高架で走るほくほく線。水が満たされはじめたため、電車には湖上を走る趣きがある。

日が長くなり、お天気が良い日が多くなった。通過はおよそ一時間に一本だが、これからも夕焼けと私と電車の都合が上手く合うことを期待したい。

開館の見通しにつきまして れんげ畑 ツバメの飛翔。

2020年5月11日(月曜日)

随分暖かくなってきました、皆様いかがお過ごしでしょうか。
コロナの春が過ぎようとしています。果たしてこの先夏はどのようなになるのでしょう。穏やかであることが期待されますが、一応の気遣いは必要な日常であろうと考えています。

さて、3月15日の開館をせずに休館を続けている樹下美術館。
新潟市のクラスター発生、上越市の感染報告があり、当地の拡大も心配されました。しかし安心はできませんが、ここへ来てやや落ち着きがみられ、全国レベルでピークを越える兆しも見えはじめました。国からは、新潟県を含め34県は、5月末までの緊急事態宣言を前倒しで解除する検討に入ると,知らされています。

そこで樹下美術館としまして、
今月いっぱいは様子を見させて頂き、東京都の宣言解除などをみて開館する予定といたしました。
当面、5月の連休の結果が現れる今月15日~20日の動向に注目しています。
具体的予定につきましては、今月25日ころを目安にお知らせ出来ますよう考えているところです。

開館の際
営業時間は最初の一か月は午後1時~5時に致しましたす(昨日の記載を訂正致しました)。
最初の1ケ月間のカフェはお茶とケーキのサービスだけにさせてください。
茶室の呈茶は開館1ヶ月をみてからの予定です。
※そのほか、感染予防などは、またお知らせ申し上げます。

今後は感染再燃も考えられ、その時にはどうか柔軟に対応させてください。

 

さて以下は昨日日曜日の写真です。

美術館の近く頸城区のレンゲ畑です。比較的小さな一角ですが、とてもきれいです。
以前に明治時代のこどもたちが「れんげの花ひらいた」
をして遊ぶ「銀の匙」の一節を紹介させていただきました。

 

芝生を改良すべく肥料などを買ってきて撒いた。

 

庭の南に初めてサルビアを植えるべくまっ赤なのを買ってきた。
妻が場所の仕度している。

以下は隣の田んぼを行き交っていた燕です。

 

 

 

ツバメの一回目の子育てが終わったらしく、水が入ったばかりの水田を大勢で飛んでいました。
時々みんなで鳴いては集まり高く舞い上がります。何をしているのでしょう、給餌でしょうか。

それにしましても流麗なツバメの飛翔は特別です。また撮ってみたいと思っています。

クリスマスローズを切った。

2020年5月9日(土曜日)

2月中旬から順次咲き始めたクリスマスローズ。およそ三か月、休館の庭で静かに咲き続けていましたが、受粉も終わり色あせてきました。株が力を保つよう本日花を切りました。

 

卒業した花を積んで記念撮影。

 

水盤の水を替え花の一部を入れました。

残りはほかの水盤に入れ、仕事場の待合室にも飾りました。クリスマスローズを器に生けた場合、終わった花の方が長持ちするようであり、いつまでも楽しめる花だなあと感心しています。

こどもの日は胎内市の村松浜へ。

2020年5月8日(金曜日)

去る連休の5月5日こどもの日は、午後遅く夕刻の胎内市の村松浜を目指した。
これまで三度同地を訪ねた。いずれも海水浴シーズンを外していたためか広い海岸に人気は無かった。
あそこなら大丈夫ということで、夕焼けを期待して妻とともに向かった。

 

サラサラした白砂の村松浜。

 

広い海岸にお子さん連れのご夫婦と私たちだけだった。

 

思ったような夕焼けにならずに暮れた。
風があって写真を撮っていると手かかじかむほど冷たくなった。

 

清潔な砂浜にコウボムギとハマエンドウがけなげ。

 

月が昇り日が暮れる。

砂浜の小さな駐車場の車中でお弁当を食べてお茶を飲んだ。

この先もっと年取ったら、こんな風にのんびり旅するのも良いかな、と思った。

星になったツツジ トラックをねぎらう満月。

2020年5月7日(木曜日)

随分と日が長くなった。
日長の夕刻、芝生に肥料を撒いた。良く伸びているがかなりムラがあり、この先どうなるか少々心配。

去る4月25日のヤシオツツジ。

 

以下は落花した今夕の花。さして傷むことなく芝に散らばっていた。

 

