2018年11月
11月末日の診療 頂き物の食卓。
冷え込んだ日、インフルエンザのワクチン接種のピー
クでもあり忙しかった。
本日は一日の診療概要に触れてみました。
午前の外来中、高齢者さんの心不全兆候が知らされて
往診した。早い段階の連絡のため注射と薬の調整で済
み、まずは入院を免れた。
帰路、寒くて動けないという電話があった高齢者のお
宅に寄った。こちらは診察の結果、医療より福祉要件
と判断してケアマネさんに委ねることにした。
午後は障がいのある方と寝たきり高齢者さんのワクチン
に回った。
ほかに福祉施設から痔核と脱肛の報告があった高齢者
の方を往診したが、薬剤の処方で済んだ。
最後は衰弱が見られている超高齢者の方に点滴のほか
定期で訪問しているお宅に寄って外回りを終了した。
夕刻は診療のほか子供さんたちはじめ10数名の方にワ
クチン接種の要件があった。
4,5年前に、ちょっとした工夫によって痛みの少ない注
射法を思いつき、以来実施している。
お子さん達の火が点くような泣きわめきが緩和され、幾
分楽になった。
年令を考えれば本業を減らしたいところだが、簡単には
いかない。
時々患者さんから「先生もお大事に」と言われる。
有り難い言葉だと思っている。
本日牧区の親戚から届いた野菜。お餅も入っていた。
美味しい野菜とお米などいつも有り難うございます。
親戚、患者さん、美術館のお客様、色々と食べ物を頂戴す
る。
家族に止めろといわれ、見つかると叱られるので暗くなっ
てからそーと野菜を届けにこられるおばあさん、、、いつ
も本当に有り難う。
それらを妻が美味しく作るので喜んでいます。
皆様、本当にご馳走様です。
12月2日開催手回し蓄音機で「SPレコードを聴く夕べ」のプログラム。
11月もあとわずか。
負け惜しみで“まだまだ一日ある”と言いたいところ。
樹下美術館の催し以下の「手回し蓄音機でSPレコー
ドを聴く会」もいつしか迫りました。
暖かな会になればと思っています。
以下に当日のプログラムを掲載致しました。
前半4曲は戦後歌謡とスイングジャズ。
後半は名演奏家の心に沁みるクラシックの演奏です。
あたかも演奏者が現れるような不思議なリアリティ。
今からでも構いませんので、参加ご希望の方はお電
話下さい。
庚申塔その7、ああ我が町にもあった!
近隣の庚申塔を探訪しながら、我が上越市大潟区に
は無いかもしれない、と思っていた。
それらはおよそ山間か、山を背にした農村集落にあ
ったため、沿岸で砂丘地の当地を諦めていた。
45年近く、知らない所は無いほど区内を往診して回
ったが、それらしいものを目にしたことはなかった。
だが諦めきれない。
この方が見えたら、庚申塔(こうしんとう)の有無
を尋ねようと思っていると、昨日その人が来られた。
それとなく訊いてみると、「確か内雁子にひとつあ
りますよ」と仰った。
何と嬉しいお返事!一つというのも如何にも貴重だ。
内雁子は区内の東端で田に面して小高く、清水も出
ている、確かにあるかも知れない。
教えて頂いた場所の見当はつくので、さっそく午後
行ってみた。
集落の東、何度も通っていた場所に石段。その上
に石塔らしきものがちらっと見える。
確かにありました、しかも文字塔ではなく、光背が
ある石仏塔です!薬師のある米山を向いて合掌して
いるではありませんか。
ああ、知らずにいて申し分けありません。
ずっとここにいたのですか、お会い出来て嬉しいで
す!どこかで見た事があるような素朴なお顔ですね。
風雪に耐えて矢と宝輪をしっかり持しておられます
ね。
正面が見ざる、右が聞かざる、左ははっきりしませ
んが、言わざるなのでしょう、人間のようで、とて
も良いです。
三つに割れているのが痛ましいのですが、直してもら
っていますね。
この町は文字度どおりの半農半漁、それほど豊かでは
ありませんでした。
それでもあなたをこしらえた昔の人は庚申講を守り楽
しんだのですね、本当に嬉しいです、とても感激しまし
た。
運もあるが長生きはするものだと思った。
大潟区は風は強いが災害は少なく雪も少ない。
この石塔と昔人(せきじん)のお陰かもしれない。
診療所から3,8キロ、美術館から7,3キロは最も近い
庚申塔となった。
去る日曜日の美術館巡り。
先週末土曜日に会食した旧友夫婦4人と、翌日日曜は美
術館を二つ回った。年一度の美術館散歩のような慣行に
なっている。
学生時代の友人夫婦と始まった一泊の会合は二十年近く
続いた。
さて今期東京の美術館といえば、フェルメール展とムンク
展だが、以前両者の展覧会を観ているのと、混雑が予想
されるためそれを外した。
替わりに今年初めて丸の内の三菱一号館美術館と上野の
東京国立博物館に決めた。
三菱一号館は、フィリップスコレクションだった。
アングル、コロー、ドラクロワ等19世紀の巨匠から、ク
ールベ、近代絵画の父マネ、印象派のドガ、モネ、印象
派以降の絵画を牽引したセザンヌ、ゴーガン、クレー、
ピカソ、ブラックの、絵画ほかムーアやジャコメッティら