花は星の形になって寝そべり、
名残惜しそうに暮れる空を見上げていた。

拙歌)
木に咲きて風にも咲きぬ躑躅花 落花の後は地にてまた咲く

施肥の後、ふと見ると大きな月が山の端から昇っている。

 

裏手にまわると田に写っていた。

拙歌)
高速を行き交うトラックねぎらへるコロナの春の丸き月かな

5月の満月をフラワームーンというらしい。今夜はそれに当たるそうだ。
たまたま見上げたら昇ったばかりの大きな月が見えた。
空と田、二つの月の間の高速道路を次々にトラックが走り去る。忙しいドライバーさんたちは満月を見ているだろうか。

亡き級友を偲んで三つの「Goodby」。

2020年5月6日(水曜日)

コロナによって日々重い気持ちを、目の前の予定や仕事に向けて、なんとか薄めて過ごす日が続く。そんな折、級友が亡くなりさらに悲しい思いに包まれる。

都合によって会えないでいるのと、相手が亡くなり会えなくなった、のでは、全く違う。とくに急な知らせは、驚き、無念さ、悲しみ、むなしさなど負の心情全てが去来する。また親しくした者ならば、自らの体験でもあるかのように、同一化された怖れをも伴う。

生ける者の理とは言え、父母や妹のように今後何かにつけて思い出すだろう。

集まりをしない、というご遺族のお気持ちに従って精一杯の電報を打った。
昨日の二曲では全く足りないので今日は「Goodby」を三つ載せた。


クラシックの演奏家による2012年、Sibelius Academy of Musicの演奏。
Goodbyには二通りの譜面があり、
これはゴードン・ジェンキンスのもので演奏している。

 


鈴木章治のソロ。氏は1995年に63歳で亡くなっている。
映像は随分古い録画ということになる。
かってカーネギーホールで演奏した人。
当時氏の曲はラジオで聴かない日がないくらい人気があった。
テレビの録画であろうが、普通にジャズの演奏家が出ていた昔が眩しい。

 


ゴードン・ジェンキンスは戦前から作・編曲、指揮で活躍した人。
学生時代のラジオでこの人の名前は時折耳にした。
ただただロマンティックにアレンジされた「Goodby」。
情緒が日常とともにあった昔が懐かしい。

時代・場所・様式・人・みな違う演奏。
だが三者とも演奏キーが揃い(ほぼ)、一続きの演奏のように聞こえる。ピアノを叩くとE♭マイナー(変ホ短調)。各再生音のピッチもある程度忠実だと思う。

亡き人を思って掲載した音楽は果たして当人に届くのだろうか。級友を偲びながらどうみても自分が慰められている。一緒にこのような音楽に親しんだことをいくら感謝しても足りない。

級友を亡くす、「Stormy Weather」と「Again」。

2020年5月5日(火曜日)

不合格だったある大学受験の試験場で、言葉を交わした関東の名門校の生徒。次の学校の二次面接でまた出会い、順番が私の前だった。今度は共に合格したが、卒業までの6年間、イニシャルが同じだったため教室では最後まで前後の席で過ごした。

運動能力が高く体育の時間に野球をした時、次々と長打を放った。軽く振っても遠くへ飛ぶのである。何故か気が合い、卒業まで軟式テニスと音学部を一緒、互いの家や下宿を訪ね合い、冬はこちらへ来てスキーをした。
多くで彼に叶わなかったが、組織や病理のスケッチなどは私が少し上。しかし二人の間でそんなことは一つも話題にならなかった。

卒業後は別々の科に入り進路が別れた。専門分野でよく勉強し働き、人望厚かったらしい。
たまに同級会や部活OB会で会うだけになったが、遠く離れた地域で同じ時期にそれぞれ医師会長を引き受けていたのには、やはり不思議な縁を感じた。

今冬その彼から部のOB会開催の知らせを受けた。
それが一昨日、密かに進行していたという病で亡くなったと知らされた。
早口の声がまざまざと耳に残る生き生きしていた人間がなぜ?
どうしても納得できない。
ただ悲しく涙が出た。

 


レナ・ホーンの「Stormy Weather」

互いの家の行き来で彼はギター、私はウクレレを手にスタンダード曲のソングブックを開きながら歌った。
ある日、突然私の知らない「Stormy Weather」を歌い出して驚いた。だが途中から形式などもややこしくなり、あれこれやった後あきらめたのを覚えている。
上の動画をみると、難しいどころか長すぎて手に負えないのがよく分かる。諦めて正解だった。