の彫刻を含めて秀作75点が展覧されている。
三菱一号館美術館、外観の一部。
展覧会は作家に偏りがなく、教科書を観ている如く観やす
く親しめた。
ニッサンショールーム「NISSAN CROSSING」(ニッサン
クロッシング)で。マット調の塗装が非常にユニークな車。
独創的なコンセプトを描いたニッサンが大変なことになっ
ていて誠に残念だ。
昼食の後、マルセル・デュシャン展の東京国立博物館(ト
ーハク)へ行った。
トーハク内に入る。高層ビルが無く歴史と教育・文化施設、
そして公園の上野は特別な場所。
現代美術が語られる時にまずその名が出るマルセル・デュ
シャン。
デュシャンは、今夏の樹下美術館を飾った掘川紀夫展で、し
ばしば同氏が話題にした現代美術の先駆的芸術家だ。
そのデュシャンで必ず語られる作品〈泉〉。
便器を前後逆ににして寝かせて置いただけのもの。
たしかに苦悩の痕跡もなく、あっけらかんとしていて、し
かも不思議とチャーミングだ。
同じくデュシャンと言えばこれ〈自転車の車輪〉。
白椅子に逆さまに設置されている。
二つの作品はレディーメードと範疇され、既製工業製品を
芸術視点で転用的に見立てるアートの先駆けとなった。
大量生産品の画一性とその完成度および認知度などがアイ
ディアの源だったのか。
会場への否定か何らかの付加価値か。このような試みも今
日へとつながっていよう。
色彩形象とも上手いなあと思わせ、欲しくなるものが何点
もあった。
いたずら、茶目っ気、ユーモア、エスプリ、、、。
いずれにしても作品は、抜群の探求と発想そして美的セン
スのたまものであろう。
成功は即座に到達できるものではないことを思った。
ところでデュシャン展第二部は“デュシャンの向こうに日本
がみえる”だった。
迂闊な私は企画の意味を知らずに進み、普段絶対に接する
ことができない歴史的な利休の茶道具に見入った。
企画の意図は“ありきたりのものを見立てみる”を共通項と
して利休を観てもらうつもりだったようだ。
後でそれを知ったが、“利休は利休”、それで良いのではと思
った。
それにしても撮影を許可しているこの美術館の太っ腹につ
くづく感心させられる。
しかしそのことがSNSなど介して大きな宣伝効果を生んでい
るのは間違い無い。
多くの若い人をはじめ想像以上の来場者に驚いた。
最後に東京国立博物館にある洋画黎明の偉人黒田清輝の記
念館に入った。
習作と小品はみな良く、熱心な研究の足跡に接し感動した。
〈雲〉。雲が好きな自分にとって、黒田清輝がそれを描い
ていたのはとても嬉しい。みな研究の一環だったのだろう。
予定の会場を全て観た後みなと別れた。
無事であればまた来年だ。
再び銀座に出て、若い作家のモダンな抹茶茶碗はないかと、
黒田陶苑へ寄った。
目指したものは無かったが、二階で古屋和也展を観た。
信楽の若い作家さんは伝統を理解し工夫し、センス良く器
を作っていた。
気に入った花入れがあったので求めた。
去る日曜日の夕暮れの銀座。
日が暮れると“小さいが田舎の樹下美術館は気が効いていて
どこにも負けてない”と思った。
黒田陶苑で求めた花入れに、本日マユミの枝と椿の蕾を
入れて茶室に掛けてみた。とても良い。
長々となりました。
週末の上京、目黒区の庚申塔(庚申塔その6)と旧友との会食。
一昨日は雪山の一件などあったが石塔探訪は続いてい
る。
庚申塔をググると東京都は目黒区に彫像された石塔が
沢山あることが分かた。
昨日土曜日、二組の旧友夫婦と食事をするために上京
した際、先に目黒の庚申塔を見るべく午後は早めに出
かけた。
目黒区内には21カ所(約70基ほど)の庚申塔がある
という。
時間に余裕が無く、かつタクシーを利用するため互い
の距離が近そうな5カ所を選んで臨んだ。
山手線目黒駅下車、駅前でタクシーを呼び止めて、区
内に詳しい運転手さんの車を選んだ。
ある方が熱心に話を聴いてくれ、“それらしいものなら
見た事がある”と仰り、ナビをあやつりながら走ってく
れた。
地図で見るのと実際は大違い。一方通行や狭い路地、あ
まつさえ行き止まりがあり苦労もするが、“多分ここ”と
運転手さんが停車すると、目指す石塔があった。
田道(でんどう)庚申塔群。
最も憧れていた場所へまず着いた。
くっきりと掘り出された仏像塔がずらり、感激だった。
瓦屋根の下で整然と立つ青面金剛の庚申塔は本尊の表情と
三猿、日月の文様も鮮やかで、鶏が見えるものもあった。
閑静な宅地に堂々の存在感。
真新しい花が塔ごとに添えてあり、私たちを待っていたか
の如くだった。
後方に今年3月に新調された青い幕が掛かっている。
新潟からお上りさんの夫婦二人、想像以上の素晴らしさに
傍目も気にせず喜んだ。
教育委員会が設置した説明プレート。平成18年2月とあっ
た。
経年の劣化も見えず鮮やかで、しっかり判読出来る。
ともするとこのようなものはは板に白ペンキで書かれ、た
ちまちボロボロとなり読めなくなる。しかるにアルミ板に
よる設えは手入れも良く非常に有益だった。
次が「さわら庚申」。運転手さんが「あそこでしょう」と
ハンドルを切って到着した。
↑交通量の多い場所に建つさわら庚申塔。
立派な屋根が付き、欄間などに木彫が施されている。
右の板碑型(文字だけの塔)をいれて三体が肩を寄せ合っ
ている。
↑中央が舟形、左が駒形と形状の分類が書かれていた。
右端は文字による道標であり、それぞれ港区方面、大田
区方面、五本木から先世田谷方面?に分けられ、詳しい
地名が標されているようだった。
お堂の欄間などに彫刻が見られ、三猿や獅子が見事だった。
こんな立派な庚申塔など他にあるのだろうか。
猿は神様の使いとして神性を帯びる一方、見ざる聞かざる
言わざるの3要素は、庚申の夜に天に昇って人の悪口を天
帝に告げ口しようとする身中の虫を制するものとして重要
な意味があったらしい(もう少ししらべてみます)。
三つ目は「天祖(てんそ)神社の庚申塔」
↑二体の庚申塔。右の塔は道標を兼ねており、九品仏(くほ
んぶつ)、世田谷、目黒不動への道が示されているという。
次第に食事会の集合時間が迫る中、まだ二つ残っている。
「宿山(しゅくやま)の庚申塔」に着いた。宿山はかって
のあざ名。
正面と両側面にそれぞれ一体ずつ猿が彫り出されている。
ここも片側が賑やかな通りに面していた。花は鉢植えだっ
た。
いよいよ最後、「五本木庚申塔群」となった。
路地のような道は、その昔鎌倉道と呼ばれた要路だったと
区の説明板に書かれていた。
最初と最後に群が付く立派な石塔の列を見ることが出来た。
庚申塔5基のほか地蔵尊と念仏塔が祀られている。
ここの石塔は建てられた場所に残っていることが想定され、
保存状態とともに貴重だと説明されていた。
さて
・見学した庚申塔の多くは青面金剛を本尊としていた。
・猿は金剛に匹敵するほど明瞭に掘り出されていた。
・鶏はあっても比較的平板で、よく見ないと見逃されそう
なものも多かった。
・多くの塔の頭部の左右に丸い日と半月が雲の紋様とと
もに彫られていた。
・金剛は合掌するほか、弓矢、宝剣、宝輪を手にしていた。
輪を左手に持っているものがあったが、それが何か分から
なかった(羂索:けんさく、でした)。
ところで学生時代に住んだ場所が目蒲線の大岡山で、山
手線を目黒で乗り換える。また叔母が住んでいたため大
変馴染み深かった。
本当に久し振りに降り立った目黒はすっかり様変わりして
いた.。ただ周辺の坂道だけが懐かしく映った。
何十年も経て、いま夢中の庚申塔がかくも多数あったとは。
落語「目黒のさんま」に登場するように、大都市江戸の麗し
い山村だった目黒。
庚申塔として歴然と残ったかっての庶民信仰の足跡は、
それを後世に伝え続けた住民の、先人に対する畏敬と
親しみを明瞭に現わすものだった。
当日それぞれの場所に供えられていた新鮮な花のなんと清
々しかったことか。
庚申塔の保存場所には掃除道具が備えられているのを度々
見た。
住民の方々が清掃を続けているのだろう。
区教育委員会による説明プレートも誠に有益だった。
区を上げて石塔を維持伝達しようとする熱意は、他所から
ら訪ねた私たちにもひしひしと伝わった。
案内して頂いた運転手さんも熱心に対応して下さった。
見聞しながら目黒区の庚申塔は今も生きていると思った。
目黒をお終いにすると、年一度三組の同級生夫婦が集う食
事会の時間となった。
昨年と同じ店が予約されていた。
ひと皿ずつの分量が少なくて私たちには嬉しい。
蒸しウニや海老が入ったパイ包み。
(近づいて大きく見えますが、実際は小ぶりでお腹に優し
い)近況、級友のこと、どういうわけか小保方さんの事、
実家の宗教、身体の具合などを話しあった。
年に一度の会食は名残惜しい。
場所を移してカクテルを賞味し、例によって年1度の葉巻
を味わった。
翌日曜日のことは後で書こうと思います。
庚申塔その5、ヒヤリとした雪の山道、光明真言。
今冬一番の冷えだったと思われる日。
三条市から折々来館されるご夫婦が午後お見えになっ
た。
舞子高原から山越えで十日町、松代経由で上越に出た
と仰った。
先般、私たちが魚沼行きで走った同じルートをこられた
ようだ。
途中の山越えは雪道で、怖い思いをして抜けて来たと
仰った。
スタッドレスタイヤにしたばかりで助かった、とも。
ご夫婦とご一緒の後、吉川区は尾神集落まで行き、源
地区などを回って帰るつもりで車を走らせた。
午後3時半近くの雨まじる中、道すがら庚申塔に出逢え
れば、晴れた機会に写真を撮ろうという目論見だった。
しかし目星を付けた場所に目指す石塔が無く、尾神集
落を右折し、村屋→国田を回って帰ることにした。
平場と違い、目指した場所は雪が積もっている。
集落に初冬の風情を見る余裕があった。
帰路、普通なら川谷、石谷、名木山、などと通過するはず
だった。
それがどうしたことか、いきなり大賀(おおが)への標識
が出てきた。
大賀?ここ出身の方と昔お合いしたことがあった、と思い
ながら進むと、名木山に出た。
名木山はこんなに近かったか?