頭の回転が良く、いつも読みが正しい。多才で運動神経抜群。女性にモテ、毒が無く人間らしい人物だった。

次の易しいコードの「Again」を聴いてくれると嬉しい。

 


ゴードン・ジェンキンスのオーケストラで「Again」

万一あの世で会えたならまた同じクラスにしてもらいたい。
「アハハ、待っていたんだぞ」と言いそうな気がする。

軽い食事 お二人からがちゃがちゃのお土産 始まった春耕。

2020年5月4日(月曜日)

晴れた緑の日の休日。

 

本日昼食はヨーグルトと紅茶のみ。
夕食は半玉のラーメンだった。軽い食事を嬉しいと思うようになった。

今後絵を描いてみようと思い、何年も仕舞ったままの絵の具を出してみた。
固くなった絵の具などを捨てて身軽にした。気持ちの高まりが無ければ中々描く気にならない。道具がごちゃごちゃしていてもその気が起きない。果たして明日どんな気持ちになるだろうか。

午後のベンチに顔見知りのお二人の女性が見えた。

 

ガチャガチャのお土産という鳥の起き上がりこぼしはとても可愛い。
左メジロ、右アカゲラ。囲むのはお二人が付けていた手縫いのマスク。
桜で染めたという良い色加減。
左のは鼻の部分が尖った西村大臣のパターンらしい。

マスクづくりは感染症が興した思わぬトレンド。戸外志向と共に思ってもみなかった流れで、心が温まる。
これまでガチャガチャをしたことが無いが、鳥のがあるならやってみたい。

十分離れた二つのベンチ。

 

いよいよ春耕。

蝶の飛翔 夕刻のさえずり 改憲はしないで。

2020年5月3日(日曜日)

昨日日中、庭へ出るとアゲハが飛んでいた。お天気も良く活発だ。素早くてファインダーが追いつかず、当てずっぽうにカメラを向けてシャッターを押すと何枚かに写っていた。
眺めている時と違い、写真で見る生き物たちはとても賢そうに見える。蝶は、吹き付ける風の中、高尚にも紙のように軽い身体をコントロールして飛び回るだけに、あなどれない表情が覗える。

 

 

さて本日日中は本を読んで過ごし、夕刻美術館の庭に出た。隣の田んぼに水が入ってきた。これから夏に向けて素晴らしい季節が始まる。

 

降るかなと思った空が踏みとどまった。

 

暮れる石垣の下に釣り鐘水仙(ツチガネズイセン)がひっそりと咲いていた。

 

その花のすぐ右で一輪残った椿が「お話しましょう」と声を掛けている。

 

庭ではちょこちょこゴルフボールを打ちながら過ごした。様々な鳥たちが遠近の木立で鳴いている。
私たちも、一日無事に終わった時、夕方みんなで歌を歌うような動物であったなら、戦争など起きなかったかもしれない。

首相がまた改憲をしたい、と述べていた。ただの一行の改憲であっても、国民が厳しく二分されるのは明らかである。改憲は議論では済まない。議論で済むならとっくに終わっている。個人が大事にして生きてきた信条、価値観、あるいは性格なども関係しかねない問題を、議論などと言って今さら揺さぶらないでもらいたい。

45年間せいいっぱい仕事し納税してきた今日、いまさら「あなたは間違っている」などとは絶対に言われたくない。昔から憲法は国民が安心して生き、喜んで働くための支えだと、ずっと思っている。

給餌するシジュウカラの力強い飛翔。

2020年5月2日(土曜日)

本日午前診療後、午後から連休になった。
空は五月晴れに相応しく清々しく晴れた。気温は上昇し、信じがたい事に午後1時すぎの髙田で30,7度もあった模様。そのころ美術館のベンチにいたが、さわやかな風が吹きつけ快適であり、後に30,7度を知って驚いた次第。

ベンチから水田の向こうに見える高速道路はトラックは目立つものの、乗用車はとても少なく思われた。

一昨日は庭の灯りにシジュウカラが営巣していることを書かせて頂いた。その折西よりから写真を撮ったのを、本日は反対からレンズを向けてみた。

以下巣に入る所を並べてみました。

まず巣に入るところ。

 

 

 

 

 

 

 

以下は出るところ。

 

 

 

 

 

くちばしにヒナのフンをくわえている。
巣を清潔に保つため時折中から持ち出す。

 

 

出入りを撮ってみると、愛らしい小鳥のイメージというより、筋肉とバネによる逞しい野性動物の印象を受ける。渾身の餌運びは以前のコムクドリで見ていたが、本日のシジュウカラも同じこと、親の必死さが伝わる。

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