何かおかしい、疑問がよぎったが石谷→川谷と現れる。
知っている方ならお分かりだと思うが、村屋の手前の直進
すべき三叉路を、下りに導かれて左折し、帰路ではなく山
に入って行く状況が生じていたのだった(後で分かったこ
とです)。
細い山道に入ってマイクロバスと出合う。おっかなびっく
りバックしてすれ違ったものの、かなり怖かった。それが
最後の対向車となった。
誰も来ない道が続く。ナビから集落らしきマークは消え、
道は一本だけになっている。何度か引き返そうとしたが、
自宅へのナビはそれと違う方向を示すようになった。
下るはずの道は上りが続き、いつしかかなり高い山道に入
り込んでいた。
スリップが怖くじわじわと極めてゆっくり走ったが、時折
後輪が振られる。
日は暮れ、見当が付かない雪の山中に一人取り残されたよ
うだ。
そろりそろりと走る道は盛んにくねって心細い。転落、遭難、
不安がよぎる。
ハンドルの手に力が入り、動悸が止まらない。
“南無大師遍照金剛 (なむだいしへんじょうこんごう)“
弘法大師空海への帰依が口をついた。
唱えは35年前父の葬儀で繰り返された文言だった。
“おん、あぼきゃ、べいろしゃのう、まかぼだら、まに、は
んどま、じんばらはらばりたや、うん”
一人の車中、どうかしていると思ったが繰り返した。
これも父の時に覚えた光明真言で、何とか言えた。
間もなくナビが“8キロ先は雪のため通行止めです”と告げ、
画面を動かすとずっと遠くに柏崎市の集落が出る。
家とは真反対、尾神岳の西を迂回して高い峠道を走ってい
るらしい。
遅きに失したが引き返す決心がついた。
自分のわだちを辿りながら、おっかなびっくり下っていく。
雪の山中45分の迷走、ようやく巡り会った民家。窓明かり
が嬉しい。
振り返れば、
下りを見つけようとしながらどこまでも上ってしまう。
間違っていると思いながらナビに沿ってしまう。
引き返そうとしながら進む。
夜間新雪の山道を老人一人、危うく事故になりかねない状
況ではなかったのか。
午後お会いした三条の方たちも怖かったと仰った。
日が暮れていたのでこの度はそれ以上に危なかったかも知
れない。
私も昨日冬タイヤに替えたばかりだったのだが,,,。
“平地は雨、山沿いは雪”の予報とはこういうことだった。
齋藤尚明さんが仕事場展示室で作品展 孫のお土産、修学旅行。
一昨日ご自宅で催されている齋藤尚明さん(二代陶齋)
の作品展に伺った。
自宅といっても隣接する仕事場。そこに設えられている
展示室が会場だった。
最終日だが期間中随分賑わったとお聞きし嬉しかった。
白磁、青磁、色絵、唐津など多彩な作品がくまなく展示
されている。
先代がこしらえたその建物は非常に趣味の良い民芸風
な設えで、誠に良い具合に作品を引き立てている。
何度ここへ伺ったか数え切れない。いつも長話をして
気がつけば深夜になっていた。
麗しいこの場所での作品展は誠に良いアイディアだった。
色々迷ったすえ向こう正面の青磁面取り水指を選んだ。
折々の茶席を穏やかで澄んだ雰囲気にしてくれそうな頼
もしい作品だった。
ところで孫の一人が学業のことで上京し、お土産とて本日
マカロンが届いた。
クリスマス向けのパッケージだ。
Sちゃん、楽しく美味しいお菓子をありがとう。
どうかこれかれも一生懸命頑張って下さい。
そして過日は京都へ修学旅行に行った別の家の孫から八
ッ橋を頂戴した。
ここの家は次々と関西へ修学旅行へ旅立ち、決まって八
ッ橋が送られてくる。
1951年という大昔の中学時代、自分も修学旅行で京都へ
行った。
その折に八ッ橋を食べて大好物になった。今でもニッキ
の香りがするこの固い板の方を喜んでいる。
私ごとで恐縮だが、自分の修学旅行も関西で、京都の宿
で鑑賞した舞妓さんの祇園小唄の踊りと唄が忘れられな
い。三味線と唄に耳を済ませ穴が空くほど舞妓さんを見
た。
舞妓さんは髪飾りが印象的だったが、全体の装いは地味
だったような気がする。
宿は髙田旅館で、東本願寺のすぐそばだった。
当時はお米持参の修学旅行だった。
旅行のしおりには、法隆寺の要点として各塔頭の「卍崩
し組子入勾欄」を見ることなど、全くもって専門的な細
部が図入りで書かれていた。
レポートもこのような事を入れなければならず、とても
苦労した覚えがある。
中学生の修学旅行で舞妓さんを呼んだ事といい、新潟大
学教育学部附属髙田中学校という、長い名の学校は何事
もユニークだったと思う。
もうひとつ修学旅行といえば、お土産がある。
京都は清水焼が有名だと、前もって聴かされていた。
是非とも良い湯飲みを買って帰り、父を喜ばせたいと張
り切って土産屋に行った。
店にはあふれるほど器があったが、どれもこれも違う。
慣れ親しんだ齋藤三郎さんのような品は皆無だった(当然
ですが)。
それでも父に褒められたくて、なんとか一つ選んだ。
どんなものだったか忘れたが、遠くにお寺が描いてあった
のか。
帰宅すると父は笑い、自分で使ったような気がする。
ついつい長くなりました。
R君ありがとう、とても美味しく頂きました。
R君もどうか頑張って下さい。
若者たちには希望とともに試練が待っている。
課題に対する興味と集中心を願ってやまない。
東西遠方からの人。
本日村上市の帰路と仰る大阪の女性がお見えになった。
小山作之助に興味を持たれている方で、このたび二度
目の来越だった。
当地でコーラスをされるSさんが案内された。
拙家は作之助の母の実家にあたる。
診療が終わる時間、お寄りになり昼休みに作之助の墓
をご一緒した。
その後直近の大潟町中学校に併設された作之助の胸像
とそこの庭をご覧になり校内の記念室に伺った。
音大のご出身で、こどもの音楽に携わられるなか、唱
歌運動の礎である作之助に興味をお持ちになっている。
越後から徒歩で上京した作之助の志への共感を口にさ
れた。
資料室では明治前半の音楽指導書に目を止められた。
古来の日本音階から西洋音階へ、子ども達がどのよう
に教えられていたのか、確かに興味深いことだ。
時間が来て、大阪への帰路を急がれるのを見送った。
すらりとした人だった。
そしてその後、東京都町田市からY氏が来館された。
今春開催した塩﨑貞夫展の際お見えになった方だ。
生前、塩﨑画伯はある時期に焼き物もされ、作品集
で拝見したことがあった。
塩﨑氏と親しかったY氏は絵画とともに焼き物作品も
所有されている。
このたびは抹茶茶碗を持参してのご来訪だった。
拝見したお茶碗の実物は素晴らしかった。
鉄釉茶碗。
黒に焦げ茶がほんのり混じり、上品な古色の風合いが漂う。
薄手な作行きが何とも言えずお洒落だった。
灰釉茶碗。この碗も薄さ加減が良い。うっすらと釉薬の垂
れが景色になっている。口縁のゆっくりした山道も穏やか
だ。
灰釉であろうか、上掲のものと異なる鉄混じりの灰ぐすり
が掛かっている。
正面の素朴な絵は山か、向こうの見込みが同じ鉄色を帯
びている。茶碗が置かれているふくさは、パッチワーカ
ーが古い着物をほどいて、こしらえたものだと仰った。
茶碗はいずれも腰から高台にかかる部分が潔く削がれ、真
横からの眺めも気持ちが良い。
こんな茶碗を画家が作るとは全く驚きである。己の審美眼
に任せ何度も試行錯誤されたに違いない。
一つに秀でる人は何を作っても味わいを外さない。
シャイで多弁だったという塩﨑氏。その人に見込まれ可愛
がられたY氏は、ごく一般的なサラリーマンだったという。
魚心あれば水ごころ、、、。
人の道も芸樹のそれも、お金だけでつながるものではない
ことが、ちゃんと具現されていて何とも頼もしかった。
そしてお菓子を食べる時に取り出された菓子楊枝がまた素
晴らしい。
根本曠子(ねもとひろこ)さんの楊枝だ。
根本さんは芸大出の漆芸家で切貝の優品を作られる。
同じ茶や菓子でも、どんな人とどんな器で、どんな風に飲
食するかで美味しさや有り難みが異なる。
余計な出費を切り詰めれば、自分なりに満足のいく美的
生活を創り出すことができることをY氏が現している。
もしかしたら金にあかせるより、楽しい世界かも知れない。
美味しい茶菓子を持参され、居あわせたお客様達と頂き、
それぞれの茶碗で晩秋の庭を見やりながら茶を服した。
新幹線→在来線「さいがた」駅下車の道中でこられた。
大阪と東京の人。
お二人ともまた来たいと仰った。
有り難うございます、心待ち致します。
昨日ウラディミール・アシュケナージ指揮アイスランド交響楽団、そして辻井伸行さんを聴いた。
昨日夕刻は長岡市立劇場でアイスランド交響楽団の演
奏会があった。
指揮のアシュケナージ、ショパンのピアノコンチェル
トの辻井伸行さんとビッグネームが揃い、大きなホー
ルは満席だった。
同公演は川崎をスタートし、東京、福岡、岡山など12
会場を回るツアーで、長岡市はファイナルだった。
以下は当日のプログラム。
1曲目:シベリウス〈カレリア〉組曲 作品11
2曲目:ショパン ピアノ協奏曲第2番ヘ短調 作品21
3曲目:シベリウス 交響曲 第2番 ニ長調 作品43
ショパン、シベリウス、アイスランド、、、。
ヨーロッパの東と北、、、。
風土は厳しくも美しい国々であろう。
そして人は我慢強くまた暖かではないのかと、演奏
中ふと雪国の自分たちのことが重なる瞬間があった。
辻井氏のピアノを聴くのは三回目、特にこの度のショ
パンは堂々たるものだった。
氏のアンコール別れの曲は大切な時間を愛おしむよう
に丁寧に、一種決意を告げる如くゆるぎなく演奏され、
不覚にもまた泣かされた。
オーケストラによるシベリウスの二曲は初めて耳にした。
時に囁き、時に唸る、変化に富んだリズムがまず心地良
い。
それは作曲者と指揮者、演奏者の郷里に吹いている風
であり、海や川辺の波や人々の踊りなのか。
そこに軽やかなメロディがロマンティックに重ねられ、
時に強烈な光と影が投入される。
100人のフルオーケストラの知性と情熱の音楽は晩秋の
ホールを澄みわたらせ、懐かしげに振るわせた。
オーケストラのアンコール曲はシベリウス〈悲しみのワル
ツ〉、と終了後のホワイエに掲示された。とても良い曲で、
ゆっくり膨らんだ情感は霧のような静寂で終わった。
終了後のステージで団員たちは握手し合い、ハグし、接
吻し、とても良いファイナルの光景だった。
オーケストラの母国アイスランドの人口は33万余だと
いう。上越地方三市に柏崎市を加えたくらいの国という
ことか。
それがとても上質なオーケストラを有していることに驚
きを禁じ得なかった。
ちなみにアシュケナージは夫人の故国であるアイスラン
ド国籍を得ていると聞いた。
会場で燕市の後輩、糸魚川市の同業ご夫婦と出合った。
大きな会場の小さな出来事だった。
庚申塔その4、柿崎区は猿毛の庚申塔、すずきせいこさんと出合う。
6月からの石塔マイブームはまだまだ終わりそうもない。
二十三夜塔と庚申塔では、浦川原は顕聖寺(けんしょう
じ)、柿崎は楞巌寺(りょうごんじ)の各門前、そして三
和区のとある神社を訪ね、それらを当ページで紹介させて
もらった。
以後板倉区福王寺や山寺および柿崎区は小村峠と猿毛集
落も訪ねた。
本日は小村峠と猿毛で見聞した石塔を記してみたい。
一帯の庚申塔について、今はなき大先輩である笹原作二
郎医師が「柿崎町黒川筋の庚申塔」という一文を当地の
医師会報に書いておられた。
昭和59年のその会報は手許になく、医師会から取り寄
せると4ページに亘る紹介文と6葉の写真が載っていた。
先生は写真に優れ、県展で特選されたこともあった。
昭和59当時の庚申塔が載った医師会報記事から冒頭の
2ページ。
モノクロ写真はドキュメント性を引き立て、石塔は魅力的
であり、在りし日の先生を思い出して胸熱くなった。
すぐにでもこの写真のところへ行きたい。
まずは去る木曜、午後休診日に猿毛と小村峠へ向かった。
峠からの眺め。眼下に柏崎市西部の集落が。
↑峠の高台にあった二十三夜塔。幅2メートル近くあろう
という巨大な石塔(もはや岩石)だった。
30年ほど前、ここにあった5,6軒の家はおよそ10年で
半分ずつ減って、いま全戸が無くなっていた。
残った大きな石塔は、二十三夜の下弦月の晩に女性達
が集い語り合った夜があっことを、なにより誠実な住民の
暮らしがあったことを如実に物語っている。
それは石塔が果たしている重い役割であるが、江戸期に
置かれた石は、“まさか自分一人になろうとは”と呟いて
いるのではなかろうか。
その日の帰路、猿毛(さるげ)に寄った。
道沿いで見た庚申塔。力強い青面金剛(しょうめんこん
ごう)は六臂(ろっぴ;六本の腕)。
お猿さんは中央に一匹、耳を押さえているのか、左右に
もいるようだが、はっきりしない。
そして本日、先掲の医師会報を持参して再度猿毛を訪ね
た。
先回は東側から入り、この度は西から入ってみた。
この辺りで60才くらいの方にお会いし、会報の写真を見
て頂きながらて話を聞いた。
男性は軽トラに積んだネギを納屋に降ろしているところだ
った。
会報の写真を見ると、“道路補修によって今ここには無い
がすぐ近くに移してあるよ”と仰った。
有り難い。
今年のネギはどうでしたか、と訪ねると「良かったかな」と
笑顔で仰った。
石塔は本当に近くの良い所にあった。
きれいに並んだ石塔群。手前は大きな二十三夜塔!二番
目に庚申塔。
記念碑を手入れ良く保存することは、それを残したかって
の住人の願いを大切にすることであり、山間の人びとの愛
郷心とその篤さが心打つ。
行政は各地域を総括する親あるいは子孫の代表機構であり、
他に代えがたい存在意義がある。
文化都市を謳うなら、先人を尊ぶ事業の一環として各地の
民の生活史である石塔や諸石仏を文化として手厚く保護し
紹介する義務を負っているのは論を待たない。
先輩医師が撮ったものと思われる青面金剛の庚申塔。
金剛の六臂と三猿がかなりしっかり浮き出ている。
十像十色、それぞれに特徴があって面白い。
猿毛から樹下美術館に戻ると女性がお茶を飲んでおら
れた。
糸魚川市からこのたび開催された上越市の名家巡りに
来られたという方。最後の頸城区森本の白田邸の帰り
に寄った、と仰る。
お話するうち、小生がよく見るブログの筆者すずきせ
いこさんだと分かった。
まさかである!
とても知的な方だ。
以前にも当館のことをお書き下さっている。
クラウドの人が眼前にいる不思議さと嬉しさで胸弾
んだ。
沢山お話したかったが、長岡市のコンサートに出かけ
る時間が迫った。
アシュケナージ指揮アイスランド交響楽団と辻井伸行
さんのピアノが聴けるコンサートだった。
忙しい午後は長生きして良かった日になった。
コンサートのことは明日の予定にしてみます。
ついつい長くなってしまいます。
ツグミがやってきた。
曇の多い空から陽が射しあるいは雨が降り、お天気は忙
しい。少し寒かったが、風が吹かなかったので一先ず穏や
かだった土曜日。
庭で冬の使者ツグミを見た。
ツグミはお風呂が好きだ。
美しく鳴けないツグミはおっとりしている。
スッスと歩いては立ち止まるを繰り返す。
一人でダルマさんが転んだをしているの?
場慣れしている君は去年もここへ来た鳥?
この鳥の昔は大変で、1,2を争うほど焼き鳥にされたら
しい。
庚申塔その3、間近にあった愛らしい庚申塔と石祠。
毎回の庚申塔で申し分けありません。
樹下美術館の近くはどうかと考え、昼休みに近隣を走
ってみた。
山の気配を背にした社寺の門前が要点ではと思って見
て回った。
すると三和区に入って間もなく社があり、傍らの道路に
面して小さな塚と石祠(せきし)が見えた。
右に庚申の文字塔、左に祠。明るい場所でほがらかな感じ。
※後日の調べでは青野池の近く三和区腰柳集落のようです。
(樹下美術館からおよそ15分ほど)
塔の高さは60㎝ほどであろうか、小さくて丸く愛らしい。
右上辺に月・日と文字が刻んであり、様式の一つが簡素に
表現されていた。
現場では分かりにくかったが、写真を見ると六臂が彫り出
されており、青面金剛像だと分かる。合掌以外の手(臂)
に宝輪と弓矢を持っている。上方の左手は何を持っている
のか判然としない。猿とニワトリの姿はないが素朴でとて
も良かった。
過日板倉区の福王子を訪ねた際にも石洞の庚申塔に
出合った。中が暗く像は小さいが心暖まる。
そばの社は端整に手入れされていた。額が見当たらず、そ
の名が分からない。見逃したのかも知れない。
車で10分ほどの場所であり、今の所樹下美術館から最も
近い庚申塔とその祠(ほこら)だった。
元からあったものか、移されたのか、暖かな陽光に包まれ
てとても慎ましい。
昔人の祈りがほのぼのと伝わるのを感じた。
庚申塔その2 近隣の庚申塔(浦川原と柿崎)。
一昨日、庚申塔その1を書かせて頂き、火頭窓→二十三
夜塔→庚申塔へ関心が広がったことを書かせて頂いた。
さる11日日曜日は最初に二十三夜塔を見た浦川原顕聖寺
へ出向いた。ほかに石塔があったやに思ったからだった。
当日の門前。三基の石塔があり、手前に二十三夜塔、左に庚
申塔があった。
魚沼でもそうだったが、二十三夜塔と庚申塔はおよそ一緒
にあることが多いのではないかと思われる。
ここの二十三夜塔とも字が上手い(彫るのも上手い)と思
った。
その脚で亡き先輩の話を思い出し柿崎区は楞巌寺(りょう
ごんじ)へ行ってみた。
背後の山は広大な墓地。この先に柿崎影家の墓と上杉謙信
を教育し支えた天室光育の墓があり、深い静寂に包まれて
いた。
さて門前に幾つかの石塔が置かれ期待通りに庚申塔があっ
た。
やはり二十三夜塔もある。
少し向こうには仏像(青面金剛)が彫られた庚申塔がもう
一基。
魚沼の彫像は6本の腕(六臂:ろっぴ)だったが、この像は
合掌を入れてかろうじて四臂が覗える。
上方の左右に月と日を表す形象が認められ、下方に二匹の
猿が彫られているようだった。
一般に見ざる、聞かざる、言わざる、の三猿が標準らしい
が、ここでは二匹。左の猿は片手で口を抑え、片方で目を
押さえているようにも見えるけれども、そんなことがある
のだろうか。
いずれにしても近隣で彫像の庚申塔に出合う事が出来、大
変に嬉しかった。
知らぬは自分ばかり、やはり身近な所にも探し物はあるも
のだ。
本業、美術館、二十三夜塔、庚申塔、火頭窓、催事、、、。
なぜこの年になってこんなに忙しくなったのだろう。
残りの人生が見えてくるとこうなるのか。
今までがあまりに無為だっただけなのか。
いずれ庚申信仰の内容、あるいは本尊の青面金剛や登
場する猿あるいはニワトリなどの意味について記してみ
たいと思います。
以下に彫像庚申塔の一つのパターンを描いてみました。
庚申塔(こうしんとう)その1。
今年6月、黒井の大慈院でありありとした火頭窓を見た。
ふと目にしただけだったが、何故か晴れやかな気持ちが
して、以来その窓に興味を持つようになった。
その後何度か近隣の寺を見て回り、髙田寺町の久晶寺
や浦川原の顕聖寺(けんしょうじ)あるいは柏崎の妙満
寺でなど立派な窓を見た。
その寺巡りの中で顕聖寺を訪ねた際、門前で二十三夜の
石塔(二十三夜塔)を初めて目にした。
不思議な名の塔(塚)は古い女性たちが月を仏に見立て
て行った行事の記念として建てられたものだと知った。
石塔の時代離れしたいわれに心惹かれ、以来火頭窓と共
に二十三夜塔は好奇心の対象になった。
その後10月下旬の魚沼行きでは 雲洞庵始め道中の寺院
で幾つもの火頭窓を目にし、随所に二十三夜塔とも出会う
ことが出来、とても満足だった。
ところがその魚沼で、また一つ「庚申塚(こうしんづか)」
あるいは「庚申塔」が新たな興味の対象として加わった。
魚沼の最後に訪れた毘沙門堂には二十三夜塔と共に庚申塔
があり、そこで出合った女性が「二十三夜塔のことは知ら
ないが、庚申塔なら知っている」と仰った。
実は庚申塔については、今は亡き大先輩医師がかって当地
の医師会報に一文を書かれたことがあった。
若かりし私は“古めかしいな”と感じただけで、目を通さず
に終わっていた。
今思えば残念だが、このたび毘沙門堂の女性の話から興味
を覚えるに至った。
二十三夜の月待ち行事は女性のものだが、庚申講の行事
(庚申待ち、庚申様)は男たちのものだった。
二つの行事はいにしえの男女の立場や生活感の違いが現れ
ていて興味深かった。
↑魚沼の初日の朝、六日町の街角で早々に出合った二十
三夜塔。
この時以下のように反対側からも写していました。
手前から二つまで庚申と読める文字。四番目に二十三夜塔。
この時は庚申塔をほとんど気に留めていなかった。
以下は291号線を北上中に見た石塔群。
そして左の石仏。後にこれも庚申塔であることが分かった。
合掌する手を含めて六つの腕を持つ青面金剛(せいめんこ
んごう)が大きく彫られ、下方の両脇に見ざる聞かざるの
動作をした猿がみられる。
これらは庚申講で崇められる仏とその使者であり、庚申塔
の一つの典型だと知った。
さて毘沙門堂で出合った同地の女性は、“庚申講の夜、体
内の虫がえんま様にその人の悪事を告げ口に行く、という
いわれがある。それをさせないために、宵から経を唱え、
夜通し飲食を行い、話に花を咲かせて寝ずに過ごした“”と
仰った。
講は60日に一回の庚申の夜に集落内で持ち回りされ、必要
な掛け軸や食器などは共同で所有。
集まるのは男性で、女性は仕度や後かたずけに回り、子供
が食べ物などをお相伴する事もあり、楽しかったという。
この女性の子供時代まで行われていたというので、戦後し
ばらくは続いていた模様だ。
少々長くなりました。
魚沼の後、浦川原、柿崎、板倉など当地でも庚申塔を目に
し、上掲しました青面金剛が彫られた石塔にも出会いまし
たので、後日書かせて下さい。
可愛い猿も彫られていました。
展示中の齋藤三郎作品から竹の三作品。
樹下美術館今年の展示はあと一ヶ月半を残すばかり
となりました。
今年の展示を振り返りながらあらためて眺めてみた
いと思います。
今年の齋藤三郎(陶齋)展示は染附(そめつけ)で
す。
染附ですから作品は全て青(藍)で描かれています。
藍はコバルトを主成分とする呉須(ごす)という顔
料が用いられます。
焼きの温度、時間、送風などの条件によって風合い
が異なることも一つの見所ではないでしょうか。
齋藤三郎(陶齋)は中国産の唐呉須で描いたと聞き
ました。
去る日は齋藤三郎のごく初期作品である昭和12~
13年当時の二つの菓子器について以下のように記
しました。
齋藤三郎(陶齋)の二つの菓子器その1
齋藤三郎(陶齋)の二つの菓子器その2
二作品とも竹林文様でしたが、この度その続きとし
て以下いずれも竹に関する染附作品を記します。
染附(そめつけ)竹文徳利。(上越市髙田における
比較的日が浅い時期の作品。笹を大きくややラフに
描き、くつろいだ気配が感じられます。
↑染附竹文水指(そめつけたけもんみずさし)。
昭和30年代作。竹と笹の輪郭を最初に描き、余白を
くまなく塗りつぶしています。
陶芸では輪郭を描くことを骨書(こつがき)、その中
また周囲の地を塗りつぶすのをダミと言います。
この器は丁寧に描かれた笹と竹の幹を余白として残し、
空間(地)をダミとしてあまねく塗っています。
一般に骨描きは細く固い筆を、ダミは太く柔らかい筆が
用いられました。
当作品は骨書きダミともスピード感があり、筆跡(タッ
チ)が味として読み取れ、それは作品の動きや竹林の
風を感じさせています。
染附の藍が十分に生かされた上品な力作ではないでしょ
うか。
昨年2月に美術屋さんから来た作品でした。
没後36年、いまだに見た事もないような優れた作品と出
合えるとはつくづく驚かされます。
4㎝四方の染附香合。共箱に昭和13年橡三郎作とありまし
た。文様は恩師・富本憲吉の代表的な図柄の一つである
「竹林月夜」を用いています。
三郎の生家、新潟県栃尾(現長岡市)は当時橡(とち)尾
と記していたようです。それで橡三郎と号したのでしょう。
昨年4月、新潟市に於ける裏千家お家元の茶席でこの香合
を使いました折、お褒め頂きました。
さて先回から続いた作品はいずれも竹で、比較的若い時代
の作品によく見られるようでした。
これには多くの笹や竹林を描いた師の影響が濃く現れてい
るものと想像されます。
中国に於ける歳寒三友(松、竹、梅)、四君子(竹、梅、蘭、
菊)と古来から尊ばれ、寒さに負けず初々しく、強くしなや
かな竹そして竹林。
それはまた若き陶齋を鼓舞した大切なモチーフの一つだった
にちがいありません。
暖かな木曜日テッポウユリを植え終えた。
3週間ほど前からテッポウユリを3回に亘って植えてきた。
球根なので植えると言うより埋める感じだった。
出来るだけ前年と同じ場所を避け、土を彫り上げ有機肥料
を混ぜた土を加えて20㎝は掘って球根を置いた。
来年の6月を楽しみに十分に土をかける。黄白色のものは
球根を包んでいたオガクズ。
今期50個ちかく植え終えた。
このところ暖かい日があり、最初に植えた球根から芽を出
し始めたものがある。これからの雪で傷まないよう、さら
に土をかけて保護しないといけない。
種や実が有している一途な成長のポテンシャルには驚かさ
れる。
昼過ぎ牧区から縁者のご夫婦が来られた。海辺に住んでいる
者には山間の話をお聞きするのは興味深く楽しい。
傷んできた駐車場のアプローチ。
樹下美術館の設計は建物ばかりではなく、駐車場も美しく
と鉄平石を敷いてデザインされました。
2007年、開館約一ヶ月後。やや赤味を帯びた石が混じった
仕上がり。車を駐める楽しさ、歩く楽しさともに配慮されまし
た。
ところが数年前から石面の一部が割れたり剥がれたりし始
めました。
スタッフが数カ所をセメントで補修をした一昨年のアプロ
ーチ。
しかし今年に入ると傷みが目立つようになり、最近では車
の通過に際してドンと感じる異常を生じるようになりました。
昨年からお客様が増加したことと、今年は大型バスが何度か
入場したことなどで入り口付近を中心に急に傷みが進んだよ
うでした。
休館日一日の補修では済まないようであり、冬期休館を利用
して直すことに致しました。
それまで皆様にはご不快とご迷惑をお掛けして大変申し分け
なく存じます、どうか宜しくお願い申し上げます。
ちなみに以下は開館二ヶ月前、2007年4月、外構工事中の様
子です。
出来るだけ当初のフレッシュさを維持したいと思っています
が、12年目となり経年のダメージを免れません。
昨年はカフェの窓枠を全て替えました。
一方、庭は待て待てというほど育ちますから自然はさすがで
す。
髙田から大潟水と森公園を目指され、雨で断念された皆様に
雨上がりを見て近くの大池いこいの森公園をご紹介してみま
した。
如何でしょうか、無事に着かれましたでしょうか。
茨城の栗で渋皮煮を作る。
今ごろになると妻の友人が茨城県は笠間の栗を送ってく
ださる。
この度妻が以下の様に渋皮煮をこしらえた。
過去何度か作っているが、今回は量が多く二日がかりと
なった。
沸騰した湯につけ、冷めたら上げて皮(鬼皮)をむく。
この時皮を傷つけると煮る段階で破れてしまう。
むいた栗を重曹を加えた湯で吹きこぼすまで三回煮立てて
あく取りする。
あく取りした後ブラシを掛け、また固い筋を楊枝で取り去り、
その後水が澄むまで数回水洗いしてきれいにする。
栗はミネラルが豊富で糖質度が高い。そのため砂糖の無い時
代から甘味として珍重されていたという。
エネルギーはむき身100グラム(5~7個)で165キロカロリ
ー、このたびザラメ糖が加わり200キロカロリーにはなろう。
案外おなかが膨らむので美味しくとも2個で十分だ。
渋皮煮は、近く行われるお茶事でお菓子として用いる予定と
聞いた。
ゆで栗は食べるときに手間を感じるが、渋皮煮は先に手間を
掛けた分、後で楽に食べられ、日本版マロングラッセといえ
るかも。また比較的保存が効くという利点がある。
スズメが水溜まりで水浴び。
昼食後、樹下美術館近隣の道路でスズメが水浴びをして
いた。
水溜まりとガードレールや樹を行ったり来たり。厳しい冬
を前に我が世の秋を楽しむ風。このほかに沢山いて、大き
な群だった。
スズメの色と柄はシックで、頭はまん丸。とても可愛い。
セイロン紅茶のブック缶に秋の実。
昔描いていた植物画をポストカードにしてささ
やかなショップでお出ししている。
過日そのうちのノブドウのことでお客様とお話
した。
野の宝石、変色するものしないもの、それらの
違いなど楽しくノブドウのお話をした。
すると本日その方が可愛いブリキの紅茶箱を持
参され、どうぞと仰った。
クリスマスのイメージがあったブック型の紅茶箱。
セイロン紅茶のブランド「バシラー」とお聞きした。
丁寧な製法とおしゃれなパッケージで知られて
いるらしい。
うちでも面白いデザインのを取り寄せてみたい。
中に色づいたノブドウと鮮やかなコムラサキの実が入ってい
た。
以前愛らしい鳥「エナガ」の貴重な写真集を頂いた。
開館当初からのお客様、誠に有り難うございました。
樹下美術館でこの鳥に会えれば最高ですね。
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